FCバルセロナ
| FCバルセロナ | ||||
|---|---|---|---|---|
| 原語表記 | Futbol Club Barcelona | |||
| 愛称 | Barça, Azulgrana, Blaugrana, Culers | |||
| クラブカラー | 青と臙脂(えんじ) | |||
| 創設年 | 1899年 | |||
| 所属リーグ | リーガ・エスパニョーラ | |||
| 所属ディビジョン | プリメーラ・ディビシオン | |||
| ホームタウン | ||||
| ホームスタジアム | カム・ノウ |
|||
| 収容人数 | 98,787 | |||
| 代表者 | ||||
| 監督 | ||||
| 公式サイト | 公式サイト | |||
|
||||
| ■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ | ||||
FCバルセロナ(カタルーニャ語: Futbol Club Barcelona)は、スペインカタルーニャ州・バルセロナを本拠地とするサッカークラブチームである。
目次 |
概要 [編集]
FCバルセロナは1899年に創設されたカンプ・ノウをホームスタジアムとし、リーガ・エスパニョーラのプリメーラ・ディビシオンに所属するサッカークラブである。愛称は「バルサ(カタルーニャ語:Barça)」、またはクラブカラーから「ブラウ・グラーナ(Blau Grana えんじと青)」と呼ばれる。数々のタイトルを獲得した世界でも屈指のビッグクラブ、名門クラブであり、リーガ・エスパニョーラの創立以来一度もプリメーラ・ディビシオンから降格したことがない。これは他にレアル・マドリードとアスレティック・ビルバオのみである。
「クラブ以上の存在(カタルーニャ語:MÉS QUE UN CLUB)」がクラブのスローガンでありユニフォームの後襟にもこの言葉がプリントされているほかカンプ・ノウの客性にも椅子の色を変えて示されている。これは1919年のカタールニャ自治憲章制定運動で登場したのがはじめであり、カタルーニャ民族主義の精神のあらわれだと言われる[1]。またスペイン屈指の商業都市バルセロナの市民社会のよりどころという意味も含まれる。
「攻撃的でスペクタクルなフットボール」をクラブのアイデンティティとしており、試合に勝ったとしても内容が伴わなければサポーターから容赦ないブーイングが浴びせられる。このような習慣はスペイン国内の多くのクラブチームに存在するものではあるが、FCバルセロナは特にこの傾向が顕著であり、結果よりも内容で遥かに大きいものを求められる面が強い。
運営について [編集]
クラブ運営上の特徴として一般市民などからの会員を募り、その会費でチームを運営している点が挙げられる。これをソシオといい、ソシオの会員は現在世界中で14万に達しており、日本でも2004年6月より会員の募集が行われている。かつて、フランコの独裁下にあってカタルーニャ語が禁止されていた時期にはカンプノウが唯一堂々と話せる場所であった。現在ソシオの会員はおよそ18万人に達している[2]。「カンテラ」と呼ばれる下部組織が非常に発達しており、現チームの選手も含め幾多の名選手を輩出してきた(詳細はカタルーニャ語版参照)。このカンテラ出身選手は生え抜きとしてサポーターから特に絶大な声援を受けることが多い。
2012年2月、世界最大の会計事務所である『デロイト』が公表したデロイト・フットボール・マネー・リーグでは、2010-2011シーズンのクラブ収入は4億5070万ユーロであり、レアル・マドリードに次ぎ欧州第2位である[3]。また、イギリスメディアが2012年に公表した調査によると、FCバルセロナの平均年俸は約868万ドルと推定されており、世界で最も平均年俸が高いクラブであることが判明し、ニューヨーク・ヤンキースやロサンゼルス・レイカーズなどアメリカのスポーツチームと比較しても遥かに高い給与水準であることもわかった[4]。
他チームとの関係 [編集]
サッカーのみならず政治的、地域的に長年の対立関係にある首都マドリードのレアル・マドリードとは長年のライバルである。
このレアル・マドリードとの試合はエル・クラシコ(El Clásico)と呼ばれ、1902年の第1回コパ・デルレイ(スペイン国王杯)から因縁の対決を続けている。その背景には、1923年-1930年のプリモ・デ・リベーラ将軍による独裁政権時代、さらに1939年-1975年におけるフランコ独裁政権時代のカタルーニャに対する弾圧がある。当時、カタルーニャの人々は自分たちの言語であるカタルーニャ語を公の場で話すことが許されなかったが、スタジアムの中でのみそれが許された。
なお、バルセロナとレアル・マドリード間の移籍は「禁断の移籍」とされ、「裏切り」と呼ばれることも多い。また、第三者のクラブ選手の移籍においても競合することが多く、これまで幾多の選手をめぐって争奪戦を繰り広げている。
同じくバルセロナを本拠地とするRCDエスパニョールとの試合はバルセロナ・ダービーと呼ばれる。
歴史 [編集]
カタルーニャ民族主義の中の草創期 [編集]
1899年にスイス人実業家ハンス・ガンパーら11名により創立された。この時、上記の「えんじと青」のチームカラーが決められたが、このチームカラーとなったのは、ガンパーの縁深かったFCバーゼルのチームカラーに由来すると一般的には信じられている[5]。初代会長はイギリス人のウォルター・ワイルド。設立から10年後の1909-10シーズンにはコパ・デル・レイで優勝した。1919年の『カタルーニャ自治憲章』制定運動がバルセロナを中心をするカタルーニャで起きたが、マドリードの中央政府が難色を見せるこの地方自治運動にFCバルセロナも参加した時に「クラブ以上の存在」というスローガンが初めて使用された。
スペイン内戦と独裁政権期 [編集]
設立から30年目を迎えようとする1928-29シーズンにはリーガ・エスパニョーラではじめて優勝したが、その後勃発するスペイン内戦がチームの運命を暗転させる。 スペイン内戦時にはカタルーニャはフランシスコ・フランコの独裁政権に強く抵抗した。1935年には会長J・スニョルは暗殺され、ソシオの会員数は2500人までに減少した。 内戦後にはカタルーニャはフランコ政権の目の敵にされ、カタルーニャ語の使用の禁止など政治経済ののみならず文化面でも抑圧された。しかしバルセロナのブルジョワの独裁政権への運動もありFCバルセロナは「クラブ以上の存在」すなわちカタルーニャ民族主義の象徴として維持された。とはいえ1940年代にはフランコ政権の支援を受けたレアル・マドリードが力を伸ばしてきた時期であり、1943年の総統杯ではレアル・マドリードに11対0で敗北している。これはレアル・マドリードが中央政府の支援を受けており、審判も体制に抱き込まれた結果である。FCバルセロナとレアル・マドリードの「因縁」はこのころ形成された。またFCバルセロナのエンブレムにあるカタルーニャ国旗の部分はスペイン国旗に変更された。
