アーセナルFC

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

アーセナルFC
原語表記 Arsenal Football Club
愛称 The Gunners
クラブカラー 赤と白
創設年 1886年
所属リーグ プレミアリーグ
ホームタウン ロンドン
ホームスタジアム
エミレーツ・スタジアム
収容人数 60,432
代表者 イングランドの旗ピーター・ヒル=ウッド
監督 フランスの旗アーセン・ベンゲル
公式サイト 公式サイト
  サッカークラブPJ
1888年のアーセナルの選手達
創立当時の1888年に用いられたアーセナルのロゴ
1949年から2002年に用いられていたロゴ
2003-04シーズンのFAプレミアリーグ優勝トロフィーを受け取るキャプテンのパトリック・ヴィエラ
エミレーツ・スタジアムのグラウンド

アーセナル・フットボールクラブ (Arsenal Football Club) はイングランドの首都ロンドン北部に拠点を置くプロサッカークラブである。愛称は「ガンナーズ(Gunners)」。また、アーセナルのサポーターのことを「グーナー(Gooner)」という。プレミアリーグに所属している。また、過去にはリーグ優勝13回、FAカップ優勝10回と多数のタイトルを勝ち取っている。国外でも1993-94シーズンのUEFAカップウィナーズカップ優勝、翌1994-95シーズンの同大会で準優勝を果たしている。UEFAチャンピオンズリーグには毎年のように出場、2005-06シーズンには初の決勝進出を果たした。

資金がそれほど豊富なクラブではない為、ビッグネームと呼ばれる選手を他クラブから引き抜く事は余り無く、移籍金が安価(または無償)な15~17歳前後の将来有望な他国の若手選手を獲得する手法をよく採ることでも知られる。そのためチームの平均年齢が若い。しかし、2006年から新スタジアムに移転したことで収益性が増し、2007年現在レアル・マドリードに次いでヨーロッパで2番目に裕福なクラブとなった(ただしこのランキングは収入のみで計算しており支出は含まれていないため、新スタジアム建設などによる多額の借金があるアーセナルは純粋に裕福なクラブとはいえない)。

目次

[編集] 歴史

[編集] 創成期 1886-1920

アーセナルは1886年ダイアル・スクエア(Dial Square)という名称のもと、ロンドン南東部ウリッチ地区にある王立兵器工場ロイヤル・アーセナルの労働者たちによって結成された。1886年12月11日に初めての試合をイースタン・ワンダラーズと行った(6対0で勝利)。しばらくしてロイヤル・アーセナル(Royal Arsenal)と名称を変更する。さらに1891年、プロ化を果たすとともにウリッチ・アーセナル(Woolwich Arsenal)へと改称。1893年、フットボールリーグの2部へ加盟し、1904年に1部へ昇格した。だが地理的要因により集客力が悪かったため、1910年に破産状態に陥り、ヘンリー・ノリスに買収される。2部へ降格後の1913年、ノリスはチームを北ロンドンのハイバリーにあるアーセナル・スタジアムへと移転させる。翌年、名称から「ウリッチ」が外されて、現在のチーム名となる。1919年に5位でシーズンを終えるも、近隣のライバルであるトッテナム・ホットスパーを差し置いて1部昇格を果たす。これが現在まで続く両チームの激しいライバル関係の端緒となったという見方もある。

[編集] ハーバート・チャップマンの時代 1925-1940

1925年ハーバート・チャップマンが監督に就任する。チャップマンによる革新的な戦術やトレーニング法の導入、アレックス・ジェームスやクリフ・バスティンといったスター選手の獲得が、1930年代にアーセナルがイングランドサッカーを支配する礎となった。チャップマンのもと1929-30に初のFAカップ優勝、1930-31に初のリーグ優勝を果たす。また、スタジアム最寄りの地下鉄の駅名を「ギレスピー・ロード」から「アーセナル」へと変更させたのもチャップマンの手腕によるものと言われている。ロンドンの地下鉄の中で、サッカークラブのチーム名が駅名となっているのはアーセナルだけである。夜間の試合のためにハイバリーのウェストスタンドに投降照明器を採用したのもチャップマンがリーグで初めてであり、イングランドのサッカー協会はその使用を50年代まで認めなかった。リーグにおいて選手の背番号制を初めて導入したのもチャップマンである。このように、アーセナルだけでなくサッカーの近代化に大きな貢献をしたチャップマンは1934年に肺炎で急逝した。その死後ジョー・ショー、続いてジョージ・アリソンが監督を引き継ぎ、2人のもとでアーセナルは3度のリーグ優勝(1933-34、1934-35、1937-38)と2回のFAカップ優勝を果たした。しかし第2次大戦の勃発と共にリーグは中断を余儀なくされる。

