鹿島アントラーズ

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鹿島アントラーズ
原語表記 鹿島アントラーズ
愛称 アントラーズ
クラブカラー      ディープレッド
創設年 1947年
所属リーグ 日本プロサッカーリーグ
所属ディビジョン Jリーグ ディビジョン1
ホームタウン 茨城県鹿嶋市神栖市潮来市鉾田市行方市
ホームスタジアム
Kashima Soccer Stadium 5.jpg
茨城県立カシマサッカースタジアム
収容人数 40,728
運営法人 株式会社鹿島アントラーズ・エフ・シー
代表者 井畑滋
監督 ブラジルの旗 ジョルジーニョ
公式サイト 公式サイト
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ
株式会社鹿島アントラーズ・エフ・シー
Kashima Antlers F.C. Co., Ltd.
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 日本の旗 日本
〒314-0021
茨城県鹿嶋市粟生東山2887
設立 1991年10月1日
業種 サービス業
事業内容 サッカークラブの運営
代表者 井畑滋(代表取締役社長
資本金 15億7,000万円
売上高 44億6,600万円(2011年1月期)
営業利益 1,700万円(2011年1月期)
純利益 1,400万円(2011年1月期)
決算期 1月期
主要株主 住友金属工業
関係する人物 鈴木昌
大東和美
外部リンク http://www.so-net.ne.jp/antlers
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鹿島アントラーズ(かしまアントラーズ、Kashima Antlers)は、日本茨城県鹿嶋市神栖市潮来市鉾田市行方市にホームを置く、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。

目次

[編集] 概要

チーム母体は1947年に創設された住友金属工業蹴球団で、1991年のJリーグ加盟時に鹿島アントラーズに改称した。Jリーグ創設時からの加盟チーム(オリジナル10)の一つである。ホームタウン茨城県鹿嶋市(合併前は鹿島郡鹿島町と大野村)・潮来市(合併前は行方郡潮来町と牛堀町)・神栖市(合併前は鹿島郡神栖町と波崎町)に2006年からは鉾田市行方市も加わった。1995年鹿嶋市が誕生して以後もチーム名は地域名の鹿島のまま。なお当時ホームタウンは原則として1チーム1市区町村だったが、鹿島に限り特例で周辺市町村との広域ホームタウンが認められた。

ホームスタジアムは茨城県立カシマサッカースタジアムで、練習場は鹿島アントラーズクラブハウスグラウンドを使用している。

チーム名の「アントラー(antler)」は英語鹿の枝角を意味し、鹿島神宮の神鹿にちなみ、枝角は茨城県の茨をイメージしている。その鋭い枝角で勇猛果敢に立ち向かい勝利を目指すという意味も込められている。チーム発足時からクラブのアイデンティティとして「FOOTBALL DREAM」を常に掲げている。クラブマスコットは、クラブ創設時より「しかお」。シカをモチーフにしたキャラクターである。さらに1997年3月2日に「しかお」と結婚したと言う設定で、「しかこ」が登場。1999年8月1日にしかおとしかこの間に誕生したと言う設定で「アントン」が登場した。

[編集] 事業展開

主たる事業はサッカークラブの運営であるが、サッカー以外にもミニバスケットボール大会、テニススクール、剣道教室の開催などJリーグ百年構想の一環として取り組んできた。また、2006年よりホームスタジアムである茨城県立カシマサッカースタジアム指定管理者となり、指定管理者の利点を活用した事業にも積極的に取り組んでいる。詳細は後述を参照。

[編集] クラブの特徴

国内の3大タイトル(Jリーグナビスコカップ天皇杯)において、Jリーグ史上最多の15冠(A3チャンピオンズカップスーパーカップを含めると21冠)かつそれぞれのタイトルにおいて最多優勝回数を誇る。2000年シーズンにはJリーグ、ナビスコカップ、天皇杯と国内3大タイトル全てを制し、Jリーグ発足後初の3冠とJリーグ3連覇(2007年 - 2009年)を達成している唯一のクラブでもある。

戦術面では監督の意向や選手の特徴によってシステムを頻繁に変えるチームが多いJリーグにおいて、開幕からDFを4人配置する4バックでほとんどの試合を戦っている。また代行監督を除くと一貫してブラジル人指導者が監督を務め、外国人枠で獲得する選手は、2009年より導入されたアジア枠の選手を除き、すべてブラジル人であることも特徴である。

[編集] 歴史

[編集] 住友金属時代

1947年創部の住友金属蹴球同好会(1956年住友金属工業蹴球団へ改称)が前身となり、1973年日本サッカーリーグ(JSL)2部、1985年にJSL1部へ昇格した。なお、1975年大阪市から茨城県鹿島町(現・鹿嶋市)に本拠地を移転した。

1989年にプロサッカーリーグ設立が具体化したのを受けて、1990年住友金属工業の「2000年ビジョン」の指針が発端となって、茨城県鹿島町長を含めた7名が当時JSL2部に所属していた住友金属工業蹴球団のプロリーグ参加を協会に要望した。

1991年ブラジル代表主将を務めたジーコが加入(川淵によると、「当初、紹介した古河電工(現:ジェフユナイテッド千葉)にそのまま加入してもらおうと思っていたが、当の古河電工はジーコ入団に難色を示し、その後断りをいれた。そのため、新たに住友金属を紹介したところ、住友金属のアピールもあって、ジーコの入団が実現した」と話している)。当時チームは2部リーグであったが、ジーコのスーパープレーは他チームの選手を翻弄した。

結果、日本初の本格的サッカー専用スタジアムとして建設された茨城県立カシマサッカースタジアムをホームスタジアムとして、念願だったJリーグ加盟をJリーグ発足初年度に果たし、チーム名を「鹿島アントラーズ」と改称、プロクラブとして新たなスタートを切った。

なお、Jリーグ最初の公式戦、1992年のJリーグカップは、鹿島主管試合は笠松運動公園陸上競技場を主として国立霞ヶ丘陸上競技場西京極球技場(西京極での試合はガンバ大阪が相手であった)で行っている。