しかしながら1960年代の本格化するバルセロナの経済発展と人口増は住宅需要をもたらし、FCバルセロナは「レス・コルツ」スタジアムを売却して、郊外に新しいスタジアムを建設した。1957年に落成した新スタジアムが現在の本拠地「カンプ・ノウ」である。カンプ・ノウの建設には当初予算を3倍も上回るものとなったが、周辺の土地にスポーツ関連施設を建設するなどの不動産経営で得た利益はクラブ経営の経済的基盤となった。1955-56シーズンはUEFAカップにてそれぞれ初優勝を果たした。
ホセ・ルイス・ヌニェス会長時代 [編集]
1978年、初めてソシオ会員よる選挙を実施し、ホセ・ルイス・ヌニェス(任1978年-2000年)が会長に選出された。
ヌニェスは経営基盤を安定させることに努め、カム・ノウの改築による観客収容数の増加、有名選手の獲得によって収益を上げ、ソシオ会員数を大幅に増加させた。自ら公約に掲げた「若手育成の充実」を図るため、ラ・マシアと呼ばれる寮を開設し、カンテラに優秀な若者を集めるようになる。この時期のソシオ会員数の増加やカンテラの充実は現在のクラブ組織の基礎となっている。
1988年4月、ヌニェスと選手と対立、5月にヨハン・クライフを監督に迎え建て直しを図ったが、シーズン終了後に選手が大量退団、残留した選手は9人という異常事態に発展する。このため1987-88、1988-89、1989-90シーズンの成績は期待を大きく裏切るものであった。1989-90シーズン終了後、ソシオはクライフの解任を要求したが、クラブ側はクライフの続投を選択した。これは、ヌニェスと選手の対立を埋めるには、クラブのOBであるクライフ監督が最適であったと考えられていたことによる。
1990年代前半に入り、続投したクライフ監督の下、チームはリーガ4連覇とUEFAチャンピオンズリーグ初制覇を果たし、エル・ドリーム・チームと呼ばれることになる。
1996-97シーズンは、ボビー・ロブソンを監督に招聘し、ロブソン監督の通訳として、ジョゼ・モウリーニョを起用している。このシーズンはロナウドが得点王に輝いた。
1997-98シーズンに、リバウドを獲得した他、アヤックス・アムステルダムで実績を残したルイ・ファン・ハールを監督に迎える。このシーズンはリーガと国王杯の2冠を達成し、翌1998-99シーズンも圧倒的な強さでリーグ優勝を果たした。
一方で、ファン・ハール監督はオランダ出身選手を重用し、地元カタルーニャ出身者を冷遇し続け、特にクライフ監督時代に活躍した選手を放出していった結果、「バルサ版アヤックス」と呼べるような布陣となった。この結果、1998-99シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ予選リーグ敗退、更には国王杯ボイコット事件などはソシオの反発を招き、2000年にヌニェスは会長を辞任し、シーズン終了後にファン・ハール監督はクラブを去っていった。
ジョアン・ガスパール会長時代 [編集]
2000-01シーズンはファン・ハールに代わりロレンソ・セラ・フェレールが監督に就任したが、成績不振からシーズン途中に辞任しカルロス・レシャックがチームを受け継ぐも4位に終わった。2001-02シーズンもレシャックが引き続き指揮を執ったがやはり、4位に終わっている。
2002-03シーズンにファン・ハールが監督に復帰したものの、ファン・ハール自身のオランダ代表監督としての成績によるマイナスイメージに加えて、リバウドの退団、オランダ出身選手の高齢化もチームにとっては負担となった。結果、成績を残せずシーズン途中でファン・ハールは辞任、チームも15年ぶりの6位となった。
ジョアン・ラポルタ会長時代 [編集]
2003-04シーズンはフランク・ライカールトが監督に就任。2003年夏の移籍市場ではロナウジーニョ、ルイス・ガルシア、ラファエル・マルケスらを獲得。さらに、2004年冬の移籍市場ではエドガー・ダービッツを獲得した。同シーズンはリーガ・エスパニョーラを2位で終えた。
2004年夏の移籍市場ではサミュエル・エトオ、ヘンリク・ラーション、デコらを獲得し、パトリック・クライファート、フィリップ・コクー、ハビエル・サビオラらを放出した。2004-05シーズンはリーガ・エスパニョーラ優勝を果たした。2005-06シーズンはスーペルコパ・デ・エスパーニャ、リーガ・エスパニョーラ、UEFAチャンピオンズリーグにて優勝を達成する。2006年夏の移籍市場ではジャンルカ・ザンブロッタ、リリアン・テュラム、エイドゥル・グジョンセンらを獲得。2006-07シーズンはスーペルコパ・デ・エスパーニャ2連覇を達成した。2007年夏の移籍市場ではティエリ・アンリ、ガブリエル・ミリート、トゥーレ・ヤヤ、エリック・アビダルを獲得するも、2007-08シーズンは4季ぶりの無冠に終わり、シーズン終了後にライカールトは監督を退任した。
その後、ジョゼップ・グアルディオラが監督に就任。2008年夏の移籍市場ではダニエウ・アウヴェス、セイドゥ・ケイタ、ジェラール・ピケらを獲得し、ロナウジーニョ、デコらを放出した。2008-09シーズンはスペイン史上初めてリーガ・エスパニョーラ、コパ・デル・レイ、UEFAチャンピオンズリーグの全てで優勝を達成した。2009年夏の移籍市場ではズラタン・イブラヒモビッチ、マクスウェル、ドミトロ・チグリンスキーを獲得し、イブラヒモビッチとのトレードでエトオを放出した。2009-10シーズンはスーペルコパ・デ・エスパーニャ、UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ2009、リーガ・エスパニョーラで優勝を達成した[6]。2009-10シーズン終了後、ダビド・ビジャを獲得。また、2010年6月30日をもってラポルタは任期満了に伴い会長職を退任した。
サンドロ・ロセイ会長時代 [編集]
