イケル・カシージャス
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|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 名前 | |||||||
| 本名 | イケル・カシージャス・フェルナンデス | ||||||
| 愛称 | 聖イケル、エル・サント(聖人) | ||||||
| ラテン文字 | Íker Casillas | ||||||
| 基本情報 | |||||||
| 国籍 | |||||||
| 生年月日 | 1981年5月20日(30歳) | ||||||
| 出身地 | モストレス | ||||||
| 身長 | 185cm[1] | ||||||
| 体重 | 85kg | ||||||
| 選手情報 | |||||||
| 在籍チーム | |||||||
| ポジション | GK | ||||||
| 背番号 | 1 | ||||||
| 利き足 | 左足 | ||||||
| クラブチーム1 | |||||||
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| 代表歴 2 | |||||||
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| 1. 国内リーグ戦に限る。2011年5月22日現在。 2. 2012年2月29日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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イケル・カシージャス・フェルナンデス(Íker Casillas Fernández、1981年5月20日 - )は、スペイン、モストレス出身のサッカー選手。リーガ・エスパニョーラ・レアル・マドリード所属。ポジションはGK。日本の報道ではカシリャスと表記されることもある(ジェイスモを参照)。
目次 |
[編集] 人物
優れた反射神経を生かしたセービングで1対1の場面に強く、世界最高のGKの一人とされている[2]。また、UEFAチャンピオンズリーグ 2001-02決勝やUEFA欧州選手権2008準決勝のイタリア代表戦、2010 FIFAワールドカップ決勝のオランダ代表戦などに代表されるように大舞台に強い[3]。ラウル・ゴンサレスのスペイン代表引退後はキャプテンを務め、UEFA欧州選手権2008および2010 FIFAワールドカップで優勝を手にした。フランツ・ベッケンバウアー、ディディエ・デシャンに次いで3人目となるワールドカップと欧州選手権の2大会で優勝トロフィーを掲げた選手である[4]。レアル・マドリードのサポーターであるマドリディスタ(Madridista)からは聖イケル、サン・イケル(San Íker)と賞賛され[5]、クラブでもラウルの退団後はキャプテンを務めている。
元レアル・マドリードの選手であり晩年チームメイトであったボド・イルクナーは、カシージャスの優れている点に自分の与えられた仕事を全うする責任感の強さといつでも謙虚であり続ける姿勢を挙げた[6]。代表で共にプレーしたシャビはカシージャスをチームに安定と信頼をもたらす存在であるとし、選手としてだけでなく人間性も高く評価した[7]。プライベートでも国際連合の親善大使を務め、社会奉仕活動を行なっている[8]。
7歳下の弟ウナイ・カシージャスがおり、地元クラブのCDモストレスでMFをしている[9]。
[編集] クラブ経歴
1990-91シーズンにレアル・マドリードの下部組織に入団。子供の頃は内向的な性格で[10]、当時憧れの選手はデンマーク代表のピーター・シュマイケルであった[11][12]。1997年11月27日、高校在学中(16歳)にUEFAチャンピオンズリーグのローゼンボリ戦に招集されたが、トップチームデビューしたのは1998-99シーズンになってからだった。そのシーズンにレアル・マドリードCでテルセーラ・ディビシオンを優勝し、翌1999-2000シーズンにはレアル・マドリード・カスティージャのレギュラーになると同時にトップチームの第3GKも務めた[10]。その後負傷により長期離脱したGKボド・イルクナーに代わってポジションを獲得し、歴代最年少の19歳4日でチャンピオンズリーグ決勝(バレンシア戦)に出場した[5]。2000年にはプリメーラ・ディビシオン最優秀新人選手賞であるブラヴォー賞を獲得。同年夏にセサル・サンチェスがレアル・バリャドリードから加入すると、彼とポジションを争うことになり、2001-02シーズン終盤にポジションを奪われた。しかし、セサルは同シーズンのチャンピオンズリーグ決勝バイヤー・レバークーゼン戦後半途中に負傷し、カシージャスがピッチに立った[13]。レバークーゼンの怒涛の攻撃に対してファインセーブを連発し(特に後半ロスタイム、決定的だった相手CKからのディミタール・ベルバトフの至近距離からのシュートをたて続けに防いだ)、優勝に貢献した。その後も銀河系軍団と呼ばれるチームにあって守備面で大きな貢献をし、チームの顔の1人となった。
