権田修一
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|---|---|---|---|---|---|---|
| 名前 | ||||||
| 愛称 | ゴンちゃん[1][2] | |||||
| カタカナ | ゴンダ シュウイチ | |||||
| ラテン文字 | GONDA Shuichi | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 | ||||||
| 生年月日 | 1989年3月3日(24歳) | |||||
| 出身地 | 東京都世田谷区[2] | |||||
| 身長 | 187cm | |||||
| 体重 | 85kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| 在籍チーム | FC東京 | |||||
| ポジション | GK | |||||
| 背番号 | 20 | |||||
| 利き足 | 右足 | |||||
| ユース | ||||||
2001-2003 2004-2006 |
さぎぬまSC FC東京U-15 FC東京U-18 |
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| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 2007- | FC東京 | 115 | (0) | |||
| 代表歴2 | ||||||
| 2010- | 1 | (0) | ||||
| 1. 国内リーグ戦に限る。2013年3月19日現在。 2. 2010年1月6日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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権田 修一(ごんだ しゅういち、1989年3月3日 - )は、東京都世田谷区出身のプロサッカー選手。ポジションはゴールキーパー(GK)。
Jリーグ・FC東京に所属。妻はネイリストの篠田裕美(本名 権田裕美)[3]。
目次 |
来歴[編集]
クラブ[編集]
バスケットボール選手の両親を持つスポーツ一家で育つ[4]。世田谷区育ちであるが、小学校時は川崎市内のサッカークラブに所属していたため、ゴールキーパーとして川崎市選抜・神奈川県選抜に選ばれていた[4]。当時のお気に入りはアメリカ代表のトニー・メオラ (Tony Meola) [5][6]。ユースチーム加入時には、横浜F・マリノスと川崎フロンターレのユースチームにも合格し、さらに神奈川県選抜時の監督から湘南ベルマーレへの勧誘を受けていたが[5]、小学校時に近所のサッカースクールにFC東京がコーチングスタッフを派遣しており、権田が浅野寛文GKコーチの指導に好印象を受けた事と[注 1]、そのスクール生には観戦チケットがプレゼントされ、駒沢陸上競技場にてJ2時代のFC東京の試合を生観戦したことなどが決め手となり[4]、FC東京U-15への入団を選択した。第18回日本クラブユースサッカー選手権 (U-15)大会で優勝し日本一を経験。
2005年からトップチームの練習に帯同し始め、2007年からは国士舘高校に在学しながらFC東京トップチームに正式に昇格となった。FC東京初の「平成生まれの選手」でもある[7]。その2007年シーズン終盤ではサブとして公式戦ベンチ入りも果たした。
ながらく塩田仁史の控えとして過ごしていたが、2009年1月下旬に塩田が虫垂炎及び麻痺性腸閉塞による長期離脱を強いられたことから、権田が開幕スタメンに抜擢され公式戦デビューすることとなった。その開幕戦では4失点、第2節も3失点と苦いデビューとなったが、第3節で完封勝利して以降は落ち着いたプレーを取り戻し、シュートに対する鋭い反応でチームに貢献。出場時間が規定に達しプロA契約選手となった。実質のデビューシーズンであったが、年間15完封[8]というJ1リーグ記録(タイ記録)を達成し[注 2]、ナビスコカップ決勝でもフル出場しプロ初タイトルも経験。無失点に抑え、鬼武健二チェアマンからはMVP級の活躍だったと評価された[9]。
2010年も開幕から引き続き正GKとしてプレーしていたが、勝ちきれない試合が多くチームは低迷。最終節の京都戦で敗れ、16位の神戸に逆転を許し11年ぶりのJ2降格が決まった。
