サッカーイングランド代表
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| 国または地域 | |
| 協会 | イングランドサッカー協会(FA) |
| 愛称 | Three Lions(スリー・ライオンズ) |
| 監督 | ファビオ・カペッロ |
| 最多出場選手 | ピーター・シルトン(125試合) |
| 最多得点選手 | ボビー・チャールトン(49得点) |
| 初の国際試合 | 1872年11月30日対スコットランド 0-0 |
| 最大差勝利試合 | 1882年2月18日対北アイルランド 13-0 |
| 最大差敗戦試合 | 1954年5月23日対ハンガリー 1-7 |
| FIFAワールドカップ | |
| 出場回数 | 12回 |
| 初出場 | 1950 |
| 最高成績 | 優勝(1966) |
| UEFA欧州選手権 | |
| 出場回数 | 7回 |
| 最高成績 | 3位(1968) |
サッカーイングランド代表 (England national football team) は、イングランドサッカー協会(FA)により構成されるサッカーのナショナルチームである。
目次 |
[編集] 概要
フットボール/サッカー発祥の地であるイングランドのナショナルチームである。
最初の試合は、1872年11月30日、スコットランドのパーティックにおけるスコットランド代表との対戦であり、これは世界最初のサッカーの国際試合でもある。 1920年代にサッカーの国際大会が始まっても、1930年からFIFAワールドカップが開催されるようになっても長らくこれらに参加しなかったが、サッカーの母国として世界最強のナショナルチームであると目されていた。
しかしワールドカップ初参加となった1950年のワールドカップ・ブラジル大会ではトム・フィニー、スタンリー・マシューズ、ジャッキー・ミルバーン、スタン・モーテンセンらを擁して臨んだが、アメリカ戦とスペイン戦を共に0-1で連敗して一次リーグ敗退に終わり、面目を失する形となった。そして1953年11月25日には、ホームであるウェンブリー・スタジアムで当時世界最強を謳われた「マジック・マジャール」ことハンガリー代表との親善試合に3-6という歴史的大敗を喫した。「ウェンブリーではいかなる外国チームにも負けなし」というイングランド代表ウェンブリー不敗伝説にピリオドが打たれた瞬間であった。雪辱を期し、翌年ブダペストへ乗り込みリターンマッチを挑むが、1-7と更なる大差で一蹴された。1954年のワールドカップ・スイス大会では一次リーグ突破を果たすも決勝トーナメント緒戦でウルグアイに敗れベスト8止まり、1958年のワールドカップ・スウェーデン大会ではソ連とのプレーオフに敗れてまたも一次リーグ敗退となってしまう。これら1950年代の一連の敗北はもはやイングランドのロングボールを主体とした古き良きプレースタイルが時代の推移に大きく遅れ、世界最強の座から完全に凋落した事を意味していた。
マジック・マジャールに惨敗した際に代表のDFとして誰よりもそのことを痛感させられたアルフ・ラムゼイは代表監督に就任するや独自に代表選手選考を行なえる権限を得てディフェンス戦術の強化に努め、1966年の自国開催のワールドカップで遂に念願の初優勝を果たす。これによりようやくサッカー発祥の地としての面目を施したものの、ジェフ・ハーストの決勝ゴールは物議を醸した。
ディフェンディング・チャンピオンとして臨んだ1970年のワールドカップ・メキシコ大会では決勝トーナメント緒戦で西ドイツに後半途中まで2-1とリードしていたため、次の準決勝を見据えエースのボビー・チャールトンを休ませるべく交代させてしまう(今回から2名の選手交代が認められていた)。これが不屈のゲルマン魂に火を点ける結果となり、猛反撃を受けて2-3と逆転されベスト8で散った。名GKゴードン・バンクスが直前のコンディション不良により欠場していたのも痛かったが選手交代のタイミングに悔いを残す結果となった。
その後、1974年のワールドカップ・西ドイツ大会はポーランドに、1978年のワールドカップ・アルゼンチン大会はイタリアに競り負け、連続してヨーロッパ地区予選敗退に終わるという第2の低迷期を迎える。
久々の出場となった1982年のワールドカップ・スペイン大会では無得点が響いて無敗のまま二次リーグ敗退、1986年のワールドカップ・メキシコ大会では準々決勝アルゼンチン戦でディエゴ・マラドーナによる「神の手」ゴールと「五人抜き」の前に1-2で敗れ去りベスト8に終わる。新人FWゲーリー・リネカーが得点王に輝いたのがせめてもの収穫だった。
