洪明甫

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洪 明甫 Football pictogram.svg
Hong Myung-Bo.jpg
名前
愛称 アジアのリベロ、BO
カタカナ ホン・ミョンボ
ラテン文字 HONG Myung-Bo
ハングル 홍명보
基本情報
国籍 韓国の旗 韓国
生年月日 1969年2月12日(45歳)
出身地 ソウル
身長 182cm
体重 71kg
選手情報
ポジション DF (CB),MF (DH)
利き足 右足
代表歴
1990-2002[1] 韓国の旗 韓国 136 (10)
監督歴
2013-2014 韓国の旗 韓国
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

洪 明甫(ホン・ミョンボ、홍명보1969年2月12日 - )は、韓国の元サッカー選手、サッカー指導者。韓国、ソウル出身。現役時代のポジションはセンターバックディフェンシヴハーフ。元韓国代表監督。

来歴[編集]

韓国代表史上最多の136キャップを誇り、ワールドカップには1990年イタリア大会から4大会連続で出場。2002年日韓大会ではブロンズボール賞に輝いた[2][3]2004年3月ペレが選ぶ偉大なサッカー選手100人に選出された。

Jリーグではベルマーレ平塚柏レイソルに在籍。1999年は外国籍選手ながら柏レイソルのキャプテンを任され、ナビスコカップ優勝に貢献した。

2004年に現役を退いた後、2005年10月ディック・アドフォカート監督の下、韓国代表アシスタントコーチに就任し、2006年ワールドカップに参加。アドフォカート退任後に就任したピム・ファーベーク監督の下でも同職を務め、AFCアジアカップ2007に参戦した。2007年から2008年までU-23韓国代表のアシスタントコーチを務めた後、2009年にU-20韓国代表の監督に就任。U-20ワールドカップ2009年大会で同代表をベスト8に導いた。2009年10月、その実績を認められオリンピック韓国代表の監督に就任。ロンドンオリンピックで韓国サッカー史上初となる銅メダル獲得の快挙を果たした。

ロンドンオリンピック後は、2013年1月から2002年ワールドカップ韓国代表監督だったフース・ヒディンクが率いるロシアプレミアリーグアンジ・マハチカラで指導者研修を受けた。2013年6月26日、2014年ワールドカップ予選突破後に退任した崔康熙の後任として、韓国代表監督に就任した。契約では2014年ワールドカップだけでなく、2015年1月のアジアカップまで韓国代表を率いることとなっている[4]。2014年、ワールドカップ本戦は1分2敗でグループリーグ最下位で敗退し、大韓サッカー協会に辞意を伝えたが7月3日に協会は洪の続投を決定[5]。しかし10日になり一転して辞任することを表明した[5]。ワールドカップ敗退後に選手たちと会食した時の映像が流出した[6]ことや、代表メンバー選考において個人的な関係を優先した「義理起用」[7]などで批判報道に晒されていた。

エピソード[編集]

背番号[編集]

韓国代表や、湘南・柏といったクラブチームでは「20」を好んで付けていた(ベルマーレ入団時は途中入団だったため「37」)。特にレイソルでは、洪の退団後は20をつける選手は「ポスト・ミョンボ」として期待されるという、特別な意味を持つ番号になっている(2002年から2005年まではディフェンダー・永田充、2006年から2009年8月までは在日韓国人4世(当時)のフォワード・李忠成が付けていた。2010年はU-12からの生え抜きである茨田陽生が身に付ける)。 ロサンゼルス・ギャラクシーでは「18」、「20」は当時のエースストライカーカルロス・ルイーズが着けていた。

米国での登録名[編集]

ロサンゼルス・ギャラクシー在籍時の登録名は「BO」であった。リーグ戦でも選手名として背中に「BO」と書かれたユニフォームを着用してプレーした。これは彼の名前の英語表記「Hong Myung Bo」のうち「Bo」がファミリーネームであると勘違いされた事務手続上のミスであると言う説(ファミリーネームが「Hong」、ファーストネームが「Myung Bo」)と、在米韓国人や中国人でファーストネームの1文字めを呼び名とすることがあるが「Myung」が発音しにくかったからと言う説がある。しかし彼自身はこれを不快と捉えていないようであり、2003年に母国韓国で開催されたピースカップにギャラクシーの一員として参加した際、リーグ戦と同様に「BO」のネームの入ったユニフォームを着用しプレーしている。また引退後、サッカーを通じた慈善活動として「BO基金」を設立したほか、米国・カリフォルニア州に開設したサッカースクールの名称も「BOサッカーアカデミー」である。

その他[編集]

  • 日本サッカー協会の若手育成システムやJリーグの運営法に好意を抱いており、「大韓サッカー協会は日本のサッカー協会から多くのことを学ぶ必要がある」との見解を示している。また、有望な韓国人サッカー選手が、相次いでJリーグへの進出を志望していることに対しては「Jリーグに行ってコンビニの弁当を食べながら、トレーニングする状況を選択してはいけない」「若いころから日本に渡ると、私生活で壁にぶち当たり、自分のレベルを引き上げるのが難しくなる」と警鐘を鳴らしている[8]
  • 自身の出来事を高校の選手権時代から振り返り、また当時在籍していたJリーグで体験した事を韓国のスポーツ新聞で連載した『洪明甫のJリーグ短信』を綴った『LIBERO 洪明甫自伝』が日本では集英社から出版されている。また2002 FIFAワールドカップ開催前、漫画家のむつ利之が洪をモデルにして描いた漫画が講談社週刊少年マガジン」の読切り漫画で掲載。この作品は後にKBS第2テレビのバラエティー番組『スポンジ』にて本人証言で紹介された。
  • 韓国メディアは、若手の韓国人ディフェンダー(特にJリーグに移籍する選手)に対しては、期待を込めて「洪明甫二世」という呼び方をすることがある[要出典]朴景晥曺秉局林裕煥李康珍裴乗振金英權などが該当する。
  • 洪明甫が設立した財団「洪明甫財団」は子供サッカー教室支援、有望な若手選手の発掘・育成・奨学金支援などを行なっている。洪明甫は慈善活動や社会貢献活動で有名なスポーツ人の一人である。

所属クラブ[編集]

個人タイトル[編集]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
韓国 リーグ戦 リーグ杯 FA杯 期間通算
1992 浦項 Kリーグ 29 1 8 0 - 37 1
1993 11 1 1 0 - 12 1
1994 17 4 0 0 - 17 4
1995 24 1 7 0 - 31 1
1996 29 7 5 0
1997 0 0 6 0
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1997 平塚 37 J 10 0 0 0 3 1 13 1
1998 20 32 0 0 0 2 0 34 0
1999 J1 28 5 5 2 4 2 37 9
2000 29 2 2 0 2 0 33 2
2001 15 0 3 0 0 0 18 0
韓国 リーグ戦 リーグ杯 FA杯 期間通算
2002 浦項 Kリーグ 19 0 0 0
アメリカ リーグ戦 リーグ杯 USオープン杯 期間通算
2003 ギャラクシー MLS 25 0 2 0
2004 13 0 0 0
通算 韓国 Kリーグ 129 14 27 0
日本 J1 114 7 10 2 11 3 135 12
アメリカ MLS 38 0 2 0
総通算 281 21

指導歴[編集]

脚注[編集]

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関連項目[編集]