鹿島アントラーズ

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鹿島アントラーズ
原語表記 鹿島アントラーズ
呼称 鹿島アントラーズ
愛称 アントラーズ
クラブカラー      ディープレッド[1]
創設年 1947年
所属リーグ 日本プロサッカーリーグ
所属ディビジョン Jリーグ ディビジョン1
クラブライセンス J1
ホームタウン 茨城県鹿嶋市[1]潮来市[1]神栖市[1]行方市[1]鉾田市[1]
ホームスタジアム
Kashima Stadium 1.JPG
県立カシマサッカースタジアム[1]
収容人数 40,728[1]
運営法人 株式会社鹿島アントラーズ・エフ・シー[1]
代表者 井畑滋[1]
監督 ブラジルの旗 トニーニョ・セレーゾ
公式サイト 公式サイト
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ
株式会社鹿島アントラーズ・エフ・シー
Kashima Antlers F.C. Co., Ltd.
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 日本の旗 日本
314-0021
茨城県鹿嶋市粟生東山2887[1]
設立 1991年10月1日
業種 サービス業
事業内容 サッカークラブの運営、スタジアムの管理運営
代表者 井畑滋(代表取締役社長
資本金 15億7,000万円[2]
売上高 41億2,200万円(2014年1月期)[2]
営業利益 4,100万円(2014年1月期)[2]
経常利益 8,600万円(2014年1月期)[2]
純利益 7,800万円(2014年1月期)[2]
純資産 15億9,000万円(2014年1月期)[2]
総資産 21億3,900万円(2014年1月期)[2]
決算期 1月期
主要株主 新日鐵住金
関係する人物 鈴木昌
大東和美
下妻博
外部リンク 公式ウェブサイト
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鹿島アントラーズ(かしまアントラーズ、Kashima Antlers)は、日本茨城県鹿嶋市潮来市神栖市行方市鉾田市をホームタウンとする[1]日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。

目次

概要[編集]

1947年に創設された住友金属工業蹴球団が前身。1991年のJリーグ加盟時に鹿島アントラーズに改称した。Jリーグ創設時からの加盟チーム(オリジナル10)の一つである。ホームタウン茨城県鹿嶋市(合併前は鹿島郡鹿島町と大野村)・潮来市(合併前は行方郡潮来町と牛堀町)・神栖市(合併前は鹿島郡神栖町と波崎町)に2006年からは行方市鉾田市が追加された。1995年に鹿嶋市が誕生して以後もチーム名は地域名の「鹿島」のまま。なお当時ホームタウンは原則として1チーム1市区町村だったが、鹿島に限り特例で周辺市町村との広域ホームタウンが認められた。

ホームスタジアムは県立カシマサッカースタジアム[1]、練習場は鹿島アントラーズクラブハウスグラウンド[1]である。

チーム名の「アントラー(antler)」は英語鹿の枝角を意味し、鹿島神宮の神鹿にちなみ、枝角は茨城県の茨をイメージしている。その鋭い枝角で勇猛果敢に立ち向かい勝利を目指すという意味も込められている。チーム発足時からクラブのアイデンティティとして「FOOTBALL DREAM」を常に掲げている。クラブマスコットはシカをモチーフにした「しかお」と、1997年3月2日に「しかお」と結婚したと言う設定の「しかこ」、1999年8月1日にしかおとしかこの間に誕生したと言う設定の「アントン」である。

国内の3大タイトル(Jリーグナビスコカップ天皇杯)において、Jリーグクラブでは史上最多の16冠[注 1] かつそれぞれのタイトルにおいて最多優勝回数を誇る。また、1シーズンで国内3大タイトルを制覇する三冠(2000年)とJリーグ3連覇(2007年 - 2009年)を達成している唯一のクラブでもある。

プレイスタイルは、堅守・速攻・セットプレイによる堅実なサッカーを標榜する。戦術面では監督の意向や選手の特徴によってシステムを頻繁に変えるチームが多いJリーグにおいて、開幕からDFを4人配置する4バックでほとんどの試合を戦っている。また2代目監督エドゥー以降、代行監督を除くと一貫してブラジル人指導者が監督を務め、外国人枠で獲得する選手は、2009年より導入されたアジア枠の選手を除き、すべてブラジル人であることも特徴である。

歴史[編集]

住友金属時代[編集]

1947年創部の住友金属蹴球同好会(1956年住友金属工業蹴球団へ改称)が前身となり、1973年日本サッカーリーグ(JSL)2部、1985年にJSL1部へ昇格した。なお、1975年大阪市から茨城県鹿島町(現・鹿嶋市)に本拠地を移転した。

1989年にプロサッカーリーグ設立が具体化したのを受けて、1990年住友金属工業(現・新日鐵住金)の「2000年ビジョン」の指針が発端となって、茨城県鹿島町長を含めた7名が当時JSL2部に所属していた住友金属工業蹴球団のプロリーグ参加を協会に要望した。

1991年ブラジル代表主将を務めたジーコが加入(川淵三郎によると、「当初、紹介した古河電工(現:ジェフユナイテッド市原・千葉)にそのまま加入してもらおうと思っていたが、当の古河電工はジーコ入団に難色を示し、その後断りをいれた。そのため、新たに住友金属を紹介したところ、住友金属のアピールもあって、ジーコの入団が実現した」と話している)。

サッカー専用スタジアムとして建設された茨城県立カシマサッカースタジアムをホームスタジアムとして、初年度からのJリーグ加盟が承認された。また、チーム名を「鹿島アントラーズ」と改称、プロクラブとして新たなスタートを切った。

なお、Jリーグ最初の公式戦、1992年のJリーグカップでは、鹿島主管試合を笠松運動公園陸上競技場を主として国立霞ヶ丘陸上競技場西京極スタジアム(西京極での試合はガンバ大阪が相手であった)で行った。

1993年 - 1995年[編集]

1993年
初代監督に本田技研前監督の宮本征勝が就任。長谷川祥之本田泰人など本田技研の選手、ジーコ、アルシンドなどブラジル人選手を中心に補強。
1993年5月16日の開幕戦はカシマサッカースタジアムに名古屋グランパスエイトを迎えたホームゲームで「ジーコとゲーリー・リネカーの対決」が注目されたが、ジーコのハットトリックとアルシンドの2得点で5-0で圧勝。旧本田勢に加えて大卒新人の秋田豊がレギュラーを獲得した。開幕シリーズである1993年1stステージを制覇したが、1994年1月に国立霞ヶ丘陸上競技場で行われたJリーグチャンピオンシップヴェルディ川崎に1分1敗と通算成績で敗れ、初代年間王者は獲得できなかった。第2戦ではジーコが三浦知良のPKの際にボールへつばを吐く非紳士的行為でこの日2枚目の警告で退場となった。それでも、JSL2部のチームを母体に参戦した唯一のJリーグクラブながら、開幕戦の圧勝から1stステージ優勝に至る快進撃によって、鹿島町は「サッカーの町」として全国的に認知され、周辺人口の少なさから低調な観客動員が危惧されていたカシマサッカースタジアムは毎試合超満員となり、チケット入手が非常に困難なスタジアムとして知られるようになった。
1994年
リーグ戦のサントリーシリーズ(1stステージ)終了後にジーコが現役を引退したが、その後もテクニカル・アドバイザーとしてチームに関わり、また実兄のエドゥーがヘッドコーチとして入団し、2ndステージからゼネラルマネージャーに転出した宮本の後任監督として指揮を執った。また、1994 FIFAワールドカップブラジル代表として出場したレオナルドが加入。この年のリーグ戦でアルシンドが、鹿島でシーズン最多の28得点を記録。天皇杯は1回戦でJFL東京ガスに敗れ、初戦敗退を喫している。
1995年
ジョルジーニョが加入。前年加入のレオナルドなど彼らの活躍で鹿島は強豪としての地位を築いていった。これ以後も鹿島にはジーコの人脈を生かした優秀なブラジル人選手が加入した。リーグ戦は年間順位が7位、天皇杯はベスト4で終え、監督のエドゥーが退任した。

