ジョゼップ・グアルディオラ

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ジョゼップ・グアルディオラ
名前
本名 Josep Guardiola i Sala
愛称 ペップ
カタカナ ジョゼップ・グアルディオラ・イ・サラ
基本情報
国籍 スペイン
生年月日 1971年1月8日(38歳)
出身地 サントペドル
身長 180cm
体重 76kg
選手情報
ポジション MFピボーテ
利き足 右足
クラブチーム1
クラブ App (G)
1990-2001
2001-2002
2002-2003
2003
2003-2005
2005-2006
スペインの旗 FCバルセロナ
イタリアの旗 ブレシア
イタリアの旗 ローマ
イタリアの旗 ブレシア
カタールの旗 アル・アハリ
メキシコの旗 シナロア
263 (6)
11 (2)
4 (0)
13 (1)
18 (2)
10 (1)
代表歴
1991-1992
1991-1992
1992-2001
1995-2005
スペイン U-21
スペイン U-23
スペイン
カタルーニャ
2 (0)
12 (2)
47 (5)
7 (0)
監督歴
2007-2008
2008-
スペインの旗 FCバルセロナ B
スペインの旗 FCバルセロナ
1. 国内リーグ戦に限る。現在。
Template(ノート 解説)サッカー選手pj

ジョゼップ・グアルディオラ・イ・サラ(Josep Guardiola i Sala, 1971年1月18日 - )は、スペイン国カタルーニャ州サントペドル出身の元サッカー選手サッカー指導者。ポジションはMFピボーテ)。

ニックネームである「ペップ(Pep)」、「ペップ・グアルディオラ(Pep Guardiola)」として広く知られる。 カタルーニャ人の血を引き、カタルーニャの地で技を磨き、カタルーニャの人々を魅了した「ドリームチーム」を築いた1990年代FCバルセロナの象徴である。

目次

[編集] 略歴

[編集] クラブ

10代の頃は痩身で、周囲からは「プロになっても通用しない」といわれていたが、ヨハン・クライフに見出されトップチーム・デビューを果たすと、以後、移籍するまで同クラブの象徴として数々のタイトル獲得に貢献した。 チームを去った現在でもグアルディオラは「バルサ・アイドル」である[1]

2001-2002シーズンからは故郷カタルーニャを離れ、イタリアセリエAブレシアに移籍した。2001年11月には試合後のドーピング検査において、禁止薬物であるナンドロロンに対する陽性反応が出たとされ4か月間の出場停止処分を受け、更に2005年には執行猶予がついたものの7か月の有罪判決を受けた。これに対してグアルディオラ側は「イタリアのドーピング検査はいいかげんだ」と一貫して無実を主張し、科学的根拠のある反証を数多く提出。そして2007年10月にブレシア高等裁判所は1審を破棄し、無罪の判決を下した。こうして6年間に渡る闘いの末、グアルディオラの潔白がようやく証明された。

その後はASローマカタールアル・アハリメキシコドラドスを渡り歩き、2006年11月に現役引退を表明した。

[編集] スペイン代表

1992年バルセロナオリンピック・サッカーではU-23スペイン代表の一員として金メダルを獲得。

1992年10月14日スペイン代表にデビュー。1994年の1994 FIFAワールドカップに出場を果たしたが、1996年のEURO1996ではメンバーから外れ、また度重なる怪我の影響によって1998 FIFAワールドカップ2002 FIFAワールドカップと2大会連続で棒に振り、選手生活においてワールドカップの舞台での活躍は縁の無いものとなった。

またカタルーニャ選抜としても7試合に出場している。

[編集] 引退後

引退後は同世代のルイス・エンリケらと共に指導者の道を選び、2007-2008シーズンからFCバルセロナB(現FCバルセロナ・アトレティック)の監督としてバルセロナに再び戻った。そして就任1年でセグンダC(4部)からセグンダB(3部)に昇格させると、翌2008-2009シーズンからはFCバルセロナトップチームの監督に昇格した。契約期間は2年。就任会見でそれまでの中核であったロナウジーニョデコサミュエル・エトオの構想外を宣言する(エトオは後に残留)など、ここ2シーズン無冠と不振のクラブに改革を施した。レアル・マドリードとのエル・クラシコで2連勝するなど、リーグの最多勝ち点記録を上回るペースで勝ち点を積み重ね、36節終了後に優勝を決めた。決勝でアスレティック・ビルバオを倒したコパ・デル・レイマンチェスター・ユナイテッドFCを倒したUEFAチャンピオンズリーグと合わせ、就任1年目にして3冠を達成した。

[編集] プレースタイル

常に中盤の底に位置し、視野の広さと状況判断力をもって抜群の精度を誇る長短のパスを縦横無尽に供給した。 特にダイレクトパスによる中長距離間の展開力は突出しており、一瞬にしてフィールドの前後左右を繋ぎ決定機を演出するプレーは圧巻であった。 受け手の足元や前のスペースに向けてまるで糸を引くかのように繰り出される繊細で優雅なパスの数々は、ゴールシーンや一対一の局面といったサッカーの魅力とは違った知的な魅力を観衆に与えた。グアルディオラが出場した試合と欠場した試合とでは、ゲーム内容だけでなく勝率に2割程の差が出たという。

[編集] 代表歴

[編集] 獲得タイトル

オリンピック
サッカー
1992 サッカー

[編集] 選手時代

チャンピンズリーグ優勝後のグアルディオラ
  • 1993-1994 リーガ・エスパニョーラ - 優勝 / スペイン・スーパーカップ - 優勝
  • 1995-1996 スペイン・スーパーカップ - 優勝
  • 1996-1997 コパ・デル・レイ - 優勝
  • 1997-1998 リーガ・エスパニョーラ - 優勝 / コパ・デル・レイ - 優勝 / スペイン・スーパーカップ - 優勝
  • 1998-1999 リーガ・エスパニョーラ - 優勝

[編集] 指導者時代

[編集] 脚注

  1. ^ 日本代表の守備的MF稲本潤一は、グアルディオラを「憧れの選手」であるとした。
先代:
アレックス・ファーガソン
UEFAチャンピオンズリーグ
優勝監督
2008-2009
次代: