クラウディオ・ラニエリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
クラウディオ・ラニエリ Football pictogram.svg
Claudio Ranieri Inter.jpg
名前
愛称 アッジュスタトーレ (修理屋[1])
カタカナ クラウディオ・ラニエリ
ラテン文字 Claudio Ranieri
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 1951年10月20日(62歳)
出身地 ローマ
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

クラウディオ・ラニエリClaudio Ranieri1951年10月20日 - )はイタリアローマ出身の元サッカー選手、サッカー指導者。イタリアスペインイングランドフランスといった欧州の主要なサッカーリーグで監督を務めた経験があり、バレンシアCFチェルシーFCユヴェントスASローマインテルASモナコなどのクラブを率いた。

来歴[編集]

選手時代[編集]

1973年ASローマでプロデビュー。しかし、出場機会に恵まれず、2シーズンで6試合に出場したのみで移籍。その後はカタンザーロカターニアパレルモと渡り歩き、主にDFとしてプレー。1985-86シーズンを最後に引退した。

指導者時代[編集]

キャリア初期

1986年より監督としてのキャリアを開始。イタリア下部のチームを率いた後、1988年カリアリの監督に就任。同クラブをセリエC1からセリエAまで引き上げる。この実績が認められ、1991年にはナポリの監督に就任。就任2年目に成績不振で解任されたが、衰えの見えていたディエゴ・マラドーナに代わり、若手だったジャンフランコ・ゾラの才能を見出した。1993年よりフィオレンティーナの指揮官に就任すると、セリエAへの昇格に成功。1996年にはコッパ・イタリア優勝に導いた。

バレンシア(第1期)

1997年にはスペインに新天地を求め、バレンシアの監督に就任。カウンターアタックによる攻撃スタイルを確立し、2シーズンの間にバレンシアを上位争いに食い込むチームへと成長させた。また、人材の育成や獲得にも手腕を発揮。下部組織出身のガイスカ・メンディエタミゲル・アンヘル・アングロを育て、レアル・マドリードからサンティアゴ・カニサレスを獲得し正GKに据えた。

チェルシー

アトレティコ・マドリードの監督を経て、2000年イングランドの名門チェルシーFCの監督に就任。フランク・ランパードウィリアム・ギャラスを獲得し、未来のキャプテンであるジョン・テリーを抜擢する一方で、ベテランのデニス・ワイズを放出するなどチームの改革に成功した。2003年夏にロマン・アブラモビッチが新オーナーになると、1億5,000万ユーロを投じる空前の大型補強が行われる。期待が高まる中で迎えた2003-04シーズンは、無敗で優勝したアーセナルに次ぐ国内リーグ2位、UEFAチャンピオンズリーグではアーセナルを破ってのベスト4と一定の結果を出したが、求められていたタイトル獲得はならず。ラニエリはシーズン終了と同時に解任され[2]ジョゼ・モウリーニョがその後釜に座ることになった。

バレンシア(第2期)

2004年夏、バレンシアの監督に復帰[3]。開幕前にマルコ・ディ・ヴァイオステファノ・フィオーレエミリアーノ・モレッティといったイタリア人の戦力を集め話題になる。しかし、成績は振るわずシーズン途中の2005年2月に解任された[4]

パルマ
パルマ時代

空白期間を経て、2007年2月にパルマFCの監督に就任。冬の移籍市場で加入したジュゼッペ・ロッシの大活躍にも助けられ、就任時に18位だったチームを立て直し、最終的に12位まで順位を上げてセリエA残留に成功した。

ユヴェントス

パルマとは契約を延長せず、翌2007-08シーズンよりセリエAに復帰するユヴェントスの指揮官に3年契約で迎えられる[5]。昇格直後のチームを率いてリーグ戦を3位で終え、UEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。

就任2年目の2008-09シーズンは、チャンピオンズリーグのグループステージでレアル・マドリードに連勝したものの、決勝トーナメント一回戦でチェルシーFCに敗北。国内リーグでも勝ちきれない試合が続き、2009年5月18日に解任された[6]

ローマ

2009年9月2日、開幕直後に辞任したルチアーノ・スパレッティの後任として、古巣であり出身地のクラブでもあるASローマの監督に就任[7]。実利優先の堅実なサッカーを導入し、チームを上昇気流に乗せることに成功[8]。優勝したインテルと勝ち点2差の2位でシーズンを終え、UEFAチャンピオンズリーグ出場権を得た。しかし、翌シーズンは一転して不振に陥り、シーズン途中の2011年2月20日に辞任した[9]

インテル

2011年9月22日ジャン・ピエロ・ガスペリーニの後を受けてインテルの監督に就任した[10]。契約期間は2013年6月30日までの二年間。7連勝を挙げるなど一時は好調だったが、1月末から9戦勝ちなし、UEFAチャンピオンズリーグもベスト16で敗退と低迷。ユヴェントスに0-2で敗れたあと、解任された[11]

ASモナコ

2012年5月、リーグ・ドゥASモナコの監督に就任。2012-13シーズンは1部昇格に導き、大量補強をした2013-14シーズンは2位に導きチャンピオンズリーグ出場権を得るものの、2014年5月に解任。

選手歴[編集]

指導歴[編集]

監督としての成績[編集]

クラブ リーグ 就任 退任 成績
G W L D 勝率(%)
カリアリ イタリアの旗 1988年 1991年 72 23 19 30 31.94
ナポリ イタリアの旗 1991年 1993年 68 25 19 24 36.76
フィオレンティーナ イタリアの旗 1993年 1997年 140 56 34 50 40
バレンシアCF スペインの旗 1997年 1999年 76 35 26 15 46.05
アトレティコ・マドリード スペインの旗 1999年 2000年 38 9 18 11 23.68
チェルシーFC イングランドの旗 2000年9月18日 2004年5月31日 199 107 46 46 53.76
バレンシアCF スペインの旗 2004年6月16日 2005年2月25日 36 15 12 9 41.66
パルマFC イタリアの旗 2007年2月12日 2007年5月31日 16 7 6 3 43.75
ユヴェントス イタリアの旗 2007年7月1日 2009年5月18日 92 45 17 30 48.91
ASローマ イタリアの旗 2009年9月1日 2011年2月21日 56 32 11 13 57.14
インテル イタリアの旗 2011年9月22日 2012年3月26日 34 16 5 13 47.06

獲得タイトル[編集]

フィオレンティーナ
バレンシアCF

脚注[編集]