アトレティコ・マドリード
| アトレティコ・マドリード | |||
|---|---|---|---|
| 原語表記 | Club Atlético de Madrid S.A.D. | ||
| 愛称 | Colchonero、Rojiblancos、Atleti | ||
| クラブカラー | 赤と白 | ||
| 創設年 | 1903年 | ||
| 所属リーグ | リーガ・エスパニョーラ | ||
| 所属ディビジョン | プリメーラ・ディビション | ||
| ホームタウン | マドリード | ||
| ホームスタジアム | エスタディオ・ビセンテ・カルデロン | ||
| 収容人数 | 54,851 | ||
| 代表者 | |||
| 監督 | |||
| 公式サイト | 公式サイト | ||
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| ■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ | |||
アトレティコ・デ・マドリード(Club Atlético de Madrid S.A.D.)は、スペインのマドリードを本拠地とするサッカークラブチーム。「アトレティコ」は「総合スポーツ」(Athletic)の意。
ホームスタジアム(カサ)はエスタディオ・ビセンテ・カルデロン。1903年に創立。リーガ・エスパニョーラのプリメーラ・ディビションに籍を置く。スペインにおいては、レアル・マドリード、FCバルセロナにつぐ第三のクラブとして認知されている屈指の名門クラブである。 ライバルクラブであるレアル・マドリードとの対戦は、マドリードダービーと呼ばれ、リーガ・エスパニョーラでも屈指の好カードである。
「アトレティコ」という名称がつくサッカークラブは世界中に多数存在するが、略称としての「アトレティコ」は本クラブを指すことが一般的である。ただし、日本では「アトレチコ・マドリード」や「A・マドリード」などと表記される場合がある。
UEFAカップよりレギュレーションなどの変更が行われて発足した、UEFAヨーロッパリーグの初代チャンピオンである。
目次 |
[編集] 歴史
クラブの起源は、バスクの名門チーム・アスレティック・ビルバオが、首都マドリードに設置した姉妹チームに遡る。現在、その関係は切れてはいるが、チームカラーがビルバオと同系統なのはそのためである。同じマドリードを本拠とするライバルのレアル・マドリードが主に富裕層の支持を受けるクラブであったのに対し、アトレティコは主に労働者階級の支持を受けて発展してきたクラブであり、サポーターは熱狂的なことで有名である。
現在のクラブ名になったのは、1947年のことであった。この頃から、徐々に勢いを増していく。後にインテルにグランデ・インテルと称される黄金期をもたらすことになるアルゼンチン人の名将エレニオ・エレーラが就任してからは、ラルビ・ベンバレクらを擁するチームは国内リーグを連覇した。エレーラが去った後も勢いを増し、60年代にかけて黄金期を創り出した。しかし、同時期にアルフレッド・ディ・ステファノのレアル・マドリード、ラディスラオ・クバラのFCバルセロナという強大な敵が国内に存在したことから国内でのタイトルを積み上げられず、結果欧州レベルでの実績を挙げることが出来なかった。1959年にはUEFAチャンピオンズカップ(現UEFAチャンピオンズリーグ)の準決勝まで駒を進めているが、立ちはだかったのは仇敵レアル・マドリードであった(現行のルールなら勝利)。結局、黄金期のアトレティコが得た国際タイトルといえば、1962年のUEFAカップウィナーズカップ優勝のみに止まっており、その実力に比して寂しい結果に終わっている。
1974年にはUEFAチャンピオンズカップ(現UEFAチャンピオンズリーグ)で決勝戦に進出。バイエルン・ミュンヘンを相手に0-0のまま延長戦に持ち込み、114分のルイス・アラゴネスのゴールで先制をすると、このまま延長戦終了間際までリードを保つ。誰もがアトレティコのビッグイヤー獲得を確信した試合終了30秒前、シュヴァルツェンベックに30メートル以上のミドルシュートを叩き込まれ、欧州No.1の座を目前に土壇場で同点に追いつかれてしまう。結局2日後の再試合では敗れ、準優勝に終わってしまった。しかし、その後出場を辞退したバイエルンに代わって出場したインターコンチネンタルカップでは、アルゼンチンのCAインデペンディエンテを下し、見事世界一の座に輝いた。なおスペインにおいて、インターコンチネンタルカップを獲得しているクラブは、レアル・マドリードとアトレティコだけである(大会名称が変わったFIFAクラブワールドカップはFCバルセロナも獲得している)。
