サッカーイングランド代表
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|---|---|---|---|---|
| 国または地域 | ||||
| 協会 | フットボール・アソシエーション (FA) | |||
| 愛称 | Three Lions | |||
| 監督 | ロイ・ホジソン | |||
| 最多出場選手 | ピーター・シルトン(125試合) | |||
| 最多得点選手 | ボビー・チャールトン(49得点) | |||
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| 初の国際試合 | 1872年11月30日対スコットランド 0-0 |
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| 最大差勝利試合 | 1882年2月18日対北アイルランド 13-0 |
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| 最大差敗戦試合 | 1954年5月23日対ハンガリー 1-7 |
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| FIFAワールドカップ | ||||
| 出場回数 | 13回(初出場は1950) | |||
| 最高成績 | 優勝 (1966) | |||
| UEFA欧州選手権 | ||||
| 出場回数 | 7回 | |||
| 最高成績 | 3位 (1968) | |||
サッカーイングランド代表(サッカーイングランドだいひょう、英: England national football team)は、フットボール・アソシエーション (FA) により組織されるサッカーのナショナルチームである。愛称はスリーライオンズである。
目次 |
概要 [編集]
近代フットボール発祥の地 [編集]
フットボール/サッカー発祥の地であるイングランドのナショナルチームである。1870年3月5日、ロンドンのケニントン・オーヴァルで“非公式”ながら、世界初の国際試合がイングランドとスコットランドの間で行われ、1-1の引き分けに終わった。その後、この試合も含め両者は5回に渡り非公式国際試合を行った(1870年の11月19日、ケニントン・オーヴァルでイングランドが1-0で勝利。1871年2月25日、同地区で1-1引き分け。1871年11月18日、ロンドンでイングランドが2-1で勝利、1872年2月24日、ロンドンでイングランドが1-0の勝利)。一連の非公式国際試合は、それらの試合を企画したイングランドサッカー協会(FA)第4代事務局長チャールズ・ウィリアム・オールコックの名前にちなんで、オールコックの国際試合と呼ばれている。1872年11月30日に、グラスゴウのパーティック地区のハミルトン・クレッセント・グラウンドで、世界で最初の“公式”国際試合が、イングランドとスコットランドの間で実施された。スコアは0-0の引き分けだった。
愛称とロゴ [編集]
愛称の「スリーライオンズ」はイングランドサッカー協会のエンブレムに描かれる「3頭の獅子」から。これはイングランド王室紋章に由来する。現在のイングランドの国章は、「獅子心王(Lion Hearted King)」ことイングランド王リチャード1世が第3回十字軍で使用した紋章が発祥である。それに、イングランドの国花であるバラ、薔薇戦争終わらせたチューダー朝の紅白の「チューダーローズ」をあしらっている。ユニフォームの色に合わせて紺の縁取り(ボーデュア)で盾形に画された白のフィールドに爪と口の中が赤の紺の獅子が三頭配されている。最上段、二段目、三段目の獅子の上に3つのチューダーローズが左右と中央にちりばめられ、さらに最下段の獅子の下に一つのチューダーローズ、すなわち10のチューダーローズが配されている。これらのデザインはUMBRO社が手がけた[1]。
実績 [編集]
