アトレティコ・マドリード

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アトレティコ・マドリード
原語表記 Club Atlético de Madrid S.A.D.
愛称 Colchonero、Rojiblancos、Atleti
クラブカラー 赤と白
創設年 1903年
所属リーグ リーガ・エスパニョーラ
所属ディビジョン プリメーラ・ディビション
ホームタウン マドリード
ホームスタジアム エスタディオ・ビセンテ・カルデロン
収容人数 54,851
代表者 スペインの旗 エンリケ・セレソ
監督 アルゼンチンの旗スペインの旗 ディエゴ・シメオネ
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

アトレティコ・デ・マドリードClub Atlético de Madrid S.A.D.)は、スペインマドリードを本拠地とするサッカークラブチーム。「アトレティコ」は「総合スポーツ」(Athletic)の意。

ホームスタジアム(カサ)はエスタディオ・ビセンテ・カルデロン。1903年に創立。リーガ・エスパニョーラプリメーラ・ディビションに籍を置く。スペインにおいては、レアル・マドリードFCバルセロナにつぐ第三のクラブとして認知されている屈指の名門クラブである。 ライバルクラブであるレアル・マドリードとの対戦は、マドリードダービーと呼ばれ、リーガ・エスパニョーラでも屈指の好カードである。

「アトレティコ」という名称がつくサッカークラブは世界中に多数存在するが、略称としての「アトレティコ」は本クラブを指すことが一般的である。ただし、日本では「アトレチコ・マドリード」や「A・マドリード」などと表記される場合がある。

UEFAカップよりレギュレーションなどの変更が行われて発足した、UEFAヨーロッパリーグの初代チャンピオンである。

目次

[編集] 歴史

エスタディオ・ビセンテ・カルデロン

クラブの起源は、バスクの名門チーム・アスレティック・ビルバオが、首都マドリードに設置した姉妹チームに遡る。現在、その関係は切れてはいるが、チームカラーがビルバオと同系統なのはそのためである。同じマドリードを本拠とするライバルのレアル・マドリードが主に富裕層の支持を受けるクラブであったのに対し、アトレティコは主に労働者階級の支持を受けて発展してきたクラブであり、サポーターは熱狂的なことで有名である。

現在のクラブ名になったのは、1947年のことであった。この頃から、徐々に勢いを増していく。後にインテルにグランデ・インテルと称される黄金期をもたらすことになるアルゼンチン人の名将エレニオ・エレーラが就任してからは、ラルビ・ベンバレクらを擁するチームは国内リーグを連覇した。エレーラが去った後も勢いを増し、60年代にかけて黄金期を創り出した。しかし、同時期にアルフレッド・ディ・ステファノレアル・マドリードラディスラオ・クバラFCバルセロナという強大な敵が国内に存在したことから国内でのタイトルを積み上げられず、結果欧州レベルでの実績を挙げることが出来なかった。1959年にはUEFAチャンピオンズカップ(現UEFAチャンピオンズリーグ)の準決勝まで駒を進めているが、立ちはだかったのは仇敵レアル・マドリードであった(現行のルールなら勝利)。結局、黄金期のアトレティコが得た国際タイトルといえば、1962年のUEFAカップウィナーズカップ優勝のみに止まっており、その実力に比して寂しい結果に終わっている。

1974年にはUEFAチャンピオンズカップ(現UEFAチャンピオンズリーグ)で決勝戦に進出。バイエルン・ミュンヘンを相手に0-0のまま延長戦に持ち込み、114分のルイス・アラゴネスのゴールで先制をすると、このまま延長戦終了間際までリードを保つ。誰もがアトレティコのビッグイヤー獲得を確信した試合終了30秒前、シュヴァルツェンベックに30メートル以上のミドルシュートを叩き込まれ、欧州No.1の座を目前に土壇場で同点に追いつかれてしまう。結局2日後の再試合では敗れ、準優勝に終わってしまった。しかし、その後出場を辞退したバイエルンに代わって出場したインターコンチネンタルカップでは、アルゼンチンのCAインデペンディエンテを下し、見事世界一の座に輝いた。なおスペインにおいて、インターコンチネンタルカップを獲得しているクラブは、レアル・マドリードとアトレティコだけである(大会名称が変わったFIFAクラブワールドカップFCバルセロナも獲得している)。