1987年に事業家のヘスス・ヒルが会長に就任。ヒルは潤沢な資金をアトレティコに投下し強化を推進する一方で、下部組織を解散(結果、そこに所属していたラウル・ゴンサレスは最大のライバルであるレアル・マドリードへと移籍し、後にマドリードのスター選手となる)させたり、また勝てなければ即監督の首を切り、ギロチン・ヒルと揶揄されるなど独裁的な人物としてつとに有名であった。このヒル会長は、アトレティコに数多くの栄光と挫折を味わわせることになる。
1995-96シーズンには、クラブ史上初めてリーガ・エスパニョーラとスペイン国王杯の二冠を達成、これはヒル会長の敢行した大型補強の成果といえる。他方、1999-2000シーズンにはカルロス・アギレラやジミー・フロイド・ハッセルバインク等の数々の有名選手を擁しながら、不振を極め、2部降格の憂き目に遭っているがこの不振も会長による独裁の結果、若手育成や継続的補強ができなかったことに起因するものとされる。しかし2部に落ちた時も、ソシオの数は増え続けたり、テレビの放送の数がほとんど減らず、経済的打撃をほとんど受けなかった。更に、この前年プリメーラ・ディビシオンで得点王を獲得したサルバ・バジェスタが加入するなど、アトレティコがスペインにおいていかに特別なクラブであるかを如実に物語るエピソードも数多い。
1年での1部復帰も叶わず、名将ルイス・アラゴネスを招聘し、新星フェルナンド・トーレスの台頭などもあって、ようやく2002-03シーズンに1部復帰を果たした。
2003年にヘスス・ヒルが会長から退任したが、低迷を続けるアトレティコが上昇のきっかけをつかむことはできなかった。新会長エンリケ・セレソは、ヒル時代に蓄積された巨額の負債にも悩まされることとなった。
不振が続く中、2005-06シーズンには南米随一の名将と言われるカルロス・ビアンチが監督に就任し、マルティン・ペトロフ、マキシ・ロドリゲス、マテヤ・ケジュマン、ルシアーノ・ガジェッティらワールドクラスの選手の補強を次々敢行。優勝候補の一角にも挙げられたが、予想に反しチームは低迷。前半戦終了を待たずしてビアンチは解任された。その後、下部組織からペペ・ムルシアが監督に就任。その後は14年ぶりの6連勝を果たすなど一時調子を上げたが、マキシ・ロドリゲスが代表招集中に怪我をしてから再び失速、最終的には10位でシーズンを終えている。
2006-07シーズンには、メキシコ代表やオサスナで実績を挙げたハビエル・アギーレを招聘。更にもはや恒例となった大型補強をし、再建を図った。だがリーガ最終順位は7位と低迷を脱する事はできなかった。
2007年7月にはクラブの象徴であったフェルナンド・トーレスをリヴァプールに放出。迎えた2007-08シーズンは、不安定な戦いに終始しアギーレ監督も批判を浴びたが、加入2年目のセルヒオ・アグエロが19ゴール、新加入のディエゴ・フォルランが16ゴールを記録する活躍を見せ、新加入のシモン・サブローザ、ラウール・ガルシア、下部組織出身のイグナシオ・カマーチョらも活躍した事でトーレス退団の影響を感じさせず最終順位は4位で1995-96シーズン以来、12年ぶりにUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。
2008-09シーズンは、シーズン途中にアギーレ監督が解任されるなど終始不安定ではあったが、チーム力を見せつけて終盤戦の6連勝で4位に滑り込み、2年連続のUEFAチャンピオンズリーグ出場となった。最終節のアルメリア戦はエスタディオ・ビセンテ・カルデロンでの1000試合目であり、記念の試合を3-0の快勝で飾った。
2009-10シーズン、序盤は大きく低迷し、2シーズン連続で出場したUEFAチャンピオンズリーグもグループリーグで敗退。昨シーズン途中から監督に就いていたアベル・レシーノを解任しキケ・フローレスを招聘。冬の移籍期間中に獲得したティアゴ・メンデスの活躍もあり、不振に陥っていたチームの建て直しに成功した。UEFAチャンピオンズリーグのグループリーグを3位で終えていたため、UEFAヨーロッパリーグに決勝トーナメントより参戦。決勝戦でフラムFCをフォルランの2ゴールで2-1と下し、UEFAヨーロッパリーグの初代チャンピオンとなった。また、リーグ戦の最終順位は9位だったが、スペイン国王杯では1999 - 2000シーズン以来10年ぶりに決勝に進出。セビージャに敗れ、惜しくも準優勝に終わった。
