FCバルセロナ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| FCバルセロナ | |
|---|---|
| 原語表記 | Fútbol Club Barcelona |
| 愛称 | Barça、Azulgrana、Blaugrana、Culers |
| クラブカラー | 青とえんじ |
| 創設年 | 1899年 |
| 所属リーグ | リーガ・エスパニョーラ |
| 所属ディビジョン | プリメーラ・ディビシオン |
| ホームタウン | バルセロナ |
| ホームスタジアム |
カンプ・ノウ |
| 収容人数 | 98,787 |
| 代表者 | |
| 監督 | |
| 公式サイト | 公式サイト |
FCバルセロナ(Futbol Club Barcelona)は、スペイン・バルセロナを本拠地とするサッカークラブチーム[1]である。
目次 |
[編集] 概要
FCバルセロナは1899年に創設されたカンプ・ノウをホームスタジアムとし、リーガ・エスパニョーラに所属するサッカークラブである。愛称は「バルサ(Barça)」、またはクラブカラーから「ブラウ・グラーナ(Blau Grana えんじと青)」と呼ばれる。数々のタイトルを獲得したヨーロッパでも屈指のビッグクラブ、名門クラブであり、リーガ創立以来2部以下に落ちたことがない。これは他にレアル・マドリードとアスレティック・ビルバオのみである。
「クラブ以上の存在(Més Que Un Club)」がクラブのスローガンであり、ユニフォームの後襟にもこの言葉がプリントされている。また、「攻撃的でスペクタクルなフットボール」をクラブのアイデンティティとしており、試合に勝ったとしても内容が伴わなければサポーターから容赦ないブーイングが浴びせられる。このような習慣はリーガ全体に存在するが、FCバルセロナは特にこの傾向が顕著である。結果よりも内容の価値が遥かに大きい点でこのクラブは“特異”な存在であるとも言える。 1-0で勝つより4-5で負ける方が良いとも例えられる。
クラブ運営上の特徴として一般市民などからの会費(ソシオ)を募り、これで運営している点が挙げられる。ソシオの会員は現在世界中で14万に達しており、日本でも、2004年6月より日本でのソシオ会員の募集が行われている。
サッカーのみならず政治的・地域的に長年の対立関係にある首都マドリードのレアル・マドリードとは長年のライバルである。このレアル・マドリードとの試合はエル・クラシコ(El Clásico)と呼ばれ、100年近く因縁の対決を続けており、スペイン国内だけでなく世界的にも注目度の高いイベントである。また、同じバルセロナを本拠地とするエスパニョールとの試合は、バルセロナ・ダービーと呼ばれ、これもリーガ屈指の注目度を誇る対戦である。
また、レアル・マドリードとの対立関係から同じくレアル・マドリードをライバルとするアトレティコ・マドリードとの関係は良好であるが、対戦成績が奮わない相手であり、リーガ優勝を果たした2005-06シーズンにおいても2006年2月6日にホームスタジアムカンプ・ノウでの無敗記録、リーガ連勝記録を14で止められている。
「カンテラ」と呼ばれる下部組織が非常に発達しており、数々の名選手が輩出されている。また、FCバルセロナ・アトレティック出身の選手はサポーターから絶大な声援を受ける。
エクアドルのサッカークラブ、バルセロナSCはバルセロナからの移民がエクアドルのグアヤキルで設立したもので、クラブ自体には何の繋がりも無い。ただ、エンブレムは非常に似ており、FCバルセロナも親善試合を行ったことがある。
練習場はシウター・エスポルティーバ・ジョアン・ガンペールを使用している。
[編集] 歴史
[編集] 創立期
1899年にスイス人実業家ハンス・カンパーら11名により創立された。この時、上記の「えんじと青」のチームカラーが決められたが、このチームカラーとなったのは、カンパーの縁深かったFCバーゼルのチームカラーに由来すると一般的には信じられている[2]。なお、初代会長はイギリス人のウォルター・ワイルドであるが、初期のチーム関係者にはスイス人も多かった。
1929年から続くリーガ・エスパニョーラの初代王者である。
レアル・マドリードとの対戦はエル・クラシコと呼ばれ、1902年の第1回コパ・デルレイ(スペイン国王杯)から因縁の対決(3-1でバルセロナの勝利)を続けている。その背景には、プリモ・デ・リベラ将軍による独裁政権時代(1923年-1930年)とフランコ独裁政権時代(1939年-1975年)のカタルーニャ弾圧がある。当時、カタルーニャの人々は自分たちの言葉・カタルーニャ語を話す事が許されずスタジアムの中でだけそれが許された。これによりスペインサッカー界の軸は、バルセロナとアスレティック・ビルバオからフランコの支援をうけたレアル・マドリードへと移った。
