鹿島アントラーズ
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|---|---|
| 原語表記 | 鹿島アントラーズ |
| 愛称 | アントラーズ |
| クラブカラー | ディープレッド |
| 創設年 | 1947年 |
| 所属リーグ | Jリーグ |
| 所属ディビジョン | ディビジョン1 (J1) |
| ホームタウン | 茨城県鹿嶋市、神栖市、潮来市、鉾田市、行方市 |
| ホームスタジアム | 茨城県立カシマサッカースタジアム |
| 収容人数 | 40,728 |
| 運営法人 | 株式会社鹿島アントラーズ・エフ・シー |
| 代表者 | 大東和美 |
| 監督 | |
| 公式サイト | 公式サイト |
鹿島アントラーズ(かしまアントラーズ、Kashima Antlers)は、日本の茨城県鹿嶋市にホームを置く、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
目次 |
[編集] 概要
チーム母体は1947年に創設された住友金属工業蹴球団。1991年のJリーグ加盟時に鹿島アントラーズに改称した。
ホームタウンは茨城県鹿嶋市(合併前は鹿島郡鹿島町と大野村)・潮来市・神栖市に2006年からは鉾田市、行方市も加わった。1995年に鹿嶋市が誕生して以後もチーム名は地域名の鹿島のまま。なお当時ホームタウンは原則として1チーム1市区町村だったが、鹿島に限り特例で周辺市町村との広域ホームタウンが認められた。
チーム名の「アントラー(antler)」は英語で鹿の枝角を意味し、鹿島神宮の神鹿にちなみ、枝角は茨城県の茨をイメージしている。その鋭い枝角で勇猛果敢に立ち向かい勝利を目指すという意味も込められている。
チームは、1年ごとのスローガンとは別に「FOOTBALL DREAM」を常に掲げ、地域と共に頂点を目指す。
チームマスコットは、クラブ創設時より「しかお」。シカをモチーフにしたキャラクターである。さらに1997年3月2日にしかおと結婚したと言う設定で、「しかこ」が登場。1999年8月1日にしかおとしかこの間に誕生したと言う設定で「アントン」が登場した。
ホームスタジアムは茨城県立カシマサッカースタジアムで、練習場は鹿島アントラーズクラブハウスグラウンドを使用している。
カシマスタジアムの指定管理者にもなり、カシマウェルネスプラザによる健康事業や茨城大学との提携などによるスタジアムの利活用、2007年にはファンクラブ事務局を東京から地元のカシマスタジアムに移転するなどさまざまな取り組みを行っている。
また、サッカー以外にもミニバスケットボール、テニスのスクール、剣道教室を開催している。テニス競技とは結びつきが強く、デビスカップ開催時にはアントラーズのボランティアスタッフが試合運営をアシスタントした。
また、監督により戦術を頻繁に変えるチームが多いJリーグにおいて、開幕からほとんどの試合をDFを4人配置する4バックで戦うなどチーム戦術に一貫性のある数少ないチームである。
ジーコが所属していたこともあり、ブラジルのサッカー界とも強いパイプを持つ。Jリーグが開幕した1993年以降、所属した外国籍選手は2009年に「アジア人枠」を利用して獲得したパク・チュホ(韓国)以外は全員ブラジル人選手である。ジョルジーニョやレオナルド、ベベットなど、サッカー王国ブラジルでも一線級に値する選手たちが過去に鹿島でプレーした。
主要タイトル(Jリーグ年間、天皇杯、ナビスコカップ)において、Jリーグ史上最多の12冠を誇るクラブ(A3チャンピオンズカップ、スーパーカップを含めると17冠)であり、2000年シーズンにはJリーグ、ナビスコカップ、天皇杯と国内3大タイトル全てを制し、Jリーグ発足後初の3冠を達成している。
2009年のスローガンは、『 FOOTBALL DREAM '09 PROGRESSO(プログレッソ)〜飛躍〜 』
[編集] 歴史
[編集] 住友金属時代
太平洋戦争後の間もない1947年、空襲の爪跡を残す大阪市に住友金属蹴球同好会を創部した。1956年には住友金属蹴球団に改称。1973年に日本サッカーリーグ2部に昇格。1975年に茨城県の小さな町だった鹿島町(現・鹿嶋市)に移転した。さらに1部昇格を狙うには、いろいろな苦労があった。当時、他の実業団チームは契約制を導入し始めていた。外国人選手をはじめ国内でも実力の高い選手と契約を交わしてプロとしての意識づけを行い、レベルを高め、戦力の強化を達成してきた。
しかし、住友金属は徹底したアマチュアイズムを貫いており、また社内にはほかに多くのスポーツ団を抱えていたので、蹴球団だけを特例としてノンアマチュア化(プロ化)することはできなかった。
1985年、1部への昇格を果たす。しかし結果は12チーム中11位と再び、2部リーグに降格せざるをえなかった。
1986年には、1部への返り咲きを果たした。しかし1部リーグでは12チーム中10位。翌年には12チーム中11位とまたしても2部に降格。
1989年。プロサッカーリーグ(Jリーグ)設立が具体化、当時の住友に参加の意思は無かったが半年後の1990年、住友金属本社の「2000年ビジョン」の指針が発端となって「住金の中で最も転勤したくない事業所」であった鹿島を盛り上げる起爆剤になるようプロリーグ参加を表明。鹿島町長を含めた7名がプロリーグ参加を協会に要望。しかし「2部リーグのチームの力じゃ、プロリーグでやっていけないだろう」、「人口が少なくサッカーが盛んとはいえない鹿島で観客を集めることは困難」と誰もがそう思っており、さらに当時のJリーグ理事長・川淵三郎からは「とにかく住金が加入できる確率は限りなくゼロに近く、99.9999%ダメだ」と言われたが、住友金属蹴球団代表者(後の2代目Jリーグチェアマン鈴木昌)は、「まだ0.0001%の可能性はあるんですね」と言い返し、川淵はJ加入条件を徐々に上げるが、住友はそれらのハードルを乗り越え、最期にダメ押しのつもりでやんわりと「スタジアムが屋根付きなら考えない事もありません」と諦めさせる為に言ったつもりだったが屋根架設のメドを取り付け、断る理由が全て無くなった川淵は絶句する。
その後、1人のブラジル人がやってきた。それがブラジルが生んだスーパースターで、元ブラジル代表主将ジーコ(元・日本代表監督)である。ジーコが加入してきたのは1991年(川淵三郎によると、「当初、紹介した古河電工(現:ジェフユナイテッド千葉)にそのまま加入してもらおうと思っていたが、当の古河電工はジーコ入団に難色を示し、その後断りをいれた。そのため、新たに住友金属を紹介したところ、住友金属のアピールもあって、ジーコの入団が実現した」と話している)。当時チームは2部リーグに甘んじていたが、ジーコのスーパープレイは他チームの選手を翻弄した。そして、日本初の本格的サッカー専用スタジアムとして建設されたカシマサッカースタジアムをホームスタジアムとして、念願だったJリーグ加盟をJリーグ発足初年度に果たし、チーム名も「鹿島アントラーズ」と改称、プロクラブとして新たなスタートを切った。