[編集] 1993年 - 1999年

1993年
初代監督には本田技研サッカー部前監督・宮本征勝が就任。長谷川祥之本田泰人など本田技研の選手、ジーコ、アルシンドなどブラジル人選手を中心にJリーグ開幕を迎えた。
1993年5月16日の開幕戦はカシマサッカースタジアムに名古屋グランパスエイトを迎えたホームゲームで「ジーコとゲーリー・リネカーの対決」が注目されたが、ジーコのハットトリックとアルシンドの2ゴールで5-0で圧勝した。旧本田勢に加えて大卒新人の秋田豊がレギュラーを獲得した。開幕シリーズである1993年1stステージを制覇したが、1994年1月に国立霞ヶ丘陸上競技場で行われたJリーグチャンピオンシップヴェルディ川崎に敗れ(1分1敗)、初代年間王者は獲得できなかった。第2戦ではジーコが三浦知良のPKの際にボールへつばを吐く非紳士的行為で退場(この日2枚目の警告)となり、大きな話題となった。また、開幕戦の圧勝から1stステージ優勝に至る快進撃により、鹿島町は「サッカーの町」として全国的に認知され、周辺人口の少なさから低調な観客動員が危惧されていたカシマサッカースタジアムは毎試合超満員となり、チケット入手が非常に困難なスタジアムとして知られるようになった。
1994年
リーグ戦のサントリーステージ(1stステージ)終了後にジーコが現役を引退したが、その後もテクニカル・アドバイザーとしてチームに関わり、実兄のエドゥーが宮本の後任監督として指揮を執った。また、この年にアメリカW杯ブラジル代表として出場したレオナルドが加入。1994年シーズンのリーグ戦でアルシンドが、鹿島でシーズン最多の28得点を記録。
1995年
ジョルジーニョが加入。前年加入のレオナルドなど彼らの活躍で鹿島は強豪としての地位を築いていった。これ以後も鹿島にはジーコの人脈を生かした優秀なブラジル人選手が加入し、チームを勝利へ導いた。これは、J1に在籍経験のあるJリーグクラブの中で、鹿島が2009年まで唯一ブラジル国籍以外の外国籍選手を獲得した事がない歴史につながっている。リーグ戦は年間順位が7位、天皇杯はベスト4で終え、監督のエドゥーが退任した。
1996年
ジョアン・カルロスが監督に就任。1シーズン制で行われたリーグ戦で初優勝に輝くが、チャンピオンズファイナルでは決勝で名古屋に敗れ、シーズン完全優勝は逃した。
1997年
川崎からビスマルク平塚から名良橋晃を獲得。ゼロックススーパーカップで初優勝を果たした。リーグ戦はサントリーステージ(1stステージ)で優勝。チャンピオンシップでは2ndステージ優勝のジュビロ磐田に2連敗でタイトルはならなかった。しかし、ヤマザキナビスコカップ天皇杯を初制覇して「カップ・ダブル」を達成した。
1998年
ゼロックス・スーパーカップで2年連続優勝を果たす。シーズン中断中にジョアン・カルロスとジョルジーニョとの意見が合わず、ジョアン・カルロスをシーズン途中に監督辞任、リーグ戦中断明けの1stステージの残りを関塚隆が監督代行として指揮をとる。2ndステージ開始前にゼ・マリオを監督に招聘。9月23日に長谷川が清水戦で、クラブ初の在籍通算100得点目を達成。チャンピオンシップで磐田を下して、2度目のリーグ年間優勝を果たした。この年のリーグ戦で柳沢敦が、22得点を記録。また、同年のフランスW杯では日本代表に鹿島から秋田豊、名良橋晃、相馬直樹の3人が選ばれ、いずれも日本が戦った全3試合に出場した。この年の2ndステージ第5節の福岡戦から翌1999年第3節広島戦まで16連勝した。
1999年
2002 FIFAワールドカップ開催へ向けたカシマサッカースタジアムの改修工事が始まり、リーグ戦1stステージの主催試合は国立霞ヶ丘陸上競技場で開催。1998-99年シーズンのアジアカップウィナーズカップで3位に入賞。ただし、この年はゼロックス・スーパーカップで3連覇を達成したに留まった。シーズン途中で監督のゼ・マリオを解任し、2ndステージ途中からジーコが総監督として指揮を執った。なお、9月23日の市原戦で、Jリーグクラブ最速のリーグ戦通算500得点を達成した。

[編集] 2000年 - 2002年

2000年
ジーコと共に「黄金のカルテット」をブラジル代表で構成したトニーニョ・セレーゾが監督に就任。この年にJリーグヤマザキナビスコカップ天皇杯を制覇し、Jリーグ発足以来初の三冠を達成した。
2001年
2000年シーズンの三冠達成を称えて茨城県から県民栄誉賞を受賞。リーグ戦の1stステージは前年の天皇杯で負傷した相馬直樹など主力選手の怪我が相次ぎ11位と低迷するものの、2ndステージは相馬の穴を埋めるべく加入したアウグストの活躍で優勝。チャンピオンシップで磐田を破り、リーグ連覇を果たす。
2002年
リーグ戦は絶好調の磐田を止められず3連覇を逃したが、ヤマザキナビスコカップは決勝で初タイトルを狙った浦和レッドダイヤモンズを1-0で下し優勝。なお、2002 FIFAワールドカップ日本代表に秋田豊、鈴木隆行、柳沢敦、中田浩二小笠原満男曽ヶ端準の6人(クラブ別では最多)が選出された。鈴木は初戦のベルギー戦でゴールを決め、鹿島所属として初のW杯得点者となった。大会終了後にはジーコが日本代表監督に就任し、テクニカルディレクターを辞任した。また、鈴木隆行はベルギーKRCヘンクへ移籍した。

[編集] 2003年 - 2006年

2003年
A3チャンピオンズカップでは初代王者となった。柳沢敦イタリアサンプドリアへ期限付きで移籍(2005年にFCメッシーナへ完全移籍)した。ヤマザキナビスコカップは2年連続で決勝に進出するも浦和に0-4で敗れ、連覇はならなかった。
2004年
リーグ戦は1stステージ5位、2ndステージ4位に終わった。ヤマザキナビスコカップ天皇杯ともにベスト8で敗退し、タイトルを獲得できずにシーズンを終える。
2005年
J1が1ステージ制に移行したリーグ戦では開幕ダッシュに成功。一時は2位に勝ち点差10以上をつけたが、中盤に入るとG大阪や浦和、千葉、C大阪に追いつかれ、優勝の可能性が残っていた最終節では勝利したものの、結局3位でシーズンを終えた。なお、2004年同様にヤマザキナビスコカップ天皇杯の獲得はならなかった。中田浩二フランスマルセイユに移籍。シーズンの終了後、6年に渡り監督を務めたトニーニョ・セレーゾが勇退した。
2006年
サンパウロFC元監督のパウロ・アウトゥオリが監督に就任。リーグ戦柳沢敦の復帰、高卒ルーキーのサイドバック内田篤人の活躍などがあったが、シーズン途中に大黒柱だった小笠原満男FCメッシーナイタリア)へ翌年6月までの期限付きで移籍などにより成績は伸び悩んだ。一方でヤマザキナビスコカップでは3年ぶりに決勝に進出したが、10冠がかかった決勝で千葉に敗戦した。天皇杯では、同年限りで引退を表明した本田泰人を優勝で送り出そうとするも準決勝で浦和に敗れた。結局、パウロ・アウトゥオリは1年で監督を退任した。なお、2006 FIFAワールドカップ日本代表には小笠原満男と柳沢敦が選出された。