この時代、主力のホセ・サミティエールがレアル・マドリードに移籍したが、これは後にベルント・シュスター、ミカエル・ラウドルップ、ルイス・フィーゴと続く「裏切り」と呼ばれるバルセロナからレアル・マドリードへの最初の移籍である。また逆にルイス・エンリケは、レアル・マドリードからバルセロナに移籍した選手である。選手の引き抜きにおいてもレアル・マドリードとは因縁があり、アルフレッド・ディ・ステファノ、ヨハン・クライフらを巡って争奪戦を繰り広げた。
[編集] ホセ・ルイス・ヌニェス会長時代
1978年にソシオ 参加による初の民主的な選挙によって誕生した。ヌニェスが会長に就任して以来、経営基盤を安定させる事に務め、カンプ・ノウスタジアムの改築による観客収容数の増加、有名選手の獲得による経済波及効果でクラブの収益を上げ、ソシオ会員数を大幅に増加させて現在の繁栄を築いた。また、自ら公約に掲げた「若手育成の充実」を計るため、ラ・マシアと呼ばれる寮を開設し、スペイン全土から優秀な若者を集めるようになる。
チームは1980年代半ばには、UEFAチャンピオンズ・カップの決勝に進出した。一方でヌニェスの独裁的な言動が災いし、1988年4月28日に契約問題から選手側と対立、シーズン終了後に選手の大量解雇、残留した選手は9人という異常事態に発展する。5月、オランダのヨハン・クライフを監督に迎える。しかし、1987-1988、1988-1989、1989-1990シーズンの成績は期待を大きく裏切るものであり、当然ソシオはクライフの解任を要求したが、クラブ側はクライフの続投を選択した。これほど不本意な成績で続投されるケースは珍しいことではあるが、続投された要因として、当時ヌニェスと選手側との間には大きな溝があり、この差を埋めるには、クラブのOBでもあるクライフが最適であったと考えられる。いずれにせよ、クライフにとってはチームを作るための十分な時間が確保できたこと、有力選手の獲得ができたことで、エル・ドリーム・チームと呼ばれるほど、チームはその豪華なメンバーと強さで、リーガ4連覇とUEFAチャンピオンズリーグ初制覇を果たす。
1996-1997シーズンは、ボビー・ロブソンを監督に招聘し、ロブソン監督の通訳として、モウリーニョを起用している。このシーズンはロナウドが得点王に輝いた。
1997-1998シーズンに、アヤックスで実績を残したルイス・ファン・ハールを監督に迎える。このシーズンはリーガと国王杯の2冠を達成し、翌シーズンには圧倒的な強さでリーグ優勝を果たした。一方で、オランダ出身選手を重用し、地元カタルーニャ出身者を冷遇し続け、特にクライフ監督時代に活躍した選手を放出していった結果、「バルサ版アヤックス」と呼べるような布陣となった。また、2シーズンでUEFAチャンピオンズ・リーグの予選リーグでの敗退、国王杯のボイコット事件などはソシオの反発を招き、2000年にヌニェスは会長を辞任し、シーズン終了後にファン・ハールはクラブを去った。
[編集] ジョアン・ガスパール会長時代
2000年代初頭にかけては成績が低下し、タイトルから遠ざかるどころかUEFAチャンピオンズ・リーグ出場権を獲得するのがやっとの状態が続いた。2000年には、チームの主力であるルイス・フィーゴがバルセロナからレアル・マドリードに移籍した際に激しい反発を呼び、カンプ・ノウでの試合では激しいブーイングと物の投げ込みにより、一時試合が中断される騒ぎとなった(2002年11月23日のクラシコ)。また、主力でもあったジョゼップ・グアルディオラが退団したことで、チームのバランスが崩れていった。2002年にファン・ハールが監督に復帰したものの、ファン・ハール自身のオランダ代表でのふがいない成績によるマイナスイメージに加えて、リバウドの放出、オランダ出身選手の高齢化もチームにとっては負担となった。シーズン途中でファン・ハールは辞任した。
[編集] ジョアン・ラポルタ会長時代
2003-2004シーズンにフランク・ライカールトが監督に就任した。ライカールトの指揮経験不足、急造チームという特性上の問題、2000年から続く負のサイクルなどからチームは中位に低迷したが、冬にエドガー・ダービッツが加入してからは、チームは勝ち星を重ね最終節で何とかリーグ2位を確保した。2004-2005シーズンはオランダ出身選手を大量放出したが、ロナウジーニョを中心としたチームに変貌し、圧倒的な強さでリーグ優勝した。翌シーズンにリーグ連覇と2度目のUEFAチャンピオンズリーグ制覇を達成する。
2006年7月21日、「ラポルタは任期切れである」との反対派陣営からの訴えをバルセロナ地裁が認めたため、この判決を受けてラポルタは26日に会長職を辞任、新たに会長選挙が行われる事となった。しかし、サッカー部門の成績やクラブ財政再建も上々で仕事ぶりに異を唱える声は少なく、結局他の立候補者がなかったため自動的に再任された。