[編集] 1993年 - 1999年
初代監督にはJリーグ入りを断念した本田技研サッカー部の前監督・宮本征勝が就任。選手も長谷川祥之や本田泰人など本田技研の選手を中心に補強。ジーコ、アルシンドなどブラジル人選手を中心にJリーグ開幕を迎えた。1993年5月16日に行われた開幕戦はカシマスタジアムに名古屋グランパスエイトを迎えたホームゲームで「ジーコとリネカーの対決」が注目されたが、ジーコのハットトリックとアルシンドの2ゴールで5-0で圧勝、白星スタートを切った。旧本田勢に加えて大卒新人の秋田豊がレギュラーを獲得し、勢いに乗ったチームは開幕シリーズである1993年1stステージを制覇。しかし、1994年1月に国立霞ヶ丘競技場で行われたJリーグチャンピオンシップでは2試合で1分1敗となり、初代年間王者はヴェルディ川崎に譲った。第2戦ではジーコが三浦知良のPKの際にボールへつばを吐く非紳士的行為で退場(この日2枚目の警告)となり、大きな話題となった。また、開幕戦の圧勝から1stステージ優勝に至る快進撃により、鹿島町は「サッカーの町」として全国的に認知され、周辺人口の少なさから低調な観客動員が危惧されていたカシマスタジアムは毎試合超満員となり、チケット入手が非常に困難なスタジアムとして知られるようになった。
1994年のサントリーステージ(1stステージ)終了後にジーコは現役を引退したが、その後もテクニカル・アドバイザーとして鹿島に深く関わり、実兄のエドゥーが宮本の後任監督として指揮を執った。また、ジーコの「後任」としてアメリカW杯にブラジル代表として出場したレオナルドやジョルジーニョが加入し、彼らの活躍で鹿島は強豪としての地位を築いていった。これ以後も鹿島にはジーコの人脈を生かした優秀なブラジル人選手が加入し、チームを勝利へ導いた。これは、J1に在籍経験のあるJリーグクラブの中で、鹿島が2009年まで唯一ブラジル国籍以外の外国籍選手を獲得した事がない歴史につながっている。1994年シーズンのリーグ戦でアルシンドが、鹿島でのシーズン最多の28得点(2008シーズン終了時点も継続中)を記録。
1シーズン制で行われた1996年にはジョアン・カルロス監督の指揮により初めての年間王者に輝き、得失点差の関係で最終節を待たずに事実上優勝が決まった同年11月6日のカシマスタジアム(第29節、鹿島4-2名古屋)は歓喜に包まれた。しかしチャンピオンズファイナルでは決勝戦で名古屋グランパスに敗れ96年シーズンの完全優勝を逃した。V川崎からビスマルク、ベルマーレ平塚から名良橋晃が移籍して戦力が更に充実した1997年には、ヤマザキナビスコカップと天皇杯を初制覇して「カップ・ダブル」を達成。サントリーステージ(1stステージ)優勝により出場したチャンピオンシップではジュビロ磐田に2連敗し、特に2戦目のカシマスタジアムでの敗北後には怒った観客がピッチ上での表彰式に乱入するという失態も演じたが、Jリーグは鹿島と磐田の新たな2強時代に入った事を日本のサッカーファンに印象づけた。
1998年シーズン中断中にジョアン・カルロスとジョルジーニョとの意見が合わず(原因は、2月のアジア・クラブ選手権で負傷していたジョルジーニョの検査日がジョアン・カルロスに伝わっておらず、ジョルジーニョが練習で手を抜いていると思い込んだジョアン・カルロスの勘違いが判明)、ジョアン・カルロスをクラブ初のシーズン途中に監督解任、中断明けの1stステージの残りを関塚隆が監督代行として指揮をとる。9月23日に長谷川が清水戦で、クラブ初の在籍通算100得点目(通算130得点/2008年3月12日現在も継続中)を達成。2ndステージ開始前にゼ・マリオ監督を招いて優勝し、チャンピオンシップでは磐田を下して、2度目のリーグ年間優勝を果たした。この年のリーグ戦で柳沢敦が、鹿島での歴代日本人選手のシーズン最多得点(22得点/2007シーズン現在も継続中)を記録。また、同年のフランスW杯では日本代表に鹿島から秋田・名良橋・相馬直樹の3人が選ばれ、いずれも日本が戦った全3試合に出場した。この年の2ndステージ第5節の福岡戦から翌1999年第3節広島戦まで16連勝(延長戦およびPK戦による勝利を含む、2008年現在リーグ戦連勝記録として継続中)という記録を樹立した。
1999年にはカシマスタジアムの改修工事が始まり、1stステージの主催試合は東京都新宿区の国立霞ヶ丘陸上競技場で行うようになった。また、一部の試合は石川県西部緑地公園陸上競技場(石川県金沢市)や富山県総合運動公園陸上競技場(富山県富山市)でも行われ、富山の試合では同県出身の柳沢がゴールを決めた。1998-99年シーズンのアジアカップウィナーズ選手権は3位を獲得も、この年の優勝はシーズン冒頭のゼロックス・スーパーカップのみで、不振に陥ったクラブはゼ・マリオ監督を解任し、2ndステージ途中からはジーコが総監督として指揮を執った。9月23日のジェフユナイテッド市原戦での長谷川の得点により、Jリーグクラブ最速のリーグ戦通算500得点を達成した。
[編集] 2000年 - 2002年
2000年にはジーコの盟友ともいうべきトニーニョ・セレーゾが監督に就任(2005年までの6年間監督を務めた)。ナビスコ杯、Jリーグ年間王者、天皇杯を制覇し、Jリーグ発足以来初の日本サッカー三冠を達成した。
2001年には、2000年シーズンの三冠達成を称えて茨城県から県民栄誉賞を受賞した。しかし、このシーズンの1stステージは前年の天皇杯で負傷した相馬直樹など主力選手の怪我が相次ぎ、まさかの11位と低迷する。続く2ndステージでは相馬の穴を埋めるべく加入したアウグストの活躍で優勝を果たし、チャンピオンシップで磐田を破り、2年連続リーグ年間優勝となった。この年に象徴されるように、年間王者には最多の6度輝いている鹿島だが、その中で年間総合の勝ち点で1位になったのは1ステージ制の1996年と2007年、2008年、それに1997年(磐田と同点、得失点差で優位)の4度(磐田とV川崎が3度)、逆に2ステージ制時代に年間総合勝ち点で1位だったのにタイトルを逃した年はない。リーグ戦で安定した成績を残してきたライバル磐田に対して、鹿島はここ一番での勝負強さ、特にシーズン後半の好成績が光るチームである。このことがJリーグクラブとして最多の12個(2009年1月1日当時)のタイトル獲得をもたらした。
2002年には、リーグでは絶好調の磐田を止められずに3連覇を逃したが、ヤマザキナビスコカップは決勝で初タイトルを狙った浦和レッドダイヤモンズを1-0で下し、優勝を果たした。また、2002 FIFAワールドカップの試合がカシマスタジアムでも行われ、鹿島も日本代表に秋田豊・鈴木隆行・柳沢敦・中田浩二・小笠原満男・曽ヶ端準の6人(クラブ別では最多)を送った。鈴木は初戦のベルギー戦でゴールを決め、鹿島所属として初のW杯得点者となった。大会終了後にはジーコが日本代表監督に就任し、テクニカルディレクターを辞任した。また、鈴木もベルギー1部リーグのKRCヘンク(ゲンク)へ移籍した。その一方、拡張されたカシマスタジアムでは空席が目立ち、改修前の定員すら下回る観客数の試合が多くなっていった。
