ズラタン・イブラヒモビッチ

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ズラタン・イブラヒモビッチ Football pictogram.svg
Zlatan Ibrahimović Euro 2012 vs England.JPG
名前
愛称 イブラ、ズラタニオ
イル・ジェニオ(Il Genio:天才)
ラテン文字 Zlatan Ibrahimović
基本情報
国籍 スウェーデンの旗 スウェーデン
ボスニア・ヘルツェゴビナの旗 ボスニア・ヘルツェゴビナ
生年月日 1981年10月3日(32歳)
出身地 スウェーデンの旗 マルメ
身長 195cm
体重 95kg
選手情報
在籍チーム フランスの旗 PSG
ポジション FW (CF)
背番号 10
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1999-2001
2001-2004
2004-2006
2006-2009
2009-2011
2010-2011
2011-2012
2012-
スウェーデンの旗 マルメFF
オランダの旗 アヤックス
イタリアの旗 ユヴェントス
イタリアの旗 インテル・ミラノ
スペインの旗 バルセロナ
イタリアの旗 ACミラン (loan)
イタリアの旗 ACミラン
フランスの旗 パリ・サンジェルマン
40 (16)
74 (35)
70 (23)
88 (57)
29 (16)
29 (14)
32 (28)
64 (55)
代表歴2
2001- スウェーデンの旗 スウェーデン 97 (48)
1. 国内リーグ戦に限る。2014年4月19日現在。
2. 2014年3月6日現在。
テンプレート(ノート 解説)サッカー選手pj

ズラタン・イブラヒモビッチ(Zlatan Ibrahimović, 1981年10月3日 - )は、スウェーデンマルメ出身でパリ・サンジェルマンFC所属のサッカー選手。ポジションはFW。愛称はイブライル・ジェニオ(Il Genio:天才)。

経歴[編集]

生い立ち~マルメFF時代[編集]

イブラヒモビッチ」の姓が示す通り、ルーツをバルカン半島に持っておりスウェーデン人の血は引いていない。現在のボスニア・ヘルツェゴビナビイェリナ出身で、1977年にスウェーデンに移住したボシュニャク人の父シェフィク・イブラヒモヴィッチとクロアチア人で、ザダル近郊のプルコス出身の母ユルカ・グラヴィッチとの間に生まれた。ふたりは移住先のスウェーデンで出会った。「イブラヒモヴィッチ」という姓は、「イブラヒムの息子」という意味で、バルカン半島の中でも大半をムスリムが占めるボシュニャク人に多く見られる姓である。長男で兄弟には2人の弟と3人の妹がいる。マルメの移民コミュニティーがあるローセンゴード地区で育ち、6才でサッカーを始めた。

幼い頃からその得点能力は顕著で、4点ビハインドの試合で交代選手として投入され8得点を挙げた経験を持つ。1995年マルメFFと契約し、1999年にトップチームデビューを果たす。しかしそのシーズン、マルメFFは2部リーグ降格となった。主力選手が移籍していく中、イブラヒモビッチはこれを「レギュラー獲りのチャンス」と考えて残留。その読み通りに翌シーズンはレギュラーとして活躍し、26試合12得点の成績を残してチームの1部リーグ復帰に貢献した。

アヤックス時代[編集]

この活躍を見たアヤックス・アムステルダムアーセナルなどのビッグクラブがイブラヒモビッチ獲得に乗り出し、特にアーセナルはアーセン・ヴェンゲル監督が自ら背番号9を保証するなど懸命に獲得を試みたが、2001年7月1日に10代の選手としては破格の、そしてチーム史上最高額の780万ユーロ(約10億2200万円)の移籍金を提示したアヤックスに移籍した。そのアヤックスでかつてマルコ・ファン・バステンパトリック・クライファートヌワンコ・カヌなどが背負った背番号9を受け継いだ。2001-2002シーズンのオランダカップ決勝で決勝ゴールを決めるなど徐々にチームの主力となった。2002-2003シーズンもUEFAチャンピオンズリーグで4得点、エールディビジで10得点を挙げ、レギュラーの座を不動のものとした。翌シーズンは足の故障のため3ヵ月欠場するが、復帰後は16試合13得点を記録し、エールディビジ優勝に貢献。

