中澤佑二

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中澤 佑二
名前
愛称 ボンバーヘッド、ボンバー、ユウジ
カタカナ ナカザワ ユウジ
ラテン文字 NAKAZAWA Yuji
基本情報
国籍 日本
生年月日 1978年2月25日(31歳)
出身地 日本の旗埼玉県吉川市
身長 187cm
体重 78kg
血液型 AB型
選手情報
在籍チーム 日本の旗横浜F・マリノス
ポジション DF
背番号 22[注釈 1]
利き足 右足
クラブチーム1
クラブ App (G)
1996-1997
1998-2001
2002-
ブラジルの旗FCアメリカ
東京ヴェルディ
横浜F・マリノス
0- (-)
083 (05)
198 (16)
代表歴2
1999 - 日本 90(16)
1. 国内リーグ戦に限る。2006年12月2日現在。
2. 2009年6月10日現在。
Template(ノート 解説)サッカー選手pj

中澤 佑二(なかざわ ゆうじ、1978年2月25日 - )は、横浜F・マリノスに所属する日本サッカー選手埼玉県吉川市出身。ポジションディフェンダー(DF)で、センターバック(CB)を務める。

日本代表でも中心選手として活躍しており、CAP数は井原正巳川口能活に次いで歴代3位。

目次

[編集] 来歴

サッカーを始めたのは小学校6年生とプロ選手の中では遅め[1]埼玉県立三郷工業技術高等学校卒業後、ブラジルへサッカー留学。ブラジルのサッカークラブ・FCアメリカを経て、1998年にヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)に練習生契約で入団[注釈 2]。この間年代別の代表に呼ばれることはなかったが、1999年年にプロ契約しレギュラーを獲得すると、その年のJリーグ新人王に輝き、シドニー五輪をめざすトルシエのチームに招集され本大会にも出場。そしてそのまま「昇格組」としてフル代表にも選出されたが、その後不調に陥り、日韓共催W杯には選出されなかった。

2002年に横浜F・マリノスに移籍[注釈 3]し、チーム初の2連覇(2003年2004年)と3ステージ連続優勝(2003年1st、2ndステージ完全制覇、2004年1stステージ)。2004年度にはJリーグMVPを受賞した。

ジーコ監督となったフル代表チームの主軸選手として活躍し、2006年のドイツW杯では全試合にフル出場したがグループリーグ敗退で終わり、帰国後日本代表引退を公言した[注釈 4]

2007年2月、千葉県内で行われる日本代表候補合宿のオシムジャパン体制でメンバーに初選出され、ドイツW杯以来の代表復帰[注釈 5]キリンカップモンテネグロ戦ではA代表DF最多記録の自身10得点目を挙げ[2]、2008年1月30日のボスニア・ヘルツェゴビナ戦では第二次岡田ジャパン初得点を決めた。

[編集] プレースタイル

日本人サッカー選手の中では希少な187cmという恵まれた体格を生かしハイボールの競り合いに強く、守備だけでなく味方のセットプレーの際には貴重な得点源にもなる。[1]

以前は高さや強さがある反面、相手のドリブルやスピードのある相手を苦手としていたが、最近は相手の動きを先読みし、経験に裏づけされたディフェンスを見せている。

[編集] 所属クラブ

ユース経歴

プロ経歴

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯 オープン杯 期間通算
1996 アメリカ-MG
1997 アメリカ-MG
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1999 V川崎 22 J1 28 1 2 0 3 1 33 2
2000 V川崎 22 J1 29 4 3 0 2 0 34 4
2001 東京V 22 J1 26 0 2 0 0 0 28 0
2002 横浜FM 38 J1 27 1 0 0 2 0 29 1
2003 横浜FM 22 J1 29 4 7 2 2 0 38 6
2004 横浜FM 22 J1 27 1 0 0 1 0 28 1
2005 横浜FM 22 J1 27 3 3 0 1 0 31 3
2006 横浜FM 22 J1 23 1 2 0 3 0 28 1
2007 横浜FM 22 J1 32 2 7 0 1 0 40 2
2008 横浜FM 22 J1 33 4 3 0 3 1 39 5
2009 横浜FM J1
通算 ブラジル
日本 J1 281 21 29 2 18 2 328 25
総通算
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFC ACL
2004 横浜FM 22 2 0
2005 横浜FM 22 4 0
通算 AFC 6 0

[編集] 個人タイトル

[編集] 代表歴

[編集] 出場大会など

[編集] 試合数

  • 国際Aマッチ 90試合 16得点(1999年 -)


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
1999 1 0
2000 6 2
2001 2 0
2002 1 0
2003 4 0
2004 15 5
2005 12 1
2006 12 1
2007 13 2
2008 16 4
2009 8 1
通算 90 16