1996年 - 1998年前期[編集]

1996年
ジョアン・カルロスが監督に就任。1シーズン制で行われたリーグ戦で初優勝に輝くが、サントリーカップ決勝では名古屋に敗れた。
1997年
V川崎からビスマルク平塚から名良橋晃を獲得。ゼロックス・スーパーカップで初優勝を果たした。リーグ戦は1stステージで優勝し、年間勝点一位。サントリー・チャンピオンシップは2ndステージ優勝のジュビロ磐田に2連敗でタイトルはならなかった。しかし、ナビスコカップ天皇杯をいずれも初制覇した。J1の年間勝点一位、リーグカップ優勝、天皇杯優勝をリーグ史上唯一で同年達成している。
1998年前期
スーパーカップで2年連続優勝果たす。1stステージ中断中にジョアン・カルロスとジョルジーニョが意見の食い違いで衝突、ジョアン・カルロスが辞任し、残り試合を関塚隆が監督代行を務めた。

1998年後期 - 1999年[編集]

1998年後期
2ndステージ開始前にゼ・マリオが監督に就任。9月23日に長谷川が清水戦で、クラブ初の在籍通算100得点目を達成。チャンピオンシップは磐田を下して、2度目のリーグ年間優勝を果たした。この年のリーグ戦で柳沢敦が、クラブでの日本人シーズン最多の22得点を記録。2ndステージ第5節の福岡戦から翌1999年第3節広島戦まで16連勝した。また、同年のフランスW杯日本代表に鹿島から秋田豊、名良橋晃、相馬直樹の3人が選出された。
1999年
2002 FIFAワールドカップ開催へ向けたカシマサッカースタジアムの改修工事が始まり、リーグ戦1stステージの主催試合は国立霞ヶ丘陸上競技場で開催。1998-99年シーズンのアジアカップウィナーズカップで3位に入賞。ただし、この年はゼロックス・スーパーカップで3連覇を達成したに留まった。シーズン途中で監督のゼ・マリオを解任し、2ndステージ途中からジーコが総監督として指揮を執った。なお、9月23日の市原戦で、Jリーグクラブ最速のリーグ戦通算500得点を達成した。

2000年 - 2005年[編集]

2000年
ジーコと共に「黄金のカルテット」をブラジル代表で構成したトニーニョ・セレーゾが監督に就任。この年にJリーグナビスコカップ天皇杯を制覇し、Jリーグ発足以来初の三冠を達成した。
2001年
2000年シーズンの三冠達成を称えて茨城県から県民栄誉賞を受賞。リーグ戦の1stステージは11位と低迷したが、2ndステージはアウグストなどの活躍で優勝。チャンピオンシップで磐田を破り、リーグ連覇を果たす。
2002年
リーグ戦は絶好調の磐田を止められず3連覇を逃したが、ナビスコカップは決勝で浦和を下し優勝。なお、2002 FIFAワールドカップ日本代表に秋田豊、鈴木隆行柳沢敦中田浩二小笠原満男曽ヶ端準の6人(クラブ別では最多)が選出された。鈴木は初戦のベルギー戦でゴールを決め、鹿島所属として初のW杯得点者となった。大会終了後にはジーコが日本代表監督に就任し、テクニカルディレクターを辞任した。また、鈴木はベルギーKRCヘンクへ移籍した。
5月7日、初代監督を務めていた宮本征勝が逝去。
2003年
A3チャンピオンズカップ初代王者となった。柳沢がイタリアサンプドリアへ期限付きで移籍(2005年にFCメッシーナへ完全移籍)した。ナビスコカップは2年連続で決勝に進出するも浦和に敗れ、連覇はならなかった。
2004年
リーグ戦は1stステージ5位、2ndステージ4位に終わった。ナビスコカップ天皇杯ともにベスト8で敗退し、タイトルを獲得できずにシーズンを終える。
2005年
J1が1ステージ制に移行したリーグ戦は開幕ダッシュに成功。一時は2位に勝ち点差10以上をつけたが、中盤に入るとG大阪や浦和、千葉C大阪に追いつかれ、優勝の可能性が残っていた最終節では勝利したものの、結局3位でシーズンを終えた。中田がフランス・リーグ・アンオリンピック・マルセイユに移籍。シーズンの終了後、6年に渡り監督を務めたトニーニョ・セレーゾが勇退した。

2006年[編集]

サンパウロFC元監督のパウロ・アウトゥオリが監督に就任。リーグ戦柳沢敦の復帰、高卒新人のサイドバック内田篤人の活躍などがあったが、シーズン途中に大黒柱だった小笠原満男FCメッシーナイタリア)へ翌年6月までの期限付きで移籍などにより成績は6位。一方でナビスコカップでは3年ぶりに決勝に進出したが、千葉に敗れた。天皇杯は準決勝で浦和に敗れた。結局、パウロ・アウトゥオリは1年で監督を退任した。なお、2006 FIFAワールドカップ日本代表には小笠原満男と柳沢敦が選出された。

2007年 - 2011年[編集]

