横浜F・マリノス

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横浜F・マリノス
原語表記 横浜F・マリノス
愛称 マリノス
クラブカラー     ブルー[1]
    レッド[1]
    ホワイト[1]
創設年 1972年
所属リーグ 日本プロサッカーリーグ
所属ディビジョン Jリーグ ディビジョン1
クラブライセンス J1・J2
ホームタウン 神奈川県横浜市[1]横須賀市[1]
ホームスタジアム Nissan Stadium 20101123.jpg
日産スタジアム[1]
Mitsuzawa1.jpg
ニッパツ三ツ沢球技場[1]
収容人数 日産ス:72,327[1]
ニッパ球:15,454[1]
運営法人 横浜マリノス株式会社[1]
代表者 嘉悦朗[1]
監督 日本の旗 樋口靖洋
公式サイト 公式サイト
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ
横浜マリノス株式会社[1]
YOKOHAMA MARINOS LTD.
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 220-0012[1]
神奈川県横浜市西区みなとみらい6-2[1]
設立 1992年7月17日
業種 サービス業
事業内容 サッカークラブの運営
代表者 嘉悦朗[1]
資本金 3,100万円(2012年1月期)[2]
売上高 34億6,300万円(2012年1月期)[2]
経常利益 ▲5億1,800万円(2012年1月期)[2]
営業利益 ▲5億1,200万円(2012年1月期)[2]
純利益 ▲5億8,500万円(2012年1月期)[2]
純資産 ▲10億4,800万円(2012年1月期)[2]
総資産 6億3,700万円(2012年1月期)[2]
決算期 1月期
主要株主 日産自動車
外部リンク http://pc.f-marinos.com
特記事項:1999年2月、日産フットボールクラブ(株)から商号変更[1]
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横浜F・マリノス(よこはま エフ・マリノス、Yokohama F・Marinos)は、日本神奈川県横浜市[1]および横須賀市[1]をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。

目次

概要 [編集]

「横浜F・マリノスMM21トレーニングセンター」を示す看板
  • 練習場は横浜みなとみらい21にあるマリノスタウン(横浜F・マリノスMM21トレーニングセンター)であり、運営会社の本社もマリノスタウンに置いている[1]
  • チーム名の「マリノス (Marinos)」は、スペイン語で船乗りを意味する[1]。「F」は横浜フリューゲルス の頭文字(詳細は後述)。
      • 旧名称は横浜マリノスであり、横浜Fを吸収合併した際に横浜F・マリノスに改称した。
  • チームカラーは「青・白・赤」[1]のトリコロール(三色)。これは元々日産自動車コーポレートカラーであったものである。各色の意味合いは、青「冷静さと港町・横浜の海」、赤「スポーツに触れ合う場をつくり、皆が誇れるクラブを目指す」、白「皆に支えられ、息の長い活動を続ける、自立したクラブを目指す」である[4]
  • クラブマスコットは、カモメをモチーフとした「マリノス君」と「マリノスケ」である[1]。マリノスケは『月刊コロコロコミック』誌上で誕生し、マリノス君の甥という設定。マリノスケはホームゲーム以外に地域のイベントにも参加している。また、2008年に横浜FM非公認のマスコットとして「ワルノス」が誕生し、「ワルノスクイーン」と共に行動している[5]。2008年の開幕戦は「トリコロールランド」でダンスを披露した。2008レジェンド・オブ・F・マリノスのトレーディングカードにも登場し、非売品のグッズ(バンダナなど)のプレゼントや広報活動を行っている。2010年にチームよりTシャツとコインパースが公式グッズとして発売された。
  • クラブの社長は嘉悦朗(かえつ あきら)[1]一橋大学商学部卒。日産自動車HQファシリティマネージメント部担当執行役員も兼務していた(2010年3月31日まで)。2009年6月末より体調不良を理由に前任者の斎藤正治が休養したのを受け、7月23日に取締役と社長代行に就任。2010年2月1日付けで斎藤の退任と共に正式に社長となった。 
  • ディフェンダーで井原正巳小村徳男松田直樹中澤佑二栗原勇蔵など、ゴールキーパーで松永成立川口能活日本代表に選出されている。

出資状況について [編集]

表記略称について [編集]

