ミロスラフ・クローゼ
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| 名前 | ||||||
| 愛称 | ミロ | |||||
| ラテン文字 | Miroslav Klose | |||||
| ポーランド語表記 | Mirosław Kloze | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 | ||||||
| 生年月日 | 1978年6月9日(34歳) | |||||
| 出身地 | ||||||
| 身長 | 184cm[1][脚注 1] | |||||
| 体重 | 84kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| 在籍チーム | ||||||
| ポジション | FW | |||||
| 背番号 | 11 | |||||
| 利き足 | 右足 | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
| 1999-2004 2004-2007 2007-2011 2011- |
120 (44) 89 (53) 98 (24) 27 (12) |
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| 代表歴2 | ||||||
| 2001- | 126 (67) | |||||
| 1. 国内リーグ戦に限る。2012年5月13日現在。 2. 2012年10月16日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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ミロスラフ・クローゼ(Miroslav Klose, 1978年6月9日 - )は、ポーランド・オポーレ出身のドイツ代表サッカー選手。ポジションはFW。セリエA・ラツィオ所属。
ドイツ代表での出場は歴代2位、得点数は歴代2位。FIFAワールドカップでの通算得点数14は歴代2位の記録である。
ポーランド生まれ。ポーランド語の表記法ではミロスワフ・クローゼ(Mirosław Kloze)。
目次 |
人物 [編集]
父はAJオセールなどでプレーし、ポーランド代表経験も持つ元サッカー選手ユゼフ・クローゼ(Józef Kloze)、母はポーランド代表で82試合出場した元ハンドボール選手バルバラ・イェジュ(Barbara Jeż)。祖父のエルヴィン・クローゼ(Erwin Klose)はシレジア(ドイツ語シュレジェン、ポーランド語シロンスク)地方出身のドイツ人で、第二次大戦後、シレジアがドイツ領からポーランド領となってからもそのまま定住し姓をKlozeと改姓したが、その後息子のユゼフ一家がドイツに移住した折にドイツ語の表記法に則ってKloseとしている。妻はポーランド出身のポーランド人[3]。クローゼの家族はすでに文化がポーランド化していて、家庭では互いにポーランド語を話し、息子たちは幼稚園でドイツ語を習っている[4][5]。若い頃に大工の資格を取得している。
経歴 [編集]
9歳でドイツに移住し、7部リーグに所属する小さなクラブ、ブラウバッハ=ディーデルコップフやFCホンブルクでアマチュア時代を過ごす。1999年にはブンデスリーガ・1.FCカイザースラウテルンのサテライトチームに移籍し、2000年にプロデビュー。翌シーズンにはUEFAカップ準決勝まで進出し、ポーランドとドイツ両代表から招集を受けるが、クローゼはドイツ代表を選択。2001年3月24日のアルバニア戦で代表デビューを果たした。
2002年、FIFAワールドカップ日韓大会を控えた親善試合でハットトリックを2度達成して好調を維持。大会本番でも7試合5得点(全ての得点がヘッド)で得点ランク2位になり、ユルゲン・クリンスマン、オリバー・ビアホフを継ぐドイツ代表のエースストライカーとしてドイツの準優勝に貢献した。
W杯後はクラブ、代表ともに良い活躍を見せられず低迷していたが、2004年7月1日にヴェルダー・ブレーメンへ移籍するとこれが転機となり完全復活。クロアチア代表のイヴァン・クラスニッチと2トップを組み、2005-06シーズンはブンデスリーガ得点王となった。さらに2006年のFIFAワールドカップドイツ大会でも7試合で5得点を決めて得点王となった。また得点以外の面でもスウェーデン戦でルーカス・ポドルスキの得点をアシストするなどの活躍を見せた。
2007年6月26日、移籍金1200万ユーロ(約19億8千万円)でバイエルン・ミュンヘンへ移籍した。