2007-08シーズンは実りの多いシーズンだった。ディフェンダーにファビオ・カンナヴァーロやペペら実力者が加入し、31度目のリーグ優勝を果たすと共に、36試合32失点に抑えてサモラ賞(最少失点率)のタイトルを初めて受賞。シーズン中の2008年2月14日には、2017年までの契約延長で合意に達し、最終シーズンに30試合以上に出場すると自動的に契約が延長されるという、いわゆる「生涯契約」にサインした[14]。他クラブが彼を獲得する際の違約金は1億1300万ユーロに設定された。
2008年には自身2度目のUEFAベストイレブンにも輝いた。彼にバロンドールを求める署名活動が起こり、1万人以上の署名が集まった[15]。結果的に、クリスティアーノ・ロナウド、リオネル・メッシ、フェルナンド・トーレスに次ぐゴールキーパーとして最高位の4位にランクインした。2008-09シーズンにはリーグ戦全試合に出場した。2008年冬の移籍市場でマンチェスター・シティはカシージャス引き抜きの為に違約金として史上最高額となる約175億円を用意したが、カシージャスはこの申し出を断った[16]。 2009年2月、パコ・ブーヨが保持していたクラブのゴールキーパー最多出場記録(454試合)を更新した[17]。
2009年10月4日のセビージャFC戦でスーパーセーブを披露し、往年の名GKであるゴードン・バンクスから「史上最高のGKの一人」と評された[18]。11月25日のFCチューリッヒ戦で、11人目となるUEFAチャンピオンズリーグ通算100試合出場を達成した[19]。国際サッカー歴史統計連盟が選ぶ2009年の最優秀ゴールキーパーとなり、歴代のランキングでも2位につけている[20] [21]。
ラウル、グティの両キャプテンがクラブを去ったことに伴い、2010-2011シーズンよりレアル・マドリードの主将に就任した。シーズン途中、カシージャスの恋人であるジャーナリストのサラ・カルボネーロがスペイン、テレシンコの番組内でチームメイトのクリスティアーノ・ロナウドについて「エゴイスト」と発言し[22]、これに端を発してC.ロナウドとの不仲が囁かれた。その後、本人やクラブ関係者がその噂を一蹴した[23][24]。12月12日のレアル・サラゴサ戦でレアル・マドリード史上9人目、GKとしては初のリーグ400試合出場を果たした。2010年にもUEFAチーム・オブ・ザ・イヤーに4年連続で選ばれ、ジャンルイジ・ブッフォンの3度を超えて最多受賞GKとなった。2011年4月9日のビルバオ戦では3-0で完封勝利し、ブーヨの持っていた通算無失点試合数のクラブ記録に並んだ[25]。コパ・デル・レイ決勝では、ラスト15分の間にメッシやペドロ、アンドレス・イニエスタらのシュートを3度スーパーセーブで防ぐなどの守りを見せ[3]、10年以上のキャリアで1度も手にしたことのなかったコパ・デル・レイのタイトルを獲得した。2011年8月29日のレアル・サラゴサ戦に出場し、リーグ戦の出場試合数がリーグ歴代6位(421試合)となった[26]。
2011年には国際サッカー歴史統計連盟から4年連続で最優秀GKに選ばれるとともに、同賞制定25周年を記念して設定された「過去25年で最高のGK」にも選出された[27]。
[編集] 代表経歴
U-15スペイン代表で、ウェンブリー・スタジアムで行われたイングランド戦で後半から出場。これが初めての代表戦であった。カシージャスはインタビューで、当時“フェラーリから地下鉄へ”と題するルポルタージュをしており、当時の監督から叱られたエピソードを語っている[10]。
16歳の時にU-17スペイン代表に選ばれ、1997年にエジプトで行われたFIFA U-17ワールドカップで3位入賞した。U-17代表ではキャプテンも務めた。1999年にはFIFAワールドユース選手権とUEFA-CAF メリディアン・カップで優勝した(しかし、この時はダニエル・アランスビアが正GKだった)。
