アーセナルFC
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| アーセナルFC | |
|---|---|
| 原語表記 | Arsenal Football Club |
| 愛称 | The Gunners |
| クラブカラー | 赤と白 |
| 創設年 | 1886年 |
| 所属リーグ | プレミアリーグ |
| ホームタウン | ロンドン |
| ホームスタジアム | エミレーツ・スタジアム |
| 収容人数 | 60,432 |
| 代表者 | |
| 監督 | |
| 公式サイト | 公式サイト |
アーセナル・フットボールクラブ (Arsenal Football Club) はイングランドの首都ロンドン北部に拠点を置くプロサッカークラブである。愛称は「ガンナーズ(Gunners)」。また、アーセナルのサポーターのことを「グーナー(Gooner)」という。プレミアリーグに所属している。また、過去にはリーグ優勝13回、FAカップ優勝10回と多数のタイトルを勝ち取っている。国外でも1993-94シーズンのUEFAカップウィナーズカップ優勝、翌1994-95シーズンの同大会で準優勝を果たしている。UEFAチャンピオンズリーグには毎年のように出場、2005-06シーズンには初の決勝進出を果たした。
資金がそれほど豊富なクラブではない為、ビッグネームと呼ばれる選手を他クラブから引き抜く事は余り無く、移籍金が安価(または無償)な15~17歳前後の将来有望な他国の若手選手を獲得する手法をよく採ることでも知られる。そのためチームの平均年齢が若い。しかし、2006年から新スタジアムに移転したことで収益性が増し、2007年現在レアル・マドリードに次いでヨーロッパで2番目に裕福なクラブとなった(ただしこのランキングは収入のみで計算しており支出は含まれていないため、新スタジアム建設などによる多額の借金があるアーセナルは純粋に裕福なクラブとはいえない)。
目次 |
[編集] 歴史
[編集] 創成期 1886-1920
アーセナルは1886年、ダイアル・スクエア(Dial Square)という名称のもと、ロンドン南東部ウリッチ地区にある王立兵器工場ロイヤル・アーセナルの労働者たちによって結成された。1886年12月11日に初めての試合をイースタン・ワンダラーズと行った(6対0で勝利)。しばらくしてロイヤル・アーセナル(Royal Arsenal)と名称を変更する。さらに1891年、プロ化を果たすとともにウリッチ・アーセナル(Woolwich Arsenal)へと改称。1893年、フットボールリーグの2部へ加盟し、1904年に1部へ昇格した。だが地理的要因により集客力が悪かったため、1910年に破産状態に陥り、ヘンリー・ノリスに買収される。2部へ降格後の1913年、ノリスはチームを北ロンドンのハイバリーにあるアーセナル・スタジアムへと移転させる。翌年、名称から「ウリッチ」が外されて、現在のチーム名となる。1919年に5位でシーズンを終えるも、近隣のライバルであるトッテナム・ホットスパーを差し置いて1部昇格を果たす。これが現在まで続く両チームの激しいライバル関係の端緒となったという見方もある。
[編集] ハーバート・チャップマンの時代 1925-1940
1925年、ハーバート・チャップマンが監督に就任する。チャップマンによる革新的な戦術やトレーニング法の導入、アレックス・ジェームスやクリフ・バスティンといったスター選手の獲得が、1930年代にアーセナルがイングランドサッカーを支配する礎となった。チャップマンのもと1929-30に初のFAカップ優勝、1930-31に初のリーグ優勝を果たす。また、スタジアム最寄りの地下鉄の駅名を「ギレスピー・ロード」から「アーセナル」へと変更させたのもチャップマンの手腕によるものと言われている。ロンドンの地下鉄の中で、サッカークラブのチーム名が駅名となっているのはアーセナルだけである。