アーセナルFC

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アーセナルFC
原語表記 Arsenal Football Club
愛称 The Gunners
クラブカラー 赤と白
創設年 1886年
所属リーグ プレミアリーグ
ホームタウン ロンドン
ホームスタジアム エミレーツ・スタジアム
収容人数 60,432
代表者 スコットランドの旗 サー・チッペンデール・ケズウィック
監督 フランスの旗 アーセン・ベンゲル
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ
創立当時の1888年に用いられたアーセナルのロゴ

アーセナル・フットボールクラブArsenal Football Clubイギリス英語発音[ˈɑːsənl ˈfutˌbɔːl klʌb] アーサヌル・トゥボール・クブ) はイングランドの首都ロンドン北部に拠点を置くプロサッカークラブである。プレミアリーグ所属。愛称は、Arsenal=兵器工場(工廠)から Gunners=砲撃手「ガナーズ」と呼ばれている。また、アーセナルのサポーターのことを「グーナー」(Gooner) という。これまでリーグ優勝13回、FAカップ優勝11回など多くのタイトルを獲得している。

歴史[編集]

創成期 1886-1920[編集]

1888年のアーセナルの選手達

第一次世界大戦中、アーセナルは1886年ダイアル・スクエア (Dial Square)という名称のもと、ロンドン南東部ウーリッチ地区にある労働者8万人が働いていた王立兵器工場ロイヤル・アーセナルの労働者によって結成された。

1886年12月11日に初めての試合をイースタン・ワンダラーズと行った(6対0で勝利)。しばらくしてロイヤル・アーセナル (Royal Arsenal) と名称を変更する。更に1891年、プロ化を果たすとともにウーリッチ・アーセナル (Woolwich Arsenal) へと改称。

1893年、フットボールリーグの2部へ加盟し、1904年に1部へ昇格した。だが、地理的要因により集客力が悪かったため、1910年に破産状態に陥り、ヘンリー・ノリスに買収される。2部へ降格後の1913年、ノリスはチームを北ロンドンのハイバリーにあるアーセナル・スタジアムへと移転させる。翌年、名称から「ウーリッチ」が外されて、現在の名称となる。

1919年に5位でシーズンを終えるも、近隣のライバルであるトッテナム・ホットスパーを差し置いて1部昇格を果たす。これが現在まで続く両チームの激しいライバル関係の端緒となったという見方もある。

ハーバート・チャップマンの時代 1925-1940[編集]

1925年ハーバート・チャップマンが監督に就任する。チャップマンによる革新的な戦術やトレーニング法の導入、アレックス・ジェームスやクリフ・バスティンといったスター選手の獲得が、1930年代にアーセナルがイングランドサッカーを支配する礎となった。チャップマンの下で1929-30に初のFAカップ優勝、1930-31に初のリーグ優勝を果たす。

スタジアム最寄りの地下鉄の駅名を「ギレスピー・ロード」から「アーセナル」へと変更させたのもチャップマンの手腕によるものと言われている[1]。ロンドンの地下鉄の中でサッカークラブのチーム名が駅名となっているのはアーセナルだけである。

夜間の試合のためにハイバリーのウェストスタンドに投降照明器を採用したのもチャップマンがリーグで初めてであり、イングランドのサッカー協会はその使用を50年代まで認めなかった。

リーグにおいて選手の背番号制を初めて導入したのもチャップマンである[1]。このように、アーセナルだけでなくサッカーの近代化に大きな貢献をしたチャップマンは1934年に肺炎で急逝した。その死後ジョー・ショー、続いてジョージ・アリソンが監督を引き継ぎ、2人の下でアーセナルは3度のリーグ優勝 (1933-34, 1934-35, 1937-38) と2回のFAカップ優勝を果たした。しかし、第2次大戦の勃発と共にリーグは中断を余儀なくされる。

戦後初のダブル、フェアーズカップ 1947-1980[編集]

1949年から2002年に用いられていたロゴ

第二次世界大戦後、アリソンの後を継いだトム・ウィタカーの下でも1947-48, 1952-53の2回のリーグ優勝、1949-50のFAカップ優勝を成し遂げるが、その後チームは低迷し、50年代はメジャーなタイトルを獲得することなく終わる。

