アントニオ・プエルタ
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| アントニオ・プエルタ |
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|---|---|---|
| 名前 | ||
| 本名 | アントニオ・プエルタ・ペレス | |
| ラテン文字 | Antonio Puerta | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1984年11月26日 | |
| 出身地 | セビリア | |
| 没年月日 | 2007年8月28日(満22歳没) | |
| 身長 | 183cm | |
| 体重 | 74kg | |
| 選手情報 | ||
| ポジション | MF/DF | |
| 利き足 | 左 | |
| 代表歴 | ||
| 2006 | 1 (0) | |
| ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||
アントニオ・プエルタ・ペレス(Antonio Puerta Pérez, 1984年11月26日 - 2007年8月28日)は、スペイン・セビリア出身のサッカー選手。ポジションはMF・DF。
目次 |
[編集] プレースタイル
左サイドのMFとして、豊富な運動量と得意なドリブルを生かした突破などを武器にサイドを支配する選手。ヘスス・ナバスやダニエウ・アウヴェスを擁する右サイドに偏りがちなセビージャの攻撃において、バランスを取る役割も果たした。また粘り強いディフェンス力を買われ、左サイドバックとしてプレーすることもあった。
[編集] 略歴
セビージャのカンテラ出身で、2003-2004シーズンにトップチームデビュー。2006年4月27日に行われたUEFAカップ準決勝シャルケ04戦ではゴールをあげ、セビージャを史上初のUEFAカップ決勝に進出させた(セビージャはそのまま優勝)。その後2シーズンの間に5つのタイトルを獲得したセビージャの中心選手となった。
スペインU-21代表経験(キャップ数5)がある。2006年10月にはA代表に初招集され、10月7日のEURO 2008予選スウェーデン戦で代表デビューした。また、レアル・マドリードやマンチェスター・ユナイテッド、アーセナルといったクラブが獲得に興味を示していると報道された。
[編集] 突然の死
順風満帆であったが2007年8月25日、サンチェス・ピスフアンで行われた2007-2008シーズン開幕戦のヘタフェCF戦で、前半35分にピッチで突然意識を失うアクシデントに見舞われた。その場で行われた治療で意識を取り戻した彼は、立ち上がって自分の足でロッカールームへ向かったがそこで再び倒れ、セビージャ市内の病院に搬送された。ICUで治療を受けたものの、意識を取り戻してから再び心不全を起こすなどして幾度か心肺機能停止状態となり、これによる脳へのダメージなども考えられるなど極めて予断を許さない状況となっていた。
セビージャFCと同じアンダルシア州セビリアに本拠を置き、普段は激しく対立する事からリーグ有数のライバル関係とされるベティスにもこの波紋は広がっていた。8月26日、隣県ウェルバで行われたレクレアティーボ戦では4000人ほどのファンがプエルタの回復を願う人文字を作り出し、試合後に選手達はプエルタの入院先へ駆け付けていた。またベティス首脳陣も公にプエルタへの応援の態度を表した。ライバル関係さえ超えてスペイン中が回復を願ったものの、スペイン時間8月28日14時過ぎに懸命の治療の甲斐なく22歳の若さで逝去した。
医師はその死の原因が、特発性拡張型心筋症の一種で「不整脈源性右室心筋症(不整脈源性右室異形成)」と呼ばれる遺伝や突然変異等によって起こる心臓疾患であったことを明らかにしている。事実、彼は以前も練習中と試合中の二度にわたって気を失ったことがあった。しかし、都度行われていた検査では異常が見られず経過観察となっていた。遺体は28日深夜にサンチェス・ピスフアンに運ばれ安置されたが、深夜にも関わらず、5000人ものセビージャとベティスのファンが彼を迎えた。翌29日は約2万人もの人々が弔問に詰めかけている。また、ライバルチームであるベティスを始めとしたリーガエスパニョーラに所属する各クラブの公式HP、スペインの主要スポーツ紙のHPでも喪章を表示し、哀悼の記事が掲載された。
セビージャの本拠地であるサンチェス・ピスフアンでの試合では、現在でも彼の背番号になぞらえた前半16分に必ず、プエルタの応援歌が歌われている。
[編集] エピソード
彼の父親はベティスのカンテラでプレーしていた。しかしプエルタ自身は根っからのセビジスタ(セビージャのファン)で、セビージャダービーを前にした際のインタビューで「ベティコ(ベティスのファン)の友人はいない」と言い切ったほどである。
彼の死の約2ヶ月後(10月22日)に生まれた息子に、はじめは"アイトール"とつける予定だったが、父の"アントニオ"を受け継ぐことが決まった。 背番号16は息子のアントニオ君が18歳になるまで欠番になる。これは息子がセビージャの選手になったときに受け継げるようにするため。
2008年6月30日、EURO 2008を制したスペイン代表は試合後、皆ユニフォーム姿だったが、セルヒオ・ラモスだけはユニフォームを脱ぎ、顔写真と「いつも一緒にいる」のメッセージ入りの白いTシャツを着ていた。背中には背番号16、顔写真は先に亡くなったアントニオ・プエルタのものだった。
[編集] 所属クラブ
[編集] タイトル
- UEFAカップ(2006年、2007年)
- UEFAスーパーカップ(2006年)
- コパ・デル・レイ(2007)
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ(2007年)

