リオネル・メッシ

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リオネル・メッシ Football pictogram.svg
Lionel Messi at Bernabeu.jpg
名前
愛称 レオ、プルガ(
プルガ・アトミカ(強力な蚤)[1]
メシアス(メシア[2]
カタカナ リオネル・メッシ
ラテン文字 Lionel Andrés Messi
基本情報
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
スペインの旗 スペイン
生年月日 1987年6月24日(27歳)
出身地 ロサリオ
身長 169cm
体重 67kg
選手情報
在籍チーム スペインの旗 FCバルセロナ
ポジション FW(CF)
背番号 10
利き足 左足
ユース
1995–2000 ニューウェルス・オールドボーイズ
2000–2003 FCバルセロナ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2003–2004 スペインの旗 バルセロナC 10 (5)
2004–2005 スペインの旗 バルセロナB 22 (6)
2004– スペインの旗 バルセロナ 279 (245)
代表歴2
2004̣–2005 アルゼンチンの旗 アルゼンチンU20 16 (11)
2007–2008 アルゼンチンの旗 アルゼンチンU23 5 (2)
2005– アルゼンチンの旗 アルゼンチン 93 (42)
1. 国内リーグ戦に限る。2014年7月1日現在。
2. 2014年7月15日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

リオネル・アンドレス・メッシ・クッチッティーニ(Lionel Andrés Messi Cuccittini, 1987年6月24日 - )は、アルゼンチンサンタフェ州ロサリオ出身のプロサッカー選手プリメーラ・ディビシオンFCバルセロナ所属。イタリア系アルゼンチン人である。アルゼンチン代表。ポジションはウイングセンターフォワード攻撃的ミッドフィールダー。成長ホルモンの分泌障害を抱え、その治療のための成長ホルモン投与によって現在の身長と運動能力を得ている[3]

来歴[編集]

幼少期[編集]

アルゼンチンのロサリオにて、工場労働者の父とパートタイムの清掃員である母の間に生まれた[4][5][6]。父方の祖先アンジェロ・メッシはイタリアアンコーナ出身であり、1883年にアルゼンチンに移住した[7][8][6] 。5歳の時には父親がコーチを務めるクラブで本格的にサッカーを始め、1995年には地元のクラブであるニューウェルス・オールドボーイズに入団する。10歳の頃成長ホルモンの分泌異常の症状(低身長)が発覚、成長ホルモン投与などの治療なしでは身体が発達しないと診断されたが、ニューウェルズ・オールドボーイズは治療費の工面を拒否し、リーベル・プレートも獲得を諦めた。

クラブ[編集]

バルセロナ入団[編集]

人生の転機となったのは、13歳の時に受験し合格したスペインリーガ・エスパニョーラFCバルセロナの入団テスト。当時の監督カルロス・レシャックは彼のプレーを一目見ただけでその小さな身体に驚くべき才能と将来性が宿っていることを悟り、すぐさま合格を決めたという。FCバルセロナは家族揃ってのバルセロナへの移住を条件に治療費を全額負担することを約束し、家族もこれを快諾。2001年3月1日正式契約を結びスペインでの新たな生活を始めることとなる。この時、彼の身長は143cmだった。治療のため一家での引越しだったとはいえリオネル少年にとって生まれ育った母国の友人らと別れる事になるのは子供心にショックな事だった。スペイン在住となってからでもアルゼンチン時代の幼なじみや友人知人とはこまめに連絡を取り合っていた[3]

ユースチームで治療とトレーニングを続けた結果、標準の成長ホルモン量には届かなかったものの、身長は169cmまで伸び、選手としても一流のテクニックを披露するまでに成長。17歳となった2004年10月16日、第7節エスパニョール戦にてプリメーラ・ディビシオン・デビューを果たすと、2005年5月1日の第34節アルバセテ・バロンピエ戦で初得点。17歳と10ヶ月7日で決めたこの得点は、後にメッシ自身のアシストからボージャン・クルキックが17歳と51日で記録するまでクラブ史上最年少得点だった。このシーズンはレギュラー定着とはならなかったが、その才能をのぞかせ、リーガ制覇を経験した。

世界最高峰の選手へ[編集]

バルセロナと2014年まで契約期間を延長し、スペインの市民権を得て臨んだ2005-06シーズン、リュドヴィク・ジュリとの右ウィングのポジション争い時にこのフランス代表のライバルを上回る活躍を披露。ワールドユースも含めた質の高いプレーが人々に認知され、イタリアのスポーツ紙Tuttosportが選ぶゴールデンボーイ賞(U-21欧州最優秀選手賞)にクリスティアーノ・ロナウドウェイン・ルーニーを抑えて選出された。UEFAチャンピオンズリーグの対チェルシーFC戦・1stレグを始め、相手左サイドをしばしば混乱に陥れるビッグプレイを連発した素晴らしいシーズンではあったが、対チェルシー戦の2ndレグ中に右足の筋肉を故障してしまいその後のシーズンを棒に振る。リーガでは17試合、チャンピオンズリーグでは6試合の出場に終わったが、チームはリーガ、チャンピオンズリーグの二冠を達成。その偉業に少なくない貢献をした。