  • Jリーグ公式サイトでは「横浜FM」、スポーツ振興くじ(toto)では「横浜M」である。新聞・雑誌等でも、これらに倣い「横浜FM」もしくは「横浜M」とすることが多い。「横浜F」と略した場合、基本的には横浜フリューゲルスのことを指す場合が多く、しかも横浜FCと区別が付かないため、前者は区別が付く2文字目(「横浜FM」「横浜FC」)までを表記している。後者は、前者の表記において重複する「F」の省略か、(横浜FMの場合においては)以前の表記(後述)をそのまま使っているものである。
  • 一部の媒体、例えば日刊スポーツスポーツニッポンサッカーダイジェストなどでは、単に「横浜」と表記する。これは、横浜FCがJ2リーグに昇格するまでの2年間(1999-2000年)、横浜市をホームタウンとするJリーグのクラブが横浜FMのみであったため、横浜FMを「横浜」と表記していたことの名残である。[要出典]
  • なお、2006年まで横浜FCとは別カテゴリ(横浜FMはJ1、横浜FCはJ2)に所属していたので、J1のみについて扱うなど、特に紛らわしくない場合は単に「横浜」とすることも多かった(これは横浜FCについても同様である)。[要出典]
  • 2007年度は横浜FCがJ1に所属したため、一部媒体が使用する略称が変更された。例えば、スポーツニッポンは、横浜FCと同時に名前が出る記事においては「横浜M」と表記していた。
  • Jリーグ発足当時は「横浜M」「横浜マ」と表記するマスコミが多かった。ただし、読売新聞フジテレビプロ野球ニュース」では、横浜Fの本拠地が横浜市(ホームタウン)と九州地方(特別活動地域。長崎県熊本県鹿児島県)にまたがる特殊な扱いであったこと、またプロ野球ニュースでは全日空が番組スポンサーだったこともあり、やはり略称を「横浜」のみで出したことがあった[要出典]

歴史 [編集]

前身 [編集]

1991年 - 1998年 [編集]

1999年 - 2002年 [編集]

2000年に5年ぶりとなる1stステージでの優勝を果たしたが、2ndステージ優勝の鹿島とのチャンピオンシップに敗れた。この年中村俊輔が史上最年少でMVPを受賞した。

2001年シーズンは、三浦淳宏柳想鉄などが移籍。ナビスコカップで初優勝したが、リーグ戦は1stステージが15位、2ndステージが10位で、年間順位は13位に終わった。

2002年東京Vから中澤佑二磐田から奥大介(レンタル)、清水範久札幌からウィルなどを獲得。1stステージは2位、2ndステージは6位の成績で、年間順位は2位となった。

2003年 - 2006年 [編集]

2003年基本フォーメーション <4-4-2>

2003年、監督に岡田武史が就任。広島から久保竜彦を補強。1stステージを制し、2ndステージも劇的な逆転優勝(2003年J1・2ndステージ最終節)を飾り、前年度の磐田に続く両ステージ制覇で年間王者に輝いた。

2004年、韓国のエースFW安貞桓などを補強し、昨年度の2ステージに続きこの年の1stステージでも優勝し、3ステージ連続優勝を達成した。2ndステージは6位に終わったが、サントリーチャンピオンシップで2ndステージ優勝の浦和と対戦し、ホームは1-0で勝利、アウェイは0-1で敗退、PK戦で勝利し2年連続の年間王者となった。

2005年は、AFCチャンピオンズリーグ2005はグループステージで敗退。リーグ戦も9位に終わった。2006年は、元名古屋のFWマルケスを補強し、開幕4連勝で首位に立ったが、第5節(浦和戦)以降の15試合で2勝と低迷。8月に岡田が監督を辞任し、水沼貴史が後任監督に就任したが、前年と同じ9位で終了。

2007年 [編集]

2007年みなとみらいへの移転(『マリノスタウン』)など、クラブとして節目を迎えることになったが、奥大介久保竜彦ドゥトラを初めとしたベテラン選手の退団・移籍、ユース・高校・大学からの若手選手の大量加入など、チームも世代交代を図ることとなった。

