ハンス=イェルク・ブット

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ハンス=イェルク・ブット Football pictogram.svg
Hans-Jörg Butt.jpg
名前
愛称 平目
ラテン文字 Hans-Jörg BUTT
基本情報
国籍 ドイツの旗 ドイツ
生年月日 1974年5月28日(39歳)
出身地 オルデンブルク
身長 191cm
体重 91kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
代表歴
2000- ドイツの旗 ドイツ 4 (0)
テンプレート(ノート 解説)サッカー選手pj

ハンス=イェルク・ブットHans-Jörg Butt, 1974年5月28日 - )は、ドイツオルデンブルク出身の元サッカー選手。ポジションはゴールキーパー。イェルクではなくヨルクと表記されることもある。ペナルティキックを蹴るゴールキーパーとして知られ、ブンデスリーガでは通算で26得点、チャンピオンズリーグでは通算3得点あげている。チャンピオンズリーグでの3得点はすべてユベントス戦である。

経歴[編集]

クラブ[編集]

VfBオルデンブルクでキャリアをスタートさせ、ハンブルガーSVバイヤー・レバークーゼンと順調にキャリアを重ねていき、レバークーゼンでは、2001-2002シーズンにチャンピオンズリーグ決勝に進出するなど、長く正GKとして活躍したが、2006-2007シーズン後半は出場停止中に21歳のレネ・アドラーが活躍しポジションを奪われた。

2007-2008シーズンはポルトガルSLベンフィカに移籍するも、1試合の出場に留まった。2008-2009シーズンからはバイエルン・ミュンヘンに移籍。当初はオリバー・カーンの引退を受けて、正GKとなったミヒャエル・レンジンクの教育係も兼ねた控えとして加入したものの、レンジンクの不安定なプレーが続き、シーズン終盤からブットが正GKとなった。2009-2010シーズンはレギュラーとして活躍し、チームのリーグ優勝、UEFAチャンピオンズリーグ準優勝に貢献した。レンジングの退団で背番号を22から1に変更した2010-2011シーズンはトーマス・クラフトに定位置を譲る試合が多くなった。クラフトがヘルタ・ベルリンへ移籍し、入れ替わりでシャルケ04からマヌエル・ノイアーが加入した2011-2012シーズンは、背番号1をノイアーに譲って22に戻し、そのバックアッパーを務めた。

2012年5月23日、現役引退とバイエルン・ミュンヘンのユースチームコーチ就任が発表された[1]

代表[編集]

GKとしての総合力は高いが、ドイツ代表ではオリバー・カーン、イェンス・レーマンの存在や、若手の突き上げなど、伝統的に層の厚いドイツのGK事情もあり、2000年から代表にコンスタントに呼ばれてはいるものの、第3GKとしての代表招集がほとんどのため、代表キャップ数は2010年7月時点で4にとどまっている。またティモ・ヒルデブラントレネー・アードラーティム・ヴィーゼロベルト・エンケマヌエル・ノイアーといった若手の台頭もあり、2002 FIFAワールドカップを最後に、大きな大会での選出は長く見送られていたが、2009-2010シーズンのバイエルンにおける活躍と、正GKと見られていたエンケの自殺、アドラーの故障などが重なったことから、2010 FIFAワールドカップのメンバーに選出され、若手中心だったドイツ代表を年長者として精神的に支えることになった。選手としては第3GKながら、ウルグアイ代表との3位決定戦への出場を果たし、ドイツの銅メダル獲得に貢献した。

所属クラブ[編集]

タイトル[編集]

クラブ[編集]

ドイツの旗 バイヤー・レバークーゼン
ドイツの旗 バイエルン・ミュンヘン

代表[編集]

脚注[編集]

  1. ^ FCB、選手6名に別れを告げるバイエルン・ミュンヘン公式HP 2012年5月23日(6月28日閲覧)

外部リンク[編集]