1966年、クラブのフィジオセラピストだったバーティー・ミーが予想外に監督へ抜擢される。2度のリーグ杯準優勝を経て、1969-70に初のヨーロッパでのタイトルとなるインターシティーズ・フェアーズカップを獲得。更に1970-71にはリーグとFAカップ優勝の“ダブル”を達成した。しかし、ダブルを達成したメンバーは徐々にチームを離れていき、1970年代はタイトル獲得の一歩手前で足踏みするシーズンが続く。1972-73にはリーグ2位、3度のFAカップ準優勝 (1971-72, 1977-78, 1979-80)、UEFAカップウィナーズカップ準優勝 (1979-80) がこの間の成績で、獲得したタイトルは1978-79のFAカップ優勝のみである。マンチェスター・ユナイテッドを終了間際のゴールで3対2で破ったこの試合は、アーセナルの名勝負のひとつに数えられている。

ジョージ・グラハムの時代 1986-1995[編集]

1986年に就任したジョージ・グラハムは元アーセナルの選手であり、クラブに第3の黄金期をもたらした。就任1年目の1986-87にリーグカップを優勝。1988-89のリーグ優勝はシーズン最終節で優勝を争っていたリヴァプールFCを、その本拠地アンフィールドでロスタイムに下すという劇的なものだった。これは最も有名なアーセナルの試合のひとつである。

1990-91には1敗したのみでリーグ優勝、1992-93にはFAカップとリーグカップを獲得、1993-94にはカップ・ウィナーズ・カップを獲得。しかし、選手獲得の際にリベートを受け取っていたことが明らかとなって、1995年にグラハムは解雇され、ブルース・リオッホが就任するも1シーズンでクラブを離れている。

アーセン・ベンゲルの時代 1996-2005[編集]

2003-04シーズンのFAプレミアリーグ優勝トロフィーを受け取るキャプテンのパトリック・ヴィエラ

1990年代後半から2000年代にかけてのクラブの成功は、1996年に就任したアーセン・ベンゲルの手腕によるところが大きい。ベンゲルは新たな戦術、トレーニング法を導入すると同時に、イングランド人を補完する形で外国人選手を獲得した。食事制限や禁酒の徹底、外国人選手の登用などがプレミアリーグ全体にもたらしたインパクトは大きく、ベンゲルの影響を受けていない監督は一人もいないと言われる。アーセナルは伝統的にフィジカルを前面に押し出した守備的な戦い方で知られており、1990年代後半はフェイマス4と呼ばれた4バックトニー・アダムスナイジェル・ウィンターバーンリー・ディクソンマーティン・キーオンとGKのデビッド・シーマンを擁して堅固な守備を誇った。また、他チームのサポーターや攻撃的サッカーを好む一般のマスコミからは「1-0のアーセナル」「退屈で守備サッカーを展開するチーム」としてややもすると嘲笑の対象となっていた。しかし、ベンゲル就任後はこの伝統の守備的なチームカラーから一転、海外の選手を積極的に補強し、華麗なパスワークを武器にした圧倒的な攻撃力を誇るチームへと生まれ変わった。

ベンゲルは1997-98にクラブ史上2度目となるリーグ優勝とFAカップ優勝のダブルを達成し、更に2001-02には3度目のダブルを果たす。1999-00にはUEFAカップ準優勝、2002-03と2004-05にはFAカップを優勝。2003-04シーズンには、シーズンを通じて一度も負けることなくプレミアリーグ優勝を果たし、このチームは「The Invincibles(無敵)」と讃えられた。その後49戦無敗を続け、この記録は未だに破られていない。なお、カップ戦を含めた無敗記録は2007年4月9日-2007年11月24日にかけての28試合である。2005-06シーズン、初めてチャンピオンズリーグ決勝に進出したが、FCバルセロナに破れた。

ベンゲル指揮下の16シーズン中8シーズン、アーセナルはリーグ優勝か2位の座を獲得している。1993年のプレミアリーグ設立後、リーグ優勝を果たした5チーム(マンチェスター・ユナイテッド、ブラックバーン・ローヴァーズチェルシーマンチェスター・シティFC)のひとつである。

エミレーツ・スタジアムの時代 2006-現在[編集]

2006年6月、93年間使用したハイバリーに別れを告げ、エミレーツ・スタジアムへ移転した。杮落しはアヤックスを招いて行われたデニス・ベルカンプの引退試合であった。

