スティーヴン・ジェラード

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名前
本名 スティーヴン・ジョージ・ジェラード
愛称 スティーヴィーG
ラテン文字 Steven George GERRARD
基本情報
国籍 イングランドの旗 イングランド
生年月日 1980年5月30日(33歳)
出身地 ウィストン
身長 183cm
体重 83kg
選手情報
在籍チーム イングランドの旗 リヴァプール
ポジション MF
背番号 8
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1997- イングランドの旗 リヴァプール 470 (111)
代表歴2
1999 イングランドの旗 イングランド U-21 4 (1)
2000-[1] イングランドの旗 イングランド 108 (21)
1. 国内リーグ戦に限る。2014年4月12日現在。
2. 2013年11月19日現在。
テンプレート(ノート 解説)サッカー選手pj

スティーヴン・ジョージ・ジェラード MBESteven George Gerrard MBE1980年5月30日 - )は、イングランドマージーサイド州ウィストン出身のサッカー選手。プレミアリーグリヴァプールFC所属。ポジションはMF。中盤ならどこでもこなせるマルチロールな選手。

経歴[編集]

フリーキックを蹴るジェラード

幼少の頃からリヴァプールFCのアカデミー(下部組織)で才能を磨き、1998年にトップチームデビューを飾る。デビュー当初は右サイドバックとしてプレー。その後、ポジションをセンターハーフにコンバートされる。代表デビューは2000年5月のウクライナ戦。19歳でEURO2000の代表メンバーに選ばれている。翌2000-01シーズンではリヴァプールのレギュラーとして活躍。カップ・トレブルに大きく貢献した。

2002年日韓ワールドカップは怪我のため落選している。2003年5月11日プレミアリーグ最終節チェルシー戦では、勝った方が4位でUEFAチャンピオンズリーグ出場権獲得という状況の試合であったにも関わらず試合中に不用意なレッドカードを貰ってしまい、1-2で敗れて5位に終わりチャンピオンズリーグ出場を逃した。

しかし、2003-04シーズン途中にサミ・ヒーピアからキャプテンを引き継ぐと秘めたるポテンシャルが一気に開花。同シーズンもチャンピオンズリーグ出場権を争う位置にいたが、シーズン終盤の大活躍によって最終節を待たずして4位を決め、前年の汚名を返上。シーズン後にエースのマイケル・オーウェンレアル・マドリードへ移籍し、一時はジェラード自身にもチェルシー移籍の話が持ち上がったが、記者会見で残留を明言した。

2005年は、リーグ戦で低迷するチームを鼓舞しながら、チャンピオンズリーグにおいては、GL突破のためには2点差以上の勝利が義務付けられた最終戦のオリンピアコス戦で、試合終了間際にミドルシュートを決め3-1とし、チームを決勝トーナメントへ導く。決勝トーナメントでは得点こそなかったものの、存在感を示しチームは決勝戦へと進出させた。決勝のACミラン戦では3-0のビハインドを覆す逆転優勝[2]を決めるきっかけとなるヘディングシュートを決めてみせた。ゴール直後のチームメイトとサポーターへむけた『盛り上がれ!』というパフォーマンスは有名である。また、このシーズン終了時に再びチェルシーへの移籍が報道された。代理人が「交渉は修羅場になった」と発言するほど契約延長交渉は乱れたようだが、これはジェラード本人とクラブ側との些細な思い違いから始まったものであった。正式な会談を持った結果、ジェラードはあっさりとチームへの残留を決めた。

2005年末には、FIFAクラブワールドカップでヨーロッパ代表として来日。リヴァプールは準優勝に終わったが、テレビの宣伝などで日本での知名度は上がった。

2006年のドイツW杯で2得点をあげる活躍をした。

2008-09シーズンUEFAチャンピオンズリーグPSV戦において、自身100ゴール目となるフリーキックを決めた[3]

2009年3月22日アストン・ヴィラ戦で、リーグ戦初のハットトリックを達成したように、2008-09シーズンはポジションを少し上げたことにより得点力が増し、自身最高のリーグ16得点をマーク。リーグ得点ランクは、ニコラ・アネルカクリスティアーノ・ロナウドに次ぐ3位となり、またチーム得点王となった。

2009-10シーズンはチームの不振により、ジェラード自身も度重なるケガに悩まされた。春先になりチームと共に調子を上げたものの及ばず、リヴァプールは7位に終わった。

2010 FIFAワールドカップでは、大会直前の練習で代表主将のリオ・ファーディナンドが負傷離脱したため、副主将であるジェラードが主将を務める[4]

2012年11月15日スウェーデン代表との試合で代表キャップ数100を達成した。

2013年10月19日ニューカッスル・ユナイテッド戦でPKを決めてプレミアリーグ通算100ゴールを達成した。

エピソード[編集]