1987年に事業家のヘスス・ヒルが会長に就任。ヒルは潤沢な資金をアトレティコに投下し強化を推進する一方で、下部組織を解散(結果、そこに所属していたラウル・ゴンサレスは最大のライバルであるレアル・マドリードへと移籍し、後にマドリードのスター選手となる)させたり、また勝てなければ即監督の首を切り、ギロチン・ヒルと揶揄されるなど独裁的な人物としてつとに有名であった。このヒル会長は、アトレティコに数多くの栄光と挫折を味わわせることになる。

1995-96シーズンには、クラブ史上初めてリーガ・エスパニョーラスペイン国王杯の二冠を達成、これはヒル会長の敢行した大型補強の成果といえる。他方、1999-2000シーズンにはカルロス・アギレラジミー・フロイド・ハッセルバインク等の数々の有名選手を擁しながら、不振を極め、2部降格の憂き目に遭っているがこの不振も会長による独裁の結果、若手育成や継続的補強ができなかったことに起因するものとされる。しかし2部に落ちた時も、ソシオの数は増え続けたり、テレビの放送の数がほとんど減らず、経済的打撃をほとんど受けなかった。更に、この前年プリメーラ・ディビシオンで得点王を獲得したサルバ・バジェスタが加入するなど、アトレティコがスペインにおいていかに特別なクラブであるかを如実に物語るエピソードも数多い。

1年での1部復帰も叶わず、名将ルイス・アラゴネスを招聘し、新星フェルナンド・トーレスの台頭などもあって、ようやく2002-03シーズンに1部復帰を果たした。

2003年にヘスス・ヒルが会長から退任したが、低迷を続けるアトレティコが上昇のきっかけをつかむことはできなかった。新会長エンリケ・セレソは、ヒル時代に蓄積された巨額の負債にも悩まされることとなった。

アトレティコ・マドリードのファン(2005年)

不振が続く中、2005-06シーズンには南米随一の名将と言われるカルロス・ビアンチが監督に就任し、マルティン・ペトロフマキシ・ロドリゲスマテヤ・ケジュマンルシアーノ・ガジェッティらワールドクラスの選手の補強を次々敢行。優勝候補の一角にも挙げられたが、予想に反しチームは低迷。前半戦終了を待たずしてビアンチは解任された。その後、下部組織からペペ・ムルシアが監督に就任。その後は14年ぶりの6連勝を果たすなど一時調子を上げたが、マキシ・ロドリゲスが代表招集中に怪我をしてから再び失速、最終的には10位でシーズンを終えている。

2006-07シーズンには、メキシコ代表オサスナで実績を挙げたハビエル・アギーレを招聘。更にもはや恒例となった大型補強をし、再建を図った。だがリーガ最終順位は7位と低迷を脱する事はできなかった。

2007年7月にはクラブの象徴であったフェルナンド・トーレスをリヴァプールに放出。迎えた2007-08シーズンは、不安定な戦いに終始しアギーレ監督も批判を浴びたが、加入2年目のセルヒオ・アグエロが19ゴール、新加入のディエゴ・フォルランが16ゴールを記録する活躍を見せ、新加入のシモン・サブローザラウール・ガルシア、下部組織出身のイグナシオ・カマーチョらも活躍した事でトーレス退団の影響を感じさせず最終順位は4位で1995-96シーズン以来、12年ぶりにUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。

2008-09シーズンは、シーズン途中にアギーレ監督が解任されるなど終始不安定ではあったが、チーム力を見せつけて終盤戦の6連勝で4位に滑り込み、2年連続のUEFAチャンピオンズリーグ出場となった。最終節のアルメリア戦はエスタディオ・ビセンテ・カルデロンでの1000試合目であり、記念の試合を3-0の快勝で飾った。