夜間の試合のためにハイバリーのウェストスタンドに投降照明器を採用したのもチャップマンがリーグで初めてであり、イングランドのサッカー協会はその使用を50年代まで認めなかった。リーグにおいて選手の背番号制を初めて導入したのもチャップマンである。このように、アーセナルだけでなくサッカーの近代化に大きな貢献をしたチャップマンは1934年に肺炎で急逝した。その死後ジョー・ショー、続いてジョージ・アリソンが監督を引き継ぎ、2人のもとでアーセナルは3度のリーグ優勝(1933-34、1934-35、1937-38)と2回のFAカップ優勝を果たした。しかし第2次大戦の勃発と共にリーグは中断を余儀なくされる。
[編集] 戦後初のダブル、フェアーズカップ 1947-1980
二次大戦後、アリソンの後を継いだトム・ウィタカーのもとでも1947-48、1952-53の2回のリーグ優勝、1949-50のFAカップ優勝を成し遂げるが、その後チームは低迷し50年代はメジャーなタイトルを獲得することなく終わる。1966年、クラブのフィジオセラピストだったバーティー・ミーが予想外に監督へ抜擢される。2度のリーグ杯準優勝を経て、1969-70に初のヨーロッパでのタイトルとなるフェアーズ・カップ(現UEFAカップ)を獲得。さらに1970-71にはリーグとFAカップ優勝の“ダブル”を達成した。しかしダブルを達成したメンバーは徐々にチームを離れていき、1970年代はタイトル獲得の一歩手前で足踏みするシーズンが続く。1972-73にはリーグ2位、3度のFAカップ準優勝(1971-72、1977-78、1979-80)、カップ・ウィナーズ・カップ準優勝(1979-80)がこの間の成績で、獲得したタイトルは1978-79のFAカップ優勝のみである。マンチェスター・ユナイテッドを終了間際のゴールで3対2で破ったこの試合は、アーセナルの名勝負のひとつに数えられている。
[編集] ジョージ・グレアムの時代 1986-1995
1986年に就任したジョージ・グレアムは元アーセナルの選手であり、クラブに第3の黄金期をもたらした。就任1年目の1986-87にリーグカップを優勝。1988-89のリーグ優勝はシーズン最終節で優勝を争っていたリバプールを、その本拠地アンフィールドでロスタイムに下すという劇的なものだった。もっとも有名なアーセナルの試合のひとつである。1990-91には1敗したのみでリーグ優勝、1992-93にはFAカップとリーグカップを獲得、1993-94にはカップ・ウィナーズ・カップを獲得。しかし選手獲得の際にリベートを受け取っていたことが明らかとなって、1995年にグレアムは解雇され、ブルース・リオッホが就任するも1シーズンでクラブを離れている。
[編集] アーセン・ベンゲルの時代 1996-現在
1990年代後半から2000年代にかけてのクラブの成功は、1996年に就任したアーセン・ベンゲルの手腕によるところが大きい。ベンゲルは新たな戦術、トレーニング法を導入すると同時に、イングランド人を補完する形で外国人選手を獲得した。食事制限や禁酒の徹底、外国人選手の登用などがプレミアリーグ全体にもたらしたインパクトは大きく、ベンゲルの影響を受けていない監督はひとりもいないと言われる。アーセナルは伝統的にフィジカルを前面に押し出した守備的な戦い方で知られており、90年代前半はフェイマス4と呼ばれた4バックトニー・アダムス、ナイジェル・ウィンターバーン、リー・ディクソン、マーティン・キーオンを擁して堅固な守備を誇った。また、他チームのサポーターや攻撃的サッカーを好む一般のマスコミからは「1-0のアーセナル」「退屈で守備サッカーを展開するチーム」としてややもすると嘲笑の対象となっていた。しかしベンゲル就任後はこの伝統の守備的なチームカラーから一転、海外の選手を積極的に補強し華麗なパスワークを武器にした圧倒的な攻撃力を誇るチームへと生まれ変わり、世界中のファンを魅了している。ベンゲルは1997-98にクラブ史上2度目となるリーグ優勝とFAカップ優勝のダブルを達成し、さらに2001-02には3度目のダブルを果たす。1999-00にはUEFAカップ準優勝、2002-03と2004-05にはFAカップを優勝。