ヘタフェ戦でのメッシのゴールシーン

2006-2007シーズンは故障による欠場が目立ったものの、右サイドから切れ込むドリブルが冴え渡り数々の印象的なプレイを披露する。バルセロナ最大のライバルであるレアル・マドリードとのエル・クラシコでは自身初のハットトリックを達成(試合結果は3-3)し、スペイン国王杯「コパ・デル・レイ」準決勝1stレグ、ホームでの対ヘタフェ戦においては、センターサークル付近から5人をかわして得点を決めた。後者はアルゼンチンサッカー界の英雄ディエゴ・マラドーナ1986 FIFAワールドカップにおける伝説の5人抜きゴールとほぼ同じコースを辿った、同じ13回のタッチでのゴールであり、当時のリーガ最少失点チーム相手に繰り出した「マラドーナ2世」と呼ばれる彼の"後継者"たる所以を見せ付けたスーパープレーだった。第37節のエスパニョール戦では、マラドーナばりの「神の手」ゴールも記録した。チームはリーガ3連覇とチャンピオンズリーグ2連覇のどちらも達成できずに終わったが自身はリーグ、カップ合計で36試合に出場し17得点と奮闘した。

2007-08シーズンは、ジュリがローマに移籍したものの、プレミアリーグアーセナルからフランス代表のエースストライカー、ティエリ・アンリがチームに加入。サミュエル・エトオロナウジーニョにメッシ自身と4人のワールドクラスのFWを揃えた陣容は「ファンタスティック4」と呼ばれその圧倒的な攻撃力が期待されたが、アンリがチームのスタイルに合うまでに時間を擁し、エトオが負傷、ロナウジーニョが不調と、思うように攻撃陣が機能しない序盤戦、単独での突破から貴重なゴールを幾度となく決めチームを支え、欧州最優秀選手を選出するバロンドールではカカクリスティアーノ・ロナウドに次ぐ3位に選出された。

2008-09シーズンは、ACミランに移籍したロナウジーニョに代わって背番号10を背負ってチームを牽引。これまで孤立しがちだった右サイドにダニエウ・アウヴェスという心強い相棒が加わったこともあって、前線のエトオ、アンリと共にゴールを量産。初めて年間通して故障らしい故障もなく過ごし、チームはUEFAチャンピオンズリーグなどで優勝し見事に三冠を達成。メッシは大会を通じて9得点を挙げ得点王に輝いた。2008-09シーズンの総計38得点は、チーム得点王。リーガ第21節、ラシン・サンタンデール戦(エル・サルディネーロ)では、バルセロナのリーガ通算5000ゴール目を決めた。ラシン・サンタンデールは、リーガ初年度第1節(1929年2月12日、エル・サルディネーロ)でマヌエル・パレーラがバルセロナのリーガ初得点を記録した相手でもある。

バロンドール受賞以降[編集]

2011年2月9日に行われたポルトガル戦前のメッシ(右)とクリスティアーノ・ロナウド(左)

2009年12月1日にはアルゼンチン出身の選手としては3人目(4度目)となるバロンドールに選出された[註 1]。12月のクラブワールドカップでは負傷した状態での参加となったが試合には間に合い、準決勝のアトランテFC戦では途中出場し、決勝点を挙げる。決勝のエストゥディアンテス戦では先発出場し、延長戦の末にダニエウ・アウヴェスのクロスを胸で押し込み決勝点を挙げ、バルセロナの優勝に貢献。メッシは大会選定のゴールデンボール賞(MVP)を受賞した。胸でボールを押し込んだことに関してメッシは「相手GKが体勢を崩していて強いシュートを打つ必要がなかったので、確実にボールを押し込むために胸を使った」と話した[9]。12月21日にはアルゼンチン人としては初となるFIFA年間最優秀選手に選出された。2007年、2008年と2年連続で次点となっていた[註 2]ため、3度目の正直での受賞となった。

2010年1月16日のセビージャ戦で、自身バルセロナ通算100得点を史上最年少で達成した。3月6日のアルメリア戦で決勝点を挙げると、14日のバレンシア戦、21日のサラゴサ戦と2試合連続でハットトリックを達成するなど、バルセロナの得点を9連続で記録した[註 3]。4月6日のチャンピオンズリーグ準々決勝・アーセナルとの2ndレグで、大会史上6人目となる1試合4得点[註 4]を達成した[10]。決勝トーナメントでの1試合4得点は史上初であり[10]、この得点でチャンピオンズリーグ通算得点が25となり、リバウドを抜いてバルセロナ歴代1位となった。チャンピオンズリーグは準決勝で敗退し連覇を逃したものの、リーガではその後も得点を挙げ続け、バルセロナの連覇に貢献。メッシ自身は35試合に出場して34得点を挙げ、得点王、ヨーロッパ・ゴールデンシューに輝いた。リーグ34得点、シーズン公式戦通算47得点はロナウドと並び、バルセロナ最多タイ記録となった[11]