2009年になるとチームでの出場機会及び得点数が減少していたが、代表では不動のエースとして活躍。自身3度目となる2010 FIFAワールドカップにも出場した。若返ったチームの中でも活躍し、グループリーグ初戦のオーストラリア戦で得点を挙げ、3大会連続得点を記録した。第2戦のセルビア戦では2枚のイエローカードを受けて前半で退場し、ドイツも敗れた。出場停止明けの決勝トーナメント1回戦イングランド戦ではマヌエル・ノイアーからのゴールキックをDFに競り勝ち直接決め、先制点を挙げた。代表通算100試合目の出場となった準々決勝のアルゼンチン戦では2得点を挙げ、この時点でゲルト・ミュラーに並びW杯通算得点を歴代2位の14得点とした。その後、準決勝のスペイン戦は無得点、3位決定戦のウルグアイ戦は欠場したため大会通算4得点、W杯歴代通算14得点で大会を終えた。
クローゼは「この大会で代表を引退する」と宣言したが、その後UEFA欧州選手権2012への正式招集が決定。会見で「自分はまだ若いし、2014年まで十分やっていける」と2014 FIFAワールドカップへの参加を示唆する発言をした。2011年2月10日のイタリアとの親善試合に出場し代表出場試合数が106となり、ユルゲン・コーラーを抜き歴代単独3位となった。この試合では通算59得点目となる先制点も挙げた。
6月9日、契約期間満了でバイエルンを退団[6]。ラツィオへ移籍した[7]。初の海外挑戦に対し不安の声も聞かれたがすんなりとチームにフィットし、怪我での離脱がありながらもチームトップのリーグ戦13得点を記録した。
2013年5月5日のボローニャFC戦で1試合5ゴールを記録した[8]。
エピソード [編集]
- カイザースラウテルン時代は、プロになるまで大工のアルバイトをしていた。これは父の「何か手に職を持っておけ」という言いつけによって大工の職業訓練を受けていたためである[9][10]。
- フランツ・ベッケンバウアーはクローゼを「クロージーニョ」とあだ名している[11][12]。
- ゴールを奪うと、前方宙返りでその喜びを表現することから、「サルト・クローゼ」と呼ばれている[13][14]。
- 2005年4月30日、ブレーメン対ビーレフェルト戦では0-0の時点で自らが得たPKに対して「自分が倒れただけで、PKではない」と審判に申告しPKと相手選手への警告を取り消させた。その後試合はクローゼ自身のゴールもあって3-0でブレーメンの勝利。このプレーによってクローゼはドイツオリンピック委員会選定の「フェアプレー賞」を受賞している[15][16][17]。
- 2012年9月26日のラツィオ対ナポリ戦では、0-0の前半3分にCKからネットを揺らしたが、ナポリの選手がハンドをアピールして猛抗議すると自らハンドを認め、主審はゴールを取り消した[18]。試合後、ナポリの主将であるパオロ・カンナヴァーロは、「クローゼの行動は、賞が与えられるべきものだ」とそのフェアプレー精神を称賛した。
所属クラブ [編集]
- 1999年 - 2004年
1.FCカイザースラウテルン - 2004年 - 2007年
ヴェルダー・ブレーメン - 2007年 - 2011年
バイエルン・ミュンヘン - 2011年 -
SSラツィオ
個人成績 [編集]
| クラブ | シーズン | 国内リーグ | 国内カップ戦 | 欧州カップ戦 | 合計 | ||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||
| カイザースラウテルン | 1999-00 | 2 | 0 | 2 | 0 | ||||
| 2000-01 | 29 | 9 | 2 | 0 | 12 | 2 | 43 | 11 | |
| 2001-02 | 31 | 16 | 4 | 0 | 35 | 16 | |||
| 2002-03 | 32 | 9 | 4 | 4 | 36 | 13 | |||
| 2003-04 | 26 | 10 | 1 | 1 | 2 | 1 | 29 | 12 | |
| 合計 | 120 | 44 | 11 | 5 | 14 | 3 | 145 | 52 | |
| ブレーメン | 2004-05 | 32 | 15 | 5 | 0 | 8 | 2 | 44 | 17 |
| 2005-06 | 26 | 25 | 5 | 2 | 9 | 4 | 40 | 31 | |
| 2006-07 | 31 | 13 | 3 | 1 | 13 | 2 | 47 | 16 | |
| 合計 | 89 | 53 | 13 | 3 | 30 | 8 | 132 | 64 | |
| バイエルン | 2007-08 | 27 | 10 | 8 | 6 | 12 | 5 | 47 | 21 |