プレミアリーグ創設後、2季連続で優勝したことはない上、2003-04シーズンを最後に8シーズン(2012-13シーズンまで)リーグ優勝から遠ざかっている。そのため毎年の様にタイトル獲得を求めてクラブを去る主力選手が後を絶たない。

2013年7月にアーセナルは1968年以来45年振りに来日、名古屋グランパス浦和レッドダイヤモンズと親善試合を行い、いずれも勝利した。この来日は「アジアツアー2013」の一環で日本以外にもインドネシア、ベトナムで試合を開催した。

2013年9月2日、クラブ史上最高の移籍金5000万ユーロでメスト・エジルを獲得。

2014年5月17日、FAカップ決勝でハル・シティを降して優勝。9シーズンぶりのタイトル獲得となった[2]

ユニフォーム[編集]

ユニフォームは伝統的に赤地に白い袖を特徴としている。赤地はクラブが結成された1886年ノッティンガム・フォレストから贈られたシャツがきっかけとなって定着したものである。結成メンバーのフレッド・ビアズリーとモリス・ベイツは以前フォレストでプレーした経験があり、用具のなかったチームを助けてもらえないかとフォレストに頼んだ。それを受けて濃い赤のシャツとボールが贈られたのである。1993年、より鮮やかな赤色と白い袖に変更したのはハーバート・チャップマンである。白い袖を取り入れた背景には白いシャツの上に赤いシャツを着たファンをハイバリーで見かけたという説、ゴルフ仲間のトム・ウェブスターが似たような服を着ていたからという2つの説がある。 アーセナルの赤地に白袖のデザインをユニフォームに取り入れたチームにACスパルタ・プラハハイバーニアンFCスポルティング・ブラガがある。そのために後者には"Os Arsenalistas"というニックネームがついている。 毎試合選手は同じ袖(長袖か半袖のどちらか)のユニフォームを皆揃って着るように決まっている。どちらを着て試合に出るかを決めるのはキャプテンの役目であり、この習慣は90年代初期のトニー・アダムスから始まった。

クレスト[編集]

クラブのモットーは "Victoria Concordia Crescit"。「勝利は調和の中から生まれる」という意味のラテン語である。1949年から使用されたクレスト(エンブレム・ロゴ)に初めて登場する。現行のクレストは2002年から使用されている。大砲の上にサンセリフ体でチーム名が書かれている。

ダービーマッチ[編集]

エミレーツ・スタジアムのグラウンド

同じ北ロンドンに本拠を構えるクラブ同士としてトッテナム・ホットスパーとはライバル関係にあり、サポーター同士のいがみ合いが強く両者の間には争いごとが絶えない。それをよく象徴するのがかつて同クラブから移籍してきたソル・キャンベルに対してトッテナムファンからユダと呼ばれたという出来事である。両チームの対戦は「ノース・ロンドン・ダービー」と呼ばれ、マンチェスターマンチェスター・ユナイテッドマンチェスター・シティ)、マージーサイドリヴァプールエヴァートン)と並び3大ダービーの一つに数えられている。 他にも近年上位を争っているチェルシーFCとの対戦は「ビッグロンドン・ダービー」と呼ばれている。

エピソード[編集]