2010-11シーズンは、UEFAスーパーカップでチャンピオンズリーグ王者のインテルを2-0で下し、人気と収入面で保つ“スペイン第3のクラブ”という面目を、実力でも示せるとファンから期待を寄せられた。だが、UEFAヨーロッパリーグではグループリーグで敗退し、1月から2月前半にかけては8敗を喫するなど、お得意の乱調は変わらず。シーズン終盤のセルヒオ・アグエロのゴールラッシュによって、UEFAヨーロッパリーグ出場圏内の7位にこそ位置したものの、ディエゴ・フォルランとの確執という話題もふりまいたフローレス監督は、シーズンが終わる前に退任を宣言。アグエロは移籍を表明した。なお3月の東日本大震災の際には、スペイン在住記者とGoal.comを通じて日本へ応援メッセージが届けられた。[1]
2011-12シーズンは、ヘスス・ガルシア・ピタルチに代わる新スポーツディレクターとしてホセ・ルイス・カミネロを招聘。[2]そして新指揮官には、2003-04シーズンにもチームを率いたグレゴリオ・マンサーノを呼び戻した。[3] 移籍の意思を表明していたアグエロが推定4500万ユーロでマンチェスター・シティFCへ[4]、デ・ヘアは推定2100万ユーロでマンチェスター・ユナイテッドFCへ[5]、フォルランは500万ユーロでインテルへ[6]と、中心選手がそれぞれ立て続けにチームを離れる事となったが、その代役としてUEFAヨーロッパリーグ得点王のラダメル・ファルカオ、アルダ・トゥラン、ローンでジエゴなどを獲得し、チームは一新された。
ちなみにアトレティコは、1930年代後半から1940年代前半には軍隊のチームとなり、アトレティコ・アビアシオンという名称だった時期がある。9回の優勝のうち2回はその名称の時に獲得したものである。現在、その名称はアトレティコの下部組織の名前として残っている。
[編集] タイトル
[編集] 国内タイトル
- プリメーラ・ディビション : 9回
- 1939-40、1940-41、1949-50、1950-51、1965-66、1969-70、1972-73、1976-77、1995-96
- スペイン国王杯 : 9回
- 1960、1961、1965年、1972年、1976年、1985年、1991年、1992年、1996年
- スペイン・スーパーカップ : 1回
- 1985年
[編集] 国際タイトル
- インターコンチネンタルカップ : 1回
- 1974年
- UEFAカップウィナーズカップ : 1回
- 1961-62
- UEFAヨーロッパリーグ : 1回
- 2009-10 (大会の初代優勝チーム)
- UEFAスーパーカップ : 1回
- 2010
[編集] 過去の成績
| シーズン | リーグ | コパ・デル・レイ | 国際大会 | |
|---|---|---|---|---|
| 1985-86 | 1部 | 5位 | ||
| 1986-87 | 1部 | 7位 | 準優勝 | |
| 1987-88 | 1部 | 3位 | ||
| 1988-89 | 1部 | 4位 | ||
| 1989-90 | 1部 | 4位 | ||
| 1990-91 | 1部 | 2位 | 優勝 | |
| 1991-92 | 1部 | 3位 | 優勝 | |
| 1992-93 | 1部 | 6位 | ||
| 1993-94 | 1部 | 12位 | ||
| 1994-95 | 1部 | 14位 | ||
| 1995-96 | 1部 | 1位 | 優勝 | |
| 1996-97 | 1部 | 5位 | CL 準々決勝敗退 | |
| 1997-98 | 1部 | 7位 | UEFAカップ ベスト4 | |
| 1998-99 | 1部 | 13位 | 準優勝 | UEFAカップ ベスト4 |
| 1999-00 | 1部 | 19位 | 準優勝 | UEFAカップ 4回戦敗退 |
| 2000-01 | 2部 | 4位 | 準決勝敗退 | |
| 2001-02 | 2部 | 1位 | 1回戦敗退 | |
| 2002-03 | 1部 | 12位 | 準々決勝敗退 | |
| 2003-04 | 1部 | 7位 | 準々決勝敗退 | |
| 2004-05 | 1部 | 11位 | 準決勝敗退 | |
| 2005-06 | 1部 | 10位 | 5回戦敗退 | |
| 2006-07 | 1部 | 7位 | 5回戦敗退 | |
| 2007-08 | 1部 | 4位 | 準々決勝敗退 | UEFAカップ 決勝T 1回戦敗退 |
| 2008-09 | 1部 | 4位 | 5回戦敗退 | CL 決勝T 1回戦敗退 |
| 2009-10 | 1部 | 9位 | 準優勝 | CL グループリーグ3位、EL 優勝 |
| 2010-11 | 1部 | 7位 | ||
-
優勝 準優勝 昇格 降格
[編集] 現所属メンバー
- 2011年9月1日現在