ユヴェントス~インテル時代[編集]

インテル時代のイブラヒモビッチ

2004年7月1日、移籍金1900万ユーロ(約26億円)でユヴェントスに移籍。当初は、アレッサンドロ・デル・ピエロダビド・トレゼゲに次ぐ3番手のFWと目されていたが、2004-2005シーズンのセリエA開幕戦ブレシア戦でデビューし、早速ゴールを挙げると、トレゼゲやデル・ピエロの故障もあって、カペッロ監督の信頼を得始める。彼らの復帰後もユヴェントスフォワード陣の柱となり、最終的に35試合16点の成績を挙げ、ACミランからのセリエA王座奪回に貢献した。2005-2006シーズンも2トップの一角として、ユヴェントスのセリエA首位独走に貢献した。2006/2007シーズンからは、ユヴェントスの審判操作疑惑によるチームのセリエB降格の影響により、ACミランへの移籍も噂されたが2006年8月10日に2460万ユーロ(約37億円)の移籍金でユヴェントス最大のライバルであるインテルナツィオナーレ・ミラノへの移籍が発表された。

2006-2007シーズンはセリエA初年度の16ゴールには及ばなかったものの15ゴールを記録し、インテルの15度目のスクデットに貢献した。しかし、セリエAにおける活躍に対してチャンピオンズリーグでは無得点で、ベスト16で敗退した。

2007-2008シーズンは右膝の怪我に悩まされたものの、セリエAで17ゴールを記録しインテルの16度目のスクデットに貢献した。特にセリエA最終節のパルマFC戦では後半途中から投入されると2ゴールを奪い、この活躍でインテルは勝利。スクデット獲得を決めた。チャンピオンズリーグのグループリーグでは5ゴールを記録するも決勝トーナメント1回戦のリバプールFC戦では無得点に終わり、チームはまたしてもベスト16で敗退した。

2008-2009シーズンはチャンピオンズリーグではわずか1ゴールに終わりチームも三度ベスト16で敗退するも、セリエAでは得点を量産し、インテルのセリエA4連覇に貢献。25ゴールを記録し、セリエA得点王に輝いた。

FCバルセロナ時代[編集]

バルセロナでプレーするイブラヒモビッチ(左)
バルセロナ時代のイブラヒモビッチ

2008-2009シーズン終了後、「セリエAでやることはもうない」という発言から移籍が噂されたが、クラブや自身も残留を明言。新シーズンの背番号が10に決定するなどインテルに残留すると思われたが、2009年7月27日サミュエル・エトオ+移籍金4600万ユーロとのトレードでFCバルセロナへ移籍。5年契約で、背番号はエトオが付けていた9。

2009-2010シーズン、バルサのスタイルに馴染めるかどうかが不安視されていたが日を追うごとに周囲の選手との連係を高め、リーガ開幕戦のスポルティング・ヒホン戦では早速ゴールを決めた。その後も順調にゴールを重ね、移籍初年度選手の開幕から5戦連続ゴールというバルサのクラブ記録を打ち立て、自身初のエル・クラシコでは後半からアンリに代わって出場し、ダニエウ・アウヴェスからの絶妙なクロスに走り込み、左足のボレーシュートを放ち決勝点となった。しかし、シーズン後半は怪我によるコンディションの不調から徐々に調子を落とし、終盤にはベンチスタートも多くなった。最終的には29試合に出場し16ゴールをマークしたが、期待に100%応えたとは言い難い出来だった。

ACミラン時代[編集]

