西川周作
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| 名前 | |||||||
| 愛称 | シュウ、周作 | ||||||
| カタカナ | ニシカワ シュウサク | ||||||
| ラテン文字 | NISHIKAWA Shusaku | ||||||
| 基本情報 | |||||||
| 国籍 | |||||||
| 生年月日 | 1986年6月18日(25歳) | ||||||
| 出身地 | 大分県宇佐市 | ||||||
| 身長 | 183cm | ||||||
| 体重 | 81kg | ||||||
| 選手情報 | |||||||
| 在籍チーム | サンフレッチェ広島 | ||||||
| ポジション | GK | ||||||
| 背番号 | 1 | ||||||
| 利き足 | 左足(元右足) | ||||||
| ユースクラブ1 | |||||||
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| クラブチーム1 | |||||||
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| 代表歴 2 | |||||||
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| 1. 国内リーグ戦に限る。2011年12月5日現在。 2. 2011年11月15日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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西川 周作(にしかわ しゅうさく、1986年6月18日 - )は大分県宇佐市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・サンフレッチェ広島所属。ポジションはゴールキーパー。愛称はシュウサク。既婚者。
目次 |
[編集] 来歴
U-15から大分の下部組織で育ち、頭角をあらわす。2003年にはU-18日本代表に初選出され、松井謙弥、山本海人らとのポジション争いを制して年代別代表の正GKに定着。2005年6月にオランダで開催されたワールドユースでは、全4試合に先発出場した。
2005年からは大分のトップに昇格。当初は江角浩司の控えだったが、ワールドユースから帰国直後の7月12日、対横浜F・マリノス戦で初先発を果たすと、以降1試合を除いて全試合に出場。高卒1年目から正ゴールキーパーの座を奪取した。
2006年8月31日のアジアカップ最終予選、サウジアラビア戦(9月3日)、イエメン戦(9月6日)のメンバーとしてA代表に初選出。初出場は叶わなかったものの、川口能活や楢崎正剛の後継者として注目度は高まった。しかし、同年11月18日の対ヴァンフォーレ甲府戦で、左ひざ靭帯損傷で全治3ヶ月の重傷を負い、残りのシーズンを棒に振る。翌2007年3月10日の対ジュビロ磐田戦で復帰したが、その後も細かい負傷での離脱が目立ち、この時期はベテランの下川誠吾と激しいポジション争いを繰り広げていた。
2008年7月14日には北京オリンピック代表に選出されたが、7月20日の対磐田戦で判定に異議を唱えたとして警告を受けたことに関し、自身のブログで、累積警告を解消するためわざとイエローカードをもらったという意味の文を記載した。Jリーグの羽生英之事務局長は、「サッカー界の信頼を損なう行為であり、Jリーグ規約にも反する」と述べ、裁定委員会が開かれる可能性を示唆した[1][2](その後厳重注意という処分が下った)。その後無事に五輪には出場できたものの、精彩を欠いてしまい3戦全敗で予選リーグ敗退に終わった。また、五輪後の9月13日に行われた対浦和レッズ戦で負傷。残りのシーズンを棒に振り、またしても長期離脱となってしまった。
2009年10月8日のアジアカップ最終予選・香港戦にフル出場し、初選出から3年越しの代表デビューを果たした。またこの年は、レギュラー定着後初めて怪我なくシーズンを過ごし、自身初のリーグ全試合フル出場も達成した。しかし、この年の大分は14連敗を喫するなど大不振に陥り、西川の奮戦も実らずJ2降格が決定。更にシーズン終盤には、巨額の債務超過をはじめとする深刻な経営危機が発覚し、西川をはじめとする主力選手を引き留めることは財政面で不可能となった。同年オフ、いくつかのオファーの中から、サンフレッチェ広島へ移籍金7000万円 [3]で完全移籍。背番号はルーキー時代以来となる「21」に決まった。
2010年は広島でレギュラーとして自身2年連続となるリーグ戦全試合に出場。第3GKとして2010 FIFAワールドカップのメンバー入りも有力視されたが、負傷中の川口能活が主将として選出されたため、選出はならなかった[4]。W杯後に岡田武史が退任し、アルベルト・ザッケローニの就任後はコンスタントに代表に招集され、10月8日のアルゼンチン戦では川島永嗣の負傷により85分から途中出場し、勝利に貢献した。