2008年5月には過去2シーズンに渡る内容・結果両面での不振の責任を問い、ソシオの1人である弁護士オリオル・ジラルト氏が中心なってラポルタ役員会に対する不信任案が提出された。不信任投票実施には総ソシオの5%、約5,900名の署名が必要であったが、最終的に約9,000人もの署名が集まり、7月6日に不信任投票が実施された。開票の結果は不信任票60.8%。過半数が不信任という結果となったものの解任の為の規定数(全投票数の3分の2)にはわずかに足りず、ラポルタ会長の続投となった。
2006-2007シーズンは3連覇は堅いと予想されたが、開幕前のUEFAスーパーカップではセビージャ相手に大敗する。リーグでは優勝戦線に留まってはいたが、終盤にレアル・マドリードに勝ち点で逆転されてリーグ優勝を逃した。2007-2008シーズンもリーグ優勝を逃し、責任を負う形でライカールトは監督を退任した。
2008-2009シーズン、覇権奪回を目指すため、グアルディオラが監督に就任した。このシーズンは選手の補強よりも放出が目立った。それでも、余剰戦力の整理がついたことやメッシを中心としたチームになったことで、「史上最強のバルサ」と呼ばれるほどのチームとなった。コパ・デル・レイ、リーガ・エスパニョーラ、UEFAチャンピオンズリーグのすべてを制覇し、スペイン勢史上初の3冠の偉業を達成した。
[編集] 下部組織
[編集] 概要
FCバルセロナも他のスペイン国内クラブ同様、カンテラと呼ばれるユースチームを所有している。世界各国から優秀な若者を集め、グアルディオラやメッシなどをトップチームに送り出している。
現在でこそ、名プレーヤーを輩出することで知られているが、そのきっかけとなる出来事は1979年にまでさかのぼる。当時のホセ・ルイス・ヌニェス会長が自ら公約に掲げた「若手育成の充実」を計るため、ラ・マシアと呼ばれる寮を開設し、スペイン全土から優秀な若者を集めるようになる。ラ・マシア開設から数年間、目立った成果はあげられなかったが、1988年にクライフ監督が就任する頃には、アモール、グアルディオラ、セルジら若手がトップチームに定着するようになる。“クライフの子供たち”と呼ばれた彼らは、リーガ4連覇を果たしエル・ドリーム・チームと呼ばれたFCバルセロナの一員として活躍した。
近年ではシャビ、イニエスタ、セスクといったスペイン代表の中軸を担うピボーテを中心に、“リトルブッダ”の愛称で親しまれたデ・ラ・ペーニャ、現在のトップチームでキャプテンを務めるプジョル、リーガ新人最多得点記録のボージャンらを育成している。
スペインでは法律により18歳になるまではプロ契約ができないため、近年では育成した選手がトップチームに昇格する直前にイングランドのクラブに引き抜かれる事件がしばしば起きている。アーセナルにはセスクとフラン、リバプールにはパチェコ、マンチェスター・ユナイテッドにはピケが引き抜かれている。
しかしバルセロナ自身、当時12歳だったアルゼンチン・リバープレートのエリック・ラメラを家族ごとスペインにつれてこようとし、アルゼンチン国内で批判を巻き起こすなど、とくに南米で類似の問題を引き起こしている。とはいえ、若年の原石をスカウトして育てようとする点とトップデビューまで育てられた選手を引き抜こうとしている点、例え選手として大成しなくともその後の生活についてしっかりと面倒を見る点で異なっている。
[編集] 組織形態
ユースチームは能力や年齢によって、以下の11チームに分けられている。
| 名称 | 対象年齢 | 責任者 |
|---|---|---|
| バルサ・アトレティック[3] | 全年齢 | ルイス・エンリケ |
| フベニルA | 17歳〜20歳 | |
| フベニルB | 17歳〜18歳 | セルジ・バルフアン |
| カデッテA | 15歳〜16歳 | |
| カデッテB | ||
| インファンティルA | 13歳〜14歳 | |
| インファンティルB | ||
| アレビンA | 12歳 | |
| アレビンB | 11歳 | |
| ベンジャミンA | 10歳 | |
| ベンジャミンB | 9歳〜10歳 |
[編集] ユニフォーム
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||
- 一般に多くのサッカークラブではユニフォームにスポンサーのロゴを入れているが、FCバルセロナはソシオにより運営していることから、スポンサーのロゴを入れないことがクラブの伝統となっている。
- 上記のような伝統があるが、2006年に児童福祉活動への支援という観点から、ユニセフと毎年190万ドルの寄付、総額950万ドル寄付の5年契約で合意した。これにより、2006年9月12日から史上初めて胸にロゴを入れたユニフォームを着用している。なお、ロゴ本来の色は白であるが、白は宿敵であるレアル・マドリードのチームカラーでもあるため、ホームは黄色、アウェイは水色のロゴになった。