2010年夏の移籍市場ではアドリアーノ、ハビエル・マスチェラーノを獲得。2010-11シーズンはスーペルコパ・デ・エスパーニャ、リーガ・エスパニョーラ、UEFAチャンピオンズリーグにて優勝を達成した[7][8][9][10][11]。なお、当シーズンはリーガ・エスパニョーラ、コパ・デル・レイ、UEFAチャンピオンズリーグにて計5試合のエル・クラシコが行われ、特に2011年4月16日から同年5月3日までの間に行われた計4試合はクアトロ・クラシコ(Cuatro Clásico、4回のクラシコという意味)と呼ばれた。2011年夏の移籍市場ではアレクシス・サンチェス、フランセスク・ファブレガスを獲得。2011-12シーズンはコパ・デル・レイ、スーペルコパ・デ・エスパーニャ[12]、UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ2011にて優勝を達成するも、シーズン終了後にジョゼップ・グアルディオラが監督を退任した。
その後、フランセスク・ビラノバが監督に就任。2012年夏の移籍市場ではジョルディ・アルバ、アレクサンドル・ソングを獲得。
下部組織 [編集]
詳細は「ラ・マシア」を参照
概要 [編集]
FCバルセロナも他のスペイン国内クラブ同様、カンテラと呼ばれるユースチームを所有している。FCバルセロナの下部組織はヨーロッパのクラブチームの中でも予算面などで充実している。ラ・マシアと呼ばれる選手寮には、カタルーニャ出身の子弟か、家族とともにカタルーニャに移住した外国人しか入れない。そのため生え抜きの選手は自然とカタルーニャ人が多数派となる。このようなカタルーニャ人選手が優勢な状況もまた、このチームをバルセロナ市民、カタルーニャ人をして「クラブ以上の存在」言わしめるものである。
スペインでは法律により18歳になるまではプロ契約ができないため、近年では育成した選手がトップチームに昇格する直前にプレミアリーグのクラブに引き抜かれる事件がしばしば起きている。アーセナルにはセスクとフラン・メリダ、リヴァプールにはパチェコ、マンチェスター・ユナイテッドにはジェラール・ピケが引き抜かれ批判を起こしている。 しかしFCバルセロナ自身、当時12歳だったアルゼンチン・CAリーベル・プレートのエリク・ラメラを家族ごとスペインに連れてこようとし、アルゼンチン国内で批判の声が上がるなど、特に安価で選手を揃えられる南米などの貧困地域で類似の問題を引き起こしている。
組織形態 [編集]
ユースチームは能力や年齢によって、以下の11チームに分けられている。
| 名称 | 対象年齢 | 責任者 |
|---|---|---|
| FCバルセロナB[13] | 全年齢 | エウセビオ・サクリスタン・メナ |
| フベニルA | 17歳〜20歳 | オスカル・ガルシア |
| フベニルB | 17歳〜18歳 | ガルシア・ピミエンタ |
| カデーテA | 15歳〜16歳 | キケ・アルバレス |
| カデーテB | ||
| インファンティルA | 13歳〜14歳 | |
| インファンティルB | ||
| アレビンA | 12歳 | |
| アレビンB | 11歳 | |
| ベンジャミンA | 10歳 | |
| ベンジャミンB | 9歳〜10歳 |
ユニフォーム [編集]
- 1999-2000シーズン後半は、クラブ創立100周年ユニフォームが使用された。
- 2005-06、2010-11シーズンのファーストユニフォームのパンツはえんじ色だった。
- 2ndユニフォームの配色は毎年異なる。2007-08シーズンはシャツ、パンツ共に水色、2006-07シーズンはシャツ、パンツ共にオレンジ色だった。
- 例年、前年の2ndユニフォームはサードユニフォームとして使用される。
- バスケットボールなど、サッカー以外のチームでも青色とえんじ色の縦ストライプのユニフォームを用いている。こちらはフットボール部門とは違い、商業的な胸スポンサーロゴ契約が結ばれている。
スポンサー [編集]
一般に多くのサッカークラブではユニフォームにスポンサーのロゴを入れているが、FCバルセロナはソシオにより運営していることから、スポンサーのロゴを入れないことがクラブの伝統となっていた。歴史的な背景もあり、ソシオの会員はクラブに非常に誇りを持っている。上記のような伝統があるが、2006年に児童福祉活動への支援という観点から、ユニセフに対して5年契約で毎年190万ドルの寄付、総額950万ドルの寄付をすることで合意した[14]。これにより、2006年9月12日から史上初めて胸にロゴを入れたユニフォームを着用している。ロゴ本来の色は白であるが、白は宿敵であるレアル・マドリードのチームカラーでもあるため、ホームは黄色、アウェイは水色のロゴになった。2011-12シーズンから5年間の契約でカタール財団とスポンサー契約を結び、1899年のクラブ創設以来初の商用ロゴ入りユニホームを着用している。「カタール財団」が胸スポンサーになったことにより、2011-12シーズンからユニセフのロゴは背番号下に入る。カタール財団のロゴの導入に当たっては、ソシオやクラブOBなどの反対も強く、元選手であり名監督であったヨハン・クライフは「シャツにしみをつけるなんてまっぴらだ。クラブ収益の一割にも満たない金のためにクラブの独立性を捨てるのか!」と反対した。また、スタジアムには「カタールにNO!」と抗議のポスターを掲げるサポーターも現れた。しかし、前会長の就任後にはクラブは4億ユーロの負債を抱えており、その前の4年間はタイトルから離れていた上にライバルのレアル・マドリードの後塵を拝していた。最終的には、現会長の尽力もあって2011年、秋のソシオの総会で承認を得た。現会長のサンドロ・ロセイは「皆さんが反対なら契約は結ばない。しかし、クラブには前会長の残した多大な負債がある」と語った。[2]
現所属メンバー [編集]
- 2013年2月17日現在
|
|
※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、スペインの選手のうちカタルーニャ出身にものはカタルーニャの国旗をつけた。星印はEU圏外選手を示す。
レンタル移籍 [編集]
- out
|
|
FCバルセロナB [編集]
詳細は「バルセロナB」を参照
クラブ成績 [編集]
| シーズン | 国内 | UEFA | 監督 | 会長 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 順位 | 試合 | 勝 | 分 | 負 | カップ | CL | カップ[15] | |||
| 1899-1900 | リーグ存在せず | 存在せず | 存在せず | 不明 | ウォルター・ワイルド | |||||
| 1900-1901 | ||||||||||
| 1901-1902 | 準優勝 | バルトミュー・テラデス | ||||||||
| 1902-1903 | ポール・ハース | |||||||||