| 2008-09 | 26 | 10 | 4 | 3 | 8 | 7 | 38 | 20 | |
| 2009-10 | 25 | 3 | 5 | 2 | 8 | 1 | 38 | 6 | |
| 2010-11 | 20 | 1 | 4 | 3 | 2 | 1 | 26 | 5 | |
| 合計 | 98 | 24 | 21 | 14 | 30 | 14 | 146 | 52 | |
| ラツィオ | 2011-12 | 27 | 13 | 2 | 0 | 6 | 3 | 35 | 16 |
| 合計 | 27 | 12 | 2 | 0 | 6 | 3 | 35 | 15 | |
| 通算(ドイツ) | 307 | 121 | 45 | 21 | 74 | 25 | 423 | 168 | |
| 通算(イタリア) | 27 | 12 | 2 | 0 | 6 | 3 | 35 | 15 | |
個人タイトル [編集]
- ドイツ最優秀選手 2006年
- ブンデスリーガ得点王(26試合25得点) 2005年-2006年
- FIFAワールドカップ得点王(7試合5得点) 2006年
脚注 [編集]
文献 [編集]
- ^ 25 Miroslav Klose (ドイツ語) transfermarkt.de 2012.7.31 14:57 (UTC) 閲覧
- ^ Miroslav Klose (英語) ESPN 2012.7.31 15:06 (UTC) 閲覧
- ^ http://www.em-08.info/spielerfrauen/sylwia_klose_/
- ^ http://www.123football.com/players/k/miroslav-klose/index.htm
- ^ http://www.spiegel.de/spiegel/print/d-54683212.html?name=Ein+dickk%26ouml%3Bpfiges+Bambi
- ^ http://www.fcbayern.t-com.de/de/aktuell/news/2011/29715.php
- ^ ラツィオ、クローゼ獲得を発表Goal.com 2011年6月9日
- ^ クローゼ、1試合5得点も「チームのおかげ」Goal.com 2013年5月6日
- ^ 増島みどり. “ミロスラフ・クローゼ「静かなる成功者」” (日本語). MASUJIMA STADIUM. 2011年12月28日閲覧。
- ^ Sven Becker (2007年6月27日). “From carpenter to goalgrabber” (英語). Bundesliga. 2011年12月28日閲覧。
- ^ “12 des Tages: Samba mit "Klosinho"” (ドイツ語). SPIEGEL ONLINE (2006年12月4日). 2011年12月28日閲覧。
- ^ “Barça vai encarar "Klosinho" alemão” (ポルトガル語). Globoesporte.com (2006年12月3日). 2011年12月28日閲覧。
- ^ “Wer jubelt am schönsten?” (ドイツ語). FIFA.com (2010年10月9日). 2011年12月28日閲覧。
- ^ Shreshta Trivedi (2006年7月12日). “Up Klose and personal with Miroslav” (英語). ZEENEWS.com. 2011年12月28日閲覧。
- ^ “Miroslav Klose Picks Up Fair Play Award” (英語). Werder Bremen (2005年5月11日). 2011年12月28日閲覧。
- ^ “FAIR PLAY TO YOU, MIROSLAV” (英語). sportinglife.com. 2011年12月28日閲覧。
- ^ “National team player Miroslav Klose” (英語). DFB - Deutscher Fußball-Bund e.V. (2006年5月15日). 2011年12月28日閲覧。
- ^ クローゼがハンドを認めてゴール取り消しGoal.com 2012年9月27日
外部リンク [編集]
- ミロスラフ・クローゼ - FIFA主催大会成績 (英語)
- 公式サイト (ドイツ語)
- キッカー公式サイトによる紹介 (ドイツ語)
- Fussballdaten.de (ドイツ語)
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