マヌエル・ノイアー

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マヌエル・ノイアー Football pictogram.svg
FIFA WC-qualification 2014 - Austria vs. Germany 2012-09-11 -Manuel Neurer 01.JPG
名前
愛称 マヌ
ラテン文字 Manuel NEUER
基本情報
国籍 ドイツの旗 ドイツ
生年月日 1986年3月27日(27歳)
出身地 Stadtwappen der kreisfreien Stadt Gelsenkirchen.png ゲルゼンキルヒェン
身長 193cm
体重 90kg
選手情報
在籍チーム Bayern バイエルン
ポジション GK
背番号 1
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2003-2011
2011-
Schalke シャルケ
Bayern バイエルン
156 (-151)
33 (-22)
代表歴2
2008- ドイツの旗 ドイツ 38 (-32)
1. 国内リーグ戦に限る。2011/12シーズン終了時点現在。
2. 2013年3月26日現在。
テンプレート(ノート 解説)サッカー選手pj

マヌエル・ノイアー(Manuel Neuer, 1986年3月27日 - )は、ドイツノルトライン=ヴェストファーレン州ゲルゼンキルヒェン出身のサッカー選手ドイツ・ブンデスリーガバイエルン・ミュンヘン所属。ポジションはゴールキーパー

目次

経歴 [編集]

クラブ [編集]

シャルケ [編集]

地元ゲルゼンキルヒェンのクラブであるシャルケ04のユース出身。2006年8月19日アレマニア・アーヘン戦でブンデスリーガデビューを果たすと、フランク・ロストに代わり正GKの座を手にした。冬にロストはハンブルガーSVへと移籍した。

2007-08シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは決勝トーナメント1回戦のポルト戦のPK戦でブルーノ・アルヴェスリサンドロ・ロペスのシュートを止め、シャルケのクラブ初となるベスト8進出に貢献した。またこのシーズンはブンデスリーガの全試合にフル出場を果たした(ノイアーの他には2人のみ)。この活躍もありUEFA最優秀GK賞にドイツから唯一ノミネートされた。

ハンブルガーに移籍したハイコ・ヴェスターマンに変わり主将として臨んだ2010-11シーズンは好セーブを連発。チャンピオンズリーグではグループリーグ6試合で3失点に抑え、首位通過に貢献。決勝トーナメントでも活躍し、シャルケ初のベスト4入りに貢献した。

ベスト4進出決定後の2011年4月20日にシャルケとの契約を更新せず、シーズン終了後に移籍する方針であることを発表[1][2]。バイエルンやマンチェスター・ユナイテッドFCなどの多数の関心が報じられていたが、ユナイテッドからのオファーは否定した[3]。チャンピオンズリーグ準決勝1stレグではそのユナイテッドに0-2で敗戦したもののビッグセーブを連発し、敵将のアレックス・ファーガソンから「対戦してきた選手の中で最も良いプレーをした一人」と賞賛し、またノイアーがユナイテッドに来る望みがないことも話した[4]。また本人も試合後、改めてユナイテッド移籍の可能性を否定した[5]

バイエルン [編集]

6月1日、移籍金1800万ユーロと出来高700万ユーロの5年契約で、バイエルン・ミュンヘンへの移籍が決定した[6]。すぐさま、ハンス=イェルク・ブットから背番号1を譲り受けて定位置を確保。だが、8月7日ボルシア・メンヒェングラートバッハとの開幕戦ではジェローム・ボアテングとの連携ミスによりイゴール・デ・カマルゴに決勝点を決められ、0-1で敗れた。

しかし、8月13日VfLヴォルフスブルク戦(1-0)以降リーグ戦では10月23日ハノーファー96戦(1-2)に敗北するまでリーグ戦8試合・770分間連続無失点を記録した。さらに、10月18日UEFAチャンピオンズリーグSSCナポリ戦(1-1)にてホルガー・バトシュトゥバーのオウンゴールで失点するまで公式戦12試合・1140分間連続無失点も同時に記録した[7]