2007年
コリンチャンスやサンパウロFCなどで監督を歴任したオズワルド・オリヴェイラが監督に就任。リーグ戦では、小笠原に代わり司令塔に指名された野沢拓也が開幕直前のプレシーズンマッチで負傷。開幕から5試合勝ち星がなかったが、野沢が復帰後は徐々に成績が上昇。リーグ中断からの後半戦はレンタル移籍から小笠原が復帰し、終盤の9連勝など14勝2敗の快進撃で6年ぶり5回目のリーグ優勝を果たし、同時にクラブの悲願だった「10冠」を達成した。最終節まで1度も首位に立たなかったチームが最終節で逆転優勝したのはJリーグ史上初めてである。また、アウェイの浦和戦でリーグ史上最速となるリーグ通算300勝を達成。
なお、FIFAクラブワールドカップ2007に本来であれば「開催国枠」として出場する予定であったが、AFCチャンピオンズリーグ2007で浦和が優勝し、大会規定「1カ国2チーム以上出場できない」によりこの大会への出場は出来なかった。
ナビスコカップは、準決勝でG大阪に1勝1敗ながらアウェーゴール数の差で敗退。
天皇杯は、J2降格が決まっている広島との決勝で勝利し、2度目となるリーグ戦との2冠を達成した[注 2]
1月9日、鹿嶋市から11冠達成を称え特別功労賞が贈られ、2月1日には茨城県から県民栄誉賞(2000年度以来2度目)を授与された。
7月29日には前年に引退した本田泰人の引退試合が、1993年のJリーグチャンピオンシップの出場メンバーを中心にした「鹿島アントラーズ1993対ヴェルディ1993」としてカシマサッカースタジアムで開催された。
2008年
富士ゼロックス・スーパーカップは広島と対戦し、2点をリードするも終了間際に追いつかれ、PK戦の末に敗れた。リーグ戦は、1シーズン制導入後初めてとなるJリーグ2連覇を達成。この年のリーグ戦でマルキーニョスが、鹿島初のJリーグ得点王を獲得(21得点)。
AFCチャンピオンズリーグ2008では、日本のクラブチームでACLグループリーグ最多得点となる6戦合計28得点をあげてクラブ初の決勝トーナメント進出を決め、ベスト8。
なおリーグ戦で2連覇を果たすが、ACLにおいてG大阪が優勝したため、不運にも2007年と同様に大会規定の関係でFIFAクラブワールドカップ2008出場は出来なかった。
2009年
鹿児島城西高校から大迫勇也、外国籍選手枠のほかに導入されたアジア枠で、韓国人のパク・チュホ水戸から獲得した。
2月1日には、クラブへ貢献した選手などに対する殿堂として第1回アントラーズ功労賞が発表され、功労賞受賞者の1人でもある秋田豊の引退試合が行われた。同月28日に富士ゼロックス・スーパーカップでG大阪に勝利し、10年ぶり4回目の優勝を果たした。
リーグ戦では3連覇への好スタートを切り、夏場から秋口にかけて5連敗を喫するも、Jリーグ史上初の3連覇を達成した。
AFCチャンピオンズリーグ2009は2年連続決勝トーナメント進出を決めたが、ラウンド16で韓国のFCソウルにPK戦の末敗れ、ベスト16で敗退。
2010年5月1日 J1第9節 G大阪戦
2010年
広島から佐藤昭大、元新潟ジウトンポルト・アレグレからレンタル移籍で、京都からイ・ジョンスブラジル2部リーグポルトゲーザからフェリペ・ガブリエルを完全移籍で獲得。ユースから八木直生が昇格、レンタル移籍で移籍していた鈴木修人湘南)、船山祐二C大阪)が復帰した。
2月27日、富士ゼロックス・スーパーカップは2年連続でG大阪と対戦し、PK戦による勝利で5度目の優勝と、同大会史上初の同一クラブ2度目の連覇を果たした。
リーグ戦は、失点数や敗戦はリーグで最少だったものの、引き分けが12と後半戦は勝ち切れない試合の多さが響きリーグ4連覇を逃し、4位で終了した。
6月に行われた2010 FIFAワールドカップの日本代表に内田篤人岩政大樹韓国代表にイ・ジョンスが選出され、イ・ジョンスは本大会で2得点を記録。7月には、内田篤人がドイツシャルケ04、イがカタールアル・サッドに移籍した。
AFCチャンピオンズリーグ2010は3年連続の決勝トーナメント進出を日本サッカー界史上初の全勝でのグループステージ突破を果たすも、ラウンド16で前回王者の浦項スティーラースに敗れ、2年連続ベスト16での敗退となった[3]
天皇杯は決勝で清水を破り、3大会ぶり4度目の優勝。これによりACL出場権を獲得した。
またこのシーズンをもって大岩剛が現役を引退した。さらに、笠井健太、ジウトンと契約を結ばず、マルキーニョス仙台船山祐二が山形、大道広幸岡山へ完全移籍、川俣慎一郎が仙台、川島大地が山形、宮崎智彦横浜FC鈴木修人栃木SC佐々木竜太が湘南へレンタル移籍となった。
2011年
クラブは創立20周年を迎えた。青森山田高校から柴崎岳米子北高校から昌子源関西大第一高校から梅鉢貴秀を獲得。鹿島ユースから土居聖真が昇格。札幌から西大伍ウニオン・レイリアからカルロン、千葉からアレックス、清水から本田拓也を完全移籍で、山形にレンタル移籍していた田代有三増田誓志が復帰、レンタル移籍だった佐藤昭大が完全移籍、クラブ初となるアマチュアからの選手でブラジルのCFZ・ド・リオから父親がチームOBのアルシンドであるイゴールをC契約で獲得した。
2月26日の富士ゼロックス・スーパーカップ名古屋と対戦。PK戦の末敗れ、同大会2度目の3連覇とはならなかった。
リーグ戦は序盤で苦戦し、その後は8月を無敗で乗り切るなど5位へ浮上したが、6位に終わる。
また3月11日に発生した東日本大震災により被災し、スタジアムやクラブハウスなどの施設が大きく損壊したため[4]、3月15日から27日までチームの活動を休止していた[5]。その後、東日本大震災復興支援として水戸ホーリーホックや茨城県サッカー協会と共同で「WITH HOPEプロジェクト」を立ち上げ、茨城県の復興支援活動を開始。6月4日にはカシマサッカースタジアムで「震災復興チャリティーイベント SMILE AGAIN〜YELL FROM KASHIMA〜」が開催された。
7月には伊野波雅彦クロアチアハイデュク・スプリトに完全移籍、カルロンがヌーシャテル・ザマックスにレンタル移籍(その後SCブラガへレンタル移籍)したが、フルミネンセFCからタルタをレンタル移籍で獲得した。
4年連続で出場となったAFCチャンピオンズリーグ2011は、グループリーグ無敗で3年連続ラウンド16進出をするも、またもソウルに敗れ、3年連続ベスト16での敗退となった。
ナビスコカップでは7度目の決勝進出。浦和に延長で勝利し、9年ぶり4度目の優勝。
天皇杯は4回戦でJ2の京都に敗れ、ベスト16での敗退となった。
オズワルド・オリヴェイラが監督を退任、コーチの奥野僚右も退団した(後に山形の監督に就任)。杉山哲が札幌、タルタがポルトゲーザ・デスポルトス當間建文鈴木修人が栃木SC、小谷野顕治新潟田代有三野沢拓也神戸フェリペ・ガブリエルがボタフォゴへ完全移籍、横浜FCにレンタル移籍していた宮崎智彦磐田へレンタル移籍、イゴールが退団した。

2012年[編集]

2012年4月7日 J1第5節 浦和戦
クラブ史上初のOB監督となるジョルジーニョが就任。補強として川崎からジュニーニョ福岡から岡本英也を完全移籍で、さらに流通経済大学から山村和也静岡学園高校から伊東幸敏を獲得。レンタル移籍していた川俣慎一郎(仙台)、佐々木竜太(湘南)が復帰し、鹿島ユースからは鈴木隆雅中川義貴宮内龍汰が昇格した。シーズン途中には京都からドゥトラが完全移籍で、中国広州恒大からレナトがレンタル移籍で加入。7月にはアレックスが徳島、佐々木竜太が栃木へレンタル移籍した。
曽ヶ端準が3月31日のJ1第4節・横浜FM戦で、クラブ通算最多出場(475試合)と、クラブ史上初の同通算500試合を8月25日のリーグ・新潟戦で達成。
スルガ銀行チャンピオンシップでは、チリウニベルシダ・デ・チリをPK戦で下し、初優勝を飾った。
ナビスコカップでは、8度目の決勝で清水を延長戦で下し、クラブ史上初の同大会連覇を達成。
リーグ戦は、開幕から5試合で1分4敗と未勝利のままで、第2節から第5節までは最下位となるなどスタートダッシュに失敗。この時開幕3試合連続完封負けを喫し第4節まで無得点であった。その後も第13節終了後に10位となったのが最高順位と、一度も一桁順位に浮上しないままJリーグ発足後史上初の二桁順位となる最終順位11位でシーズンを終える。
天皇杯は準決勝でJ2降格が決まっているG大阪に敗れ、ベスト4で敗退となった。
ジョルジーニョが監督を退任し[6]新井場徹がC大阪、興梠慎三が浦和、岡本英也が新潟、増田誓志がKリーグ蔚山現代、ドゥトラがベルギースポルティング・ロケレンへ完全移籍し、磐田にレンタル移籍していた宮崎智彦、徳島にレンタル移籍していたアレックスもそれぞれ完全移籍した。さらに広州恒大からレンタル移籍で加入したレナト、栃木へレンタル移籍していた佐々木竜太とは契約を更新しなかった。

2013年 -[編集]