- 1999-2000シーズン後半は、クラブ創立100周年ユニフォームが使用された。現在、ファーストユニフォームはこのユニフォームをベースとしたデザインとなっている。
- 2005-06シーズンのファーストユニフォームのパンツはえんじ色だった。
- 2ndユニフォームの配色は毎年異なる。2007-08シーズンはシャツ、パンツ共に水色、2006-07シーズンはシャツ、パンツ共にオレンジ色だった。
- 例年、前年の2ndユニフォームはサードユニフォームとして使用される。
- バスケットボールなど、サッカー以外のチームでも青色とえんじ色の縦ストライプのユニフォームを用いている。こちらはフットボール部門とは違い、商業的な胸スポンサーロゴ契約が結ばれている。
[編集] メンバーとフォーメーション[4]
[編集] 現所属メンバー[5][6]
|
|
- EU外選手枠(3人まで)
MF アレクサンドル・フレブ
- 監督 & 助監督
ジョゼップ・グアルディオラ (
)
ティト・ビラノーバ (
)
[編集] レンタル移籍中の選手
- out
DF エンリケ to バイエル・レバークーゼン 2008-
[編集] フォーメーション
<4-3-3> 2004年から現在までこのシステムを採用。
フォーメーションの特徴として、まず両サイドバックがかなりの頻度で攻撃参加する。今シーズンは右サイドバックのD.アウヴェスが常に前線に顔を出している。また、バックラインは中盤をコンパクトにするため、他チームにくらべ断然高い。そのため、ディフェンスとゴールキーパーの間の膨大なスペースを埋めるため、V.バルデスには攻撃時はボール回しへの参加、守備時には素早い飛び出しが求められる。
中盤はトゥーレがバランサーで、シャビ、イニエスタらがパサー、前線への飛び出しなどを担っている。
フォワードの三人は自由度が高く、ポジションチェンジが多い。右サイドに左利きのメッシ、左に右利きのアンリを置いているのは、この二人が純粋なウイングではなく、ドリブル、ワンツーなどで中に切り込んでシュートという形が多いためである。また、守備時にはエトーを中心として前線から激しいプレッシャーを掛けるのも特徴である。
攻撃は全員参加の速いパス回し、守備は全員で素早いプレスというのがチーム全体の基本的な戦術である。
[編集] 09/10移籍
詳細は「en:List of Spanish football transfers summer 2009」を参照
[編集] タイトル
[編集] 国内タイトル
- リーグ
- 19回
- 1928-29、1944-45、1947-48、1948-49、1951-52、1952-53、1958-59、1959-60、1973-74、1984-85、1990-91、1991-92、1992-93、1993-94、1997-98、
- 1998-99、2004-05、2005-06、2008-09
- コパ・デル・レイ
- 25回
- 1909-10、1911-12、1912-13、1919-20、1921-22、1924-25、1925-26、1927-28、1941-42、1950-51、1951-52、1952-53、1956-57、1958-59、1962-63、
- 1967-68、1970-71、1977-78、1980-81、1982-83、1987-88、1989-90、1996-97、1997-98、2008-09
- スペインリーグカップ
- 2回
- 1982-83、1985-86
- スペインスーパーカップ
- 7回
- 1984年、1992年、1993年、1995年、1997年、2005年、2006年
[編集] 国際タイトル
- UEFAチャンピオンズリーグ
- 3回
- 1991-92、2005-06、2008-09
- UEFAカップウィナーズカップ
- 4回
- 1978-79、1981-82、1988-89、1996-97
- UEFAカップ
- 3回(フェアーズ・カップ優勝含む)
- 1955-1958、1958-1960、1965-1966
- UEFAスーパーカップ
- 2回
- 1992年、1997年
- ラテン・カップ
- 2回
- 1949年、1952年
[編集] 近年の成績
| シーズン | 国内リーグ | コパ・デル・レイ | UEFA CL | UEFAカップ | クラブW杯 |
|---|---|---|---|---|---|
| 2001-02 | 4位 | 初戦敗退 | ベスト4 | ---- | ---- |
| 2002-03 | 6位 | 初戦敗退 | ベスト8 | ---- | ---- |