2011年1月10日、バルセロナの同僚でありワールドカップ優勝メンバーでもあるアンドレス・イニエスタシャビを抑え、2年連続でバロンドールを受賞した。2年連続でバロンドールを受賞したのは史上6人目であり、複数回バロンドールを受賞するのは史上9人目の快挙である。バロンドールがFIFA最優秀選手賞と統合され、FIFAバロンドールとなってからは最初の受賞者となった。授賞式のスピーチでメッシは「まさか自分が受賞するとは思わなかった」と複雑な表情を見せていた。

2010-11シーズンも、前シーズンと変わらぬ活躍を見せる。ダビド・ビジャの加入により、ビジャ、ペドロよりも低い位置でプレーすることになった結果、より自由に攻撃の才覚を発揮した。アシスト数が格段に増えた他、前シーズン同様の得点能力も見せた。リーガ・エスパニョーラでの得点王はクリスティアーノ・ロナウド(40得点)に譲ったもの、CLやカップ戦を含めたシーズン得点数では、ロナウドと同じ53得点を記録した。特筆すべき得点は、レアル・マドリードとのチャンピオンズリーグ準決勝1stレグでの2得点、マンチェスター・ユナイテッドとの決勝での勝ち越しゴールなどが挙げられる。チャンピオンズリーグではルート・ファン・ニステルローイと並び大会史上最多タイとなる12得点を挙げ、3季連続の得点王を獲得。バルセロナの2シーズンぶりの優勝に大きく貢献した。2011年8月25日には新たに設立されたUEFA欧州最優秀選手賞の初代受賞者に選出された[12]

2011-12シーズンも開幕から得点を量産し、2011年9月28日のチャンピオンズリーグ・BATEボリソフ戦で2得点を挙げ、ラディスラオ・クバラと並びクラブ史上2位タイとなる公式戦通算194得点とすると[13]、10月25日のラシン・サンタンデール戦で2得点を挙げ、単独2位となった[14]。2011年12月18日に日本で開催されたFIFAクラブワールドカップ決勝のサントスFC戦ではブラジルの新星ネイマールとのエース対決に注目が集まったが、試合は終始バルセロナがサントスを圧倒し、結果は4-0。メッシ自身も2得点の活躍で大会MVPに輝き、チームの2年ぶり2度目の大会制覇に貢献した。

2012年1月9日にはFIFAバロンドール男性部門の最優秀選手賞を受賞。3度目の受賞は史上4人目、3年連続での受賞はミシェル・プラティニに次ぐ史上2人目の快挙となった。

2月14日のチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦1stレグのバイエル・レヴァークーゼン戦で1得点を挙げ、チャンピオンズリーグ決勝トーナメント通算得点数を19とし、ラウル・ゴンサレスアンドリー・シェフチェンコを抜き歴代単独最多となった[15]。2月19日のバレンシア戦では自身のリーガ通算200試合出場を、4得点を挙げて祝った[16]。同月26日のアトレティコ・マドリード戦では決勝点を挙げたもののハンドリングでシーズン5回目の警告を受け、自身初の累積警告による出場停止処分を受けた[17]。3月7日のレヴァークーゼン戦2ndレグではチャンピオンズリーグ史上初となる1試合5得点を達成し、バルセロナの大勝に貢献した[18]。3月20日のグラナダCF戦でハットトリックを達成してバルセロナでの公式戦通算得点数を234とし、セサル・ロドリゲス・アルバレスの持つ記録を更新し歴代トップとなった[19]。3月24日のリーガ第30節のマジョルカ戦で自己最多となるシーズン35得点目を挙げ、8節を残してロナウドの持つリーガでのシーズン通算得点のクラブ記録を更新した[20]。4月3日のチャンピオンズリーグ準々決勝2ndレグ、ACミラン戦で2得点を挙げチャンピオンズリーグでのシーズン通算得点を14とし、昨年の自身の記録を更新して大会最多得点記録を樹立した[21]。4月7日のリーガ第32節のレアル・サラゴサ戦で2得点を挙げ、1972-73シーズンのゲルト・ミュラー以来39シーズンぶりとなる、1シーズン公式戦通算60得点を達成した[22]。5月2日のリーガ第20節延期分のマラガ戦で3得点し、これでシーズン公式戦68得点とし、ゲルト・ミュラーの持つ、シーズン公式戦67得点の最多得点記録を更新し[23]、最終的にシーズン公式戦73得点を記録し、リーガ、チャンピオンズリーグの両方で得点王を獲得。リーガでは史上最多記録となる50得点を挙げ、1976-77シーズンにディナモ・ブカレストドゥドゥ・ゲオルゲスクが記録した欧州リーグシーズン得点記録(47得点)を35年ぶりに更新した[24]。またチャンピオンズリーグでは前述の通り大会最多得点を記録し、史上初の4シーズン連続得点王となった[25]。しかし、チームはメッシの活躍も実らずリーガ4連覇を逃すと、チャンピオンズリーグでは準決勝でチェルシーに敗れ敗退した。