J2に降格して迎えた2011年は若手の代表として[10]副将を務めた[11]。シーズン当初はレギュラーで出場していたが、ロンドンオリンピック予選の招集を機に[12]塩田にレギュラーを奪われ、A代表選手がクラブでは控えという状況にもなった[13]。シーズン終盤に差し掛かり再び正GKの座を奪取。塩田とのポジション争いは1年を通して続いた。
2012年は、ランコ・ポポヴィッチ監督から「日本でNo.1のGK」と評価され[14]、レギュラーを確保している。
代表[編集]
ユースではU-17日本代表に選ばれAFC U-17選手権2004で日本のゴールマウスを守った。
2007 FIFA U-20ワールドカップには香川真司と共に飛び級で選出されたが[15]メンバー発表後に後十字靭帯を損傷し[2]、離脱[注 3]。
2008年、U-19日本代表の主将として[17]2009 FIFA U-20ワールドカップアジア地区予選を兼ねたAFC U-19選手権(サウジアラビア)に臨んだ。準々決勝の韓国戦では好セーブを連発したものの[18]0-3と完敗。結果として日本が7大会連続で出場し続けていたU-20ワールドカップへの出場権を取り逃すという苦い経験をした。試合後には悔し涙を流しながらもTVインタビューに対応し、主将として責任感の強い部分を見せた。この年、FC東京は権田との契約を複数年延長し[19]、将来のチームの大黒柱候補としての期待の大きさを伺わせた。
2009年12月21日にはアジアカップ最終予選・イエメン代表戦に向けたA代表に初招集され、2010年1月6日の試合では先発出場を果たし国際Aマッチデビューを飾った。
2010年9月30日には、アルベルト・ザッケローニ新監督の日本代表にも選出された[20][注 4]。ここでの出場機会は得られなかったが、その後、ザッケローニはインタビューにおいて「たとえば権田。FC東京でプレーする1990年生まれのGK[注 5]で、日本代表では第3GKだが、素晴らしい将来性がある。」と、大きな期待を示し[22][23]、翌年開催のAFCアジアカップにも第3GKとして招集された。
アジアカップ以後は世代別代表を優先し[注 6]副将として[25]チームのまとめ役を担った[26]。2012年7月2日、ロンドンオリンピックに臨むU-23日本代表に選出された[27]。本大会では4試合連続無失点を記録し[28]ベスト4入りに貢献。しかし、準決勝と3位決定戦で連敗し44年ぶりの銅メダルはならなかった。
エピソード[編集]
- 好きなサッカー選手に、デンマークのピーター・シュマイケル[2][1]や、「守りながら常に攻撃のことを考えている」GKとして、ドイツのマヌエル・ノイアーを挙げる[29]。
- 「(身体が資本の)サッカー選手として、何でも食べられるようにしておくことは大切」と語るが、ニンジンが苦手[30]。
- 「やべっちFC〜日本サッカー応援宣言〜」MCの矢部浩之からは「権田選手ってサバンナの高橋に似てますよね?」と、お笑い芸人の高橋茂雄に似ていると突っ込まれたことがある[31]。
所属クラブ[編集]
- ユース経歴
- プロ経歴
- 2007年 - 現在 FC東京
個人成績[編集]
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2006 | FC東京 | 37 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
| 2007 | 34 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
| 2008 | 19 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
| 2009 | 20 | 34 | 0 | 10 | 0 | 1 | 0 | 45 | 0 | ||
| 2010 | 30 | 0 | 7 | 0 | 2 | 0 | 39 | 0 | |||
| 2011 | J2 | 20 | 0 | - | 5 | 0 | 25 | 0 | |||
| 2012 | J1 | 31 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 31 | 0 | ||
| 2013 | |||||||||||
| 通算 | 日本 | J1 | 95 | 0 | 17 | 0 | 3 | 0 | 115 | 0 | |
| 日本 | J2 | 20 | 0 | - | 5 | 0 | 25 | 0 | |||
| 総通算 | 115 | 0 | 17 | 0 | 8 | 0 | 140 | 0 | |||
- 2006年はユース所属[注 7]。
| 国際大会個人成績 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
