李忠成

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李 忠成
名前
愛称 チュン、ただなり
カタカナ リ タダナリ
ラテン文字 LEE Tadanari
ハングル表記 이충성
基本情報
国籍 日本
生年月日 1985年12月19日(23歳)
出身地 東京都西東京市
身長 180cm
体重 74kg
血液型 O
選手情報
在籍チーム 柏レイソル
ポジション FW
背番号 20
利き足 左足
クラブチーム1
クラブ App (G)
2004
2005- 現 在
FC東京
柏レイソル
0 (0)
88 (22)
1. 国内リーグ戦に限る。2008年12月8日現在。
Template(ノート 解説)サッカー選手pj

李 忠成(り ただなり、1985年12月19日 - )は、東京都田無市(現:西東京市)出身のサッカー選手。ポジションはフォワードJリーグ(J1)柏レイソル所属。

大韓民国国籍の在日韓国人4世として生まれるが、2007年に日本国籍を取得して帰化した。通名は大山忠成、韓国語名はイ・チュンソン이충성、Lee Chung-Sung)であった。

目次

[編集] プレースタイル

機敏な動きと溢れる闘争心でゴールに迫る泥臭いストライカー。前園真聖は、『ゴン中山のような泥臭さを持つ、日本にとって貴重なストライカー』と評している。

スピード、フィジカル、テクニックに加え、豊富な運動量を兼ね備えており、守備意識も高く、前線から激しいプレッシングをかけてチームプレーに徹する。そのため、1試合で平均1、2本しかシュートを打たないことが多いが、シュート決定率が高く、特に利き足の左でのシュートは高い確率で枠をとらえる。

空中戦に競り勝つことも多く、ヘディングでもゴールを狙える。低い弾道のクロスには体を投げ出しダイビングヘッドをすることも多い。

闘争心溢れるプレーをする反面、時折創造性あふれるプレーも魅せる。スルーやノールックパス、シザーズフェイントなどで観客を楽しませる多彩な攻撃センスを持っている。

セルジオ越後からは、「もっとゴール前でガンガンシュートを打てるようなプレイヤーになってほしい」と言われたり、他の解説者やサッカージャーナリストから守備意識が高すぎるのでは? と言われることが多いが、本人は自己犠牲の意識はこれからも変えないと言っている。

[編集] 来歴

少年時代は地元田無市の「こみねFC」、中学時代は横河武蔵野FCのジュニアユースチームでプレー。東京都立田無高等学校への入学と同時に、FC東京のユースチームに入団。2004年にはトップチームに昇格するものの、出場機会は無かった。

出場機会を求めて、2005年に柏レイソルへ完全移籍[1]するも、同年にはクラブはJ2に降格 主力選手が軒並み移籍した2006年シーズンは、さらに負傷者が多かったチーム状況から先発メンバーに名を連ねることもあったが、怪我に見舞われ最終的には出場31試合で計8得点を挙げた。

代表では、2004年にU-19韓国代表候補に招集されたが、試合出場はなかった。その後、『大舞台で得点し、世界に在日韓国人の可能性をアピールしたい』と日本代表入りを希望して、2006年9月22日に日本への帰化を申請し、2007年2月9日に帰化が認められ[2]、6日後の2月15日に、北京オリンピックアジア予選に臨むU-22日本代表メンバーに追加招集された。初招集について、日本サッカー協会会長の川淵三郎は、「代表になりたいという気持ちは他の選手とは違う」とコメントしている。

[編集] エピソード

東京朝鮮第九初級学校の出身ではあるが、朝鮮語はあまり得意でなく、FC東京ユースで同期だった韓国籍選手呉章銀とも日本語で会話していた[3]。韓国代表候補合宿の招集歴があるが、「韓国代表では言葉も通じないので…」と、言葉の壁があったとしている。

日本に帰化した理由として、「五輪がなければ国籍変更していない。人生を変える大きな決断だった」ということを挙げる。 また、五輪出場をとおして「在日韓国人を世界に広めたい」と発言した。

実家は焼肉店で、李が移籍した現在でも、練習場が近いFC東京の選手の御用達である。2006年シーズン終了後にはチームを移籍するジャーンのお別れ会会場として使われた (サッカーai鈴木規郎のデジカメ日記」より)。経営者である李の父親も、元・実業団所属のサッカー選手という経歴を持つ。

2008年6月28日の対浦和レッズ戦で先制ゴールを決めたときにカズのパフォーマンス、「カズダンス」を披露した。

2008年7月6日の対ガンバ大阪戦ではビスマルクのポーズを真似たが、味方選手が飛び込んできてしまい中途半端な出来に本人は苦笑いしていた。

本人が更新する公式ブログでは、北京オリンピック公式ボールを見てシャア専用と言ったり、かめはめ波らしきポーズを取る写真などが貼られていることから、アニメ好きのようである。

「闘争心こそがサッカーの一大要素」と考えた元サッカー選手である彼の父は、幼少期に彼を柔道教室に通わせたことがある。

レイソルで付けている背番号20は、これは、かつてレイソルに在籍した元韓国代表の英雄、DF洪明甫が付けていた番号で、洪の退団後は20をつける選手は「ポスト・ミョンボ」として期待されるという、特別な意味を持つ番号になっているが、ポジションが違えども、彼はそれに見合った大活躍しており、サポーターから信頼を得ている。


姓のラテン文字表記は、柏の公式サイトや2007年版の各社の選手名鑑では RI だが日本代表のユニフォーム(背番号上)では LEE となっている。日本サッカー協会は Lee と表記しているが、Jリーグでの登録は帰化当初 Ri となり[4]、代表とリーグで登録名が異なっていた。その後、リーグでの登録名もLEEに変更[5]

[編集] 所属クラブ

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2004 FC東京 27 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2005 25 J1 8 0 3 0 0 0 11 0
2006 20 J2 31 8 - 0 0 31 8
2007 20 J1 30 10 5 0 1 0 36 10
2008 20 J1 19 4 4 0 4 1 27 5
2009 20 J1
通算 日本 J1 57 14 12 0 5 1 74 15
日本 J2 31 8 - 0 0 31 8
総通算 88 22 12 0 5 1 105 23

[編集] 経歴

[編集] 代表歴

  • 2004年 U-19韓国代表候補
  • 2007年 U-22日本代表

[編集] 関連項目

[編集] 参考文献

[編集] 脚注

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  1. ^ 出典:「李忠成選手 柏レイソルへ移籍決定のお知らせ」2005年1月14日付、FC東京公式FC東京、『FC東京ファンの皆さんは、すごく熱心な方達ばかりで支えてもらいました。試合に1試合も出られず、皆さんの期待に応える事はできませんでしたが、柏レイソルでは試合に出られるよう頑張りたいと思います。これからもご声援よろしくお願いします。』
  2. ^ 出典:「李忠成選手が日本国籍取得」、2007年2月9日、柏レイソル公式柏レイソル
  3. ^ 出典:「365日 FC東京」2007年2月11日、東京中日スポーツ ウェブプレス中日新聞社。なお、呉章銀はインタビューで「僕の日本語の方が、彼の朝鮮語よりうまかった」と回想している。
  4. ^ 出典:「ニュースリリース - 登録選手追加・変更」、2007年2月16日付、Jリーグ公式日本プロサッカーリーグ
  5. ^ 出典:「ニュースリリース - 登録選手追加・変更」、2007年5月11日付、Jリーグ公式日本プロサッカーリーグ

[編集] 外部リンク


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