EURO2000のスウェーデン戦で、19歳と14日でスペイン代表デビューを果たした。2002年の日韓W杯のメンバー入りも果たし、正ゴールキーパーのサンティアゴ・カニサレスがアクシデントにより負傷したため、弱冠21歳にして正GKとして大会に臨んだ。アイルランド戦のPK戦では2回止め、一躍母国のヒーローとなった。日韓W杯の韓国戦でのセービングはFIFAによって歴代トップテンのセービングに選ばれた[28]。
EURO2004予選では6試合で4失点に抑え、ノルウェーとのプレーオフに勝利して本大会出場を決めた。本大会では全試合出場。2006 FIFAワールドカップには副キャプテンとして臨んだが、決勝トーナメント1回戦のフランス戦では先制したにも関わらず3失点し、1-3で敗れた[29]。
EURO2008にはスペイン代表のキャプテンとして臨んだ。グループリーグのロシア戦とスウェーデン戦に出場し、安定感のあるセービングを見せたが、3戦目のギリシャ戦には控えのホセ・マヌエル・レイナが出場した。決勝トーナメント1回戦のイタリア戦はPK戦までもつれたが、FWアントニオ・ディ・ナターレとMFダニエレ・デ・ロッシのシュートを止めてPK戦を4-2で勝利し[30]、スペイン代表が持っていた様々なジンクスを打ち破った。カシージャスの母親は、このPK戦を前にあまりの緊張からか気を失い、息子の勇姿を見逃した。グループリーグではズラタン・イブラヒモビッチに1失点しただけであり、準々決勝、準決勝、決勝の全てでクリーンシートを記録し、守備に安定感をもたらした。6月29日のドイツとの決勝を1-0で勝利し、スペインの44年ぶりの優勝に大きく貢献した。UEFA欧州選手権のトロフィーをキャプテンとして掲げた初のゴールキーパーとなり[31]、ジャンルイジ・ブッフォンやエドウィン・ファン・デル・サールと共にUEFA選定大会優秀選手に選ばれた。2008年10月、カシージャスとレイナの二人はアンドニ・スビサレッタとフランシスコ・ブーヨが作り、長い間破られることがなかったスペイン代表の連続無失点記録(710分)を更新した[32]。
2009年9月5日、2010 FIFAワールドカップ欧州予選ベルギー戦に5-0で勝利し、スビサレッタが保持するスペイン代表の無失点試合数56試合に並んだ[33]。そして、9月9日のエストニア戦を無失点に抑え、新記録となる57回目の完封を達成した(カシージャスは98試合で57完封、スビサレッタは引退までに126試合で56試合完封)[34]。11月14日にはアルゼンチンとの親善試合に出場し、ゴールキーパーとしては過去にスビサレッタしか果たしていないスペイン代表100試合出場を達成した。
EURO2008に続いてキャプテンとして出場した2010 FIFAワールドカップでは、初戦でスイスに敗れてしまうも、その後の2試合は勝利し、決勝トーナメントに進出。決勝トーナメント1回戦のポルトガル戦ではマドリーのチームメイトでもあるクリスティアーノ・ロナウドのFKを弾き出したり、準々決勝のパラグアイ戦ではオスカル・カルドソのPKをキャッチでセーブしたり、お互い史上初の優勝をかけた決勝のオランダ戦ではアリエン・ロッベンとの2度に渡る1対1の場面など多くのピンチがあったものの全てのシュートをセーブし、延長にもつれこみながらも1−0でスペイン代表史上初のワールドカップ優勝を果たした。ロッベンのシュートを阻止したシーンは、後にカシージャスが「最も思い出深く、誇りに思っているプレー」と語ることとなった[35]。またこの試合ではアンドレス・イニエスタが決勝点を挙げると、カシージャスはまだ試合中にも関わらず顔を手で覆い涙を流した[36]。決勝トーナメントの4試合を無失点に抑えたカシージャスは、レフ・ヤシン賞から名称を変えた大会最優秀GKであるゴールデングローブ賞の第1回受賞者となった。
2011年11月12日のイングランドとの親善試合に出場。代表通算126試合目の出場となり、スビサレッタの持つスペイン代表最多記録に並んだ[37]。さらに同15日のコスタリカ戦で代表通算127試合に伸ばし、スビサレッタの記録を更新した[4]。
[編集] その他
- 長年の恋人だったスペインの芸能人のエバ・ゴンサーレスは2003年のミス・スペインに選ばれている。また、南アフリカW杯決勝であるオランダ戦の試合後のインタビューでは、テレビカメラの前で恋人であるTVレポーターのサラ・カルボネーロに熱烈なキスをして話題になった[38][39]。
- カシージャスは縁起かつぎのため、チームメートがゴールを決めると、ゴールのクロスバーに触れるようにしている[13]。
- 日本スポーツ企画出版社が毎月第一・第三木曜日に発行しているサッカー雑誌ワールドサッカーダイジェストにはカシージャスのコラムが掲載されていた(カシージャスの連載終了後、セルヒオ・ラモスがコーナーを引き継いでいる)。