コーチへ降格した水沼貴史に代わり、監督に早野宏史が11年振りに就任した。

この年はFWの大島秀夫坂田大輔、トップ下の山瀬功治が2ケタ得点をマーク。大島は日本人最多得点で、坂田はフェアプレー個人賞受賞、山瀬は日本代表の常連になった。最終的に前年度を上回る7位でリーグ戦を終了したが、目標とした3位以内には届かなかったため、天皇杯終了後に監督の早野、コーチの水沼・高橋真一郎・武藤覚らが退任した。なお、この年は横浜FCとの横浜ダービーが開催され、横浜FCホームの第2節は敗れたが、横浜FMホームの第19節はチーム新記録の1試合8得点を記録し、8-1で勝利した。

2008年 [編集]

磐田元監督の桑原隆が監督に就任。4月までは3位につけるなど好調だったものの、新外国人の不発、実績重視の起用が禍し5月以降は勝ち星を挙げられず第16節時点で16位へ転落。7月に桑原が解任され、後任に木村浩吉が統制本部長から昇格したが、クラブ史上最悪のリーグ戦6連敗を含む10試合勝ちなし(クラブタイ記録の公式戦6連敗も記録)となった。

しかし、木村が促したチーム内競争によって狩野健太ら若手の台頭を生み、8月以降はチームが好転。第22節に降格圏を脱出し、第33節に残留を確定、最終的に年間9位でシーズンを終えた。天皇杯は準決勝でG大阪に敗退した。

2009年 [編集]

チームスローガン:Enjoy・Growing・Victory

2009年、田中隼磨名古屋乾貴士C大阪大島秀夫は新潟に移籍した。

リーグ戦は13得点と得点源になった渡邉千真を筆頭に、天野貴史飯倉大樹などの抜擢・台頭、長谷川アーリアジャスールの成長、坂田大輔狩野健太らの復調により、上位の鹿島、川崎、清水、名古屋にホームゲームで勝利している一方で、下位の山形に逆転負けを喫し、この年J2に降格となった千葉に2引き分けした。結局10位に終わり、3年契約だった木村は監督契約を解除された。

2010年 [編集]

チームスローガン:ACTIVE

2010年シーズンは、横浜FMのOBの木村和司が監督に就任した。 補強は、6年ぶりの復帰となる波戸康広藤田優人バスティアニーニと最小限にとどめた。その後エスパニョールから中村俊輔が8年ぶりに復帰した。スター選手であった木村和司の監督就任と、中村俊輔の古巣復帰で観客動員を17.6%も伸ばし、上位争いにも名を連ねていたが中澤、栗原の故障で守備が崩壊して脱落。リーグ戦は8位で終えた。

最終節前には松田直樹山瀬功治などのベテラン選手の解雇を発表。最終節の大宮戦に敗北した後、松田らの解雇に反発して紛糾したサポーターの前で社長の嘉悦朗が「2011年シーズンで3位以内でなければ辞任する」と発表した。

シーズン終了後、松田(JFL松本へ移籍)、山瀬(川崎へ移籍)のほか、田中裕介(川崎)、河合竜二札幌)、清水範久福岡)、坂田大輔ギリシャ1部アリス・テッサロニキ)、浦田延尚鳥栖)、JFL金沢にレンタル移籍していた斎藤陽介アルビレックス新潟シンガポール)がそれぞれ移籍、草津に期限付移籍していた梅井大輝が退団、藤田優人横浜FC齋藤学愛媛田代真一がJFL・町田に1年間の期限付移籍をし、シーズン途中に栃木に期限付移籍した水沼宏太が、同クラブへの期限付移籍期間を1年延長した。

2011年 [編集]

チームスローガン:進化する心・技・体 ACTIVE 2011

2011年シーズンは、清水から青山直晃、川崎からユース出身の谷口博之から小林祐三東京Vから昨シーズンFC東京にレンタル移籍していた大黒将志を獲得、また昨シーズン山形にレンタル移籍していた金根煥が復帰。一方で4月30日付けで阿部陽輔が退団した。

2011年シーズンはゾーンディフェンスが嵌り、前半戦を首位で折り返した。後半戦も川崎に4-0で圧勝する(9月14日ナビスコカップ第1回戦)など好調を維持したが、ポゼッション化とメンバーの不動化が凶に出て調子を落とし、やがて優勝争いからも離脱。最終節の鹿島戦も引き分けに終わり、得失点差で仙台に抜かれ、シーズンを5位で終えた。