AFCアジアカップ2011ではグループリーグ第2戦のシリア戦で、川島永嗣が退場処分を受けたため途中出場。最初のプレーとなったPKで代表4試合目にして初失点を喫したが、その後は無失点に抑え勝利に貢献した[5]。
下田崇の引退により、2011年から再び背番号1をつけることになった。
[編集] 人物・エピソード
- 大分生まれの大分育ちで、中学年代から大分トリニータの下部組織に在籍していたことから、トリニータへの愛着は非常に強く、サポーターからも象徴的な選手の一人として愛されていた。トリニータの経営危機により移籍せざるを得なくなった際も、最後まで残留と迷い、移籍を決断した際も「いつか必ず大分に戻ってきたい」とコメントを残している。
- 父親は、globeメンバーのKEIKOの実家である料亭「山田屋」の料理長であることが、小室哲哉のTwitterでの発言により明らかになっている。
- もともと効き足は右だったらしく、サンフレッチェ広島の公式サイトに掲載されている。
- 広島での西川の応援歌は、大分時代のものと同一である。
[編集] 所属クラブ
ユース経歴
- 宇佐市立四日市南小学校
- 宇佐FC
- 1999年 - 2001年 大分トリニータU-15
- 2002年 - 2004年 大分トリニータU-18(大分東明高等学校卒業)
プロ経歴
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2005 | 大分 | 21 | J1 | 21 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 24 | 0 |
| 2006 | 1 | 30 | 0 | 5 | 0 | 1 | 0 | 36 | 0 | ||
| 2007 | 11 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 15 | 0 | |||
| 2008 | 22 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 27 | 0 | |||
| 2009 | 34 | 0 | 3 | 0 | 1 | 0 | 38 | 0 | |||
| 2010 | 広島 | 21 | 34 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 39 | 0 | |
| 2011 | 1 | 34 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 35 | 0 | ||
| 2012 | |||||||||||
| 通算 | 日本 | J1 | 186 | 0 | 21 | 0 | 7 | 0 | 214 | 0 | |
| 総通算 | 186 | 0 | 21 | 0 | 7 | 0 | 214 | 0 | |||
| 国際大会個人成績 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
| AFC | ACL | |||
| 2010 | 広島 | 21 | 5 | 0 |
| 通算 | AFC | 5 | 0 | |
その他の国際公式戦
- 2009年
- パンパシフィックチャンピオンシップ 2試合0得点
- スルガ銀行チャンピオンシップ 1試合0得点
[編集] 個人タイトル
- 2005年 優秀新人賞
- 2006年、2008年 優秀選手賞
[編集] 代表歴
[編集] 出場大会
- U-18日本代表
- U-19日本代表
- 2004年 AFCユース選手権2004
- U-20日本代表
- 2005年 2005 FIFAワールドユース選手権 4試合5失点
- U-21日本代表
- U-22日本代表
- 2007年 北京オリンピックサッカーアジア予選 2次・最終予選 5試合0失点
- U-23日本代表
- 2008年 北京オリンピック
- 日本代表
- 2011年 AFCアジアカップ2011
[編集] 試合数
- 国際Aマッチ 7試合0得点(2009年-)
| 日本代表 | 国際Aマッチ | |
|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 |
| 2009 | 1 | 0 |
| 2010 | 2 | 0 |
| 2011 | 4 | 0 |
| 通算 | 7 | 0 |
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ 2008年7月22日付 YOMIURI ONLINE 反町JのGK・西川、磐田戦での警告「わざともらった」
- ^ 2008年7月22日付 日刊スポーツ 大分GK西川「わざとイエローもらった」
- ^ 2009年12月31日付 中国新聞 日本代表GK西川の獲得発表 3年契約、大分から移籍
- ^ 中国紙が見た日本代表選考=守備重視でスター選手落選 Livedoorスポーツ 2010年5月27日
- ^ 冷静24歳の西川 日本ゴール守る新守護神 アジア杯イザ! 2011年1月15日
[編集] 外部リンク
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