- 母親はサミュエル・エトオのファンである。彼自身も仲がよく、FWとGKであることからいいライバル関係を築いている。また、エトオがズラタン・イブラヒモビッチとのトレードでインテルへ移籍した際、エトオのことを「悪夢だった」と語り、その能力を称賛している[40]。
- 2007年11月3日、セビージャとのアウェー戦当日の朝、カシージャスは当時監督のベルント・シュスターの許可を得てコンセントレーション(試合前泊)を離れ、3年に渡り脳腫瘍と戦う16歳の少女の元を突然訪れた[41]。少女はマドリディスタで、彼女にとってカシージャスは一番のアイドルであった。二人はしばらくの間会話をかわし、セルヒオ・ラモスにも会いたいという彼女の頼みを聞き入れ、彼を呼び出して彼も含めた交流を行った。その後、彼女が永眠した際、別れの時にはカシージャスのユニフォームとチームのポスターが添えられた。
- 憧れの選手であるピーター・シュマイケルと対戦した2000年のUEFAチャンピオンズリーグでは、試合後すぐにシュマイケルのもとへ行きユニフォーム交換を行った[12]。
[編集] 所属クラブ
- 1998年-1999年
レアル・マドリードC - 1999年-2000年
レアル・マドリードB - 1999年-
レアル・マドリード
[編集] 個人成績
| シーズン | クラブ | ディビシオン | 背番号 | リーガ | 国王杯 | UEFA CL | 他UEFA | その他 | シーズン通算 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 出場 | 失点 | 出場 | 失点 | 出場 | 失点 | 出場 | 失点 | 出場 | 失点 | 出場 | 失点 | ||||
| 1998-99 | レアル・マドリード | テルセーラ | - | 26 | 30 | - | - | - | - | - | - | - | - | 26 | 30 |
| 1999-00 | セグンダB | - | 4 | 2 | - | - | - | - | - | - | - | - | 4 | 2 | |
| 1999-00 | プリメーラ | 27 | 27 | 25 | 5 | 1 | 12 | 19 | - | - | - | - | 44 | 45 | |
| 2000-01 | 27 | 34 | 37 | 0 | 0 | 11 | 15 | 1 | 2 | 1 | 2 | 47 | 56 | ||
| 2001-02 | 1 | 25 | 27 | 5 | 5 | 9 | 6 | - | - | - | - | 39 | 38 | ||
| 2002-03 | 1 | 38 | 42 | 0 | 0 | 15 | 21 | 1 | 1 | 1 | 0 | 55 | 64 | ||
| 2003-04 | 1 | 37 | 50 | 2 | 1 | 9 | 10 | - | - | - | - | 48 | 61 | ||
| 2004-05 | 1 | 37 | 30 | 0 | 0 | 10 | 11 | - | - | - | - | 47 | 41 | ||
| 2005-06 | 1 | 37 | 38 | 4 | 6 | 7 | 7 | - | - | - | - | 48 | 51 | ||
| 2006-07 | 1 | 38 | 40 | 0 | 0 | 7 | 10 | - | - | - | - | 45 | 50 | ||
| 2007-08 | 1 | 36 | 32 | 0 | 0 | 8 | 13 | - | - | - | - | 44 | 45 | ||
| 2008-09 | 1 | 38 | 52 | 0 | 0 | 7 | 10 | - | - | - | - | 45 | 62 | ||
| 2009-10 | 1 | 38 | 35 | 0 | 0 | 8 | 9 | - | - | - | - | 46 | 44 | ||
| 2010-11 | 1 | 35 | 32 | 8 | 2 | 11 | 6 | - | - | - | - | 54 | 40 | ||
| プリメーラ通算 | 420 | 440 | 24 | 15 | 114 | 137 | 2 | 3 | 2 | 2 | 562 | 597 | |||
[編集] FIFAバロンドール投票
- バロンドール投票