| 1903-1904 | アルサー・ウィティー | |||||||||
| 1904-1905 | ||||||||||
| 1905-1906 | ジョセップ・ソラー | |||||||||
| 1906-1907 | ジュリ・マリアル | |||||||||
| 1907-1908 | ||||||||||
| 1908-1909 | ヴィセン・レイグ ⇒ハンス・カンパー |
|||||||||
| 1909-1910 | 優勝[16] | ハンス・カンパー | ||||||||
| 1910-1911 | オット・グメリン | |||||||||
| 1911-1912 | 優勝 | ハンス・カンパー | ||||||||
| 1912-1913 | 優勝[16] | |||||||||
| 1913-1914 | フランシス・デ・モホ | |||||||||
| 1914-1915 | フランシス・デ・モホ ⇒アルバー・プレスタ ⇒ホアキン・ペリス・デ・バーガス |
|||||||||
| 1915-1916 | ラファエル・ロパート | |||||||||
| 1916-1917 | ジョン・バロー | ガスパー・ロセス | ||||||||
| 1917-1918 | ジャック・グリーンウェル | ハンス・カンパー | ||||||||
| 1918-1919 | 準優勝 | |||||||||
| 1919-1920 | 優勝 | リカルド・グラエルス | ||||||||
| 1920-1921 | ガスパー・ロセス | |||||||||
| 1921-1922 | 優勝 | ハンス・カンパー | ||||||||
| 1922-1923 | ||||||||||
| 1923-1924 | エリック・カルドナ | |||||||||
| 1924-1925 | 優勝 | ジェスツァ・ポスゾニー | ハンス・カンパー | |||||||
| 1925-1926 | 優勝 | ラルフ・カービー | アラディー・バラガー | |||||||
| 1926-1927 | ジャック・デムビー | |||||||||
| 1927-1928 | 優勝 | ローマ・フォルンス | ||||||||
| 1928-1929 | 優勝 | 18 | 11 | 3 | 4 | |||||
| 1929-1930 | 2位 | 18 | 11 | 1 | 6 | ジェームス・ベラミー | トーマス・ロセス | |||
| 1930-1931 | 4位 | 18 | 7 | 7 | 4 | ガスパー・ロセス | ||||
| 1931-1932 | 3位 | 18 | 10 | 4 | 4 | 準優勝 | ジャック・グリーンウェル | アントニ・オリバー ⇒ジョアン・コマ |
||
| 1932-1933 | 4位 | 18 | 7 | 5 | 6 | ジョアン・コマ | ||||
| 1933-1934 | 9位 | 18 | 8 | 0 | 10 | ジャック・デムビー | ||||
| 1934-1935 | 6位 | 22 | 9 | 6 | 7 | フェレンツォ・プラトコ | エステベ・サーラ | |||
| 1935-1936 | 5位 | 22 | 11 | 2 | 9 | 準優勝 | パトリック・オコーネル | ジェセップ・スニョール・ガリーガ | ||
| 1936-1937 | 開催されず | 不明 | 不明 | |||||||
| 1937-1938 | ||||||||||
| 1938-1939 | ジョセップ・プラナス | |||||||||
| 1939-1940 | 9位 | 22 | 8 | 3 | 11 | |||||
| 1940-1941 | 4位 | 22 | 13 | 1 | 8 | エンリケ・ピネイロ | ||||
| 1941-1942 | 12位 | 26 | 8 | 3 | 15 | 優勝 | ラモン・グスマン | |||
| 1942-1943 | 3位 | 26 | 14 | 4 | 8 | ジョアン・ジョセップ・ノゲス | ジョセフ・ヴィダル・リバス ⇒エンリケ・ピネイロ |
|||
| 1943-1944 | 6位 | 26 | 10 | 8 | 8 | ジョセフ・アントニ・デ・アルベルト ⇒ジョセフ・ヴェンドレル |
||||
| 1944-1945 | 優勝 | 26 | 17 | 5 | 4 | ジョセフ・ヴェンドレル | ||||
| 1945-1946 | 2位 | 26 | 14 | 7 | 5 | |||||
| 1946-1947 | 4位 | 26 | 14 | 3 | 9 | 不明 | ||||
| 1947-1948 | 優勝 | 26 | 15 | 7 | 4 | エンリケ・フェルナンデス | ||||
| 1948-1949 | 優勝 | 26 | 16 | 5 | 5 | |||||
| 1949-1950 | 5位 | 26 | 13 | 3 | 10 | エンリケ・フェルナンデス ⇒ラモン・ローレンス |
||||
| 1950-1951 | 4位 | 30 | 16 | 3 | 11 | 優勝 | フェルナンド・ダウシク | |||
| 1951-1952 | 優勝 | 30 | 19 | 5 | 6 | 優勝 | ||||
| 1952-1953 | 優勝 | 30 | 19 | 4 | 7 | 優勝 | アグスティ・モンテリ・ガロバルト | |||
| 1953-1954 | 2位 | 30 | 16 | 4 | 10 | 準優勝 | エンリック・マルティ | |||
| 1954-1955 | 2位 | 30 | 17 | 7 | 6 | サンドロ・プッポ | ||||
| 1955-1956 | 2位 | 30 | 22 | 3 | 5 | ---- | 優勝 | フェレンツォ・プラトコ | ||
| 1956-1957 | 3位 | 30 | 16 | 7 | 7 | 優勝 | ---- | ドメネク・バルマナヤ | ||
| 1957-1958 | 3位 | 30 | 17 | 4 | 9 | ---- | ドメネク・バルマナヤ ⇒ |
|||
| 1958-1959 | 優勝 | 30 | 24 | 3 | 3 | 優勝 | ---- | 優勝 | ||
| 1959-1960 | 優勝 | 30 | 22 | 2 | 6 | ベスト4 | ||||
| 1960-1961 | 4位 | 30 | 13 | 6 | 11 | 準優勝 | リュビサ・ブロチッチ ⇒エンリケ・オリサオラ |
|||