2013年
監督には2000年から2005年まで指揮を執ったトニーニョ・セレーゾが就任。補強として愛媛から前野貴徳、京都から中村充孝カタールウム・サラルからダヴィを完全移籍で、さらに大津高校から植田直通豊川雄太を獲得。山形にレンタル移籍していた川島大地、神戸に完全移籍していた野沢拓也が復帰した。また、4月には筑波大学赤﨑秀平をクラブ初となる特別指定選手で登録した。なお、7月には鈴木隆雅千葉へ期限付き移籍、本田拓也が清水へ完全移籍、8月末で八木直生が現役引退した。
リーグ戦は、シーズンでの連敗はなかったものの、序盤から夏場にかけてアウェイ戦7連敗を喫し、DF陣のテコ入れを行ったが、失点が続き、5位で終える。なお、4月6日の第5節・C大阪戦で、セレーゾがクラブ史上初のリーグ戦通算100勝を達成。また、5月6日の第10節・湘南戦で、歴代監督体制初の公式戦通算150勝を達成した。
ヤマザキナビスコカップは準々決勝で横浜FMに敗れ、3連覇を逃した。
天皇杯は4回戦で広島に敗れ、ベスト16で敗退した。また、9月7日の2回戦でのソニー仙台戦で、歴代監督体制初の公式戦通算500得点を達成。
スルガ銀行チャンピオンシップでは、2006年に鹿島の監督を務めたパウロ・アウトゥオリ率いるブラジルサンパウロFCを下し、同大会初の連覇を達成した。
この年をもって、ジュニーニョが契約満了、岩政大樹がタイテロ・サーサナ、大迫勇也がドイツ2部1860ミュンヘン、川島大地が北九州へ完全移籍、千葉にレンタル移籍していた鈴木隆雅が栃木へレンタル移籍した。
2014年
補強として、磐田から山本脩斗ブラガからルイス・アルベルトを完全移籍で、新卒では筑波大学から赤﨑秀平、帝京大学可児高校から杉本太郎千葉国際高校からC契約でカイオが加入。鹿島ユースからは小泉勇人が昇格した。また、千葉からジャイールを3月から7月までの期限付き移籍[7]で、8月にはボタフォゴFRから元ジョルジ・ワグネルを完全移籍で獲得した。なお、1月末に中川義貴[8]が現役引退、8月に野沢拓也が仙台へ完全移籍した。
4月15日、カシマスタジアムの開場以来スタジアムDJを務めてきたダニー石尾が逝去[9]。4月19日に追悼セレモニー[10]を、さらに6月1日にはお別れの会[11]が両日とも同スタジアムで行われた。また、6月1日に、アントラーズ功労賞の贈呈[12]も行った。
リーグ戦は、スタートダッシュに成功したものの、ホーム3連敗以降は調子を落とし、暫定4位でW杯中断期間に入った。なお、本山雅志が7月27日のJ1第17節・浦和戦で、クラブ通算500試合を在籍最長の17シーズン目で達成。また、8月9日のJ1第19節・名古屋戦での山本脩斗の得点で、クラブ公式戦通算100人目を達成。さらに、9月27日のJ1第26節・徳島戦でカイオが、クラブの高卒者リーグ戦最多通算得点(6得点)を更新した。
ヤマザキナビスコカップは9年ぶりに予選リーグで敗退、天皇杯はソニー仙台にPK戦で敗れ、1994年大会以来の初戦敗退となった。

所属選手[編集]

2014 Jリーグ ディビジョン1 第1節
スターティングメンバー

Soccer.Field Transparant.png

曽ヶ端
# 21
伊東
# 24
青木
# 5
昌子
# 15
山本
# 16
小笠原
# 40
柴崎
# 20
遠藤
# 25
豊川
# 19
土居
# 28
ダヴィ
# 11

ジーコが所属していたこともあり、ブラジルのサッカー界とも強いパイプを持つ。Jリーグが開幕した1993年以降、所属した外国籍選手は「アジア人枠」を利用して獲得した韓国パク・チュホ(2009年)、イ・ジョンス(2010年)以外は全員ブラジル人選手である。ジョルジーニョレオナルドベベットなど、サッカー王国ブラジルでも代表として活躍するなど一線級に値する選手たちが過去に鹿島でプレーした。

代表選手[編集]

これまで数多くの日本代表選手を輩出している。

アントラーズ功労賞[編集]

クラブの発展に貢献した選手、監督を顕彰するために設けられた賞である。カシマサッカーミュージアムの中にある「THE HALL OF LEGEND」にて記念される。現役選手および鹿島で在任中のスタッフは選考から外される。

Pos. 受賞年 受賞者
監督 2009年 宮本征勝トニーニョ・セレーゾ
2011年 オズワルド・オリヴェイラ
DF 2009年 秋田豊相馬直樹名良橋晃
MF 2009年 ジーコジョルジーニョビスマルク本田泰人
FW 2009年 長谷川祥之黒崎久志
2013年 アルシンド
スタジアムDJ
2014年 ダニー石尾

成績と歴代監督[編集]

国内3大タイトル(Jリーグ年間ナビスコカップ天皇杯)とスーパーカップの獲得回数は全て最多である。リーグ戦においては、Jリーグ開幕の1993年から2011年まで二桁順位でシーズンを終えたことがなかった。

国内3大大会成績
Jリーグ ディビジョン1 Jリーグカップ 天皇杯全日本サッカー選手権大会
順位 回数 年度 成績 回数 年度 成績 回数 年度
優勝 7 1996, 1998, 2000, 2001, 2007, 2008, 2009 優勝 5 1997, 2000, 2002, 2011, 2012 優勝 4 1997, 2000, 2007, 2010
2位 2 1993, 1997 準優勝 3 1999, 2003, 2006 準優勝 2 1993, 2002
3位 2 1994, 2005 ベスト4 4 1992, 1998, 2001, 2007 ベスト4 5 1995, 1998, 2003, 2006, 2012
4位 2 2002, 2010 ベスト8 5 2004, 2008, 2009, 2010, 2013 ベスト8 6 1992, 1996, 2001, 2004, 2005, 2009
5位 2 2003, 2013 1回戦敗退 1 1994 ベスト16 4 1999, 2008, 2011, 2013
6位 3 2004, 2006, 2011 予選敗退 4 1993, 1996, 2005, 2014 2回戦敗退 1 2014
7位 1 1995 1回戦敗退 1 1994
9位 1 1999
11位 1 2012

国際試合[編集]

国内大会ではリーグ史上最多のタイトルを獲得している一方で、国際大会で獲得したタイトルはA3チャンピオンズカップ(2003年)とスルガ銀行チャンピオンシップ(2012年、2013年)の2大会のみとなっている。AFCチャンピオンズリーグ (ACL)には5回出場し、最高成績は2008年のベスト8である。

監督[編集]

前述の外国籍選手と同様、外国籍監督もブラジル人監督であり、ジーコの兄であるエドゥーや、ジーコと共にブラジル代表の「黄金の中盤(黄金のカルテット)」として活躍した一人であるトニーニョ・セレーゾなどがこのチームを指揮を執っている。また初代の監督である宮本征勝が1994年監督退任後、このチームで指揮した日本人正監督は一人もおらず、すべてブラジル人監督を招聘している。

鹿島アントラーズ歴代監督
監督 期間 J
/
J1




F
X
S
C

C
W
C
A
C
L
S
B
C
S
A
3
C


備考
日本の旗 宮本征勝 1992年 - 1994年6月 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
ブラジルの旗 エドゥー 1994年6月 - 1995年 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
ブラジルの旗 ジョアン・カルロス 1996年 - 1998年7月 1 1 1 2 5 0 0 0 0 0 5
日本の旗 関塚隆 1998年7月、1999年8月 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 監督代行
ブラジルの旗 ゼ・マリオ 1998年8月 - 1999年8月 1 0 0 1 2 0 0 0 0 0 2
ブラジルの旗 ジーコ 1999年8月 - 12月 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 監督代行
ブラジルの旗 トニーニョ・セレーゾ 2000年 - 2005年、2013年 - 2 2 1 0 5 0 0 1 1 2 7
ブラジルの旗 パウロ・アウトゥオリ 2006年 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
ブラジルの旗 オズワルド・オリヴェイラ 2007年 - 2011年 3 1 2 2 8 0 0 0 0 0 8
ブラジルの旗 ジョルジーニョ 2012年 0 1 0 0 1 0 0 1 0 1 2

ダービーマッチ[編集]

タイトル[編集]

国内タイトル[編集]

国際タイトル[編集]

表彰[編集]