[編集] 戦後初のダブル、フェアーズカップ 1947-1980

二次大戦後、アリソンの後を継いだトム・ウィタカーのもとでも1947-48、1952-53の2回のリーグ優勝、1949-50のFAカップ優勝を成し遂げるが、その後チームは低迷し50年代はメジャーなタイトルを獲得することなく終わる。1966年、クラブのフィジオセラピストだったバーティー・ミーが予想外に監督へ抜擢される。2度のリーグ杯準優勝を経て、1969-70に初のヨーロッパでのタイトルとなるフェアーズ・カップ(現UEFAカップ)を獲得。さらに1970-71にはリーグとFAカップ優勝の“ダブル”を達成した。しかしダブルを達成したメンバーは徐々にチームを離れていき、1970年代はタイトル獲得の一歩手前で足踏みするシーズンが続く。1972-73にはリーグ2位、3度のFAカップ準優勝(1971-72、1977-78、1979-80)、カップ・ウィナーズ・カップ準優勝(1979-80)がこの間の成績で、獲得したタイトルは1978-79のFAカップ優勝のみである。マンチェスター・ユナイテッドを終了間際のゴールで3対2で破ったこの試合は、アーセナルの名勝負のひとつに数えられている。

[編集] ジョージ・グレアムの時代 1986-1995

1986年に就任したジョージ・グレアムは元アーセナルの選手であり、クラブに第3の黄金期をもたらした。就任1年目の1986-87にリーグカップを優勝。1988-89のリーグ優勝はシーズン最終節で優勝を争っていたリバプールを、その本拠地アンフィールドでロスタイムに下すという劇的なものだった。もっとも有名なアーセナルの試合のひとつである。1990-91には1敗したのみでリーグ優勝、1992-93にはFAカップとリーグカップを獲得、1993-94にはカップ・ウィナーズ・カップを獲得。しかし選手獲得の際にリベートを受け取っていたことが明らかとなって、1995年にグレアムは解雇され、ブルース・リオッホが就任するも1シーズンでクラブを離れている。

[編集] アーセン・ベンゲルの時代 1996-現在

1990年代後半から2000年代にかけてのクラブの成功は、1996年に就任したアーセン・ベンゲルの手腕によるところが大きい。ベンゲルは新たな戦術、トレーニング法を導入すると同時に、イングランド人を補完する形で外国人選手を獲得した。食事制限や禁酒の徹底、外国人選手の登用などがプレミアリーグ全体にもたらしたインパクトは大きく、ベンゲルの影響を受けていない監督はひとりもいないと言われる。アーセナルは伝統的にフィジカルを前面に押し出した守備的な戦い方で知られており、90年代前半はフェイマス4と呼ばれた4バックトニー・アダムスナイジェル・ウィンターバーンリー・ディクソンマーティン・キーオンを擁して堅固な守備を誇った。また、他チームのサポーターや攻撃的サッカーを好む一般のマスコミからは「1-0のアーセナル」「退屈で守備サッカーを展開するチーム」としてややもすると嘲笑の対象となっていた。しかしベンゲル就任後はこの伝統の守備的なチームカラーから一転、海外の選手を積極的に補強し華麗なパスワークを武器にした圧倒的な攻撃力を誇るチームへと生まれ変わり、世界中のファンを魅了している。ベンゲルは1997-98にクラブ史上2度目となるリーグ優勝とFAカップ優勝のダブルを達成し、さらに2001-02には3度目のダブルを果たす。1999-00にはUEFAカップ準優勝、2002-03と2004-05にはFAカップを優勝。2003-04シーズンには、シーズンを通じて一度も負けることなくプレミアリーグ優勝を果たし、このチームは「The Invincibles(無敵)」として讃えられた。その後49戦無敗を続け、この記録はいまだに破られていない。なお、カップ戦を含めた無敗記録は2007年4月9日-2007年11月24日にかけての28試合である。2005-06シーズン、初めてチャンピオンズリーグ決勝に進出するがバルセロナに破れた。ベンゲル指揮下の12シーズン中8シーズン、アーセナルはリーグ優勝か2位の座を獲得している。1993年のプレミアリーグ設立後、リーグ優勝を果たした4チーム(マンチェスター・ユナイテッド、ブラックバーン・ローヴァーズチェルシー)のひとつである。しかし2季連続で優勝したことはない。2006年6月、93年間使用したハイバリーに別れを告げ、新しいエミレーツ・スタジアムへ移転した。杮落としはアヤックスを招いて行われたデニス・ベルカンプの引退試合であった。