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括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。 (※1)トルコはEU圏外だが、リーガ・エスパニョーラでは外国人枠とは見なさない。
- 監督
[編集] フォーメーション
- 2011-12
[編集] 期限付き移籍(レンタル移籍)選手
in
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out
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[編集] 11/12シーズン移籍
詳細は「:en:List of Spanish football transfers summer 2011」を参照
[編集] 歴代会長
- エンリケ・アジェンデ: 1903
- エドゥアルド・デ・アチャ: 1903-1907
- リカルド・デ・ゴンドラ: 1907-1909
- ラモン・デ・カルデナス: 1909-1912
- フリアン・ルエテ: 1912-1919
- アルバロ・デ・アギラル: 1919-1920
- フリアン・ルエテ: 1920-1923
- フアン・デ・エステファニア: 1923-1926
- ルシアーノ・ウルギホ: 1926-1931
- ラファエル・ゴンサーレス: 1931-1935
- ホセ・ルイス・デル・バジェ: 1935-1936
- ホセ・マリア・フェルナンデス: 1936-1939
- フランシスコ・ビベス: 1939
- ルイス・ナバロ: 1939-1941
- マヌエル・ガジェゴ: 1941–1945
- フアン・トウソーン: 1946-1947
- セサレオ・ガリンデス: 1947-1952
- マルケス・デ・ラ・フロリダ: 1952-1955
- フアン・スエボス: 1955
- ハビエル・バロッソ: 1955-1964
- ビセンテ・カルデロン: 1964-1980
- リカルド・イレサーバル: 1980
- アルフォンソ・カベサ: 1980-1982
- アントニオ・デル・オヨ: 1982
- アグスティン・コトルエロ: 1982
- ビセンテ・カルデロン: 1982-1986
- フランシスコ・カステド: 1986-1987
- ヘスス・ヒル: 1987-2003
- エンリケ・セレソ: 2003-
[編集] 歴代監督
Manuel Ansoleaga 1921-1922
Urbano Iturbe 1922-1923
ヴィンス・ヘイズ 1923-1924
Ramón Olalquiaga 1924-1925
Fred Pentland 1925-1926
Ángel Romo 1929-1930
Rudolf Jeny 1930-1932
ハビエル・バロゾ 1932
ウォルター・ハリス 1932-1933
マニュエル・アナトール 1933
Arcadio Arteaga 1933
Fred Pentland 1933-1935
ジョゼップ・サミティエール 1935-1936
リカルド・サモラ 1939-1940
Ramón Lafuente 1940
リカルド・サモラ 1940-1946
Vidal 1946-1948
Lino Traioli 1948-1949
エレニオ・エレーラ 1949–1953
Colón 1953
ベニート・ディアス 1953-1954
Jcinto Quincoces 1954-1955
アントニオ・バリオス 1955-1957
フェルナンド・ダウシク 1957-1959
ホセ・ビジャロンガ 1959-1961
ラファエル・ガルシア 1961-1963
エイドリアン・エスクデロ 1964
サビノ・バリナガ 1963-1964
Otto Bumbel 1964-1965
ドメネク・バルマーニャ 1965-1966
オットー・グロリア 1966-1968
ミゲル・ゴンザレス・ペレス 1968-1969
マルセル・ドミンゴ 1969-1972
マックス・メルケル 1972-1973
ファン・カルロス・ローレンツォ 1973-1974
ルイス・アラゴネス 1974-1978
エクトル・ヌーニェス 1978
ルイス・アラゴネス 1978
Ferenc Szusza 1978-1979
ルイス・アラゴネス 1979-1980
Martínez Jayo 1980
マルセル・ドミンゴ 1980
José Luis García Traid 1980-1981
Luis Cid 1981
José Luis García Traid 1981-1982
ルイス・アラゴネス 1982–86
ビセンテ・ミエラ 1986
Martínez Jayo 1986-1987