Jリーグ
ナビスコ杯

その他受賞[編集]

クラブ記録[編集]

記録名 記録 試合 備考
連続無敗記録 J1 17試合 2009年 第3節 広島戦(カシマ) - 2009年 第19節 柏戦(カシマ)
連勝記録 J1 16連勝 1998年 2nd第5節 福岡戦(博多球) - 1999年 1st第3節 広島戦(国立) リーグ最高記録(2013年時点)
連敗記録 J1 8連敗 1999年 1st第13節 浦和戦(国立) - 1999年 2nd第4節 C大阪戦(カシマ)
最多得点試合 J1 7 - 0 1997年8月9日 2nd第4節 名古屋戦(カシマ)
7 - 2 2005年8月24日 第20節 新潟戦(カシマ)
7 - 0 2012年5月19日 第12節 札幌戦(カシマ)
ナビスコ杯 7 - 1 1992年10月3日 GL第7節 名古屋戦(瑞穂球)
7 - 0 1997年10月18日 準々決勝第2戦 札幌戦(カシマ)
天皇杯 8 - 1 1992年12月5日 1回戦 新日鐵八幡戦(愛媛)
国際大会 16 - 0 1999年10月23日 ACC 2回戦 バレンシア戦(ひたちなか) クラブ最多得点記録
最多失点試合 J1 0 - 7 1995年5月3日 1st第13節 平塚戦(平塚) クラブ最多失点記録
ナビスコ杯 3 - 4 1992年9月23日 GL第5節 横浜M戦(国立)
1 - 4 1992年9月26日 GL第6節 清水戦(笠松)
2 - 4 1997年3月8日 GL第1節 C大阪戦(カシマ)
0 - 4 2003年11月3日 決勝 浦和戦(国立)
2 - 4 2013年3月23日 GL第2節 対F東京戦(カシマ)
天皇杯 2 - 6 1994年1月1日 決勝 横浜F戦(国立)
国際大会 1 - 4 1999年4月16日 ACWC 準決勝 全南戦(国立)
3 - 4 2003年3月12日 ACL GL第2節 上海申花戦(スパチャラサイ)
1 - 4 2009年3月11日 ACL GL第1節 水原三星戦(水原)
最少被シュート数 J1 0本 2009年11月8日 第31節 山形戦(カシマ) リーグ初記録

通算勝利数[編集]

J1リーグ戦通算勝利数
通算勝利 試合 備考
初勝利 1993年5月16日 サントリー第1節 名古屋戦(カシマ)
100勝 1997年4月12日 1st第1節 神戸戦(カシマ)
200勝 2001年11月17日 1st第14節 東京V戦(カシマ) リーグ最速達成
300勝 2007年11月24日 第33節 浦和戦(埼玉) リーグ最速達成
400勝 2014年3月8日 第2節 仙台戦 (カシマ) リーグ最速達成

通算得点[編集]

公式戦通算得点
通算得点 試合 選手名 備考
初得点 1992年9月5日 ナビスコ杯 GL第1節 横浜F戦(笠松) 日本の旗 入井和久
500得点 1997年9月27日 J 2nd第15節 横浜M戦(カシマ) 日本の旗 室井市衛
1000得点 2002年12月15日 天皇杯 3回戦 東京学芸大戦(カシマ) ブラジルの旗 アウグスト
1500得点 2009年4月22日 ACL GL第4戦 SAFFC戦(カシマ) 日本の旗 野沢拓也
J1リーグ戦通算得点
通算得点 試合 選手名 備考
初得点 1993年5月16日 サントリー第1節 名古屋戦(カシマ) ブラジルの旗 ジーコ
100得点 1994年5月18日 サントリー第17節 名古屋戦(カシマ) ブラジルの旗 サントス
200得点 1995年8月16日 ニコス第2節 磐田戦(磐田) 日本の旗 黒崎比差支
300得点 1996年10月30日 第27節 磐田戦(カシマ) ブラジルの旗 マジーニョ
400得点 1998年4月11日 1st第5節 柏戦(国立) 日本の旗 眞中靖夫
500得点 1999年9月23日 2nd第10節 市原戦(国立) 日本の旗 長谷川祥之 リーグ最速達成
600得点 2001年9月29日 2nd第7節 名古屋戦(カシマ) 日本の旗 中田浩二 リーグ最速達成
700得点 2003年10月18日 2nd第10節 清水戦(カシマ) 日本の旗 相馬直樹 リーグ最速達成
800得点 2005年10月1日 第26節 千葉戦(カシマ) ブラジルの旗 アレックス・ミネイロ リーグ最速達成
900得点 2007年8月12日 第19節 甲府戦(小瀬) 日本の旗 野沢拓也 リーグ最速達成
1000得点 2009年4月29日 第8節 神戸戦(カシマ) 日本の旗 岩政大樹 リーグ最速達成
1100得点 2011年5月21日 第12節 浦和戦(埼玉) 日本の旗 増田誓志 リーグ最速達成
1200得点 2013年4月6日 第5節 C大阪戦(カシマ) 日本の旗 遠藤康
1300得点 2014年9月23日 第25節 仙台戦 (ユアスタ) 日本の旗 土居聖真 リーグ最速達成
ナビスコ杯通算得点
通算得点 試合 選手名 備考
初得点 1992年9月5日 GL第1節 横浜F戦(笠松) 日本の旗 入井和久
100得点 1999年6月19日 2回戦第2戦 G大阪戦(秋田陸) 日本の旗 長谷川祥之
200得点 2007年10月13日 準決勝第2戦 G大阪戦(カシマ) 日本の旗 野沢拓也
天皇杯通算得点
通算得点 試合 選手名 備考
初得点 1992年12月5日 1回戦 新日鐵八幡(愛媛陸) 日本の旗 長谷川祥之
100得点 2002年12月28日 準決勝 市原戦(長居) ブラジルの旗 エウレル

個人記録[編集]

記録名 選手名 記録 試合 備考
最年少出場 J1 日本の旗 野沢拓也 17歳7ヶ月29日 1999年4月10日 1st第6節 京都戦
最年長出場 J1 ブラジルの旗 ジーコ 41歳3ヶ月12日 1994年6月15日 サントリー第22節 磐田戦
最年少得点 J1 日本の旗 内田篤人 17歳11ヶ月22日 2006年3月21日 第4節 甲府戦
最年長得点 J1 ブラジルの旗 ジーコ 41歳3ヶ月12日 1994年6月15日 サントリー第22節 磐田戦
連続試合得点 J1 ブラジルの旗 マルキーニョス 7試合 2008年8月16日 第21節 東京V戦 - 10月1日 第26節 大宮戦
シーズン連続得点 J1 日本の旗 小笠原満男 16シーズン 1999年 - 2014年 J1最長記録
シーズン最多得点 J1 ブラジルの旗 アルシンド 28得点 1994年
リーグ得点王 J1 ブラジルの旗 マルキーニョス 21得点 2008年

ハットトリック[編集]