古くから世界を代表する強豪国として知られている。しかしボビー・チャールトン、ケビン・キーガン、ポール・ガスコイン、デビッド・ベッカム、ウェイン・ルーニーなどの名選手を多く輩出しながら歴史的に大舞台では勝負弱く、サッカーの母国として十分な実績を残しているとは言い難い。FIFAワールドカップでは自国開催の1966年大会において優勝を経験しているが、それ以外の大会では1990年大会の4位が最高成績である。また、W杯と並ぶ国際タイトルであるUEFA欧州選手権においては決勝進出の経験すらなく、1968年大会に3位に入ったのが最高成績である。なお、W杯優勝の経験を持ちながら欧州選手権に優勝していない唯一の欧州国であり、FIFAワールドカップ優勝経験のある全ての国の中で唯一各大陸選手権で優勝していない国[2]でもある。
歴史 [編集]
1920年代にサッカーの国際大会が始まっても、1930年からFIFAワールドカップが開催されるようになっても長らくこれらに参加しなかったが、サッカーの母国として世界最強のナショナルチームであると目されていた。
ワールドカップ初参加となった1950年のワールドカップ・ブラジル大会ではトム・フィニー、スタンリー・マシューズ、ジャッキー・ミルバーン、スタン・モーテンセンらを擁して臨んだが、アメリカ戦とスペイン戦を共に0-1で連敗して1次リーグ敗退に終わり、面目を失する形となった。
1953年11月25日には、ホームであるウェンブリー・スタジアムで当時世界最強を謳われた「マジック・マジャール」ことハンガリーとの親善試合に3-6という歴史的大敗を喫し、「ウェンブリーではいかなる外国チームにも負けなし」というイングランド代表ウェンブリー不敗伝説が終わった。雪辱を期し翌年ブダペストへ乗り込みリターンマッチに挑むが、1-7と更なる大差で敗れた。
1954年のワールドカップ・スイス大会では1次リーグ突破を果たすも決勝トーナメント初戦でウルグアイに敗れベスト8止まり、1958年のワールドカップ・スウェーデン大会ではソ連とのプレーオフに敗れてまたも1次リーグ敗退となった。これら1950年代の一連の敗北はもはやイングランドのロングボールを主体とした古き良きプレースタイルが時代の推移に大きく遅れ、世界最強の座から完全に転落した事を意味していた。
1963年に監督に就任したアルフ・ラムゼイは就任早々独自に代表選手選考を行なえる権限を得て選手強化に努め、1966年の自国開催のワールドカップで念願の初優勝を果たす。これによりようやくサッカーの母国としての面目を施したものの、決勝戦の西ドイツ戦でのジェフ・ハーストの決勝ゴールは物議を醸した。
ディフェンディング・チャンピオンとして臨んだ1970年のワールドカップ・メキシコ大会では決勝トーナメント初戦で西ドイツと対戦。後半途中まで2-1とリードしていたため、次の準決勝を見据えエースのボビー・チャールトンを休ませるべく交代させたが(今大会から2名の選手交代が認められていた)、西ドイツの反撃を受けて2-3で敗れた。
その後、1974年のワールドカップ・西ドイツ大会はポーランドに、1978年のワールドカップ・アルゼンチン大会はイタリアに競り負け、連続してヨーロッパ地区予選敗退に終わるという第2の低迷期を迎える。
1982年のワールドカップ・スペイン大会では無得点が響いて無敗のまま2次リーグ敗退、1986年のワールドカップ・メキシコ大会ではFWゲーリー・リネカーの活躍もあって準々決勝進出を果たす。準々決勝ではアルゼンチン戦でディエゴ・マラドーナによる「神の手」ゴールと「五人抜き」の前に1-2で敗れ去ったが、リネカーは通算6得点をあげ得点王に選ばれた。
1990年にはリネカーとポール・ガスコインらの活躍により4位となり、1966年大会以来となる好成績を収めた。1994年ワールドカップ・アメリカ大会はオランダとノルウェーに各々1敗1分けだったことが響き、まさかのヨーロッパ地区予選敗退となる。なお、この時のヨーロッパ地区予選では英国4協会代表が揃って予選落ちという事態となった。
1996年には欧州選手権を地元開催し、30年ぶりの国際大会優勝を期待された。アラン・シアラーが大会得点王となるが、準決勝のドイツとのPK戦に惜敗した。1998年のワールドカップ・フランス大会も「ワンダーボーイ」ことマイケル・オーウェンを擁しながら、ベスト16でアルゼンチンとの死闘の末、PK戦で敗れた。この試合で退場処分を受けたデビッド・ベッカムはのちに汚名を返上し、キャプテンとして代表を牽引することになる。
