FCバルセロナ

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FCバルセロナ
原語表記 Fútbol Club Barcelona
愛称 Barça、Azulgrana、Blaugrana、Culers
クラブカラー 青とえんじ
創設年 1899年
所属リーグ リーガ・エスパニョーラ
所属ディビジョン プリメーラ・ディビシオン
ホームタウン バルセロナ
ホームスタジアム

カンプ・ノウ
収容人数 98,787
代表者 スペインジョアン・ラポルタ
監督 スペインジョゼップ・グアルディオラ
公式サイト 公式サイト
  サッカークラブPJ

FCバルセロナFutbol Club Barcelona)は、スペインバルセロナを本拠地とするサッカークラブチーム[1]である。

目次

[編集] 概要

欧州CL 2005-06優勝パレード

FCバルセロナは1899年に創設されたカンプ・ノウをホームスタジアムとし、リーガ・エスパニョーラに所属するサッカークラブである。愛称は「バルサ(Barça)」、またはクラブカラーから「ブラウ・グラーナ(Blau Grana えんじと青)」と呼ばれる。数々のタイトルを獲得したヨーロッパでも屈指のビッグクラブ、名門クラブであり、リーガ創立以来2部以下に落ちたことがない。これは他にレアル・マドリードアスレティック・ビルバオのみである。

クラブ以上の存在(Més Que Un Club)」がクラブのスローガンであり、ユニフォームの後襟にもこの言葉がプリントされている。また、「攻撃的でスペクタクルなフットボール」をクラブのアイデンティティとしており、試合に勝ったとしても内容が伴わなければサポーターから容赦ないブーイングが浴びせられる。このような習慣はリーガ全体に存在するが、FCバルセロナは特にこの傾向が顕著である。結果よりも内容の価値が遥かに大きい点でこのクラブは“特異”な存在であるとも言える。 1-0で勝つより4-5で負ける方が良いとも例えられる。

クラブ運営上の特徴として一般市民などからの会費(ソシオ)を募り、これで運営している点が挙げられる。ソシオの会員は現在世界中で14万に達しており、日本でも、2004年6月より日本でのソシオ会員の募集が行われている。

サッカーのみならず政治的・地域的に長年の対立関係にある首都マドリードのレアル・マドリードとは長年のライバルである。このレアル・マドリードとの試合はエル・クラシコ(El Clásico)と呼ばれ、100年近く因縁の対決を続けており、スペイン国内だけでなく世界的にも注目度の高いイベントである。また、同じバルセロナを本拠地とするエスパニョールとの試合は、バルセロナダービーと呼ばれ、これもリーガ屈指の注目度を誇る対戦である。

また、レアル・マドリードとの対立関係から同じくレアル・マドリードをライバルとするアトレティコ・マドリードとの関係は良好であるが、対戦成績が奮わない相手であり、リーガ優勝を果たした2005-06シーズンにおいても2006年2月6日にホームスタジアムカンプ・ノウでの無敗記録、リーガ連勝記録を14で止められている。

カンテラ」と呼ばれる下部組織が非常に発達しており、数々の名選手が輩出されている。また、FCバルセロナ・アトレティック出身の選手はサポーターから絶大な声援を受ける。

エクアドルのサッカークラブ、バルセロナSCはバルセロナからの移民がエクアドルのグアヤキルで設立したもので、クラブ自体には何の繋がりも無い。ただ、エンブレムは非常に似ており、FCバルセロナも親善試合を行ったことがある。

練習場はシウター・エスポルティーバ・ジョアン・ガンペールを使用している。

[編集] 歴史

[編集] 創立期

1899年スイス人実業家ハンス・カンパーら11名により創立された。この時、上記の「えんじと青」のチームカラーが決められたが、このチームカラーとなったのは、カンパーの縁深かったFCバーゼルのチームカラーに由来すると一般的には信じられている[2]。なお、初代会長はイギリス人のウォルター・ワイルドであるが、初期のチーム関係者にはスイス人も多かった。