記録名 選手名 試合 備考
J1 4得点 日本の旗 柳沢敦 1998年4月4日 1st第4節 京都戦
3得点 ブラジルの旗 ジーコ 1993年5月16日 サントリー第1節 名古屋戦 リーグ初記録
ブラジルの旗 アルシンド 1993年6月19日 サントリー第11節 名古屋戦
日本の旗 長谷川祥之 1995年8月26日 NICOS第5節 G大阪戦
ブラジルの旗 マジーニョ 1997年4月12日 1st第1節 神戸戦
日本の旗 長谷川祥之 1997年9月20日 2nd第13節 平塚戦
日本の旗 柳沢敦 1998年5月5日 1st第11節 磐田戦
日本の旗 平瀬智行 2000年4月29日 1st第9節 神戸戦
日本の旗 鈴木隆行 2004年9月18日 2nd第5節 磐田戦
日本の旗 柳沢敦 2006年3月5日 第1節 広島戦
ブラジルの旗 フェルナンド 2006年9月24日 第24節 FC東京戦
日本の旗 野沢拓也 2006年12月2日 第34節 磐田戦
ブラジルの旗 マルキーニョス 2010年9月18日 第23節 大宮戦
ブラジルの旗 ドゥトラ 2012年10月6日 第28節 F東京戦
ナビスコ杯 3得点 日本の旗 長谷川祥之 1992年10月3日 第7節 名古屋戦
ブラジルの旗 ジーコ 1992年10月11日 第9節 広島戦
日本の旗 黒崎比差支 1997年10月18日 準々決勝第2戦 札幌戦
天皇杯 3得点 日本の旗 黒崎比差支 1992年12月5日 1回戦 新日鐵八幡戦
日本の旗 増田誓志 2005年11月3日 4回戦 ホンダロック戦
日本の旗 遠藤康 2012年9月8日 2回戦 筑波大戦
国際大会 4得点 日本の旗 平瀬智行 1999年3月3日 ACWC 3回戦第2戦 サラワクFA戦
3得点 日本の旗 長谷川祥之 1999年3月3日 ACWC 3回戦第2戦 サラワクFA戦
日本の旗 柳沢敦 1999年10月23日 ACC 2回戦第1戦 バレンシア戦
日本の旗 鈴木隆行 1999年10月23日 ACC 2回戦第1戦 バレンシア戦
ブラジルの旗 マルキーニョス 2008年3月12日 ACL GL第1戦 クルン・タイ・バンク戦
日本の旗 大迫勇也 2013年8月7日 SBCS サンパウロFC戦

観客動員記録[編集]

ホームゲーム最多観客動員試合
茨城県立カシマサッカースタジアム
大会 入場者数 試合
J1 39,684人 2003年7月5日 1st第11節 磐田
ナビスコ杯 16,279人 2007年10月13日 準決勝第2戦 G大阪
CS 40,115人 2001年12月8日 第2戦 磐田
ACL 19,500人 2009年5月5日 GL第5戦 水原三星
国立霞ヶ丘陸上競技場
大会 入場者数 試合
J1 51,575人 1999年5月5日 1st第11節 磐田
ナビスコ杯 18,009人 1992年9月9日 GL第2節 V川崎
CS 53,553人 1994年1月16日 第1戦 V川崎
ACL 11,951人 2011年5月3日 GL第5戦 上海申花
  • ホーム扱いの決勝戦は除く。
年度別観客動員記録(リーグ戦ホームゲーム)
年度 所属 平均
入場者数
合計
入場者数
最多動員 最少動員 試合数 ホーム試合会場
入場者数 対戦 会場 入場者数 対戦 会場 カシマ 国立 地方
1993 J1 14,016 252,291 15,777 V川崎 カシマ 9,403 横浜F カシマ 18 18 0 0
1994 16,812 369,862 50,724 清水 国立 13,734 G大阪 22 21 1 0
1995 19,141 497,665 50,093 名古屋 15,144 広島 26 22 3 1
1996 15,386 230,789 16,234 名古屋 カシマ 10,643 浦和 秋田 15 14 0 1
1997 16,985 271,765 31,083 国立 15,176 市原 カシマ 16 15 1 0
1998 15,345 260,866 16,944 神戸 カシマ 13,824 G大阪 17 17 0 0
1999 17,049 255,741 51,575 磐田 国立 6,994 国立 15 7 6 2
2000 17,507 262,603 50,399 7,024 広島 鳥取 15 8 4 3
2001 22,425 336,377 43,637 浦和 6,037 C大阪 カシマ 15 11 4 0
2002 21,590 323,855 34,011 磐田 カシマ 11,857 京都 15 15 0 0
2003 21,204 318,064 39,684 磐田 14,045 大分 15 15 0 0
2004 17,585 263,777 31,965 浦和 8,474 新潟 15 15 0 0
2005 18,641 316,897 35,467 浦和 7,076 大宮 17 17 0 0
2006 15,433 262,365 34,236 浦和 7,427 川崎 17 17 0 0
2007 16,239 276,058 36,146 浦和 8,036 大分 17 17 0 0
2008 19,714 335,140 36,412 浦和 6,725 大宮 17 17 0 0
2009 21,617 367,486 37,878 浦和 14,473 神戸 17 17 0 0
2010 20,966 356,430 35,251 浦和 9,472 湘南 17 17 0 0
2011 16,156 274,655 25,061 浦和 7,810 甲府 17 16 1 0
2012 15,381 261,484 23,507 浦和 10,626 鳥栖 17 17 0 0
2013 16,419 279,115 32,305 浦和 6,681 磐田 17 17 0 0
合計 17,852 6,373,285 357 330 20 7

ユニフォーム[編集]

ユニフォームの色
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st) ディープレッド×赤
FP(2nd) 白×グレー
GK(1st) グレー グレー グレー
GK(2nd)
GK(3rd)
FP 1st
FP 2nd
GK 1st
GK 2nd
GK 3rd

ユニフォームカラー[編集]

  •      ディープレッド
  •     
  •     
  •      グレー

ユニフォームデザイン[編集]

  • ユニフォームデザインは基本的に2年に1回変更している(2010年シーズン以降、1年でデザイン変更)。
    • ユニフォームの右袖には、ホームタウン5市をあしらったホームタウンマークをつけ、背番号の下に名前が入る。
  • 2014年は1stモデルと2ndモデルを採用する。
    • 1stモデルは赤の濃淡に、チェックのデザインとなっている。パンツは紺を使用。
    • 2ndモデルは白とグレーのチェックのデザインとなっている。

ユニフォームについて[編集]

  • 1995年のリーグ戦用2ndモデルには、シャツ・シルバー、パンツ・紺、ストッキング・シルバーを採用したが、諸事情により数戦使用しただけで、シャツ・パンツ・ストッキングをすべて白に変更している(変更後しばらくは、1993・1994年に使用した2ndモデルを使用していた)。
  • 2006年から2007年は、2ndモデルはグレーを使用していた。
  • 2008年から2009年は、リーグ初となった横縞(ディープレッドと紺)を使用した。
  • 2009年はゴールド色の3rdモデルをACL、川崎戦(ナビスコ杯、リーグ戦)のアウェイ戦で使用した。
  • 2012年はベースカラーを紺にした2ndモデルを使用した。
  • 2013年の2ndモデルのベースカラーを白に戻した。
  • 2014年の1stモデルのソックスは、川崎戦とアウェイのG大阪戦、徳島戦でディープレッド、それ以外はネイビーを使用。

ユニフォームの星[編集]

  • 2007シーズンに10冠(国内3大大会のタイトル数)を達成し、2008年シーズンより、左胸のエンブレム上に大きな星1つ(10タイトル分)がついた。11冠目以降の星は、従来の左袖につく。

チャンピオンエンブレム[編集]

リーグチャンピオンエンブレム
  • 前年度のリーグチャンピオンチームには、日本サッカー協会のシンボルであるヤタガラスにJのマークがついたエンブレムを右袖につける。
  • 2009シーズンからヤタガラスのエンブレムに代わり、金色のJマークをつけている。
天皇杯チャンピオンエンブレム
  • 天皇杯を制したチームにはEのマークがついたエンブレムをつける。
  • 2009年大会からリーグチャンピオン同様ヤタガラスのエンブレムをやめ、天皇杯のみ天皇杯エンブレムをつけている。
2冠チャンピオンエンブレム
  • リーグと天皇杯の2冠を制したチーム[注 2] には、☆マークがついたエンブレムをつける(Jリーグ発足後初は2000年度に達成した鹿島)。

ユニフォームスポンサー[編集]

掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考
LIXIL LIXIL 2011年 - 2010年まではトステム
背中 イエローハット (ロゴマーク) 1999年 - 1995年 - 1998年まで袖、2011年までYellow Hat表記
新日鐵住金 NIPPON STEEL & SUMITOMO METAL 2012年 - 2012年9月までは住友金属工業
パンツ アイフルホーム アイフルホーム 2013年 -

ユニフォームサプライの遍歴[編集]

期間 サプライヤー
1992年 - 1996年 ミズノ(リーグ戦)、エネーレ(カップ戦)
1997年 アンブロ(リーグ戦)、エネーレ(カップ戦)
1998年 - 2001年 エネーレ
2002年 - ナイキ

歴代ユニフォームスポンサー年表[編集]

年度 背中 パンツ サプライヤー
1992 - - - - ennerre
1993 - Mizuno/ennerre
1994 TOSTEM
1995 Yellow
Hat
1996 TOSTEM -
1997 UMBRO/ennerre
1998 ennerre
1999 Yellow
Hat
-
2000 SUMITOMO
METALS
2001
2002 NIKE
2003
2004
2005 プロミス
2006
2007
2008 -
2009 商船三井
2010
2011 LIXIL
2012 SUMITOMO METALS/
NIPPON STEEL &
SUMITOMO METAL
2013 NIPPON STEEL &
SUMITOMO METAL
‐/アイフルホーム
2014 アイフルホーム
  • AFCチャンピオンズリーグではスポンサーが1社のみという規定により、2010年までは胸スポンサーの「TOSTEM」、2011年以降は「LIXIL」のみになる。
  • 1992年から1995年まで、胸にはスポンサーの代わりに「Antlers」のロゴが入る。
  • 袖スポンサーであった住友金属工業は2012年9月まで(2012年10月より経営統合後の新社名「新日鐵住金」に変更)。

スポンサー[編集]

オフィシャルスポンサー[編集]

企業 本社
日本の旗 LIXIL 東京都江東区
日本の旗 イエローハット 東京都中央区
日本の旗 アイフルホーム 東京都江東区
日本の旗 ナイキジャパン 東京都品川区
日本の旗 サントリー 大阪府大阪市
日本の旗 昭和産業 東京都千代田区
日本の旗 常陽銀行 茨城県水戸市
日本の旗 関包スチール 大阪府大阪市
日本の旗 住友商事 東京都中央区
日本の旗 常総開発工業 茨城県神栖市
日本の旗 茨城トヨペット 茨城県水戸市
日本の旗 商船三井 東京都港区
日本の旗 新日鐵住金 東京都千代田区

アドボードスポンサー[編集]


サプライヤー[編集]

  • セキネネオン
  • プロティア・ジャパン
  • エア・テクノロジーズ
  • ニチバン


スタジアム[編集]

カシマサッカースタジアム

スタジアムDJ・選手入場曲[編集]

SUCESSO(スセッソ)はポルトガル語で「成功」。米米CLUBのシングル「俺色にそまれ」のカップリング曲。

広告看板[編集]

  • ホームゲームにおける広告看板(ゴール裏)は1995年以後、部分的に回転ロール盤を使用している。当初はゴール裏の内側部分だけだったが、1999年以後は外側(スタンドとピッチの中間。カシマサッカースタジアム開催分は客席の最前列)の部分にも使用している。試合時間帯に応じてアントラーズのスポンサーの広告を切り替えて表示している。

LED帯状映像装置[編集]

  • 日本のサッカースタジアムでは初となる、アジアでは最長(全長500m)のLED帯状映像装置が2階スタンド最前部の壁面にほぼ1周設置されている[13][14]
  • カラー広告の表示やスタメン発表、他会場の途中経過、緊急時の避難誘導などに使用される。

アカデミー[編集]

地域人口の少なさという非常に大きなハンデがあり、ユース・ジュニアユースとも強豪とは言えず、曽ヶ端準野沢拓也以降はトップチームに定着する選手を輩出出来ていない。しかし、鹿島学園との提携やつくばジュニアユースの新設など、大きな経営努力が払われている。

2011年には、つくばジュニアユース、つくばジュニア、クリニックコースの練習場としてつくば市つくばアカデミーセンターが開設された。

アカデミー構成[編集]

年代 カテゴリ
第2種
(高校生)
ユース
鹿島アントラーズユース
鹿嶋
第3種
(中学生)
ジュニアユース
鹿島アントラーズつくばジュニアユース
つくば
鹿島アントラーズジュニアユース
(鹿嶋)
鹿島アントラーズノルテジュニアユース
日立
第4種
(小学生)
ジュニア
鹿島アントラーズジュニア
(鹿嶋)
鹿島アントラーズつくばジュニア
(つくば)
クリニック スペシャルコース
高萩校
高萩
日立校
(日立)
ひたちなか校
ひたちなか
内原校
水戸
鹿島校
(鹿嶋)
神栖校
神栖
玉造校
行方
つくば校
(つくば)
水海道校
常総
第4種
以下
クリニックコース
高萩校
(高萩)
日立校
(日立)
常陸大宮校
常陸大宮
ひたちなか校
(ひたちなか)
内原校
(水戸)
鹿島校
(鹿嶋)
神栖校
(神栖)
鉾田校
鉾田
玉造校
(行方)
つくば校
(つくば)
美浦校
美浦
水海道校
(常総)
下妻校
下妻
結城校
結城
銚子校
銚子
東庄校
東庄

ユース[編集]

1992年に活動を開始した。練習場はアントラーズクラブハウスグラウンド新日鐵住金総合グラウンド鹿島学園と提携するなど力を入れている。ユース出身の選手は、鹿島アントラーズの選手一覧#育成組織出身選手を参考のこと。高円宮杯U-18サッカーリーグ プレミアリーグに所属している。

ジュニアユース[編集]

鹿島、ノルテ、つくばの3チームで構成されている。ノルテは茨城県の県北地域を中心に、つくばは県南地域を中心に活動を展開している。Jリーグ U-13にはノルテ、つくばの2チームが、Jリーグ U-14には鹿島、ノルテ、つくばの全チームが参加している。

鹿島ジュニアユース[編集]

1992年に活動を開始した。練習場はアントラーズクラブハウスグラウンド新日鐵住金総合グラウンド関東ユース (U-15)サッカーリーグの2部リーグに所属している。

ノルテジュニアユース[編集]

1999年に日立市を中心拠点として活動を開始した。茨城県の県北地域の生徒で構成されている。関東ユース (U-15)サッカーリーグの2部リーグに所属している。

つくばジュニアユース[編集]

2008年につくば市を中心拠点として活動を開始した。練習場はつくばアカデミーセンター。茨城県の県南地域の生徒で構成されている。関東ユース (U-15)サッカーリーグの1部リーグに所属している。

ジュニア[編集]

鹿島とつくばの2チームで構成されている。近年は、海外遠征なども積極的に実施している。

鹿島ジュニア[編集]

練習場はアントラーズクラブハウスグラウンド新日鐵住金総合グラウンド。近年は全日本少年サッカー大会全日本少年フットサル大会といった全国大会でも好成績を挙げている。

主な大会成績
  • 2007年 第31回全日本少年サッカー大会 準優勝
  • 2008年 第32回全日本少年サッカー大会 ベスト8
  • 2009年 第19回全日本少年フットサル大会 3位
  • 2010年 第20回全日本少年フットサル大会 ベスト8
  • 2011年 第21回全日本少年フットサル大会 3位
  • 2012年 第22回全日本少年フットサル大会 優勝
  • 2013年 第37回全日本少年サッカー大会 優勝
  • 2013年 第23回全日本少年フットサル大会 準優勝

つくばジュニア[編集]

2007年につくば市を中心拠点として活動を開始した。練習場はつくばアカデミーセンター。茨城県の県南地域の生徒で構成されている。

主な大会成績

クリニックコース[編集]

幼稚園生・小学生・中学生・女子を対象としたサッカースクール(クリニックコース)を茨城県内に14校、千葉県内に2校開校している。

地域貢献活動[編集]

