サッカークロアチア代表
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| 国または地域 | ||||
| 協会 | クロアチアサッカー連盟 | |||
| 愛称 | Vatreni | |||
| 監督 | イゴール・シュテマッツ | |||
| 最多出場選手 | ヨシプ・シムニッチ(102試合) | |||
| 最多得点選手 | ダヴォール・シューケル(45得点) | |||
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| 初の国際試合 | 1990年10月17日対アメリカ合衆国 2-1 |
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| 最大差勝利試合 | 1998年6月6日対オーストリア 7-0 |
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| 最大差敗戦試合 | 1994年4月20日対スロバキア 1-4 |
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| FIFAワールドカップ | ||||
| 出場回数 | 3回(初出場は1998) | |||
| 最高成績 | 3位 (1998) | |||
| UEFA欧州選手権 | ||||
| 出場回数 | 3回 | |||
| 最高成績 | ベスト8 (1996, 2008) | |||
サッカークロアチア代表(クロアチア語: Hrvatska nogometna reprezentacija)はクロアチアサッカー連盟(HNS)によって編成されるサッカーのナショナルチームである。愛称はヴァトレニ(炎の意)。ユニフォームはクロアチアの国章に使用されている紅白の市松模様を基調とする。
目次 |
歴史[編集]
前史[編集]
クロアチアはナチス・ドイツ支援の下、1939年から1945年にかけてクロアチア独立国としてユーゴスラビア王国を解体し独立した政権を樹立していた。1940年4月2日にザグレブでスイス代表と対戦し、4-0で勝利したという記録が残っている。クロアチアはこの後永世中立国のスイスの他ドイツ、イタリア、ハンガリー、ルーマニア、独立スロバキア等ヨーロッパの枢軸国若しくはその傀儡国家と親善試合を行っており1944年までその数は19を数える。またユーゴスラビア成立後の1956年にクロアチア選抜が結成された記録が残っている。
クロアチア代表の成立[編集]
クロアチアは1991年にユーゴスラビア連邦から離脱する以前は、ユーゴスラビア連邦の一共和国であり、ナショナルチームはユーゴスラビア代表に属していた。
但しユーゴスラビア代表は1980年代中ごろからチームとして崩壊に向かっており、クロアチア出身の選手に対して、ユーゴスラビア代表に加わらないよう政治的圧力がかけられる事がしばしばあった。
こうした状況の中で、1990年のワールドカップ直後にクロアチア代表が編成されザグレブにアメリカ合衆国代表を招いて、クロアチア代表初となる国際試合が開かれた。この時点でクロアチアは独立していなかったが、連邦からの離脱はほぼ規定路線であった。翌年6月にクロアチアはスロベニアと共にユーゴスラビアから独立するが、ワールドカップ終了後に始まったユーロ92予選には、クロアチア、スロベニア出身の選手は参加していなかった。
クロアチア代表の活躍[編集]
クロアチア代表の歴史の中で、特筆すべきは、1998年のフランス大会での活躍である。欧州予選ではグループ最終戦の開始時点で自力でのプレーオフ進出すら不可能な状況に追い込まれたが、そこでアウェイでスロベニアに勝利する。同時進行のアテネでのギリシャ対デンマークはギリシャが勝利すれば予選を突破し、デンマークがプレーオフに回るという試合だったが、0-0で終了したためデンマークが予選突破を決め、クロアチアがプレーオフへと駒を進めた。そこでもウクライナを2試合合計3-1で破り、ワールドカップ初出場を決めた。
本大会ではグループリーグでアルゼンチン代表以外の3チーム、即ち日本代表、ジャマイカ代表、そしてクロアチア代表が何れもワールドカップ初出場と言う特異なグループに入るが、アルゼンチンには敗れたものの、ジャマイカ、日本を破り2位でグループリーグを通過、決勝トーナメントに進出した。
決勝トーナメントでは初戦でルーマニア、準々決勝でドイツとあたりこれを撃破した。特にドイツを3-0で打ち破った事は大きな驚きを世界にもたらした。続く準決勝でこの大会の優勝国となるフランスと対戦。1-2で逆転負けしたものの、3位決定戦ではオランダを2-1で破って3位入りを果たした。この大会で6点を挙げたクロアチア代表のダヴォール・シューケルは得点王に輝いた。