[編集] エピソード

  • 高校時代、プロサッカー選手になる夢を誰にも信じてもらえず、サッカー部の監督だけが相談相手だったという。
  • ブラジル留学から帰国後、年齢を偽り母校の高校生に混じりヴェルディユースと対戦した。その際にヴェルディユースの監督に目をかけられヴェルディの練習生となった。(徹子の部屋より)
  • ヴェルディの練習生時代、少しでも目立ちアピールしたいという理由でセミロングにパーマをかけた独特のヘアスタイルにする。このヘアスタイルはのちに「ボンバーヘッド」と命名され、いまや本人の代名詞となっている。一時期そのボンバーヘッドをばっさりと切ったことがあるが、周囲からは不評だったため、すぐに元のヘアスタイルに戻した。略して「ボンバー」という愛称で呼ばれることも多く、2009年シーズンより、ユニフォームの背中ネームも「NAKAZAWA」から「BOMBER」に変更している[注釈 6]
  • 練習生時代、同じくブラジル留学経験のある三浦知良に「同じ留学経験のあるカズさんなら」とブラジル留学時代と同じようなハードタックルをした所、カズが「誰だこいつ!」と激怒。髪を掴まれ引きずり回された。後にカズは「僕も若かったから」と苦笑いしている。
  • 2002年開幕直前にヴェルディから横浜F・マリノスへ移籍を決断するが、正式決定までに時間が掛かり開幕直前の発表となった。その影響で同シーズン用の集合写真や選手プロフィール用の撮影が済んでしまっていたことから、2002年の選手名鑑等に掲載されるチームの集合写真ではマリノスではなくヴェルディの集合写真に中澤の姿がある。
  • 横浜FMに移籍した2002年は、第7節ジュビロ磐田戦で移籍後初ゴールを決めたが、その2節前の第5節ガンバ大阪戦での移籍後初オウンゴールの方が先になってしまった。
  • 2008年第26節9月23日の対川崎フロンターレ戦で、前半42分にゴールを決めたが、後半27分に相手MFヴィトール・ジュニオールのコーナーキックをヘディングでクリアしようとしたが失敗、オウンゴールとなってしまう。結局そのまま1-1で引き分けとなり、得点も失点も中澤によるものという一人舞台となった。その試合後の記者会見では「今日の得点は・・・あっ、どっちも僕の得点だっけ」とコメント(週刊サッカーマガジンの記事による)。
  • 早寝早起きで毎日早朝のランニングを欠かさない。
  • 小遣いは月5万円である事を自身のブログやインタビューで告白している。
  • 安室奈美恵のファンであることを公言しており、毎年ライブにも行っている。
  • 地元吉川市で「NAKAZAWA SC」というサッカースクールを開設している。
  • 2007年のファン感謝イベントで若手選手たちと一緒に「DJオズマリノス」と称して「アゲ♂アゲ♂EVERY☆騎士」でダンスを披露した。この好評を受けて、2008年はマリザイル、2009年はマリケル・ジャクソンと銘打ってダンスを披露。F・マリノスのファン感謝祭をレベルの高いものとしている。
  • 週刊ヤングマガジンに『中澤佑二物語』(塀内夏子原作)という漫画が不定期連載され、2009年に講談社より単行本化された。中澤のブラジル時代からのエピソードが描かれている。単行本化に際し受けたインタビューでは「本屋で見つけたら目立つように並べ替えたいくらいです」と語り、喜びをあらわした[3]
  • 横浜FMから横浜FCへ移籍した久保竜彦が2007年開幕戦で豪快なゴールを決め、ひょっとこ顔ダンス(タコダンス)を披露。次節で対戦する中澤が「(久保がゴール後のパフォーマンスで)変な踊りをしているのは乗っている証拠だから気を引き締めて戦う」という旨のコメントをスポーツ紙上で語ると、それがYahoo!ニュース「中澤、久保の変な踊りを警戒」と大々的に紹介されて多くの笑いを誘った。

[編集] 注釈

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  1. ^ ヴェルディと正式契約したとき、初めて渡された背番号。以後、初心を忘れないように横浜F・マリノス移籍後も日本代表でも背番号は22を継続(2002年は横浜の移籍問題がこじれ、契約が遅れたため22番が埋まっており38番をつけた)している。
  2. ^ 練習生(トレーニー)契約とは、ジムと同じように、給料は支払われない。逆に、自分からお金を払って練習をするのである。プロが使用するグラウンドで、プロと一緒に練習をするのだが、クラブから金銭の補助は一切出ない。交通費も自腹で払う。つまり、地元の埼玉県吉川市からヴェルディの練習場がある東京都稲城市までの交通費(往復で約1800円)を練習に参加するたびに自腹で支払い、片道1時間かけて練習に参加していた。日本でもこのような環境の中で這い上がり、ヴェルディとの正式契約を結ぶまでに成長。2005年から2006年にかけて、練習生時代のエピソードがたびたび特集された。
  3. ^ 当時マリノスにいた中村俊輔が仲の良い中澤に対し、半分冗談で(マリノスに)勧誘するようなコメントを言ったことでヴェルディ側とマリノス側がもめるということがあった。だが結果的に、3年契約、初年度年俸2800万円でマリノスへの契約を決める。
  4. ^ 当初は記者会見を行う予定だったがイビチャ・オシム就任後招集されてないことから中止。
  5. ^ また、代表復帰した理由として挙げているのがNBAに挑戦する田臥勇太の「自分がNBAに挑戦することで何か変えられるのでは」という言葉を聞き「僕は良い環境にいながら、なぜここで立ち止まっているんだ」と考え始め、オシム監督の期待に応え、行動で示したいと代表復帰を決断したという。
  6. ^ 三浦知良の「KAZU」、中村憲剛の「KENGO」、佐藤勇人の「YUTO」など、本名をもじった愛称をユニフォームに入れた先例はあったが、本名に全く関係ない愛称を入れたのは、同年に「JIRO」に変更したチームメイトの清水範久とともにJリーグで初めてである。

[編集] 参考文献

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[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

先代:
小野伸二
Jリーグ新人王
1999
次代:
森崎和幸
先代:
エメルソン
Jリーグ年間最優秀選手
2004
次代:
アラウージョ