| 1961-1962 | 2位 | 30 | 18 | 4 | 8 | ---- | 準優勝 | ルイス・ミロ | エンリック・ラウデ | |
| 1962-1963 | 6位 | 30 | 11 | 9 | 10 | 優勝 | ---- | ラディスラオ・クバラ ⇒ジョセップ・ゴンサルボ |
||
| 1963-1964 | 2位 | 30 | 19 | 4 | 7 | ---- | ||||
| 1964-1965 | 6位 | 30 | 14 | 4 | 12 | ---- | ⇒ヴィセンツォ・サソ |
|||
| 1965-1966 | 3位 | 30 | 16 | 6 | 8 | ---- | 優勝 | ロケ・オルセン | ||
| 1966-1967 | 2位 | 30 | 20 | 2 | 8 | ---- | ||||
| 1967-1968 | 2位 | 30 | 15 | 9 | 6 | 優勝 | ---- | サルバドール・アルティガス | ||
| 1968-1969 | 3位 | 30 | 13 | 10 | 7 | ナルシス・デ・カレーラス | ||||
| 1969-1970 | 4位 | 30 | 13 | 9 | 8 | ジョセップ・セゲール | アグスティ・モンタル | |||
| 1970-1971 | 2位 | 30 | 19 | 5 | 6 | 優勝 | 優勝 | ビク・バッキンガム | ||
| 1971-1972 | 3位 | 34 | 17 | 9 | 8 | ---- | ||||
| 1972-1973 | 2位 | 34 | 18 | 10 | 6 | 初戦敗退 | ||||
| 1973-1974 | 優勝 | 34 | 21 | 8 | 5 | 準優勝 | ---- | 初戦敗退 | ||
| 1974-1975 | 3位 | 34 | 15 | 7 | 12 | ---- | ||||
| 1975-1976 | 2位 | 34 | 18 | 7 | 9 | ベスト4 | ⇒ラウレアノ・ルイス |
|||
| 1976-1977 | 2位 | 34 | 18 | 9 | 7 | ベスト8 | ||||
| 1977-1978 | 2位 | 34 | 16 | 9 | 9 | 優勝 | ベスト4 | レイモン・カラスコ | ||
| 1978-1979 | 5位 | 34 | 16 | 6 | 12 | ---- | ---- | ホセ・ルイス・ヌニェス | ||
| 1979-1980 | 4位 | 34 | 13 | 12 | 9 | ---- | ホアキム・リフェ | |||
| 1980-1981 | 5位 | 34 | 18 | 5 | 11 | 優勝 | 2回戦敗退 | エレニオ・エレーラ | ||
| 1981-1982 | 2位 | 34 | 19 | 7 | 8 | ---- | ||||
| 1982-1983 | 4位 | 34 | 17 | 10 | 7 | 優勝 | ---- | ---- | ⇒ジョセップ・ルイス・ロメロ |
|
| 1983-1984 | 3位 | 34 | 20 | 8 | 6 | 準優勝 | ---- | |||
| 1984-1985 | 優勝 | 34 | 21 | 11 | 2 | |||||
| 1985-1986 | 2位 | 34 | 18 | 9 | 7 | 準優勝 | 準優勝 | |||
| 1986-1987 | 2位 | 44 | 24 | 15 | 5 | |||||
| 1987-1988 | 6位 | 38 | 15 | 9 | 14 | 優勝 | ||||
| 1988-1989 | 2位 | 38 | 23 | 1 | 4 | |||||
| 1989-1990 | 3位 | 38 | 23 | 5 | 10 | 優勝 | ---- | |||
| 1990-1991 | 優勝 | 38 | 25 | 7 | 6 | ---- | ||||
| 1991-1992 | 優勝 | 38 | 23 | 9 | 6 | 優勝 | ||||
| 1992-1993 | 優勝 | 38 | 25 | 8 | 5 | |||||
| 1993-1994 | 優勝 | 38 | 25 | 6 | 7 | 準優勝 | ||||
| 1994-1995 | 4位 | 38 | 18 | 10 | 10 | ベスト8 | ||||
| 1995-1996 | 3位 | 42 | 22 | 14 | 6 | 準優勝 | ---- | |||
| 1996-1997 | 2位 | 42 | 28 | 6 | 8 | 優勝 | ---- | |||
| 1997-1998 | 優勝 | 38 | 23 | 5 | 10 | 優勝 | グループステージ敗退 | |||
| 1998-1999 | 優勝 | 38 | 24 | 7 | 7 | グループステージ敗退 | ||||
| 1999-2000 | 2位 | 38 | 19 | 7 | 12 | ベスト4 | ジョアン・ガスパール | |||
| 2000-2001 | 4位 | 38 | 17 | 12 | 9 | 1次グループリーグ敗退 | ロレンソ・セラ・フェレール ⇒ |
|||
| 2001-2002 | 4位 | 38 | 18 | 10 | 10 | 初戦敗退 | ベスト4 | ---- | ||
| 2002-2003 | 6位 | 38 | 15 | 11 | 12 | 初戦敗退 | ベスト8 | ---- | ⇒ |
ジョアン・ガスパール ⇒エンリック・レイナ |
| 2003-2004 | 2位 | 38 | 21 | 9 | 8 | ベスト8 | ---- | ベスト16 | ジョアン・ラポルタ | |
| 2004-2005 | 優勝 | 38 | 25 | 9 | 4 | 初戦敗退 | ベスト16 | ---- | ||
| 2005-2006 | 優勝 | 38 | 25 | 7 | 6 | ベスト8 | 優勝 | ---- | ||
| 2006-2007 | 2位 | 38 | 22 | 10 | 6 | ベスト4 | ベスト16 | ---- | ||
| 2007-2008 | 3位 | 38 | 19 | 10 | 9 | ベスト4 | ベスト4 | ---- | ||
| 2008-2009 | 優勝 | 38 | 27 | 6 | 5 | 優勝 | 優勝 | ---- | ||
| 2009-2010 | 優勝 | 38 | 31 | 6 | 1 | ベスト16 | ベスト4 | ---- | ||