1929年から続くリーガ・エスパニョーラの初代王者である。

レアル・マドリードとの対戦はエル・クラシコと呼ばれ、1902年の第1回コパ・デルレイ(スペイン国王杯)から因縁の対決(3-1でバルセロナの勝利)を続けている。その背景には、プリモ・デ・リベラ将軍による独裁政権時代(1923年-1930年)とフランコ独裁政権時代(1939年-1975年)のカタルーニャ弾圧がある。当時、カタルーニャの人々は自分たちの言葉・カタルーニャ語を話す事が許されずスタジアムの中でだけそれが許された。これによりスペインサッカー界の軸は、バルセロナとアスレティック・ビルバオからフランコの支援をうけたレアル・マドリードへと移った。

この時代、主力のホセ・サミティエールがレアル・マドリードに移籍したが、これは後にベルント・シュスターミカエル・ラウドルップルイス・フィーゴと続く「裏切り」と呼ばれるバルセロナからレアル・マドリードへの最初の移籍である。また逆にルイス・エンリケは、レアル・マドリードからバルセロナに移籍した選手である。選手の引き抜きにおいてもレアル・マドリードとは因縁があり、アルフレッド・ディ・ステファノヨハン・クライフらを巡って争奪戦を繰り広げた。

[編集] ホセ・ルイス・ヌニェス会長時代

1978年にソシオ 参加による初の民主的な選挙によって誕生した。ヌニェスが会長に就任して以来、経営基盤を安定させる事に務め、カンプ・ノウスタジアムの改築による観客収容数の増加、有名選手の獲得による経済波及効果でクラブの収益を上げ、ソシオ会員数を大幅に増加させて現在の繁栄を築いた。また、自ら公約に掲げた「若手育成の充実」を計るため、ラ・マシアと呼ばれる寮を開設し、スペイン全土から優秀な若者を集めるようになる。

チームは1980年代半ばには、UEFAチャンピオンズ・カップの決勝に進出した。一方でヌニェスの独裁的な言動が災いし、1988年4月28日に契約問題から選手側と対立、シーズン終了後に選手の大量解雇、残留した選手は9人という異常事態に発展する。5月、オランダのヨハン・クライフを監督に迎える。しかし、1987-1988、1988-1989、1989-1990シーズンの成績は期待を大きく裏切るものであり、当然ソシオはクライフの解任を要求したが、クラブ側はクライフの続投を選択した。これほど不本意な成績で続投されるケースは珍しいことではあるが、続投された要因として、当時ヌニェスと選手側との間には大きな溝があり、この差を埋めるには、クラブのOBでもあるクライフが最適であったと考えられる。いずれにせよ、クライフにとってはチームを作るための十分な時間が確保できたこと、有力選手の獲得ができたことで、エル・ドリーム・チームと呼ばれるほど、チームはその豪華なメンバーと強さで、リーガ4連覇とUEFAチャンピオンズリーグ初制覇を果たす。

1996-1997シーズンは、ボビー・ロブソンを監督に招聘し、ロブソン監督の通訳として、モウリーニョを起用している。このシーズンはロナウドが得点王に輝いた。

1997-1998シーズンに、アヤックスで実績を残したルイス・ファン・ハールを監督に迎える。このシーズンはリーガと国王杯の2冠を達成し、翌シーズンには圧倒的な強さでリーグ優勝を果たした。一方で、オランダ出身選手を重用し、地元カタルーニャ出身者を冷遇し続け、特にクライフ監督時代に活躍した選手を放出していった結果、「バルサ版アヤックス」と呼べるような布陣となった。また、2シーズンでUEFAチャンピオンズ・リーグの予選リーグでの敗退、国王杯のボイコット事件などはソシオの反発を招き、2000年にヌニェスは会長を辞任し、シーズン終了後にファン・ハールはクラブを去った。

