佐藤寿人

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佐藤 寿人
名前
愛称 ヒサト
カタカナ サトウ ヒサト
ラテン文字 SATO Hisato
基本情報
国籍 日本
生年月日 1982年3月12日(27歳)
出身地 埼玉県
身長 170cm
体重 63kg
血液型 A
選手情報
在籍チーム 日本の旗 サンフレッチェ広島
ポジション FW
背番号 11
利き足 左足
クラブチーム1
クラブ App (G)
2000-2001
2002-2003
2003-2004
2005-
ジェフ市原
セレッソ大阪
ベガルタ仙台
サンフレッチェ広島
022 (2)
013 (2)
074 (29)
0139 (76)
代表歴2
2006-2008 日本 020 (3)
1. 国内リーグ戦に限る。2008年12月6日現在。
2. 2008年11月19日現在。
Template(ノート 解説)サッカー選手pj

佐藤 寿人(さとう ひさと、1982年3月12日 - )は、日本プロサッカー選手埼玉県春日部市出身。サンフレッチェ広島所属。ポジションフォワード二卵性双生児の実兄に元日本代表MFの佐藤勇人千葉県立市川南高等学校卒業

目次

[編集] プレースタイル

瞬間的なスピードに長け、ディフェンスラインの一瞬の隙をついて裏に抜け出し、ワンタッチでゴールを決める、ストライカータイプのフォワード。ルーズボールや裏に出されたパスへの嗅覚もさることながら、ポジショニングの上手さで相手ディフェンダーとの駆け引きに打ち勝って供給されるクロスボールをゴールに結びつける実力は日本人随一とも言われる[1][2][3]

このスタイルに加え、最近ではポストプレイもこなすようになり、チームでは1トップのセンターフォワードとして起用されることもある。前線からの献身的な守備に加え、サイドに開きチャンスメイクするなど、ゴールだけではない近代的なFWといえる。

A代表では、そのスピードからアウトサイドで起用されることが多い。

[編集] 来歴

ユース時代

中学世代からより高いレベルで指導を受けるため、兄弟揃ってジェフユナイテッド市原ジュニアユースに入団する[4]。実家は春日部市でラーメン屋を営業していたが、これに伴い店を畳み、家族そろって千葉県八千代市に引っ越してきた[5]

その後、ユースに昇格。河内勝幸率いるU-16日本代表に選ばれ、U-16アジアユースに出場した。

市原-C大阪時代

2000年にトップに昇格しプロデビューを果たす。同年西村昭宏率いるU-20代表に選ばれアジアユースおよび翌2001年ワールドユースに出場した。2002年、出場機会を求めて、西村昭宏率いるJ2セレッソ大阪に移籍。しかしギラン・バレー症候群で出遅れ、西澤明訓の復帰、大久保嘉人の成長などでまたしても出場機会が得ることはできなかった。しかし、天皇杯で4試合3得点を挙げそれを目にした当時J1ベガルタ仙台がオファーを出し、レンタル移籍をする。

仙台時代

2003年、公式戦34試合で13得点を記録。仙台はJ2への降格が決定したが、J1チームからのオファーを全て蹴り、仙台へ完全移籍した。

2004年、44試合で20得点を記録し、J2の得点ランキング4位。日本人としては3位の成績を挙げる。更にサッカー以外では、自らがパーソナリティとなってローカルのラジオ番組『佐藤寿人のSPEED☆STAR』を持つなど、名実共に「ベガルタの象徴」となり、サポーターから「Mr.仙台」と呼ばれた。しかし、チームは大量失点を繰り返すなど勝ちきれない試合が続き、6位で終わる。悩んだ末、サンフレッチェ広島に移籍を決断。

広島時代

2005年、2試合でハットトリックを記録。得点ランキング3位、日本人得点王となる18得点を挙げ、広島を一時は2位まで躍進させる原動力となり、2005年度ベストイレブンにも選出。その活躍が認められジーコ時代のA代表に初招集、2006年2月11日アメリカ戦で初出場、アジアカップ最終予選のインド戦で代表初得点を決める。

翌2006年も18得点を挙げ、2年連続日本人得点王となった[6]。リーグでは好調を維持していたが、代表で活躍出来ず、ドイツW杯本大会のメンバーからは漏れることになった[7]

2007年シーズンは下田崇に代わって選手会長に就任。 イビチャ・オシム就任後も引き続きA代表に招集され、AFCアジアカップ2007に出場。5節の名古屋グランパスエイト戦において史上45人目のJ1通算50得点を達成した。しかし、チームは入れ替え戦の末J2へ降格。入れ替え戦終了後に、スタジアムのファンに対して、涙を流しながら「絶対に1年で(J1に)戻ってくる」と宣言し、他のチームからの移籍交渉を断り、残留した。

2008年、開幕直後こそ平繁龍一との2トップだったが、間もなく1トップ2シャドーのトップにポジションを変更、守備やポストプレーにも奮闘しながら得点を量産し、28得点を挙げてJ2得点王を獲得。チームの圧倒的な成績でのJ1復帰に貢献した。その活躍から、J2カテゴリ所属の選手にもかかわらず、引き続きA代表に選ばれた。