[編集] 2003年 - 2006年
2003年ではA3チャンピオンズカップ初代王者を獲得。ヤマザキナビスコカップでも2年連続決勝に進出するも、浦和レッズに0-4で敗れて連覇はならなかった。リーグ戦では最終節にまたしても浦和レッズに優勝を阻まれ(後半ロスタイムにゴールを許して引き分け)、あと一歩のところで優勝を逃した。以後、Jリーグ初の10個目のタイトル、「十冠」の達成が鹿島の悲願として掲げられた。
2004年は優勝争いに関われずに終わったが、J1が1ステージ制に移行した2005年は開幕ダッシュに成功し、一時は2位に勝ち点差10以上をつけるなど優勝争いを引っ張っていった。しかし、中盤に入るとガンバ大阪や浦和レッズ、ジェフ千葉、セレッソ大阪に追いつかれてしまい、優勝の可能性が残っていた最終節では勝利したものの、結局3位でシーズンを終えた。この2年間はヤマザキナビスコカップや天皇杯でも早期敗退が続き、中田浩二の移籍問題も発生して、チームは過渡期を迎えた。2005年シーズンの終了後、6年に渡り監督を務めたトニーニョ・セレーゾが勇退した。
2006年は、ブラジルの名門サンパウロFCをFIFAクラブ世界選手権(現 FIFAクラブワールドカップ)優勝へ導いたパウロ・アウトゥオリ監督が就任。更にFWの柳沢敦が復帰、高卒ルーキーのサイドバック内田篤人の活躍などがあったが、シーズン途中に大黒柱だったMF小笠原満男がFCメッシーナ(イタリア)へ翌年6月までの期限付きで移籍してしまった。チームは2点以上失点するゲームが多く、リーグ戦での成績は伸び悩んだ。一方でヤマザキナビスコカップでは3年ぶりに決勝に進出したが、十冠がかかった決勝でジェフ千葉に敗戦。4年振りの同杯獲得はならなかった。天皇杯では、同年限りで引退を表明した本田泰人を優勝で送り出そうとするも準決勝で浦和レッズに敗れた。結局、パウロ・アウトゥオリ監督は1年で退任し、ブラジルへ帰国した。
[編集] 2007年
2007年シーズンは、コリンチャンスを率いて2000年のFIFAクラブ世界選手権(現 FIFAクラブワールドカップ)を制覇し、サンパウロ、サントスなど名門クラブの監督を歴任しているオズワルド・オリヴェイラ(ブラジル)を新監督に迎えた。プレシーズンマッチで小笠原移籍後チームの司令塔を務める野沢拓也が負傷し、シーズン開幕から5節は勝ち星がなく(3月3日の開幕戦で川崎フロンターレ、3月11日の第2節でガンバ大阪にどちらも0-1で敗戦した後3試合引き分け)、野沢が復帰した第6節(4月14日)の横浜FC戦でようやくリーグ戦シーズン初勝利を挙げた。その後は復調し、5月12日の磐田戦でJリーグ史上最速の公式戦通算400勝、6月16日のサンフレッチェ広島戦で本山雅志のゴールが決まり、ホームゲーム通算500得点を達成した。
7月3日には期限付き移籍が終了した小笠原満男の復帰が発表された。復帰した小笠原はヤマザキナビスコカップ準々決勝での勝利に貢献。7月29日には前年に引退した本田泰人の引退試合が、1993年のJリーグチャンピオンシップの出場メンバーを中心にした「鹿島アントラーズ1993対ヴェルディ1993」としてカシマスタジアムで開催された。結果は鹿島アントラーズ1993が4-2で勝利した。
日本代表が参加したアジアカップの中断を経て、8月12日の第19節から再開されたJリーグでは、同節のヴァンフォーレ甲府戦で野沢拓也のゴールによりJリーグチーム史上最速のリーグ戦通算900得点を達成した。以後、鹿島は調子を上げ、9月22日の新潟戦以降はJリーグでの連勝を続けた。ヤマザキナビスコカップでは10月に行われた準決勝でG大阪に1勝1敗となり、アウェーゴール数の差で敗退した。優勝争いをしていたガンバ大阪と浦和レッズの不調が続き、11月24日には一時期勝点差11をつけられていた首位浦和との直接対決で1-0で下して2位に浮上した。これは史上最速のリーグ戦通算300勝でもあった。そして、12月1日、リーグ最終節で清水エスパルスを3-0で下し、Vゴール廃止後J史上最多となる終盤の9連勝で6年ぶりのリーグ優勝、同時にクラブの悲願だった「10冠」を達成した。最終節まで1度も首位に立たなかったチームが最終節で逆転優勝したのはJリーグ史上初めて。1シーズン制でのリーグ戦通算22勝はチーム最多勝となった。
[編集] 2008年
1月1日、Jリーグ発足後史上初3度目の優勝をかけた天皇杯決勝は、サンフレッチェ広島と対戦し2-0で勝利。自身2度目となるリーグ戦との2冠を達成した[1]。1月9日、鹿嶋市からJリーグ発足史上最多の11冠達成を称え、特別功労賞を贈られ、2月1日には茨城県から県民栄誉賞(2000年度以来2度目)を授与された。
3月1日、ゼロックス・スーパーカップはJ2チームとしては初出場の広島と対戦し、2点をリードするも終了間際に追いつかれ、PK戦の末に敗れた。しかし、3月8日から開幕した2008年のJリーグでは開幕から連勝を重ね、2007年からのリーグ連勝 14(PK戦廃止以降としては最多)に伸ばす記録を達成した。5月17日、カシマスタジアムでの柏レイソルとのリーグ戦で、公式戦最多の21試合無敗記録を達成。6月25日、大分トリニータ戦でダニーロの得点で、カシマスタジアムでのリーグ通算500得点を記録。7月13日、スイスのFCバーゼルでプレーしていた中田浩二がFC東京戦で復帰。10月1日、大宮アルディージャ戦でマルキーニョスが、チーム最多のリーグ戦7試合連続得点達成(当時、J1 2位タイ)。12月6日にアウェイ、札幌ドームでコンサドーレ札幌を1-0で下し、2000年・2001年シーズンに続いて2回目、また1シーズン制導入後初めてとなるJリーグ2連覇を達成。この年のリーグ戦でマルキーニョスが、鹿島初のJリーグ得点王を獲得(21得点)。AFCチャンピオンズリーグ2008では順調な滑り出しを見せ、日本のクラブチームでACLグループリーグ最多得点となる6戦合計28得点(それまでは2006年にガンバ大阪が記録した26得点)をあげてクラブ初の決勝トーナメント進出を決め、ベスト8。
[編集] 2009年
史上初のリーグ3連覇を目指す2009年は、第87回全国高等学校サッカー選手権大会で大会新記録の10ゴールを挙げた鹿児島城西高等学校の大迫勇也、鹿島では史上初となるブラジル人以外の外国籍選手である、韓国人のパク・チュホを獲得した。 また、2月1日にクラブへ貢献した選手などに対する殿堂として第1回アントラーズ功労賞が発表された。また同日に功労者である秋田の引退試合が行われた。同月28日に富士ゼロックス・スーパーカップのタイトルをかけてガンバ大阪と対戦、3-0で勝利し同タイトル10年ぶり4回目の優勝を果たした。翌週の3月7日にホームのカシマスタジアムで浦和レッズと開幕戦を行い、ホームでは6年ぶりの勝利を飾り3連覇への好スタートを切った。