[編集] ジョアン・ガスパール会長時代

2000年代初頭にかけては成績が低下し、タイトルから遠ざかるどころかUEFAチャンピオンズ・リーグ出場権を獲得するのがやっとの状態が続いた。2000年には、チームの主力であるルイス・フィーゴがバルセロナからレアル・マドリードに移籍した際に激しい反発を呼び、カンプ・ノウでの試合では激しいブーイングと物の投げ込みにより、一時試合が中断される騒ぎとなった(2002年11月23日のクラシコ)。また、主力でもあったジョゼップ・グアルディオラが退団したことで、チームのバランスが崩れていった。2002年にファン・ハールが監督に復帰したものの、ファン・ハール自身のオランダ代表でのふがいない成績によるマイナスイメージに加えて、リバウドの放出、オランダ出身選手の高齢化もチームにとっては負担となった。シーズン途中でファン・ハールは辞任した。

[編集] ジョアン・ラポルタ会長時代

2003-2004シーズンにフランク・ライカールトが監督に就任した。ライカールトの指揮経験不足、急造チームという特性上の問題、2000年から続く負のサイクルなどからチームは中位に低迷したが、冬にエドガー・ダービッツが加入してからは、チームは勝ち星を重ね最終節で何とかリーグ2位を確保した。2004-2005シーズンはオランダ出身選手を大量放出したが、ロナウジーニョを中心としたチームに変貌し、圧倒的な強さでリーグ優勝した。翌シーズンにリーグ連覇と2度目のUEFAチャンピオンズリーグ制覇を達成する。

2006年7月21日、「ラポルタは任期切れである」との反対派陣営からの訴えをバルセロナ地裁が認めたため、この判決を受けてラポルタは26日に会長職を辞任、新たに会長選挙が行われる事となった。しかし、サッカー部門の成績やクラブ財政再建も上々で仕事ぶりに異を唱える声は少なく、結局他の立候補者がなかったため自動的に再任された。

2008年5月には過去2シーズンに渡る内容・結果両面での不振の責任を問い、ソシオの1人である弁護士オリオル・ジラルト氏が中心なってラポルタ役員会に対する不信任案が提出された。不信任投票実施には総ソシオの5%、約5,900名の署名が必要であったが、最終的に約9,000人もの署名が集まり、7月6日に不信任投票が実施された。開票の結果は不信任票60.8%。過半数が不信任という結果となったものの解任の為の規定数(全投票数の3分の2)にはわずかに足りず、ラポルタ会長の続投となった。

2006-2007シーズンは3連覇は堅いと予想されたが、開幕前のUEFAスーパーカップではセビージャ相手に大敗する。リーグでは優勝戦線に留まってはいたが、終盤にレアル・マドリードに勝ち点で逆転されてリーグ優勝を逃した。2007-2008シーズンもリーグ優勝を逃し、責任を負う形でライカールトは監督を退任した。

2008-2009シーズン、覇権奪回を目指すため、グアルディオラが監督に就任した。このシーズンは選手の補強よりも放出が目立った。それでも、余剰戦力の整理がついたことやメッシを中心としたチームになったことで、「史上最強のバルサ」と呼ばれるほどのチームとなった。コパ・デル・レイリーガ・エスパニョーラUEFAチャンピオンズリーグのすべてを制覇し、スペイン勢史上初の3冠の偉業を達成した。

[編集] 下部組織

[編集] 概要

FCバルセロナも他のスペイン国内クラブ同様、カンテラと呼ばれるユースチームを所有している。世界各国から優秀な若者を集め、グアルディオラメッシなどをトップチームに送り出している。

現在でこそ、名プレーヤーを輩出することで知られているが、そのきっかけとなる出来事は1979年にまでさかのぼる。当時のホセ・ルイス・ヌニェス会長が自ら公約に掲げた「若手育成の充実」を計るため、ラ・マシアと呼ばれる寮を開設し、スペイン全土から優秀な若者を集めるようになる。ラ・マシア開設から数年間、目立った成果はあげられなかったが、1988年クライフ監督が就任する頃には、アモール、グアルディオラ、セルジら若手がトップチームに定着するようになる。“クライフの子供たち”と呼ばれた彼らは、リーガ4連覇を果たしエル・ドリーム・チームと呼ばれたFCバルセロナの一員として活躍した。