2003-04シーズンには、シーズンを通じて一度も負けることなくプレミアリーグ優勝を果たし、このチームは「The Invincibles(無敵)」として讃えられた。その後49戦無敗を続け、この記録はいまだに破られていない。なお、カップ戦を含めた無敗記録は2007年4月9日-2007年11月24日にかけての28試合である。2005-06シーズン、初めてチャンピオンズリーグ決勝に進出するがバルセロナに破れた。ベンゲル指揮下の12シーズン中8シーズン、アーセナルはリーグ優勝か2位の座を獲得している。1993年のプレミアリーグ設立後、リーグ優勝を果たした4チーム(マンチェスター・ユナイテッド、ブラックバーン・ローヴァーズ、チェルシー)のひとつである。しかし2季連続で優勝したことはない。2006年6月、93年間使用したハイバリーに別れを告げ、新しいエミレーツ・スタジアムへ移転した。杮落としはアヤックスを招いて行われたデニス・ベルカンプの引退試合であった。
[編集] ユニフォーム
アーセナルのユニフォームは伝統的に赤地に白い袖を特徴としている。赤地はクラブが結成された1886年にノッティンガム・フォレストから贈られたシャツがきっかけとなって定着したものである。結成メンバーのフレッド・ビアズリーとモリス・ベイツは、以前フォレストでプレーした経験があり、用具のなかったチームを助けてもらえないかとフォレストに頼んだ。それを受けて濃い赤のシャツとボールが贈られたのである。1993年に、より鮮やかな赤色と白い袖に変更したのはハーバート・チャップマンである。白い袖を取り入れた背景には、白いシャツの上に赤いシャツを着たファンをハイバリーで見かけたという説と、ゴルフ仲間のトム・ウェブスターが似たような服を着ていたから、という説の2つがある。
- アーセナルの赤地に白袖のデザインをユニフォームに取り入れたチームにスパルタ・プラハ、ハイバーニアンやスポルティング・ブラガがある。そのために、後者には"Os Arsenalistas"というニックネームがついている。
[編集] クレスト
クラブのモットーは"Victoria Concordia Crescit"。「勝利は調和の中から生まれる」という意味のラテン語である。1949年から使用されたクレスト(エンブレム・ロゴ)に初めて登場する。現行のクレストは2002年から使用されている。大砲の上にサンセリフ体でチーム名が書かれている。
[編集] エピソード
- クラブ結成地のウーリッジには(第1次大戦中、労働者8万人が働いていた)王立兵器工場があり、Arsenal=兵器工場(工廠)、Gunners=砲撃手はここに由来する。
- 同じロンドンに拠点を置くクラブとしてチェルシー、チャールトンなどが挙げられるが、特に北ロンドンに本拠を構えるクラブ同士としてトッテナムとライバル関係にあるとされる。それをよく象徴するのが、かつて同クラブから移籍してきたソル・キャンベル(現:ポーツマスFC所属)に対してトッテナムファンからユダと呼ばれたという出来事である。両チームの対戦は「ノースロンドン・ダービー」と呼ばれ、マンチェスター(マンチェスター・ユナイテッドvsマンチェスター・シティ)、マージーサイド(リバプールvsエバートン)と並び3大ダービーの中の一つに数えられている。
- 1927年1月22日に行われた対シェフィールド・ユナイテッド戦は、イングランドで初めてラジオ中継されたリーグ戦だった。また1937年9月16日に行われたアーセナルのファースト・チームとリザーブ・チームのエキシビション・マッチは、サッカーの歴史上初めてテレビで生中継された試合である。
[編集] 2000年以降の話題
- 2003-04シーズンにはリーグ戦38試合26勝12分の成績で、フットボールリーグ初年度の1888-89シーズンのプレストン・ノース・エンド以来、115年ぶりとなる無敗での優勝という快挙を達成した。
