ウェイン・ルーニー
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| ウェイン・ルーニー | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 本名 | ウェイン・マーク・ルーニー | |
| 愛称 | ワッザ | |
| ラテン文字 | Wayne Mark Rooney | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1985年10月24日(23歳) | |
| 出身地 | リヴァプール | |
| 身長 | 178cm | |
| 体重 | 82kg | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | ||
| ポジション | FW | |
| 背番号 | 10 | |
| 利き足 | 右足 | |
| クラブチーム1 | ||
| 年 | クラブ | App (G) |
| 2002-2004 2004- |
67(15) 157(65) |
|
| 代表歴2 | ||
| 2003- | 52(24) | |
| 1. 国内リーグ戦に限る。2009年6月23日現在。 2. 2009年6月10日現在。 ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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ウェイン・マーク・ルーニー(Wayne Mark Rooney、1985年10月24日 - )は、イングランドのサッカー選手。プレミアリーグのマンチェスター・ユナイテッド所属、イングランド代表に名を列ねる。
母国イングランドではマイケル・オーウェンに継ぐ早熟の選手として知られ、数々の最年少記録を塗り替えている。ずんぐりした体型に激昂しやすい性格から、かの悪童ポール・ガスコインの後継者とたびたび評される。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] 生い立ち
1985年10月24日にリヴァプール北東部に位置するクロクステスに生まれる。母親ジャネットの家の伝統に従い、長男として父親の名ウェインを名付けられた。家族は他に後から生まれるグレアムとジョンの2人の弟がいる[1]。幼少の頃から地元の小さなクラブを複数渡り歩き、1994年に同市内に本拠地を置くエヴァートンに入団。
エヴァートンが運営するアカデミーで英才教育を受けると、急速に早熟の才能を見せ始め、14歳を過ぎる頃には19歳以下のカテゴリーで主力級の活躍をするまでに成長。FAユースカップに出場すると8試合で8得点を記録し、2001-02シーズン終盤にトップチームに昇格。4月22日のサウサンプトン戦で登録メンバーに選ばれる。
[編集] エヴァートン時代
2002-03シーズン、8月17日の開幕戦に16歳と298日で先発出場しプレミアリーグデビュー[注釈 1]。先制弾となるマーク・ペンブリッジの得点をアシストし、後半32分にグディソン・パークから拍手喝采を受けて交代。10月2日のリーグカップ、レックスハム戦に先発出場すると2得点を挙げエヴァートンの最年少得点記録を塗り替える。前記録は1937年にトミー・ロートンが打ち立てた17歳と130日で、65年ぶりの記録更新となった。
10月19日、無敗記録を31試合にまで伸ばしていたアーセナルとの試合に後半36分から途中出場すると、後半44分に決勝弾となる逆転ゴールを奪い、アーセナルの無敗記録に終止符を打つ。16歳と360日でのプレミアリーグ初得点となり当時のプレミアリーグ最年少得点記録を塗り替える[注釈 2]。因みにこの時はまだプロ契約はしておらず、肩書は練習生となっている[注釈 3]。
BBC Sportによる2002年度の年間若手最優秀スポーツ選手に選ばれる[2]。
2003-04シーズン、先発の機会が増え26試合に先発出場。序盤は得点に伸び悩むも最終成績は34試合出場し9得点を記録。一方で監督デイヴィッド・モイーズとの関係が悪化し、幾つかの諸問題も絡んで退団を決意[1]。2004年8月31日に最低保証金2,000万ポンド(出来高最大3,000万ポンド)、6年契約でマンチェスター・ユナイテッドに移籍。ブルーを自負していたルーニーは一部のファンから非難を受ける。