| 2003-04 | 2位 | ベスト8 | ---- | ベスト16 | ---- |
| 2004-05 | 優勝 | 初戦敗退 | ベスト16 | ---- | ---- |
| 2005-06 | 優勝 | ベスト8 | 優勝 | ---- | 出場権なし |
| 2006-07 | 2位 | ベスト4 | ベスト16 | ---- | 準優勝 |
| 2007-08 | 3位 | ベスト4 | ベスト4 | ---- | 出場権なし |
| 2008-09 | 優勝 | 優勝 | 優勝 | ---- | 出場権なし |
[編集] 歴代スタジアム
- カレル・インダストリア 1908 - 1922
- レス・コルツ 1922 - 1957
- カンプ・ノウ 1957 - 現在
[編集] 歴代監督
[編集] 歴代会長
| 氏名 | 国籍 | 期間 |
|---|---|---|
| ウォルター・ワイルド | 1899-1901 | |
| バルトミュー・テラデス | 1901-1902 | |
| ポール・ハース | 1902-1903 | |
| アルサー・ウィティー | 1903-1905 | |
| ジョセップ・ソラー | 1905-1906 | |
| ジュリ・マリアル | 1906-1908 | |
| ヴィセン・レイグ | 1908 | |
| ハンス・カンパー | 1908-1909 | |
| オット・グメリン | 1909-1910 | |
| ハンス・カンパー | 1910-1913 | |
| フランシス・デ・モホ | 1913-1914 | |
| アルバー・プレスタ | 1914 | |
| ホアキン・ペリス・デ・バーガス | 1914-1915 | |
| ラファエル・ロパート | 1915-1916 | |
| ガスパー・ロセス | 1916-1917 | |
| ハンス・カンパー | 1917-1919 | |
| リカルド・グラエルス | 1919-1920 | |
| ガスパー・ロセス | 1920-1921 | |
| ハンス・カンパー | 1921-1923 | |
| エリック・カルドナ | 1923-1924 | |
| ハンス・カンパー | 1924-1925 | |
| アラディー・バラガー | 1925-1929 | |
| トーマス・ロセス | 1929-1930 | |
| ガスパー・ロセス | 1930-1931 | |
| アントニ・オリバー | 1931 | |
| ジョアン・コマ | 1931-1934 | |
| エステベ・サーラ | 1934-1935 | |
| ジェセップ・スニョール・ガリーガ | 1935-1936 | |
| エンリケ・ピネイロ | 1940-1942 | |
| ジョセフ・ヴィダル・リバス | 1942 | |
| エンリケ・ピネイロ | 1942-1943 | |
| ジョセフ・アントニ・デ・アルベルト | 1943 | |
| ジョセフ・ヴェンドレル | 1943-1946 | |
| アグスティ・モンテリ・ガロバルト | 1952-1953 | |
| エンリック・マルティ | 1952-1953 | |
| ミロ・サンス | 1953-1961 | |
| エンリック・ラウデ | 1961-1968 | |
| ナルシス・デ・カレーラス | 1968-1969 | |
| アグスティ・モンタル | 1969-1977 | |
| レイモン・カラスコ | 1977-1978 | |
| ホセ・ルイス・ヌニェス | 1978-1999 | |
| ジョアン・ガスパール | 1999-2003 | |
| エンリック・レイナ | 2003 | |
| ジョアン・ラポルタ | 2003- |
[編集] 歴代所属選手
(カンテラ出身選手は、公式戦でのトップチーム・デビュー年度から表記)
[編集] GK
リカルド・サモラ 1919-1923
フェレンツォ・プラトコ 1923-1930
アントニ・ラマレッツ 1947-1962
サルバドール・サドゥルニ 1960-1976
フランセスコ・ウルッティ 1981-1988
アンドニ・スビサレッタ 1986-1994
ビトール・バイーア 1996-1999
ルート・ヘスプ 1997-2000
フランセスク・アルナウ 1998-2001
ホセ・マヌエル・レイナ 2001-2002
ロベルト・ボナーノ 2001-2003
ビクトール・バルデス 2003-
リュシュテュ・レチベル 2003-2004
アルベルト・ジョルケラ 2004-
ルーベン・マルティネス 2004-2007
ホセ・マヌエル・ピント・コロラド 2008-
[編集] DF
ミゲリ 1973-1989
ラモン・アレサンコ 1980-1993
ロナルド・クーマン 1989-1995
ナンド 1990-1992