日韓W杯以降はチームの高齢化などによってしばらく停滞していた時期もあったが、近年はルカ・モドリッチ、ニコ・クラニチャール、エドゥアルド・ダ・シルバら若手選手が台頭してきたこともあり、EURO2008予選ではホームとアウェーでイングランドに2連勝し、本戦ではドイツに勝ち、決勝トーナメント進出を果たした。その後のFIFAランキングは急上昇し、最高で5位まで上がっている。
2010年FIFAワールドカップ予選は、主力選手の怪我やイングランド、ウクライナ等の強豪国と同グループになったことから予選3位で終わり、初の予選敗退を喫した。
FIFAワールドカップの成績[編集]
| 開催国 / 年 | 成績 | 試 | 勝 | 分 | 負 | 得 | 失 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 不参加 | |||||||
| 3位 | 7 | 5 | 0 | 2 | 11 | 5 | |
| グループリーグ敗退 | 3 | 1 | 0 | 2 | 2 | 3 | |
| グループリーグ敗退 | 3 | 0 | 2 | 1 | 2 | 3 | |
| 予選敗退 | |||||||
| 合計 | 出場3回 | 13 | 6 | 2 | 5 | 15 | 11 |
UEFA欧州選手権の成績[編集]
| 開催国 / 年 | 成績 | 試 | 勝 | 分 | 負 | 得 | 失 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| ベスト8 | 4 | 2 | 0 | 2 | 5 | 5 | |
| 予選敗退 | |||||||
| グループリーグ敗退 | 3 | 0 | 2 | 1 | 4 | 6 | |
| ベスト8 | 4 | 3 | 1 | 0 | 5 | 2 | |
| グループリーグ敗退 | 3 | 1 | 1 | 1 | 4 | 3 | |
| 合計 | 出場4回 | 14 | 6 | 4 | 4 | 18 | 16 |
歴代監督[編集]
ドラジャン・イェルコヴィッチ 1990-1991
スタンコ・ポクレポヴィッチ(en:Stanko Poklepović) 1992
ヴラトコ・マルコヴィッチ(en:Vlatko Marković) 1993
ミロスラヴ・ブラジェヴィッチ(en:Miroslav Blažević) 1994-2000
ミルコ・ヨジッチ(en:Mirko Jozić) 2000-2002
オットー・バリッチ(en:Otto Barić) 2002-2004
ズラトコ・クラニチャール 2004-2006
スラベン・ビリッチ 2006-2012
イゴール・シュテマッツ 2012-
選手[編集]
- GK
- DF
- MF
- FW
キャップ[編集]
| 位 | 名前 | キャップ数 | 期間 |
|---|---|---|---|
| 1 | ヨシプ・シムニッチ | 102 | 2001- |
| 2 | スティペ・プレティコサ | 101 | 1999- |
| 3 | ダリヨ・スルナ | 100 | 2002- |
| ダリオ・シミッチ | 100 | 1996-2008 | |
| 5 | ロベルト・コヴァチ | 84 | 1999-2008 |
| 6 | イヴィツァ・オリッチ | 83 | 2002- |
| ニコ・コヴァチ | 83 | 1999-2008 | |
| 8 | ロベルト・ヤルニ | 81 | 1990-2002 |
| 9 | ニコ・クラニチャール | 76 | 2004- |
| 10 | ダヴォール・シューケル | 69 | 1990-2002 |
得点[編集]
| 位 | 名前 | 得点数 | 期間 |
|---|---|---|---|
| 1 | ダヴォール・シューケル | 45 | 1990-2002 |
| 2 | エドゥアルド・ダ・シルヴァ | 27 | 2004- |
| 3 | ダリオ・スルナ | 20 | 2002- |
| 4 | イヴィツァ・オリッチ | 16 | 2002- |
| 5 | ゴラン・ヴラオヴィッチ | 15 | 1992-2002 |
| ニコ・クラニチャール | 15 | 2004- | |
| 7 | ニコ・コヴァチ | 14 | 1996-2008 |
| 8 | ズボニミール・ボバン | 12 | 1990-1999 |
| イヴァン・クラスニッチ | 12 | 2004- | |
| ムラデン・ペトリッチ | 12 | 2001- |
脚注[編集]
ちなみにフランス代表はこの大会においてわずか2失点(これはワールドカップ記録)しかしておらず、そのうちの1点がクロアチアから失点したものである。
また、その1分後にフランスが同点ゴールを挙げるが、この大会でフランスが相手にリードを許した時間帯はこの1分間だけである。
外部リンク[編集]
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