フェラーリ

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フェラーリ
Ferrari S.p.A.
種類 子会社
本社所在地

イタリア
Via Abetone Inferiore, 4

41053,マラネロ
電話番号 +39-0536-949111(本社直通)
+39-0536-949450(スクーデリア・フェラーリ)
設立 1947年
業種 自動車製造
事業内容 自動車の製造,販売
代表者 ルカ・コルデーロ・ディ・モンテゼーモロ, 会長社長
ピエロ・ラルディ・フェラーリ,副社長
アメデオ・フェリーサ, CEO
ジャンカルロ・コッパ, CFO
主要株主 フィアット
ピエロ・ラルディ・フェラーリ
関係する人物 エンツォ・フェラーリ(創業者)
外部リンク Ferrari World
  

フェラーリFerrari S.p.A )は現在フィアットグループの傘下にあり、高級GTカー及び高級スポーツカーのみを製造している、イタリアモデナ県マラネッロに本社を置く自動車メーカーである。

目次


[編集] 沿革

写真左がエンツォ
500(1951)
500(1951)
250GTベルネッタSWB(1959)
275GTB/4(1966)
275GTB/4(1966)
ディーノ246(1970)
ディーノ246(1970)
308(1980)
308(1980)
F355(1995)
F355(1995)

1947年に、アルファ・ロメオレーシングドライバーであったエンツォ・フェラーリにより、レーシングチーム運営のための会社として創立。当初はスクーデリア・フェラーリとして、アルファ・ロメオのレース運営を主目的とする会社として創立されたが、やがて自社のレーシングカーを開発するようになり、アルファ・ロメオ社のレース撤退とともにその資産を受け継いだ。

当初はレースに参戦する費用の捻出のために、旧モデルとなったレーシングカーをロードカーとして仕立て上げて貴族や富豪に販売していたが、250シリーズで初めて市販車の製造を開始した。しかしながら、初代は熱い、うるさい、乗り心地が悪い、故障が多いなど、不評も多かった。シリーズを重ねるごとに改良は進んだが、エンツォは自社の市販車にスポーツカーという言葉は用いなかったばかりか、乗り心地や快適性を求める購入者を蔑んでいたと言われる。

当時の市販車は、それまでのフェラーリにしては量産車と言える物であったが、その価格は依然として高かった。その割りに工業製品としての品質は低く、工作精度や品質のばらつきが大きい上に、ロードカーとしては設計上の問題も多かった。後にフィアットの傘下に入ってある程度の品質向上はできたものの、そもそもエンツォ自身がロードカーの開発に積極的でなかったためか、依然としてどこかに設計上の問題点を抱えていた。カタログ上の性能の向上はもちろん進んでいたのだが、ボディ剛性サスペンションシステム、ミッドシップにもかかわらず高い重心など、「スポーツカー」としての性能はいまひとつであった[1]。そのため、限界速度域での挙動がデリケートで運転が難しくなり、「跳ね馬」成らぬ「じゃじゃ馬」と呼ばれていたこともある。ただしレース用車両をベースに開発された市販車はその限りではなかったようである。

[編集] フィアット傘下へ

1960年代に経営が苦境に陥り、1963年にフォードから買収を持ちかけられるが[2]買収金額をめぐって交渉は決裂。1969年にイタリア最大の自動車メーカーであるフィアット社の援助を受け、その傘下に入ることで命脈をつないだ。この買収の決裂を受けてフォードは後に独自のスポーツカーフォード・GT40を開発し、その資本力に物を言わせてル・マン24時間レースでフェラーリを打ち破り、一矢報いることになる。

フィアットの傘下に入った後、ディーノ・206/246のエンジンがグループ内でやりとりされることとなり、フィアットからはディーノ・クーペ/スパイダー、ランチアではストラトスが生まれた。政治的配慮からなのか、このエンジンはキャブ、カム、ピストンに至るまでフェラーリ、フィアットともにまったく同じ仕様で、排気レイアウトの関係上フィアットの方が馬力的に有利なのにもかかわらず、フィアットの方が馬力が少ない表示となっている。

またその後エンツォは、元来興味の薄い市販車部門からは一切の手を引いてレースのみに専念することとなる。そして市販車部門をフィアットの意向が支配するようになった結果、比較的安価な量産スポーツカーとしてV型8気筒エンジンを搭載したスモールフェラーリ「308」シリーズが生まれ、フェラーリ史上最大のヒット作となった。308のエンジンはランチアのレーシングマシンやランチア・テーマに使用された[3]。これはやがて328へと発展し、そして、348へと発展し、自動車メーカーとしてのフェラーリの屋台骨を支え、F355360現在のF430にも連なるV8フェラーリの系譜となった。

