森本貴幸

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森本 貴幸 Football pictogram.svg
Morimoto UDI-CAT 4-2.jpg
名前
愛称 マレモート(津波)、和製ロナウド
カタカナ モリモト タカユキ
ラテン文字 MORIMOTO Takayuki
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 1988年5月7日(23歳)
出身地 神奈川県川崎市
身長 183cm
体重 76kg
選手情報
在籍チーム イタリアの旗 ノヴァーラ・カルチョ
ポジション FW
背番号 11
利き足
クラブチーム1
クラブ 出場 (得点)
2004-2006
2006-2011
2011-
日本の旗 東京ヴェルディ
イタリアの旗 カターニア
イタリアの旗 ノヴァーラ
46 (5)
81 (15)
()
代表歴 2
2009- 日本の旗 日本 9 (3)
1. 国内リーグ戦に限る。2011年7月12日現在。
2. 2010年10月8日現在。
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森本 貴幸(もりもと たかゆき、1988年5月7日 - )は、神奈川県川崎市出身のプロサッカー選手セリエAノヴァーラ・カルチョ所属。ポジションはFW

目次

[編集] 来歴

川崎市立平中学校卒業、東海大学望星高等学校中退。

[編集] 東京ヴェルディ

2004年ヴェルディジュニアユースに所属していた際に、オズワルド・アルディレス監督(当時)によってトップチームへの帯同が許可される。中学卒業直前の3月13日Jリーグ公式戦のジュビロ磐田戦(アウェイ)に後半6分から出場。Jリーグ史上最年少の15歳10ヶ月6日で公式戦出場を果たし『中学生Jリーガー誕生』との見出しがスポーツ新聞各紙に踊った。デビューから6試合(いずれも途中出場)は無得点が続いたが、5月5日市原戦(味の素スタジアム)で決勝点となるゴールを決め、15歳11カ月28日というJ1最年少得点の記録保持者となった。その後、シーズン終了までに計4得点を挙げ、同年のJリーグ最優秀新人賞を獲得。これも史上最年少(16歳)での受賞となった。

翌年の2005年3月19日には、Jリーグヤマザキナビスコカップ予選·川崎戦(味の素)でナビスコカップの史上最年少ゴール(16歳10ヵ月12日)も記録した。しかし、この年チームの成績は低迷しJ2降格を経験した。

[編集] カターニア

2006年7月23日、イタリア・セリエAに昇格したカターニアへの1年間のレンタル移籍が決定[1]。移籍後しばらくの間はユースチームでプレーしていたが、そこでゴールを量産したことが認められ、12月3日アスコリ戦で初のベンチ入りを果たした。

2007年1月29日(日本時間)、アタランタ戦の後半39分から初出場し、後半43分に初ゴールを決めた(出場・ゴールともにセリエA日本人最年少記録)。3月6日の練習中、左膝前十字靭帯断裂の大けがを負い、シーズン残りを棒に振った。6月17日、代理人のジョヴァンニ・ブランキーニがカターニアへの完全移籍が完了したことを明らかにした。

2007年8月26日、シーズン開幕となるパルマ戦で自身初スタメンとなり1ゴール、1アシストを記録。怪我からの復活を果たしたが、このシーズンのリーグ戦でのゴールはこの1点のみにとどまった。シーズン後の2008年8月には北京オリンピックサッカー日本代表メンバーに選出。2試合に出場したが活躍をみせられず、チームも3戦全敗でグループリーグで敗退した。

2008年12月、カターニアが森本との契約を2011年6月末まで延長したことを発表[2]。2008年最終戦となる12月24日のホームでのローマ戦では初のドッピエッタ(1試合2得点)を達成。マンオブザマッチに選ばれ、その節のベストイレブンにも選出された。2009年最初の試合となったアウェーでのナポリ戦では、前節での活躍から初めてキャプテンを任されたが、試合には1-0で敗れた。2月8日、ホームでのユヴェントス戦で1得点を挙げた。日本人選手でユベントスからの得点は、元日本代表の中田英寿以来[3]。3月1日、アウェイでのパレルモ戦(シチリアダービー)では前半だけで1ゴール、1アシストの大活躍を見せた。結局、このシーズンはリーグ戦23試合出場で7ゴールを記録し、飛躍の年となった。

2009-10シーズン開幕戦の2009年8月24日のサンプドリア戦では自身2度目となる開幕戦ゴールを記録。カターニアでの活躍が認められ9月のオランダ遠征でA代表に初選出されたが、左太ももの違和感のため辞退した。翌月には再び日本代表に選出され、10月10日のキリンチャレンジカップスコットランド戦で代表デビューを果たした。続く10月14日のトーゴ戦では代表初スタメンとなり、相手DFを背負いながら反転してシュートを決めて代表初得点も記録した。しかし、その後はチャンスこそ作るものの決定機でシュートをGKに当ててしまうなどスランプに陥り、クラブで4ヶ月得点が奪えず冬に加入した元アルゼンチン代表FWマクシミリアーノ・ロペスにスタメンを奪われ出場機会が減った。2010年6月に南アフリカで行われた2010 FIFAワールドカップの日本代表メンバーに選出されたが本大会での出場機会はなかった。