ミラン時代のイブラヒモビッチ

2010年8月28日ACミランレンタル移籍。わずか1年でのセリエA復帰となった。なお、翌年には移籍金2400万ユーロで4年契約の完全移籍が可能になるオプションが付く。背番号は11。本人はバルセロナのグアルディオラ監督との確執があったと後に語っている。

2010-2011シーズン、入団1年目のミランでも不動の存在となり、リーグ戦14得点を記録。インテルに5連覇を許すなど、長く不振に喘いでいたミランに7季ぶりとなるスクデットをもたらした。一方、チャンピオンズリーグでは決勝トーナメント一回戦にトッテナム・ホットスパーに敗れ、ベスト16敗退となった。

ミランが買い取りオプションを行使し、完全移籍を果たす。2011-2012シーズンはシーズンを通じて好調を維持し、エースとしてチームを牽引。チャンピオンズリーグでは準々決勝でバルセロナに敗れ、ベスト8で敗退となったが、リーグ戦では自己最多の28ゴールを記録して自身2度目のセリエA得点王を獲得した。またともに自己最多となる公式戦合計35得点、15アシストを記録した[1]。しかし、チームはユヴェントスとの優勝争いに敗れ、スクデット連覇を逃す。これにより、アヤックス時代から続いていた自身の国内リーグ連続優勝記録が8年で途切れた。

パリ・サンジェルマン時代[編集]

パリ・サンジェルマンで入団会見するイブラヒモビッチ

2012年7月18日パリ・サンジェルマンFCへ3年契約の移籍金2300万ユーロで移籍した[1]10月18日にはゴールデンフット賞を受賞した[2]。入団当初は背番号は「18」であったが、「10」を着けていたMFネネがシーズン中に退団したこともあり、シーズン途中からは背番号を「10」に変更。パリSGでもゴールを量産し、30得点を挙げる活躍を見せリーグ・アン得点王に輝き最優秀選手賞も受賞するなど、パリSGの19シーズンぶりのリーグ優勝に大きく貢献した。

代表での実績[編集]

代表テビューは2001年1月31日フェロー諸島戦である。2002年日韓W杯の最終メンバーにも20歳の若さで選出されたが、グループリーグのアルゼンチン戦と決勝トーナメント1回戦のセネガル戦の2試合30分の出場にとどまった。

EURO2004の本大会からレギュラーに定着すると、グループステージ第1節のブルガリア戦でPKを決め、続く第2節のイタリア戦ではゴールに背を向けたままジャンプしながら踵でループシュートを決め、チームをグループステージ突破に導いた。準々決勝のオランダ戦、PK戦にもつれ込んだこの試合で3番目のキッカーとして登場するが、これを外し、オランダに敗れた。

2006年ドイツW杯欧州予選でも8試合8得点を記録し、スウェーデン代表として本大会への切符を手にした。しかし本大会では精彩を欠き、グループリーグ途中からベテランのマルクス・アルベックにスタメンの座を奪われるなど無得点に終わる。チームも開催国・ドイツに敗れベスト16にとどまった。2006年9月の欧州選手権予選期間中に「規律を守らなかった」としてクリスティアン・ヴィルヘルムソンオロフ・メルベリらと共に同国代表を追放された。その後、二転三転あったものの、2007年3月の試合から代表復帰を果たした。

EURO2012のウクライナ戦でゴールを決めたイブラヒモビッチ

EURO2008ではグループリーグ第1戦のギリシャ戦で強烈なミドルシュートを決めた。このゴールはイブラヒモビッチの代表として実に2年8ヶ月ぶりのゴールとなった。試合はその後スウェーデンが追加点を決め2-0で前回大会王者であるギリシャを下した。第2戦のスペイン戦ではフェルナンド・トーレスに先制点を許すも自身の同点ゴールで試合を1-1とする。しかし後半ロスタイムにダビド・ビジャに決勝点を決められ、試合は1-2で敗れた。決勝トーナメント進出をかけて臨んだ第3戦のロシア戦ではフル出場するも不発に終わり、試合も0-2で敗れグループリーグ突破はならなかった。大会前からの自身の右膝の怪我もあり、不本意な結果で本大会を終えた。

2010年W杯欧州予選ではデンマークポルトガルなどの強豪と同居したグループ1で3位に終わり、本大会出場はならなかった。2009年12月24日代表引退を表明。尚、「『しばらくの間』は代表でプレイしない」とも述べていた。2010 FIFAワールドカップ終了後に代表復帰を表明し、2010年8月11日のスコットランドとの親善試合に出場、決勝点を挙げた。

ヘンリク・ラーションの引退後は代表キャプテンに任命される。 EURO2012予選では、フィンランド戦でハットトリックを達成するなどチーム最多の5ゴールを決め、スウェーデンの4大会連続となるEURO本戦出場に貢献した。迎えたEURO2012本戦、グループリーグ第1戦の開催国ウクライナ戦では先制ゴールをマークしたが、アンドリー・シェフチェンコに立て続けにゴールを許し、チームは1-2で敗戦。第2戦のイングランド戦でも2-3で敗れ、2戦連続で逆転負けを喫した。すでにスウェーデンのグループリーグ敗退が決定した中で迎えた第3戦のフランス戦であったが、この試合で先制点となる豪快なボレーシュートを叩き込み、2-0でのスウェーデンの大会初勝利に貢献した。こうした活躍もあり、イブラヒモビッチはUEFA選定の大会優秀選手23名に選ばれた。 チームの早期敗退に落胆した様子であったが、2014 FIFAワールドカップを目指して代表でのプレー続行を明言。

プレースタイル[編集]

華麗なテクニックと抜群のフィジカルを兼ね備えたエゴイストモンスター。195cmの長身で空中戦、フィジカルコンタクトに強く、足元のボールコントロールが正確で、スピードもあり、堅実なポストプレーもできる万能型アタッカーである。身体能力が高くアクロバティックなシュートも得意。また自ら点を取るだけでなく、アシスト役もこなせ、トリッキーなプレーで観客を魅了するなど、技能の高さは一級品。その一方で、性格的にむらがあり、監督や同僚との衝突もいとわない。国籍はスウェーデンだが、両親は旧ユーゴスラビアからの移民で、メンタリティーとテクニックにバルカン系の特徴が色濃く表れている[3][4][5][6][7]

エピソード[編集]

サインに応じるイブラヒモビッチ
  • 幼少期からテコンドーを習っており、黒帯も取得している[8]。高いボールをアクロバティックにミートするキックの柔軟性はテコンドーによって養われた[9]
  • ともにプレーした中で最高の選手は、ユヴェントス・インテル時代のチームメイトであったパトリック・ヴィエラであると述べている[10]
  • スウェーデン語の辞書に"zlatanera"(支配する)という彼にちなんだ造語が新語として正式に登録された[11]

所属クラブ[編集]

イタリアの旗 ミラン 2010-2011 (loan)
  • イタリアの旗 ミラン 2011-2012
  • フランスの旗 PSG 2012-

個人成績[編集]

クラブ[編集]

クラブ シーズン リーグ リーグ戦 カップ戦 欧州カップ戦 合計
試合 ゴール 試合 ゴール 試合 ゴール 試合 ゴール
マルメFF 1999 アルスヴェンスカン 6 1 - - - - 6 1
2000 スーペレッタン 26 12 - - - - 26 12
2001 アルスヴェンスカン 8 3 - - - - 8 3
アヤックス 2001–02 エールディヴィジ 24 6 3 0 6 2 33 8
2002–03 25 13 3 3 13 5 41 21
2003–04 22 13 1 0 6 2 29 15
2004–05 3 3 - - - - 3 3
ユヴェントスFC 2004–05 セリエA 35 16 0 0 10 0 45 16
2005–06 35 7 2 0 9 3 46 10
インテル 2006–07 27 15 2 0 7 0 36 15
2007–08 26 17 1 0 7 5 34 22
2008–09 35 25 3 3 8 1 46 29
FCバルセロナ 2009–10 プリメーラ 29 16 2 1 10 4 41 21
ACミラン 2010–11 セリエA 29 14 4 3 8 4 41 21
2011–12 32 28 3 1 8 5 43 34
パリ・サンジェルマン 2012–13 リーグ・アン 34 30 2 2 9 3 45 35
2013–14
合計 スウェーデン 40 16 - - - - 40 16
オランダ 74 35 7 3 25 9 106 47
イタリア 219 122 15 7 57 18 291 147
スペイン 29 16 2 1 10 4 41 21
フランス 34 30 2 2 9 3 45 35
合計 396 219 26 13 101 34 523 266