4月29日、ヴィッセル神戸戦での岩政大樹の得点で、Jリーグ史上最速のリーグ通算1000得点を記録。
5月2日、小笠原満男がジェフ千葉戦で、鹿島最多のリーグシーズン最多連続得点(11シーズン)を記録。
7月25日の柏レイソルとのリーグ戦で、Jリーグ最多のリーグ無敗記録(17試合)達成。
9月12日、川崎フロンターレとのリーグ戦で、カシマスタジアムでは初の雨天によるピッチコンディション不良で中止。
11月8日、モンテディオ山形とのリーグ戦で、J1,J2通じて史上初めて相手チームのシュートを0本に押さえる。
AFCチャンピオンズリーグ2009は初戦のアウェーで韓国の水原三星に1-4で大敗するも、ホームでの同戦で3-0で勝利するなど、グループリーグ4勝1分1敗で1位となり、2年連続の決勝トーナメント進出を決めたが、決勝トーナメントラウンド16で韓国のFCソウルにPK戦の末敗れ、ベスト16での敗退となった。この敗戦で、カシマスタジアムでの国際大会無敗記録が12でストップ。
[編集] Jリーグ年度別成績
| 年度 | 所属 | 試合 | 勝点 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 順位 | 年間順位 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 監督 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1992年 | - | - | - | - | - | - | - | - | ベスト4 | ベスト8 | |
| 1993年 | J・1st | 18 | - | 13 | 5 | - | 優勝 | 2位 | 予選敗退 | 準優勝 | |
| J・2nd | 18 | - | 10 | 8 | - | 4位 | |||||
| 1994年 | J・1st | 22 | - | 16 | 6 | - | 3位 | 3位 | 1回戦敗退 | 1回戦敗退 | |
| J・2nd | 22 | - | 11 | 11 | - | 5位 | |||||
| 1995年 | J・1st | 26 | - | 14 | 12 | - | 8位 | 7位 | - | ベスト4 | |
| J・2nd | 26 | - | 14 | 12 | - | 6位 | |||||
| 1996年 | J | 30 | - | 21 | 9 | - | - | 優勝 | 予選敗退 | ベスト8 | |
| 1997年 | J・1st | 16 | - | 13 | 3 | - | 優勝 | 2位 | 優勝 | 優勝 | |
| J・2nd | 16 | - | 11 | 5 | - | 4位 | |||||
| 1998年 | J・1st | 17 | - | 11 | 6 | - | 5位 | 優勝 | ベスト4 | ベスト4 | |
| J・2nd | 17 | - | 15 | 2 | - | 優勝 | |||||
| 1999年 | J1・1st | 15 | 19 | 6 | 8 | 1 | 9位 | 9位 | 準優勝 | 4回戦敗退 | |
| J1・2nd | 15 | 24 | 8 | 7 | 0 | 6位 | |||||
| 2000年 | J1・1st | 15 | 24 | 8 | 7 | 0 | 8位 | 優勝 | 優勝 | 優勝 | |
| J1・2nd | 15 | 31 | 10 | 4 | 1 | 優勝 | |||||
| 2001年 | J1・1st | 15 | 25 | 6 | 8 | 1 | 11位 | 優勝 | ベスト4 | ベスト8 | |
| J1・2nd | 15 | 39 | 13 | 2 | 0 | 優勝 | |||||
| 2002年 | J1・1st | 15 | 27 | 9 | 6 | 0 | 5位 | 4位 | 優勝 | 準優勝 | |
| J1・2nd | 15 | 27 | 9 | 6 | 0 | 3位 | |||||
| 2003年 | J1・1st | 15 | 23 | 7 | 6 | 2 | 8位 | 5位 | 準優勝 | ベスト4 | |
| J1・2nd | 15 | 27 | 6 | 2 | 7 | 4位 | |||||
| 2004年 | J1・1st | 15 | 23 | 7 | 5 | 3 | 5位 | 6位 | ベスト8 | ベスト8 | |
| J1・2nd | 15 | 24 | 7 | 5 | 3 | 4位 | |||||
| 2005年 | J1・年間 | 34 | 59 | 16 | 7 | 11 | - | 3位 | 予選敗退 | ベスト8 | |
| 2006年 | J1・年間 | 34 | 58 | 18 | 12 | 4 | - | 6位 | 準優勝 | ベスト4 | |
| 2007年 | J1・年間 | 34 | 72 | 22 | 6 | 6 | - | 優勝 | ベスト4 | 優勝 | |
| 2008年 | J1・年間 | 34 | 63 | 18 | 7 | 9 | - | 優勝 | ベスト8 | ベスト16 | |
| 2009年 | J1・年間 | 34 | - | ベスト8 |
[編集] Jリーグ対戦通算成績
[編集] 対戦通算成績と得失点
- 2009年 第31節終了時
| 対戦チーム | 勝ち | 引分 | 負け | 得点 | 失点 | |
|---|---|---|---|---|---|---|
| コンサドーレ札幌 | 7 | 0 | 1 | 20 | 9 | |
| モンテディオ山形 | 1 | 1 | 0 | 3 | 1 | |
| 浦和レッドダイヤモンズ | 24 | 4 | 9 | 63 | 41 | |
| 大宮アルディージャ | 7 | 3 | 1 | 17 | 6 | |
| ジェフユナイテッド市原・千葉(←ジェフユナイテッド市原) | 27 | 2 | 11 | 84 | 48 | |
| 柏レイソル | 20 | 4 | 6 | 58 | 35 | |
| FC東京 | 12 | 3 | 5 | 38 | 29 | |
| 東京ヴェルディ(←ヴェルディ川崎/東京ヴェルディ1969) | 19 | 1 | 14 | 52 | 50 | |
| 川崎フロンターレ | 4 | 2 | 6 | 22 | 19 | |
| 横浜F・マリノス(←横浜マリノス) | 19 | 4 | 17 | 61 | 57 | |
| アルビレックス新潟 | 5 | 4 | 3 | 24 | 13 | |