[編集] 2007年 - 2011年

2007年
コリンチャンスやサンパウロFCなどで監督を歴任したオズワルド・オリヴェイラ(ブラジル)が監督に就任。リーグ戦では、開幕から5試合勝ち星がなかったが、終盤の9連勝などで6年ぶり5回目のリーグ優勝を果たし、同時にクラブの悲願だった「10冠」を達成した。最終節まで1度も首位に立たなかったチームが最終節で逆転優勝したのはJリーグ史上初めての記録であり、1シーズン制でのリーグ戦通算22勝はチーム最多勝となった。また、アウェイ浦和戦でリーグ史上最速となるリーグ通算300勝を達成している。
ヤマザキナビスコカップは、準決勝でG大阪に1勝1敗ながらアウェーゴール数の差で敗退。
天皇杯は、決勝で広島と対戦し2-0で勝利。自身2度目となるリーグ戦との2冠を達成した[1]
1月9日、鹿嶋市から11冠達成を称え特別功労賞が贈られ、2月1日には茨城県から県民栄誉賞(2000年度以来2度目)を授与された。
なお、7月29日には前年に引退した本田泰人の引退試合が、1993年のJリーグチャンピオンシップの出場メンバーを中心にした「鹿島アントラーズ1993対ヴェルディ1993」としてカシマサッカースタジアムで開催され、鹿島アントラーズ1993が4-2で勝利した。
2008年
ゼロックス・スーパーカップはJ2チームとしては初出場の広島と対戦し、2点をリードするも終了間際に追いつかれ、PK戦の末に敗れた。リーグ戦は、1シーズン制導入後初めてとなるJリーグ2連覇を達成。この年のリーグ戦でマルキーニョスが、鹿島初のJリーグ得点王を獲得(21得点)。
AFCチャンピオンズリーグ2008では、日本のクラブチームでACLグループリーグ最多得点となる6戦合計28得点をあげてクラブ初の決勝トーナメント進出を決め、ベスト8。
9月20日のアウェー・柏レイソル戦(日立柏サッカー場)において、フリーキックにそなえるアレックスに鹿島サポーターが巨大フラッグで威嚇し、その旗竿がぶつかるという事件が発生した。Jリーグは「鹿島サポーターに禁止行為である最前列での大旗の使用を制止する措置を講ずることができず、選手等の安全を確保できなかった」として、主催クラブの柏に制裁金200万円を科した。また鹿島側にも、主管クラブへの協力が不足していたことを理由として100万円の制裁金が科された。[2]
2009年
第87回全国高等学校サッカー選手権大会で大会新記録の10ゴールを挙げた鹿児島城西高校大迫勇也、鹿島では史上初となるブラジル人以外の外国籍選手である、韓国人のパク・チュホを獲得した。
2月1日には、クラブへ貢献した選手などに対する殿堂として第1回アントラーズ功労賞が発表され、功労賞受賞者の1人でもある秋田豊の引退試合が行われた。同月28日に富士ゼロックス・スーパーカップのタイトルをかけてG大阪と対戦、3-0で勝利し10年ぶり4回目の優勝を果たした。
リーグ戦では3連覇への好スタートを切ったが、夏場から秋口にかけて5連敗を喫するも、Jリーグ発足史上初の3連覇を達成した。
AFCチャンピオンズリーグ2009は2年連続決勝トーナメント進出を決めたが、ラウンド16で韓国のFCソウルにPK戦の末敗れ、ベスト16での敗退となった。
2010年
補強としては、広島から佐藤昭大新潟でプレーしたジウトンポルト・アレグレからレンタル移籍で、京都からイ・ジョンスブラジル2部リーグポルトゲーザからフェリペ・ガブリエルを完全移籍で獲得し、ユースから八木直生が昇格、レンタル移籍で移籍していた鈴木修人湘南)、船山祐二C大阪)が復帰した。
2月27日、富士ゼロックス・スーパーカップ史上初同一クラブ2度目の2連覇を目指してG大阪と対戦し、PK戦による勝利で5度目の優勝となった。
リーグ戦は、失点数や敗戦はリーグで最少だったものの、引き分けが12と勝ち切れない試合の多さが響きリーグ4連覇を逃し、4位で終了した。
6月に行われた2010 FIFAワールドカップの日本代表に内田篤人岩政大樹韓国代表にイ・ジョンスが選出され、イ・ジョンスは本大会で2得点を記録。7月には、内田篤人ドイツシャルケ04イ・ジョンスカタールアル・サッドに移籍した。
AFCチャンピオンズリーグ2010は日本クラブ史上初となるグループリーグ6戦全勝で3年連続の決勝トーナメント進出をするも、ラウンド16で前回王者の浦項スティーラースに敗れ、2年連続ベスト16での敗退となった。
天皇杯では清水を2-1で破り、3大会ぶり4度目の優勝。この優勝により、Jリーグ発足後史上初の4季連続国内三大タイトル獲得を成し遂げ、ACL出場権も獲得した。
またこのシーズンをもって長年、鹿島のDFを支えた大岩剛が現役を引退。さらに、笠井健太ジウトンと契約を結ばず、マルキーニョス船山祐二(山形)、大道広幸岡山)が完全移籍、川俣慎一郎仙台)、川島大地(山形)、宮崎智彦横浜FC)、鈴木修人栃木SC)、佐々木竜太湘南)がレンタル移籍となった。
2011年
クラブは創立20周年を迎えた。青森山田高校から柴崎岳米子北高校から昌子源関西大第一高校から梅鉢貴秀を獲得。鹿島ユースから土居聖真が昇格。補強として札幌から昨年新潟にレンタル移籍していた西大伍を、ウニオン・レイリアからカルロンを、千葉からアレックスを、清水から本田拓也を完全移籍で、山形にレンタル移籍していた田代有三増田誓志が復帰、レンタル移籍だった佐藤昭大が完全移籍、クラブ初となるアマチュアからの選手でブラジルのCFZ・ド・リオから父親がチームOBのアルシンドであるイゴールをC契約で獲得した。
2月26日の富士ゼロックス・スーパーカップで名古屋と対戦。PK戦の末、準優勝に終わり、同大会2度目の3連覇とはならなかった[3]
リーグ戦は、6位に終わる。
また、東北地方太平洋沖地震の影響で、スタジアムやクラブハウスなどの施設が被害を受けたことなどもあり[4]、3月15日から27日までチームの活動を休止していた[5]。その後、東日本大震災復興支援として水戸ホーリーホックや茨城県サッカー協会と共同で「WITH HOPEプロジェクト」を立ち上げ、茨城県の復興支援活動を開始。6月4日にはカシマサッカースタジアムで「震災復興チャリティーイベント SMILE AGAIN〜YELL FROM KASHIMA〜」が開催された。
7月には伊野波雅彦クロアチアハイデュク・スプリトに完全移籍、カルロンがヌーシャテル・ザマックスにレンタル移籍(その後SCブラガへレンタル移籍)したが、フルミネンセFCからタルタをレンタル移籍で獲得した。
4年連続で出場となったAFCチャンピオンズリーグ2011は、グループリーグ無敗で3年連続ラウンド16進出をするもFCソウルに敗れ、3年連続ベスト16での敗退となった。
ヤマザキナビスコカップでは史上最多の7度目の決勝進出。決勝での同チーム同士では大会最多タイの3度目となる浦和レッズと対戦、延長に大迫勇也の得点で、1-0で勝利し、9年ぶり4度目の優勝を飾り、国内三大タイトルを5年続けて獲得したのは史上初。
連覇を狙った天皇杯では、4回戦でJ2の京都に敗れ、ベスト16で敗退となった。
国内3大大会でクラブ最多となる6タイトルをもたらした監督のオズワルド・オリヴェイラが退任、コーチの奥野僚右は山形の監督に就任することとなった。杉山哲札幌)、タルタポルトゲーザ・デスポルトス)、當間建文鈴木修人栃木SC)、小谷野顕治新潟)、田代有三野沢拓也神戸)、フェリペ・ガブリエルボタフォゴ)が完全移籍、横浜FCにレンタル移籍していた宮崎智彦磐田へレンタル移籍、イゴールが退団した。

