オリバー・カーン

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オリバー・カーン Football pictogram.svg
Oliver Kahn 06-2004.jpg
名前
本名 オリヴァー・ロルフ・カーン
Oliver Rolf Kahn
愛称 オリー、ティターン
ラテン文字 Oliver KAHN
基本情報
国籍 ドイツの旗 ドイツ
生年月日 1969年6月15日(43歳)
出身地 カールスルーエ
身長 188cm
体重 91kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1987-1994
1994-2008
カールスルーエSC
バイエルン・ミュンヘン
128 (0)
410 (0)
代表歴2
1994-2006 ドイツの旗 ドイツ 86 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2007年9月27日現在。
2. 2007年8月12日現在。
テンプレート(ノート 解説)サッカー選手pj
アリアンツ・アレナで行われた引退試合の様子

オリバー・カーンOliver Kahn, 1969年6月15日 - )は、ドイツカールスルーエ出身の元サッカー選手。ポジションはゴールキーパー

ドイツサッカー界でも最も多くのタイトルを獲得した選手の一人であり、同時にドイツ社会で発言力を持つサッカー選手の一人である。ゼップ・マイヤーハラルト・シューマッハーらと共にドイツサッカー史に残るGKの一人であり、欧州サッカー連盟が選ぶ歴代欧州サッカー選手ベスト50の中に、当時現役のゴールキーパーでは唯一選出された。

目次

経歴 [編集]

祖父母はラトビア出身。父もそこで生まれ、第2次世界大戦後にドイツへ来た。[1]

16歳の時にはクラブチームの入団試験にことごとく落ちる。カールスルーエに入団するまでは筋力トレーニングなど雌伏の時期を過ごした。カールスルーエでは数年かかって正GKの座を確保した。

ブンデスリーガUEFAカップでの活躍が認められ、1994年、名門バイエルン・ミュンヘンへ移籍。初年度は味方ディフェンダーのクフォーと衝突し膝の十字靱帯を切断、シーズンを棒に振るが、翌年からは期待通りの活躍を見せた。コンスタントにレベルの高いパフォーマンスを見せ、バイエルン・ミュンヘンのGKコーチ、ゼップ・マイヤーの下でワールドクラスのGKに成長した。

1998-99シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ決勝は、大会史上に残る名勝負となるが、終了直前の3分間に2失点を喫し、マンチェスター・ユナイテッドに敗れた。1999-00シーズン以降、4年連続で欧州最優秀ゴールキーパーに選出されている。またドイツサッカー雑誌「キッカー」の選手ランキングでも幾度も「ワールドクラス」の評価を得ており、1999年から2003年頃までドイツの各テレビや雑誌では世界ナンバーワンGKと紹介された。

2000-01シーズンには自らの活躍により、バイエルンをUEFAチャンピオンズリーグ優勝に導き、2年前の雪辱を果たした。2002ワールドカップ後は、私生活の問題もあり、コンディションを落としあまり良いプレーができなかったが、2004-05シーズンには完全復活を印象付けた。

バイエルン・ミュンヘンとの契約が切れた2008年限りで現役を引退。2008年9月2日、ミュンヘンで引退記念試合が行われ21年間の現役生活に終止符を打った。

ドイツでの彼の人気を物語るものとして、彼をモチーフにした曲「OLLI KAHN(オリ カーン)」がある。旧・東ドイツの都市・ライプツィヒ出身の音楽グループのディー・プリンツェン(die Prinzen)によるこの曲は2002 FIFAワールドカップの頃に発売された。

ドイツ代表 [編集]

ドイツ代表では、FIFAワールドカップを4回経験している。しかし、1994年大会にはボド・イルクナー1998年大会にはアンドレアス・ケプケと、共に世界レベルのゴールキーパーの存在が大きくサブに甘んじ、正キーパーとして出場できたのは2002年大会のみである。2006年大会では守備範囲が広くハイボールに強いイェンス・レーマンとの正ゴールキーパーのポジション争いに敗れサブGKとして参加。3位決定戦のみの出場となった。