アルベルト・フェレール 1990-1998
ミゲル・アンヘル・ナダル 1991-1999
セルジ 1993-2002
アベラルド 1994-2002
ゲオルゲ・ポペスク 1995-1997
ローラン・ブラン 1996-1997
ウィンストン・ボハルデ 1997-2001
ミハエル・ライツィハー 1997-2004
グベンガ・オクノウォ(Gbenga Okunowo) 1998-2002
フランク・デ・ブール 1999-2003
フレデリック・デウ 1999-2000
カルレス・プジョル 1999-
フランチェスコ・ココ 2001-2002
フィリップ・クリスタンヴァル 2001-2003
パトリック・アンデション 2001-2004
ファン・パブロ・ソリン 2002-2003
ジョバンニ・ファン・ブロンクホルスト 2003-2007
ラファエル・マルケス 2003-
オレゲール 2003-2008
ジュリアーノ・ベレッチ 2004-2007
シウビーニョ 2004-
エジミウソン 2004-2008
ダミア 2004-2005
ロドリ 2004-2006
ジャンルカ・ザンブロッタ 2006-2008
リリアン・テュラム 2006-2008
エリック・アビダル 2007-
ガブリエル・ミリート 2007-
ジェラール・ピケ 2008-
ダニエウ・アウヴェス 2008-
マルティン・カセレス 2008-
[編集] MF
ジョゼップ・サミティエール 1919-1933
ドメネク・バルマーニャ 1935-1937
ルイス・スアレス 1954-1961
ペドロ・マリア・ザバルザ 1968-1974
ヨハン・ニースケンス 1974-1979
ベルント・シュスター 1980-1988
アイトール・ベギリスタイン 1988-1995
エウセビオ 1988-1995
ホセ・マリア・バケーロ 1988-1997
ギジェルモ・アモール 1988-1998
ヨン・アンドニ・ゴイコエチェア 1990-1994
ジョゼップ・グアルディオラ 1990-2001
ゲオルゲ・ハジ 1994-1996
ジョルディ・クライフ 1994-1996
ロベルト・プロシネチキ 1995-1996
イバン・デ・ラ・ペーニャ 1995-1998
アルベルト・セラーデス 1995-1999
ジオヴァンニ 1996-1999
エマニュエル・アムニケ 1996-2000
ルイス・エンリケ 1996-2004
シャビ 1998-
ボウデヴィン・ゼンデン 1998-2001
フィリップ・コクー 1998-2004
ガブリ 1999-2006
ロナルド・デ・ブール 1999-2000
ヤリ・リトマネン 1999-2001
エマニュエル・プティ 2000-2001
リバウド 1997-2002
マルク・オーフェルマルス 2000-2004
ジェラール・ロペス 2000-2004
ファビオ・ロッチェンバック 2001-2003
ジェオヴァンニ 2001-2003
ティアゴ・モッタ 2001-2007
アンドレス・イニエスタ 2002-
フアン・ロマン・リケルメ 2002-2003
ガイスカ・メンディエタ 2002-2003
ルイス・ガルシア 2003-2004
リカルド・カレスマ 2003-2004
エドガー・ダーヴィッツ 2004
デコ 2004-2008
デメトリオ・アルベルティーニ 2004-2005
ジョアン・ベルドゥ 2005
マルク・ファン・ボメル 2005-2006
ヤヤ・トゥーレ 2007-
セイドゥ・ケイタ 2008-
アレクサンドル・フレブ 2008-
[編集] FW
パウリノ・アルカンタラ 1912-1916,1918-1927
イラリオ 1939-1940
マリアーノ・マルティン 1939-1946
セサル 1939-1954
エスタニスラオ・バソラ 1946-1958
ラディスラオ・クバラ 1951-1961
サンドール・コチシュ 1958-1965
ペドロ・ザバラ 1961-1967
ホセ・アントニオ・ザルドゥア 1961-1971
カルロス・レシャック 1965-1981
ヨハン・クライフ 1973-1978
アラン・シモンセン 1979-1982
ハンス・クランクル 1980-1981
キニ 1980-1984
ディエゴ・マラドーナ 1982-1984
ラウル・アマリージャ 1985-1988
ゲーリー・リネカー 1986-1989
フリオ・サリナス 1988-1994
ミカエル・ラウドルップ 1989-1994
フリスト・ストイチコフ 1990-1995,1996-1998
ロマーリオ 1993-1995
ルイス・フィーゴ 1995-2000
ロナウド 1996-1997
クリストフ・デュガリー 1997-1998
ソニー・アンデルソン 1997-1999
パトリック・クライファート 1998-2004