[編集] マンチェスター・ユナイテッド時代
2004-05シーズン、EURO2004準々決勝での怪我の影響によりシーズン開幕に出遅れるも、9月28日のUEFAチャンピオンズリーグ、オールド・トラッフォードでのフェネルバフチェ戦に先発出場すると、ハットトリックの活躍でチームの勝利に貢献。[注釈 4]。10月24日、19歳の誕生日となるアーセナル戦で、再び無敗記録を49試合にまで伸ばしていたアーセナルをPKと終了間際の1得点で破り、記録をストップさせる。2005年5月21日、FAカップ決勝戦でアーセナルと対戦するもPK戦のすえ惜敗。ルーニーはMVPを受賞。また今シーズンのPFA年間最優秀若手選手賞を受賞。
2005-06シーズン、UEFAチャンピオンズリーグとFAカップでは早々に敗退するも、リーグカップでは決勝に駒を進め、2006年2月26日の優勝戦でウィガン相手に2得点を挙げチームの勝利に貢献。プロ契約を結んで初のタイトル獲得となった。プレミアリーグでは隆盛を極めていたジョゼ・モウリーニョ率いるチェルシーに終始勝ち点を引き離され、4月29日に迎えたスタンフォード・ブリッジでのチェルシー戦に出場するも、後半33分にパウロ・フェレイラのタックルを喰らい、右足第4中足骨ほか複数個所を骨折してシーズンを終える。ルーニーは36試合に出場し16得点そして2桁となる10アシストを記録。またPFA年間最優秀若手選手賞を2年連続で受賞し、1973-74シーズンから実施されて以来史上3人目となる複数回受賞者となった。
2006-07シーズン、リーグに35試合出場し14得点13アシストを記録。若返りを図り無冠が続いたチームに4年ぶりのリーグ優勝を齎した。
2007-08シーズン、背番号8を背番号10に変更。リーグを2連覇し、UEFAチャンピオンズリーグを優勝。
2008-09シーズン、リーグ3連覇。
[編集] 代表
2003年2月12日にA代表に初招集され、2月17日のオーストラリア代表との親善試合で17歳と111日でA代表デビュー。マイケル・オーウェンの持つ18歳と59日での代表最年少出場記録を塗り替え、1897年にジェイムズ・プリンセップが打ち立てた17歳と253日での史上最年少出場記録も塗り替える[注釈 5]。同年9月6日に行われたEURO2004予選、アウェーでのマケドニア戦で17歳と317日で初得点を決め、イングランド代表最年少得点記録を樹立。
2004年、ポルトガルで開催されたEURO2004のイングランド代表メンバーに選出される。第1戦目となる6月13日のフランス戦に先発出場。続くスイス戦にも先発出場すると、前半23分にヘディングでゴールネットを揺らし、本大会に於ける最年少得点記録を塗り替える[注釈 6]。後半30分にもゴールを決めチームの勝利に貢献した。グループリーグ最終戦となるクロアチア戦にも先発出場し、スイス戦に続き2得点を記録、同試合のMVPに輝く。チームはBグループを2位通過するも準々決勝、開催国ポルトガルの前にPK戦の末6対5で敗退。ルーニーは前半30分に左足甲を骨折し、負傷交代した。
2006年ドイツW杯、2005-06シーズン終盤に負った怪我の影響により6月10日の初戦に出遅れるも、6月15日のトリニダード・トバゴ戦に途中出場、6月20日のスウェーデン戦に先発出場し、無得点に終わるもチームは2勝1分でBグループを首位通過。マイケル・オーウェンの膝十字靭帯の断裂により、以後1トップに固定される。駒を進めた7月1日の準々決勝、EURO2004で敗退を喫したポルトガルとの試合で、後半17分にリカルド・カルヴァーリョの股間を踏みつけたとして主審オラシオ・エリソンドから退場処分を受ける。試合は延長戦まで持ち込まれ、チームはPK戦の末3対1で敗退した。
[編集] 食生活
・見た目の割に、食事はヘルシー(ささみやパスタが主な食事) 朝食はとらない。
・ウエイトトレーニングは今はしていない(エバートン時代はしていた)
[編集] こぼれ話