| AFC | ACL | |||
| 2012 | FC東京 | 20 | 5 | 0 |
| 通算 | AFC | 5 | 0 | |
- その他の国際公式戦
- 2010年
- スルガ銀行チャンピオンシップ2010 1試合0得点
- Jリーグ初出場 2009年3月7日 J1第1節 vsアルビレックス新潟 (味の素スタジアム)
タイトル[編集]
- FC東京U-15
- ナイキプレミアカップジャパン (2002年)
- 日本クラブユースサッカー選手権 (U-15)大会 (2003年)
- FC東京
- 日本代表
- モンテギュー国際大会 (2004年)
- カタール国際ユーストーナメント (2008年)
- AFCアジアカップ (2011年)
- 個人
- 日本クラブユースサッカー選手権 (U-15)大会 優秀選手 (2003年)
- フルーナベイヘン国際ユース大会 ベストGK賞 (2008年)
選抜・代表歴[編集]
- 2010年1月6日:国際Aマッチ初出場 - AFCアジアカップ最終予選 vsイエメン代表 (サナア・アリー・ムフセン・スタジアム)
出場大会など[編集]
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試合数[編集]
- 国際Aマッチ 1試合 0得点(2010年 - )
| 日本代表 | 国際Aマッチ | |
|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 |
| 2010 | 1 | 0 |
| 2011 | 0 | 0 |
| 2012 | 0 | 0 |
| 2013 | 0 | 0 |
| 通算 | 1 | 0 |
出演[編集]
テレビ・ラジオ番組[編集]
- やべっちFC〜日本サッカー応援宣言〜 第377回 (2010年2月28日)
- GET SPORTS 第629回 (2012年1月29日)[35]
- ドリームオファー〜一流アスリートにムチャなお願いしちゃいました!SP〜 第2回 (2012年12月1日)
脚注[編集]
- 注釈
- ^ 基礎を重視した練習で、他クラブでは高評価を受けていた権田が、FC東京の練習会では唯一「褒められなかった」という[5]。
- ^ Jリーグ元年の1993年、初代チャンピオンとなったV川崎・菊池新吉の樹立した記録に16年ぶりに並んだが、新潟との最終戦(東北電力スタジアム)で失点し新記録とは成らなかった。
- ^ a b 桐畑和繁が代替招集された[16]。
- ^ 権田によると、マウリツィオ・グイードGKコーチは「シュートを止めるまでの過程のポジショニングに可能性があるから(権田を選出した)」と述べている。権田自身も、ボール保持者と対峙する場面では、「相手がミスするように自分からポジションを詰めていく」と果敢に前へ出ることを身上としている[21]。
- ^ 原文はportiere classe 1990。権田は1989年生まれなのでこれは誤り。
- ^ 原博実技術委員長はこの方針について「権田はA代表、U-22代表のいずれかには招集される存在。A代表で試合に出られないのなら五輪代表を優先に考えたい」とコメントしている[24]。
- ^ 2004年、2005年も2種登録されている(ただし背番号は無し[32][33]。)
- ^ 他のクラブではフィールドプレーヤーがテクニックを見せていたが、GKで参加したのは権田だけだった。
- 出典
- ^ a b 権田修一 WEBサッカーマガジン 選手データベース (週刊サッカーマガジン増刊2008 J1&J2リーグ選手名鑑)
- ^ a b c d e f g 『FC東京ファンブック2008』 毎日新聞社、2008年、51頁。
- ^ 代表GK権田に第1子! 裕美夫人が妊娠5カ月「この手で抱くのが楽しみ」 スポーツニッポン (2012年12月25日)
- ^ a b c GK権田修一 <上> 小3で青赤軍団と運命の出会い 東京中日スポーツ、2007年2月6日
- ^ a b c 『ジュニアサッカーを応援しよう! VOL.19 「僕らがサッカーボーイズだった頃 -Jリーガーのジュニア時代- 権田修一(FC東京)」』. カンゼン. (2010年). ASIN B004C23HXY.
- ^ 『週刊サッカーダイジェスト No.1114「インタビュー 権田修一 (FC東京) リベンジの時は近い」』. 日本スポーツ企画出版社. (2011年). ASIN B0050OPAJC.
- ^ 『FC東京ファンブック2006』. 毎日新聞社. (2006年). p. 61頁.