2001年には代表史上初めて外国人監督のスヴェン・ゴラン・エリクソンを招聘した。ベッカム、オーウェンのほかフランク・ランパード、スティーブン・ジェラード、ジョン・テリー、ウェイン・ルーニーら才能ある名選手を擁し、たびたび優勝候補に挙げられながらも、国際大会では最高でベスト8止まりという状況が続いた。
2008年の欧州選手権の本大会出場を逃したのを受けて、2007年末にファビオ・カペッロを監督に迎え、ワールドカップ・南アフリカ大会欧州予選では圧倒的な攻撃力で予選参加国中、最多の34得点を挙げた。しかし、本戦グループリーグでは得点力不足に苦しみ、決勝トーナメント1回戦でドイツに大敗した。この試合ではランパードの放ったシュートがクロスバーに当たった後、ゴールラインを超えていながら得点を認められず、1966年イングランド大会のハーストの決勝ゴールを想起させる誤審が物議を醸した。ファビオ・カペッロは2012年2月、欧州選手権を前にして辞任し、ロイ・ホジソンが新監督に就任した。2大会ぶりの出場となった2012年の欧州選手権はベスト8でイタリア相手に延長PK戦の末敗れた。
特徴 [編集]
国際大会のトーナメント戦でPK戦決着方式が導入されてから、ワールドカップでは3戦全敗、欧州選手権では1勝3敗している[3]。イギリスの科学者たちはスポーツ科学の分野から、PKの心理的分析を試みている[4][5]。2012年欧州選手権でPK戦に敗れた後、ロイ・ホジソン監督は「イングランドのサッカー界でPK戦はある種のトラウマとなっている」と語った[6]。
- 1990年 ワールドカップ・イタリア大会準決勝 西ドイツ戦
- 1996年 欧州選手権準決勝 ドイツ戦
- 1998年 ワールドカップ・フランス大会ベスト16 アルゼンチン戦
- 2004年 欧州選手権準々決勝 ポルトガル戦
- 2006年 ワールドカップ準々決勝 ポルトガル戦
- 2012年 欧州選手権準々決勝 イタリア戦
国内リーグの最高峰であるプレミアリーグにおいて、外国籍選手の大量流入により国内若手選手の出場機会が減っていることが指摘されており、ワールドカップやEUROの予選で厳しい戦いを強いられることになるとの声もある[7]。
FIFAワールドカップの成績 [編集]
| 開催国 / 年 | 成績 | 試 | 勝 | 分 | 負 | 得 | 失 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 不参加 | |||||||
| 1次リーグ | 3 | 1 | 0 | 2 | 2 | 2 | |
| ベスト8 | 3 | 1 | 1 | 1 | 8 | 8 | |
| 1次リーグ | 4 | 0 | 3 | 1 | 4 | 5 | |
| ベスト8 | 4 | 1 | 1 | 2 | 5 | 6 | |
| 優勝 | 6 | 5 | 1 | 0 | 11 | 3 | |
| ベスト8 | 4 | 2 | 0 | 2 | 4 | 4 | |
| 予選敗退 | |||||||
| 2次リーグ | 5 | 3 | 2 | 0 | 6 | 1 | |
| ベスト8 | 5 | 2 | 1 | 2 | 7 | 3 | |
| 4位 | 7 | 3 | 3 | 1 | 8 | 6 | |
| 予選敗退 | |||||||
| ベスト16 | 4 | 2 | 1 | 1 | 7 | 4 | |
| ベスト8 | 5 | 2 | 2 | 1 | 6 | 3 | |
| ベスト8 | 5 | 3 | 2 | 0 | 6 | 2 | |
| ベスト16 | 4 | 1 | 2 | 1 | 3 | 5 | |
| 合計 | 出場13回/優勝1回 | 59 | 26 | 19 | 14 | 77 | 51 |
UEFA欧州選手権の成績 [編集]
| 開催国 / 年 | 成績 | 試 | 勝 | 分 | 負 | 得 | 失 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 不参加 | |||||||
| 3位 | 2 | 1 | 0 | 1 | 2 | 1 | |
| 予選敗退 | |||||||
| 1次リーグ | 3 | 1 | 1 | 1 | 3 | 3 | |
| 予選敗退 | |||||||
| 1次リーグ | 3 | 0 | 0 | 3 | 2 | 7 | |
| 1次リーグ | 3 | 0 | 2 | 1 | 1 | 2 | |
| ベスト4 | 5 | 2 | 3 | 0 | 8 | 3 | |
| 1次リーグ | 3 | 1 | 0 | 2 | 5 | 6 | |
| ベスト8 | 4 | 2 | 1 | 1 | 10 | 6 | |
| 予選敗退 | |||||||
| ベスト8 | 4 | 2 | 2 | 0 | 4 | 3 | |
| 合計 | 出場8回 | 27 | 9 | 9 | 9 | 35 | 31 |
選手 [編集]
GK [編集]DF [編集]
MF [編集]
FW [編集] |
キャップ [編集] 水色は現役代表選手
得点 [編集] 水色は現役代表選手
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監督 [編集]
| 期間 | 名前 | 国籍 | 試合数 | 勝数 | 引分 | 敗数 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1946-1962 | ウォルター・ウィンターボトム | 139 | 78 | 33 | 28 | |
| 1963-1974 | アルフ・ラムゼイ | 113 | 69 | 27 | 17 | |
| 1974 | ジョー・マーサー | 7 | 3 | 3 | 1 | |
| 1974-1977 | ドン・レヴィー | 29 | 14 | 8 | 7 | |
| 1977-1982 | ロン・グリーンウッド | 55 | 33 | 12 | 10 | |
| 1982-1990 | ボビー・ロブソン | 95 | 47 | 30 | 18 | |
| 1990-1993 | グラハム・テイラー | 38 | 18 | 13 | 7 | |
| 1994-1996 | テリー・ヴェナブルズ | 23 | 11 | 11 | 1 | |
| 1996-1999 | グレン・ホドル | 28 | 17 | 6 | 5 | |
| 1999 | ハワード・ウィルキンソン | 1 | 0 | 0 | 1 | |
| 1999-2000 | ケビン・キーガン | 18 | 7 | 7 | 4 | |
| 2000 | ハワード・ウィルキンソン | 1 | 0 | 1 | 0 | |
| 2000 | ピーター・テイラー | 1 | 0 | 0 | 1 | |
| 2001-2006 | スヴェン・ゴラン・エリクソン | 67 | 40 | 17 | 10 | |
| 2006-2007 | スティーブ・マクラーレン | 18 | 9 | 4 | 5 | |
| 2007-2012 | ファビオ・カペッロ | 42 | 28 | 8 | 6 | |
| 2012 | スチュアート・ピアース(暫定監督) | 1 | 0 | 0 | 1 | |
| 2012- | ロイ・ホジソン |
脚注 [編集]
- ^ “[W杯豆知識]スリーライオンズ”. スポーツ報知. (2010年3月17日) 2011年3月26日閲覧。
- ^ 欧州以外でFIFAワールドカップ優勝経験のあるアルゼンチン、ウルグアイ、ブラジルはいずれもコパ・アメリカ優勝経験あり
- ^ 1996年欧州選手権準々決勝のスペイン戦では勝利している。
- ^ “なぜ大事な場面に限ってPKを決められないのか?イングランドの科学者が解明”. GIGAZINE. (2010年1月7日) 2011年3月26日閲覧。
- ^ “赤いユニフォームのゴールキーパーはPKのセーブ率が2倍”. GIGAZINE. (2010年4月19日) 2011年3月26日閲覧。
- ^ “敗退のイングランド指揮官「PK戦はトラウマになっている」/ユーロ2012”. livedoor スポーツ. (2012年6月25日) 2012年6月27日閲覧。
- ^ “カントナ、アーセナルとリヴァプールを批判 「外国人を制限しない限りイングランドは苦しむ」”. Goal.com. (2010年7月16日) 2011年3月26日閲覧。
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
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