2009-10シーズン、序盤は大きく低迷し、2シーズン連続で出場したUEFAチャンピオンズリーグもグループリーグで敗退。昨シーズン途中から監督に就いていたアベル・レシーノを解任しキケ・フローレスを招聘。冬の移籍期間中に獲得したティアゴ・メンデスの活躍もあり、不振に陥っていたチームの建て直しに成功した。UEFAチャンピオンズリーグのグループリーグを3位で終えていたため、UEFAヨーロッパリーグに決勝トーナメントより参戦。決勝戦でフラムFCをフォルランの2ゴールで2-1と下し、UEFAヨーロッパリーグの初代チャンピオンとなった。また、リーグ戦の最終順位は9位だったが、スペイン国王杯では1999 - 2000シーズン以来10年ぶりに決勝に進出。セビージャに敗れ、惜しくも準優勝に終わった。

2010-11シーズンは、UEFAスーパーカップでチャンピオンズリーグ王者のインテルを2-0で下し、人気と収入面で保つ“スペイン第3のクラブ”という面目を、実力でも示せるとファンから期待を寄せられた。だが、UEFAヨーロッパリーグではグループリーグで敗退し、1月から2月前半にかけては8敗を喫するなど、お得意の乱調は変わらず。シーズン終盤のセルヒオ・アグエロのゴールラッシュによって、UEFAヨーロッパリーグ出場圏内の7位にこそ位置したものの、ディエゴ・フォルランとの確執という話題もふりまいたフローレス監督は、シーズンが終わる前に退任を宣言。アグエロは移籍を表明した。なお3月の東日本大震災の際には、スペイン在住記者とGoal.comを通じて日本へ応援メッセージが届けられた。[1]

2011-12シーズンは、ヘスス・ガルシア・ピタルチに代わる新スポーツディレクターとしてホセ・ルイス・カミネロを招聘。[2]そして新指揮官には、2003-04シーズンにもチームを率いたグレゴリオ・マンサーノを呼び戻した。[3] 移籍の意思を表明していたアグエロが推定4500万ユーロでマンチェスター・シティFC[4]デ・ヘアは推定2100万ユーロでマンチェスター・ユナイテッドFC[5]、フォルランは500万ユーロでインテルへ[6]と、中心選手がそれぞれ立て続けにチームを離れる事となったが、その代役としてUEFAヨーロッパリーグ得点王のラダメル・ファルカオアルダ・トゥラン、ローンでジエゴなどを獲得し、チームは一新された。

ちなみにアトレティコは、1930年代後半から1940年代前半には軍隊のチームとなり、アトレティコ・アビアシオンという名称だった時期がある。9回の優勝のうち2回はその名称の時に獲得したものである。現在、その名称はアトレティコの下部組織の名前として残っている。

[編集] タイトル

[編集] 国内タイトル

  • スペイン国王杯 : 9回
    • 1960、1961、1965年、1972年、1976年、1985年、1991年、1992年、1996年

[編集] 国際タイトル

[編集] 過去の成績

シーズン リーグ コパ・デル・レイ 国際大会
1985-86 1部 5位
1986-87 1部 7位 準優勝
1987-88 1部 3位
1988-89 1部 4位
1989-90 1部 4位
1990-91 1部 2位 優勝
1991-92 1部 3位 優勝
1992-93 1部 6位
1993-94 1部 12位
1994-95 1部 14位
1995-96 1部 1位 優勝
1996-97 1部 5位 CL 準々決勝敗退
1997-98 1部 7位 UEFAカップ ベスト4
1998-99 1部 13位 準優勝 UEFAカップ ベスト4
1999-00 1部 19位 準優勝 UEFAカップ 4回戦敗退
2000-01 2部 4位 準決勝敗退
2001-02 2部 1位 1回戦敗退
2002-03 1部 12位 準々決勝敗退
2003-04 1部 7位 準々決勝敗退
2004-05 1部 11位 準決勝敗退
2005-06 1部 10位 5回戦敗退
2006-07 1部 7位 5回戦敗退
2007-08 1部 4位 準々決勝敗退 UEFAカップ 決勝T 1回戦敗退
2008-09 1部 4位 5回戦敗退 CL 決勝T 1回戦敗退
2009-10 1部 9位 準優勝 CL グループリーグ3位、EL 優勝
2010-11 1部 7位
優勝 準優勝 昇格 降格