2012年12月9日のリーガ第15節のベティス戦では2得点を挙げてゲルト・ミュラーの年間ゴール記録(85得点)を40年ぶりに更新し、最終的に年間91得点を記録した[26]

2013年1月7日、クリスティアーノ・ロナウドとアンドレス・イニエスタを抑え、バロンドールを4年連続で受賞。4年連続4度目の受賞は共に史上初である[27]

2013年1月27日のリーガ第20節のオサスナ戦では4得点を決めてリーガ200得点を史上最年少(25歳217日)で達成し、テルモ・サラの持つ記録(29歳352日)を大幅に更新した[28]。3月9日のリーガ第27節のデポルティーボ・ラ・コルーニャ戦では第11節のマヨルカ戦から続く17戦連続27得点を達成。その後、第29節から3試合負傷欠場するも復帰後は再び得点を続け、最終的に21戦連続33得点を記録しリーグ戦における史上最多連続得点を記録した[29]。また、この記録によってプリメーラ・ディビシオンのバルセロナ以外の全19チームから得点を奪い、なおかつ得点を途切れさせずにリーグ戦を半周するという史上初の快挙を達成した[30]。シーズン終盤は負傷欠場の影響もあり記録更新はならなかったものの、リーガ46得点、公式戦60得点を挙げ2年連続得点王に輝いた。また、これによって3度目の欧州得点王となり、ヨーロッパ・ゴールデンシューの単独最多受賞者となった。チャンピオンズリーグでは1回戦2ndレグのACミラン戦で2得点を決めてチームの逆転勝利に貢献するも、パリ・サンジェルマンFC戦の1stレグで右足ハムストリングを負傷。2ndレグでは途中出場となり、こちらも逆転勝利に貢献した。準決勝でのバイエルン・ミュンヘン戦では1stレグには出場を果たしたものの、2ndレグでは出場機会はなく、ベンチからチームの敗退を見届けることとなった。9月18日のチャンピオンズリーグ、アヤックス戦ではチャンピオンズリーグ史上最多の4度目のハットトリックを達成した。

2013-14シーズンは開幕当初から度重なる負傷に悩まされ、11月10日のベティス戦では左足大腿の肉離れを起こし、1ヶ月半以上の離脱を強いられることとなった。2014年3月16日のオサスナ戦ではハットトリックを達成して親善試合&公式戦含めて通算371得点を記録、これによってパウリーノ・アルカンタラの記録を87年ぶりに更新しバルセロナ歴代最多得点者となった。続く3月23日のレアル・マドリード戦でもハットトリックを達成してエル・クラシコでの通算得点を21とし、アルフレッド・ディ・ステファノを抜いてクラシコ単独最多得点者となった。9月27日のグラナダ戦では2得点を決め、クラブ、代表合わせて公式戦通算400ゴールを達成した。

代表[編集]

アルゼンチン代表でプレーするメッシ
2014 FIFAワールドカップ決勝で敗れて悔しがるメッシ

2005年6-7月にオランダで開催されたFIFAワールドユース選手権アルゼンチン代表として参加し、エースとしてチームを牽引した。決勝のナイジェリア戦では先制点を自身がドリブルを仕掛け獲得したPKから、同点とされた後の勝ち越しゴールをセルヒオ・アグエロが獲得したPKから決め優勝に大きく貢献。大会を通じて6得点、得点王とMVPを獲得する大活躍を見せた。この活躍がフル代表監督ホセ・ペケルマンの目に止まり、同年8月17日のハンガリー戦でフル代表デビューを果たした。この試合では63分に途中出場したものの、そのわずか40秒後に相手選手に肘打ちを入れレッドカードを受け、涙を流しながら退場というほろ苦いデビューであった。

2006年夏にドイツで開催された2006 FIFAワールドカップには上述の怪我の回復が危惧されたが、プレイ可能な状態にまで回復し、代表に選出された。レギュラーとしての出場ではなかったが、グループステージの対セルビア・モンテネグロ戦にて、W杯でのアルゼンチン代表の最年少出場、最年少アシスト、最年少得点を記録する活躍をみせ、死のグループとも形容されたグループCの突破に貢献した。チームは準々決勝で開催国ドイツに敗れた。

2007年夏に母国アルゼンチンで開催されたFIFA U-20ワールドカップには出場資格を持っていたものの、既にフル代表に定着していた自身は辞退(アルゼンチン代表は2連覇を達成)、フル代表が臨むコパ・アメリカ2007へ出場した。レギュラーを徐々に手繰り寄せていた彼は、準々決勝の対ペルー戦、準決勝の対メキシコ戦で得点を決めるなどチームの決勝進出に貢献。しかし、決勝のブラジル戦で敗れ、準優勝に終わった。