2007年10月、婚約者コリーンはルーニーの22歳の誕生日プレゼントに趣向を凝らし、定価2,000ポンドのギブソンのレスポールをオアシスのノエル・ギャラガーにサインをしてもらい、10月24日に本人に手渡してもらいたいと申し出た。マンチェスター・シティの熱狂的なファンとして広く知られているノエル・ギャラガーはこれを絶好の機会と考えて快諾。同バンドのゲム・アーチャーと共に、タイガー・フレームにチェリー・サンバーストをあしらったレスポールのボディーをマンチェスター・シティのイメージカラーである空色に塗り直し、マンチェスター・シティのアンセムである『ブルー・ムーン』の歌詞をトップに書き込んで、「ハッピー・バースデイ,スポンジボブ」のメッセージを付けてルーニーに贈った。ルーニーは一瞥してノエル・ギャラガーの痛烈なジョークに腹を抱えて苦笑したものの、さすがに自宅に置いておくわけにもいかず、チャリティー・オークションに出品した。また、ポール・マッカートニーからのサイン入りのレスポールはしっかり受け取った[3]。
ギャンブルでの失敗談が多いことで有名。表沙汰になっている被害額は以下の通り、2006年にブックメーカーで約1億4,000万円の損失[4]、2008年にカジノクラブで1,000万円の損失[5]。2006年にはスポーツ籤で約1億2,500万円近くを稼いだことも明かにされている。ギャンブルの師匠はマイケル・オーウェンらしい。
進行中の若禿をとりわけ悪友のクリスティアーノ・ロナウド、リオ・ファーディナンド、ウェズ・ブラウンらにからかわれてるらしく、同僚にボビー・チャールトンと呼ばれることに嫌気が差しているとのこと。新妻コリーンには「少しくらい禿げていた方がダンディよ」と励まされてるらしい[6]。
女王陛下万歳の歌詞を知らないので、歌うことができない。この事に関してイギリスの伝統文化を守る活動をしているジョージ王立団体から批判を受けた。[7]。
[編集] トラブル
- 2006年9月5日の深夜にマンチェスター市内の高級ナイトクラブで婚約者コリーンほか3組の友人とパーティーを開いていたところ、当時ブラックバーン所属のマイケル・グレイと遭遇。酒に酔っていたグレイはコリーンとその友人を侮辱する暴言を吐き、目撃者によればルーニーは始めは冷静にその場を離れるよう忠告したが、度重なる暴言に激怒しグレイの顔面を殴打。この騒ぎに対してナイトクラブ側は警察を呼ぶことはせず、グレイを店外へ連れ出すことで収拾を図った[8]。
- 2005年9月14日のUEFAチャンピオンズリーグ、エル・マドリガルでのビジャレアル戦で警告を出した主審キム・ミルトン・ニールセンに皮肉雑じりの拍手と暴言を吐き、その場で2枚目の警告を受け退場。ニールセンは「レッドカード2枚に値する」という言葉を残した[9]。
- 2006年ドイツW杯準々決勝でのポルトガル戦でリカルド・カルヴァーリョの股間を踏みつけたとして、主審オラシオ・エリソンドから退場処分を受ける。後日、FIFA規律委員会を前にFAが反省文の提出を指示したが、本人は「故意にやったのではなく、暴力行為ではない」と拒否した。最終的に代表戦2試合出場停止、罰金2,400ポンドが課せられた[10][11]。また、この悶着で逸早く主審に抗議した当時の同僚クリスティアーノ・ロナウドとの確執が噂された。
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| イングランド | リーグ戦 | FLカップ | FAカップ | 期間通算 | |||||||
| 2002-03 | エヴァートン | 18 | プレミア | 33 | 6 | ||||||
| 2003-04 | エヴァートン | 18 | プレミア | 34 | 9 | ||||||
| 2004-05 | マンチェスター・U | 8 | プレミア | 29 | 11 | ||||||
| 2005-06 | マンチェスター・U | 8 | プレミア | 36 | 16 | ||||||
| 2006-07 | マンチェスター・U | 8 | プレミア | 35 | 14 | ||||||
| 2007-08 | マンチェスター・U | 10 | プレミア | 27 | 12 | ||||||
| 2008-09 | マンチェスター・U | 10 | プレミア | 30 | 12 | ||||||
| 通算 | イングランド | プレミア | 224 | 80 | |||||||
| 総通算 | 224 | 80 | |||||||||