| 2010-2011 | 優勝 | 38 | 30 | 6 | 2 | 準優勝 | 優勝 | ---- | サンドロ・ロセイ | |
| 2011-2012 | 2位 | 38 | 28 | 7 | 3 | 優勝 | ベスト4 | ---- | ||
| 2012-2013 | 優勝 | 38 | ベスト4 | ベスト4 | ---- | |||||
| 合計 | 優勝21回 | 優勝26回[17] | 優勝4回 | 優勝4回[18] | ||||||
クラブタイトル [編集]
国内タイトル [編集]
- プリメーラ・ディビシオン : 22回
- 1928-29, 1944-45, 1947-48, 1948-49, 1951-52, 1952-53, 1958-59, 1959-60, 1973-74, 1984-85, 1990-91, 1991-92, 1992-93, 1993-94, 1997-98, 1998-99, 2004-05, 2005-06, 2008-09, 2009-10, 2010-11, 2012-13
- コパ・デル・レイ : 26回
- 1909-10, 1911-12, 1912-13, 1919-20, 1921-22, 1924-25, 1925-26, 1927-28, 1941-42, 1950-51, 1951-52, 1952-53, 1956-57, 1958-59, 1962-63, 1967-68, 1970-71, 1977-78, 1980-81, 1982-83, 1987-88, 1989-90, 1996-97, 1997-98, 2008-09, 2011-12
- スペインスーパーカップ : 10回
- 1983, 1991, 1992, 1994, 1996, 2005, 2006, 2009, 2010, 2011
- スペインリーグカップ : 2回
- 1982–83, 1985–86
- コパ・カタルーニャ : 6回
- 1990-91, 1992-93, 1999-00, 2003-04, 2004-05, 2006-07
国際タイトル [編集]
- UEFAチャンピオンズリーグ : 4回
- 1991-92, 2005-06, 2008-09, 2010-11
- UEFAカップウィナーズカップ : 4回
- 1978-79、1981-82、1988-89、1996-97
- UEFAスーパーカップ : 4回
- 1992, 1997, 2009, 2011
- FIFAクラブワールドカップ : 2回
- 2009, 2011
- ラテン・カップ : 2回
- 1949, 1952
- インターシティーズ・フェアーズカップ : 3回
- 1955-58、1958-60、1965-66
- トロフェウ・ジョアン・ガンペール:34回
- 1966, 1967, 1968, 1969, 1971, 1973, 1974, 1975, 1976, 1977, 1979, 1980, 1983, 1984, 1985, 1986, 1988, 1990, 1991, 1992, 1993, 1994, 1995, 1996, 1997, 1998, 1999, 2001, 2002, 2003, 2004, 2006, 2007, 2008
- トロフェオ・テレサ・エレーラ:5回
- 1948, 1951, 1972, 1990, 1993
- アムステルダム・トーナメント:1回
- 2000
- トロフェオ・ラモン・デ・カランサ:3回
- 1961, 1962, 2005
個人タイトル [編集]
(全て、FCバルセロナ所属またはFCバルセロナ内最多記録)
歴代バロンドール受賞選手 [編集]
ルイス・スアレス・ミラモンテス 1960
ヨハン・クライフ 1973, 1974
フリスト・ストイチコフ 1994
リバウド 1999
ロナウジーニョ 2005
リオネル・メッシ 2009
歴代FIFA最優秀選手賞受賞選手 [編集]
歴代FIFAバロンドール受賞選手 [編集]
リオネル・メッシ 2010, 2011, 2012
歴代リーガ・エスパニョーラ得点王 [編集]
| 氏名 | 国籍 | シーズン | 得点 | 試合数 | 平均得点 |
|---|---|---|---|---|---|
| マリアーノ・マルティン | 1942-43 | 32 | 23 | 1.39 | |
| セサール・ロドリゲス | 1948-49 | 28 | 24 | 1.16 | |
| カジェタノ・レー | 1964-65 | 25 | 30 | 0.83 | |
| カルロス・レシャック | 1970-71 | 17 | 28 | 0.60 | |
| ハンス・クランクル | 1978-79 | 29 | 30 | 0.96 | |
| キニ | 1980-81 | 20 | 30 | 0.66 | |
| キニ | 1981-82 | 26 | 32 | 0.81 | |
| ロマーリオ | 1993-94 | 30 | 33 | 0.90 | |
| ロナウド | 1996-97 | 34 | 37 | 0.91 | |
| サミュエル・エトー | 2005-06 | 26 | 35 | 0.74 | |
| リオネル・メッシ | 2009-10 | 34 | 35 | 0.97 | |
| リオネル・メッシ | 2011-12 | 50 | 37 | 1.35 |
歴代サモラ賞受賞者 [編集]
| 氏名 | 国籍 | シーズン | 被得点 | 試合数 | 失点率 |
|---|---|---|---|---|---|
| ジョアン・ヴェラスコ | 1947-48 | 31 | 26 | 1.19 | |
| アントニ・ラマレッツ | 1951-52 | 40 | 28 | 1.42 | |
| アントニ・ラマレッツ | 1955-56 | 24 | 29 | 0.83 | |
| アントニ・ラマレッツ | 1956-57 | 35 | 29 | 1.20 | |
| アントニ・ラマレッツ | 1958-59 | 22 | 28 | 0.78 | |
| アントニ・ラマレッツ | 1959-60 | 24 | 27 | 0.88 | |
| ホセ・マニュエル・ペスド | 1965-66 | 15 | 22 | 0.68 | |
| サルバドール・サルドゥニ | 1968-69 | 18 | 30 | 0.60 | |
| ミゲル・レイナ | 1972-73 | 21 | 34 | 0.62 | |
| サルバドール・サルドゥニ | 1973-74 | 22 | 30 | 0.73 | |