2010年夏に南アフリカで開催された2010 FIFAワールドカップでは大会最大の注目選手として臨み、マラドーナと同じトップ下でプレー。グループリーグ第3戦のギリシャ戦では初めてキャプテンを務め(アルゼンチン代表史上最年少)、大会選定のマン・オブ・ザ・マッチに選出される活躍を見せた。チームはベスト4の座を懸けたドイツ戦で完敗し(0-4)、自身も30本のシュートを打つも無得点に終わるなど、マラドーナ2世のW杯は不完全燃焼に終わった(前年度にバロンドールを獲得した選手を擁する国は優勝できないというジンクスを破れず。バロンドールの呪い参照)。アルゼンチン国民の失望は激しく、ブーイングの嵐であった。

コパ・アメリカ2011では準々決勝で敗退し、自身も無得点に終わった。大会後に新たにアルゼンチン代表の監督に就任したアレハンドロ・サベージャからチームの新キャプテンに任命され、9月3日のベネズエラ戦ではキャプテンとしてプレーした[31]。2012年2月29日のスイスとの親善試合で、代表では初めてとなるハットトリックを達成した[32]。同年の6月9日には宿敵ブラジルとの親善試合でもハットトリックを達成するなど、2012年の国際Aマッチでは合計12得点を記録。それまでもアシストやドリブルで代表のエースとして一定の活躍はしていたものの、バルセロナでのゴール数ほどのゴールを代表では決めていなかったため、「クラブでは活躍できても代表では活躍できない」という批判もされてきたが、それらを蹴散らすかのように、アルゼンチン代表でも才能が開花した年になった。

2013年6月14日にグアテマラとの親善試合においてハットトリックを決め、これによって代表通算得点を35得点としディエゴ・マラドーナの代表通算34得点を抜き、アルゼンチン代表の得点数でエルナン・クレスポと並んで歴代2位タイに浮上した[33]

2014FIFAワールドカップブラジル大会では、4得点をあげ、アルゼンチン代表を準優勝に導き大会最優秀選手(大会MVP)のゴールデンボール賞に輝いた。しかしこれに対しマラドーナは「不当である」とし[34]、FIFA会長のゼップ・ブラッターも「驚いた」とコメントするなど[35]、受賞の妥当性が物議を醸した。

プレースタイル[編集]

瞬発力と敏捷性を生かした突破力、ゴール感覚は世界最高峰と言われる。それに加え、抜群のキープ力や高いパスセンスも持つ[36]。 相手DFのマークを外すための技術を持ち、MFとしてもWGとしても、そしてCFとしても対応できるなど適応力も高い。身体的にも強靭で、自分より大きなDFにも対応できる。こぼれ球の処理にも秀でている[37]。 また、最近ではフリーキックも身に付けゴールを決めている。

メッシ自身は自らのプレーがラ・マシアで培われたバルセロナのスタイルに起因するところが大きいとし、直感を重視して本能的にプレーしていると述べている[38]

正確無比なプレーはしばしば「プレイステーションの中の選手のようだ」と喩えられることがある[39][40]

元々は利き足とは逆の右ウィングを持ち場とし、サイドを深くえぐってからのセンタリングや、ドリブルで内側へ切り込んでからのシュートを武器としていた。グアルディオラ監督の采配により0トップ布陣の中央へ移動し[41]、センターフォワードよりも下がった位置で動き回る「ファルソ・ヌエベ(偽の9番)」の役割を会得[42]。周囲との細かなパス交換で突破したり、ラストパスに反応してゴール前へ飛び込む事で、ハイペースでゴールを量産するようになった。

評価[編集]

4度のバロンドールに輝くなど、世界最高の選手の1人とされ、ジョゼップ・グアルディオラ[43]シャビ[44]セルヒオ・バティスタ[45]など、歴代最高の選手とする声も多い[46]

クリスティアーノ・ロナウドとは、2000年代後半以降は世界最高の選手として度々比較されている[47][48][49]。ロナウドと互いの実力を認め合っており[50][51]、ロナウドはメッシをライバルとして意識している[52]

アレックス・ファーガソンは教え子であるロナウドを世界最高の選手に挙げながらも、メッシの真面目さとサッカーへの愛情、ボールを奪いに行く勇気を高く評価し「ロナウドとは違うタイプの選手で、素晴らしい選手であることに疑いはない」と賛辞を送っている[49]

アーセン・ヴェンゲルは「リオネル・メッシは2位以下を大きく引き離して世界のトップにいる」と世界最高の選手と評価し、トップスピードでありながら方向を変えることができるドリブル技術を「危険極まりない脅威」と表現した[53][54]