[編集] 獲得タイトル
[編集] エヴァートン
[編集] マンチェスター・ユナイテッド
- プレミアリーグ:2006-07、2007-08、2008-09
- コミュニティーシールド:2007年
- フットボールリーグカップ:2006年
- UEFAチャンピオンズリーグ:2007-08
- FIFAクラブワールドカップ:2008年
- FIFAクラブワールドカップ得点王:2008年
- PFA年間ベストイレブン:2006年
- サー・マット・バスビー賞:2005-06
- PFA年間最優秀若手選手賞:2003-04シーズン、2004-05
- プレミアリーグ月間最優秀選手賞:2005年2月、 2005年12月、 2006年3月、2007年11月
[編集] 注釈
- ^ ジョー・ロイルが持つエヴァートンの最年少出場記録に2週間と迫る記録で第2位に付ける。現在はジェームズ・ヴォーンが16歳と271日で記録を更新している。
- ^ 同年12月28日にジェームス・ミルナーが16歳と309日で記録を更新。現在はジェームズ・ヴォーンが16歳と271日で記録を更新している。
- ^ FAの規定により17歳未満の選手はプロ契約できない。
- ^ 以後ルーニーが得点すると必ず勝つというジンクスが約1年4ヶ月続く。
- ^ 2006年5月30日にセオ・ウォルコットが17歳と75日で記録を更新。
- ^ 4日後にスイス代表のヨハン・フォンランテンがその記録を更新。
[編集] 脚注
- ^ a b ウェイン・ルーニー『悪童自伝 物語は始まったばかり』ランダムハウス講談社、2007年。
- ^ "Rooney voted top youngster" (英語). BBC Sport (2002-12-08). 2009年6月23日 閲覧。
- ^ "Red Wayne's blues guitar" (英語). The Sun (2007-10-26). 2009年6月23日 閲覧。
- ^ "Rooney to reach deal over debts" (英語). The Independent (2006-04-11). 2009年6月23日 閲覧。
- ^ "Wayne Rooney loses £65,000 in two hours gambling" (英語). Mirror.co.uk (2008-11-02). 2009年6月23日 閲覧。
- ^ "ルーニーの若ハゲがチーム内でネタに". livedoor (2008-09-17). 2009年6月23日 閲覧。
- ^ "Wayne Rooney doesn't know anthem" (英語). The Sun (2008-03-29). 2009年6月23日 閲覧。
- ^ "Rooney and Gray row in restaurant" (英語). BBC Sport (2006-09-08). 2009年6月23日 閲覧。
- ^ "Nielsen stands by Rooney red card" (英語). BBC Sport (2005-09-16). 2009年6月23日 閲覧。
- ^ "Rooney's dismissal stuns England" (英語). BBC Sport (2007-07-01). 2009年6月23日 閲覧。
- ^ "Rooney handed two-game suspension" (英語). BBC Sport (2007-07-08). 2009年6月23日 閲覧。
- ^ "Ferguson angry at Rooney red card" (英語). BBC Sport (2009-03-21). 2009年6月23日 閲覧。
[編集] 外部リンク
- waynerooney.com(英語)
- soccerbase.com(英語)
- fifa.com(英語)
- manutd.jp
- 「悪童自伝」ランダムハウス講談社
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| マンチェスター・ユナイテッドFC - 現所属メンバー |
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