セルヒオ・アグエロ
|
||||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 名前 | ||||||||||||||
| 本名 | セルヒオ・レオネル・アグエロ・デル・カスティージョ Sergio Leonel Agüero del Castillo |
|||||||||||||
| 愛称 | クン(KUN) | |||||||||||||
| ラテン文字 | Sergio AGUERO | |||||||||||||
| 基本情報 | ||||||||||||||
| 国籍 | ||||||||||||||
| 生年月日 | 1988年6月2日(24歳) | |||||||||||||
| 出身地 | キルメス | |||||||||||||
| 身長 | 173cm | |||||||||||||
| 体重 | 70kg | |||||||||||||
| 選手情報 | ||||||||||||||
| 在籍チーム | ||||||||||||||
| ポジション | FW | |||||||||||||
| 背番号 | 16 | |||||||||||||
| 利き足 | 右足 | |||||||||||||
| クラブ1 | ||||||||||||||
| 年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||||||||||
| 2003-2006 2006-2011 2011- |
CAインデペンディエンテ アトレティコ・マドリード マンチェスター・シティFC |
54 (23) 175 (74) 6 (8) |
||||||||||||
| 代表歴2 | ||||||||||||||
| 2005-07 2008 2006- |
7 (6) 5 (2) 41 (17) |
|||||||||||||
|
||||||||||||||
| 1. 国内リーグ戦に限る。2011年9月24日現在。 2. 2012年10月12日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
||||||||||||||
セルヒオ・レオネル・アグエロ・デル・カスティージョ(Sergio Leonel Agüero del Castillo, 1988年6月2日 - )は、アルゼンチン・ブエノスアイレス州キルメス出身の同国代表サッカー選手。プレミアリーグのマンチェスター・シティFCに所属。ポジションはフォワード。
目次 |
略歴 [編集]
インデペンディエンテ [編集]
アルゼンチンのCAインデペンディエンテでサッカー選手としてのキャリアをスタート。2003年7月23日にディエゴ・マラドーナの持つプリメーラ・ディビシオン最年少出場記録を更新する、15歳と35日でのトップチームデビューを飾る。2002-2003年後期リーグ、2003-2004年前期リーグでの出場はこの1試合のみであったが、2003-2004年後期リーグより徐々に出番を増やしていき(5試合0ゴール)、2004-2005年前期リーグでは7試合に出場、リーグ初ゴールを含む2ゴールを記録した。続く2004-2005年後期リーグで5試合で3ゴールを記録。
2005-2006年シーズンはチームの主力として前期・後期共に18試合出場9ゴールとブレイク。ワールドユースでの活躍も相まって世界で最も将来有望なサッカー選手の一人として認知され、「ニュー・メッシ」(このシーズン、メッシはFCバルセロナで大ブレイクを果たした)とも「マラドーナの後継者」(マラドーナ自身もその才能を認め「アグエロをA代表に招集すべき」と発言したこともある)とも呼ばれるようになった。彼の元には、早くから移籍金1200万ユーロで獲得に乗り出したビジャレアルCFの他、メッシの所属するFCバルセロナやバイエルン・ミュンヘンなど多くの欧州の強豪クラブからのオファーが届いたが、最終的にアトレティコ・マドリードへ同クラブ史上最高額(約2000万ユーロ)での移籍が決定した。
アトレティコ・マドリード [編集]