| 清水エスパルス | 18 | 3 | 19 | 60 | 60 | |
| ジュビロ磐田 | 22 | 5 | 9 | 65 | 41 | |
| 名古屋グランパス(←名古屋グランパスエイト) | 23 | 1 | 16 | 78 | 55 | |
| 京都サンガF.C.(←京都パープルサンガ) | 13 | 1 | 5 | 46 | 19 | |
| ガンバ大阪 | 21 | 6 | 12 | 68 | 48 | |
| ヴィッセル神戸 | 16 | 3 | 5 | 53 | 24 | |
| サンフレッチェ広島 | 21 | 1 | 14 | 51 | 46 | |
| 大分トリニータ | 8 | 4 | 2 | 20 | 9 | |
| ベガルタ仙台 | 2 | 1 | 1 | 4 | 3 | |
| 横浜FC | 2 | 0 | 0 | 3 | 1 | |
| 湘南ベルマーレ(←ベルマーレ平塚) | 11 | 0 | 5 | 36 | 22 | |
| ヴァンフォーレ甲府 | 3 | 0 | 1 | 7 | 3 | |
| セレッソ大阪 | 10 | 4 | 10 | 29 | 25 | |
| アビスパ福岡 | 12 | 1 | 1 | 38 | 13 | |
| 横浜フリューゲルス(←消滅) | 9 | 0 | 9 | 33 | 31 | |
| 計 | 336 | 57 | 182 | 1033 | 708 |
[編集] 他クラブとの相性
- 2009年までに負け越しが確定しているのは清水エスパルスと川崎フロンターレのみ。それ以外の各クラブには勝ち越しあるいは互角となっている。
- 前述の清水と消滅した横浜フリューゲルス以外のオリジナル10の7クラブにはほぼ勝ち越している。
- 隣接県である埼玉、千葉に本拠地を置く4クラブ(浦和、大宮、千葉、柏、FC東京)に大きく勝ち越している。
- 東京ヴェルディにはあまり相性がよくなかったが、近年ヴェルディの低迷で貯金を増やしている。
- 近畿のチーム(G大阪、京都、神戸)にも大きく勝ち越している。しかし、セレッソ大阪には不思議なことに長年に渡って鹿島を監督として率い、三冠までも達成したトニーニョ・セレーゾの頃に大きく負け越している。
[編集] カシマスタジアムでの成績
(茨城県立カシマサッカースタジアム#サッカー関係と合わせて参照)
- 1993年にJリーグが開幕して以来、カシマスタジアムでの試合に強く、2008年3月2日時点で公式戦253試合170勝65敗18分。
- Jリーグでは多くのクラブに対して5分以上の成績を挙げている。
- 2009年現在、リーグ戦では柏レイソル、公式戦では大宮アルディージャ、京都サンガF.C.、コンサドーレ札幌、横浜FC、アビスパ福岡に無敗中。
- 顕著な例としては、1993年のJリーグ開幕戦で大勝した名古屋グランパスに対してで、2008年8月23日まで15年間無敗だった(PSM含む全22試合全勝)。
- サンフレッチェ広島は、カシマスタジアムで最初に敗戦を喫した相手であり、2009年第3節で勝利するまでカシマスタジアムで負け越していた。
- この他、カシマスタジアムで行われた国際試合(PSM含む)は、2009年6月まで無敗であった(全15試合 11勝3分1敗)。
[編集] 海外対戦チーム
| 開催年月日 | 大会名 | 対戦相手 | 開催スタジアム | スコア | 勝敗 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1993年4月29日 | プレシーズンマッチ | 国立霞ヶ丘競技場 | 1-1 | 引分 | |
| 1993年5月4日 | プレシーズンマッチ | カシマスタジアム | 2-0 | 勝利 | |
| 1994年6月19日 | プレシーズンマッチ | カシマスタジアム | 1-1 | 引分 | |
| 1994年6月21日 | プレシーズンマッチ | 国立霞ヶ丘競技場 | 1-2 | 敗戦 | |
| 1995年6月10日 | プレシーズンマッチ | 東京ドーム | 2-3 | 敗戦 | |
| 1997年8月27日 | アジアクラブ選手権 | カシマスタジアム | 6-1 | 勝利 | |
| 1997年9月3日 | アジアクラブ選手権 | ナショナルスタジアム | 2-1 | 勝利 | |
| 1997年11月15日 | アジアクラブ選手権 | 蔚山市陸上競技場 | 5-1 | 勝利 | |
| 1997年11月19日 | アジアクラブ選手権 | カシマスタジアム | 1-1 | 引分 | |
| 1998年2月11日 | アジアクラブ選手権 | 寧波スタジアム | 1-2 | 敗戦 | |
| 1998年2月14日 | アジアクラブ選手権 | 寧波スタジアム | 3-0 | 勝利 | |
| 1998年2月16日 | アジアクラブ選手権 | 寧波スタジアム | 2-1 | 勝利 | |
| 1998年10月28日 | アジアカップウィナーズカップ | テープハサディン | 2-1 | 勝利 | |
| 1998年11月18日 | アジアカップウィナーズカップ | カシマスタジアム | 9-0 | 勝利 | |
| 1999年2月20日 | アジアカップウィナーズカップ | サラワクスタジアム | 4-2 | 勝利 | |
| 1999年3月3日 | アジアカップウィナーズカップ | Jヴィレッジ | 10-0 | 勝利 | |
| 1999年4月16日 | アジアカップウィナーズカップ | 国立霞ヶ丘競技場 | 1-4 | 敗戦 | |
| 1999年4月18日 | アジアカップウィナーズカップ | 国立霞ヶ丘競技場 | 1-0 | 勝利 | |
| 1999年10月23日 | アジアクラブ選手権 | ひたちなか総合運動公園 | 16-0 | 勝利 | |
| 2000年2月25日 | アジアクラブ選手権 | 鴨池陸上競技場 | 1-1 | 引分 | |
| 2000年2月29日 | アジアクラブ選手権 | 鴨池陸上競技場 | 3-0 | 勝利 | |
| 2001年10月24日 | アジアクラブ選手権 | カシマスタジアム | 4-1 | 勝利 | |
| 2001年11月28日 | アジアクラブ選手権 | カシマスタジアム | 3-0 | 勝利 | |
| 2002年2月5日 | アジアクラブ選手権 | タイ ナショナルスタジアム | 0-1 | 敗戦 | |
| 2002年2月17日 | アジアクラブ選手権 | 済州ワールドカップ競技場 | 0-0 | 引分 | |
| 2002年2月19日 | アジアクラブ選手権 | 済州ワールドカップ競技場 | 0-2 | 敗戦 | |
| 2002年2月21日 | アジアクラブ選手権 | 済州ワールドカップ競技場 | 1-1 | 引分 | |
| 2002年5月26日 | メディアチャレンジマッチ | 国立霞ヶ丘競技場 | 1-2 | 敗戦 | |
