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尹晶煥 |
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| 名前 |
| カタカナ |
ユン・ジョンファン |
| ラテン文字 |
YOON Jung Hwan |
| ハングル |
윤정환 |
| 基本情報 |
| 国籍 |
韓国 |
| 生年月日 |
1973年2月16日(39歳) |
| 出身地 |
光州広域市 |
| 身長 |
173cm |
| 体重 |
69kg |
| 選手情報 |
| ポジション |
MF |
| 利き足 |
右足 |
| クラブチーム1 |
|
|
| 代表歴 2 |
| 1994-2002 |
韓国 |
38 (3) |
|
| 監督歴 |
| 2011- |
サガン鳥栖 |
1. 国内リーグ戦に限る。2008年7月26日現在。
2. 2008年7月26日現在。
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尹 晶煥(ユン・ジョンファン、윤정환、Yoon Jung-Hwan、1973年2月16日-) は、大韓民国・光州市出身の元サッカー選手で、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。元サッカー韓国代表選手で、現在はJリーグ・サガン鳥栖の監督を務める。
[編集] 来歴
[編集] 選手時代
東亜大学校在籍時の1994年に韓国代表デビューを果たすなど、中盤のプレーメーカーとして早くから将来を嘱望された。1995年にKリーグ・油公コッキリ(現済州ユナイテッドFC)でプロデビュー。1年目から出場機会を得る。
2000年にJリーグ(J1)・セレッソ大阪と契約し、C大阪のJ1ファーストステージでの優勝争いの原動力となった。2001年にはJOMO CUPのメンバーにも選出され、MVPを受賞。日韓共催の2002 FIFAワールドカップを控えていたため、当初はこの年限りで韓国に復帰するつもりだったが、C大阪がJ2へ降格した悔しさを晴らすために残留し、2002年はJ2でプレー。C大阪を1年でJ1へ復帰させた。日韓ワールドカップの韓国代表メンバーにもJ2から選出されたが、出場機会はなかった。
2003年に韓国に帰国し、この年は城南一和天馬、翌年からの2年間は全北現代モータースでプレーした。
2006年、「再び日本でプレーしたい」という本人の強い希望によりJ2のサガン鳥栖に移籍。この年は当時鳥栖のクラブ史上最高成績となる4位躍進に大きく貢献し、チームを支えた。2007年は先発出場の機会は減ったものの、スーパーサブとして活躍した。同年オフ、鳥栖との契約満了とともに現役を引退。
[編集] 指導者時代
引退後の2008年はテクニカルアドバイザーとして引き続き鳥栖に残り、鳥栖のユースチームやサッカースクールでの指導のほか、地域の子どもたちを対象にサッカーの普及活動に取り組んだ。
2009年、鳥栖のトップチームコーチとして指導者として現場に復帰。クラブは当初から尹を将来の監督候補として期待しており、この年限りで監督の岸野靖之が辞任した際には、尹が監督に昇格する予定であったが、尹の所持するAFCのA級ライセンスではJリーグクラブの監督就任条件を満たさないと判断された。そこで、クラブスタッフで監督就任に必要なJFA S級ライセンスを唯一所持していた、元監督でGMを務めていた松本育夫が監督に復帰し(GMは解職)、尹はヘッドコーチに昇格して松本と尹の二頭体制を取ることとなった[1]。なお、実際の指導は尹が中心として執るが、松本は鳥栖での前回の監督最終年(2006年)にも実際の指導を当時ヘッドコーチだった岸野に任せていた前例がある。
2010年にS級ライセンスを取得したのを受けて、2011年より鳥栖監督に正式に就任。この年の開幕時におけるJリーグ38クラブの監督の中では唯一の韓国籍監督で、最年少でもある。2010年は選手の大半が入れ替わった影響もあり9位に終わったが、主力選手の大半を残すことが出来た2011年は後半戦で16試合連続負けなしの快進撃を見せ、チームを過去最高の2位に導き、同時にクラブ初のJ1昇格を果たした。
[編集] 人柄
リーダーシップのある選手で、鳥栖時代はベテランとして全幅の信頼を寄せられ、尹を慕う若手選手は多かった。鳥栖時代には韓国人の通訳がいなかったが、チームメイトとの会話では日本語を流暢に話すなど、コミュニケーション等にも問題は全く無かった。
[編集] 所属クラブ
ユース経歴
パンリム小学校
