フランク・リベリー

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フランク・リベリー Football pictogram.svg
Franck Ribéry 2013.JPG
フランク・リベリー(2013年)
名前
本名 フランク・アンリ・ピエール・リベリー
Franck Henry Pierre Ribéry[1]
愛称 スカーフェイス (Scarface)
ラテン文字 Franck Ribéry
基本情報
国籍 フランスの旗 フランス
生年月日 1983年4月7日(31歳)
出身地 ブローニュ=シュル=メール
身長 170cm
体重 72kg
選手情報
在籍チーム ドイツの旗 バイエルン・ミュンヘン
ポジション MF(LMF)
背番号 7
利き足 右足
ユース
1989–1996 Conti Boulogne
1996–1999 リール
1999–2000 ブローニュ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2000–2002 フランスの旗 USブローニュ 28 (6)
2002–2003 フランスの旗 オランピック・アレス 19 (1)
2003–2004 フランスの旗 スタッド・ブレスト 35 (3)
2004–2005 フランスの旗 メス 20 (1)
2005 トルコの旗 ガラタサライ 14 (0)
2005–2007 フランスの旗 マルセイユ 60 (11)
2007– ドイツの旗 バイエルン・ミュンヘン 178 (63)
代表歴2
2004–2006  フランス U-21 13 (2)
2006– 2014 フランスの旗 フランス 80 (16)
1. 国内リーグ戦に限る。2014年5月11日現在。
2. 2013年12月20日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

フランク・アンリ・ピエール・リベリー(Franck Henry Pierre Ribéry、フランス語発音: [fʁɑ̃k ʁi.be.ʁi], 1983年4月7日 - )は、フランスブローニュ=シュル=メール出身のプロサッカー選手ドイツ・ブンデスリーガバイエルン・ミュンヘン所属。元フランス代表ポジションミッドフィルダーフォワード

経歴[編集]

クラブ[編集]

13歳でLOSCリール・メトロポールの下部組織に入団し、下部組織のブルーノ・トマソン監督に高い評価を受けたが、学業成績不振により16歳の時に家に送り返された[2]。2001年に地元のUSブローニュからデビューし、2002年にはオランピック・アレスに加入するも、クラブの財政破綻によりスタッド・ブレスト29に移籍した。この頃にはEAギャンガンのトライアルを受けて不合格になった経験がある。2004年にリーグ・アン(1部)のFCメスに移籍し、月間MVPを獲得する活躍を見せたが、首脳陣と対立したために2005年1月にはガラタサライSKに移籍した。

2005年夏にオリンピック・マルセイユに移籍し、2005-06シーズンにはリーグ最優秀若手選手賞を受賞した。

2007年6月6日、4年契約でバイエルン・ミュンヘンに移籍した。通訳役を買って出たDFダニエル・ファン・ブイテンなどの助けもあり[2]、すぐにチームになじんだ。2007-08シーズンはレギュラーとしてリーグ戦で11ゴールを挙げ、ブンデスリーガドイツカップの2冠を達成し、リーグ最優秀選手に選ばれた。

2009-10シーズンは新加入のアリエン・ロッベンとともに両サイドから攻撃を牽引し、バイエルンの2シーズンぶりのブンデスリーガ優勝に貢献した。チャンピオンズリーグでもチームの決勝進出に貢献したが、準決勝ファーストレグのオリンピック・リヨン戦でリサンドロ・ロペスのすねを踏みつけ1発退場となった。結局バイエルンは決勝に進んだものの、リベリーはこのファールにより3試合の出場停止が課され、決勝に出場することができなかった[3]。シーズン終了後、バイエルン・ミュンヘンとの契約を2015年まで延長した。また2010年4月、シドニー・ゴヴカリム・ベンゼマらとともに、アルジェリア出身の未成年の売春婦と関係を持ったことが報道された[4][5]

代表[編集]

フランス代表でのリベリー(2008年)

ユース代表の経験は豊富で、2006年5月27日のメキシコ戦でフランス代表デビューした。2006年にはドイツワールドカップフランス代表メンバーに選ばれ、グループリーグでは周りと噛み合わない場面もあったものの、決勝トーナメント1回戦のスペイン戦では、逆転への足掛かりとなる同点ゴールを決めるなど、徐々に調子を上げ、フランス代表の準優勝に大きく貢献した。

UEFA欧州選手権2008では不振のフランス代表にあって、中心選手として孤軍奮闘したが、フランスの決勝トーナメント進出を賭けたグループリーグ最終戦の対イタリア戦の前半9分にジャンルカ・ザンブロッタと接触した際に、負傷退場した。その後のフランスは攻撃の要であったリベリーの穴を埋めることができず、エリック・アビダルの退場処分によって人数が少なくなったこともあり、なすすべなく敗北した。フランスはわずか1得点しか挙げられず、1勝もできずに大会を去ることとなった。