シモン・サブローザ 1999-2001
ダニ 1999-2004
ハルナ・ババンギダ 2001-2002
ハビエル・サビオラ 2001-2004, 2006-2007
セルヒオ・ガルシア 2003-2004
ロナウジーニョ 2003-2008
ヘンリク・ラーション 2004-2006
サミュエル・エトオ 2004-
リオネル・メッシ 2004-
マクシ・ロペス 2004-2006
クリスティアン・イダルゴ・ゴンサレス 2004-2006
リュドビク・ジュリ 2004-2007
サンティアゴ・エスケーロ 2005-2008
エイドゥル・グジョンセン 2006-
ティエリ・アンリ 2007-
ボージャン・クルキッチ 2007-
[編集] 歴代バロンドール受賞選手
(受賞時 FCバルセロナ所属)
ルイス・スアレス 1960
ヨハン・クライフ 1973 1974
フリスト・ストイチコフ 1994
リバウド 1999
ロナウジーニョ 2005
[編集] 歴代FIFA最優秀選手賞
(受賞時 FCバルセロナ所属)
[編集] 歴代リーガ・エスパニョーラ得点王
(受賞時 FCバルセロナ所属)
| 氏名 | 国籍 | シーズン | 得点 | 試合数 | 平均得点 |
|---|---|---|---|---|---|
| マリアーノ・マルティン | 1942-43 | 32 | 23 | 1.39 | |
| セサール・ロドリゲス | 1948-49 | 28 | 24 | 1.16 | |
| カジェタノ・レー | 1964-65 | 25 | 30 | 0.83 | |
| カルロス・レシャック | 1970-71 | 17 | 28 | 0.60 | |
| ハンス・クランクル | 1978-79 | 29 | 30 | 0.96 | |
| キニ | 1980-81 | 20 | 30 | 0.66 | |
| キニ | 1981-82 | 26 | 32 | 0.81 | |
| ロマーリオ | 1993-94 | 30 | 33 | 0.90 | |
| ロナウド | 1996-97 | 34 | 37 | 0.91 | |
| サミュエル・エトー | 2005-06 | 26 | 35 | 0.74 |
[編集] 歴代サモラ賞受賞者
(受賞時 FCバルセロナ所属)
| 氏名 | 国籍 | シーズン | 被得点 | 試合数 | 失点率 |
|---|---|---|---|---|---|
| ジョアン・ヴェラスコ | 1947-48 | 31 | 26 | 1.19 | |
| アントニ・ラマレッツ | 1951-52 | 40 | 28 | 1.42 | |
| アントニ・ラマレッツ | 1955-56 | 24 | 29 | 0.83 | |
| アントニ・ラマレッツ | 1956-57 | 35 | 29 | 1.20 | |
| アントニ・ラマレッツ | 1958-59 | 22 | 28 | 0.78 | |
| アントニ・ラマレッツ | 1959-60 | 24 | 27 | 0.88 | |
| ホセ・マニュエル・ペスド | 1965-66 | 15 | 22 | 0.68 | |
| サルバドール・サルドゥニ | 1968-69 | 18 | 30 | 0.60 | |
| ミゲル・レイナ | 1972-73 | 21 | 34 | 0.62 | |
| サルバドール・サルドゥニ | 1973-74 | 22 | 30 | 0.73 | |
| サルバドール・サルドゥニ | 1974-75 | 19 | 24 | 0.79 | |
| ペドロ・マリア・アルトーラ | 1977-78 | 25 | 29 | 0.86 | |
| フランセスコ・ウルッティ | 1983-84 | 26 | 32 | 0.81 | |
| アンドニ・スビサレッタ | 1986-87 | 29 | 43 | 0.67 | |
| ビクトル・バルデス | 2004-05 | 25 | 35 | 0.71 | |
| ビクトル・バルデス | 2008-09 | 31 | 35 | 0.89 |
[編集] 個人記録
(すべて、FCバルセロナ内での最多記録)
- 通算最多得点:パウリノ・アルカンタラ(1912-1927)
- 357試合357ゴール(親善試合215ゴール、国王杯5ゴール、カタルーニャリーグ98ゴール、スペインリーグ35ゴール、ピレネーカップ3ゴール、バルセロナカップ1ゴール)
- 1シーズン最多得点:クレメンテ・グラシア(1921-22)
- 50試合59ゴール(親善試合35ゴール、カタルーニャリーグ19ゴール、スペインリーグ5ゴール)
- リーガ・エスパニョーラ通算最多得点:セサール・ロドリゲス(1942-1955)
- 195ゴール
- リーガ・エスパニョーラ連続得点:マリアーノ・マルティン(1942-43[7])
