ハンス=イェルク・ブット

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ハンス=イェルク・ブット Football pictogram.svg
Hans-Jörg Butt.jpg
名前
愛称 平目
ラテン文字 Hans-Jörg BUTT
基本情報
国籍 ドイツの旗 ドイツ
生年月日 1974年5月28日(40歳)
出身地 オルデンブルク
身長 191cm
体重 91kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
代表歴
2000- ドイツの旗 ドイツ 4 (0)
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ハンス=イェルク・ブットHans-Jörg Butt, 1974年5月28日 - )は、ドイツオルデンブルク出身の元サッカー選手。ポジションはゴールキーパー。イェルクではなくヨルクと表記されることもある。ペナルティキックを蹴るゴールキーパーとして知られた。

経歴[編集]

クラブ[編集]

VfBオルデンブルクでキャリアをスタートさせ、ハンブルガーSVバイヤー・レバークーゼンと順調にキャリアを重ねていき、レバークーゼンでは、2001-2002シーズンにチャンピオンズリーグ決勝に進出するなど、長く正GKとして活躍したが、2006-2007シーズン後半は出場停止中に21歳のレネ・アドラーが活躍しポジションを奪われた。

2007-2008シーズンはポルトガルSLベンフィカに移籍するも、1試合の出場に留まった。2008-2009シーズンからはバイエルン・ミュンヘンに移籍。オリバー・カーンの引退を受けて正GKとなったミヒャエル・レンジングの教育係も兼ねた控えとしての加入だったが、レンジンクが不安定なプレーを続けたことで、シーズン終盤からブットが正GKとなった。2009-2010シーズンはレギュラーとして活躍し、チームのリーグ優勝、UEFAチャンピオンズリーグ準優勝に貢献した。レンジングの退団で背番号を22から1に変更した2010-2011シーズンはトーマス・クラフトに定位置を譲る試合が多くなった。クラフトがヘルタ・ベルリンへ移籍し、入れ替わりでシャルケ04からマヌエル・ノイアーが加入した2011-2012シーズンは、背番号1をノイアーに譲って22に戻し、そのバックアッパーを務めた。

2012年5月23日、現役引退とバイエルン・ミュンヘンのユースチームコーチ就任が発表された[1]

代表[編集]

同時代にオリバー・カーンイェンス・レーマンがいたこともあり、ドイツ代表では第3GKであることが多く、代表キャップも4にとどまった。ドイツが準優勝した2002 FIFAワールドカップ以降、ティモ・ヒルデブラントレネー・アードラーティム・ヴィーゼロベルト・エンケマヌエル・ノイアーといった若手の台頭もあり、大きな大会での選出はなかったが、2009-2010シーズンのバイエルンにおける活躍と、正GKと見られていたエンケの自殺、アドラーの故障などが重なったことから、2010 FIFAワールドカップのメンバーに選出される。第3GKながら、ウルグアイ代表との3位決定戦への出場を果たし、ドイツの銅メダル獲得に貢献した。

プレースタイル[編集]

ゴールキーパーでありながらペナルティキックの名手であり、ブンデスリーガでは通算で26得点、チャンピオンズリーグでは通算3得点あげている。チャンピオンズリーグでの3得点はすべてユベントス戦である。

ハンブルガー在籍時の1999-2000シーズンには、PKのみで9ゴールを決めている。レヴァークーゼン在籍時の2003-04シーズンのシャルケ戦では自らPKを決めた後、自陣のゴール前に戻る前にセンターサークルからシュートを放ったマイク・ハンケにゴールを決められたことがある。

所属クラブ[編集]

タイトル[編集]

クラブ[編集]

ドイツの旗 バイヤー・レバークーゼン
ドイツの旗 バイエルン・ミュンヘン

代表[編集]

脚注[編集]

  1. ^ FCB、選手6名に別れを告げるバイエルン・ミュンヘン公式HP 2012年5月23日(6月28日閲覧)

外部リンク[編集]