代表のレギュラーとして初めて国際大会に出場したのはUEFA欧州選手権2000。しかし、この大会では実力を発揮することができず、ドイツはグループリーグで敗退した。

2002 FIFAワールドカップにはキャプテンとして参加した。ドイツは2001年9月1日にミュンヘンで行われた日韓ワールドカップ予選、イングランド戦ではマイケル・オーウェンのハットトリックなどで5失点を喫し1-5で完敗するなど、苦戦の末の本大会出場ということもあって下馬評は高くなかった。しかし、ワールドカップ本選ではカーンはファインセーブを連発し、準優勝の好成績を収めた。自身は決勝戦においてブラジル代表のジウベルト・シウバとの接触プレーにより靭帯損傷の大怪我を負うが、そのままプレーを続行する気迫を見せた。ワールドカップでゴールキーパーとして初のMVPを獲得した。また、この年に自身3度目となる世界最優秀ゴールキーパー賞を受賞した。

カーンにとって実質3度目の国際大会、UEFA欧州選手権2004では、本人は実力を発揮したものの、ドイツは2大会連続のグループリーグ敗退となった。

EURO2004後に就任したユルゲン・クリンスマン監督の方針により、代表GKはローテーション制となり、ドイツワールドカップに向け長年のライバルであったイェンス・レーマンVfBシュトゥットガルト)と正GKの座を争う形となったが、2006年4月7日、クリンスマン監督から正式にレーマンが正GKであると発表があった。これにより「正GKとしてワールドカップに出場できないのなら代表を引退する」と以前から公言していたカーンであったが、「冷静に考えてから答えを出す。」とコメントし熟慮の末、代表に参加した。

代表の主将の座は当時バイエルンのチームメイトであったミヒャエル・バラックに譲っている。

実質最後のワールドカップといわれた地元開催の2006 FIFAワールドカップでは、正GKとなったレーマンの控えとなったが「たとえ試合に出られなくても貢献できることはある」と自身でコメントしたように、延長戦ではレーマンを含めた他のチームメイトを励ますなど必死にチームを盛り上げる姿を見せ、ドイツ国内のみならず世界中で大きな感動を呼んだ。そして2006年7月8日(日本時間9日)に行われた3位決定戦では先発出場。ケガのため欠場したバラックに代わって主将を務めると共に、好セーブを連発してチームの勝利に大きく貢献した。この試合終了後、代表引退を正式に表明し、有終の美を飾った。

カーンの巨大アーチ看板(高さ18m、長さ65m)

2006 FIFAワールドカップでは、ミュンヘン高速道路に横っ飛びしてキャッチしているカーンの巨大アーチ看板が作られた。これはミュンヘン空港からスタジアムに向かう道をまたいでおり、観戦客はカーンの体の下を通過してスタジアムに向かえる。

個人成績 [編集]

年度 クラブ リーグ リーグ カップ 欧州カップ 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
1987-88 カールスルーエ ブンデスリーガ 2 0 0 0 - 2 0
1988-89 2 0 0 0 - 2 0
1989-90 0 0 0 0 - 0 0
1990-91 22 0 0 0 - 22 0
1991-92 37 0 2 0 - 39 0
1992-93 34 0 5 0 - 39 0
1993-94 31 0 3 0 10 0 44 0
1994-95 バイエルン・ミュンヘン 23 0 2注1 0 5 0 30 0
1995-96 32 0 2 0 12 0 46 0
1996-97 32 0 4 0 2 0 38 0
1997-98 34 0 8 0 8 0 50 0
1998-99 30 0 8 0 13 0 51 0
1999-00 27 0 5 0 13 0 45 0
2000-01 32 0 4 0 16 0 52 0
2001-02 32 0 5 0 14 0 51 0
2002-03 33 0 6 0 6 0 45 0
2003-04 33 0 5 0 8 0 46 0
2004-05 32 0 7 0 10 0 49 0
2005-06 31 0 6 0 7 0 44 0
2006-07 32 0 3 0 9 0 44 0
2007-08 26 0 7 0 9 0 42 0
通算 ドイツ 557 0 82 0 142 0 781 0

注1 DFLスーパーカップの記録を含む。

獲得タイトル [編集]

  • UEFA欧州選手権1996
  • トヨタカップ 2001
  • UEFAチャンピオンズリーグ 2000/2001
  • UEFAカップ 1995/1996
  • ブンデスリーガ 7回(1996/1997,1998/1999,1999/2000,2000/2001,2002/2003,2004/2005,2005/2006)
  • ドイツカップ 5回(1997/1998,1999/2000,2002/2003,2004/2005,2005/2006)
  • ドイツリーグカップ 6回 (1997/1998,1998/1999,1999/2000,2000/2001,2004/2005,2007/2008)

個人タイトル [編集]

著書 [編集]

脚注 [編集]

  1. ^ カーンに流れるラトビアの血