[編集] 人物

真面目で、人の悪口を言わない、誰に対しても優しい性格[8]。また、非常に礼儀正しく、常にクラブやサポーターへの感謝の心を忘れず、現所属の広島だけでなく、過去に所属した千葉、C大阪、仙台への感謝の念もしばしば口にする。

尊敬する選手はフィリッポ・インザーギ[9]

21歳で結婚し、既に2人の子どもに恵まれる。また好きで、ピッポ、ゴン、ムサシという3匹の犬を飼っている[10]

[編集] 所属クラブ

ユース経歴
  • 春日部大増サンライズ(埼玉県)
  • 1994年 - 1996年 : ジェフユナイテッド市原ジュニアユース
  • 1997年 - 1999年 : ジェフユナイテッド市原ユース
プロ経歴

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2000 市原 25 J1 8 0 4 2 3 0 15 2
2001 市原 14 J1 14 2 3 1 0 0 17 3
2002 C大阪 24 J2 13 2 - 4 3 17 5
2003 仙台 11 J1 30 9 6 4 1 0 37 13
2004 仙台 11 J2 44 20 - 2 0 46 20
2005 広島 11 J1 32 18 6 2 2 0 40 20
2006 広島 11 J1 33 18 4 2 2 2 39 22
2007 広島 11 J1 34 12 6 1 5 1 45 14
2008 広島 11 J2 40 28 - 2 2 42 30
2009 広島 11 J1 5 5
通算 日本 J1 151 59 34 17 13 3 198 79
日本 J2 97 50 - 8 5 105 55
総通算 248 109 34 17 21 8 303 134
  • 2007年 : 入替戦2試合0得点
  • 2008年 : Jリーグスーパーカップ1試合1得点

[編集] 個人記録

ユース経歴
  • 1998年 Jユース杯 得点王
プロ経歴
その他

[編集] 代表歴

[編集] 出場大会など

年齢別代表
A代表

[編集] 試合数

  • 国際Aマッチ 20試合 3得点(2006 -)


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
2006 12 3
2007 7 0
2008 1 0
通算 20 3

[編集] 得点数

# 年月日 開催地 対戦国 スコア 結果 試合概要
1 2006年2月22日 日本横浜国際総合競技場 インド 6-0 勝利 アジアカップ2007予選
2 2006年3月30日 日本、大分スタジアム エクアドル 1-0 勝利 キリンチャレンジカップ
3 2006年8月16日 日本、新潟スタジアム イエメン 2-0 勝利 アジアカップ2007予選

[編集] 脚注

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  1. ^ 週刊サッカーダイジェストでの「Jリーガー108選手が選ぶベストプレイヤー」という企画内で「ライン突破が上手い選手」では2位以下を大差で引き離して1位、また「シュートが上手い選手」では4位に選ばれた。
  2. ^ これはセレッソ大阪時代に短く限られた出場時間内に結果を残していた眞中靖夫のプレースタイルを目の当たりにし、「自分がプロサッカー選手として生き残るためには、何か一つ武器を」と思い立ち、現在のスピードを生かした、ポジショニングの巧みさ、ニアサイドに飛び込むスタイルを確立した(紫熊倶楽部2007年4月号より)。
  3. ^ このプレースタイルを生かすため、季節・気候を問わず、常に半袖のユニフォームを着用する。ユニフォームを掴まれ、ライン突破を妨げられるリスクをできるだけ少なくするためである。
  4. ^ 1993年当時、実家から通える浦和レッドダイヤモンズにはジュニアユースがなかったこと、およびジェフ市原の育成がいいという評判から。
  5. ^ サンフレッチェ広島アシストマガジン「assist」08年春号より
  6. ^ 川崎フロンターレ我那覇和樹も同得点で並んでいる。
  7. ^ 予定されていた会見は中止。「4年後を目指す」と広報を通じてコメントをした。
  8. ^ 森崎浩司のJ's GOALのインタビューより
  9. ^ 「ピッポ(インザーギの愛称)と同じピッチでプレーして、ユニフォームを交換したらそこで引退してもいい」や、ドイツW杯でもインザーギのレプリカユニフォームを着てずっとイタリアを応援。スーパーサッカー』ゲスト出演の時「W杯で最も印象に残ったゴールは?」という問いに「チェコ戦のインザーギのゴール」と答えるなど。また、彼が出場した2007年のFIFAクラブワールドカップ決勝戦では友人である中村憲剛常田真太郎と共に観客席で応援していた。
  10. ^ ピッポはインザーギの愛称から、ゴンはインザーギと同じく尊敬するFWである中山雅史、ムサシは好きな漫画である『バガボンド』の主人公、宮本武蔵からの命名。ちなみに千葉の実家、兄の勇人も犬を飼っている。

[編集] 関連情報

PV出演

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

先代:
フッキ
J2得点王
2008
次代:
-