[編集] 2012年 -

2012年
クラブ史上初のOB監督となるジョルジーニョが就任。補強として川崎からジュニーニョを、福岡から岡本英也を完全移籍で獲得。レンタル移籍していた川俣慎一郎仙台)、佐々木竜太湘南)が復帰。流通経済大学から山村和也静岡学園高校から伊東幸敏を獲得。鹿島ユースからは鈴木隆雅中川義貴宮内龍汰が昇格した。

[編集] 所属選手

2011年 Jリーグ 第10節 スターティングメンバー

Soccer.Field Transparant.png

曽ヶ端
# 21
西
# 22
岩政
# 3
中田
# 6
アレックス
# 5
小笠原
# 40
増田
# 14
フェリペ
# 11
野沢
# 8
田代
#30
大迫
# 9

ジーコが所属していたこともあり、ブラジルのサッカー界とも強いパイプを持つ。Jリーグが開幕した1993年以降、所属した外国籍選手は「アジア人枠」を利用して獲得した韓国パク・チュホ(2009年)、イ・ジョンス(2010年)以外は全員ブラジル人選手である。ジョルジーニョレオナルドベベットなど、サッカー王国ブラジルでも代表をして活躍するなど一線級に値する選手たちが過去に鹿島でプレーした。

一方で、他のJリーグクラブからの日本人移籍獲得選手数(復帰を除く)が極端に少ない。

[編集] 代表選手

これまで数多くの日本代表選手を輩出している。

[編集] アントラーズ功労賞

クラブの発展に貢献した選手、監督を顕彰するために設けられた賞である。カシマサッカーミュージアムの中にある「THE HALL OF LEGEND」にて記念される。現役選手および鹿島で在任中のスタッフは選考から外される。

Pos. 受賞年 受賞者
監督 2009年 宮本征勝トニーニョ・セレーゾ
2011年 オズワルド・オリヴェイラ
DF 2009年 秋田豊相馬直樹名良橋晃
MF 2009年 ジーコジョルジーニョビスマルク本田泰人
FW 2009年 長谷川祥之黒崎久志

[編集] 成績と歴代監督

国内3大タイトル(Jリーグ年間ナビスコカップ天皇杯)とスーパーカップの獲得回数は全て最多である。リーグ戦においては、二桁順位でシーズンを終えたことがない唯一のクラブである。

国内3大大会成績
Jリーグ ディビジョン1 Jリーグカップ 天皇杯全日本サッカー選手権大会
順位 回数 年度 成績 回数 年度 成績 回数 年度
優勝 7 1996, 1998, 2000, 2001, 2007, 2008, 2009 優勝 4 1997, 2000, 2002, 2011 優勝 4 1997, 2000, 2007, 2010
2位 2 1993, 1997 準優勝 3 1999, 2003, 2006 準優勝 2 1993, 2002
3位 2 1994, 2005 ベスト4 4 1992, 1998, 2001, 2007 ベスト4 4 1995, 1998, 2003, 2006
4位 2 2002, 2010 ベスト8 4 2004, 2008, 2009, 2010 ベスト8 6 1992, 1996, 2001, 2004, 2005, 2009
5位 1 2003 1回戦敗退 1 1994 ベスト16 3 1999, 2008, 2011
6位 3 2004, 2006, 2011 予選敗退 3 1993, 1996, 2005 1回戦敗退 1 1994
7位 1 1995
9位 1 1999

[編集] 監督

前述の外国籍選手と同様、外国籍監督もブラジル人監督であり、ジーコの兄であるエドゥーや、ジーコと共にブラジル代表の「黄金の中盤(黄金のカルテット)」として活躍した一人であるトニーニョ・セレーゾなど、ブラジル国内でも実績を上げた名将監督が数々このチームを指揮を執っている。また初代の監督である宮本征勝が1994年監督退任後、このチームで指揮した日本人正監督は一人もおらず、すべてブラジル人監督を招聘している。