鳴り物入りで入団したアトレティコでは、2006-2007年のリーグ初戦となるラシン・サンタンデール戦でミスタとの交代で途中出場しリーガ・エスパニョーラデビューを果たす。やがてこのスペイン代表をベンチに追いやり、クラブの旗印であるフェルナンド・トーレスと2トップを組む機会が増えると、リーグ第3戦アスレティック・ビルバオ戦でリーガ初得点を記録した。2006年9月3日にはアルゼンチンのフル代表デビューも果たしており、順調なスタートを切るものの、トーレスとの強力2トップを活かすことが出来ぬまま7位でシーズンは終了。それでもリーグ全38試合に出場し、周りのサポートに恵まれない状況でも初挑戦となるヨーロッパのトップリーグで6ゴールを記録。そのポテンシャルの高さをうかがわせた。
2007-2008シーズン、チームのエースでありキャプテンであったトーレスがリヴァプールFCに移籍し、チームの新たな顔としての期待が高まる中、かつてインデペンディエンテに所属し、トーレスの後釜としてビジャレアルCFから移籍したディエゴ・フォルランとの2トップでシーズン序盤からゴールを量産。最終的にはリーグ3位となる20ゴールを決め、チームの欧州CL出場件獲得に貢献した。2007年のFIFA世界最有望選手賞を受賞。2008年にはテレビ局による第1回アントニオ・プエルタ賞を受賞した。
2008-09シーズンはチャンピオンズリーグに初出場し、初戦のPSV戦では初ゴールを含む2ゴールを記録。しかしその後は1ゴールに終わり、チームも無敗ながらベスト16で敗退。リーガではアグエロ自身のゴールは17に減ったが、パートナーのフォルランがリーガ最多となる32ゴールを挙げるなどこのシーズンも2トップが爆発し、2年連続の4位・CL出場権獲得に大きく貢献した。
2009-10シーズンはリーガでの得点は12にさらに減少。しかしチャンピオンズリーグ、ヨーロッパリーグと欧州規模の大会で16試合に出場するなど、自身最多のシーズン54試合に出場。ヨーロッパリーグ決勝のフラムFC戦ではフォルランの2得点をアシストし、アトレティコの14年ぶりのタイトル獲得に貢献した[1]。
2010-11シーズンはシーズン初戦のUEFAスーパーカップのインテル戦で1得点1アシストの活躍で勝利に貢献しスタート[1]。2010年12月に、念願だったスペイン国籍の取得に成功した。チームの不調とともに自身の得点も伸び悩んだものの、リーグ終了までの全8試合で得点を記録[1]。リーグ最終戦のRCDマヨルカ戦ではアトレティコでは初のハットトリックを達成し、アトレティコのヨーロッパリーグ出場権獲得に貢献[1]。またこの3得点でシーズン通算20得点とし、得点ランキング3位に入った。
マンチェスター・シティ [編集]
2010-11シーズン終了から3日後に、退団希望を自身のサイトで発表[1][2]。ユヴェントスFC、チェルシーFC、レアル・マドリードなどが興味を抱いたが[3]、2011年7月28日にイングランドプレミアリーグのマンチェスター・シティFCに移籍[4]。移籍金は推定4500万ユーロで、5年契約を結んだ[4]。 2012年5月13日、プレミアリーグ最終節・クイーンズ・パーク・レンジャーズFC戦において後半ロスタイムに勝ち越しゴールを決め、マンチェスター・シティを44シーズンぶりとなるプレミアリーグ優勝へと導いた。 結局このシーズンは得点ランク3位となる23ゴールを決めた。
代表 [編集]
FIFAワールドユース選手権2005ではアルゼンチン代表に一つ年上のリオネル・メッシと共に選出され、ナイジェリアとの決勝戦では試合途中から出場、勝ち越しとなったPKを獲得する等チームの優勝に貢献した。2006年9月3日のブラジルとの親善試合では、18歳3ヶ月でフル代表デビューを果たした。
FIFA U-20ワールドカップ2007ではチームのエースとして大会に臨み、グループリーグの北朝鮮戦でのFKからのゴールやトーナメント第一試合のポーランド戦での芸術的なゴール、決勝のチェコ戦での同点弾などの印象的な活躍で6得点・4アシストを挙げてチームを優勝に導き、大会得点王とMVPに輝いた。その後のコパ・アメリカ2007にもフル代表として選出されたが、ここではメッシやカルロス・テベスら厚いFWの選手層に阻まれ出番は限られた。2007年11月17日に行われたワールドカップ南米予選のボリビア戦でフル代表初ゴールを記録。
2008年8月には北京オリンピックに出場し、準決勝のブラジル戦で2ゴールを決めるなど、アルゼンチンの金メダル獲得に貢献した。