| 2002年8月24日 | 国際親善試合 | スタディオ・オリンピコ | 0-6 | 敗戦 | |
| 2003年2月16日 | A3チャンピオンズカップ | 国立霞ヶ丘競技場 | 3-1 | 勝利 | |
| 2003年2月22日 | A3チャンピオンズカップ | 国立霞ヶ丘競技場 | 0-0 | 引分 | |
| 2003年3月10日 | ACL2002-2003グループリーグ | スパチャラサイスタジアム | 2-2 | 引分 | |
| 2003年3月12日 | ACL2002-2003グループリーグ | スパチャラサイスタジアム | 3-4 | 敗戦 | |
| 2003年3月14日 | ACL2002-2003グループリーグ | スパチャラサイスタジアム | 0-1 | 敗戦 | |
| 2004年7月4日 | 国際親善試合 | 青森県総合運動公園 | 4-2 | 勝利 | |
| 2004年8月1日 | 国際親善試合 | 国立霞ヶ丘競技場 | 0-5 | 敗戦 | |
| 2004年8月4日 | 国際親善試合 | 国立霞ヶ丘競技場 | 0-1 | 敗戦 | |
| 2005年7月28日 | 国際親善試合 | 国立霞ヶ丘競技場 | 2-1 | 勝利 | |
| 2006年3月10日 | 上海国際サッカートーナメント | 上海虹口スタジアム | 1-3 | 敗戦 | |
| 2006年12月14日 | 上海国際サッカートーナメント | 上海虹口スタジアム | 4-3 | 勝利 | |
| 2008年3月12日 | ACL2008グループリーグ | チュラスタジアム | 9-1 | 勝利 | |
| 2008年3月19日 | ACL2008グループリーグ | カシマスタジアム | 6-0 | 勝利 | |
| 2008年4月9日 | ACL2008グループリーグ | カシマスタジアム | 1-0 | 勝利 | |
| 2008年4月23日 | ACL2008グループリーグ | 北京フェングタイスタジアム | 0-1 | 敗戦 | |
| 2008年5月7日 | ACL2008グループリーグ | カシマスタジアム | 8-1 | 勝利 | |
| 2008年5月21日 | ACL2008グループリーグ | ミーディン国立競技場 | 4-0 | 勝利 | |
| 2008年9月17日 | ACL2008決勝T準々決勝 | カシマスタジアム | 1-1 | 引分 | |
| 2008年9月24日 | ACL2008決勝T準々決勝 | ハインドマーシュ・スタジアム | 0-1 | 敗戦 | |
| 2009年3月11日 | ACL2009グループリーグ | 水原ワールドカップ競技場 | 1-4 | 敗戦 | |
| 2009年3月18日 | ACL2009グループリーグ | カシマスタジアム | 2-0 | 勝利 | |
| 2009年4月7日 | ACL2009グループリーグ | ジャラン・ベサルスタジアム | 4-1 | 勝利 | |
| 2009年4月22日 | ACL2009グループリーグ | カシマスタジアム | 5-0 | 勝利 | |
| 2009年5月5日 | ACL2009グループリーグ | カシマスタジアム | 3-0 | 勝利 | |
| 2009年5月19日 | ACL2009グループリーグ | 上海虹口スタジアム | 1-1 | 引分 | |
| 2009年6月24日 | ACL2009決勝Tラウンド16 | カシマスタジアム | 2-2 | 敗戦 |
[編集] ダービーマッチ
- 茨城ダービー
- 鹿島アントラーズvs水戸ホーリーホック
- 茨城県のJリーグチーム同士の対戦。初の公式戦は2004年11月13日(茨城県民の日)の天皇杯4回戦で、水戸のホームである笠松陸上競技場で対戦しており、その時は13393人が来場した。また、2005年からはいばらきサッカーフェスティバル(プレシーズンマッチ)としてシーズン開幕前に対戦している。
- 鹿島アントラーズvs水戸ホーリーホック
[編集] 獲得タイトル
[編集] 国内タイトル
[編集] 国際タイトル
- A3チャンピオンズカップ:1回
- 2003年
[編集] 個人別タイトル
- Jリーグ
- 最優秀選手(MVP)
- 得点王
- 2008年 マルキーニョス
- 新人王
- 1997年 柳沢敦
- 最優秀監督
- 1997年 ジョアン・カルロス
- 2007年 オズワルド・オリヴェイラ
- 2008年 オズワルド・オリヴェイラ
- ベストイレブン
- ニューヒーロー賞
- 最優秀選手(MVP)
- 1997年 ジョルジーニョ
- 2000年 中田浩二
- 2002年 小笠原満男
[編集] その他
- 功労選手賞
- 2005年 ビスマルク
- 2006年 相馬直樹
- 2007年 本田泰人
- 2008年 秋田豊、名良橋晃、黒崎久志
- 2009年 森岡隆三
- フェアプレイ個人賞
- 1998年 相馬直樹
- 2003年 曽ヶ端準
- ベストピッチ賞
- 2003年 カシマサッカースタジアム
- 県民栄誉賞
- 2001年、2008年
- 特別功労賞
- 2008年
- いばらきイメージアップ大賞
- 2009年
[編集] クラブ記録
[編集] 連勝
- リーグ戦
- 1993年 - 2002年(延長戦およびPK戦による勝利を含む)
- 16連勝【1998年 2nd第5節 対アビスパ福岡 〜 1999年 2nd第3節 対サンフレッチェ広島】
- この記録は、2008年末現在もリーグ戦連勝記録として破られていない。
- 16連勝【1998年 2nd第5節 対アビスパ福岡 〜 1999年 2nd第3節 対サンフレッチェ広島】
- 2003年以降
- 14連勝【2007年 第26節 対アルビレックス新潟(カシマ) 〜 2008年 第5節 対ジェフユナイテッド市原・千葉(カシマ)】
- 年間連勝記録
- 1998年 13連勝【2nd第5節 対アビスパ福岡(博多球) 〜 第17節 対ヴィッセル神戸(カシマ)】
[編集] 無敗
- リーグ戦
- 17試合【2009年 J1第3節 対サンフレッチェ広島(カシマ) 〜 2009年 J1第19節 対柏レイソル(カシマ)】
[編集] 公式戦無連敗記録
- 75試合【2007年3月17日 J1第3節 対ジェフユナイテッド市原・千葉(フクアリ) 〜 2009年3月11日 AFCチャンピオンズリーグ第1節 対水原三星ブルーウィングス(水原)】
[編集] 個人記録
[編集] ハットトリック
- 4得点
- 柳沢敦【1998年4月4日 1st第4節 対京都パープルサンガ】
- 3得点
- ジーコ【1993年5月16日 サントリー第1節 対名古屋グランパスエイト】
- アルシンド【1993年6月19日 サントリー第11節 対名古屋グランパスエイト】
- 長谷川祥之【1995年8月26日 NICOS第5節 対ガンバ大阪】