1966年の優勝以降はリネカーとポール・ガスコインの活躍による1990年ワールドカップ・イタリア大会の4位が最高の成績と、毎回のように優勝候補の一角に挙げられながら目立った戦績を残していない。1994年ワールドカップ・アメリカ大会はオランダと伏兵ノルウェーに各々1敗1分けだったことが響き、またもやヨーロッパ地区予選敗退となる。この時のヨーロッパ地区予選は英国四協会代表が揃って予選落ちというサッカーの母国にとって前代未聞の不名誉な事態となった。
なおイングランド代表はワールドカップのPK戦と相性が悪く、目下3戦(1990年準決勝-対西ドイツ戦、1998年対1回戦-対アルゼンチン戦、2006年準々決勝-対ポルトガル戦)全敗である。またUEFA欧州選手権でもPK戦と相性が悪い(1996年準決勝-対ドイツ戦、2004年準々決勝-対ポルトガル戦はいずれもPK戦で敗退。なお、1996年対準々決勝-スペイン戦はPK戦で勝利。)。
ワールドカップと並ぶ国際タイトルであるUEFA欧州選手権では、1968年の3位が最高成績であり、優勝はおろか決勝進出すらできていない。自国開催の1996年UEFA欧州選手権では準決勝まで進んだ(3位/4位決定戦は無い)。ワールドカップ優勝の経験を持つヨーロッパの国で欧州選手権に優勝していないのはイングランドだけである。
現在はファビオ・カペッロを2007年の12月14日から監督として迎えスリー・ライオンズは2010年ワールドカップ欧州予選グループ6では8連勝で本戦出場をきめた。また親善試合でもフランスとスペイン以外負けていない。
[編集] FIFAワールドカップの成績
- 1930 - 不参加
- 1934 - 不参加
- 1938 - 不参加
- 1950 - 1次リーグ敗退
- 1954 - ベスト8
- 1958 - 1次リーグ敗退
- 1962 - ベスト8
- 1966 - 優勝
- 1970 - ベスト8
- 1974 - 予選敗退
- 1978 - 予選敗退
- 1982 - 2次リーグ敗退
- 1986 - ベスト8
- 1990 - 4位
- 1994 - 予選敗退
- 1998 - ベスト16
- 2002 - ベスト8
- 2006 - ベスト8
[編集] UEFA欧州選手権の成績
- 1960 - 不参加
- 1964 - 不参加
- 1968 - 3位
- 1972 - 予選敗退
- 1976 - ベスト8
- 1980 - ベスト8
- 1984 - 予選敗退
- 1988 - ベスト8
- 1992 - ベスト8
- 1996 - ベスト4
- 2000 - グループリーグ敗退
- 2004 - ベスト8
- 2008 - 予選敗退
[編集] 選手
[編集] GK[編集] DF
[編集] MF
[編集] FW |
[編集] キャップ
[編集] 得点
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[編集] 監督
| 期間 | 名前 | 国籍 | 試合数 | 勝数 | 引分 | 敗数 |
| 1946-1962 | ウォルター・ウィンターボトム | 139 | 78 | 33 | 28 | |
| 1963-1974 | アルフ・ラムゼイ | 113 | 69 | 27 | 17 | |
| 1974 | ジョー・マーサー | 7 | 3 | 3 | 1 | |
| 1974-1977 | ドン・レヴィー | 29 | 14 | 8 | 7 | |
| 1977-1982 | ロン・グリーンウッド | 55 | 33 | 12 | 10 | |
| 1982-1990 | ボビー・ロブソン | 95 | 47 | 30 | 18 | |
| 1990-1993 | グラハム・テイラー | 38 | 18 | 13 | 7 | |
| 1994-1996 | テリー・ヴェナブルズ | 23 | 11 | 11 | 1 | |
| 1996-1999 | グレン・ホドル | 28 | 17 | 6 | 5 | |
| 1999 | ハワード・ウィルキンソン | 1 | 0 | 0 | 1 | |
| 1999-2000 | ケビン・キーガン | 18 | 7 | 7 | 4 | |
| 2000 | ハワード・ウィルキンソン | 1 | 0 | 1 | 0 | |
| 2000 | ピーター・テイラー | 1 | 0 | 0 | 1 | |
| 2001-2006 | スヴェン・ゴラン・エリクソン | 67 | 40 | 17 | 10 | |
| 2006-2007 | スティーブ・マクラーレン | 18 | 9 | 4 | 5 | |
| 2007- | ファビオ・カペッロ | 9 | 7 | 1 | 1 |
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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