- 2005-06シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは連続無失点試合の記録を更新し、スタッド・ド・フランス(パリ)で行われる決勝に初めて駒を進めたが、バルセロナに1-2で敗れ準優勝に終わった。
- 長らくホームスタジアムとして有名だったハイバリー(1913年建設)から、2006年7月にエミレーツ・スタジアムに移転した。これはUAEの航空会社、エミレーツ航空が命名権を獲得したことによるもので、その契約内容は15年で1億ポンド(約200億円)と巨額なものとなっている。なお、使用されなくなったハイバリースタジアムの跡地にはスタンドの一部を残し高級アパートが建設されている。
- ワールドカップ・ドイツ大会にはこのチームから次の16選手が選出された。(以下のリストは2006年6月当時の所属選手)
- イングランド代表:アシュリー・コール(移籍)、ソル・キャンベル(移籍)、セオ・ウォルコット
- フランス代表:ティエリ・アンリ(移籍)
- スイス代表:フィリップ・センデロス(ローン移籍中)、ヨハン・ジュルー
- コートジボワール:コロ・トゥーレ、エマヌエル・エブエ
- スウェーデン代表:フレドリック・リュングベリ(移籍)
- ドイツ代表:イェンス・レーマン(移籍)
- スペイン代表:フランセスク・ファブレガス、ホセ・アントニオ・レジェス(移籍)
- ブラジル代表:ジウベルト・シウバ(移籍)
- オランダ代表:ロビン・ファン・ペルシー
- トーゴ代表:エマニュエル・アデバヨール
- W杯開催前に加入が内定していたチェコ代表のトマーシュ・ロシツキー
また、数少ないアーセナルのイングランド人選手ウォルコットは、17歳の若さで同クラブでの公式戦出場がないにも関わらず選出され、イングランド国内外でサプライズ招集として注目を浴びたが、試合出場の機会は無かった。
- 就任当初は足りないところを外国人で補強するという方針を公言していたベンゲル監督だったが、近年は英国のチームながらフランスやアフリカなど監督と同じフランス語圏系の選手が大半を占め、イングランド人選手の活躍の場が結果的に少ない状況が続いている。特に2006-07シーズン開始時、ピッチ上にイングランド人選手が全くいない試合が多くあったため、イングランド国内において外国人偏重チームと非難されることが多い。この理由についてベンゲル監督はアーセナルが若手有望株を多く登用する方針であることを指摘した上で、「だがイングランドの若手選手を獲得しようとすると、他の国の選手に比べて値段が高い。そうなれば法律的に15歳から17歳の移籍金のかからない国の有望な若手選手に目を向けることが多くなるのは自然なことだ」とのコメントを残している。
- 近年プレミアリーグのクラブを中心に外国人投資家による買収劇が相次いでいるが、アーセナルもロシアの富豪アリシア・ウスマノフと前副会長のデイビッド・デインが現在(2007年11月)共同でアーセナル買収に向け活動を続けている。だが、現経営陣やサポーターから強硬な反対にあっているため、現経営陣は当面の間、株式の譲渡を凍結する合意を結んでいる。
- 国家による労働法・雇用法の違いを利用し、18歳未満の選手を無償で獲得する手法には各方面から批判が上がるが、法律上は問題はないのでむしろ各クラブのモラルの問題と見る声もある。一方で2003年16歳にしてFIFA U-17ワールドカップで得点王とMVPを獲得しバルセロナでも特に将来を嘱望されていたセスク・ファブレガス選手は同大会終了後アーセナルへ移籍し、才能を発揮した。セスク自身はこの移籍に関して、「僕はバルセロナでは大勢の若手のひとりにすぎなかったのに、アーセナルが獲得に来てくれた」と語っている。
- バッキンガム宮殿における エリザベス女王主催のお茶会にサッカークラブとして初めて招待された。エリザベス女王とその孫ハリー王子はアーセナルのサポーターであると言われている。エミレーツ・スタジアムの落成式にはエリザベス女王が臨席する予定であったが、体調を崩していたため、夫のエディンバラ公フィリップが代理出席した。
- スイスとオーストリア共同開催のEURO 2008にはこのチームから次の選手が選出された。(以下のリストは2008年6月当時の所属選手)
