アヤックス・アムステルダム

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アヤックス・アムステルダム
原語表記 Amsterdamsche Football Club Ajax
愛称 Superjoden、Godenzonen
Joden
クラブカラー 赤と白
創設年 1900年
所属リーグ エールディヴィジ
所属ディビジョン 1部
ホームタウン アムステルダム
ホームスタジアム アムステルダム・アレナ
収容人数 51,759
代表者 オランダの旗 ウリ・コロネル
監督 オランダの旗 フランク・デ・ブール
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

アヤックス・アムステルダムAmsterdamsche Football Club Ajax、略称はアヤックス)は、オランダ北ホラント州アムステルダムに本拠地を置くサッカークラブ。エールディヴィジに所属。

エールディヴィジ優勝は最多の30回、UEFAチャンピオンズリーグは3連覇を含む4回、インターコンチネンタルカップ2回の優勝をしており、リーグ優勝14回のフェイエノールト、21回のPSVと共に、オランダの強豪クラブと認識されている。フェイエノールトとの対戦はデ・クラシケルと呼ばれる。

1900年に創立。1971から1973年にかけUEFAチャンピオンズカップ3連覇を達成、優勝カップ「ビッグイヤー」の永久保持を認められた。1972年にはエールディヴィジKNVBカップ、チャンピオンズカップを制覇してトレブルを達成。また、1972年インターコンチネンタルカップで優勝。同じ年にリーグ、チャンピオンズカップ、コンチネンタルカップ優勝を果たした3つのクラブの1つ(他にユヴェントスバイエルン・ミュンヘンが達成している)。

目次

[編集] 歴史

[編集] 1900-1950

1900年3月18日にアムステルダムの小さなカフェからアヤックスは生まれた。創設者はフロリス・ステンペル(FlorisStempel)。

1902年 クラブ名をFCアイウスと名づける。名前の由来はギリシャ神話に登場するアイアスと言う人物で(Aiasをオランダ語でAjaxと読む)、ステンペル自身この人物をとても尊敬している。

1908年 クラブ名をAmsterdamsche Football Club Ajaxに改名(通称AFCアヤックス)。

1910年 初のコーチとしてジョン・キーワン氏を雇う。とてもフットボールと呼べる状態ではなかったチームを監督の指導によって常勝チームにまで押し上げる。1911年にクラブ史上初の1部昇格を果たす。

1917年 イギリス人監督ジャック・レイノルズの下で初のリーグ優勝とカップタイトルを獲得する。当時の彼のトレーニング方法は現在に至る世界有数の育成プログラムの基礎となっている。28年から40年の間に5度のリーグ優勝へ導き、最初の黄金時代を迎える。しかし、第二次世界大戦の影響で一時クラブは弱体化。約10年間タイトルから遠ざかる低迷期へと続く。戦争中、オランダ人が立て篭もるデ・メールスタジアムだけは制圧できなかったという逸話もある。


[編集] 1950-2000

1957年 オランダのプロリーグ化が進む。プロ第一号はピート・カイザーである。

1965年リヌス・ミケルスが就任。ミケルス監督がトータルフットボールと呼ばれる戦術を作り、ヨハン・クライフピート・カイザーシャーク・スワルトらがそれを実践し、黄金時代が訪れた。ミケルス就任当時のアヤックスはまだヨーロッパの第一線を行くクラブではなかった。チャンピオンズカップは一度も獲得したことがなく、オランダリーグの代表といえば、フェイエノールトであった。ミケルスの最初の2年間は厳しく、困難なものであった。チームはうまく機能せず、イタリア、スペイン、イングランドの有力クラブのような巨大な経済力は持ち合わせていなかった。生え抜き選手、そしてオランダ人だけという限られた条件の下、最高レベルの試合に挑戦していった。

降格の危機にあったが、ミケルス就任の翌年からリーグ3連覇を成し遂げた。 ヨーロッパにおいてはチャンピオンズカップ1968-69シーズン、決勝でACミランに1-4で敗れたものの、この敗戦が、それから続く全ての栄光の始まりとなる。翌シーズンはクライフの他ヨハン・ニースケンスアドリアナス・ハーンなどの若手が育ち、1970-71シーズンからチャンピオンズカップ3連覇を果たす。ロンドン(ウェンブリー)でのパナシナイコスとの決勝戦2-0、監督はシュテファン・コヴァチに代わるも、ロッテルダムでの対インテル・ミラノ戦2-0、ベオグラードでの対ユヴェントス戦1-0。アヤックスにとって輝かしい3シーズンであった。これらの成功の多くは選手達を鍛え上げたミケルスの功績にあった。