[編集] ユニフォーム

アーセナルのユニフォームは伝統的に赤地に白い袖を特徴としている。赤地はクラブが結成された1886年ノッティンガム・フォレストから贈られたシャツがきっかけとなって定着したものである。結成メンバーのフレッド・ビアズリーとモリス・ベイツは、以前フォレストでプレーした経験があり、用具のなかったチームを助けてもらえないかとフォレストに頼んだ。それを受けて濃い赤のシャツとボールが贈られたのである。1993年に、より鮮やかな赤色と白い袖に変更したのはハーバート・チャップマンである。白い袖を取り入れた背景には、白いシャツの上に赤いシャツを着たファンをハイバリーで見かけたという説と、ゴルフ仲間のトム・ウェブスターが似たような服を着ていたから、という説の2つがある。

[編集] クレスト

クラブのモットーは"Victoria Concordia Crescit"。「勝利は調和の中から生まれる」という意味のラテン語である。1949年から使用されたクレスト(エンブレム・ロゴ)に初めて登場する。現行のクレストは2002年から使用されている。大砲の上にサンセリフ体でチーム名が書かれている。

[編集] エピソード

[編集] 2000年以降の話題

また、数少ないアーセナルのイングランド人選手ウォルコットは、17歳の若さで同クラブでの公式戦出場がないにも関わらず選出され、イングランド国内外でサプライズ招集として注目を浴びたが、試合出場の機会は無かった。

  • 就任当初は足りないところを外国人で補強するという方針を公言していたベンゲル監督だったが、近年は英国のチームながらフランスやアフリカなど監督と同じフランス語圏系の選手が大半を占め、イングランド人選手の活躍の場が結果的に少ない状況が続いている。特に2006-07シーズン開始時、ピッチ上にイングランド人選手が全くいない試合が多くあったため、イングランド国内において外国人偏重チームと非難されることが多い。この理由についてベンゲル監督はアーセナルが若手有望株を多く登用する方針であることを指摘した上で、「だがイングランドの若手選手を獲得しようとすると、他の国の選手に比べて値段が高い。そうなれば法律的に15歳から17歳の移籍金のかからない国の有望な若手選手に目を向けることが多くなるのは自然なことだ」とのコメントを残している。
  • 近年プレミアリーグのクラブを中心に外国人投資家による買収劇が相次いでいるが、アーセナルもロシアの富豪アリシア・ウスマノフと前副会長のデイビッド・デインが現在(2007年11月)共同でアーセナル買収に向け活動を続けている。だが、現経営陣やサポーターから強硬な反対にあっているため、現経営陣は当面の間、株式の譲渡を凍結する合意を結んでいる。
  • 国家による労働法・雇用法の違いを利用し、18歳未満の選手を無償で獲得する手法には各方面から批判が上がるが、法律上は問題はないのでむしろ各クラブのモラルの問題と見る声もある。一方で2003年16歳にしてFIFA U-17ワールドカップで得点王とMVPを獲得しバルセロナでも特に将来を嘱望されていたセスク・ファブレガス選手は同大会終了後アーセナルへ移籍し、才能を発揮した。セスク自身はこの移籍に関して、「僕はバルセロナでは大勢の若手のひとりにすぎなかったのに、アーセナルが獲得に来てくれた」と語っている。
  • バッキンガム宮殿における エリザベス女王主催のお茶会にサッカークラブとして初めて招待された。エリザベス女王とその孫ハリー王子はアーセナルのサポーターであると言われている。エミレーツ・スタジアムの落成式にはエリザベス女王が臨席する予定であったが、体調を崩していたため、夫のエディンバラ公フィリップが代理出席した。
  • スイスとオーストリア共同開催のEURO 2008にはこのチームから次の選手が選出された。(以下のリストは2008年6月当時の所属選手)
    • スペイン:セスク、スイス:センデロス、フランス:ギャラス、オランダ:ファン・ペルシー、スイス:ジュルー。なお、チェコ人のトマーシュ・ロシツキー及びクロアチア国籍のエドゥアルド・ダ・シルヴァ両選手は両国にとって主力のひとりだが、2人とも長期に及ぶ怪我のため招集が見送られた。

[編集] エミレーツ・カップ

2007年からエミレーツ・スタジアムで夏に開催されているプレシーズントーナメント。2日間で行う。

  • 2007年
優勝:アーセナル
参加チーム:アーセナル、パリ・サンジェルマンバレンシアインテル
  • 2008年
優勝:ハンブルガーSV
参加チーム:アーセナル、ハンブルガーSV、レアル・マドリードユヴェントス

[編集] スポンサー

[編集] 2008-09シーズンのスポンサー

企業名 概要(リンクが無いものは業種)
UAEEmirates ユニフォームにロゴを掲出。またスタジアムのネーミングライツ権利を持つ企業
アメリカNIKE ユニフォームジャージなどの用具を提供
イングランドO2 plc 通信大手テレフォニカ傘下でモバイル事業を展開。以前は胸にロゴを掲出していた
フランスCITROEN
イングランドLucozade Sport スポーツ飲料メーカー
韓国LG
イングランドEDF ENERGY 1万2千人以上を雇用する大手電力会社
アメリカEA Sport
ドイツThomas Cook
アイルランドPaddy Power ブックメーカー
スイスEBEL

[編集] 日系企業

  • SEGA
    • SEGAのロゴを胸に掲出していた。また、Dreamcastのロゴで掲出していた時期もあった
  • JVC
    • 1983-84シーズンから、1998-99シーズンまでJVCのロゴを胸にロゴを掲出していた
  • NTT Europe Online
    • チームの公式サイトを構築している
  • 三菱電機
    • スポンサーでは無いが、エミレーツ・スタジアムの大型ビジョンは三菱電機のオーロラビジョンを使用している

[編集] タイトル

[編集] 国内タイトル

  • プレミアリーグ : 13回
    1930-31、1932-33、1933-34、1934-35、1937-38、1947-48、1952-53、1970-71、1988-89、1990-91、1997-98、2001-02、2003-04
  • FAカップ : 10回
    1929-30、1935-36、1949-50、1970-71、1978-79、1992-93、1997-98、2001-02、2002-03, 2004-05
  • カーリングカップ : 2回
    1986-87、1992-93
  • コミュニティーシールド : 12回
    1930、1931、1933、1934、1938、1948、1953、1991、1998、1999、2002、2004

[編集] 国際タイトル

[編集] 歴代使用スタジアム

現在のホームスタジアム

なお、UEFAチャンピオンズリーグの開催時はUEFAの規定により『アーセナル・スタジアム』の名称になる。

[編集] 現所属メンバー


No. Pos. 選手名
1 スペインの旗 GK マヌエル・アルムニア
2 フランスの旗 MF アブー・ディアビ
3 フランスの旗 DF バカリ・サニャ
4 スペインの旗 MF セスク・ファブレガス (主将)
5 コートジボワールの旗 DF コロ・トゥーレ (副主将)
6 スイスの旗 DF フィリップ・センデロス
7 チェコの旗 MF トマーシュ・ロシツキー
8 フランスの旗 MF サミル・ナスリ
9 クロアチアの旗 FW エドゥアルド・ダ・シルヴァ
10 フランスの旗 DF ウィリアム・ギャラス
11 オランダの旗 FW ロビン・ファン・ペルシ
12 メキシコの旗 FW カルロス・ヴェラ
14 イングランドの旗 FW セオ・ウォルコット
15 ブラジルの旗 MF デニウソン
16 ウェールズの旗 MF アーロン・ラムジー
No. Pos. 選手名
17 カメルーンの旗 MF アレクサンドル・ソング
18 フランスの旗 DF ミカエル・シルヴェストル
19 イングランドの旗 MF ジャック・ウィルシャー
20 スイスの旗 DF ヨハン・ジュルー
21 ポーランドの旗 GK ルカシュ・ファビアンスキ
22 フランスの旗 DF ガエル・クリシー
23 ロシアの旗 FW アンドレイ・アルシャヴィン
24 イタリアの旗 GK ヴィト・マンノーネ
25 トーゴの旗 FW エマニュエル・アデバヨール
26 デンマークの旗 FW ニクラス・ベントナー
27 コートジボワールの旗 DF エマニュエル・エブエ
30 フランスの旗 DF アルマン・トラオレ
40 イングランドの旗 MF キーラン・ギブス
- ベルギーの旗 DF トーマス・フェルメーレン
監督