エンツォ没後、1991年にフィアットの創業者一族につながり、かつてチーム監督としてレース部門を立て直したルカ・コルデーロ・ディ・モンテゼーモロがフェラーリ社長に就任。エンツォ亡き後『エンツォの居ないフェラーリはフェラーリ足り得るか?』とも言われたが、456GTF355を開発、劇的な品質の改善に成功し、好調な業績を上げてきている。モンテゼーモロはその手腕を買われ、その傘下にマセラティを加えて復活させ、さらには苦境に陥った親会社フィアットを率いている。

F430のエンジンはマセラティ・クアトロポルテと共有であり[4]、フィアット、ランチア、マセラティとその心臓部分を共有した歴史があるが、アルファ・ロメオとは共有したことがなかった。しかしアルファロメオ・8Cコンペティツィオーネの市販決定により、ついに母(アルファ)と息子(エンツォ)のコラボレーションが成立したことになる。

[編集] 日本における販売

1965年から1968年までは新東洋企業、1968年から1972年までは西欧自動車、1971年から1974年までは西武自動車販売、1975年から1978年まではロイヤル・モータース、1979年から2008年7月1日まではコーンズ・アンド・カンパニー・リミテッドが輸入、販売を担当していた。これらの会社はいずれもフェラーリ本社とは資本関係のない独立系のインポーターであった[5]

2008年2月、フェラーリとコーンズ・アンド・カンパニー・リミテッドは輸入権を日本法人フェラーリ・ジャパンに移管することで合意[6][7]。2008年7月1日からはフェラーリ・ジャパンが輸入業務を開始した[8]

[編集] カヴァッリーノ・ランパンテ

イタリア語で後足で立ち上がった馬の紋章を使用するため、「跳ね馬」の愛称を持つ[9]

本来この紋章はイタリア空軍のエース、フランチェスコ・バラッカが空軍に移る前に所属していたイタリア陸軍第11山岳騎兵連隊の紋章であった[10]。その後バラッカは空軍に移り、第一次世界大戦時にはイタリア空軍第91飛行隊に所属、それに伴いこの紋章も第91飛行隊のエンブレムとなっていた。その第91飛行隊にエンツォ・フェラーリの兄アルフレードが所属していた縁で、エンツォがバラッカの母から使用の許可を得てフェラーリの紋章とした、と言われている。しかしながら英雄の母親とは言え息子の部隊章の使用許可を与える権限などあるはずもなく、この話はエンツォの創作とも言われている。


[編集] コーポレートカラー

フェラーリのイメージカラーとして赤が非常に有名であるが、これはイタリアのナショナルカラーである。本来のコーポレート・カラーは会社があるモデナ県のカラー「黄色」で、それを裏付けるかのようにフェラーリの黄色い外板色の名前は「ジャッロ・モーデナ」である[11]

現在では赤色も暗黙のうちにコーポレートカラーに含まれているので、量産車のカラーオーダーメイドプランでは、赤色と黄色は原則として取り扱いをしない。また、量産車の新車発表時には、赤色と黄色の車両を用意するように配慮されている。

[編集] 車種一覧

[編集] 現行車種

[編集] 過去の主な車種

  • 年数は発表・発売・デビュー年


[編集] コンセプトモデル

[編集] 関連項目


[編集] 脚注

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  1. ^ これはそもそもフェラーリ社がスポーツカーとしての設計をしていなかったため当然とも言える。
  2. ^ 一説にはエンツォからアプローチしたともいわれるが、いずれにしても、「向こうがその気なら話を聞いてやらんでもない」という感じの終始尊大な態度だったという。
  3. ^ ランチア・テーマ8・32の「32」は3.2Lではなく、32バルブの意である。
  4. ^ マセラティの方が先行採用
  5. ^ ブランド別インポーター(日本自動車輸入組合)
  6. ^ フェラーリ、日本法人を設立…コーンズは正規代理店に - レスポンス(2008年2月22日)
  7. ^ フェラーリ事業の新体制について - コーンズニュース(2008年2月22日)
  8. ^ フェラーリ・ジャパン、輸入業務を開始 - レスポンス(2008年7月1日)
  9. ^ この紋章はイタリア語で「カヴァッリーノ・ランパンテ」(Cavallino Rampante )といい、直訳では「立ち馬」であるが、英訳でも「跳ねる馬」(Prancing Horse )となっている。
  10. ^ 「バラッカが撃墜したドイツ空軍のパイロットが付けていたシュトゥットガルト市の市章をモチーフにした」とする説が有名だが、これは誤り。
  11. ^ 社旗のデザインは社章の延長線上で黄色の旗に黒色でカヴァッリーノ・ランパンテを描く(或いは、加えて"Ferrari"のロゴが入る)だけのシンプルなデザインであり、サーキットなどで見かける赤色をベースにした旗は非公式のデザインである。
  12. ^ 登録商標第4134174号。
  13. ^ 登録商標第4090994号。

[編集] 外部リンク

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