  • 1927年1月22日に行われた対シェフィールド・ユナイテッド戦は、イングランドで初めてラジオ中継されたリーグ戦だった。また1937年9月16日に行われたアーセナルのファースト・チームとリザーブ・チームのエキシビション・マッチは、サッカーの歴史上初めてテレビで生中継された試合である。
  • 長らくホームスタジアムとして有名だったハイバリー(1913年建設)から、2006年7月にエミレーツ・スタジアムに移転した。これはUAEの航空会社、エミレーツ航空命名権を獲得したことによるもので、その契約内容は15年で1億ポンド(約200億円)と巨額なものとなっている。なお、使用されなくなったハイバリースタジアムの跡地にはスタンドの一部を残し高級アパートが建設されている。
  • ワールドカップドイツ大会に、当時17歳の若さで、セオ・ウォルコットが同クラブでの公式戦出場がないにも関わらず選出され、イングランド国内外でサプライズ招集として注目を浴びたが、試合出場の機会は無かった。
  • 就任当初は足りないところを外国人で補強するという方針を公言していたベンゲル監督だったが、近年は英国のチームながらフランスやアフリカなど監督と同じフランス語圏系の選手が大半を占め、イングランド人選手の活躍の場が結果的に少ない状況が続いている。特に2006-07シーズン開始時、ピッチ上にイングランド人選手が全くいない試合が多くあったため、イングランド国内において外国人偏重チームと非難されることが多い。この理由についてベンゲル監督はアーセナルが若手有望株を多く登用する方針であることを指摘した上で、「だがイングランドの若手選手を獲得しようとすると、他の国の選手に比べて値段が高い。そうなれば法律的に15歳から17歳の移籍金のかからない国の有望な若手選手に目を向けることが多くなるのは自然なことだ」とのコメントを残している。
  • 国家による労働法・雇用法の違いを利用し、18歳未満の選手を無償で獲得する手法には各方面から批判が上がるが、法律上は問題はないのでむしろ各クラブのモラルの問題と見る声もある。その例として2003年16歳にしてFIFA U-17ワールドカップで得点王とMVPを獲得したバルセロナ所属のセスク・ファブレガスは、アーセナルに17歳で移籍した。
  • バッキンガム宮殿における エリザベス女王主催のお茶会にサッカークラブとして初めて招待された。エミレーツ・スタジアムの落成式にはエリザベス女王が臨席する予定であったが、体調を崩していたため、夫のエディンバラ公フィリップが代理出席した。
  • 2014年1月、世界最大の会計事務所である『デロイト』が公表したデロイト・フットボール・マネー・リーグでは、2012-13シーズンのクラブ収入は2億8430万ユーロであり、世界第8位、プレミアリーグではマンチェスター・ユナイテッドFCマンチェスター・シティFCチェルシーFCに次ぐ第4位である[3]

エミレーツ・カップ[編集]

2007年からエミレーツ・スタジアムで夏に開催されているプレシーズントーナメント。2日間で行う。

パートナー[編集]

2014-2015シーズンのスポンサー[編集]

Arsenal.comのOUR PARTNERSページを参考[4]
LEAD PARTNERS

OFFICIAL PARTNERS

REGIONAL PARTNERS

主な歴代胸スポンサー[編集]

  • 日本ビクター
    • 82/83~98/99シーズンまでのスポンサー。胸には「JVC」と書かれていた。ちなみにアーセナル史上初の胸スポンサーであった。
  • セガ
    • 99/00~01/02シーズンまでのスポンサー。胸には「SEGA」または「Dreamcast」と書かれていた。
  • O2
    • 02/03~05/06シーズンまでのスポンサー。

そして、現在のエミレーツ航空へと続く

タイトル[編集]

国内タイトル[編集]

国際タイトル[編集]

歴代使用スタジアム[編集]

なお、UEFAチャンピオンズリーグの開催時はUEFAの規定により『アーセナル・スタジアム』の名称になる。

現所属メンバー[編集]

基本フォーメーション

Soccer.Field Transparant.png

シュチェスニー
# 1
ドゥビュシー
# 2
コシールニー
# 6
メルテザッカー(C)
# 4
ギブス
# 3
ラムジー
# 16
ウィルシャー
# 10
エジル
# 11
サンチェス
# 17
ジルー
# 12
カソルラ
# 19
2014年9月2日現在[5]
No. Pos. 選手名
1 ポーランドの旗 GK ヴォイチェフ・シュチェスニー
2 フランスの旗 DF マテュー・ドゥビュシー
3 イングランドの旗 DF キーラン・ギブス
4 ドイツの旗 DF ペア・メルテザッカー
6 フランスの旗 DF ローラン・コシールニー (Flag of Poland.svg)
7 チェコの旗 MF トマーシュ・ロシツキー
8 スペインの旗 MF ミケル・アルテタ (Captain sports.svg)
9 ドイツの旗 FW ルーカス・ポドルスキ (Flag of Poland.svg)
10 イングランドの旗 MF ジャック・ウィルシャー
11 ドイツの旗 MF メスト・エジル (Flag of Turkey.svg)
12 フランスの旗 FW オリヴィエ・ジルー
13 コロンビアの旗 GK ダビド・オスピナ
14 イングランドの旗 FW セオ・ウォルコット
15 イングランドの旗 FW アレックス・チェンバレン
No. Pos. 選手名
16 ウェールズの旗 MF アーロン・ラムジー
17 チリの旗 FW アレクシス・サンチェス
18 スペインの旗 DF ナチョ・モンレアル
19 スペインの旗 FW サンティ・カソルラ
20 フランスの旗 MF マチュー・フラミニ
21 イングランドの旗 DF カラム・チャンバース
22 フランスの旗 FW ヤヤ・サノゴ (Flag of Côte d'Ivoire.svg)
23 イングランドの旗 FW ダニー・ウェルベック (Flag of Ghana.svg)
24 フランスの旗 MF アブー・ディアビ (Flag of Côte d'Ivoire.svg)
26 アルゼンチンの旗 GK ダミアン・マルティネス
27 ドイツの旗 FW セルジュ・ニャブリ (Flag of Côte d'Ivoire.svg)
28 コスタリカの旗 FW ジョエル・キャンベル
34 フランスの旗 MF フランシス・コクラン (Flag of Réunion.svg)
35 ドイツの旗 MF ジェディオン・ゼラレム (Flag of Ethiopia.svg)

※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。

監督

ローン移籍[編集]

in
No. Pos. 選手名
out
No. Pos. 選手名
25 イングランドの旗 DF カール・ジェンキンソン (ウェストハム)
No. Pos. 選手名
31 日本の旗 FW 宮市亮 (トゥウェンテ)

リザーブ・アカデミー[編集]

歴代監督[編集]

氏名 国籍 期間
サム・ホリス 1894 - 1897
トーマス・ミッチェル 1897 - 1898
ジョージ・エルコート 1898 - 1899
ハリー・ブラッドショー イングランドの旗 イングランド 01.08.1899 - 01.05.1904
フィル・ケルソー スコットランドの旗 スコットランド 1904 - 1908
ジョージ・モレル スコットランドの旗 スコットランド 1908 - 1915
レスリー・ナイトン イングランドの旗 イングランド 1919 - 1925
ハーバート・チャップマン イングランドの旗 イングランド 1925 - 1934
ジョー・ショー イングランドの旗 イングランド 1934
ジョージ・アリソン イングランドの旗 イングランド 1934 - 1947
トム・ウィットトーカー イングランドの旗 イングランド 1947 - 1956
ジャック・クレイトン イングランドの旗 イングランド 1956 - 1958
ジョージ・スウィンディン イングランドの旗 イングランド 1958 - 1962
ビリー・ライト イングランドの旗 イングランド 1962 - 1966
バーティー・ミー イングランドの旗 イングランド 1966 - 1976
テリー・ニール 北アイルランドの旗 北アイルランド 1976 - 1983
ドン・ホーウィー イングランドの旗 イングランド 16.12.1983 - 22.05.1986
スティーブ・バーテンショー イングランドの旗 イングランド 25.03.1986 - 14.05.1986
ジョージ・グラハム スコットランドの旗 スコットランド 14.05.1986 - 21.02.1995
スチュワート・ホーストン スコットランドの旗 スコットランド 21.02.1995 - 08.06.1995
ブルース・リオッホ スコットランドの旗 スコットランド 08.06.1995 - 12.08.1996
スチュワート・ホーストン スコットランドの旗 スコットランド 12.08.1996 - 16.09.1996
パット・ライス 北アイルランドの旗 北アイルランド 16.09.1996 - 30.09.1996
アーセン・ベンゲル フランスの旗 フランス 30.09.1996 -

歴代所属選手[編集]

日本との関係[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b No.253 チューブ駅「アーセナル」の話”. サッカーの話をしよう 大住良之オフィシャルアーカイブサイト (1999年2月10日). 2013年5月8日閲覧。
  2. ^ アーセナル 9季ぶりのタイトル獲得!FA杯決勝で逆転勝利スポーツニッポン 2014年5月18日 同日閲覧)
  3. ^ Deloitte Football Money League 2014(2014年1月に国際監査法人『デロイト』が公表した2012-2013シーズンの欧州サッカーのクラブ収入ランキング)
  4. ^ http://www.arsenal.com/the-club/sponsors-partners
  5. ^ players - Arsenal.com
  6. ^ a b 釜本邦茂(11)名門アーセナルのお株を奪う「アーセナル・ゴール」。メキシコ五輪へ着々と”. 賀川サッカーライブラリー (2009年1月20日). 2012年9月1日閲覧。
  7. ^ 「川崎フロンターレ算数ドリル」完成 - Jリーグ公式サイト・2009年4月28日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

公式
ニュース
その他