近年ではシャビイニエスタセスクといったスペイン代表の中軸を担うピボーテを中心に、“リトルブッダ”の愛称で親しまれたデ・ラ・ペーニャ、現在のトップチームでキャプテンを務めるプジョル、リーガ新人最多得点記録のボージャンらを育成している。

スペインでは法律により18歳になるまではプロ契約ができないため、近年では育成した選手がトップチームに昇格する直前にイングランドのクラブに引き抜かれる事件がしばしば起きている。アーセナルにはセスクとフランリバプールにはパチェコマンチェスター・ユナイテッドにはピケが引き抜かれている。

しかしバルセロナ自身、当時12歳だったアルゼンチンリバープレートエリック・ラメラを家族ごとスペインにつれてこようとし、アルゼンチン国内で批判を巻き起こすなど、とくに南米で類似の問題を引き起こしている。とはいえ、若年の原石をスカウトして育てようとする点とトップデビューまで育てられた選手を引き抜こうとしている点、例え選手として大成しなくともその後の生活についてしっかりと面倒を見る点で異なっている。

[編集] 組織形態

ユースチームは能力や年齢によって、以下の11チームに分けられている。

名称 対象年齢 責任者
バルサ・アトレティック[3] 全年齢 ルイス・エンリケ
フベニルA 17歳〜20歳
フベニルB 17歳〜18歳 セルジ・バルフアン
カデッテA 15歳〜16歳
カデッテB
インファンティルA 13歳〜14歳
インファンティルB
アレビンA 12歳
アレビンB 11歳
ベンジャミンA 10歳
ベンジャミンB 9歳〜10歳

[編集] ユニフォーム

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ユニフォームの色
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st) 青とえんじ えんじ
FP(2nd) 黄色 紺色 黄色
GK(1st)
GK(2nd)
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
FP 1st
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
FP 2nd
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
GK 1st
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
GK 2nd
  • 一般に多くのサッカークラブではユニフォームにスポンサーのロゴを入れているが、FCバルセロナはソシオにより運営していることから、スポンサーのロゴを入れないことがクラブの伝統となっている。
  • 上記のような伝統があるが、2006年に児童福祉活動への支援という観点から、ユニセフと毎年190万ドルの寄付、総額950万ドル寄付の5年契約で合意した。これにより、2006年9月12日から史上初めて胸にロゴを入れたユニフォームを着用している。なお、ロゴ本来の色は白であるが、白は宿敵であるレアル・マドリードのチームカラーでもあるため、ホームは黄色、アウェイは水色のロゴになった。
  • 1999-2000シーズン後半は、クラブ創立100周年ユニフォームが使用された。現在、ファーストユニフォームはこのユニフォームをベースとしたデザインとなっている。
  • 2005-06シーズンのファーストユニフォームのパンツはえんじ色だった。
  • 2ndユニフォームの配色は毎年異なる。2007-08シーズンはシャツ、パンツ共に水色、2006-07シーズンはシャツ、パンツ共にオレンジ色だった。
  • 例年、前年の2ndユニフォームはサードユニフォームとして使用される。
  • バスケットボールなど、サッカー以外のチームでも青色とえんじ色の縦ストライプのユニフォームを用いている。こちらはフットボール部門とは違い、商業的な胸スポンサーロゴ契約が結ばれている。

[編集] メンバーとフォーメーション[4]

[編集] 現所属メンバー[5][6]