ノンフットボールビジネス[編集]

運営会社である株式会社鹿島アントラーズ・エフ・シーは、2006年からカシマサッカースタジアムの指定管理者になり、健康事業を目的としたスポーツプラザ「カシマウェルネスプラザ」の運営や茨城大学との提携によるスタジアムの利活用推進にも取り組んでいる。

フレンドリータウン[編集]

ホームタウンの5市(鹿嶋神栖潮来鉾田行方)のほかに、クラブ独自でフレンドリータウンとしてホームタウン周辺の10市町村と協定を結んでいる。サッカーを通じた地域連携を目的とし、ホームタウン周辺の市町村を対象に年1回ホームゲームへの市民招待やスタジアムでの観光PRイベントの開催、クリニックコース(サッカースクール)を開校するなど活動を展開している。

地域交流[編集]

  • 2007年から2008年にかけて、ホームタウンの5市(鹿嶋、神栖、潮来、鉾田、行方)にある小学校全校を選手が訪問した。
  • 毎年10月に鹿嶋市で開催される「鹿嶋まつり」や鹿島神宮での節分祭など、地域イベントに選手やチームスタッフらが参加している。

環境活動[編集]

  • 2006年12月2日のジュビロ磐田戦では、カシマサッカースタジアムで使用する電力にグリーン電力(風力発電太陽光発電)を利用して開催された[15]
  • 2009年5月10日の清水エスパルス戦で、来場客から回収した食用油を精製し、チームトラックの燃料に活用する取り組みが行われた。また、この取り組みが第3回クールビズ・オブ・ザ・イヤーで「クールビズ・アース2009」を受賞した[16]

メディア[編集]

試合中継[編集]

テレビ中継
ラジオ中継
  • エフエムかしま
    • FM KASHIMA EXCITING SPORTS(試合開始30分前 - 試合終了後)
  • 茨城放送
  • 鹿島アントラーズオフィシャルサイト
    • LIVEアントラーズ - カシマサッカースタジアムで開催されるホームゲームの音声実況中継をインターネット配信

公式番組[編集]

テレビ
インターネットテレビ

2014年10月26日のJ1第30節・浦和戦からリーグ戦のホームでの試合終了後から60分の本格配信開始。

応援番組[編集]

テレビ

その他[編集]

インターネット
  • 鹿島アントラーズオフィシャルサイト
    • メンバーズルーム - 有料会員制
  • アントラーズモバイル
    • あんとランド - 動画配信
新聞・情報誌

その他[編集]

提携クラブ[編集]

キャンプ地[編集]

春季キャンプは1998年より宮崎県宮崎市宮崎県総合運動公園陸上競技場で行われている。また、1993年はイタリア、1994年は沖縄県1995年から1997年まではブラジルで行われた。

クラブショップ[編集]

クラブマスコット[編集]

スローガン[編集]

年度 スローガン
1998 CHALLENGE
1999 NEXT
2000 Glory Again - 原点からの挑戦 -
2001 - 勝利主義 Antlersism - FOR NEXT 10 YEARS
2002 - 進化 Antlersism - STAIRWAY TO THE WORLD
2003 OVER'03 - カシマからアジア、そして世界へ -
2004 FOOTBALL DREAM 2004 - 奪冠10 -
2005 FOOTBALL DREAM 2005 - 反撃宣言 -
2006 FOOTBALL DREAM 2006 - 一新制覇 -
2007 FOOTBALL DREAM'07 - 魂 Spirits -
2008 FOOTBALL DREAM 2008 - DESAFIO 挑戦 -
2009 FOOTBALL DREAM 2009 - PROGRESSO 飛躍 -
2010 FOOTBALL DREAM 2010 - Evolucao 新化 -
2011 FOOTBALL DREAM NEXT
2012 SMILE AGAIN with PRIDE
2013 RENASCIMENTO - 誇りを胸に -
2014 SPECTACLE - 戦 -

サポーター・ファンクラブ[編集]

ファンクラブ[編集]

「SOCIOメンバー」、「MEGAメンバー」、「フリークスメンバー」、「ファミリーメンバー」の4種類がある。その中でも「フリークスメンバー」が一般的な会員カテゴリで、会員数が最も多い。特典として月刊アントラーズフリークスの送付やホームゲームチケットの先行割引販売、グッズの割引販売、グッズ・チケットの購入時やホームゲーム来場時などに付与されるポイントシステムなどがある。

サポーター[編集]

IN.FIGHTという1991年の創設から鹿島サポーターの中心として活動を続けているサポーター集団がある。浦和レッドダイヤモンズのサポーター集団などと並んで熱狂的な応援を続けていることで知られる[18]。2000年代以降、ゴール裏では世代交代が進み、応援に対する意識も変化を見せていると言われるが、「ゴール裏から発信される声援で選手や監督を後押しし、試合全体の流れを変えるくらいの気迫で応援する」との基本的な姿勢は変わらないという。

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ A3チャンピオンズカップスルガ銀行チャンピオンシップスーパーカップを含めると24冠である。
  2. ^ a b 現在、リーグと天皇杯の2冠を達成したのは鹿島(2000年、2007年)と浦和(2006年)のみ。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n クラブガイド:鹿島アントラーズ”. 日本プロサッカーリーグ. 2014年7月23日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g 2013年度(平成25年度)Jクラブ個別情報開示資料 (PDF) Jリーグ公式サイト、2014年7月23日閲覧
  3. ^ 因みにシャルケで活躍する内田は、この試合が移籍前の国内最後となった。
  4. ^ 3カ月程度かかる鹿島 メド立たないスタジアム修復”. スポーツニッポン (2011年3月16日). 2011年3月16日閲覧。
  5. ^ トップチームの活動休止に関して”. 鹿島アントラーズオフィシャルサイト (2011年3月15日). 2011年3月15日閲覧。
  6. ^ ジョルジーニョ監督の退任について”. 鹿島アントラーズ オフィシャルサイト (2012年11月29日). 2012年11月30日閲覧。
  7. ^ ジャイール選手との契約が満了”. 鹿島アントラーズオフィシャルサイト (2014年7月2日). 2014年7月2日閲覧。
  8. ^ 中川選手の現役引退について - 鹿島公式サイト 2014年1月31日 参考
  9. ^ ダニー石尾さんのご逝去と神戸戦での追悼セレモニーについて”. 鹿島アントラーズオフィシャルサイト (2014年4月17日). 2014年4月26日閲覧。
  10. ^ ダニー石尾さん追悼セレモニー”. 鹿島アントラーズオフィシャルサイト (2014年4月22日). 2014年4月26日閲覧。
  11. ^ ダニー石尾さんお別れ会について”. 鹿島アントラーズオフィシャルサイト. 2014年5月16日閲覧。
  12. ^ ダニー石尾さんお別れ会”. 鹿島アントラーズオフィシャルサイト. 2014年6月5日閲覧。
  13. ^ スタジアム概要 LED帯状映像装置”. 鹿島アントラーズオフィシャルサイト. 2008年10月20日閲覧。
  14. ^ アジア初の約500メートル帯状映像装置お披露目”. Jリーグ公式サイト (2008年9月13日). 2008年10月18日閲覧。
  15. ^ 日本初グリーン電力100%で開催されるJ1マッチのお知らせ”. 鹿島アントラーズオフィシャルサイト (2006年11月30日). 2010年10月16日閲覧。
  16. ^ アントラーズ・エコプログラムがクールビズ・アース2009を受賞”. 鹿島アントラーズオフィシャルサイト (2009年11月25日). 2010年10月16日閲覧。
  17. ^ スタジアムへの中継設備の導入について”. 鹿島アントラーズオフィシャルサイト (2013年2月15日). 2013年3月11日閲覧。
  18. ^ 清尾淳『浦和レッズの快感 すきにならずにいられない』あすとろ出版、1998年、22頁

関連項目[編集]

外部リンク[編集]