2010-11シーズンは出場機会に恵まれず、ほとんどが途中出場となり出場はわずか12試合、得点も1得点のみと低調な成績に終わり、シーズン終盤には移籍を希望した[4]

[編集] ノヴァーラ

2011年7月11日、出場機会を求め、この年55年ぶりにセリエAに昇格したノヴァーラ・カルチョへ移籍した(契約はカターニアとの共同保有[5])。9月17日、第3節カリアリ戦で移籍後初得点を決めた。9月20日、長友佑都との日本人対決が実現した第4節インテル戦では、PKを獲得するなど2得点に絡む活躍でチームのリーグ戦初勝利に大きく貢献した[6]。しかし、チームは低迷し続け、森本自身の調子も下降気味になっていく。さらに、11月に右膝半月板損傷により約3週間の離脱が発表された[7]

[編集] エピソード

  • カターニアへの完全移籍が完了した後から通訳を付けておらず、インタビューで簡単な言葉で受け答えできる程度はイタリア語を習得している。以降普通に話せる程上達しているが、2010年より日本代表監督に就いたアルベルト・ザッケローニによると、森本の発音は「カターニア地方の訛りがひどい」とのこと[8]
  • 手本にしている選手は元フランス代表FWのダビド・トレゼゲ、元ブラジル代表FWロナウド、元イタリア代表FWのフィリッポ・インザーギ。ヴェルディ時代に着用していた背番号17は元、トレゼゲがユヴェントスで着用している背番号が元となっていた。
  • ブラジル代表のアレシャンドレ・パトコッリエレ・デッロ・スポルト紙のインタビューで2008-2009シーズンで最も印象的であった同年代の選手として、森本の名を挙げた[9]
  • 中学(ヴェルディジュニアユース)時代の2001年、横浜F・マリノスジュニアユースとの公式戦で0-9の完敗を喫したときにその責任を感じたとして、スキンヘッドにし、それ以来森本のトレードマークとなっている。森本はその時の悔しさを忘れないようにと、現在もその時のスコアシートを財布に入れ肌身離さず持ち歩いている[10]
  • 2010 FIFAワールドカップ開催国の南アフリカから帰国した2010年7月1日、関西国際空港にて日本代表選手団の記者会見中、岡田武史監督が今野泰幸に対して何か言うように指示、今野がこの会見に一人不在だった田中マルクス闘莉王物真似を披露すると、会見場は爆笑の嵐が巻き起こる。その後も岡田監督は「誰かいるか、ほかに?」と他選手らを見回しながら、「今度は森本が南アフリカの歌を歌うらしいです」とコメント。岡田監督の突然の指示に、森本は困惑しながらもアフリカの民族音楽を意識した「アア~~ア~アーー!!」と大声で奇妙な歌声を披露し一礼すると、再度岡田監督やチームメートらにどっと大爆笑の渦に包まれた[11]
  • 右腕に「獅子王」のタトゥーを入れている。

[編集] 所属クラブ

ユース経歴
  • 1995年 - 1997年 津田山FC
  • 1998年 - 2000年 読売SCジュニア
  • 2001年 - 2003年 ヴェルディジュニアユース
  • 2004年 - 2004年5月 ヴェルディユース
プロ経歴

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2004 東京V 25 J1 22 4 2 0 0 0 24 4
2005 17 18 1 2 2 1 0 21 3
2006 J2 6 0 - - 6 0
イタリア リーグ戦 イタリア杯 オープン杯 期間通算
2006-07 カターニア 15 セリエA 5 1 0 0 - 5 1
2007-08 14 1 3 1 - 17 2
2008-09 23 7 1 2 - 24 9
2009-10 27 5 4 1 - 31 6
2010-11 12 1 1 1 - 13 2
2011-12 ノヴァーラ 11 11 3 -
通算 日本 J1 40 5 4 2 1 0 45 7
日本 J2 6 0 - - 6 0
イタリア セリエA 81 15 9 5 - 90 20
総通算 127 20 13 7 1 0 141 27

[編集] 個人タイトル

[編集] 代表歴

[編集] 試合数

  • 国際Aマッチ 9試合 3得点 (2009年 - )


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
2009 2 1
2010 7 2
通算 9 3

[編集] ゴール

# 開催年月日 開催地 対戦国 勝敗 試合概要
1. 2009年10月14日 日本、宮城 トーゴの旗 トーゴ ○5-0 キリンチャレンジカップ2009
2. 2010年9月7日 日本、大阪 グアテマラの旗 グアテマラ ○2-1 キリンチャレンジカップ2010
3.

[編集] 脚注

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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