フランス・フットボール誌が主催してヨーロッパ最優秀選手を決めるバロンドールには2002年に初めてノミネートされたが、このときは得票を得られなかった。2007年から3年連続でノミネートされ、2008年にはUEFA欧州選手権2008(優勝)やリーガ・エスパニョーラ(優勝)の活躍が評価され、自己最高位の4位にランクインした。
| 年 | 順位 | 点 |
|---|---|---|
| 2002 | 得票なし | 0 |
| 2003 | 得票なし | 0 |
| 2004 | ノミネート外 | ノミネート外 |
| 2005 | ノミネート外 | ノミネート外 |
| 2006 | ノミネート外 | ノミネート外 |
| 2007 | 27位 | 3 |
| 2008 | 4位 | 133 |
| 2009 | 16位 | 8 |
- FIFAバロンドール投票
FIFA最優秀選手賞とバロンドールが統合され、2010年からはFIFAバロンドールとして世界最優秀選手が発表されている。2010年には2010 FIFAワールドカップでの活躍が評価され、ディフェンスの選手としては最高位の7位にランクインした。
| 年 | 順位 | 総得票率 | 監督票 | 主将票 | 記者票 |
|---|---|---|---|---|---|
| 2010 | 7位 | 2.90 | 0.49 | 1.44 | 0.96 |
| 2011 | 9位 | 1.29 |
[編集] 代表
- 1995年 UEFA U-15欧州選手権 - 優勝
- 1997年 UEFA U-17欧州選手権 - 優勝
- 1999年 UEFA CAFメリディアンカップ - 優勝
- 1999年 1999 FIFAワールドユース選手権 - 優勝
- 2000年 スウェーデン戦でスペイン代表デビュー。
- 2002年 2002 FIFAワールドカップ・日韓大会 - ベスト8
- 2004年 EURO2004・ポルトガル大会 - 1次リーグ敗退
- 2006年 2006 FIFAワールドカップ・ドイツ大会 - ベスト16
- 2008年 EURO2008・スイス・オーストリア大会 - 優勝
- 2010年 2010 FIFAワールドカップ・南アフリカ大会 - 優勝
[編集] タイトル
[編集] クラブ
- リーガ・エスパニョーラ - 2000-01、2002-03、2006-07、2007-08
- コパ・デル・レイ - 2010-11
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ - 2001-02、2003-04、2008-09
- UEFAチャンピオンズリーグ - 1999-00、2001-02
- UEFAスーパーカップ - 2002-03
- トヨタ ヨーロッパ/サウスアメリカ カップ - 2002
[編集] 個人
- 最優秀新人選手(リーガ・エスパニョーラ) - 1999-00
- ブラヴォー賞 - 2000
- サモラ賞(リーガ・エスパニョーラ) - 2007-08
- UEFAチーム・オブ・ザ・イヤー - 2007、2008、2009、2010、2011
- IFFHS選定年間最優秀GK - 2008、2009、2010、2011
- FIFproワールドイレブン - 2008、2009、2010、2011
- EURO2008 UEFA選定大会優秀選手 - 2008
- ゴールデングローブ賞 - 2010
[編集] 脚注
- ^ “CASILLAS”. レアル・マドリード公式サイト. 2011年4月3日閲覧。
- ^ イケル・カシージャス. goal.com
- ^ a b イケル・カシージャス(40位)Goal.com 2011年8月1日
- ^ a b カシージャス、代表最多試合出場選手にレアル・マドリード公式サイト日本語版、2011年11月16日
- ^ a b Iker CasillasESPN Soccernet
- ^ 元レアル・マドリーのイルクナー「カシージャスの長所は責任感の強さと謙虚な姿勢」. スポーツナビ、2011年11月15日
- ^ スペイン代表のシャビ「カシージャスはチームをひとつにしてくれる最高の主将」. スポーツナビ、2011年11月12日
- ^ REAL MADRID レアル・マドリー イケル・カシージャス. OCNスポーツ
- ^ get to know… Unai Casillasunamadridista.wordpress.com、2010年9月28日
- ^ a b c インタビュー:レアル・カシージャスレアル・マドリード公式サイト、2011年2月18日
- ^ カシージャスが選ぶ歴代GKベスト10UEFA.com、2010年1月29日
