ミロスラフ・クローゼ
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| 名前 | ||||
| 愛称 | ミロ | |||
| カタカナ | ミロスラフ・クローゼ | |||
| ラテン文字 | Miroslav Klose | |||
| ポーランド語表記 | Mirosław Kloze | |||
| 基本情報 | ||||
| 国籍 | ||||
| 生年月日 | 1978年6月9日(33歳) | |||
| 出身地 | オポーレ | |||
| 身長 | 182cm | |||
| 体重 | 84kg | |||
| 選手情報 | ||||
| 在籍チーム | ||||
| ポジション | FW | |||
| 背番号 | 25 | |||
| 利き足 | 右足 | |||
| 代表歴 2 | ||||
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| 2. 2011年11月15日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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ミロスラフ・クローゼ(Miroslav Klose、1978年6月9日 - )は、ポーランド・オポーレ出身のドイツ代表サッカー選手。ポジションはFW。セリエA・ラツィオ所属。 ドイツ代表での出場は歴代2位、得点数は歴代2位。FIFAワールドカップでの通算得点数14は歴代2位の記録である。
目次 |
[編集] 人物
父はAJオセールなどでプレーし、ポーランド代表経験も持つ元サッカー選手ユゼフ・クローゼ(Józef Kloze)、母はポーランド代表で82試合出場した元ハンドボール選手バルバラ・イェジュ(Barbara Jeż)。祖父のエルヴィン・クローゼ(Erwin Klose)はシュレジエン地方出身のドイツ人で、第二次大戦後、ドイツ領シュレジエンがポーランド領シレジアとなってからもそのまま定住し姓をKlozeと改姓したが、その後息子のユゼフ一家がドイツに移住した折に元のKloseに戻している。妻はポーランド出身のポーランド人[1]。クローゼの家族はすでに文化がポーランド化していて、家庭では互いにポーランド語を話し、息子たちは幼稚園でドイツ語を習っている[2][3]。若い頃に大工の資格を取得している。
[編集] 経歴
9歳でドイツに移住し、7部リーグに所属する小さなクラブ、ブラウバッハ=ディーデルコップフやFCホンブルクでアマチュア時代を過ごす。1999年にはブンデスリーガ・1.FCカイザースラウテルンのサテライトチームに移籍し、2000年にプロデビュー。翌シーズンにはUEFAカップ準決勝まで進出し、ポーランドとドイツ両代表から招集を受けるが、クローゼはドイツ代表を選択。2001年3月24日のアルバニア戦で代表デビューを果たした。
2002年、FIFAワールドカップ日韓大会を控えた親善試合でハットトリックを2度達成して好調を維持。大会本番でも7試合5得点(全ての得点がヘッド)で得点ランキング2位を記録し、ユルゲン・クリンスマン、オリバー・ビアホフを継ぐドイツ代表のエースストライカーとしてドイツの準優勝に貢献した。
W杯後は、クラブ、代表ともに良い活躍を見せられず低迷していたが、2004-05シーズンにヴェルダー・ブレーメンへ移籍すると、これが転機となり完全復活。クロアチア代表のイヴァン・クラスニッチと2トップを組み、2005-06シーズンはブンデスリーガ得点王となった。さらに2006年のFIFAワールドカップドイツ大会でも7試合で5得点を決めて得点王となった。また得点以外の面でもスウェーデン戦でルーカス・ポドルスキの得点をアシストするなどの活躍を見せた。
2006-07シーズン終了後、移籍金1200万ユーロ(約19億8千万円)でバイエルン・ミュンヘンへ移籍した。
2009年頃からチームでの出場機会及び得点数が減少していたが、ドイツ代表としては不動のエースとして活躍し、自身3度目となる2010 FIFAワールドカップにも出場した。若返ったチームの中でも活躍し、グループリーグ初戦のオーストラリア戦でゴールを挙げ、3大会連続得点を記録した。第2戦のセルビア戦では2枚のイエローカードを受けて前半で退場し、ドイツも敗れた。出場停止明けの決勝トーナメント1回戦イングランド戦ではマヌエル・ノイアーからのゴールキックをDFに競り勝ち直接決め、先制ゴールを挙げた。代表通算100試合目の出場となった続く準々決勝のアルゼンチン戦では2得点を挙げ、この時点でゲルト・ミュラーに並びW杯通算得点を歴代2位の14得点とした。その後、準決勝のスペイン戦は無得点、3位決定戦のウルグアイ戦は欠場したため大会通算4得点、W杯歴代通算14得点で大会を終えた。
クローゼは「この大会で代表を引退する」と宣言したが、その後UEFA欧州選手権2012への正式招集が決定。会見で「自分はまだ若いし、2014年まで十分やっていける」と2014 FIFAワールドカップへの参加を示唆する発言をした。2011年2月10日のイタリアとの親善試合に出場し代表出場試合数が106となり、ユルゲン・コーラーを抜き歴代単独3位となった。この試合では通算59得点目となる先制ゴールも挙げた。
2011年6月、契約期間満了でバイエルン・ミュンヘンを退団[4]、ラツィオへ移籍した[5]。
[編集] エピソード
- カイザースラウテルン時代は、プロになるまで大工のアルバイトをしていた。これは父の「何か手に職を持っておけ」という言いつけによって大工の職業訓練を受けていたためである[6][7]。
- フランツ・ベッケンバウアーはクローゼを「クロージーニョ」とあだ名している[8][9]。
- ゴールを奪うと、前方宙返りでその喜びを表現することから、「サルト・クローゼ」と呼ばれている[10][11]。