鹿島アントラーズ歴代監督
監督 期間 J
/
J1




X
S
C

C
W
C
A
C
L
A
3
C


備考
日本の旗 宮本征勝 1992年 - 1994年6月 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
ブラジルの旗 エドゥー 1994年6月 - 1995年 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
ブラジルの旗 ジョアン・カルロス 1996年 - 1998年7月 1 1 1 2 5 0 0 0 0 5
日本の旗 関塚隆 1998年7月、1999年8月 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 監督代行
ブラジルの旗 ゼ・マリオ 1998年8月 - 1999年8月 0 0 0 1 1 0 0 0 0 1
ブラジルの旗 ジーコ 1999年8月 - 12月 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 監督代行
ブラジルの旗 トニーニョ・セレーゾ 2000年 - 2005年 2 2 1 0 5 0 0 1 1 6
ブラジルの旗 パウロ・アウトゥオリ 2006年 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
ブラジルの旗 オズワルド・オリヴェイラ 2007年 - 2011年 3 1 2 2 8 0 0 0 0 8
ブラジルの旗 ジョルジーニョ 2012年 - 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0

[編集] 国際試合

2012年現在AFCチャンピオンズリーグ(ACL)に5回出場(アジアクラブ選手権アジアカップウィナーズ選手権を含めると9回出場)し、最高成績は2008年のベスト8である。これまでに国際大会で獲得したタイトルは2003年のA3チャンピオンズカップのみで、ACLでは4年連続トーナメント1回戦(2008年はベスト8、2009年以降はベスト16)で敗退するなど、国内での実績に比べると国際大会の成績は芳しくないのが現状である。

[編集] 対戦通算成績と得失点

[編集] 国際試合一覧

  • ACL決勝トーナメントでPK戦となった試合は引き分け扱い。

[編集] ダービーマッチ

[編集] タイトル

[編集] 国内タイトル

[編集] 国際タイトル

[編集] 表彰

Jリーグ
ナビスコ杯

[編集] その他受賞

[編集] クラブ記録

[編集] クラブ通算記録

公式戦通算勝利数
通算勝利 試合 備考
初勝利 1992年9月5日 ナビスコカップ第1節 対横浜フリューゲルス(笠松)
400勝 2007年5月12日 J1第11節 対ジュビロ磐田(カシマ) リーグ最速達成
リーグ戦通算勝利数
通算勝利 試合 備考
初勝利 1993年5月16日 サントリー第1節 対名古屋グランパスエイト(カシマ)
100勝 1997年4月12日 1st第1節 対ヴィッセル神戸(カシマ)
200勝 2001年11月17日 1st第14節 対東京ヴェルディ1969(カシマ) リーグ最速達成
300勝 2007年11月24日 第33節 対浦和レッドダイヤモンズ(埼玉) リーグ最速達成
リーグ戦通算得点
通算得点 試合 得点者 備考
初得点 1993年5月16日 サントリー第1節 対名古屋グランパスエイト(カシマ) ブラジルの旗 ジーコ
100得点 1994年5月18日 サントリー第17節 対名古屋グランパスエイト(カシマ) ブラジルの旗 サントス
200得点 1995年8月16日 ニコス第2節 対ジュビロ磐田(磐田) 日本の旗 黒崎比差支
300得点 1996年10月30日 第27節 対ジュビロ磐田(カシマ) ブラジルの旗 マジーニョ
400得点 1998年4月11日 1st第5節 対柏レイソル(国立) 日本の旗 眞中靖夫
500得点 1999年9月23日 2nd第10節 対ジェフユナイテッド市原(国立) 日本の旗 長谷川祥之 リーグ最速達成
600得点 2001年9月29日 2nd第7節 対名古屋グランパスエイト(カシマ) 日本の旗 中田浩二 リーグ最速達成
700得点 2003年10月18日 2nd第10節 対清水エスパルス(カシマ) 日本の旗 相馬直樹 リーグ最速達成
800得点 2005年10月1日 第26節 対ジェフユナイテッド千葉(カシマ) ブラジルの旗 アレックス・ミネイロ リーグ最速達成
900得点 2007年8月12日 第19節 対ヴァンフォーレ甲府(小瀬) 日本の旗 野沢拓也 リーグ最速達成
1000得点 2009年4月29日 第8節 対ヴィッセル神戸(カシマ) 日本の旗 岩政大樹 リーグ最速達成
1100得点 2011年5月21日 第12節 対浦和レッドダイヤモンズ(埼玉) 日本の旗 増田誓志 リーグ最速達成

[編集] 連勝記録

リーグ戦連勝記録
1993年 - 2002年(延長戦およびPK戦による勝利を含む)
連勝 期間 備考
16連勝 1998年 2nd第5節 対アビスパ福岡(博多球) - 1999年 1st第3節 対サンフレッチェ広島(カシマ) リーグ最高記録(2010年時点)
2003年 - (延長Vゴール方式廃止以降)
連勝 期間 備考
14連勝 2007年 第26節 対アルビレックス新潟(カシマ) - 2008年 第5節 対ジェフユナイテッド千葉(カシマ) リーグ最高記録(2010年時点)
リーグ戦年間連勝記録
1993年 - 2002年(延長戦およびPK戦による勝利を含む)
連勝 期間
13連勝 1998年 2nd第5節 対アビスパ福岡(博多球) - 第17節 対ヴィッセル神戸(カシマ)
2003年 - (延長Vゴール方式廃止以降)
連勝 期間
9連勝 2007年 第26節 対アルビレックス新潟(カシマ) - 第34節 対清水エスパルス(カシマ)

[編集] 無敗記録

リーグ戦無敗記録
無敗 期間 備考
17試合 2009年 J1第3節 サンフレッチェ広島(カシマ) - 2009年 J1第19節 対柏レイソル(カシマ) リーグ最高記録(2010年時点)

[編集] 無連敗記録

公式戦無連敗記録
無連敗 期間
75試合 2007年3月17日 J1第3節 対ジェフユナイテッド千葉(フクアリ) - 2009年3月11日 ACL2009第1節 対水原三星ブルーウィングス(水原)

[編集] 最多得点試合

リーグ戦最多得点試合
スコア 試合
7 - 2 2005年8月24日 第20節 対アルビレックス新潟(カシマ)
7 - 0 1997年8月9日 2nd第4節 対名古屋グランパスエイト(カシマ)
公式戦最多得点試合
スコア 試合
16 - 0 1999年10月23日 アジアクラブ選手権2回戦 対バレンシア(ひたちなか)

[編集] 最多失点試合

リーグ戦・公式戦最多失点試合
スコア 試合
0 - 7 1995年5月3日 1st第13節 対ベルマーレ平塚(平塚)

