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パオロ・ロッシ |
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| 名前 |
| 愛称 |
黄金の子、神の子 |
| ラテン文字 |
Paolo Rossi |
| 基本情報 |
| 国籍 |
イタリア |
| 生年月日 |
1956年9月23日(55歳) |
| 出身地 |
プラート |
| 身長 |
174cm |
| 体重 |
66kg |
| 選手情報 |
| ポジション |
FW |
| 利き足 |
右足 |
| 代表歴 |
| 1977-1986 |
イタリア |
48 (20) |
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パオロ・ロッシ(Paolo Rossi、1956年9月23日 - )はイタリア出身の元同国代表サッカー選手。ポジションはFW。
[編集] 略歴
セリエBのヴィチェンツァで才能を開花させ、1976-77年21ゴールを挙げ得点王となり、セリエA昇格に貢献すると、翌季もセリエAで24得点を上げ得点王に輝き、史上初となるセリエB・セリエA連続得点王(2008年にアレッサンドロ・デル・ピエロが成し遂げるが、長いレガ・カルチョ史上2人のみ)となる。イタリア代表として1978年にアルゼンチンW杯に出場。ロベルト・ベッテガと2トップを組み3得点を上げる活躍を魅せベスト4進出に貢献すると期待の若手FWとして注目を集める。
順調な選手生活を送っていたが、ACペルージャ在籍時の1979-80年シーズンに八百長疑惑がかかり、裁定の結果2年間の出場停止処分を受けてしまった。漸く1982年スペインW杯直前に出場停止が解け代表に復帰を果たすが、長いブランクからか精彩を欠き、1次リーグでは無得点に終わりスタメン落ちもあるのではと噂された。
しかし2次リーグ、黄金のカルテットを擁する優勝候補ブラジル戦でハットトリックを決め復活を果たし、続く準決勝ポーランド戦でも2得点、決勝西ドイツ戦でも先制点を挙げ1938年以来44年振りとなるワールドカップ優勝に大きく貢献した。自身も6得点を挙げ得点王となり、さらにこの年のバロンドールも受賞し一躍、時の人となった。
特に華麗なプレースタイルというわけでもないのだが、とにかくゴール前での得点に絡む嗅覚がズバ抜けており、まさに天性の「点取り屋」であった。
かつてユベントスの会長を務めたことがあるアニエリの「ゴールを誰が決めたか分からないときはパオロ・ロッシだと答えておけばまず間違いない」という格言はまさにそれを象徴するものであった。
なお、「史上最強」と言われたセレソンが敗れたことにブラジル全土は非常に大きなショックを受けており、いまだに「パオロ・ロッシ」の名はブラジルでは禁句である。
続く1986年メキシコW杯では不調のためサブメンバーに甘んじ、最後まで全く出番は無かった。
その後は怪我の影響もあって29歳で引退している。引退後は建設関係の仕事を営み、またOBによるオールスターマッチにもたびたび出場し、姿を見せている。華奢な体型は当時と全く変わらない。
2004年3月にはペレが選ぶ『偉大なサッカー選手100人』に選出された。
[編集] 所属クラブ
[編集] 主な経歴
[編集] 個人成績
[編集] 代表歴
[編集] 主な経歴
[編集] 個人タイトル
[編集] 外部リンク
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バロンドール受賞者 |
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| 1950年代 |
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| 1960年代 |
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| 1970年代 |
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| 1980年代 |
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| 1990年代 |
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| 2000年代 |
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