FIFAワールドカップ・南アフリカ大会ではグループリーグ第2戦の韓国戦で初出場し、ゴンサロ・イグアインのハットトリックとなる3得点目をアシスト。その後2試合に出場したものの、アルゼンチンは準々決勝でドイツに敗れた。
開催国として臨んだコパ・アメリカ2011では、開幕戦のボリビア戦で途中出場し、チームを引き分けに導く同点ゴールを記録。グループリーグ第3戦のコスタリカ戦では2得点を挙げ、この大会のアルゼンチン唯一の勝利に貢献[1]。チームは準々決勝のウルグアイ戦でPK戦の末に敗退し、ベスト8に終わった。
人物・エピソード [編集]
- カルロス・テベスが憧れの選手。
- リヴァプールFCのファンである。
- アルゼンチン代表でリバプールFCのマキシ・ロドリゲスや、同世代のFCバルセロナ所属のアルゼンチン代表リオネル・メッシ、日本の浦和レッズに所属しているU-23日本代表のエスクデロ・セルヒオとその従兄弟でアトレチコ・ミネイロ所属のアルゼンチン代表ダミアン・エスクデロと親交が深いという。
- 母国での人気や一部の評価はメッシよりも高い。15歳からインデペンディエンテのトップチームで活躍していたことや、メッシが早くからスペインに渡り、アルゼンチン国内リーグでのキャリアがないことなどが理由として考えられる。
- 元妻はディエゴ・マラドーナの次女、ジャンニーナ・マラドーナ。2009年2月19日に第一子を出産。「ベンハミン・アグエロ・マラドーナ」と名づけられた。マラドーナにとっても初孫である。
- 長男のベンハミン(1歳10か月)とアグエロの2人で部屋の中でPKをして遊んでいる動画をアグエロの公式サイト上に載せると、力強いシュートを打ち込むかわいい姿のベンハミンが話題となった。
- アルゼンチンのプリメーラ・ディビシオン最年少出場記録を持つ。2007 FIFA U-20ワールドカップでは得点王とMVPに輝き、2007年のFIFA世界最有望選手賞を獲得している。
- 愛称は「クン」。昭和50年代の日本のアニメ「わんぱく大昔クムクム」が由来。少年時代に練習を抜け出して見るほど熱中して見ており、「クムクム」を「クンクン」と発音したことから「クン」の愛称がついた。
- 日本語では、「セルヒオ・アゲーロ」や「セルジオ・アグエロ」などと表記される事もあるが、彼はスペイン語圏出身であり、これらはスペイン語表記の読み誤りである。
所属クラブ [編集]
CAインデペンディエンテ 2003-2006
アトレティコ・マドリード 2006-2011
マンチェスター・シティFC 2011-
個人成績 [編集]
クラブでの成績 [編集]
| クラブ | シーズン | リーグ | 背番号 | リーグ戦 | カップ戦 | リーグ杯 | 欧州カップ戦 | 合計 | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 試合 | 得点 | 試合 | 得点 | 試合 | 得点 | 試合 | 得点 | 試合 | 得点 | ||||
| 2002–03 | プリメーラ | - | 1 | 0 | - | - | - | 1 | 0 | ||||
| 2003–04 | 5 | 0 | 2 | 0 | - | - | 7 | 0 | |||||
| 2004–05 | 12 | 5 | - | - | - | 12 | 5 | ||||||
| 2005–06 | 36 | 18 | - | - | - | 36 | 18 | ||||||
| 合計 | 54 | 23 | 2 | 0 | - | - | 56 | 23 | |||||
| 2006–07 | プリメーラ | 10 | 38 | 6 | 4 | 1 | - | - | 42 | 7 | |||
| 2007–08 | 37 | 19 | 4 | 2 | - | 9 | 6 | 50 | 27 | ||||
| 2008–09 | 37 | 17 | 1 | 0 | - | 9 | 4 | 47 | 21 | ||||
| 2009–10 | 31 | 12 | 7 | 1 | - | 16 | 6 | 54 | 20 | ||||
| 2010–11 | 32 | 20 | 4 | 3 | - | 4 | 3 | 40 | 26 | ||||
| 合計 | 175 | 74 | 20 | 7 | - | 38 | 19 | 233 | 101 | ||||