<4-3-3>、1971年、チャンピオンズカップ制覇時のメンバー

Soccer.Field Transparant.png

ストゥイ
# 1
スールビール
# 5
フルスホフ
# 2
ブランケンブルク
# 3
クロル
# 4
ハーン
# 6
ニースケンス
# 8
ミューレン
# 11
カイザー
# 7
クライフ
# 14
スワルト
# 10

1985年ヨハン・クライフテクニカルディレクターに就任。アヤックス・ユースアカデミー(Ajax Youth Academy)を設立。

1986-87シーズンにロナルド・クーマンマルコ・ファンバステンらでUEFAカップウィナーズカップを獲得。

1991-92シーズンにはUEFAカップを獲得。

チャンピオンズリーグ1994-95シーズン決勝では、エドウィン・ファン・デル・サールミハエル・ライツィハーダニー・ブリントフランク・ライカールトロナルド・デ・ブールフランク・デ・ブールの兄弟、エドガー・ダーヴィッツクラレンス・セードルフヤリ・リトマネンパトリック・クライファートフィニディ・ジョージマルク・オーフェルマルスなどを率いてイタリアの名門ACミランを1-0で下し、4度目の欧州制覇を成し遂げている。またこの年には、トヨタカップでブラジルの名門グレミオをPK戦の末辛くも勝利、クラブ世界一のタイトルを手にしている。

1995-96シーズンには、再びチャンピオンズリーグ決勝の舞台に上がったが、ペルッツィデル・ピエロジダンなどを擁した名門ユヴェントスにPK戦の末敗れている。なお1994-95シーズンから1995-96シーズンでユヴェントスに敗れるまでチャンピオンズリーグ19戦無敗という記録を打ち立てている。当時ルイス・ファン・ハール監督が「我々は負けることに慣れていない」という名言を残している。しかし、この第二次黄金期のメンバーはボスマン判決の影響を受け、チームの主力、有望な若手をごっそりとられ世代交代がうまくいかず、以降は欧州の大会で好成績を残せていない。

[編集] 2000-

ボスマン判決以降、ユース育成に「谷間の世代」ができた分を外国籍選手で補った。アヤックスのスカウト網は世界中に及んだ。 そして、獲得してきたのがイブラヒモビッチトラベルシミドといった選手である。

2002-03シーズンのチャンピオンズリーグ準々決勝ACミラン戦の激闘は記憶に新しい。ACミランのサポーターが健闘を称え、ロナルド・クーマン率いるアヤックスのイレブンにスタンディングオベーションを送っている。これ以降のシーズンも、2005-06シーズンまでチャンピオンズリーグ本戦に連続出場をし、2005-06シーズンにおいては決勝トーナメント1回戦まで進出した。

しかし、2006-07と2007-08シーズンは、予備戦3回戦にてそれぞれコペンハーゲンSKスラヴィア・プラハといったクラブに敗れ、チャンピオンズリーグ本戦出場を逃した。特に2007-08シーズンは、チャンピオンズリーグ予備戦3回戦敗退で出場することとなったUEFAカップにおいて、1回戦にてディナモ・ザグレブに敗れる失態を演じた。

2007年クルゼイロEC2008年3月にFCバルセロナと業務提携を結んだ。

2009-10シーズンはマルティン・ヨル監督の下、34試合で106ゴールと圧倒的な攻撃力を見せるも、首位のトゥウェンテに惜しくも勝点1届かず、2位に。

2010-11シーズンはチャンピオンズリーグの予備予選とプレーオフを勝ち抜き、5シーズンぶりにチャンピオンズリーグ本戦出場を果たす。 ヨル監督がシーズン途中で辞任するなど、パフォーマンスが安定しない前半戦だったが、後任のフランク・デ・ブール監督がチームに安定性をもたらし、首位決戦となった最終節のFCトゥウェンテ戦で勝利し、劇的な7シーズンぶりのエールディヴィジ制覇を達成。

2011年4月13日、東日本大震災の被災者支援慈善試合としてアヤックス側からJリーグクラブ清水エスパルスを招待し、入場料などの収益と約2週間の募金活動で合計約600万ユーロ(約7億2600万円)が集まり、オランダ赤十字を通して義援金として寄付されることとなった[1]