[編集] 最少被シュート数

リーグ戦最多得点試合
被シュート数 スコア 試合 備考
0本 2 - 0 2009年11月8日 第31節 対モンテディオ山形(カシマ) リーグ初記録

[編集] 個人記録

[編集] ハットトリック

4得点
  • 日本の旗 柳沢敦【1998年4月4日 1st第4節 対京都パープルサンガ】
3得点
  • ブラジルの旗 ジーコ【1993年5月16日 サントリー第1節 対名古屋グランパスエイト】 - リーグ初記録
  • ブラジルの旗 アルシンド【1993年6月19日 サントリー第11節 対名古屋グランパスエイト】
  • 日本の旗 長谷川祥之【1995年8月26日 NICOS第5節 対ガンバ大阪】
  • ブラジルの旗 マジーニョ【1997年4月12日 1st第1節 対ヴィッセル神戸】
  • 日本の旗 長谷川祥之【1997年9月20日 2nd第13節 対ベルマーレ平塚】
  • 日本の旗 柳沢敦【1998年5月5日 1st第11節 対ジュビロ磐田】
  • 日本の旗 平瀬智行【2000年4月29日 1st第9節 対ヴィッセル神戸】
  • 日本の旗 鈴木隆行【2004年9月18日 2nd第5節 対ジュビロ磐田】
  • 日本の旗 柳沢敦【2006年3月5日 第1節 対サンフレッチェ広島】
  • ブラジルの旗 フェルナンド【2006年9月24日 第24節 対FC東京】
  • 日本の旗 野沢拓也【2006年12月2日 第34節 対ジュビロ磐田】
  • ブラジルの旗 マルキーニョス【2010年9月18日 第23節 対大宮アルディージャ】

[編集] リーグ戦最年少得点

  • 日本の旗 内田篤人 - 17歳11ヵ月22日【2006年 J1第4節 対ヴァンフォーレ甲府】

[編集] リーグ戦連続得点

  • ブラジルの旗 マルキーニョス - 7試合【2008年8月16日 J1第21節 対東京ヴェルディ - 10月1日 第26節 対大宮アルディージャ】

[編集] リーグ戦シーズン連続得点

[編集] リーグ戦シーズン最多得点

  • ブラジルの旗 アルシンド - 28得点(1994年)

[編集] 出場記録

2011年12月3日時点。他チームでの出場やユース登録時の出場を含む。

公式戦通算最多出場
リーグ戦

[編集] 最多得点

公式戦
リーグ戦
  • 日本の旗 長谷川祥之 - 89得点
ナビスコ杯
  • 日本の旗 長谷川祥之 - 23得点
天皇杯
  • ブラジルの旗 マジーニョ - 13得点
スーパーカップ
国際大会
  • ブラジルの旗 マルキーニョス - 11得点

[編集] 観客動員記録

最多観客動員試合(ホーム)
  • 茨城県立カシマサッカースタジアム
    • 39,684人 - 2003年7月5日 1stステージ第11節 対ジュビロ磐田(2002年 一部改修後)
      • 40,115人 - 2001年12月8日 チャンピオンシップ第2戦 対ジュビロ磐田(2001年 改修後)
      • 16,944人 - 1998年11月14日 2nd第17節 対ヴィッセル神戸(2001年 改修前)
  • 国立霞ヶ丘競技場
    • 51,575人 - 1999年5月5日 1stステージ第11節 対ジュビロ磐田
通算観客動員記録(リーグ戦ホームゲーム)
  • 500万人達成 - 2009年7月25日 第19節 対柏レイソル
年度別観客動員記録(リーグ戦ホームゲーム)
年度 合計
動員数
最多動員数 最少動員数 平均
動員数
試合数 ホーム試合会場
動員数 試合日 対戦 会場 動員数 試合日 対戦 会場
1993 252,291 15,777 6月23日(水) V川崎 カシマ 9,403 5月19日(水) 横浜F カシマ 14,016 18 カシマ:18
1994 369,862 50,724 8月20日(土) 清水 国立 13,734 4月9日(土) G大阪 16,812 22 カシマ:21, 国立:1
1995 497,665 50,093 10月14日(土) 名古屋 15,144 3月25日(土) 広島 19,141 26 カシマ:22, 国立:3, 金沢:1
1996 230,789 16,234 11月6日(水) 名古屋 カシマ 10,643 4月20日(土) 浦和 秋田 15,386 15 カシマ:14, 秋田:1
1997 271,765 31,083 5月3日(土) 国立 15,176 9月24日(水) 市原 カシマ 16,985 16 カシマ:15, 国立:1
1998 260,866 16,944 11月14日(土) 神戸 カシマ 13,824 4月15日(水) G大阪 15,345 17 カシマ:17
1999 255,741 51,575 5月5日(水) 磐田 国立 6,994 5月19日(水) 国立 17,049 15 カシマ:7, 国立:6, 富山:1, 金沢:1
2000 262,603 50,399 11月26日(日) 7,024 11月18日(土) 広島 鳥取 17,507 15 カシマ:8, 国立:4, 富山:1, 福井:1, 鳥取:1
2001 336,377 43,637 4月29日(日) 浦和 6,037 10月17日(水) C大阪 カシマ 22,425 15 カシマ:11, 国立:4
2002 323,855 34,011 9月7日(土) 磐田 カシマ 11,857 9月18日(水) 京都 21,590 15 カシマ:15
2003 318,064 39,684 7月5日(土) 磐田 14,045 8月30日(土) 大分 21,204 15 カシマ:15
2004 263,777 31,965 10月23日(土) 浦和 8,474 4月14日(水) 新潟 17,585 15 カシマ:15
2005 316,897 35,467 9月3日(土) 浦和 7,076 4月13日(水) 大宮 18,641 17 カシマ:17
2006 262,365 34,236 8月19日(土) 浦和 7,427 7月19日(水) 川崎 15,433 17 カシマ:17
2007 276,058 36,146 4月29日(日) 浦和 8,036 10月27日(土) 大分 16,239 17 カシマ:17
2008 335,140 36,412 7月27日(土) 浦和 6,725 10月1日(水) 大宮 19,714 17 カシマ:17
2009 367,486 37,878 3月7日(土) 浦和 14,473 4月29日(水) 神戸 21,617 17 カシマ:17
2010 356,430 35,251 3月6日(土) 浦和 9,472 7月14日(水) 湘南 20,966 17 カシマ:17
2011 274,655 25,061 9月24日(土) 浦和 7,810 6月15日(水) 甲府 16,156 17 カシマ:16, 国立:1
合計 5,832,686 18,095 323 カシマ:296 / 国立:20 / 地方:7

[編集] ユニフォーム

ユニフォームの色
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st)
FP(2nd) 白×グレー グレー
GK(1st) 銀×黒
GK(2nd)
GK(3rd) 深緑 深緑 深緑
FP 1st
FP 2nd
GK 1st
GK 2nd
GK 3rd

