松山博明

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松山 博明 Football pictogram.svg
名前
カタカナ マツヤマ ヒロアキ
ラテン文字 MATSUYAMA Hiroaki
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 1967年8月31日(47歳)
出身地 京都府
身長 172cm
体重 70kg
選手情報
ポジション MF
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

松山 博明(まつやま ひろあき、1967年8月31日 - )は、京都府出身の元サッカー選手、サッカー指導者。一時期登録名を「松山 広淳」としていた。[1][2]

兄の松山吉之も元サッカー選手で、現在は関西サッカーリーグ2部・レイジェンド滋賀FCの監督。

来歴[編集]

選手時代[編集]

山城高校時代は全国高等学校サッカー選手権大会で得点王に輝き、早稲田大学へ進学、卒業後、古河電気工業サッカー部に「入社」、以来フジタ工業を経てベルマーレ平塚東芝コンサドーレ札幌でプレーした[3]

指導者時代[編集]

2004年にサテライト監督に就任したヴィッセル神戸では、イワン・ハシェック監督が退任後、10月2日の東京ヴェルディ1969戦で監督代行を任され、2-0で勝利した[4]当初は1試合だけという条件付きでの監督代行だったが、東京V戦の勝利と、後任監督選びが進まないこともあり、その後も指導を任されるようになる[4]。しかし、当時の松山はまだS級ライセンスを取得前だったため、名目上の監督には育成普及部長の加藤寛が就き、松山は「通訳」の肩書きで実際にはチームの指揮を執った[4]。「通訳」という肩書きは、試合中にテクニカルエリアに入るための苦肉の策だった[4]。加藤監督・松山「通訳」体制の神戸の成績は4勝1分3敗だった。

2006年からは大分トリニータの強化担当に就任、同年7月にS級ライセンスを取得した[3]。大分ではその前にコーチを務めていた滝川第二高等学校時代の教え子である金崎夢生清水圭介らを加入させた[5]。強化担当にあった2009年7月、監督のペリクレス・シャムスカが解任されたのに伴い、後任のランコ・ポポヴィッチの登録が完了するまで1試合だけ暫定監督を務め[5]浦和レッズに1-0で勝利してチームの連敗を14で止めた[6][5]

2010年5月31日付で大分を退団し[7]日本サッカー協会のアジア貢献事業の一環としてブータンに派遣され[7][8]ブータン代表監督と若年層の強化を担当した[7][5]。2012年に関西国際大学サッカー部監督に就任[9]

選手経歴[編集]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 JSL杯/ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1990-91 古河 22 JSL1部 0 0 0 0
1991-92 フジタ 16 JSL2部 29 1 3 0
1992 フジタ 16 旧JFL1部 14 1 -
1993 フジタ 16 旧JFL1部 18 1 5 0 1 0 24 1
1994 平塚 - J 5 0 0 0 0 0 5 0
1995 平塚 - J 0 0 - - 0 0
1995 鳥栖 33 旧JFL 4 1 - 0 0 4 1
1996 札幌 17 旧JFL 0 0 - 0 0 0 0
通算 日本 J 5 0 0 0 0 0 5 0
日本 JSL1部 0 0 0 0
日本 JSL2部 29 1 3 0
日本 旧JFL 36 3 5 0
総通算 70 4 8 0

個人タイトル[編集]

指導経歴[編集]

監督成績[編集]

年度 所属 クラブ リーグ戦 カップ戦
順位 試合 勝点 勝利 引分 敗戦 ナビスコ杯 天皇杯
2009 J1 大分 - 1 3 1 0 0 - -

参考文献[編集]

全体

細部

  1. ^ 『J.LEAGUE年鑑1994公式記録集―Jリーグオフィシャル1995レコード&データ』 小学館、1994年、132頁、158頁
  2. ^ [1]1994年04月16日(土)ジュビロ磐田 vs ベルマーレ平塚
  3. ^ a b 松山博明強化担当 大分トリニータコーチ 就任決定のお知らせ [ 大分 ](09.07.21)” (日本語). J's GOAL (2009年7月21日). 2011年9月7日閲覧。
  4. ^ a b c d 村上 研志 (2004年10月28日). “神戸を生まれ変わらせた「名通訳」” (日本語). asahi.com. 2011年9月7日閲覧。
  5. ^ a b c d 【J2日記】大分:幸せな国の、幸せなサッカー (10.05.29)” (日本語). J's GOAL (2010年5月29日). 2011年9月7日閲覧。
  6. ^ 【トリニータ】ほえた!深谷ヘッド” (日本語). 大分合同新聞 (2009年7月19日). 2011年9月7日閲覧。
  7. ^ a b c 松山さんがブータン監督 J2大分コーチから「幸せの国」へ” (日本語). 西日本スポーツ (2010年6月1日). 2011年9月7日閲覧。
  8. ^ http://www.kyoto-np.co.jp/kp/sport/mandara/c_athlete/at48.html
  9. ^ http://blogs.yahoo.co.jp/mhiroaki0831/12347797.html

外部リンク[編集]