プクソン中学校
クムホ高校
東亜大学校
プロ経歴
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 |
| 年度 |
クラブ |
背番号 |
リーグ |
リーグ戦 |
リーグ杯 |
オープン杯 |
期間通算 |
| 出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
| 韓国 |
リーグ戦 |
リーグ杯 |
FA杯 |
期間通算 |
| 1995年 |
油公コッキリ |
|
Kリーグ |
19 |
3 |
5 |
0 |
- |
24 |
3 |
| 1996年 |
富川油公 |
|
15 |
0 |
7 |
2 |
? |
? |
|
|
| 1997年 |
富川SK |
|
7 |
2 |
9 |
1 |
? |
? |
|
|
| 1998年 |
|
16 |
1 |
12 |
3 |
? |
? |
|
|
| 1999年 |
8 |
11 |
2 |
7 |
1 |
? |
? |
18 |
3 |
| 日本 |
リーグ戦 |
ナビスコ杯 |
天皇杯 |
期間通算 |
| 2000年 |
C大阪 |
6 |
J1 |
29 |
3 |
3 |
0 |
3 |
3 |
35 |
6 |
| 2001年 |
26 |
4 |
1 |
0 |
5 |
6 |
32 |
10 |
| 2002年 |
J2 |
26 |
4 |
- |
3 |
0 |
29 |
4 |
| 韓国 |
リーグ戦 |
リーグ杯 |
FA杯 |
期間通算 |
| 2003年 |
城南一和 |
6 |
Kリーグ |
30 |
1 |
- |
0 |
0 |
30 |
1 |
| 2004年 |
全北現代 |
8 |
23 |
2 |
11 |
0 |
2 |
0 |
36 |
2 |
| 2005年 |
19 |
1 |
12 |
1 |
5 |
0 |
36 |
2 |
| 日本 |
リーグ戦 |
ナビスコ杯 |
天皇杯 |
期間通算 |
| 2006年 |
鳥栖 |
8 |
J2 |
41 |
2 |
- |
2 |
0 |
43 |
2 |
| 2007年 |
26 |
1 |
- |
0 |
0 |
26 |
1 |
| 通算 |
韓国 |
Kリーグ |
203 |
20 |
63 |
8 |
|
|
|
|
| 日本 |
J1 |
55 |
7 |
4 |
0 |
8 |
9 |
67 |
16 |
| 日本 |
J2 |
93 |
5 |
- |
5 |
0 |
98 |
5 |
| 総通算 |
351 |
32 |
67 |
8 |
|
|
|
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[編集] タイトル
[編集] 代表歴
[編集] 出場大会
[編集] 試合数
[編集] 指導歴
- 2008年-現在
サガン鳥栖
- 2008年 テクニカルアドバイザー
- 2009年 コーチ
- 2010年 ヘッドコーチ
- 2011年- 監督
[編集] 監督成績
| 年度 |
所属 |
クラブ |
リーグ戦 |
カップ戦 |
| 順位 |
試合 |
勝点 |
勝 |
分 |
敗 |
ナビスコ杯 |
天皇杯 |
| 2011 |
J2 |
鳥栖 |
2位 |
38 |
69 |
19 |
12 |
7 |
- |
2回戦敗退 (初戦敗退) |
| 2012 |
J1 |
|
|
|
|
|
|
|
|
| J1通算 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
|
|
| J2通算 |
- |
38 |
- |
19 |
12 |
7 |
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[編集] 関連項目
[編集] 参照
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サガン鳥栖 - 2012 |
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| スタッフ |
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| 選手 |
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| 関連項目 |
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