No. Pos. 選手名
1 スペインの旗 GK ビクトール・バルデス (/第3キャプテン)
2 ウルグアイの旗 DF マルティン・カセレス ()
3 スペインの旗 DF ジェラール・ピケ ()
4 メキシコの旗 DF ラファエル・マルケス ()
5 スペインの旗 DF カルレス・プジョル (/キャプテン)
6 スペインの旗 MF シャビ (/副キャプテン)
7 アイスランドの旗 FW エイドゥル・グジョンセン
8 スペインの旗 MF アンドレス・イニエスタ (第4キャプテン)
9 カメルーンの旗 FW サミュエル・エトオ ()
10 アルゼンチンの旗 FW リオネル・メッシ ()
11 スペインの旗 FW ボージャン・クルキッチ ()
13 スペインの旗 GK ホセ・マヌエル・ピント
No. Pos. 選手名
14 フランスの旗 FW ティエリ・アンリ
15 マリの旗 MF セイドゥ・ケイタ ()
16 ブラジルの旗 DF シウヴィーニョ ()
18 アルゼンチンの旗 DF ガブリエル・ミリート ()
20 ブラジルの旗 DF ダニエウ・アウヴェス ()
21 ベラルーシの旗 MF アレクサンドル・フレブ
22 フランスの旗 DF エリック・アビダル
24 コートジボワールの旗 MF トゥーレ・ヤヤ ()
25 スペインの旗 GK アルベルト・ジョルケラ ()
27 スペインの旗 FW ペドロ
28 スペインの旗 MF セルジ・ブスケ ()
29 スペインの旗 DF ビクトール・サンチェス ()
EU外選手枠(3人まで)
監督 & 助監督

[編集] レンタル移籍中の選手

out

[編集] フォーメーション

<4-3-3> 2004年から現在までこのシステムを採用。


フォーメーションの特徴として、まず両サイドバックがかなりの頻度で攻撃参加する。今シーズンは右サイドバックのD.アウヴェスが常に前線に顔を出している。また、バックラインは中盤をコンパクトにするため、他チームにくらべ断然高い。そのため、ディフェンスとゴールキーパーの間の膨大なスペースを埋めるため、V.バルデスには攻撃時はボール回しへの参加、守備時には素早い飛び出しが求められる。

中盤はトゥーレがバランサーで、シャビイニエスタらがパサー、前線への飛び出しなどを担っている。

フォワードの三人は自由度が高く、ポジションチェンジが多い。右サイドに左利きのメッシ、左に右利きのアンリを置いているのは、この二人が純粋なウイングではなく、ドリブル、ワンツーなどで中に切り込んでシュートという形が多いためである。また、守備時にはエトーを中心として前線から激しいプレッシャーを掛けるのも特徴である。

攻撃は全員参加の速いパス回し、守備は全員で素早いプレスというのがチーム全体の基本的な戦術である。

[編集] 09/10移籍

詳細は「en:List of Spanish football transfers summer 2009」を参照

[編集] タイトル

[編集] 国内タイトル

リーグ 
19回
1928-29、1944-45、1947-48、1948-49、1951-52、1952-53、1958-59、1959-60、1973-74、1984-85、1990-91、1991-92、1992-93、1993-94、1997-98、
1998-99、2004-05、2005-06、2008-09
コパ・デル・レイ 
25回
1909-10、1911-12、1912-13、1919-20、1921-22、1924-25、1925-26、1927-28、1941-42、1950-51、1951-52、1952-53、1956-57、1958-59、1962-63、
1967-68、1970-71、1977-78、1980-81、1982-83、1987-88、1989-90、1996-97、1997-98、2008-09
スペインリーグカップ 
2回
1982-83、1985-86
スペインスーパーカップ 
7回
1984年、1992年、1993年、1995年、1997年、2005年、2006年

[編集] 国際タイトル

UEFAチャンピオンズリーグ 
3回
1991-92、2005-06、2008-09
UEFAカップウィナーズカップ 
4回
1978-79、1981-82、1988-89、1996-97
UEFAカップ 
3回(フェアーズ・カップ優勝含む)
1955-1958、1958-1960、1965-1966
UEFAスーパーカップ 
2回
1992年、1997年
ラテン・カップ 
2回
1949年、1952年

[編集] 近年の成績

シーズン 国内リーグ コパ・デル・レイ UEFA CL UEFAカップ クラブW杯
2001-02 4位 初戦敗退 ベスト4 ---- ----
2002-03 6位 初戦敗退 ベスト8 ---- ----
2003-04 2位 ベスト8 ---- ベスト16 ----
2004-05 優勝 初戦敗退 ベスト16 ---- ----
2005-06 優勝 ベスト8 優勝 ---- 出場権なし
2006-07 2位 ベスト4 ベスト16 ---- 準優勝
2007-08 3位 ベスト4 ベスト4 ---- 出場権なし
2008-09 優勝 優勝 優勝 ---- 出場権なし