なお、8月12日松田直樹8月4日死去)が在籍時に使用していた背番号3を永久欠番にすると発表した[7]Jリーグ創設以来、サポーターナンバーを除いては初の永久欠番となった。

天皇杯は準決勝で京都に延長戦で敗退した。12月30日に監督の木村和司を解任した。

シーズン終了後、波戸康広が現役を引退し、横浜FCへ期限付移籍中の藤田優人柏レイソルへ移籍)、秋元陽太愛媛FCへ移籍)、渡辺千真長谷川アーリアジャスール(共にFC東京へ移籍)、端戸仁ギラヴァンツ北九州へ期限付き移籍)、武田英二郎ジェフユナイテッド市原・千葉へ期限付き移籍)、金根煥サガン鳥栖へ期限付き移籍)がそれぞれ移籍し、田代真一が、FC町田ゼルビアへの期限付き移籍期間を1年延長した。

2012年 [編集]

チームスローガン:All for Win

2012シーズンは、樋口靖洋が監督に就任した。東京Vから富澤清太郎アビスパ福岡から六反勇治中町公祐アトレチコ・ミネイロから2003年に在籍していたマルキーニョスを獲得し、愛媛FCへ期限付き移籍していた齋藤学が復帰した。また、シーズン開幕後の3月23日、かつて6シーズン在籍したドゥトラが、約6年ぶりに復帰した。

序盤はチームワーストの開幕7戦未勝利であったが、第8節(神戸戦)から第22節(川崎戦)まで15戦無敗の成績であった。シーズン中はマルキーニョス富澤清太郎らのプレッシングに長けた移籍組が年間を通して活躍をみせ、秋口の連敗を経て再度順位をあげてゆき年間最少敗戦、最少失点を含めた4位でシーズンを終えた。天皇杯は準決勝で柏に敗退。

シーズン終了後、松本怜大分トリニータへ期限付き移籍)、松本翔愛媛FCへ期限付き移籍)、金井貢史(鳥栖へ期限付き移籍)、大黒将志杭州緑城へ期限付き移籍)、青山直晃ヴァンフォーレ甲府へ移籍)、森谷賢太郎川崎フロンターレへ移籍)、小野裕二スタンダール・リエージュへ移籍)、谷口博之狩野健太(共に柏へ移籍)、鳥栖へ期限付き移籍中の水沼宏太(鳥栖へ移籍)、金根煥アルビレックス新潟へ移籍)がそれそれ移籍し、千葉へ期限付き移籍していた武田英二郎ガイナーレ鳥取に期限付き移籍をした。

2013年 [編集]

チームスローガン:All for Win -Realize-

2013シーズンは、SAGAWA SHIGA FCから奈良輪雄太、千葉から藤田祥史S.C.相模原からファビオ・アギアールを獲得し、町田へ期限付き移籍していた田代真一、北九州へ期限付き移籍していた端戸仁中国スーパーリーグ杭州緑城へ期限付き移籍していた丁東浩が復帰。前年とは反対に開幕6連勝でスタートした。

成績 [編集]

タイトル [編集]

国内タイトル [編集]

国際タイトル [編集]

個人別タイトル [編集]

Jリーグ [編集]


ナビスコ杯 [編集]

ダービーマッチ [編集]

横浜ダービー [編集]

神奈川ダービー [編集]

ユニフォーム [編集]

ユニフォームの色
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st) [1]
FP(2nd) 白×灰 ネイビー 白×灰
GK(1st) 黄×黒
GK(2nd) 灰×黒
GK(3rd)
FP 1st
FP 2nd
GK 1st
GK 2nd
GK 3rd

チームカラー [編集]

  •     青、    白、   

ユニフォームデザイン [編集]