2012年4月25日、チャンピオンズリーグ準決勝のレアル・マドリード戦2ndレグは延長戦でも決着がつかずPK戦に突入。ここでクリスティアーノ・ロナウドカカのPKを止めて3-1で勝利し、決勝に進出した。5月20日チェルシーFCとの決勝戦はバイエルンの本拠地アリアンツ・アレーナで行われた。トーマス・ミュラーのゴールで先制するが終了間際に追いつかれて、レアル戦同様延長でも決着がつかずPK戦に突入。1人目フアン・マタのPKを止め、さらには自らもPK戦を拒否したアリエン・ロッベンに変わってキッカーを務め、見事ペトル・ツェフの守るゴールを破ったが、結局イビツァ・オリッチバスティアン・シュヴァインシュタイガーが失敗して最後は同点弾のディディエ・ドログバに決められて4-3で敗北。ホームで11季ぶりの優勝はならなかった。

代表 [編集]

ドイツ代表でプレーするノイアー

2009年に開催されたUEFA U-21欧州選手権では5試合で失点を4に抑え、ドイツの優勝に貢献した。

フル代表ではオリバー・カーンイェンス・レーマンら大ベテランが引退した後の正GK候補の一人と目されていたところに当時正GKを務めていたロベルト・エンケの死去、さらにエンケの代役となったレネー・アードラーの怪我といったアクシデントもあって、ハンス=イェルク・ブットティム・ヴィーゼら年長のライバルとのポジション争いに勝ち、正GKとして南アフリカW杯に臨むことになった。南アフリカW杯では3位決定戦以外の全試合にフル出場。出場した6試合を2失点に抑え、4度の完封を記録しドイツの2大会連続となる3位入賞に貢献。決勝トーナメント1回戦のイングランド戦ではミロスラフ・クローゼのゴールをアシストした。W杯後は不動の正GKとして活躍している。

エピソード [編集]

  • 憧れの選手はシャルケの正GKであったイェンス・レーマンである[8]
  • 2011年3月12日、ブンデスリーガ第26節アイントラハト・フランクフルトとの試合前、チームメイトである内田篤人が前日に日本で起きた東日本大震災の被災地に向けメッセージを送るためにメッセージ入りのユニフォームを持っているのを見て「日本へのメッセージか。今日それを見せるのか」と問いかけたところ、内田が「勝ったら見せようと思う。負けたら見せない」と答えたので「じゃあ勝つから。俺が守るから今日は勝てる」と声をかけた。試合はノイアー自身のアシストもあり彼の宣言通りシャルケは4試合ぶりに勝利した。試合終了後チームはサポーターの前で喜びを分かち合っていたが内田はメッセージを書いたユニフォームを着てたたずみ、しばらくしてチームメイトと共に控室に戻ろうとしたところ、ノイアーがそれに気付き再び内田をファンの前へエスコートしてメッセージを披露させた[9][2]
  • なお、2人は同じ3月27日生まれである。
  • 長年愛したシャルケを去る決断の理由は「最高レベルでプレーするために一歩踏み出したい」とし、会見では目に涙を浮かべた[3]。また移籍先にバイエルンを選択した理由は「ドイツから出たくはなかった。ブンデスリーガは魅力的なリーグだし、ドイツで最高のクラブといったらバイエルン。僕はドイツで最高のクラブでプレーしたかったんだ」と述べた[10]
    • ただバイエルン移籍後は、開幕前の練習試合でバイエルンサポーターから「俺達がお前を受け入れることはない」という横断幕を掲げられ[11]、さらに9月18日の古巣シャルケ戦ではシャルケサポーターに「裏切り者」「馬鹿野郎」と罵声を浴び、さらに「マヌエル・ノイアーの死をここに偲ぶ。2005-2011[12]という横断幕を掲げられるという屈辱を味わい、船出は決して良好なものとは言えなかった。
  • ドイツ代表に定着してからはメスト・エジルなどの他の代表選手と共にヌテラのCMも出演している[13]
  • サッカーの他にバスケットボールの腕前も高い。

所属クラブ [編集]

タイトル [編集]

シャルケ時代のノイアー(2010年)

クラブ [編集]

代表 [編集]

個人 [編集]

脚注 [編集]

外部リンク [編集]