| サルバドール・サルドゥニ | 1974-75 | 19 | 24 | 0.79 | |
| ペドロ・マリア・アルトーラ | 1977-78 | 25 | 29 | 0.86 | |
| フランセスコ・ウルッティ | 1983-84 | 26 | 32 | 0.81 | |
| アンドニ・スビサレッタ | 1986-87 | 29 | 43 | 0.67 | |
| ビクトル・バルデス | 2004-05 | 25 | 35 | 0.71 | |
| ビクトル・バルデス | 2008-09 | 31 | 35 | 0.89 | |
| ビクトル・バルデス | 2009-10 | 24 | 38 | 0.63 | |
| ビクトル・バルデス | 2010-11 | 16 | 32 | 0.50 | |
| ビクトル・バルデス | 2011-12 | 28 | 35 | 0.80 |
その他個人記録 [編集]
- 通算最多得点:パウリノ・アルカンタラ(1912-1927)
- 357試合357ゴール(親善試合215ゴール、国王杯5ゴール、カタルーニャリーグ98ゴール、スペインリーグ35ゴール、ピレネーカップ3ゴール、バルセロナカップ1ゴール)
- 1シーズン最多得点:リオネル・メッシ(2011-2012)
- 60試合73ゴール(リーガ・エスパニョーラ50ゴール、国王杯3ゴール、UEFAチャンピオンズリーグ14ゴール、スペイン・スーパーカップ3ゴール、UEFAスーパーカップ1ゴール、FIFAクラブワールドカップ2ゴール)
- リーガ・エスパニョーラ通算最多得点:セサール・ロドリゲス(1942-1955)
- 195ゴール
- リーガ・エスパニョーラ連続得点:リオネル・メッシ(2012-2013[19])
- 連続19試合30ゴール(欠場した試合を除けば21試合33ゴール)
- 国際大会最多得点:リオネル・メッシ(2005-)
- 32ゴール
- 1試合最多得点ハンス・カンパー
- 9得点(計3回)
- 1901年2月10日 マヤカカップ 対フランコエスパニョール戦 (エスパニョール0-FCバルセロナ13)
- 1901年3月17日 マヤカカップ 対タラゴナ戦 (タラゴナ0-FCバルセロナ18)
- 1903年2月1日 バルセロナカップ (対戦相手不明、FCバルセロナがホームで13-0の勝利)
- サモラ賞最多受賞:アントニ・ラマレッツ
- 5回(1951-52, 1955-56, 1956-57, 1958-59, 1959-1960)
- 最長無失点:ミゲル・レイナ(1972-73)
- 824分(リーガ・エスパニョーラ第14節の53分から第23節の67分まで)
- 最多出場:チャビ・エルナンデス(1998-[20])
- 通算550試合
- 国際大会最多出場:チャビ・エルナンデス(1998-[21])
- 通算86試合出場(チャンピオンズリーグ70試合、UEFAカップ13試合、欧州スーパーカップ1試合、クラブワールドカップ2試合)
- 最年少トップチームデビュー:パウリノ・アルカンタラ
- 15歳4ヶ月18日(1912年2月25日 カタルーニャリーグ 対カタルSC戦)
- 最年少得点:パウリノ・アルカンタラ
- 15歳4ヶ月18日(1912年2月25日 カタルーニャリーグ 対カタルSC戦で3得点。 (FCバルセロナ9 - カタルSC0)
- リーガ・エスパニョーラ最年少得点:ボージャン・クルキック
- 17歳2ヶ月(2007年10月20日 リーガ・エスパニョーラ第8節ビジャレアルCF戦)
- 最長在任監督:ジャック・グリーンウェル
- 通算9年間 (1917-1924, 1931-1933)
- 連続最長在任監督:ヨハン・クライフ
- 8年間 (1988-1996)
歴代スタジアム [編集]
- カレル・インダストリア 1908 - 1922
- ラス・コルツ 1922 - 1957
- カンプ・ノウ 1957 - 現在
歴代所属選手 [編集]
(カンテラ出身選手は、公式戦でのトップチーム・デビュー年度から表記)
GK [編集]
リカルド・サモラ 1919-1923
アントニ・ラマレッツ 1947-1962
サルバドール・サドゥルニ 1960-1976
ミゲル・レイナ 1966-1973
アンドニ・スビサレッタ 1986-1994
カルレス・ブスケ・バロッソ 1990-1999
ビトール・バイーア 1996-1999
ルート・ヘスプ 1997-2000
フランセスク・アルナウ 1998-2001
リシャール・ドゥトルエル 2000-2002
ホセ・マヌエル・レイナ 2001-2002
ロベルト・ボナーノ 2001-2003
ビクトル・バルデス 2003-
リュシュテュ・レチベル 2003-2004
ルーベン・マルティネス 2004-2007
アルベルト・ジョルケラ 2004-2009
ホセ・マヌエル・ピント・コロラド 2008.1-
DF [編集]
ミゲリ 1973-1989
ラモン・アレサンコ 1980-1993
ロナルド・クーマン 1989-1995
アルベルト・フェレール 1990-1998
ミゲル・アンヘル・ナダル 1991-1999
セルジ 1993-2002
アベラルド 1994-2002
ミハエル・ライツィハー 1997-2004
フランク・デ・ブール 1999-2003
ジョバンニ・ファン・ブロンクホルスト 2003-2007
オレゲール 2003-2008
ラファエル・マルケス 2003-2010
ジュリアーノ・ベレッチ 2004-2007
シウビーニョ 2004-2009
ガブリエル・ミリート 2007-2011
エリック・アビダル 2007-
ダニエウ・アウヴェス 2008-
マクスウェル 2009-2012.1
MF [編集]
ジョゼップ・サミティエール 1919-1933
ドメネク・バルマーニャ 1935-1937
ルイス・スアレス 1954-1961
ペドロ・マリア・ザバルザ 1968-1974
ヨハン・ニースケンス 1974-1979
ベルント・シュスター 1980-1988
アイトール・ベギリスタイン 1988-1995
エウセビオ 1988-1995
ホセ・マリア・バケーロ 1988-1997
ギジェルモ・アモール 1988-1998
ヨン・アンドニ・ゴイコエチェア 1990-1994
ジョゼップ・グアルディオラ 1990-2001
ゲオルゲ・ハジ 1994-1996
アルベルト・セラーデス 1995-1999
ジオヴァンニ 1996-1999
エマニュエル・アムニケ 1996-2000
ルイス・エンリケ 1996-2004
リバウド 1997-2002