- マジーニョ【1997年4月12日 1st第1節 対ヴィッセル神戸】
- 長谷川祥之【1997年9月20日 2nd第13節 対ベルマーレ平塚】
- 柳沢敦【1998年5月5日 1st第11節 対ジュビロ磐田】
- 平瀬智行【2000年4月29日 1st第9節 対ヴィッセル神戸】
- 鈴木隆行【2004年9月18日 2nd第5節 対ジュビロ磐田】
- 柳沢敦【2006年3月5日 第1節 対サンフレッチェ広島】
- フェルナンド【2006年9月24日 第24節 対FC東京】
- 野沢拓也【2006年12月2日 第34節 対ジュビロ磐田】
[編集] リーグ戦連勝記録
- 長谷川祥之 - 34連勝【1995年11月11日 2nd第22節 対柏レイソル 〜 2002年9月15日 2nd第3節 対東京ヴェルディ1969】
[編集] リーグ戦最年少得点
- 内田篤人 - 17歳11ヵ月22日【2006年 J1第4節 対ヴァンフォーレ甲府】
[編集] リーグ戦連続得点
- マルキーニョス - 7試合【2008年8月16日 J1第21節 対東京ヴェルディ 〜 10月1日 第26節 対大宮アルディージャ】
[編集] リーグ戦シーズン連続得点
- 小笠原満男 - 11シーズン連続(1999年 - 2009年)
[編集] リーグ戦シーズン最多得点
- アルシンド - 28得点(1994年)
[編集] リーグ戦出場記録
- 300試合出場
- 200試合出場
- 100試合出場
2009年11月8日時点。なお、他チームでの出場やユース登録時の出場を含む。
[編集] 最多得点
- 公式戦
- 長谷川祥之:130得点
- リーグ戦
- 長谷川祥之:89得点
- リーグ・チャンピオンシップ(リーグ・チャンピオンファイナル含)
- ナビスコ杯
- 長谷川祥之:23得点
- 天皇杯
- マジーニョ:13得点
- スーパーカップ
- 柳沢敦:4得点
- 国際大会
- 平瀬智行:10得点
[編集] アントラーズ功労賞
クラブの発展に貢献した人物を顕彰するために設けられた賞である。カシマサッカーミュージアムの中にある「アントラーズ殿堂」にて記念される。現役選手および鹿島で在任中のスタッフは選考から外される。
| 回 | 監督 | FW | MF | DF |
|---|---|---|---|---|
| 第1回 (2009年) |
宮本征勝 トニーニョ・セレーゾ |
長谷川祥之 黒崎久志 |
ジーコ ジョルジーニョ ビスマルク 本田泰人 |
秋田豊 相馬直樹 名良橋晃 |
[編集] ユニフォーム
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[編集] ユニフォームカラー
- ディープレッド
- 紺
- 白
[編集] ユニフォームデザイン
- ユニフォームデザインは基本的に2年に1回変更している。
- 2008年は、1stモデルはエンジと紺にリーグ初の横縞、2ndモデルは白を基本に中央にエンジと紺の縦ラインを使用。ユニフォームの右袖には、ホームタウン5市をあしらったホームタウンマークをつけ、背番号の下に名前が入る。
- 2009年シーズンのユニホームに3rdユニフォームを使用。色はゴールドで、2ndユニフォーム同様中央にエンジと紺の縦ライン。
[編集] ユニフォームについて
- 1995年のリーグ戦用2ndモデルには、シャツ・シルバー、パンツ・紺、ストッキング・シルバーを採用したが、諸事情により数戦使用しただけで、シャツ・パンツ・ストッキングをすべて白に変更している。(変更後しばらくは、1993・1994年に使用した2ndモデルを使用していた。)
- 2006年から2007年は、2ndモデルはグレーを使用していた。
[編集] ユニフォームの星
- 2007シーズンに10冠(国内3大大会のタイトル数)を達成し、2008年シーズンより、左胸のエンブレム上に大きな星1つ(10タイトル分)がついた。11冠目以降の星は、従来の左袖につく。
[編集] チャンピオンエンブレム
- リーグチャンピオンエンブレム
- 前年度のリーグチャンピオンチームには、日本サッカー協会のシンボルヤタガラスにJのマークがついたエンブレムを右袖につける。
- 2009シーズンからヤタガラスのエンブレムに変わり、金色のJマークをつけている。
- 天皇杯チャンピオンエンブレム
- 天皇杯を制したチームにはEのマークがついたエンブレムをつける。
- 2009シーズンからリーグチャンピオン同様ヤタガラスのエンブレムを辞め、通常のJマークをつけている。
- 2冠チャンピオンエンブレム
- リーグと天皇杯の2冠を制したチーム[1]には、☆マークがついたエンブレムをつける(Jリーグ発足後初は2000年度に達成した鹿島)。
[編集] ユニフォームスポンサー
| 掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 胸 | トステム | TOSTEM | 1997年 - | 1994年 - 1995年までは背中 |
| 背中 | イエローハット | Yellow Hat | 1999年 - | 1995年 - 1998年までは袖 |
| 袖 | 住友金属工業 | 住友金属 | 2000年 - | |
| パンツ | 商船三井 | 商船三井 | 2009年 - |
[編集] ユニフォームサプライの遍歴
[編集] 歴代ユニフォームスポンサー年表
| 年度 | 胸 | 袖 | 背中 | パンツ | サプライヤー |
| 1992年 | - | - | - | - | ennerre |
| 1993年 | - | - | - | - | Mizuno/ennerre |
| 1994年 | - | - | TOSTEM | - | Mizuno/ennerre |
| 1995年 | - | Yellow Hat | TOSTEM | - | Mizuno/ennerre |
| 1996年 | TOSTEM | Yellow Hat | - | - | Mizuno/ennerre |
| 1997年 | TOSTEM | Yellow Hat | - | - | UMBRO/ennerre |
| 1998年 | TOSTEM | Yellow Hat | - | - | ennerre |
| 1999年 | TOSTEM | - | Yellow Hat | - | ennerre |
| 2000年 | TOSTEM | 住友金属 | Yellow Hat | - | ennerre |
| 2001年 | TOSTEM | 住友金属 | Yellow Hat | - | ennerre |
| 2002年 | TOSTEM | 住友金属 | Yellow Hat | - | NIKE |
| 2003年 | TOSTEM | 住友金属 | Yellow Hat | - | NIKE |
