中村北斗
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| 中村 北斗 | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 愛称 | ホクト | |
| カタカナ | ナカムラ ホクト | |
| ラテン文字 | NAKAMURA Hokuto | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1985年7月10日(24歳) | |
| 出身地 | 長崎県 | |
| 身長 | 167cm | |
| 体重 | 69kg | |
| 血液型 | A型 | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | FC東京 | |
| ポジション | DF、MF | |
| 背番号 | 14 | |
| 利き足 | 右足 | |
| クラブチーム1 | ||
| 年 | クラブ | App (G) |
| 2004-2008 2009- |
アビスパ福岡 FC東京 |
105 (11) |
| 1. 国内リーグ戦に限る。2008年12月8日現在。 ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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中村 北斗(なかむら ほくと、1985年7月10日 - )は、日本のサッカー選手。FC東京所属、ポジションはディフェンダー(右サイドバック)、ミッドフィールダー(右ウイングバック、ボランチ)。
目次 |
[編集] プレースタイル
小柄ながら、豊富な運動量と強靭なフィジカルをもつ上、度胸も座っている。高校時代はマンマークを得意とするボランチだったが、福岡、世代別代表では主に右サイドバック、右ウイングバックを務める。元々はフォワードの選手であり、ドリブル突破など攻撃面での魅力も持つ。
[編集] 略歴
長崎県諫早市多良見町出身。喜々津中学時代はFWとして活躍し、高校サッカー界の名門、長崎県立国見高等学校へ進学。1年時からレギュラーを獲得する。当時のポジションはおもにボランチで、対戦相手の「エースキラー」として活躍した。高校時代の3年間で、全国大会優勝4回、準優勝2回を数えた。高校時代の同期に平山相太、兵藤慎剛、1期後輩に城後寿がいた。全国高校サッカー選手権では、決勝の舞台で3年連続で先発フル出場しており、この記録を持つのは戦後の高校選手権史上、中村北斗ただ一人である。
高校卒業後の2004年、当時Jリーグ2部に属するアビスパ福岡に入団。1年目はクラブでの出場機会はなかったが、翌2005年3月5日、J2開幕戦(サガン鳥栖戦)で初出場・初先発。初得点は同年3月12日の水戸ホーリーホック戦(2得点)。
2005年6月にはワールドユース・オランダ大会に右ウィングバックのレギュラーとして出場。しかし、オランダのクインシー・オウス=アベイエ(現・ガーナ国籍)にレベルの差を見せ付けられるなど、チームは1勝もできずにベスト16で敗退した。
福岡でのリーグ戦中盤、足の故障で離脱。その後、10月23日サガン鳥栖戦で復帰、終盤にはボランチとして出場を重ね、攻守にわたり貢献。福岡の5年ぶりのJ1昇格にも貢献した。
2008年北京オリンピック出場を目指すU-21日本代表に招集されていたが、2006年11月21日の親善試合対U-21韓国代表戦 (国立競技場)で相手選手との接触により右膝前十字靭帯を痛め、全治半年の重傷を負ってしまった。その後、長いリハビリテーションを経て2007年7月7日対湘南ベルマーレ戦(平塚競技場)にて公式戦復帰出場を果たしたものの、約1週間後の7月15日対ベガルタ仙台戦(博多の森球技場)にて復帰後初のスターティングメンバーで出場した際、試合開始早々に右膝内側半月板を負傷し、再び全治2ヶ月の重傷で戦線離脱となるなど、怪我に泣いた。
2009年よりFC東京に完全移籍。
[編集] 所属クラブ
- ユース経歴
- プロ経歴
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2001 | 国見高 | 22 | - | - | - | 2 | 0 | 2 | 0 | ||
| 2002 | 国見高 | 8 | - | - | - | 3 | 0 | 3 | 0 | ||
| 2003 | 国見高 | 8 | - | - | - | 2 | 0 | 2 | 0 | ||
| 2004 | 福岡 | 29 | J2 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | |
| 2005 | 福岡 | 22 | J2 | 34 | 4 | - | 0 | 0 | 34 | 4 | |
| 2006 | 福岡 | 22 | J1 | 30 | 4 | 2 | 0 | 1 | 0 | 33 | 4 |
| 2007 | 福岡 | 22 | J2 | 3 | 0 | - | 0 | 0 | 3 | 0 | |
| 2008 | 福岡 | 14 | J2 | 38 | 3 | - | 1 | 0 | 39 | 3 | |
| 2009 | FC東京 | 14 | J1 | ||||||||
| 通算 | 日本 | J1 | 30 | 4 | 2 | 0 | 1 | 0 | 33 | 4 | |
| 日本 | J2 | 75 | 7 | - | 1 | 0 | 76 | 7 | |||
| 日本 | 他 | - | - | 7 | 0 | 7 | 0 | ||||
| 総通算 | 105 | 11 | 2 | 0 | 9 | 0 | 116 | 11 | |||
[編集] 経歴
[編集] 代表歴
- U-18、U-19、U-20日本代表(2003年-2005年)
- 2004年 AFCユース選手権
- 2005年 FIFAワールドユース選手権
- U-21日本代表(2006年)
[編集] 備考
- 「北斗」の名付け親は、10歳上の実兄で北海道日本ハムファイターズ、読売ジャイアンツに所属した元プロ野球選手の中村隼人(長男)である。由来は当時流行っていた『北斗の拳』。
- 三人兄弟で北斗は末っ子。次兄も野球をしていたが、一番野球の才能があったのは北斗と言われていた。北斗は丸坊主になりたくない為に早々に野球からサッカーに鞍替えしたが、国見高校サッカー部員は丸坊主にしなくてはならず、結局北斗も高校時代は坊主だった。
- TBS系『スーパーサッカー』では「ジャニーズ系Jリーガー」と紹介されたことがある。
- 元日本代表監督のイビチャ・オシムは「欧州移籍を勧めたい選手」の一人として中村の名を名前を挙げたり、新聞取材での「代表では内田篤人ら若い選手が出てきているが?」という問いに対し、オシムは「他にも例えば中村北斗や~(以下2人ほど名を上げた)」と答えるなど、中村のプレーを高く評価していた。
[編集] 外部リンク
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