- 2005年4月30日、ブレーメン対ビーレフェルト戦では0-0の時点で自らが得たPKに対して「自分が倒れただけで、PKではない」と審判に申告しPKと相手選手への警告を取り消させた。その後試合はクローゼ自身のゴールもあって3-0でブレーメンの勝利。このプレーによってクローゼはドイツオリンピック委員会選定の「フェアプレー賞」を受賞している[12][13][14]。
[編集] 所属クラブ
- 1999年 - 2004年
カイザースラウテルン - 2004年 - 2007年
ヴェルダー・ブレーメン - 2007年 - 2011年
バイエルン・ミュンヘン - 2011年 -
ラツィオ
[編集] 個人成績
| クラブ | シーズン | 国内リーグ | 国内カップ戦 | 欧州カップ戦 | 合計 | ||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||
| カイザースラウテルン | 99–00 | 2 | 0 | 2 | 0 | ||||
| 00–01 | 29 | 9 | 2 | 0 | 12 | 2 | 43 | 11 | |
| 01–02 | 31 | 16 | 4 | 0 | 35 | 16 | |||
| 02–03 | 32 | 9 | 4 | 4 | 36 | 13 | |||
| 03–04 | 26 | 10 | 1 | 1 | 2 | 1 | 29 | 12 | |
| 合計 | 120 | 44 | 11 | 5 | 14 | 3 | 145 | 52 | |
| ヴェルダー・ブレーメン | 04–05 | 32 | 15 | 5 | 0 | 8 | 2 | 44 | 17 |
| 05–06 | 26 | 25 | 5 | 2 | 9 | 4 | 40 | 31 | |
| 06–07 | 31 | 13 | 3 | 1 | 13 | 2 | 47 | 16 | |
| 合計 | 89 | 53 | 13 | 3 | 30 | 8 | 132 | 64 | |
| バイエルン・ミュンヘン | 07–08 | 27 | 10 | 8 | 6 | 12 | 5 | 47 | 21 |
| 08-09 | 26 | 10 | 4 | 3 | 8 | 7 | 38 | 20 | |
| 09-10 | 25 | 3 | 5 | 2 | 8 | 1 | 38 | 6 | |
| 10-11 | 20 | 1 | 4 | 3 | 2 | 1 | 26 | 5 | |
| 合計 | 98 | 24 | 21 | 14 | 30 | 14 | 146 | 52 | |
| ラツィオ | 11–12 | 13 | 8 | 0 | 0 | 2 | 2 | 15 | 10 |
| 合計 | 13 | 8 | 0 | 0 | 2 | 2 | 15 | 10 | |
| 通算(ドイツ) | 307 | 121 | 45 | 21 | 74 | 25 | 423 | 168 | |
| 通算(イタリア) | 13 | 8 | 0 | 0 | 2 | 2 | 15 | 10 | |
[編集] 個人タイトル
- ドイツ最優秀選手 2006年
- ブンデスリーガ得点王(26試合25得点) 2005年-2006年
- FIFAワールドカップ得点王(7試合5得点) 2006年
[編集] 脚注
- ^ http://www.em-08.info/spielerfrauen/sylwia_klose_/
- ^ http://www.123football.com/players/k/miroslav-klose/index.htm
- ^ http://www.spiegel.de/spiegel/print/d-54683212.html?name=Ein+dickk%26ouml%3Bpfiges+Bambi
- ^ http://www.fcbayern.t-com.de/de/aktuell/news/2011/29715.php
- ^ ラツィオ、クローゼ獲得を発表Goal.com 2011年6月9日
- ^ 増島みどり. “ミロスラフ・クローゼ「静かなる成功者」” (日本語). MASUJIMA STADIUM. 2011年12月28日閲覧。
- ^ Sven Becker (2007年6月27日). “From carpenter to goalgrabber” (英語). Bundesliga. 2011年12月28日閲覧。
- ^ “12 des Tages: Samba mit "Klosinho"” (ドイツ語). SPIEGEL ONLINE (2006年12月4日). 2011年12月28日閲覧。
- ^ “Barça vai encarar "Klosinho" alemão” (ポルトガル語). Globoesporte.com (2006年12月3日). 2011年12月28日閲覧。
- ^ “Wer jubelt am schönsten?” (ドイツ語). FIFA.com (2010年10月9日). 2011年12月28日閲覧。
- ^ Shreshta Trivedi (2006年7月12日). “Up Klose and personal with Miroslav” (英語). ZEENEWS.com. 2011年12月28日閲覧。
- ^ “Miroslav Klose Picks Up Fair Play Award” (英語). Werder Bremen (2005年5月11日). 2011年12月28日閲覧。
- ^ “FAIR PLAY TO YOU, MIROSLAV” (英語). sportinglife.com. 2011年12月28日閲覧。
- ^ “National team player Miroslav Klose” (英語). DFB - Deutscher Fußball-Bund e.V. (2006年5月15日). 2011年12月28日閲覧。
[編集] 外部リンク
- 公式サイト(ドイツ語)
- キッカー公式サイトによる紹介 (ドイツ語)
- Fussballdaten.de (ドイツ語)
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