- ^ 選手出場記録 Jリーグ (2009年12月5日)
- ^ 【2009 Jリーグヤマザキナビスコカップ】決勝 試合終了後の鬼武健二Jリーグチェアマンコメント Jリーグ公式ウェブサイト、2009年11月3日
- ^ J1復帰へ決意 FC東京と東京ヴェルディ asahi.com、2011.03.01
- ^ 新主将・今野が舵取り 「J1復帰内閣」 東京中日スポーツ、2011年2月23日
- ^ 【J2:第17節 FC東京 vs 徳島】プレビュー J's GOAL 2011.06.19
- ^ まずはFC東京の正GKを奪還せよ!U-22の守護神・権田修一の試練。(1/2) Sports Graphic Number 2011年7月9日
- ^ 【J1:第15節 FC東京 vs C大阪】ランコポポヴィッチ監督(F東京)記者会見コメント J's GOAL (2012年6月23日)
- ^ 権田修一(FC東京)逞しさを増した若き守護神 OCNスポーツ 2012.05.29
- ^ U-20日本代表チーム(FIFA U-20ワールドカップカナダ2007)登録選手入れ替え J's GOAL 2007年6月20日
- ^ 【2009Jリーグ Pick Up!ニュージェネレーション】第2回 J's GOAL (2009年1月10日)
- ^ 【AFC U-19選手権サウジアラビア2008】準々決勝レポート J's GOAL (2008年11月9日)
- ^ 19歳権田と異例の長期契約 東京中日スポーツ、2008年11月11日
- ^ キリンチャレンジカップ2010 (10/8 vsアルゼンチン代表@埼玉スタジアム2002) 国際親善試合 (10/12vs韓国代表@ソウルワールドカップスタジアム) 日本代表メンバー 今野泰幸、権田修一選手選出のお知らせ FC東京オフィシャルウェブサイト、2010年9月30日
- ^ 『W杯で勝つ ザッケローニの戦略』 宝島社、2011年、92頁。ISBN 4796682856。
- ^ Zac a CM:'Italia, impara dal Giappone. I nuovi talenti escono dalle università'. VIDEO(イタリア語) calciomercato.com、2010年11月16日
- ^ 候補「何人も」! ザック監督 日本選手輸出計画 スポーツニッポン、2010年11月18日
- ^ 権田、U-22を優先 A代表では試合出られず スポーツニッポン、2011年3月4日
- ^ U22副将にGK権田「みんなで勝つ」 日刊スポーツ、2011.06.14
- ^ まとめ役 静かに燃える GK権田修一 (FC東京) (cache) asahi.com 2011年7月27日
- ^ a b ロンドンオリンピック2012日本代表メンバー 徳永悠平選手、権田修一選手選出のお知らせ FC東京 2012年7月2日
- ^ 権田、鉄壁セーブ! 4試合連続完封で4強導いた スポーツニッポン 2012年8月5日
- ^ 東京GK権田ザック視察に「攻め」見せる ニッカンスポーツ、2010年10月2日
- ^ 『サッカークリニック5月号 別冊付録「サッカー食育教科書」』. ベースボール・マガジン社. (2011年). p. 7頁. ASIN B004SBIHKW.
- ^ 2012年1月8日深夜(暦では9日)放送分より
- ^ Jリーグ公式サイト 登録選手 追加・変更・抹消のお知らせ Jリーグ公式ウェブサイト、2004.8.6
- ^ Jリーグ公式サイト 登録選手 追加・変更・抹消のお知らせ Jリーグ公式ウェブサイト、2005.7.22
- ^ テレビ朝日系列「やべっちF.C.」にてFC東京の選手がリフティングを披露 FC東京 (2010年2月27日)
- ^ 629回 1/29 テレビ朝日
- ^ ドリームオファー 一流アスリートにムチャなお願いしちゃいました! SPに権田修一選手(F東京)が出演! J's GOAL (2012年11月28日)
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 権田修一オフィシャルブログ
- 権田修一 (gonchan20) - Twitter
- 権田修一 - FIFA主催大会成績(英語)
- 権田修一 - National-Football-Teams.com(英語)
- 権田修一 - バイオグラフィーとオリンピックでの成績(英語)
- 権田修一 - ESPN Soccernet(英語)
- 権田修一/profile - Goal.com (en)
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