[編集] 主なリザーブ・アカデミー所属選手

No. Pos. 選手名
-- ポーランドの旗 GK ヴォイチェフ・シュチェスニー
-- イングランドの旗 DF ケリー・ギルバート
-- イングランドの旗 DF ギャヴィン・ホイト
-- イングランドの旗 DF トーマス・クルーズ
-- イングランドの旗 DF カイル・バートリー
-- フランスの旗 DF セドリック・エヴィナ
-- イングランドの旗 DF ルーク・エイリン
-- イングランドの旗 MF マーク・ランドール
-- スペインの旗 MF フラン・メリダ
-- オランダの旗 MF ナセル・バラジテ
No. Pos. 選手名
-- イングランドの旗 MF ヘンリ・ランスベリー
-- イングランドの旗 MF ジェイ・エマニュエル=トーマス
-- イングランドの旗 MF サンチェス・ワット
-- フランスの旗 MF フランシス・コクラン
-- イングランドの旗 MF エマニュエル・フリンポン
-- イングランドの旗 FW ジェイ・シンプソン
-- イングランドの旗 FW リース・マーフィー
-- フランスの旗 FW ジル・スヌ
-- イングランドの旗 FW ルーク・フリーマン
-- イングランドの旗 FW ベニク・アフォベ

[編集] 他クラブへレンタル中の選手

No. Pos. 選手名
-- ノルウェーの旗 DF ホーヴァル・ノルトヴェイト (to リレストロム 2009.3-2009.8)

[編集] 09/10移籍

詳細は「en:List of English football transfers summer 2009」を参照

[編集] 歴代監督

氏名 国籍 期間
サム・ホリス 1894 - 1897
トーマス・ミッチェル 1897 - 1898
ジョージ・エルコート 1898 - 1899
ハリー・ブラッドショー イングランドの旗 イングランド 01.08.1899 - 01.05.1904
フィル・ケルソー スコットランド 1904 - 1908
ジョージ・モレル スコットランド 1908 - 1915
レスリー・ナイトン イングランドの旗 イングランド 1919 - 1925
ハーバート・チャップマン イングランドの旗 イングランド 1925 - 1934
ジョー・ショー イングランドの旗 イングランド 1934
ジョージ・アリソン イングランドの旗 イングランド 1934 - 1947
トム・ウィットトーカー イングランドの旗 イングランド 1947 - 1956
ジャック・クレイトン イングランドの旗 イングランド 1956 - 1958
ジョージ・スウィンディン イングランドの旗 イングランド 1958 - 1962
ビリー・ライト イングランドの旗 イングランド 1962 - 1966
バーティー・ミー イングランドの旗 イングランド 1971 - 1972
テリー・ニール 北アイルランドの旗 北アイルランド 1966 - 1976
ドン・ホーウィー イングランドの旗 イングランド 16.12.1983 - 22.05.1986
スティーブ・バーテンショー イングランドの旗 イングランド 25.03.1986 - 14.05.1986
ジョージ・グレアム スコットランド 14.05.1986 - 21.02.1995
スチュワート・ホーストン スコットランド 21.02.1995 - 08.06.1995
ブルース・リオッホ スコットランド 08.06.1995 - 12.08.1996
スチュワート・ホーストン スコットランド 12.08.1996 - 16.09.1996
パット・ライス 北アイルランドの旗 北アイルランド 16.09.1996 - 30.09.1996
アーセン・ベンゲル フランス 30.09.1996 -

[編集] トリビア

  • 1968年5月に来日し、日本代表チームと3試合をおこなった。アーセナルの3勝。釜本邦茂が出場している。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ
公式
ニュース
その他