2010 FIFAワールドカップではチームの中心選手として臨んだものの、主将のパトリス・エヴラらとともに練習ボイコットの首謀者とされたり[6]チームメイトのヨアン・グルキュフをいじめたと報じられるなど[6][7]、不振に終わったフランス代表の戦犯の1人とされ、大会終了後にはフランスサッカー連盟から3試合の出場停止処分が課された[8]。その後2011年3月に、エヴラとともにW杯後初めて代表に招集されたが[8]、復帰後最初のホームでの試合となった3月29日のクロアチア戦ではサポーターから大きなブーイングを受けた[6]2014 FIFAワールドカップは、腰痛のため欠場した。同年にドイツ誌『キッカー』とのインタビューでリベリーは、「辞めるよ。その時が来たと感じたんだ。自分のことをもっと家族に捧げたいし、バイエルンでのプレーに集中したい。また、代表にいる若くて素晴らしい選手たちに場所を譲るために離れるんだ」とコメントし、代表引退を表明した。

人物[編集]

ドーバー海峡に面した港町ブローニュ=シュル=メールで最も貧しいとされるシュマン・ヴェール地域生まれ。2歳の時に父親の運転する車で事故に遭い、路上に投げ出されたという経験を持つ。この時に額から右頬にかけてできた傷は今も深く残っている[9][10]幼い頃に住宅地のコンクリートの上で行われるストリートサッカーでテクニックを磨いた。[要出典]オランピック・アレスを離れ、スタッド・ブレスト29に加わるまでの間に建設作業員である父と現場で働いていた[11][12]2005年ムスリマの夫人と結婚し、自身もイスラム教に改宗している[13][14]試合前にホテルで本格的な礼拝を済ませ、ピッチ上で簡単な祈りを捧げている。[要出典]その夫人とは1男2女を儲けている。

陽気で外交的な性格であり、ドイツ移住後もすぐにチームやファンに溶け込んだ。いたずら好きであり、オリバー・カーンにバケツ一杯の水をかけたり、チームバスを運転して道路標識にぶつけたことがある[2]

歴史上最も優れた選手としてはジネディーヌ・ジダンを挙げている[15]

2014年6月、アメリカの経済誌フォーブス世界のアスリートの年収を公表した。リベリーの年収は1830万ドル(約18億7000万円)であり、世界のアスリートの中で92位。サッカー選手の中では14位[16]

獲得タイトル[編集]

クラブ[編集]

トルコの旗 ガラタサライ

  • トルコ・カップ: 2004-05

フランスの旗 オリンピック・マルセイユ

ドイツの旗 バイエルン・ミュンヘン

個人[編集]

  • フランス年間最優秀選手 : 2007, 2008
  • ドイツ年間最優秀選手 : 2008
  • UEFA年間ベストイレヴン : 2008
  • UEFA欧州最優秀選手賞 : 2013
  • FIFAクラブワールドカップ ゴールデンボール賞 : 2013

個人成績[編集]

クラブ[編集]

クラブ シーズン リーグ 背番号 リーグ戦 カップ戦 欧州カップ戦 合計
試合 ゴール 試合 ゴール 試合 ゴール 試合 ゴール
フランスの旗 USブローニュ 2000–01 ナショナル 4 1 - - - - 4 1
2001–02 24 5 1 0 - - 25 5
合計 28 6 1 0 - - 29 6
フランスの旗 オランピック・アレス 2002–03 ナショナル 18 1 - - - - 18 1
合計 18 1 - - - - 18 1
フランスの旗 ブレスト 2003–04 ナショナル 35 3 2 1 - - 37 4
合計 35 3 2 1 - - 37 4
フランスの旗 FCメス 2004–05 リーグ・アン 10 20 2 2 0 - - 22 1
合計 20 2 2 0 - - 22 2
トルコの旗 ガラタサライ 2004–05 スュペル・リグ 28 14 0 3 1 - - 17 1
合計 14 0 3 1 - - 17 1
フランスの旗 マルセイユ 2005–06 リーグ・アン 7 35 6 6 3 12 3 53 12
2006–07 25 5 8 1 5 1 38 7
合計 60 11 14 4 17 4 91 19
ドイツの旗 バイエルン・ミュンヘン 2007–08 ブンデスリーガ 7 28 11 5 3 11 3 44 17
2008–09 25 9 3 1 8 4 36 14
2009–10 19 4 4 2 7 1 30 7
2010–11 25 7 3 2 4 2 31 11
2011–12 32 12 4 2 14 3 50 15
2012–13 27 10 3 0 12 1 42 11
2013–14 22 10 10 3
合計 156 53 22 10 56 14 246 80
キャリア通算 332 75 44 16 74 18 451 112

代表での成績[編集]

代表国 出場 得点
2006  フランス 15 1
2007 9 1
2008 9 3
2009 8 2
2010 7 0
2011 8 0
2012 14 4
2013 8 5
通算 78 16

代表での得点[編集]