  • レッド・ドラゴン」の異名を持つ。竜のように力強く空中戦でも強さを見せるため。
  • 2002年W杯で、中盤の選手が足りなかった当時の代表監督スヴェン・ゴラン・エリクソンは「ジェラードが2人いたなら…」と言った。実際は怪我のため本人も出られず、エリクソンは更に苦悩したと言う。
  • リヴァプールの元チームメイトであるジェイミー・キャラガーマイケル・オーウェンとは、リヴァプールのアカデミー時代からの親友である。
  • 極度の潔癖症で一日に最低15回は手を洗う[5]
  • 2006年10月21日、髄膜炎をわずらった二女に対し、マンチェスター・ユナイテッドとの「ノースウェスト・ダービー」前夜にもかかわらず寝ずの看病をしていた。
  • 2007年10月1日、ジェラードの運転する車に、歩道から飛び出してきた10歳の少年が接触した。小学校の前だったため減速していたが、この事故で少年に左足骨折の大怪我を負わせてしまった。しかし、その後すぐに運転席から飛び出し駆け寄ったジェラードは、少年の手を握り締め救急車が到着するまで付き添うと、警察の事情聴取に応じた後少年の家族と連絡を取り、2日後に病院にお見舞いにいくと約束した。さらに、その少年がマンチェスター・ユナイテッドの大ファンであることを知ると、同チームのエース、ウェイン・ルーニーに頼みサイン入りのスパイクを用意し、自分のサインを書き込んだイングランド代表のユニフォームと一緒にプレゼントした。
  • リヴァプールの精神的支柱であり、大黒柱でもあるため、同じくリヴァプールに本拠地を置くエヴァートンFCとの「マージーサイド・ダービー」は人一倍思い入れが強く、途中交代させられたときは失望の色を隠さなかった。
  • フランク・ランパードとはプライベートでも友人同士なのだが、共に招集を受けた代表ではプレースタイルが似通っている為なのか、いざ中盤に並べてみると妙に息が合わなかった。しかし、カペッロ監督の下ではうまく共存しており2010W杯予選突破に貢献した。
  • 2008年12月29日午前2時半ごろ、英国北西部のサウスポートで暴行の容疑で逮捕された。本人は否定をし、また、ノースセフトンの治安判事裁判所はジェラードの身体的暴行はなかったとの裁定を下し、結果として暴行容疑は取り下げとなった。[6]
  • 1989年4月15日に発生した、イングランドサッカー史上最悪の事故であるヒルズボロの悲劇の犠牲者のうちの最年少の者は、当時9歳であったジェラードの従兄弟(当時10歳)である[7]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
イングランド リーグ戦 FLカップ FAカップ 期間通算
1998-99 リヴァプール 28 プレミア 12 0 0 0 0 0 12 0
1999-00 29 1 0 0 2 0 31 1
2000-01 17 33 7 4 0 4 1 41 8
2001-02 28 3 0 0 2 0 30 3
2002-03 34 5 6 2 2 0 42 7
2003-04 34 4 2 0 3 0 39 4
2004-05 8 30 7 3 2 0 0 33 9
2005-06 32 10 1 1 6 4 39 15
2006-07 36 7 1 1 1 0 37 8
2007-08 34 11 2 1 3 3 39 15
2008-09 31 16 0 0 3 1 34 17
2009-10 33 9 1 0 2 1 36 10
2010-11 21 4 0 0 1 0 22 4
2011-12 18 5 4 2 6 2 28 9
2012-13 36 9 1 0 1 0 46 10
通算 イングランド プレミア 441 98 25 9 36 12 630 159

個人タイトル[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ “Steven George Gerrard - Century of International Appearances” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation. http://www.rsssf.com/miscellaneous/gerrard-intlg.html 
  2. ^ UEFAチャンピオンズリーグ 2004-05 決勝を参照
  3. ^ Steven Gerrard 100th Goal Freekick - YouTube
  4. ^ 主将の重責を担うジェラード Goal.com 2010年6月5日
  5. ^ DVD "スティーヴン・ジェラード 伝説への飛翔"より
  6. ^ “ジェラード、暴行罪の起訴が取り下げに”. AFP. (2009年3月21日). http://www.afpbb.com/article/sports/soccer/uk/2584357/3937971 2011年3月7日閲覧。 
  7. ^ ジェラード「ヒルズボロの傷は決して癒えない」

外部リンク[編集]



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