ルイス・アラゴネス 1987
セサル・ルイス・メノッティ 1987-1988
José Ufarte 1988
Antonio Briones 1988
ホセ・マリア・マクレギ 1988
Antonio Briones 1988
ロン・アトキンソン 1988-1989
コリン・アッディソン 1989
Antonio Briones 1989
ハビエル・クレメンテ 1989-1990
Antonio Briones 1990
ホアキン・ペイロ 1990
Santos Ovejero 1990
トミスラフ・イヴィッチ 1990-1991
ルイス・アラゴネス 1991-1993
レーモン・エレディア 1993
ジャイル・ペレイラ 1993
レーモン・エレディア 1993
エミリオ・クルス 1993
ホセ・ルイス・ロメーロ 1994
Santos Ovejero 1994
Jorge D’Alessandro 1994
フランシスコ・マツラナ 1994
Jorge D’Alessandro 1995
アルフィオ・バシーレ 1995
Carlos Sánchez Aguiar 1995
アルフィオ・バシーレ 1995
ラドミル・アンティッチ 1995-1998
アリゴ・サッキ 1998
ラドミル・アンティッチ 1999
クラウディオ・ラニエリ 1999-2000
ラドミル・アンティッチ 2000
フェルナンド・サンブラーノ 2000
マルコス・アロンソ 2000–01
カルロス・ガルシア・カンタレホ 2001
ルイス・アラゴネス 2001-2003
グレゴリオ・マンサーノ 2003-2004
セサル・フェランド 2004-2005
カルロス・ビアンチ 2005-2006
ペペ・ムルシア 2006-2006
ハビエル・アギーレ 2006-2009
アベル・レシーノ 2009
キケ・フローレス 2009-2011
グレゴリオ・マンサーノ 2011
ディエゴ・シメオネ 2011-
[編集] 歴代所属選手
詳細は「:Category:アトレティコ・マドリードの選手」を参照
[編集] GK
ミゲル・レイナ 1973-1980
リカルド・ロペス 1994-1997
フランシスコ・モリーナ 1995-2000
セルヒオ・サンチェス・サンチェス 2000-2005
ヘルマン・ブルゴス 2001-2004
レオ・フランコ 2004-2009
イスマエル・ゴメス・ファルコン 2005-2008
クリスティアン・アッビアーティ 2007-2008
グレゴリー・クペ 2008-2009
ロベルト・ヒメネス 2009-2010
セルヒオ・アセンホ 2009-2011.1,7-
ダビド・デ・ヘア 2009-2011
[編集] DF
カルロス・アギレラ 1987-1993、1996-2005
サンティ・デニア 1995-2005
ホセ・チャモ 1998-1999
ミケーレ・セレーナ 1998-1999
ステファノ・トリージ 1998-1999
セルソ・アジャラ 1999-2000
ジョアン・カプデビラ 1999-2000
カルロス・ガマーラ 1999-2000
ガルシア・カルボ 2001-2006
ファブリシオ・コロッチーニ 2002-2003
コスミン・コントラ 2002-2004
デ・ロス・サントス 2003-2004
セルジ・バルフアン 2002-2005
マティアス・レキ 2003-2004
アントニオ・ロペス 2001-2002、2004-
パブロ・イバニェス 2004-2010
ルイス・ペレア 2004-
フアン・ベラスコ 2004-2006
マリアーノ・ペルニア 2006-2010
ゼ・カストロ 2006-2009
ゲオルギオス・セイタリディス 2006-2009
ファビアーノ・エレル 2007-2008
トマーシュ・ウイファルシ 2008-
ヨニー・ハイティンハ 2008-2009
アルバロ・ドミンゲス 2008-
ファニート 2009-2011
レアンドロ・カブレラ 2009-2011
フィリペ・ルイス 2010-
ディエゴ・ゴディン 2010-
[編集] MF
エウセビオ・サクリスタン・メナ 1987-1988
パウロ・フットレ 1987-1992, 1997-1998
ドナト・ガマ・ダ・シルバ 1988-1993
ベルント・シュスター 1990-1993
ホセ・ルイス・カミネロ 1993-1998
ディエゴ・シメオネ 1994-1997
ヴラディミル・ユーゴヴィッチ 1995-1997
ミリンコ・パンティッチ 1995-1998
クイントン・フォーチュン 1996-1999
ラデク・ベイブル 1996-2000
ルーベン・バラハ 1996-2000
ジュニーニョ・パウリスタ 1997-1999