[編集] 現所属メンバー

2011年9月1日現在
No. Pos. 選手名
2 ウルグアイの旗 DF ディエゴ・ゴディン (Flag of Spain.svg)
3 スペインの旗 DF アントニオ・ロペス (主将 Captain sports.svg)
4 スペインの旗 MF マリオ・スアレス
5 ポルトガルの旗 MF チアゴ・メンデス
6 ブラジルの旗 DF フィリペ・ルイス (Flag of Italy.svg)
7 スペインの旗 FW アドリアン・ロペス
8 アルゼンチンの旗 FW エドゥアルド・サルビオ
9 コロンビアの旗 FW ラダメル・ファルカオ
11 トルコの旗 MF アルダ・トゥラン ★※1
12 ブラジルの旗 MF パウロ・アスンソン (Flag of Portugal.svg)
13 ベルギーの旗 GK ティボ・クルトゥワ
14 スペインの旗 MF ガビ
No. Pos. 選手名
15 ポルトガルの旗 FW ピッツィ
16 スペインの旗 MF フラン・メリダ
17 ポルトガルの旗 DF シルヴィオ・ペレイラ
18 スペインの旗 DF アルバロ・ドミンゲス
19 スペインの旗 MF コケ
20 スペインの旗 MF フアンフラン
21 コロンビアの旗 DF ルイス・ペレア (Flag of Spain.svg)
22 ブラジルの旗 MF ジエゴ (Flag of Italy.svg)
23 ブラジルの旗 DF ジョアン・ミランダ
25 スペインの旗 GK セルヒオ・アセンホ
- スペインの旗 DF ハビ・マンキージョ

括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。 (※1)トルコはEU圏外だが、リーガ・エスパニョーラでは外国人枠とは見なさない。

監督

アルゼンチンの旗スペインの旗 ディエゴ・シメオネ

[編集] フォーメーション

2011-12

Soccer.Field Transparant.png

クルトゥワ
# 13
シルヴィオ
# 17
ミランダ
# 23
A・ドミンゲス
# 18
フィリペ
# 6
M・スアレス
# 4
チアゴ
# 5
ジエゴ
# 10
アルダ
# 11
アドリアン
# 7
ファルカオ
# 9

[編集] 期限付き移籍(レンタル移籍)選手

in

No. Pos. 選手名
13 ベルギーの旗 GK ティボ・クルトゥワ (チェルシーFC)
15 ポルトガルの旗 FW ピッツィ (スポルティング・ブラガ)
22 ブラジルの旗 MF ジエゴ (VfLヴォルフスブルク)

out

No. Pos. 選手名
スペインの旗 MF ルーベン・ペレス (デポルティーボ・ラ・コルーニャ)
ウルグアイの旗 DF レアンドロ・カブレラ (CDヌマンシア)
スペインの旗 MF ラウール・ガルシア (CAオサスナ)
ブラジルの旗 FW ジエゴ・コスタ (ラーヨ・バジェカーノ)
スペインの旗 DF ホルヘ・プリード (ラーヨ・バジェカーノ)
No. Pos. 選手名
ポルトガルの旗 MF ルベン・ミカエル (レアル・サラゴサ)
スペインの旗 FW ボルハ・ゴンサレス (レアル・ムルシア)
スペインの旗 FW ダニエル・パチェコ (ラーヨ・バジェカーノ)
スペインの旗 GK ジョエル・ロブレス (ラーヨ・バジェカーノ)