代表での成績[編集]

代表国 出場 得点
2001  スウェーデン 5 1
2002 10 2
2003 4 3
2004 12 8
2005 5 4
2006 6 0
2007 7 0
2008 7 2
2009 6 2
2010 4 3
2011 11 3
2012 8 11
2013 11 9
2014
通算 96 48

代表での得点[編集]

# 開催日 開催地 対戦国 スコア 結果 大会
1 2001年10月7日 スウェーデンの旗ソルナロースンダ・スタディオン アゼルバイジャンの旗 アゼルバイジャン 3–0 3–0 2002 FIFAワールドカップ予選
2 2002年8月21日 ロシアの旗モスクワロコモティフ・スタジアム ロシアの旗 ロシア 1–1 1–1 親善試合
3 2002年10月12日 スウェーデンの旗ソルナ、ロースンダ・スタディオン ハンガリーの旗 ハンガリー 1–1 1–1 UEFA EURO 2004予選
4 2003年4月30日 スウェーデンの旗ソルナ、ロースンダ・スタディオン クロアチアの旗 クロアチア 1–1 1–2 親善試合
5 2003年9月6日 スウェーデンの旗ヨーテボリウッレヴィ サンマリノの旗 サンマリノ 3–0 5–0 UEFA EURO 2004予選
6 5–0
7 2004年3月31日 スウェーデンの旗ヨーテボリ、ウッレヴィ イングランドの旗 イングランド 1–0 1–0 親善試合
8 2004年6月14日 ポルトガルの旗リスボンエスタディオ・ジョゼ・アルヴァラーデ ブルガリアの旗 ブルガリア 4–0 5–0 UEFA EURO 2004
9 2004年6月18日 ポルトガルの旗ポルトエスタディオ・ド・ドラゴン イタリアの旗 イタリア 1–1 1–1 UEFA EURO 2004
10 2004年8月18日 スウェーデンの旗ソルナ、ロースンダ・スタディオン オランダの旗 オランダ 2–2 2–2 親善試合
11 2004年9月4日 マルタの旗タカリタァリ・ナショナル・スタジアム マルタの旗 マルタ 0–1 0–7 2006 FIFAワールドカップ予選
12 0–2
13 0–3
14 0–5
15 2005年6月4日 スウェーデンの旗ヨーテボリ、ウッレヴィ マルタの旗 マルタ 4–0 6–0 2006 FIFAワールドカップ予選
16 2005年9月4日 スウェーデンの旗ソルナ、ロースンダ・スタディオン ブルガリアの旗 ブルガリア 3–0 3–0 2006 FIFAワールドカップ予選
17 2004年9月7日 ハンガリーの旗ブダペストプシュカーシュ・フェレンツ・シュタディオン ハンガリーの旗 ハンガリー 0–1 0–1 2006 FIFAワールドカップ予選
18 2005年10月12日 スウェーデンの旗ソルナ、ロースンダ・スタディオン アイスランドの旗 アイスランド 1–1 3–1 2006 FIFAワールドカップ予選
19 2008年6月10日 オーストリアの旗ザルツブルクレッドブル・アレーナ ギリシャの旗 ギリシャ 0–1 0–2 UEFA EURO 2008
20 2008年6月14日 オーストリアの旗インスブルックティヴォリ・シュターディオン スペインの旗 スペイン 1–1 1–2 UEFA EURO 2008
21 2009年6月10日 スウェーデンの旗ヨーテボリ、ウッレヴィ マルタの旗 マルタ 3–0 4–0 2010 FIFAワールドカップ予選