アルフレッド・ディ・ステファノは個人技や創造性、両足での決定力に加え、チームのためにプレーする姿勢を高く評価し[55]、自らを魅了する選手の一人であるとしている[46][56]。アルゼンチン代表におけるキャプテン就任についても「数々のタイトルを獲得したメッシはプレッシャーに耐える術を知っている人間であり、彼に相応しい名誉だ」として支持している[56]。マラドーナとの比較については「時代が違う」として、必要のないことであると述べている[56]

デビッド・ベッカムもメッシを世界最高の選手に挙げ、献身的なプレーとともに全ての試合を楽しむ姿勢を評価している[57]

ディエゴ・マラドーナは「(メッシが歴代最高の選手かどうかは)歴史が決めること」であるとしながらもメッシのプレーを見ることが喜びであると語り[58]、メッシが史上最高の選手となることを望む旨を度々発言している[59][60]。マラドーナはメッシのプレーだけでなく、その人柄も高く評価している[61]

フランツ・ベッケンバウアーが構想した地球上のトップ選手11人で構成された「ギャラクシー11」ではキャプテンに選ばれた[62]

エピソード[編集]

  • ディエゴ・マラドーナ2世と呼ぶ声も多く、マラドーナ本人からもそれを認められている。マラドーナ2世と呼ばれる選手は多数おり、マラドーナ本人も認めた選手としては他にカルロス・テベスダレッサンドロなどがいる。
  • ワールドサッカー ウイニングイレブン 2009~2011まではウイニングイレブンシリーズのイメージキャラクターを務めていた[63][64][65]。2012年にはエレクトロニック・アーツがメッシとレオ・メッシ財団と複数年契約を行った。今後はFIFAシリーズでのイメージキャラクターを務めることになる。
  • サッカー以外の私生活面では非常に寡黙で、酒席やパーティーに招かれても本人なりに気遣って隅の方で佇んだまま他の者らの談笑を黙って見ているだけで、メッシも輪の中に入るよう料理を取り分けると「ありがとう」と小声で答え、そのまま(満更でもない様子で)大人しくしているという[3]
  • かつてナイキ社と契約していたが、後にアディダス社と契約した。
  • イギリスのロックバンドオアシスのファンである。2010年のW杯南アフリカ大会の時にチームメイトのカルロス・テベスに薦められファンになった[66]
  • 2010年、オフィシャル・ニュートリション・パーソナル・スポンサーとしてHerbalife社と契約し、Herbalife社恵まれない子供たちへの支援活動「Casa HERBALIFE」に協力。Herbalife社の製品を愛用していることを自身のブログサイトで述べている。
  • 2010-2011年シーズン中、フランスの実質15部リーグに所属するFCボルヌから獲得のオファーレターを提出された。当時の世界最高峰の選手に対して同クラブ会長は“ダメもと”でオファーを画策したものだったが、フランスサッカー連盟が「悪質な冗談」としてこれを阻止、FCバルセロナへ書簡が届くことはなかった[67]
  • 2011年6月、米経済誌フォーブス誌が「最も稼いでいる30歳未満のセレブ」のランキングを発表し、2010年の5月からの1年間で3,200万ドル(日本円で約25億6,000万円)を稼いで9位にランクインした[68]
  • 元チームメイトのボージャン・クルキッチとはメッシとボージャンの曾祖父どうしが兄弟で遠縁の親戚である[69]
  • 2012年11月2日、恋人との間に第一子となる長男が誕生した[70]
  • 2013年6月、スペイン当局は、メッシが父親と組んで、肖像権収入の416万ユーロ(約5億5300万円)を不正に脱税したとして裁判所に告発された。一方、メッシと父親のホルヘは容疑を否定しており、不正は代理人によるものと主張している。なお、この脱税疑惑が発覚した後も、メッシの人気は揺らいでいない。メッシを広告に使用している企業は、脱税疑惑の発覚後も彼の写真を商品などに使用している[71]
  • 度々であるがプレー中や日常生活で前触れ無く急に嘔吐を催す体質であり、本人もメディカルも原因は未だに不明との事。
  • 2014年6月、アメリカの経済誌フォーブス世界のアスリートの年収を公表した。メッシの年収は6470万ドル(約66億円)であり、世界のアスリートの中で4位。サッカー選手の中ではクリスティアーノ・ロナウドに次ぐ2位[72]
  • キャプテン翼のファン[73]だが、ルイス・エンリケからは「キャプテン翼でも見たことのないようなプレーをする」と賛辞を得ている[40]

レオ・メッシ財団(Fundacion Leo Messi)[編集]

2007年、「レオ・メッシ財団」を設立。難病の人々の救済や彼らの夢を叶え、平等の機会を与えるという信念の元に、自身と家族のアイデアから設立された。財団のホームページは現在では5ヶ国語に翻訳されている。

他の慈善団体と協力してイベントの実施や病院や施設などを訪れたり、施設環境の向上に尽力している模様はブログなどでも度々語られており、その活動が認められユニセフより国際親善大使に任命されている[74]