  • 左胸のエンブレム上の星3つ(★)は、1995年・2003年・2004年の各リーグ戦での優勝を表している[8]
  • 2ndユニフォームは、原則上:白、下:青、靴下:白である。
    • 2003年から2006年はグレー。
    • 2011年は、上/黄色、下/黒、靴下/黄色。
    • 2013年は、上:白/グレー、下:ダークネイビー、靴下:白/グレー。
  • 2001年は3rdユニフォームを制作(配色は黒)したが、2002年までで3rdユニフォームの採用を取り止めた。
  • 2002年は上衣が青と紺のツートンのユニフォームを採用した(上:青/紺、下:白、靴下:赤) これは横浜カントリー・アンド・アスレティック・クラブ(YC & AC)で使われた紺と白の概念を取り入れたものである。
  • 2003年は上下靴下全て紺、副は上:白/シルバー、下:黒(チェンジショーツはシルバー)、靴下:シルバーであった。
  • 2009年は期間限定で、横浜港開港150周年記念として、青と白の2色横じま模様(NISSANのロゴ、背番号と選手名ローマ字は赤文字、全日空ロゴは企業カラーの青地に白文字)であしらった特別ユニフォームを制作・着用した。
  • 2009年より背番号に選手名を記入。その中で中澤佑二は「BOMBER」、清水範久は「JIRO」と表記されるなど、姓名に捉われないニックネーム表記のものも登場(由来についてはそれぞれの項で参照)。
  • 2012年は、前身の日産自動車サッカー部の80年代後半の黄金期とJリーグ創設期のデザインを現代風にアレンジした、クラブ創設20周年記念の復刻ユニフォームを制作・着用した。ベースカラーに鮮やかなブルー、白い襟にピンポイントのトリコロール。また、2000年モデル以来、胸に黄色の「NISSAN」の文字が入ったものである[9]。なお、このユニフォームはいずれも横浜FMホームゲームの鹿島アントラーズガンバ大阪名古屋グランパス清水エスパルスおよびサガン鳥栖戦で着用した。

スポンサー [編集]

掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考
日産自動車 NISSAN 1993年-
背中 三栄建築設計 三栄建築設計 2012年-
なし - -
パンツ なし - -

ユニフォームサプライ遍歴 [編集]

歴代スポンサー年表 [編集]

年度 背中 パンツ サプライヤー
1992 - - Mizuno/adidas
1993 NISSAN BP Kodak
1994
1995
1996 xanavi
1997 adidas
1998
1999 - ANA
2000
2001
2002
2003 GE -/NATURALLY PLUS
2004 -
2005 MLJ
2006
2007
2008 メガネスーパー Nike
2009
2010 ELGRAND[注 1] KARADA factory
2011 ANA -
2012 三栄建築設計 ほけんの窓口 adidas
2013 - -

スポンサー [編集]

永久欠番 [編集]

  • #3 松田直樹
    • 2011年8月4日に死去。同年8月12日、クラブは「横浜F・マリノス、日本代表、そして日本サッカー界への多大なる貢献への敬意と謝意、さらには松田直樹という偉大な選手への心からの追悼の証」として、永久欠番に指定[7]

エピソード [編集]

  • 新設スタジアム、または大幅改修を行った後のスタジアムこけら落とし試合をアウェイチームとして迎えることが多い。なお、2001年の3試合は2002 FIFAワールドカップ用の新しいスタジアムで行われた。
年度 試合会場 対戦相手 スコア 備考
1993年 国立霞ヶ丘陸上競技場 ヴェルディ川崎 ○2-1 Jリーグ開幕戦
1998年 横浜国際総合競技場 横浜フリューゲルス ●1-2 会場自体のこけら落としはダイナスティカップ1998(日本代表vs韓国代表)
2001年 埼玉スタジアム2002 浦和レッドダイヤモンズ ○2-0
札幌ドーム コンサドーレ札幌 △1-1
御崎公園球技場 ヴィッセル神戸 △1-1
2005年 フクダ電子アリーナ ジェフユナイテッド市原・千葉 △2-2
2012年 日立柏サッカー場 柏レイソル △3-3 改修後のオープニングゲーム
2013年 IAIスタジアム日本平 清水エスパルス ○5-0 IAIネーミングライツ取得後のオープニングゲーム
  • 主催した1998年横浜国際総合競技場(現・日産スタジアム)のホーム戦を除けばアウェイ戦でのこけら落としゲームは2013年3月現在無敗である。
  • 1シーズン制に移行した2005年以降J1へ初昇格したチームとのリーグ戦初対戦はすべて敗れている[注 2]
  • 天皇杯では日産時代を含めて計6回優勝しており、クラブチームでは浦和(三菱重工時代を含む)と並んでトップタイである。ただし、1993年のJリーグ開幕後の最高成績はベスト4(1994年・2008年・2011年・2012年)で1度も決勝進出を果たしておらず、以下のようにカテゴリが下のチームに苦戦したり敗戦することがたびたびある。