フィリップ・コクー 1998-2004
ガブリ 1999-2006
ジェラール・ロペス 2000-2004
マルク・オーフェルマルス 2000-2004
ティアゴ・モッタ 2001-2007
エドガー・ダービッツ 2004
エジミウソン 2004-2008
デコ 2004-2008
マルク・ファン・ボメル 2005-2006
ヤヤ・トゥーレ 2007-2010
セイドゥ・ケイタ 2008-2012
FW [編集]
パウリノ・アルカンタラ 1912-1916, 1918-1927
マリアーノ・マルティン 1939-1946
セサル 1939-1954
エスタニスラオ・バソラ 1946-1958
ラディスラオ・クバラ 1951-1961
サンドール・コチシュ 1958-1965
ペドロ・ザバラ 1961-1967
ホセ・アントニオ・ザルドゥア 1961-1971
カルロス・レシャック 1965-1981
ヨハン・クライフ 1973-1978
キニ 1980-1984
ラウル・アマリージャ 1985-1988
ゲーリー・リネカー 1986-1989
フリオ・サリナス 1988-1994
ミカエル・ラウドルップ 1989-1994
フリスト・ストイチコフ 1990-1995, 1996-1998
ロマーリオ 1993-1995
ルイス・フィーゴ 1995-2000
ロナウド 1996-1997
パトリック・クライファート 1998-2004
ダニ 1999-2004
ハビエル・サビオラ 2001-2004, 2006-2007
ルイス・ガルシア 2003-2004
ロナウジーニョ 2003-2008
ヘンリク・ラーション 2004-2006
リュドヴィク・ジュリ 2004-2007
サミュエル・エトオ 2004-2009
エイドゥル・グジョンセン 2006-2009
ティエリ・アンリ 2007-2010
ボージャン・クルキッチ 2007-2011
ズラタン・イブラヒモヴィッチ 2009-2010
脚注 [編集]
- ^ FCバルセロナはカタルーニャ民族主義の象徴であるが、クラブ側はカタルーニャ独立運動には選手に自制を促すなど抑制的である。
- ^ a b 「転機のサッカービジネス」『朝日新聞グローブ』2012年4月1日発行通巻84号
- ^ Deloitte Football Money League 2012(2012年2月9日に国際監査法人『デロイト』が公表した2010-2011シーズンの欧州サッカーのクラブ収入ランキング)
- ^ 2012年にイギリスメディア『sportingintelligence.com』が調査した、世界のスポーツチームの平均年俸ランキング
- ^ “FCBarcelona.cat”. FCBarcelona.cat. 2009年1月21日閲覧。
- ^ [http://number.bunshun.jp/articles/-/24023 圧倒的な強さで連覇を達成しても、 バルサの攻撃サッカーは発展途上。] -NumberWeb: 2010年5月19日
- ^ モウリーニョとレアルを完全凌駕した、グアルディオラとバルサの戦術と能力。 -NumberWeb: 2011年4月28日
- ^ レアルの敵はバルサ+疑惑の判定!?激闘のクラシコ最終戦を読み解く。 -NumberWeb: 2011年5月5日
- ^ 「熟成」のマンUと「進化」のバルサ。2年前とは似て非なるCL決勝の風景。 -NumberWeb: 2011年5月28日
- ^ バルサ4度目のCL制覇を陰で支えた、プジョルとアビダルの見えない功績。 -NumberWeb: 2011年5月30日
- ^ 最新トレンドは「ポジションレス」!? CL決勝にみる、バルサ究極の進化形。 -NumberWeb: 2011年6月12日
- ^ 同大会の3連覇はレアル・マドリードが1988-89シーズンから1990-91シーズンにかけて達成したが、1989年は1988-89シーズンのリーガ・エスパニョーラとコパ・デル・レイをいずれも優勝したことで認定されたため、3年とも試合を行っての3連覇は史上初である。
- ^ 2007年までバルサCが存在していたが、バルサB(当時)のテルセーラ・ディビシオン降格にともない、消滅した。
- ^ “FCバルセロナ ユニセフとの歴史的パートナーシップを発表” (プレスリリース), UNICEF, (2006年9月7日) 2012年7月1日閲覧。
- ^ 1955-1956シーズンから1970-1971シーズンまではインターシティーズ・フェアーズカップ、1971-1972シーズンから2008-2009シーズンまではUEFAカップ、2009-2010シーズン以降はUEFAヨーロッパリーグ
- ^ a b 1909-1910シーズン、1912-13シーズンはスペインサッカー連盟主催の大会とスペインサッカークラブ連合主催の大会が並存しており、FCバルセロナが優勝したのはスペインサッカークラブ連合の大会
- ^ うち2回はスペインサッカークラブ連合主催
- ^ ただし、全てUEFAカップの前身となったインターシティーズ・フェアーズカップ
- ^ 2012-2013シーズン第11節(2012年11月11日)から2012-2013シーズン第2節(2013年3月30日)まで。
- ^ 2011年1月5日現在
- ^ 2007年12月12日現在
参考文献 [編集]
- 岡崎明子『バルセロナ地中海都市の歴史と文化』(中央公論新社、2010年)
- 田澤耕『カタルーニャを知る辞典』(平凡社、2013年)
関連項目 [編集]
- FCバルセロナB
- バルサTV
- サッカー スーパーレッスン〜バルサのテクニックをキミたちに!〜
- サッカーカタルーニャ代表
- ジミー・ジャンプ・・・実に迷惑なバルサファン
- バルセロナSC
- キャプテン翼・・・主人公の大空翼がバルセロナに所属している。クラブ公認であり、入団セレモニーも行われた。
外部リンク [編集]
- FC Barcelona
- FCバルセロナ日本語公式サイト
- FCバルセロナ公認 ソシオ入会受付オフィス(日本語)
- FCバルセロナ キッズキャンプ 2009(日本語)
- ホームユニフォーム(08-09)
- アウェイユニフォーム(08-09)
- サードユニフォーム(08-09)
- FC Barcelona Stadium redevelopment by Norman Foster (英語)
|
|
|---|
|
|
|||||
|
|||||
|
|||||
|
|||||
座標: 北緯41度22分32秒 東経2度3分7秒 / 北緯41.37556度 東経2.05194度