[編集] タイトル

[編集] 国内タイトル

1917-18, 1918-19, 1930-31, 1931-32, 1933-34, 1936-37, 1938-39, 1946-47, 1956-57, 1959-60, 1965-66, 1966-67, 1967-68, 1969-70, 1971-72, 1972-73, 1976-77, 1978-79, 1979-80, 1981-82, 1982-83, 1984-85, 1989-90, 1993-94, 1994-95, 1995-96, 1997-98, 2001-02, 2003-04, 2010-11
1916-17, 1942-43, 1960-61, 1966-67, 1969-70, 1970-71, 1971-72, 1978-79, 1982-83, 1985-86, 1986-87, 1992-93, 1997-98, 1998-99, 2001-02, 2005-06, 2006-07, 2009-10
1993, 1994, 1995, 2002, 2005, 2006, 2007

[編集] 国際タイトル

1970-71, 1971-72, 1972-73, 1994-95
1986-87
1991-92
1972, 1973, 1995
1972, 1995

[編集] 過去の成績

  • 1975-1976 エールディヴィジ 3位
  • 1976-1977 エールディヴィジ 1位
  • 1977-1978 エールディヴィジ 2位
  • 1978-1979 エールディヴィジ 1位
  • 1979-1980 エールディヴィジ 1位
  • 1980-1981 エールディヴィジ 2位
  • 1981-1982 エールディヴィジ 1位
  • 1982-1983 エールディヴィジ 1位
  • 1983-1984 エールディヴィジ 3位
  • 1984-1985 エールディヴィジ 1位
  • 1985-1986 エールディヴィジ 2位
  • 1986-1987 エールディヴィジ 2位
  • 1987-1988 エールディヴィジ 2位
  • 1988-1989 エールディヴィジ 2位
  • 1989-1990 エールディヴィジ 1位
  • 1990-1991 エールディヴィジ 2位
  • 1991-1992 エールディヴィジ 2位
  • 1992-1993 エールディヴィジ 3位
  • 1993-1994 エールディヴィジ 1位
  • 1994-1995 エールディヴィジ 1位
  • 1995-1996 エールディヴィジ 1位
  • 1996-1997 エールディヴィジ 4位
  • 1997-1998 エールディヴィジ 1位
  • 1998-1999 エールディヴィジ 6位
  • 1999-2000 エールディヴィジ 5位
  • 2000-2001 エールディヴィジ 3位
  • 2001-2002 エールディヴィジ 1位
  • 2002-2003 エールディヴィジ 2位
  • 2003-2004 エールディヴィジ 1位
  • 2004-2005 エールディヴィジ 2位
  • 2005-2006 エールディヴィジ 4位
  • 2006-2007 エールディヴィジ 2位
  • 2007-2008 エールディヴィジ 2位
  • 2008-2009 エールディヴィジ 3位
  • 2009-2010 エールディヴィジ 2位
  • 2010-2011 エールディヴィジ 1位




[編集] 歴代監督

氏名 国籍 期間
ジョン・キーワン 1910-1915
ジャック・レイノルズ 1915-1925
ハロルド・ローズ 1925-1926
スタンリー・キャッスル 1926-1928
ジャック・レイノルズ 1928-1940
ヴィルモス・ハルパーン 1940-1941
ドルフ・ファン・コール 1941-1945
ジャック・レイノルズ 1945-1947
ロバート・スミス 1947-1948
ウォルター・クルーク 1948-1950
ロバート・トムソン 1950-1953
ウォルター・クルーク 1953-1954
カール・ヒューメンベルガー 1954-1959
ビク・バッキンガム 1959-1961
ケイス・シュプルゲオン 1961-1962
ペピ・グルーベル 1962-1963
ジャック・ローレイ 1963-1964
ヴィック・バッキンガム 1964-1965
リヌス・ミケルス オランダの旗 オランダ 1965-1971
シュテファン・コヴァチ 1971-1973
ジョージ・クノベル 1973-1974
ハンス・クラーイ 1974-1975
リヌス・ミケルス オランダの旗 オランダ 1975-1976
トミスラヴ・イビッチ 1976-1978
コル・ブロム 1978-1979
レオ・ベーンハッカー 1979-1981
クルト・リンデル 1981-1982
ア・デモス オランダの旗 オランダ 1982-1985
ヨハン・クライフ オランダの旗 オランダ 1985-1988
クルト・リンデル 1988-1989
レオ・ベーンハッカー オランダの旗 オランダ 1989-1991
ルイス・ファン・ハール オランダの旗 オランダ 1991-1997
モアテン・オルセン デンマークの旗 デンマーク 1997-1998
ヤン・バウタース オランダの旗 オランダ 1998-2000
ハンス・ベッセルホフ オランダの旗 オランダ 2000
コー・アドリアーンセ オランダの旗 オランダ 2000-2001
ロナルド・クーマン オランダの旗 オランダ 2001-2005
ダニー・ブリント オランダの旗 オランダ 2005-2006
ヘンク・テン・カーテ オランダの旗 オランダ 2006-2007
アドリー・コスター オランダの旗 オランダ 2007-2008
マルコ・ファン・バステン オランダの旗 オランダ 2008-2009
マルティン・ヨル オランダの旗 オランダ 2009-2010
フランク・デ・ブール オランダの旗 オランダ 2011-