- スペイン:セスク、スイス:センデロス、フランス:ギャラス、オランダ:ファン・ペルシー、スイス:ジュルー。なお、チェコ人のトマーシュ・ロシツキー及びクロアチア国籍のエドゥアルド・ダ・シルヴァ両選手は両国にとって主力のひとりだが、2人とも長期に及ぶ怪我のため招集が見送られた。
[編集] エミレーツ・カップ
2007年からエミレーツ・スタジアムで夏に開催されているプレシーズントーナメント。2日間で行う。
- 2007年
- 優勝:アーセナル
- 参加チーム:アーセナル、パリ・サンジェルマン、バレンシア、インテル
- 2008年
[編集] スポンサー
[編集] 2008-09シーズンのスポンサー
| 企業名 | 概要(リンクが無いものは業種) |
|---|---|
| ユニフォームにロゴを掲出。またスタジアムのネーミングライツ権利を持つ企業 | |
| ユニフォームやジャージなどの用具を提供 | |
| 通信大手テレフォニカ傘下でモバイル事業を展開。以前は胸にロゴを掲出していた | |
| スポーツ飲料メーカー | |
| 1万2千人以上を雇用する大手電力会社 | |
| ブックメーカー | |
[編集] 日系企業
- SEGA
- SEGAのロゴを胸に掲出していた。また、Dreamcastのロゴで掲出していた時期もあった
- JVC
- 1983-84シーズンから、1998-99シーズンまでJVCのロゴを胸にロゴを掲出していた
- NTT Europe Online
- チームの公式サイトを構築している
- 三菱電機
- スポンサーでは無いが、エミレーツ・スタジアムの大型ビジョンは三菱電機のオーロラビジョンを使用している
[編集] タイトル
[編集] 国内タイトル
- プレミアリーグ : 13回
- 1930-31、1932-33、1933-34、1934-35、1937-38、1947-48、1952-53、1970-71、1988-89、1990-91、1997-98、2001-02、2003-04
- FAカップ : 10回
- 1929-30、1935-36、1949-50、1970-71、1978-79、1992-93、1997-98、2001-02、2002-03, 2004-05
- カーリングカップ : 2回
- 1986-87、1992-93
- コミュニティーシールド : 12回
- 1930、1931、1933、1934、1938、1948、1953、1991、1998、1999、2002、2004
[編集] 国際タイトル
- UEFAカップウィナーズカップ : 1回
- 1993-94
- インターシティーズ・フェアーズカップ : 1回
- 1969-70
[編集] 歴代使用スタジアム
- 1885年8月1日 - 1887年7月31日:プラムステッド・コモン
- 1887年8月1日 - 1888年7月31日:スポーツマン・グラウンド
- 1888年8月1日 - 1890年7月31日:メイナー・グラウンド
- 1890年8月1日 - 1893年7月31日:インビクタ・グラウンド
- 1893年8月1日 - 1913年7月31日:メイナー・グラウンド
- 1913年8月1日 - 2006年5月07日:ハイベリー
現在のホームスタジアム
- 2006年7月22日 - エミレーツ・スタジアム
なお、UEFAチャンピオンズリーグの開催時はUEFAの規定により『アーセナル・スタジアム』の名称になる。
[編集] 現所属メンバー
|
|
[編集] 主なリザーブ・アカデミー所属選手
|
|
[編集] 他クラブへレンタル中の選手
[編集] 09/10移籍詳細は「en:List of English football transfers summer 2009」を参照 [編集] 歴代監督
[編集] トリビア[編集] 関連項目[編集] 外部リンク
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||