2008年、財団のホームページとは別に日本でオフィシャルブログを開設した。経緯としては、ファンへの情報配信と財団の協賛企業集めの一環である。財団の存在や活動内容を周知するアンテナの役目も果たしている。2009年には中国語版も開設されたが、英語版やスペイン語版などの開設の目処は立っていない。メッシの個人スポンサーが1業種1社の条件で契約を結んでいるため、同業他社からスポンサーは得ることができず、協賛企業が見つからず開設できないという[75]

所属クラブ[編集]

個人成績[編集]

クラブでの成績[編集]

2014年5月21日現在
シー
ズン
クラブ ディビ
シオン
番号 リーガ 国王杯 UEFA
CL
国内スー
ペル杯
UEFAスー
パー杯
FIFA
CWC
シーズン
通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
2003-04 FCバル
セロナB
セグンダB 5 0 - - - - - - - - - - 5 0
2004-05 17 6 - - - - - - - - - - 17 6
セグンダB通算 22 6 - - - - - - - - - - 22 6
2004-05 FCバル
セロナ
プリメーラ 30 7 1 1 0 1 0 - - - - - - 9 1
2005-06 19 17 6 2 1 6 1 - - - - - - 25 8
2006-07 26 14 2 2 5 1 2 0 1 0 - - 36 17
2007-08 28 10 3 0 9 6 - - - - - - 40 16
2008-09 10 31 23 8 6 12 9 - - - - - - 51 38
2009-10 35 34 3 1 11 8 1 2 1 0 2 2 53 47
2010-11 33 31 7 7 13 12 2 3 - - - - 55 53
2011-12 37 50 7 3 11 14 2 3 1 1 2 2 60 73
2012-13 32 46 5 4 11 8 2 2 - - - - 50 60
2013-14 31 28 6 5 7 8 2 0 - - - - 47 41
プリメーラ通算 277 243 44 29 86 67 11 10 3 1 4 4 426 354

代表での成績[編集]

代表国 出場 得点 アシスト
2005  アルゼンチン 5 0 0
2006 7 2 2
2007 14 6 3
2008 8 2 1
2009 10 3 2
2010 10 2 2
2011 13 4 10
2012 9 12 1
2013 7 6 5
2014 6 5 0
通算 89 42 26

代表での得点[編集]