| 2004年 | TOSTEM | 住友金属 | Yellow Hat | - | NIKE |
| 2005年 | TOSTEM | 住友金属 | Yellow Hat | プロミス | NIKE |
| 2006年 | TOSTEM | 住友金属 | Yellow Hat | プロミス | NIKE |
| 2007年 | TOSTEM | 住友金属 | Yellow Hat | プロミス | NIKE |
| 2008年 | TOSTEM | 住友金属 | Yellow Hat | - | NIKE |
| 2009年 | TOSTEM | 住友金属 | Yellow Hat | 商船三井 | NIKE |
[編集] スポンサー
[編集] クラブオフィシャルスポンサー
[編集] カシマサッカースタジアム
[編集] 広告看板
- ホームゲームにおける広告看板(ゴール裏)は1995年以後、部分的に回転ロール盤を使用している。当初はゴール裏の内側部分だけだったが、1999年以後は外側(スタンドとピッチの中間。カシマスタジアム開催分は客席の最前列)の部分にも使用している。試合時間帯に応じてアントラーズの協賛スポンサーの広告を切り替えて表示している。これは浦和レッドダイヤモンズ、大宮アルディージャの主催試合にも使われている。(かつてはヴェルディ川崎の国立での主催試合にも一時使われていた。)
[編集] LED帯状映像装置
- 日本のサッカースタジアムでは初、アジアでは最長(全長500m)のLED帯状映像装置[2]が2階スタンド最前部の壁面をほぼ1周設置されている。[3][4]
- 2008年10月18日、J1第28節 vs京都サンガF.C.戦から試行運転として全面稼動[5]しカラー広告の表示やスタメン発表、他会場の途中経過などに使用される。
- 設置前は、アウェイスタンドからすでに設置されていた大型ビジョンが見えにくいためアウェイスタンドに向けたお知らせや避難誘導などにも使用される。
[編集] スクール
地域人口の少なさという非常に大きなハンデがあり、ユース・ジュニアユースとも強豪とは言えず、曽ヶ端準・野沢拓也以降トップチームに定着する選手を輩出出来ていない。しかし、鹿島学園との提携やジュニアユースのつくば校の新設など、大きな経営努力が払われている。
[編集] ユース
鹿島学園と提携するなど力を入れている。曽ヶ端準や野沢拓也らはユース出身である。ユース出身の選手は、鹿島アントラーズの選手一覧の下部組織出身者を参考のこと。
- 主な大会実績
- 1997年 日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会 準優勝
- 1998年 第6回Jユースカップ 優勝
- 2004年 第12回Jユースカップ 優勝
- 2006年 関東プリンスリーグ 第3位
[編集] ジュニアユース
ジュニアユースチームとジュニアユースノルテチームの2チームがあり、ノルテチームは茨城県の県北の生徒で構成されている。Jリーグ U-13には、ジュニアユースチームとノルテチームの両チームが参加している。2008年につくば校を新設。
- 鹿島校
- 2002年 第14回高円宮杯全日本ユースサッカー選手権 (U-15)大会 優勝
- 日立校(ノルテ)
- つくば校
[編集] ジュニア
元アントラーズ所属の中村幸聖もコーチを努めている。クリニックコースは茨城県内各地に11校開校している。
- 鹿島校
- つくば校
- 主な大会実績
- 2007年 第31回全日本少年サッカー大会 準優勝
- クリニック
[編集] クラブショップ
[編集] チームマスコット
- しかお
- しかこ
- アントン
[編集] メディア
- ラジオ
- エフエムかしま
- 「アントラーズスピリッツ」 毎週金曜 18:00 - 19:00(週末試合がない場合は18:00 - 18:30)
- 「アントラーズ10min」毎週金曜 12:35 - 12:45(ひるどき767内コーナー)
- アントラーズのホームゲーム(カシマスタジアム開催)の際に実況放送(試合開始30分前 - 試合終了後)
- 茨城放送
- 「がんばれ!!鹿島アントラーズ」 毎週月曜 18:15 - 18:45
- 「阿部重典のアットマーク - auつないでいこうアントラーズ」 毎週木曜 16:45 - 16:50
- bayfm
- au WEEKEND TRIP「ANTLERS DREAM BOX」 毎週金曜 10:18 - 10:37
- エフエムかしま
- インターネット
- 鹿島アントラーズ公式サイト
- 「メンバーズルーム」(有料会員制)動画配信・最新情報等
- ホームゲーム開催時、無料で音声実況を配信
- 鹿島アントラーズ公式サイト
- 情報誌
- 月刊アントラーズフリークス(クラブハウス・スタジアム他、ホットスパー一部店舗にて販売)
- ヴァモス Antlers(マッチデイ・プログラム 試合日にスタジアムで配布)
- スタジアムDJ
- Danny石尾
- 選手入場曲
- SUCESSEO(スセッソ)-OBRIGADO!! ZICO-(作曲:BHB 米米CLUB)
-
- SUCESSOはポルトガル語で「成功」。米米CLUBのシングル「俺色にそまれ」のカップリング曲。
[編集] サポーター著名人
- 石井竜也(歌手)
- 磯山さやか(タレント)
- 神取忍(女子プロレスラー・参議院議員)
- 島崎俊郎(タレント)
- 城之内早苗(歌手)
- ギュウゾウ(電撃ネットワーク・パフォーマー)
- ワタナベアニ(ninjafilms・アート&フィルムディレクター)
- アントキの猪木(お笑い芸人)
- 入江陵介(水泳選手)
- 戸田れい(タレント)
[編集] 鹿島アントラーズに所属するサッカー漫画の登場人物
守りに秀でた選手(GK 渋沢克朗、DF 東雄吾・岩倉秀美、ボランチ 間宮茂)が多い。
[編集] 関連項目
- 鹿島アントラーズの選手一覧
- カシマサッカースタジアム
- カシマサッカーミュージアム
- 鹿島アントラーズクラブハウス
- IN.FIGHT
- いばらきサッカーフェスティバル
- 日本のダービーマッチ
- 水戸ホーリーホック
[編集] 脚注
- ^ a b 現在、リーグと天皇杯の2冠を達成したのは鹿島(2000年、2007年)と浦和(2006年)のみ。
- ^ カシマサッカースタジアム・LED帯状映像装置 - 鹿島アントラーズ公式サイト(動画で実際に使用されている様子が見ることができる)
- ^ LED帯状映像装置の全面稼働について - 鹿島アントラーズ公式サイト
- ^ ホームタウンレポート〔鹿島〕アジア初の約500メートル帯状映像装置お披露目 - Jリーグ公式サイト 百年構想
- ^ 正式稼働は、2009年シーズンから
[編集] 外部リンク
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