22 2009年9月5日 ハンガリーの旗ブダペスト、プシュカーシュ・フェレンツ・シュタディオン ハンガリーの旗 ハンガリー 1–2 1–2 2010 FIFAワールドカップ予選
23 2010年8月11日 スウェーデンの旗ソルナ、ロースンダ・スタディオン スコットランドの旗 スコットランド 1–0 3–0 親善試合
24 2010年9月7日 スウェーデンの旗マルメスウェドバンク・スタディオン サンマリノの旗 サンマリノ 1–0 6–0 UEFA EURO 2012予選
25 5–0
26 2011年6月7日 スウェーデンの旗ソルナ、ロースンダ・スタディオン フィンランドの旗 フィンランド 2–0 5–0 UEFA EURO 2012予選
27 3–0
28 4–0
29 2012年2月29日 クロアチアの旗ザグレブスタディオン・マクシミール クロアチアの旗 クロアチア 0–1 1–3 親善試合
30 2012年5月30日 スウェーデンの旗ヨーテボリ、ウッレヴィ アイスランドの旗 アイスランド 1–0 3–2 親善試合
31 2012年6月5日 スウェーデンの旗ソルナ、ロースンダ・スタディオン セルビアの旗 セルビア 2–1 2–1 親善試合
32 2012年6月11日 ウクライナの旗キエフオリンピスキ・スタジアム ウクライナの旗 ウクライナ 0–1 2–1 UEFA EURO 2012
33 2012年6月19日 ウクライナの旗キエフ、オリンピスキ・スタジアム フランスの旗 フランス 1–0 2–0 UEFA EURO 2012
34 2012年10月12日 フェロー諸島の旗トースハウンTórsvøllur フェロー諸島の旗 フェロー諸島 1–2 1–2 2014 FIFAワールドカップ予選
35 2012年10月16日 ドイツの旗ベルリンベルリン・オリンピアシュタディオン ドイツの旗 ドイツ 4–1 4–4 2014 FIFAワールドカップ予選
36 2012年11月14日 スウェーデンの旗ソルナ、フレンズ・アレーナ イングランドの旗 イングランド 1–0 4–2 親善試合
37 2–2
38 3–2
39 4–2
40 2013年6月11日 スウェーデンの旗ソルナ、フレンズ・アレーナ フェロー諸島の旗 フェロー諸島 1–0 2–0 2014 FIFAワールドカップ予選
41 2–0
42 2013年8月14日 スウェーデンの旗ソルナ、ロースンダ・スタディオン ノルウェーの旗 ノルウェー 1–0 4–2 親善試合
43 2–0
44 3–2
45 2013年9月10日 カザフスタンの旗アスタナアスタナ・アリーナ カザフスタンの旗 カザフスタン 0–1 0–1 2014 FIFAワールドカップ予選
46 2013年10月11日 スウェーデンの旗ソルナ、フレンズ・アレーナ カザフスタンの旗 カザフスタン 2–1 2–1 2014 FIFAワールドカップ予選
47 2013年11月19日 スウェーデンの旗ソルナ、フレンズ・アレーナ ポルトガルの旗 ポルトガル 1–1 2–3 2014 FIFAワールドカップ予選プレーオフ
48 2–1

獲得タイトル[編集]

クラブ[編集]

オランダの旗 アヤックス
イタリアの旗 インテル
スペインの旗 FCバルセロナ
イタリアの旗 ACミラン
フランスの旗 パリ・サンジェルマンFC

個人[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]