サンティアゴ・ソラーリ 1998-2000
フアン・カルロス・バレロン 1998-2000
ゾラン・ニエグス 1998-2001
ホセ・マリア・モビージャ 2001-2003
デメトリオ・アルベルティーニ 2002-2003
エメルソン・モイセス・コスタ 2002-2003
ルイス・ガルシア 2002-2003、2007-2009
アルバロ・ノボ 2003-2005
キキ・ムサンパ 2003-2005
アリエル・イバガサ 2003-2006
ペテル・リュクサン 2004-2007
ゴンサーロ・コルサ 2004-2006
イェスパー・グレンケア 2005
ルシアーノ・ガジェッティ 2005-2007
マルティン・ペトロフ 2005-2007
フェルナンド・マルケス 2005-2007
マキシ・ロドリゲス 2005-2010
コスチーニャ 2006-2007
マニシェ 2006-2009
ホセ・マヌエル・フラド 2006-2008、2009-2010
シモン・サブローザ 2007-2011
ホセ・アントニオ・レジェス 2007-2008、2009-
パウロ・アスンソン 2008-
ティアゴ・メンデス 2009-
ウーゴ・レアル
ジョバン・スタンコビッチ
[編集] FW
フリオ・サリナス 1986-1988
キコ 1993-2001
フェルナンド・コレア 1995-1996、1998-2003
ファン・エスナイデル 1996-1997
サンティアゴ・エスケーロ 1996-1998
ヴェリコ・パウノヴィッチ 1996-2002、2003-2004
クリスティアン・ヴィエリ 1997-1998
ジョルディ・ラルディン 1997-2002
ホセ・マリ 1997-2000、2002-2003
ジミー・フロイド・ハッセルバインク 1999-2000
フェルナンド・トーレス 2000-2007
サルバ・バジェスタ 2000-2001、2004-2005
マヌエル・デル・モラル 2002-2003、2005-2006
ハビ・モレーノ 2002-2004
ハビエル・アリスメンディ 2003-2004、2005-2006
マテヤ・ケジュマン 2005-2006
セルヒオ・アグエロ 2006-2011
ミスタ 2006-2008
ディエゴ・フォルラン 2007-2011
フロラン・シナマ=ポンゴル 2008-2009
[編集] スタジアム移転問題
アトレティコは慢性的な財政難に悩まされており、2004年にはホームスタジアムを売却するという話が持ち上がった。アトレティコの現在のホームスタジアムであるビセンテ・カルデロンは、その下を高速道路が通過するという特異な構造を有するものであり、その拡張のためスタジアムの撤去を望んでいたマドリード州自治政府との利害関係が一致した結果であるとのことである。
しかしスタジアム売却後にアトレティコのホームスタジアムとなる予定のラ・ペイネタは、現在の場所から遠い、しかもレアル・マドリードの勢力の強い地域にあるスタジアムであり、また陸上グラウンドも併設されたものであることから、サポーターの不興を激しく買った。
この計画は、2012年マドリード五輪の招致に伴うラ・ペイネタの拡張計画を前提とするものであったため、五輪招致の頓挫によりその先行きは不透明になったが、計画自体は生きており、現在でもサポーターの反対運動が続いている。
[編集] 脚注
- ^ [1]Goal.com、2011年3月20日
- ^ アトレティコ新SDにカミネロ氏Goal.com、2011年5月28日
- ^ アトレティコ新指揮官はマンサーノ氏Goal.com、2011年6月9日
- ^ http://www.goal.com/jp/news/74/イングランド/2011/07/29/2595024/シティアグエロ獲得を正式発表
- ^ http://jp.uefa.com/uefachampionsleague/news/newsid=1648014.html
- ^ http://www.yomiuri.co.jp/sports/soccer/foreign/news/20110830-OYT1T00203.htm
[編集] 関連項目
- アトレティコ・マドリードB (下位チーム)
- 幸谷秀巳 (1994年-1999年にコーチとして在籍)
- 佐伯夕利子 (2004-2005シーズン女子Bチーム監督、2005-2006シーズン女子トップチームスカウティング担当)
- 玉乃淳 1999-2002までユースに所属 (昇格は出来ていない)
- 宮川類 (2007年から5年契約で下部組織に所属)
[編集] 外部リンク
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