[編集] 11/12シーズン移籍

[編集] 歴代会長

  1. エンリケ・アジェンデ: 1903
  2. エドゥアルド・デ・アチャ: 1903-1907
  3. リカルド・デ・ゴンドラ: 1907-1909
  4. ラモン・デ・カルデナス: 1909-1912
  5. フリアン・ルエテ: 1912-1919
  6. アルバロ・デ・アギラル: 1919-1920
  7. フリアン・ルエテ: 1920-1923
  8. フアン・デ・エステファニア: 1923-1926
  9. ルシアーノ・ウルギホ: 1926-1931
  10. ラファエル・ゴンサーレス: 1931-1935
  11. ホセ・ルイス・デル・バジェ: 1935-1936
  12. ホセ・マリア・フェルナンデス: 1936-1939
  13. フランシスコ・ビベス: 1939
  14. ルイス・ナバロ: 1939-1941
  15. マヌエル・ガジェゴ: 1941–1945
  16. フアン・トウソーン: 1946-1947
  17. セサレオ・ガリンデス: 1947-1952
  18. マルケス・デ・ラ・フロリダ: 1952-1955
  19. フアン・スエボス: 1955
  20. ハビエル・バロッソ: 1955-1964
  21. ビセンテ・カルデロン: 1964-1980
  22. リカルド・イレサーバル: 1980
  23. アルフォンソ・カベサ: 1980-1982
  24. アントニオ・デル・オヨ: 1982
  25. アグスティン・コトルエロ: 1982
  26. ビセンテ・カルデロン: 1982-1986
  27. フランシスコ・カステド: 1986-1987
  28. ヘスス・ヒル: 1987-2003
  29. エンリケ・セレソ: 2003-

[編集] 歴代監督



[編集] 歴代所属選手

[編集] GK

[編集] DF



[編集] MF



[編集] FW



[編集] スタジアム移転問題

アトレティコは慢性的な財政難に悩まされており、2004年にはホームスタジアムを売却するという話が持ち上がった。アトレティコの現在のホームスタジアムであるビセンテ・カルデロンは、その下を高速道路が通過するという特異な構造を有するものであり、その拡張のためスタジアムの撤去を望んでいたマドリード州自治政府との利害関係が一致した結果であるとのことである。

しかしスタジアム売却後にアトレティコのホームスタジアムとなる予定のラ・ペイネタは、現在の場所から遠い、しかもレアル・マドリードの勢力の強い地域にあるスタジアムであり、また陸上グラウンドも併設されたものであることから、サポーターの不興を激しく買った。

この計画は、2012年マドリード五輪の招致に伴うラ・ペイネタの拡張計画を前提とするものであったため、五輪招致の頓挫によりその先行きは不透明になったが、計画自体は生きており、現在でもサポーターの反対運動が続いている。

[編集] 脚注

  1. ^ [1]Goal.com、2011年3月20日
  2. ^ アトレティコ新SDにカミネロ氏Goal.com、2011年5月28日
  3. ^ アトレティコ新指揮官はマンサーノ氏Goal.com、2011年6月9日
  4. ^ http://www.goal.com/jp/news/74/イングランド/2011/07/29/2595024/シティアグエロ獲得を正式発表
  5. ^ http://jp.uefa.com/uefachampionsleague/news/newsid=1648014.html
  6. ^ http://www.yomiuri.co.jp/sports/soccer/foreign/news/20110830-OYT1T00203.htm

[編集] 関連項目

  • アトレティコ・マドリードB (下位チーム)
  • 幸谷秀巳 (1994年-1999年にコーチとして在籍)
  • 佐伯夕利子 (2004-2005シーズン女子Bチーム監督、2005-2006シーズン女子トップチームスカウティング担当)
  • 玉乃淳 1999-2002までユースに所属 (昇格は出来ていない)
  • 宮川類 (2007年から5年契約で下部組織に所属)

[編集] 外部リンク



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