[編集] 歴代スタジアム

[編集] 歴代監督

氏名 国籍 期間
ジョン・バロー イングランドの旗 イングランド 1917
ジャック・グリーンウェル イングランドの旗 イングランド 1917-1924
ジェスツァ・ポスゾニー ハンガリー 1924-1925
ラルフ・カービー イングランドの旗 イングランド 1925-1926
ジャック・デムビー イングランドの旗 イングランド 1926-1927
ローマ・フォルンス スペイン 1927-1929
ジェームス・ベラミー イングランドの旗 イングランド 1929-1931
ジャック・グリーンウェル イングランドの旗 イングランド 1931-1933
ジャック・デムビー イングランドの旗 イングランド 1933-1934
フェレンツォ・プラトコ ハンガリー 1934-1935
パトリック・オコーネル アイルランド 1935-1936
ジョセップ・プラナス スペイン 1938-1941
ラモン・グスマン スペイン 1941-1942
ジョアン・ジョセップ・ノゲス スペイン 1942-1944
ホセ・サミティエール スペイン 1944-1947
エンリケ・フェルナンデス ウルグアイ 1947-1950
ラモン・ローレンス スペイン 1950
フェルナンド・ダウシク チェコ チェコ 1950-1954
サンドロ・プッポ イタリア 1954-1955
フェレンツォ・プラトコ ハンガリー 1955-1956
ドメネク・バルマナヤ スペイン 1956-1958
エレニオ・エレーラ アルゼンチン 1958-1960
エンリク・ラバッサ スペイン 1960
リュビサ・ブロチッチ クロアチア 1960-1961
エンリケ・オリサオラ スペイン 1961
ルイス・ミロ スペイン 1961-1962
ラディスラオ・クバラ ハンガリー 1962
ジョセップ・ゴンサルボ スペイン 1962-1963
セサル・ロドリゲス スペイン 1963-1964
ヴィセンツォ・サソ スペイン 1964-1965
ロケ・オルセン アルゼンチン 1965-1967
サルバドール・アルティガス スペイン 1967-1969
ジョセップ・セゲール スペイン 1969-1970
ビク・バッキンガム イングランドの旗 イングランド 1971-1975
リヌス・ミケルス オランダ 1971-1975
ヘネス・バイスバイラー 西ドイツ 1975-1976
ラウレアノ・ルイス スペイン 1976
リヌス・ミケルス オランダ 1976-1978
ルシアン・ミュラー フランス 1978-1979
ホアキム・リフェ スペイン 1979-1980
エレニオ・エレーラ アルゼンチン 1980-1981
ウド・ラテック 西ドイツ 1981-1983
ジョセップ・ルイス・ロメロ スペイン 1983
セサル・ルイス・メノッティ アルゼンチン 1983-1984
テリー・ヴェナブルズ イングランドの旗 イングランド 1984-1987
ルイス・アラゴネス スペイン 1987-1988
ヨハン・クライフ オランダ 1988-1996
カルロス・レシャック スペイン 1996
ボビー・ロブソン イングランドの旗 イングランド 1996-1997
ルイス・ファン・ハール オランダ 1997-2000
ロレンソ・セラ・フェレール スペイン 2000-2001
カルロス・レシャック スペイン 2001-2002
ルイス・ファン・ハール オランダ 2002-2003
ラドミール・アンティッチ セルビア・モンテネグロ 2003
フランク・ライカールト オランダ 2003-2008
ジョゼップ・グアルディオラ スペイン 2008-