[編集] 現所属選手

2011年9月1日現在
No. Pos. 選手名
1 オランダの旗 GK ケネト・フェルメール
2 オランダの旗 DF グレゴリー・ファン・デル・ヴィール
3 ベルギーの旗 DF トビー・アルデルヴァイレルト
4 ベルギーの旗 DF ヤン・フェルトンゲン(主将Captain sports.svg)
5 オランダの旗 MF フルノン・アニータ
6 カメルーンの旗 MF エヨング・エノー
7 セルビアの旗 FW ミラレム・スレイマニ
8 デンマークの旗 MF クリスティアン・エリクセン
9 アイスランドの旗 FW コルベイン・シグソールソン
10 オランダの旗 MF シーム・デ・ヨング
11 オランダの旗 FW ロレンゾ・エベシリオ
13 オランダの旗 DF アンドレ・オーイェル
No. Pos. 選手名
15 デンマークの旗 DF ニコライ・ボイレセン
16 オランダの旗 MF テオ・ヤンセン
17 オランダの旗 DF ダレイ・ブリント
18 ウルグアイの旗 MF ニコラス・ロデイロ
19 ロシアの旗 FW ドミトリ・ブリキン
20 ウルグアイの旗 DF ブルーノ・シルバ
21 オランダの旗 FW デルク・ブーリフテル
22 オランダの旗 GK ヤスペル・シレセン
23 オランダの旗 FW アラス・エズビリズ
25 南アフリカ共和国の旗 MF チュラニ・セレロ
30 オランダの旗 GK イェルン・フェルホーフェン

[編集] ローン移籍選手

No. Pos. 選手名
オランダの旗 GK マルコ・ビゾット (SCカンブール)
オランダの旗 MF ロリー・ボネファキア (NACブレダ)
オランダの旗 MF ロドニー・スナイデル (FCユトレヒト)
No. Pos. 選手名
オランダの旗 FW フロリアン・ヨゼフゾーン (NACブレダ)
アルゼンチンの旗 FW ダリオ・チヴィタニッチ (ボカ・ジュニアーズ)
オランダの旗 FW ジェフリー・カスティリオン (RKCヴァールヴァイク)

[編集] ヨング・アヤックス&A1

No. Pos. 選手名
24 モロッコの旗 FW ムニル・エル・ハムダウィ
27 フィンランドの旗 DF ヘンリ・トイヴォマキ
28 モロッコの旗 MF イスマイル・アイサティ
29 ベルギーの旗 MF マッツ・リッツ
31 オランダの旗 DF ルベン・リジェオン
32 オランダの旗 DF ステファノ・デンスヴィル
33 オランダの旗 MF ヨエリ・デ・カンプス
34 オランダの旗 DF リカルド・ファン・リーン
35 デンマークの旗 FW ヴィクトル・フィッシャー
36 オランダの旗 GK ワルネル・ハーン
No. Pos. 選手名
37 オランダの旗 FW ジョディ・ルコキ
38 オランダの旗 FW イェネル・アリカ
39 オランダの旗 MF デイヴィ・クラーセン
40 オランダの旗 MF ウアシム・ブーイ
41 オランダの旗 FW レスリー・デ・サ
42 オランダの旗 DF ディコ・コッペルス
43 オランダの旗 MF リカルド・キプ
44 オランダの旗 DF ヨエル・フェルトマン
45 オランダの旗 FW トム・ブーレ
46 オランダの旗 GK キール・クラメル

[編集] 2010-11シーズン移籍

[編集] スタッフ

[編集] 歴代所属選手

[編集] GK

[編集] DF


[編集] MF


[編集] FW


[編集] その他

アムステルダム・アレナ (内部)

[編集] サテライトクラブ

[編集] 下部組織

[編集] スタジアム

上記2つはアムステルダム・アレナが完成するまで併用

[編集] 永久欠番

[編集] スポンサー

メイン
テクニカル
サプライヤー
2010-2011シーズンスポンサーシップ

[編集] 脚注

[ヘルプ]

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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