フロレンティーノ・ペレス
|
フロレンティーノ・ペレス
Florentino Pérez |
|
|---|---|
| 生誕 | 1947年3月8日(66歳) |
| 住居 | マドリード |
| 出身校 | マドリード工科大学 |
| 職業 | Grupo ACSCEO |
| 純資産 | 推定19億ドル[1] |
| 宗教 | カトリック教会 |
| 配偶者 | María Ángeles "Pitina" Sandoval Montero |
| 公式サイト | |
| Florentino Pérez | |
フロレンティーノ・ペレス・ロドリゲス(Florentino Pérez Rodríguez、1947年3月8日 - )は、スペイン・マドリード出身の実業家。本業は会社経営。レアル・マドリードのソシオである。ドラガードス社と経営統合してACS社をスペイン最大(ヨーロッパで第3位)の建設会社グループに作り上げた。
レアル・マドリード会長 [編集]
1994年、レアル・マドリードの会長選に初めて出馬するも、ラモン・メンドーサに敗れた。
2000年、借金の清算とルイス・フィーゴの獲得を公約に掲げてレアル・マドリードの会長選に再び立候補、当選した。ペレスは古くなった練習場の土地を地方自治体に売却することで借金を清算し、さらにライバルであるFCバルセロナからフィーゴの獲得にも成功。毎年1人ビッグネームを獲得することを宣言し、2001年にはジネディーヌ・ジダン、2002年にロナウド、2003年にデビッド・ベッカムを獲得。そうすることで認知度が上がったレアル・マドリードは、シーズン終了後に世界中を巡って親善試合を行った。また、試合のみならず日本ではテレビ番組やイベント、CMなどにも出演した。
しかし、結果的にそのツアーによって収益は得たものの次シーズンへの準備期間が削られることとなり、コンディションが良くないままシーズンが始まることとなった。その他にも、選手間の給与格差や守備軽視などの問題も起こり、徐々にクラブはバランスを崩していった。2006年2月にUEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント一回戦のアーセナルFC戦とリーガ・エスパニョーラにおけるRCDマジョルカ戦での連敗により2季連続の無冠が濃厚となったため、ペレスは責任を取る形で会長職を辞任した。
2009年、ラモン・カルデロンが会長職を辞した後、再び会長に立候補した。ペレスの他にも3人の候補者が出ると見られていたが、結局候補者はペレス1人であったため再び会長となった[2]。前年多くのタイトルを獲得したバルセロナに対抗するべく、カカ、クリスティアーノ・ロナウド、シャビ・アロンソ、カリム・ベンゼマらビッグネームを再び獲得。この年補強に費やした金額は2億5000万ユーロにも上った。
関連項目 [編集]
脚注 [編集]
- ^ “#536 Florentino Perez”. Forbes (2010年3月9日). 2012年12月16日閲覧。
- ^ “レアル・マドリーにペレス会長復帰”. livedoor スポーツ (2009年6月1日). 2009年10月9日閲覧。