[編集] 歴代会長

氏名 国籍 期間
ウォルター・ワイルド イングランドの旗 イングランド 1899-1901
バルトミュー・テラデス スペイン 1901-1902
ポール・ハース ドイツ 1902-1903
アルサー・ウィティー イングランドの旗 イングランド 1903-1905
ジョセップ・ソラー スペイン 1905-1906
ジュリ・マリアル 1906-1908
ヴィセン・レイグ 1908
ハンス・カンパー スイス 1908-1909
オット・グメリン ドイツ 1909-1910
ハンス・カンパー スイス 1910-1913
フランシス・デ・モホ 1913-1914
アルバー・プレスタ 1914
ホアキン・ペリス・デ・バーガス 1914-1915
ラファエル・ロパート 1915-1916
ガスパー・ロセス 1916-1917
ハンス・カンパー スイス 1917-1919
リカルド・グラエルス 1919-1920
ガスパー・ロセス 1920-1921
ハンス・カンパー スイス 1921-1923
エリック・カルドナ 1923-1924
ハンス・カンパー スイス 1924-1925
アラディー・バラガー 1925-1929
トーマス・ロセス 1929-1930
ガスパー・ロセス 1930-1931
アントニ・オリバー 1931
ジョアン・コマ 1931-1934
エステベ・サーラ 1934-1935
ジェセップ・スニョール・ガリーガ スペイン 1935-1936
エンリケ・ピネイロ スペイン 1940-1942
ジョセフ・ヴィダル・リバス 1942
エンリケ・ピネイロ スペイン 1942-1943
ジョセフ・アントニ・デ・アルベルト 1943
ジョセフ・ヴェンドレル 1943-1946
アグスティ・モンテリ・ガロバルト 1952-1953
エンリック・マルティ 1952-1953
ミロ・サンス 1953-1961
エンリック・ラウデ 1961-1968
ナルシス・デ・カレーラス 1968-1969
アグスティ・モンタル スペイン 1969-1977
レイモン・カラスコ 1977-1978
ホセ・ルイス・ヌニェス スペイン 1978-1999
ジョアン・ガスパール スペイン 1999-2003
エンリック・レイナ スペイン 2003
ジョアン・ラポルタ スペイン 2003-

[編集] 歴代所属選手

カンテラ出身選手は、公式戦でのトップチーム・デビュー年度から表記)

[編集] GK


[編集] DF


[編集] MF


[編集] FW


[編集] 歴代バロンドール受賞選手

(受賞時 FCバルセロナ所属)

[編集] 歴代FIFA最優秀選手賞

(受賞時 FCバルセロナ所属)

[編集] 歴代リーガ・エスパニョーラ得点王

(受賞時 FCバルセロナ所属)

氏名 国籍 シーズン 得点 試合数 平均得点
マリアーノ・マルティン スペイン 1942-43 32 23 1.39
セサール・ロドリゲス スペイン 1948-49 28 24 1.16
カジェタノ・レー パラグアイ 1964-65 25 30 0.83
カルロス・レシャック スペイン 1970-71 17 28 0.60
ハンス・クランクル スペイン 1978-79 29 30 0.96
キニ スペイン 1980-81 20 30 0.66
キニ スペイン 1981-82 26 32 0.81
ロマーリオ ブラジル 1993-94 30 33 0.90
ロナウド ブラジル 1996-97 34 37 0.91
サミュエル・エトー カメルーン 2005-06 26 35 0.74

[編集] 歴代サモラ賞受賞者

(受賞時 FCバルセロナ所属)

氏名 国籍 シーズン 被得点 試合数 失点率
ジョアン・ヴェラスコ スペイン 1947-48 31 26 1.19
アントニ・ラマレッツ スペイン 1951-52 40 28 1.42
アントニ・ラマレッツ スペイン 1955-56 24 29 0.83
アントニ・ラマレッツ スペイン 1956-57 35 29 1.20
アントニ・ラマレッツ スペイン 1958-59 22 28 0.78
アントニ・ラマレッツ スペイン 1959-60 24 27 0.88
ホセ・マニュエル・ペスド スペイン 1965-66 15 22 0.68
サルバドール・サルドゥニ スペイン 1968-69 18 30 0.60
ミゲル・レイナ スペイン 1972-73 21 34 0.62
サルバドール・サルドゥニ スペイン 1973-74 22 30 0.73
サルバドール・サルドゥニ スペイン 1974-75 19 24 0.79
ペドロ・マリア・アルトーラ スペイン 1977-78 25 29 0.86
フランセスコ・ウルッティ スペイン 1983-84 26 32 0.81
アンドニ・スビサレッタ スペイン 1986-87 29 43 0.67
ビクトル・バルデス スペイン 2004-05 25 35 0.71
ビクトル・バルデス スペイン 2008-09 31 35 0.89