- 連続10試合18ゴール
- 欧州大会最多得点:リバウド(1997-2002)
- 31ゴール(チャンピオンズリーグ25ゴール、UEFAカップ5ゴール、欧州スーパーカップ1ゴール)
- 1試合最多得点ハンス・カンパー
- 9得点(計3回)
- 1901年2月10日 マヤカカップ 対フランコエスパニョール戦 (エスパニョール0-FCバルセロナ13)
- 1901年3月17日 マヤカカップ 対タラゴナ戦 (タラゴナ0-FCバルセロナ18)
- 1903年2月1日 バルセロナカップ (対戦相手不明、FCバルセロナがホームで13-0の勝利)
- サモラ賞最多受賞:アントニ・ラマレッツ
- 5回(1951-52、1955-56、1956-57、1958-59、1959-1960)
- 最長無失点:ミゲル・レイナ(1972-73)
- 824分(リーガ・エスパニョーラ第14節の53分から第23節の67分まで)
- 最多出場 (カップ戦なども含む):ミゲリ(1973-1989)
- 通算664試合出場
- リーガ・エスパニョーラ最多出場:ミゲリ(1973-1989)
- 通算391試合出場
- 国際大会最多出場:シャビ・エルナンデス(1998-[8])
- 通算86試合出場(チャンピオンズリーグ70試合、UEFAカップ13試合、欧州スーパーカップ1試合、クラブワールドカップ2試合)
- 最年少トップチームデビュー:パウリノ・アルカンタラ
- 15歳4ヶ月18日(1912年2月25日 カタルーニャリーグ 対カタルSC戦)
- 最年少得点:パウリノ・アルカンタラ
- 15歳4ヶ月18日(1912年2月25日 カタルーニャリーグ 対カタルSC戦で3得点。 (FCバルセロナ9 - カタルSC0)
- リーガ・エスパニョーラ最年少得点:ボージャン・クルキック
- 17歳2ヶ月(2007年10月20日 リーガ・エスパニョーラ第8節ビジャレアルCF戦)
- 最長在任監督:ジャック・グリーンウェル
- 通算9年間 (1917-1924,1931-1933)
- 連続最長在任監督:ヨハン・クライフ
- 8年間 (1988-1996)
[編集] 脚注
- ^ その他、バレーボールやハンドボールチームも存在する。それらについてはFCバルセロナ (曖昧さ回避)参照
- ^ "FCBarcelona.cat". FCBarcelona.cat. 2009-01-21 閲覧。
- ^ 2007年までバルサCが存在していたが、バルサB(当時)のテルセーラ・ディビシオン降格にともない、消滅した。
- ^ 2008年8月27日現在
- ^ 括弧内はその他の保有国籍、あるいは出身地域の旗。またEU旗はコトヌー協定を表す。
- ^ カンテーラ所属選手はバルサ・アトレティック参照
- ^ 1942-1943シーズン第19節(1943年2月14日)から1943-1944シーズン第2節(1943年10月3日)まで。
- ^ 2007年12月12日現在
[編集] 関連項目
- バルサアトレティック
- バルサTV
- サッカー スーパーレッスン〜バルサのテクニックをキミたちに!〜
- ジミー・ジャンプ・・・実に迷惑なバルサファン
- バルセロナSC
- キャプテン翼・・・翼がバルセロナに所属している
[編集] 外部リンク
- FC Barcelona
- FCバルセロナ日本語公式サイト
- FCバルセロナ公認 ソシオ入会受付オフィス(日本語)
- FCバルセロナ キッズキャンプ 2009(日本語)
- ホームユニフォーム(08-09)
- アウェイユニフォーム(08-09)
- サードユニフォーム(08-09)
- Network Organisation Football Agency Ltd.
- FC Barcelona Stadium redevelopment by Norman Foster (英語)
| FCバルセロナ - 現所属メンバー |
|---|
|
1 V・バルデス | 2 カセレス | 3 ピケ | 4 マルケス | 5 プジョル | 6 シャビ | 7 グジョンセン | 8 イニエスタ | 9 エトオ | 10 メッシ | 11 ボージャン | 13 ピント | 14 アンリ | 15 ケイタ | 18 G・ミリート | 20 D・アウヴェス | 21 フレブ | 22 アビダル | 24 トゥーレ・ヤヤ | 25 ジョルケラ | 26 オイエル | 27 ペドロ | 28 ブスケ | 29 V・サンチェス | 30 V・バスケス | 31 ジェフレン | 32 ミーニョ | 35 アブラン | 36 ボティア 監督: グアルディオラ |
|
ラ・リーガ プリメーラ・ディビシオン, 2008-09
|
|
|---|---|
|
|
|
|
|
欧州クラブ協会(ECA) 創立メンバー
|
|
|