- ^ a b イケル・カシージャス(レアル・マドリー/スペイン代表)「僕はこれからも成長を続ける」. OCNスポーツ、2011年11月28日
- ^ a b GK 1 カシージャスレアル・マドリード公式サイト日本語版
- ^ ラウルとカシージャス、生涯R・マドリーでプレーlivedoorスポーツ、2008年2月15日
- ^ 「カシージャスにバロンドールを」に1万人以上が署名livedoorスポーツ、2008年9月9日
- ^ マン・シティ、カシージャス引き抜きに失敗livedoorスポーツ、2008年12月3日
- ^ Casillas secures a place in Madrid folkloreUEFA.com、2009年2月9日
- ^ Praise for Casillasレアル・マドリード公式ウェブサイト、2009年10月7日
- ^ カシージャス、CL100試合出場達成Goal.com、2009年11月26日
- ^ The World's best Goalkeeper 2009IFFHS
- ^ All-Time World Goalkeeper Ranking (1987-2009)IFFHS
- ^ カシージャス恋人:「C・ロナウドはエゴイスト」livedoor.com、2010年9月22日
- ^ ラサナ・ディアラ「カシージャスとC・ロナウドの関係に問題はない」スポーツナビ、2010年12月17日
- ^ モウリーニョ:不仲の話は紙面を売りたいだけレアル・マドリード公式サイト、2010年12月18日
- ^ カシージャスに新たなる勲章Goal.com 2011年4月10日
- ^ R・マドリードのカシージャス、かつての好敵手カニサレス氏を抜きGKの出場数で歴代6位にWOWOWリーガニュース 2011年8月30日
- ^ “カシージャス、4年連続で世界最高GKに選出”. レアル・マドリード公式サイト日本語版 (2011年1月4日). 2011年1月6日閲覧。
- ^ FIFA Fever Centennial Anniversary (1904–2004) DVD
- ^ Spain - FranceFIFA.com
- ^ Spain 0-0 Italy (4-2 pens)BBC Sport、2008年6月22日
- ^ Germany 0 - 1 SpainESPN Soccernet、2008年6月30日
- ^ Casillas: Scoreless streakレアル・マドリード公式ウェブサイト、2008年10月12日
- ^ Another record establishedレアル・マドリード公式ウェブサイト、2009年9月7日
- ^ カシージャス、代表記録を塗り替えるlivedoorスポーツ、2009年9月10日
- ^ 最多出場記録目前のカシージャス「W杯決勝のセーブは誇り」SOCCER KING 2011年11月12日
- ^ 最優秀GKカシージャス歓喜の涙…生放送キスもスポニチ、2010年7月13日
- ^ カシージャス、代表最多出場記録に並び「プレーに誇りを感じる」SOCCER KING 2011年11月13日
- ^ カシージャス、試合後のインタビューで熱烈なキス、サポティスタ、2010年7月12日。
- ^ スペインGKカシーリャス、優勝後に彼女のTVレポーターに熱烈キス、スカパー、2010年7月13日。
- ^ カシージャス エトーとの対戦は「悪夢だった」AFPBB News、2009年8月5日
- ^ “Un gesto que vale más que un gol”. Marca.com (2007年12月13日). 2009年9月15日閲覧。
- ^ “イケル・カシージャス通りがお披露目”. レアル・マドリード公式サイト日本語版 (2011年1月6日). 2011年1月6日閲覧。
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1 カシージャス | 2 カルヴァーリョ | 3 ペペ | 4 S・ラモス | 5 シャヒン | 6 ケディラ | 7 C・ロナウド | 8 カカ | 9 ベンゼマ | 10 エジル | 11 グラネロ | 12 マルセロ | 13 アダン | 14 X・アロンソ | 15 コエントラン | 16 アルトゥントップ | 17 アルベロア | 18 アルビオル | 19 ヴァラーヌ | 20 イグアイン | 21 カジェホン | 22 ディ・マリア | 24 ディアッラ 監督: モウリーニョ |
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