エトヴィン・ファン・デル・サール

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エドウィン・ファン・デル・サール Football pictogram.svg
Edwin van der Sar side.jpg
名前
愛称 摩天楼、EVDS、緑の巨人
ラテン文字 Edwin VAN DER SAR
基本情報
国籍 オランダの旗 オランダ
生年月日 1970年10月29日(44歳)
出身地 フォールホウト
身長 199cm
体重 87kg
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1990-1999
1999-2001
2001-2005
2005-2011
オランダの旗 アヤックス
イタリアの旗 ユヴェントス
イングランドの旗 フラム
イングランドの旗 マンチェスターU
226 (1)
66 (0)
127 (0)
186 (0)
代表歴2
1995-2008[1] オランダの旗 オランダ 130 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2011年5月22日現在。
2. 2010年5月9日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

エドウィン・ファン・デル・サール(Edwin van der Sar, オランダ語表記:エドウィン・ファン・デル・サル1970年10月29日 - )は、オランダ南ホラント州フォールホウト出身の元サッカー選手。ポジションはゴールキーパー。元オランダ代表

マンチェスター・ユナイテッドでプレイするファン・デル・サール

経歴[編集]

オランダの名門チーム、アヤックスでキャリアをスタート。程なくして頭角を現した彼は、1995年5月24日に行われたチャンピオンズリーグ決勝で連覇を目指したACミランを破って優勝。1996年5月22日同大会決勝ではユヴェントスにPK戦で敗れ連覇はならなかったものの、既に優秀なGKとしての評価が確立され始めた頃に成し遂げたビッグタイトルの獲得は彼を一躍移籍市場の主役に押し上げ、1999年7月1日に500万ポンドでユヴェントスに移籍することとなった。

ユヴェントスでは初の外国籍の正GKとなったが、2年連続でセリエAでは2年連続で準優勝に終わった。さらに不調で本来の実力を発揮できずにイージーミスを連発してしまった事や、2001年になるとイタリア代表ジャンルイジ・ブッフォンの加入によりポジション確保が危うくなった事から、2001年8月1日に700万ポンドでイングランドフラムFCに移籍。移籍後はアヤックス時代の輝きを取り戻すかのような活躍を見せ、「ヨーロッパ屈指のGK」の呼び声を再び手にした。この活躍により、マンチェスター・ユナイテッドFCアレックス・ファーガソン監督が彼に注目するようになった。

2005年6月10日、200万ポンドでマンチェスター・ユナイテッドへ移籍。不動の正GKとしてゴールマウスの最後の番人を勤め上げた。なおマンチェスター・ユナイテッドのGKユニフォームは当時緑色だったため、「緑の巨人」という新しい愛称も付いた。2008年の引退も噂されたが2010年まで契約を延長した。

2007-08シーズン、UEFAチャンピオンズリーグ決勝でチェルシーFCと対戦。試合は90分で決着がつかずPK戦にもつれ込みチェルシーの7人目ニコラ・アネルカのPKをストップしマンチェスター・ユナイテッドを9シーズンぶり3回目の優勝へ導いた。

2008-09シーズンにWBA戦で完封勝利を収め、チェルシーのペトル・チェフが保持していた1025分間というプレミアリーグの無失点記録を打ち破った。その後のウェストハム・ユナイテッドFC戦で完封を果たし、英国全土での無失点記録を樹立した。

2011年1月27日、シーズン終了後に現役を引退する意向を表明。その理由を「そろそろ家族のことを考えたい」とコメントした。引退表明後もハイパフォーマンスを維持し、5月14日ブラックバーン・ローヴァーズ戦(1-1)で本人は出場しなかったもののリーグ優勝を決め、さらに5月22日ブラックプールFC戦(4-2)も勝利し、有終の美を飾った。5月28日チャンピオンズリーグ決勝のFCバルセロナ戦(1-3)を最後に引退し、マンチェスター・ユナイテッドを去った。

2012年11月20日、古巣アヤックスのマーケティングディレクターに就任。13年ぶりの復帰となった[2]

代表[編集]

オランダ代表では当初エド・デ・フーイの控えでありアメリカW杯では出場機会がなかったが、1995年6月7日ベラルーシ戦でデビューするとその後はデ・フーイやルート・ヘスプサンデル・ヴェステルフェルト等の実力者を抑えて代表正GKに定着。

フランスW杯では準決勝に進出したが、前回準々決勝で敗れた連覇を狙うブラジルにPK戦で敗れさらに3位決定戦では初出場のクロアチアにも敗れ4位だった。

母国オランダとベルギーの共催となったEURO2000では、地元の声援を受けて準決勝に進出。決勝進出をかけて臨んだイタリア戦では延長戦まで0-0でPK戦に突入したが、相手GKフランチェスコ・トルドに味方が4本中3本を止められ、さらに自身も最後(4人目)のパオロ・マルディーニは止めたものの3人目のフランチェスコ・トッティにはチップキックでゴールを決められ1-3で敗退。母国での優勝はならなかった。

その後、日韓W杯ではまさかの予選敗退に終わり、雪辱を期したEURO2004も開催国のポルトガルに準決勝で敗退した。その後、アヤックス時代のチームメイトでもあるマルコ・ファン・バステンが代表監督に就任し、彼によって主将に任命された。

2006年6月25日ドイツW杯決勝トーナメント1回戦でフランク・デ・ブール(112試合)を抜いて代表最多出場記録保持者となった。しかし、試合は0-1で敗れEURO2004の雪辱はならなかった。

EURO2008を最後に代表引退したが、マールテン・ステケレンブルフの怪我もあって、ファン・バステンの要請を受けて南アフリカW杯予選にも2試合出場した。最終的に代表では130試合に出場し、これは今でも最多記録となっている。

エピソード[編集]

  • 摩天楼」の愛称を持つ長身選手。飛び出しの良さと手足の長さを生かした安定感あるセービングが売りで、長期にわたりオランダ代表のゴールを守った。
  • キャリアで1ゴールを記録しているが、これは1997年9月1日デ・フラーフスハプ戦(9-1)でPKを決めたものである。
  • 少年時代はフォワードだったこともあり「引退後はアマチュアのクラブでフォワードをやりたい。今でも1番楽しいのはゴールを決めることだからね。」と語っている。
  • 同胞のフィリップ・コクーとは生年月日が同じである。

所属クラブ[編集]

フラム時代のファン・デル・サール(中央)

獲得タイトル・記録[編集]

クラブ[編集]

アヤックス
ユヴェントス
フラム
  • UEFAインタートトカップ : 2002
マンチェスター・ユナイテッド

個人[編集]

オランダ代表でトレーニングをするファン・デル・サール

記録[編集]

  • オランダ代表通算最多出場(130試合)
  • UEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント最年長出場(40歳と137日)
  • リーグ戦における連続無失点記録(1311分。プレミアリーグ2008-2009において)

出典[編集]