[編集] ユニフォームカラー

  • ディープレッド

[編集] ユニフォームデザイン

  • ユニフォームデザインは基本的に2年に1回変更している(翌年が創立記念の場合、1年でデザイン変更)。
    • ユニフォームの右袖には、ホームタウン5市をあしらったホームタウンマークをつけ、背番号の下に名前が入る。
  • 2012年は1stモデルから3rdモデルを採用する。
    • 1stモデルはディープレッドをベースカラーに、「原点に戻る」という意味を込めたシンプルなデザインとなっている。パンツは紺を使用。
    • 2ndモデルは紺をベースカラーに、ホームタウン5市を象徴する青を加えたデザインとなっている。
    • 3rdモデルは白をベースカラーに、2ndモデル同様ホームタウンを象徴する青を加えたデザインとなっている。

[編集] ユニフォームについて

  • 1995年のリーグ戦用2ndモデルには、シャツ・シルバー、パンツ・紺、ストッキング・シルバーを採用したが、諸事情により数戦使用しただけで、シャツ・パンツ・ストッキングをすべて白に変更している。(変更後しばらくは、1993・1994年に使用した2ndモデルを使用していた。)
  • 2006年から2007年は、2ndモデルはグレーを使用していた。
  • 2008年から2009年は、リーグ初となった横縞(ディープレッドと紺)を使用した。
  • 2009年はゴールド色の3rdモデルをACLナビスコ杯、リーグ戦の対川崎フロンターレ戦(アウェイ戦)で使用した。
  • 2012年は2ndモデルのベースカラーに紺を使用した。

[編集] ユニフォームの星

  • 2007シーズンに10冠(国内3大大会のタイトル数)を達成し、2008年シーズンより、左胸のエンブレム上に大きな星1つ(10タイトル分)がついた。11冠目以降の星は、従来の左袖につく。

[編集] チャンピオンエンブレム

リーグチャンピオンエンブレム
  • 前年度のリーグチャンピオンチームには、日本サッカー協会のシンボルであるヤタガラスにJのマークがついたエンブレムを右袖につける。
  • 2009シーズンからヤタガラスのエンブレムに代わり、金色のJマークをつけている。
天皇杯チャンピオンエンブレム
  • 天皇杯を制したチームにはEのマークがついたエンブレムをつける。
  • 2009年大会からリーグチャンピオン同様ヤタガラスのエンブレムを辞め、天皇杯のみ天皇杯エンブレムをつけている。
2冠チャンピオンエンブレム
  • リーグと天皇杯の2冠を制したチーム[1]には、☆マークがついたエンブレムをつける(Jリーグ発足後初は2000年度に達成した鹿島)。

[編集] ユニフォームスポンサー

掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考
LIXIL LIXIL 2011年 - 2010年まではトステム
背中 イエローハット (ロゴマーク) 1999年 - 1995年 - 1998年までは袖、2011年まではYellow Hat表記
住友金属工業 SUMITOMO METALS 2000年 -
パンツ 商船三井 商船三井 2009年 -

[編集] ユニフォームサプライの遍歴

期間 サプライヤー
1992年 - 1996年 ミズノ(リーグ戦)、エネーレ(カップ戦)
1997年 アンブロ(リーグ戦)、エネーレ(カップ戦)
1998年 - 2001年 エネーレ
2002年 - ナイキ

[編集] 歴代ユニフォームスポンサー年表

年度 背中 パンツ サプライヤー
1992 - - - - ennerre
1993 - - - - Mizuno/ennerre
1994 - - TOSTEM -
1995 - Yellow Hat -
1996 TOSTEM - -
1997 - - UMBRO/ennerre
1998 - - ennerre
1999 - Yellow Hat -
2000 SUMITOMO
METALS
-
2001 -
2002 - NIKE
2003 -
2004 -
2005 プロミス
2006
2007
2008 -
2009 商船三井
2010
2011 LIXIL
2012
  • AFCチャンピオンズリーグでは規定によりスポンサーが1社のみなので、2010年までは胸スポンサーの「TOSTEM」、2011年からは「LIXIL」のみになる。
  • 1992年から1995年まで、胸にはスポンサーの代わりに「Antlers」のロゴが入る。

[編集] スポンサー

[編集] オフィシャルスポンサー

企業 本社 備考
日本の旗 LIXIL 東京都江東区
日本の旗 イエローハット 東京都中央区
日本の旗 商船三井 東京都港区
日本の旗 ナイキ 東京都品川区 日本ではナイキジャパン
日本の旗 サントリー 大阪府大阪市
日本の旗 昭和産業 東京都千代田区
日本の旗 常陽銀行 茨城県水戸市
日本の旗 関包スチール 大阪府大阪市
日本の旗 常総開発工業 茨城県神栖市
日本の旗 茨城トヨペット 茨城県水戸市
日本の旗 住友商事 東京都中央区
日本の旗 住友金属工業 大阪府大阪市

[編集] アドボードスポンサー

  • 筑波都市整備
  • 斉丸土地
  • アイデックス
  • ミナト
  • サン・トックス
  • ワコースチール
  • 鹿島都市開発


[編集] サプライヤー

  • 石上ファーム
  • セキネネオン
  • エア・テクノロジーズ
  • AVIX
  • ポラール
  • ケーイージー
  • PROTEA JAPAN


[編集] スタジアム

カシマサッカースタジアム

[編集] スタジアムDJ・選手入場曲

SUCESSO(スセッソ)はポルトガル語で「成功」。米米CLUBのシングル「俺色にそまれ」のカップリング曲。

[編集] 広告看板

  • ホームゲームにおける広告看板(ゴール裏)は1995年以後、部分的に回転ロール盤を使用している。当初はゴール裏の内側部分だけだったが、1999年以後は外側(スタンドとピッチの中間。カシマサッカースタジアム開催分は客席の最前列)の部分にも使用している。試合時間帯に応じてアントラーズのスポンサーの広告を切り替えて表示している。

[編集] LED帯状映像装置

  • 日本のサッカースタジアムでは初となる、アジアでは最長(全長500m)のLED帯状映像装置が2階スタンド最前部の壁面にほぼ1周設置されている[7][8]
  • カラー広告の表示やスタメン発表、他会場の途中経過、緊急時の避難誘導などに使用される。

[編集] アカデミー

[編集] 地域貢献活動

[編集] ノンフットボールビジネス

2006年、カシマサッカースタジアムの指定管理者になり、健康事業を目的としたスポーツプラザ「カシマウェルネスプラザ」の運営や茨城大学との提携などによるスタジアムの利活用の推進にも取り組んでいる。