下部組織他 [編集]

下部組織 [編集]

下部組織として、高校生世代が在籍するユース、中学生世代が在籍するジュニアユース、ジュニアユース追浜、小学生世代が在籍するプライマリー、プライマリー追浜がある。

下部組織には約3000人在籍し、日本のサッカー界で最大規模である[12]

2008年6月、下部組織の選手育成・強化を目的にフランスのオリンピック・リヨンと業務提携を締結した[13]

主な全国大会結果 [編集]

横浜F・マリノスユース
ジュニアユース追浜
プライマリー
プライマリー追浜

ユース出身者 [編集]

マリノスフットボールアカデミー [編集]

日産自動車サッカー部時代の1985年にサッカースクールとして発足。対象は幼児から中学2年生までで、みなとみらい校、追浜校、NAS二俣川校、大和校、東山田校の計5ヶ所で活動している。

ホームタウン活動 [編集]

サッカー教室 [編集]

ホームタウンである横浜市、横須賀市を中心とした地域の学校やスポーツセンターで横浜F・マリノス専属コーチによるサッカー教室を行っている。サッカー教室は大きく分けて小学生以下の子供を対象とした「ふれあいサッカー教室」、「サッカーキャラバン」と成人を対象とした「ENJOY FOOTBALL」に分かれる。

障がい者サッカー [編集]

2004年より、障がい者サッカープロジェクト「futuro(フトゥーロ)」が行われている。「futuro」では横浜ラポールで行なわれている「体験・育成」プログラムと連携しながら横浜F・マリノスのコーチを中心に基本的な技術や個人・チーム戦術のトレーニングを行い、大会に参加している。

地域イベントへの参加 [編集]

横浜市、横須賀市、大和市の商店街や大学、メインスポンサーである日産の工場関連のイベントにブースを出展している。また、公式チアリーディングチームであるトリコロールランサーズによる演技が披露されることもある。また、2012年時点で200を越える地元商店街にチームフラッグやポスターの掲出をしている。 マスコットキャラクター「マリノスケ」は大半のイベントに登場してくる。

学校との業務提携 [編集]

トピック [編集]

トリパラ [編集]

応援の必須アイテムの一つとして、トリコロールの傘、通称「トリパラ」があり、試合に勝つとトリパラをコーヒールンバをベースにした応援に合わせて回す(コーヒールンバを基調にした応援はボカ・ジュニアーズヴァンフォーレ甲府なども行っている)。

トラブル [編集]

  • 2007年J1第19節(8月11日)の横浜FC戦(日産スタジアム)の前日(8月10日)深夜、サポーターグループの「JUST GEDO」のリーダー(当時)ら数人が、同スタジアム南ゲート前で横浜FCサポーターの男性三人に暴行を加え怪我を負わせた(2008年1月に同グループのリーダーが逮捕されたが、後に不起訴)。
  • 2008年8月、横浜FCのサポーターにF・マリノスの広告を無断で破棄され、警察に届けるトラブルが起こった。横浜FC側が謝罪し、今は和解。詳細は[1]
  • 2012年10月10日、天皇杯3回戦の横浜FC戦(日産スタジアム)。試合開始前、横浜FCサポーターが侮辱目的と思われる大型の横断幕を掲出した[14]。10月13日、横浜FCは公式サイト上に横浜F・マリノス及び関係者に対する謝罪文を掲載し[14]。10月17日、横浜FCは当該行為首謀者を無期限の入場禁止処分にすると発表した[15]
  • 2013年3月2日、Jリーグ第1節の湘南ベルマーレ戦(日産スタジアム)。試合開始前の湘南ベルマーレの選手場内紹介時、背番号言い間違い及び出場選手の読み忘れが発生[16]

メディア [編集]

トリコロールマーメイズ [編集]

2007年、公式チアリーディングチームとして「トリコロール・ランサーズ」が結成された。詳細はランサーズの項を参照のこと。その後、2008年6月28日から「トリコロールマーメイズ」と名称を変更しリニューアルした。