| 2011–12 | プレミア | 16 | 34 | 23 | 1 | 1 | 3 | 1 | 10 | 5 | 48 | 30 | |
| 2012–13 | |||||||||||||
| 合計 | 34 | 23 | 1 | 1 | 3 | 1 | 10 | 5 | 48 | 30 | |||
| 合計 | 263 | 120 | 23 | 8 | 3 | 1 | 48 | 24 | 337 | 153 | |||
代表での得点 [編集]
| # | 日時 | 場所 | 対戦相手 | スコア | 最終結果 | 大会 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1. | 2007年11月17日 | 1 – 0 | 3–0 | 2010 FIFAワールドカップ・南米予選 | ||
| 2. | 2008年3月26日 | 1 – 0 | 2–0 | 親善試合 | ||
| 3. | 2008年6月4日 | 4 – 1 | 4–1 | 親善試合 | ||
| 4. | 2008年9月6日 | 1 – 1 | 1-1 | 2010 FIFAワールドカップ・南米予選 | ||
| 5. | 2008年10月11日 | 2 – 0 | 2–1 | 2010 FIFAワールドカップ・南米予選 | ||
| 6. | 2009年3月28日 | 4 – 0 | 4–0 | 2010 FIFAワールドカップ・南米予選 | ||
| 7. | 2009年8月12日 | 1 – 1 | 3–2 | 親善試合 | ||
| 8. | 2010年5月24日 | 5 – 0 | 5–0 | 親善試合 | ||
| 9. | 2010年9月7日 | 4 – 1 | 4–1 | 親善試合 | ||
| 10. | 2011年6月20日 | 3 – 0 | 4–0 | 親善試合 | ||
| 11. | 2011年7月1日 | 1 – 1 | 1–1 | コパ・アメリカ2011 | ||
| 12. | 2011年7月11日 | 1 – 0 | 3–0 | コパ・アメリカ2011 | ||
| 13. | 2 – 0 | |||||
| 14. | 2011年11月15日 | 2 – 1 | 2–1 | 2014 FIFAワールドカップ・南米予選 | ||
| 15. | 2012年6月2日 | 1 – 0 | 4–0 | 2014 FIFAワールドカップ・南米予選 | ||
| 16. | 2012年10月12日 | 2 – 0 | 3–0 | 2014 FIFAワールドカップ・南米予選 | ||
| 17. | 2013年2月6日 | 2 – 1 | 3–2 | 親善試合 |
タイトル [編集]
クラブ [編集]
- UEFAインタートトカップ (1): 2007
- UEFAヨーロッパリーグ (1): 2009-10
- UEFAスーパーカップ (1): 2010
- プレミアリーグ (1): 2011-12
代表 [編集]
- FIFAワールドユース選手権2005 - 優勝
- FIFA U-20ワールドカップ2007 - 優勝
- 北京オリンピック - 金メダル
個人 [編集]
- FIFA U-20ワールドカップ2007最優秀選手
- FIFA U-20ワールドカップ2007得点王
- FIFA世界最有望選手賞(2007年)
出典 [編集]
- ^ a b c d e f Goal.com50:セルヒオ・アグエロ(26位)Goal.com 2011年8月7日
- ^ アグエロが移籍を決断Goal.com 2011年5月24日
- ^ アグエロの移籍先はマドリーかユーヴェ?Goal.com 2011年6月30日
- ^ a b シティ、アグエロ獲得を正式発表Goal.com 2011年7月29日
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
- Official site
- Footballdatabase.com profile
- FIFA.com Profile
- UEFA.com Profile
- セルヒオ・アグエロ - FIFA主催大会成績 (英語)
|
|
|---|
|
|
|||||||||||||||||
|
|||||
|
|||||