フランク・リベリー
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| フランク・リベリー | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 愛称 | スカーフェイス(Scarface) | |
| ラテン文字 | Franck RIBÉRY | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1983年4月1日(26歳) | |
| 出身地 | ブーローニュ・シュル・メール | |
| 身長 | 170cm | |
| 体重 | 62kg | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | バイエルン・ミュンヘン | |
| ポジション | MF (OH,SH) | |
| 背番号 | 7 | |
| 利き足 | 右足 | |
| 代表歴2 | ||
| 2006- | 32 (5) | |
| 2. 2008年10月15日現在。 ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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フランク・リベリー(Franck Ribéry、1983年4月1日 - )は、フランス出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィルダー。
[編集] 経歴
フランスでも貧しい都市といわれるブーローニュ・シュル・メールで最も貧しいとされるシュマン・ヴェール地域生まれ。2歳の時に父親の運転する車で事故に遭い路上に投げ出されるという悲劇に遭う。この時に額から右頬にかけてできた傷は今も深く残っている。
幼い頃に住宅地のコンクリートの上で行われるストリートサッカーで磨いたテクニックはリーグ・アンの選手の中でも屈指。13歳で入団したリールOSCの下部組織を統轄したブルーノ・トマソンも高く評価していた。しかし、学業成績不振により16歳で家に送り返されてしまう。その後南フランスのオランピック・アレス(3部)に加入するも、クラブの財政破綻により挫折。スタッド・ブレスト(当時3部)、メス(当時1部)、ガラタサライを経て2005年夏にオリンピック・マルセイユへ移籍、攻撃陣の軸として活躍した。
ユース代表の経験は豊富。フル代表は未招集ながらフランス国内では代表の不振から脱却するためにリベリーの招集を望む声が強く、その後押しもあってドイツW杯のフランス代表メンバーに選ばれた。本大会では、グループリーグでは周りと噛み合わない場面もあったものの、決勝トーナメント1回戦のスペイン戦では、逆転への足掛かりとなる同点ゴールを決めるなど、徐々に調子を上げ、フランス代表の準優勝に大きく貢献した。ジネディーヌ・ジダンの後継者と評する声もある。これらの活躍から数々のビッグクラブから注目を集めるようになり、移籍先が注目されていたが、2007年6月にバイエルン・ミュンヘンへ移籍することが発表された。
バイエルンでは1年目からレギュラーとして期待通りの活躍を見せ、11ゴールを挙げるなどチームのブンデスリーガ優勝に貢献。リーグMVPを受賞した。
EURO2008では不振のフランス代表にあって、中心選手として孤軍奮闘。しかし、フランスの決勝トーナメント進出を賭けたグループリーグ最終戦の対イタリア戦の前半9分にジャンルカ・ザンブロッタと接触した際に、負傷退場。その後のフランスは攻撃の要であったリベリーの穴を埋めることができず、アビダルの退場処分によるハンデもあり成すすべなく敗北。結局、フランスはわずか1得点、1勝もできずに大会を去ることとなった。
2005年にムスリマの夫人と結婚し、自身もイスラム教に改宗している。試合前にホテルで本格的な礼拝を済ませ、ピッチ上で簡単な祈りを捧げることでも知られている。
陽気で外交的な性格であり、ドイツ移住後もすぐにチーム、ファンに溶け込み、バイエルンでは1年目からクラブのシンボル的な存在となった。
[編集] プレースタイル
いわゆる「走るファンタジスタ」の代表格である。独力でのドリブル突破で数多くのチャンスを演出することができるほか、「周りを生かす」「周りに生かされる」ことの両方が可能な選手といえる。また攻撃的ポジションであれば、どこでもこなせる器用さも彼の魅力。サイドを切り裂きクロスを上げるという従来のウイングに対する固定観念を振り払った選手の一人であり、切り込んであげるクロスも良質だが、ポジションはウイングなのに並外れた運動量とビジョンを活かした絶妙なポジショニングで、PA内でセンターフォワードのように動いてゴールを奪うこともできる。そのほかトップ下の位置にいたり、ボランチの位置から仕掛けたりと、ウイングとは思えないことをやってのける。
フォワードの位置も得意とし、このポジションでもPA内で味方からのパスを受けドリブルで仕掛けるということはせず、1列下がって守備をする。それでいて相手DFからボールを奪ったり、味方と連携したりしてドリブルで仕掛け、アシストしたりゴールを決めたりする。どこに動けばいいか(オフ・ザ・ボール)を熟知していて、その一定のポジションにいることがない選手である。 守備でも献身的なプレーを見せ、ドイツワールドカップでは運動量の少ないジダンの守備力を補った。
それゆえベッケンバウアーやアンチェロッティ等からも賞賛がやまないほどの評価を受けている。
[編集] 所属クラブ
USブローニュ 2000-2002
オランピック・アレス 2002-2003
スタッド・ブレスト29 2003-2004
FCメス 2004-2005
ガラタサライ 2005.1-2005.8
オリンピック・マルセイユ 2005.8-2007.6
バイエルン・ミュンヘン 2007.6-
| バイエルン・ミュンヘン - 現所属メンバー |
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1 レンジンク | 3 ルシオ | 4 ブラーフハイト | 5 ファン・ブイテン | 6 デミチェリス | 7 リベリー | 8 アルトゥントップ | 9 トーニ | 11 オリッチ | 13 ゲルリッツ | 15 ブレーノ | 16 オットル | 17 ファン・ボメル | 18 クローゼ | 19 バウムヨハン | 20 ソサ | 21 ラーム | 22 ブット | 23 プラニッチ | 24 ボロウスキ | 25 ミュラー | 28 バトシュトゥバー | 30 レル | 31 シュヴァインシュタイガー | 33 ゴメス | 35 クラフト | 44 ティモシュク 監督: ファン・ハール |
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