# 開催日 開催地 対戦国 スコア 結果 大会
1 2006年6月27日 ドイツの旗ハノーファーAWDアレーナ スペインの旗 スペイン 1–1 3–1 2006 FIFAワールドカップ
2 2007年6月2日 フランスの旗サン=ドニスタッド・ド・フランス ウクライナの旗 ウクライナ 1–0 2–0 UEFA EURO 2008予選
3 2008年3月26日 フランスの旗サン=ドニ、スタッド・ド・フランス イングランドの旗 イングランド 1–0 1–0 親善試合
4 2008年6月3日 フランスの旗サン=ドニ、スタッド・ド・フランス コロンビアの旗 コロンビア 1–0 1–0 親善試合
5 2008年10月11日 ルーマニアの旗コンスタンツァ、スタディオヌル・ファルル ルーマニアの旗 ルーマニア 2–1 2–2 2010 FIFAワールドカップ予選
6 2009年3月28日 リトアニアの旗カウナス、ダリウス・アンド・ギレナス・スタジアム リトアニアの旗 リトアニア 0–1 0–1 2010 FIFAワールドカップ予選
7 2009年4月1日 フランスの旗サン=ドニ、スタッド・ド・フランス リトアニアの旗 リトアニア 1–0 1–0 2010 FIFAワールドカップ予選
8 2012年5月27日 フランスの旗ヴァランシエンヌ、スタッド・ドゥ・エノー アイスランドの旗 アイスランド 2–2 3–2 親善試合
9 2012年5月31日 フランスの旗ランス、スタッド・オーギュスト・ドローヌ セルビアの旗 セルビア 1–0 2–0 親善試合
10 2012年6月5日 フランスの旗ル・マン、MMアレナ エストニアの旗 エストニア 1–0 4–0 親善試合
11 2012年9月11日 フランスの旗サン=ドニ、スタッド・ド・フランス ベラルーシの旗 ベラルーシ 3–1 3–1 2014 FIFAワールドカップ予選
12 2013年3月22日 フランスの旗サン=ドニ、スタッド・ド・フランス グルジアの旗 グルジア 3–0 3–1 2014 FIFAワールドカップ予選
13 2013年9月10日 ベラルーシの旗ホメリ、セントラル・スタジアム ベラルーシの旗 ベラルーシ 1–1 2–4 2014 FIFAワールドカップ予選
14 2–2
15 2013年10月11日 フランスの旗パリパルク・デ・プランス オーストラリアの旗 オーストラリア 1–0 6–0 親善試合
16 2013年10月15日 フランスの旗サン=ドニ、スタッド・ド・フランス フィンランドの旗 フィンランド 1–0 3–0 2014 FIFAワールドカップ予選

出典・脚注[編集]

  1. ^ “FIFA Club World Cup Morocco 2013: List of Players” (PDF). FIFA. (2013年12月7日). p. 5. http://www.fifadata.com/document/FCWC/2013/pdf/FCWC_2013_SquadLists.pdf 2013年12月7日閲覧。 
  2. ^ a b c 「栄光は挫折とともに」footballista、ソルメディア、2009年2月4日号、4-6頁
  3. ^ リベリ、CL決勝出場停止Goal.com 2010年4月28日
  4. ^ フランス代表にセックススキャンダル リベリが未成年売春? 2010年4月20日 Livedoorスポーツ
  5. ^ 「私はリベリの誕生日プレゼントだった」 噂の美女が表紙を飾り告白 2010年4月29日 Livedoorスポーツ
  6. ^ a b c 代表復帰のリベリに仏サポーターから大ブーイングの洗礼 Livedoorスポーツ2011年3月30日
  7. ^ “貴公子”グルキュフ、リベリとの関係を問われ激怒Livedoorスポーツ 2010年9月13日
  8. ^ a b リベリ&エブラ、W杯後初の代表入り Goal.com 2011年3月18日
  9. ^ Franck Ribéry's career timeline guardian.co.uk, 2009年5月5日掲載、2012年10月6日閲覧。
  10. ^ The riddle of Franck Ribéry independent.co.uk, 2012年5月19日掲載、2012年10月6日閲覧。
  11. ^ “Franck Ribéry: From the street to superstar”. Bundesliga.de. http://www.bundesliga.de/en/liga/news/2009/index.php?f=143247.php 2010年5月26日閲覧。 
  12. ^ [1] guardian.co.uk, 2013年9月28日掲載、2013年9月20日閲覧。
  13. ^ 'It hurt my family, above all those close to me': French football star Franck Ribery speaks of his affair with underage prostitute dailymail.co.uk, 2010年5月3日掲載、2012年10月6日閲覧。
  14. ^ Franck Ribery: Islam Sumber Kekuatanku (インドネシア語) republika.co.id, 2012年5月13日掲載、2012年10月6日閲覧。
  15. ^ リベリ:「夢はマドリーかバルサでプレーすること」 Goal.com、2010年5月4日
  16. ^ The World's Highest-Paid Athletes Forbes.com 2014年6月発表。

外部リンク[編集]



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