その他 [編集]

  • Jリーグ発足時、同じ横浜市をホームタウンとしていた横浜マリノスと横浜フリューゲルスが同じ日にホームゲームを組むことがあった。しかし、Jリーグではスタジアムの芝生保護や観客入れ替えなどの観点上、1日2試合の開催を認めていなかったので、横浜Mが三ツ沢(球)、横浜Fは九州地方(特別活動地域の長崎県熊本県鹿児島県の3県)または国立などで試合を行うことがあった。なお1995年以後はホームゲームの開催日が調整され、同じ日に横浜Mと横浜Fの主催試合を重複開催することは皆無となった。
  • オフィシャルテーマソングはゆずが歌う「We are F・Marinos」。
  • マリノスクイーンと呼ばれる広報や試合運営補助を仕事とする女性がいる。なお、マリノスクイーンは神奈川県在住・通勤・通学者から選ばれている。

注釈 [編集]

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  1. ^ スポンサー名義は日産車体
  2. ^ 対戦相手は大宮アルディージャ(2005年)、ヴァンフォーレ甲府(2006年)、横浜FC(2007年)、モンテディオ山形(2009年)、サガン鳥栖(2012年)の5チーム。
  3. ^ 対戦相手はセレッソ大阪(1994年)、福岡ブルックス(1995年、現:アビスパ福岡)、大塚製薬サッカー部(1996年、現:徳島ヴォルティス)、東京ガスサッカー部(1997年、現:FC東京)、ブランメル仙台(現:ベガルタ仙台)(1998年)の5チーム。

出典 [編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae クラブガイド:横浜F・マリノス Jリーグ公式サイト
  2. ^ a b c d e f g 2011年度Jクラブ情報開示 資料 (PDF) Jリーグ公式サイト
  3. ^ a b 横浜マリノス株式会社の本社移転を発表”. 日産自動車プレスリリース (2004年11月29日). 2013年2月3日閲覧。
  4. ^ クラブプロフィール 横浜F・マリノス公式サイト
  5. ^ ワルノス・プロフィール”. ワルノス公式サイト. 2013年3月21日閲覧。
  6. ^ 横浜マリノス株式会社 第三者割当新株発行(増資)について”. J's GOAL (2005年1月26日). 2013年2月3日閲覧。
  7. ^ a b 背番号「3」永久欠番のお知らせ”. 横浜F・マリノス公式サイト (2011年8月12日). 2013年2月3日閲覧。
  8. ^ 横浜Fマリノス 05アウェイ半袖ユニフォーム”. スポーツウェブショッパーズ. 2013年3月21日閲覧。
  9. ^ 【J1:第4節 横浜FM vs 鹿島】”. J's GOAL (2012年3月31日). 2013年3月21日閲覧。
  10. ^ 横浜“盟友”との関係復活、5年ぶりアディダスと契約”. スポーツニッポン (2011年11月14日). 2013年3月21日閲覧。
  11. ^ 横浜F・マリノス新ジャージー 2012年3月誕生。”. アディダス公式サイト. 2013年3月21日閲覧。
  12. ^ 平均年齢約23歳の湘南ベルマーレ。若手の台頭とクラブ体質の変化はスクール事業拡大にあった”. サッカーキング (2013年1月21日). 2013年3月3日閲覧。
  13. ^ オリンピックリヨン×横浜F・マリノス 業務提携について”. 横浜F・マリノス公式サイト (2008年6月6日). 2013年2月3日閲覧。
  14. ^ a b 10月10日(水)天皇杯3回戦におけるJFA試合運営管理規定(禁止行為)に該当する横断幕の掲出について”. 横浜FC公式サイト (2012年10月13日). 2013年3月3日閲覧。
  15. ^ 10月10日(水)天皇杯3回戦横浜F・マリノス戦における違反行為への対応について”. 横浜FC公式サイト (2012年10月17日). 2013年3月3日閲覧。
  16. ^ 3月2日(土)J1第1節湘南ベルマーレ戦における選手紹介アナウンスの誤りに関する お詫びとご報告”. 横浜Fマリノス公式サイト (2013年3月3日). 2013年3月3日閲覧。

関連項目 [編集]

外部リンク [編集]