[編集] 個人記録

(すべて、FCバルセロナ内での最多記録)

通算最多得点:パウリノ・アルカンタラ(1912-1927)
357試合357ゴール(親善試合215ゴール、国王杯5ゴール、カタルーニャリーグ98ゴール、スペインリーグ35ゴール、ピレネーカップ3ゴール、バルセロナカップ1ゴール)
1シーズン最多得点:クレメンテ・グラシア(1921-22)
50試合59ゴール(親善試合35ゴール、カタルーニャリーグ19ゴール、スペインリーグ5ゴール)
リーガ・エスパニョーラ通算最多得点:セサール・ロドリゲス(1942-1955)
195ゴール
リーガ・エスパニョーラ連続得点:マリアーノ・マルティン(1942-43[7]
連続10試合18ゴール
欧州大会最多得点:リバウド(1997-2002)
31ゴール(チャンピオンズリーグ25ゴール、UEFAカップ5ゴール、欧州スーパーカップ1ゴール)
1試合最多得点ハンス・カンパー
9得点(計3回)
1901年2月10日 マヤカカップ 対フランコエスパニョール戦 (エスパニョール0-FCバルセロナ13)
1901年3月17日 マヤカカップ 対タラゴナ戦 (タラゴナ0-FCバルセロナ18)
1903年2月1日 バルセロナカップ (対戦相手不明、FCバルセロナがホームで13-0の勝利)
サモラ賞最多受賞:アントニ・ラマレッツ
5回(1951-52、1955-56、1956-57、1958-59、1959-1960)
最長無失点:ミゲル・レイナ(1972-73)
824分(リーガ・エスパニョーラ第14節の53分から第23節の67分まで)
最多出場 (カップ戦なども含む):ミゲリ(1973-1989)
通算664試合出場
リーガ・エスパニョーラ最多出場:ミゲリ(1973-1989)
通算391試合出場
国際大会最多出場:シャビ・エルナンデス(1998-[8]
通算86試合出場(チャンピオンズリーグ70試合、UEFAカップ13試合、欧州スーパーカップ1試合、クラブワールドカップ2試合)
最年少トップチームデビュー:パウリノ・アルカンタラ
15歳4ヶ月18日(1912年2月25日 カタルーニャリーグ 対カタルSC戦)
最年少得点:パウリノ・アルカンタラ
15歳4ヶ月18日(1912年2月25日 カタルーニャリーグ 対カタルSC戦で3得点。 (FCバルセロナ9 - カタルSC0)
リーガ・エスパニョーラ最年少得点:ボージャン・クルキック
17歳2ヶ月(2007年10月20日 リーガ・エスパニョーラ第8節ビジャレアルCF戦)
最長在任監督:ジャック・グリーンウェル
通算9年間 (1917-1924,1931-1933)
連続最長在任監督:ヨハン・クライフ
8年間 (1988-1996)

[編集] 脚注

  1. ^ その他、バレーボールやハンドボールチームも存在する。それらについてはFCバルセロナ (曖昧さ回避)参照
  2. ^ "FCBarcelona.cat". FCBarcelona.cat. 2009-01-21 閲覧。
  3. ^ 2007年までバルサCが存在していたが、バルサB(当時)のテルセーラ・ディビシオン降格にともない、消滅した。
  4. ^ 2008年8月27日現在
  5. ^ 括弧内はその他の保有国籍、あるいは出身地域の旗。またEU旗はコトヌー協定を表す。
  6. ^ カンテーラ所属選手はバルサ・アトレティック参照
  7. ^ 1942-1943シーズン第19節(1943年2月14日)から1943-1944シーズン第2節(1943年10月3日)まで。
  8. ^ 2007年12月12日現在

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ



世界測地系41°22′32″N, 2°3′7″E