[編集] フレンドリータウン

ホームタウンの5市(鹿嶋神栖潮来鉾田行方)のほかに、クラブ独自でフレンドリータウンとしてホームタウン周辺の10市町村と協定を結んでいる。サッカーを通じた地域連携を目的とし、ホームタウン周辺の市町村を対象に年1回ホームゲームへの市民招待やスタジアムでの観光PRイベントの開催、クリニックコース(サッカースクール)を開校するなど活動を展開している。

[編集] 地域交流

  • 2007年から2008年にかけて、ホームタウンの5市(鹿嶋神栖潮来鉾田行方)にある小学校全校を選手が訪問した。
  • 毎年10月に鹿嶋市で開催される「鹿嶋まつり」や鹿島神宮での節分祭など、地域イベントに選手やチームスタッフらが参加している。

[編集] 環境活動

  • 2006年12月2日のジュビロ磐田戦では、カシマサッカースタジアムで使用する電力にグリーン電力(風力発電太陽光発電)を利用して開催された[9]
  • 2009年5月10日の清水エスパルス戦で、来場客から回収した食用油を精製し、チームトラックの燃料に活用する取り組みが行われた。また、この取り組みが第3回クールビズ・オブ・ザ・イヤーで「クールビズ・アース2009」を受賞した[10]

[編集] メディア

[編集] 試合中継

テレビ中継
ラジオ中継
  • エフエムかしま
    • FM KASHIMA EXCITING SPORTS(試合開始30分前 - 試合終了後)
  • 茨城放送
  • 鹿島アントラーズオフィシャルサイト
    • LIVEアントラーズ - カシマサッカースタジアムで開催されるホームゲームの音声実況中継をインターネット配信

[編集] 公式番組

テレビ

[編集] 応援番組

テレビ
ラジオ

[編集] その他

インターネット
  • 鹿島アントラーズオフィシャルサイト
    • メンバーズルーム - 有料会員制
  • アントラーズモバイル
    • あんとランド - 動画配信
インターネットでのメディア展開はオフィシャルサイトのみで、チーム公式および選手個人の公式ブログTwitterなどは運営されていない[11]
クラブとしてブログなどの開設を禁止しているわけではないが、開設に当たり、個人情報の扱い方に関して、また、用字・用語の書き方などの講習を受け、最低限の知識を得てからでないと開設ができないという決まりを設けている[12]
新聞・情報誌

[編集] その他

[編集] 提携クラブ

[編集] キャンプ地

春季キャンプは1998年より宮崎県宮崎市宮崎県総合運動公園陸上競技場で行われている。また、1993年はイタリア、1994年は沖縄県1995年から1997年まではブラジルで行われた。夏季キャンプは福島県双葉郡楢葉町Jヴィレッジを使用して行われる。

[編集] クラブショップ

[編集] クラブマスコット

[編集] スローガン

年度 スローガン
1998 CHALLENGE
1999 NEXT
2000 Glory Again - 原点からの挑戦 -
2001 - 勝利主義 Antlersism - FOR NEXT 10 YEARS
2002 - 進化 Antlersism - STAIRWAY TO THE WORLD
2003 OVER'03 - カシマからアジア、そして世界へ -
2004 FOOTBALL DREAM 2004 - 奪冠10 -
2005 FOOTBALL DREAM 2005 - 反撃宣言 -
2006 FOOTBALL DREAM 2006 - 一新制覇 -
2007 FOOTBALL DREAM'07 - 魂 Spirits -
2008 FOOTBALL DREAM 2008 - DESAFIO 挑戦 -
2009 FOOTBALL DREAM 2009 - PROGRESSO 飛躍 -
2010 FOOTBALL DREAM 2010 - Evolucao 新化 -
2011 FOOTBALL DREAM NEXT
2012 SMILE AGAIN with PRIDE

[編集] サポーター・ファンクラブ

[編集] ファンクラブ

「SOCIOメンバー」、「MEGAメンバー」、「フリークスメンバー」、「ファミリーメンバー」の4種類がある。その中でも「フリークスメンバー」が一般的な会員カテゴリで、会員数が最も多い。特典として月刊アントラーズフリークスの送付やホームゲームチケットの先行割引販売、グッズの割引販売、グッズ・チケットの購入時やホームゲーム来場時などに付与されるポイントシステムなどがある。

[編集] サポーター

IN.FIGHTという1991年の創設から鹿島サポーターの中心として活動を続けているサポーター集団がある。浦和レッドダイヤモンズのサポーター集団などと並んで熱狂的な応援を続けていることで知られる[13]。2000年代以降、ゴール裏では世代交代が進み、応援に対する意識も変化を見せていると言われるが、「ゴール裏から発信される声援で選手や監督を後押しし、試合全体の流れを変えるくらいの気迫で応援する」との基本的な姿勢は変わらないという。

[編集] 脚注

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  1. ^ a b 現在、リーグと天皇杯の2冠を達成したのは鹿島(2000年、2007年)と浦和(2006年)のみ。
  2. ^ 鹿島サポーターの危険行為で柏に制裁金 2011年2月27日閲覧。
  3. ^ Jリーグ公式記録
  4. ^ 3カ月程度かかる 鹿島 メド立たないスタジアム修復 スポーツニッポン 2011年3月16日
  5. ^ トップチームの活動休止に関して 鹿島アントラーズオフィシャルサイト 2011年3月15日
  6. ^ a b 2002-03年度にアジアクラブ選手権、アジアカップウィナーズカップ、アジアスーパーカップが統合され、AFCチャンピオンズリーグとなった。
  7. ^ カシマサッカースタジアム・LED帯状映像装置 - 鹿島アントラーズオフィシャルサイト(動画で実際に使用されている様子が見ることができる)
  8. ^ ホームタウンレポート〔鹿島〕アジア初の約500メートル帯状映像装置お披露目 - Jリーグ公式サイト 百年構想
  9. ^ 日本初グリーン電力100%で開催されるJ1マッチのお知らせ 鹿島アントラーズオフィシャルサイト
  10. ^ アントラーズ・エコプログラムがクールビズ・アース2009を受賞 鹿島アントラーズオフィシャルサイト
  11. ^ 厳密に言えば、佐藤昭大が鹿島移籍前にブログを開設しており現在も存在するが、鹿島移籍後は更新を休止している。
  12. ^ 鹿島アントラーズ携帯公式サイト「毎日更新ミニ情報」2010年12月27日掲載「完全移籍しました」2011年1月26日閲覧
  13. ^ 清尾淳『浦和レッズの快感 すきにならずにいられない』あすとろ出版、1998年、22頁

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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