ヘドヴィヘス・マドゥロ

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ヘドヴィヘス・マドゥロ
セビージャでのマドゥロ (2012年)
名前
本名 ヘドヴィヘス・エドゥアルド・マルティヌス・マドゥロ
Hedwiges Eduard Martinus Maduro
ラテン文字 Hedwiges MADURO
基本情報
国籍 オランダの旗 オランダ
アルバの旗 アルバ
キュラソーの旗 キュラソー
生年月日 (1985-02-13) 1985年2月13日(39歳)
出身地 アルメレ
身長 185cm
体重 79kg
選手情報
ポジション DF / MF (DMF, CB)
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2004-2008 オランダの旗 アヤックス 70 (9)
2008-2012 スペインの旗 バレンシア 76 (2)
2012-2014 スペインの旗 セビージャ 26 (0)
2014-2015 ギリシャの旗 PAOK 19 (3)
2015-2017 オランダの旗 フローニンゲン 32 (1)
2017-2018 キプロスの旗 オモニア 28 (1)
通算 251 (16)
代表歴2
2005-2007  オランダ U-21 9 (1)
2005-2011 オランダの旗 オランダ 18 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2010年8月31日現在。
2. 2011年9月2日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ヘドヴィヘス・エドゥアルド・マルティヌス・マドゥロHedwiges Eduard Martinus Maduro1985年2月13日 - )は、オランダフレヴォラント州アルメレ出身の元同国代表サッカー選手。ポジションはMFまたはDF

父親はオランダ領アルバにルーツを持ち、母親はオランダ自治領キュラソー島の出身である。ふたつの島はいずれもカリブ海西インド諸島にある。

経歴[編集]

クラブ[編集]

2003-04シーズンには最も将来が期待されるアヤックスの選手に選ばれた[1]。2005年2月27日のローダJC戦(2-1)でエールディヴィジデビューを果たした。2005-06シーズンと2006-07シーズンにはKNVBカップで2連覇し、2005年から2007年にかけてはヨハン・クライフ・シャールで3連覇した。在籍期間中にリーグ優勝は果たせなかったが、公式戦105試合に出場して11得点を挙げている。

2008年1月中旬、AFCアヤックスのロナルド・クーマン監督がリーガ・エスパニョーラバレンシアCFの監督に就任するのと同時に、マドゥロもバレンシアと4年半の契約を結んだ[2]。バレンシアからアヤックスに支払われた移籍金は300万ユーロである。 1月27日のUDアルメリア戦(0-1)でデビューし、2007-08シーズンの終了までに出場した11試合すべてで先発出場したが、チームはリーグ戦10位でシーズンを終えた。コパ・デル・レイは決勝まで勝ち進んだが、4月にクーマン監督が解任されてボロ暫定監督が就任してからは出場機会が減少し、決勝のヘタフェCF戦ではベンチから優勝を眺めた。2008年夏にはウナイ・エメリ監督が就任した。2008-09シーズン序盤は出場機会に恵まれなかったが、チームに負傷者や出場停止者が続出したことから出場機会を与えられ、右サイドバックなど色々なポジションで良好なプレーを見せた。2009年4月25日、エスタディオ・デ・メスタージャでのFCバルセロナ戦(2-2)でコーナーキックから移籍後初得点を挙げた[3]。守備陣で絶対的なレギュラーだったのはラウル・アルビオルだけだったため、アレクシス・ルアーノカルロス・マルチェナなどと激しいポジション争いを繰り広げ、2008-09シーズンは公式戦30試合以上に出場した。

2012年6月、バレンシアとの契約を更新せず、セビージャFCに移籍。

2014年1月2日、ギリシャ・スーパーリーグPAOKテッサロニキに移籍した[4]

代表[編集]

2006 FIFAワールドカップでのマドゥロ

プロ入り1ヶ月でオランダ代表に招集された。2005年のFIFAワールドユース選手権で主将を務めた。2005年3月にオランダA代表に初招集され、AFCアヤックスからプロデビューを飾ってからわずか1カ月後の3月26日に行われた2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選ルーマニア戦で代表デビューを果たした。マルコ・ファン・バステン監督によって2006 FIFAワールドカップ本大会に出場する23人のメンバーにも選ばれ、グループリーグのアルゼンチン戦(0-0)に4分間だけ出場した。

2007年までにオランダA代表として12試合に出場していたが、オランダで開催されたUEFA U-21欧州選手権に出場し、U-21イスラエル代表との開幕戦(1-0)で大会初得点を挙げた。2戦目のU-21ポルトガル代表戦(2-1)でもプレーし、チームは準決勝まで勝ち進んで北京オリンピックの出場権を獲得した。準決勝のU-21イングランド代表戦は延長戦を終えて1-1でPK戦にもつれ込み、両チーム合わせて32人が蹴って13-12でオランダの勝利が決まった。決勝ではU-21セルビア代表を4-1で破って優勝し、マドゥロはベストイレブンに選ばれた。

タイトル[編集]

クラブ[編集]

代表[編集]

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ Hedwiges Maduro”. UEFA.com. 2007年6月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年6月10日閲覧。
  2. ^ Valencia seal Maduro deal”. Sky Sports (2008年1月18日). 2010年10月31日閲覧。
  3. ^ More than a draw (2-2)”. FC Barcelona (2009年4月25日). 2010年10月31日閲覧。[リンク切れ]
  4. ^ セビージャのMFマドゥロがギリシャのPAOKに完全移籍”. サッカーキング (2014年1月3日). 2014年1月3日閲覧。

外部リンク[編集]