# 開催日 開催地 対戦国 スコア 結果 大会
1 2006年3月1日 スイスの旗バーゼルザンクト・ヤコブ・パルク クロアチアの旗 クロアチア 2–1 2–3 親善試合
2 2006年6月16日 ドイツの旗ゲルゼンキルヒェンヴェルティンス・アレーナ セルビア・モンテネグロの旗 セルビア・モンテネグロ 6–0 6–0 2006 FIFAワールドカップ
3 2007年6月5日 スペインの旗バルセロナカンプ・ノウ アルジェリアの旗 アルジェリア 2–2 4–3 親善試合
4 4–2
5 2007年7月8日 ベネズエラの旗バルキシメト、エスタディオ・メトロポリタノ・デ・フットボル・デ・ララ ペルーの旗 ペルー 2–0 4–0 コパ・アメリカ2007
6 2007年7月11日 ベネズエラの旗プエルト・オルダス、ポリデポルティーボ・カチャマイ メキシコの旗 メキシコ 2–0 3–0 コパ・アメリカ2007
7 2007年10月16日 ベネズエラの旗マラカイボ、エスタディオ・ホセ・パチェンチョ・ロメロ ベネズエラの旗 ベネズエラ 2–0 2–0 2010 FIFAワールドカップ・南米予選
8 2007年11月20日 コロンビアの旗ボゴタエスタディオ・ネメシオ・カマーチョ コロンビアの旗 コロンビア 1–0 1–2 2010 FIFAワールドカップ・南米予選
9 2008年6月4日 アメリカ合衆国の旗サンディエゴクアルコム・スタジアム メキシコの旗 メキシコ 2–0 3–0 親善試合
10 2008年10月11日 アルゼンチンの旗ブエノスアイレスエル・モヌメンタル ウルグアイの旗 ウルグアイ 1–0 2–1 2010 FIFAワールドカップ・南米予選
11 2009年2月11日 フランスの旗マルセイユスタッド・ヴェロドローム フランスの旗 フランス 2–0 2–0 親善試合
12 2009年3月28日 アルゼンチンの旗ブエノスアイレス、エル・モヌメンタル ベネズエラの旗 ベネズエラ 1–0 4–0 2010 FIFAワールドカップ・南米予選
13 2009年11月14日 スペインの旗マドリードエスタディオ・ビセンテ・カルデロン スペインの旗 スペイン 1–1 1–2 親善試合
14 2010年9月7日 アルゼンチンの旗ブエノスアイレス、エル・モヌメンタル スペインの旗 スペイン 1–0 4–1 親善試合
15 2010年11月17日 カタールの旗ドーハハリーファ国際スタジアム ブラジルの旗 ブラジル 1–0 1–0 親善試合
16 2011年2月9日 スイスの旗ジュネーヴスタッド・ドゥ・ジュネーヴ ポルトガルの旗 ポルトガル 2–1 2–1 親善試合
17 2011年6月20日 アルゼンチンの旗ブエノスアイレス、エル・モヌメンタル アルバニアの旗 アルバニア 2–0 4–0 親善試合
18 2011年10月7日 アルゼンチンの旗ブエノスアイレス、エル・モヌメンタル チリの旗 チリ 2–0 4–1 2014 FIFAワールドカップ・南米予選
19 2011年11月15日 コロンビアの旗バランキヤ、エスタディオ・メトロポリタノ・ロベルト・メレンデス コロンビアの旗 コロンビア 1–1 2–1 2014 FIFAワールドカップ・南米予選
20 2012年2月29日 スイスの旗ベルンスタッド・ドゥ・スイス・バンクドルフ スイスの旗 スイス 1–0 3–1 親善試合
21 2–1
22 3–1
23 2012年6月2日 アルゼンチンの旗ブエノスアイレス、エル・モヌメンタル エクアドルの旗 エクアドル 3–0 4–0 2014 FIFAワールドカップ・南米予選
24 2012年6月9日 アメリカ合衆国の旗イーストラザフォードジャイアンツ・スタジアム ブラジルの旗 ブラジル 1–1 4–3 親善試合
25 2–1
26 4–3
27 2012年8月15日 ドイツの旗フランクフルトヴァルトシュタディオン ドイツの旗 ドイツ 2–0 3–1 親善試合
28 2012年9月7日 アルゼンチンの旗コルドバエスタディオ・マリオ・アルベルト・ケンペス パラグアイの旗 パラグアイ 3–1 3–1 2014 FIFAワールドカップ・南米予選
29 2012年10月12日 アルゼンチンの旗メンドーサエスタディオ・マルビナス・アルヘンティナス ウルグアイの旗 ウルグアイ 1–0 3–0 2014 FIFAワールドカップ・南米予選
30 3–0
31 2012年10月16日 チリの旗サンティアゴエスタディオ・ナシオナル・デ・チリ チリの旗 チリ 0–1 1–2 2014 FIFAワールドカップ・南米予選
32 2013年3月22日 アルゼンチンの旗ブエノスアイレス、エル・モヌメンタル ベネズエラの旗 ベネズエラ 2–0 3–0 2014 FIFAワールドカップ・南米予選
33 2013年6月15日 グアテマラの旗グアテマラ市、エスタディオ・ナシオナル・マテオ・フローレ グアテマラの旗 グアテマラ 1–0 4–0 親善試合
34 3–0
35 4–0
36 2013年9月10日 パラグアイの旗アスンシオンエスタディオ・ディフェンソーレス・デル・チャコ パラグアイの旗 パラグアイ 1–0 5–2 2014 FIFAワールドカップ・南米予選
37 4–1
38 2014年6月7日 アルゼンチンの旗エスタディオ・シウダ・デ・ラ・プラタラプラタ スロベニアの旗 スロベニア 2–0 2–0 親善試合
39 2014年6月15日 ブラジルの旗エスタジオ・ド・マラカナンリオデジャネイロ ボスニア・ヘルツェゴビナの旗 ボスニア・ヘルツェゴビナ 2–0 2–1 2014 FIFAワールドカップ
40 2014年6月21日 ブラジルの旗ミネイロンベロオリゾンテ イランの旗 イラン 1–0 1–0 2014 FIFAワールドカップ
41 2014年6月25日 ブラジルの旗ポルト・アレグレエスタジオ・ベイラ=リオ ナイジェリアの旗 ナイジェリア 1–0 3–2 2014 FIFAワールドカップ
42 2–1

タイトル[編集]

代表[編集]

北京オリンピックでのメッシ

クラブ[編集]

スペインの旗 FCバルセロナ

個人[編集]

CM出演[編集]

  • アンファー
    • 『スカルプD・フェイスウォッシュ』(2012年 - )

註釈[編集]

  1. ^ メッシ以前のアルゼンチン出身の受賞者は1957、59年のアルフレッド・ディ・ステファノ、1961年のオマール・シボリであるが、当時は受賞資格が欧州国籍の選手にしか与えられておらず、ディ・ステファノはスペイン人、シボリはイタリア人としてそれぞれ受賞している。そのためアルゼンチン人としてバロンドールを受賞したのはメッシが初である。
  2. ^ それぞれカカクリスティアーノ・ロナウドの次点である。
  3. ^ サラゴサ戦の4点目に、ズラタン・イブラヒモヴィッチがメッシの得たPKを決めて記録は止まった。
  4. ^ 1試合4得点は自身初めてのことである

出典[編集]

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  21. ^ メッシがCLのシーズン最多得点記録を更新…ミラン戦で今季14点目SOCCER KING 2012年4月4日
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外部リンク[編集]