スポルティング・デ・ヒホン
| スポルティング・デ・ヒホン | ||||
|---|---|---|---|---|
| 原語表記 | Real Sporting de Gijón | |||
| 愛称 | ロヒブランコス(Rojiblancos、赤と白) | |||
| クラブカラー | 赤と白 | |||
| 創設年 | 1905年 | |||
| 所属リーグ | リーガ・エスパニョーラ | |||
| 所属ディビジョン | セグンダ・ディビシオン | |||
| ホームタウン | ヒホン | |||
| ホームスタジアム | エル・モリノン | |||
| 収容人数 | 25,885 | |||
| 代表者 | ||||
| 監督 | ||||
| 公式サイト | 公式サイト | |||
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| ■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ | ||||
スポルティング・デ・ヒホン(Real Sporting de Gijón)は、スペイン北部アストゥリアス州の都市ヒホンに本拠地を置くサッカークラブチーム。
1905年6月1日に創設された。愛称はロヒブランコス(Rojiblancos、赤と白)。ホームスタジアムであるエル・モリノンは1908年に建てられており、スペイン国内のプロサッカー場としては最も歴史のあるスタジアムである。ラ・リーガ通算順位表では15位に位置し、セグンダ・ディビシオンB(3部)以下でプレーしたことのない9つのクラブのひとつである。同じアストゥリアス州内のレアル・オビエドとライバル関係にあり[1]、両クラブが同じディビジョンに属している時にはアストゥリアス・ダービーが行われる。
目次 |
歴史 [編集]
1905年にスポルティング・ヒホネス (Sporting Gijonés)という名称で設立され、アンセルモ・ロペスが初代会長となった。1912年にはスペイン国王のアルフォンソ3世がスペイン王室の庇護を与え、「国王の」を表すRealをクラブ名に取り入れてレアル・スポルティング・クルブ・ヒホネス (Real Sporting Club Gijonés)と改名した。1916年には現在の名称であるレアル・スポルティング・デ・ヒホン (Real Sporting de Gijón)に改名した。
1941-42シーズンから3シーズン続けてセグンダ・ディビシオンで優勝して昇格プレーオフに出場し、1943-44シーズン終了後には初めてプリメーラ・ディビシオン(1部)昇格を決めた。1970年代後半と1980年代前半にはクラブの黄金期を迎え、リーグ戦とカップ戦(コパ・デル・レイ)で優勝を争った。1970年代にはキニがプリメーラ・ディビシオンで3度得点王(ピチーチ賞)のタイトルを獲得し、1981-82シーズンと1982-83シーズンには2シーズン連続でコパ・デル・レイ準優勝を果たした。また、1977-78シーズンから1997-98シーズンまで21シーズン連続でプリメーラ・ディビシオンに在籍し、この期間中にはUEFAカップに6度出場した。ラウンド32に4度、ラウンド16に2度進出しており、直近の出場は1991-92シーズンである。1997-98シーズンは無残な成績でセグンダ・ディビシオン降格となり、1998-99シーズンから2007-08シーズンまでの10シーズンはセグンダ・ディビシオンでプレーした。
2007-08シーズンはセグンダ・ディビシオンを3位で終え、11シーズンぶりのプリメーラ・ディビシオン昇格を果たした。2008-09シーズンは開幕戦から5試合で20失点を喫したが、その後は強豪のバレンシアCFやセビージャFCに勝利するなど健闘した。降格もやむなしと思われたが、34節まで引き分けゼロという攻撃サッカーを貫き、14位で残留を決めた。敗戦数はリーグ最多タイ、失点数は断トツでリーグ最多だった。2011年4月2日のレアル・マドリード戦(1-0)に勝利し、ジョゼ・モウリーニョ監督が続けていたホームで9年間負けなしという記録を途切れさせた[2]。
クラブカラーと紋章 [編集]
クラブ創設当初から赤と白の縦縞のユニフォームを着用している。現在、赤と白のユニフォームを着るアスレティック・ビルバオとアトレティコ・マドリードは1909年まで青と白のユニフォームを着ており、赤と白の縦縞でプレーしたプリメーラ・ディビシオンのチームはスポルティング・ヒホンが最初である。この配色はヒホン市の公式旗に由来しており、ヒホン市の公式旗は1845年に誕生したヒホン沿岸州の旗に由来している[3]。古い歴史を持つ多くのクラブと同じく、当初はユニフォームにいかなるバッジも付けていなかったが、1920年代に初めて公式バッジが採り入れられた。それは伝統的に盾の形(逆三角形)をして3つのセクションに分けられ、クラブと市を象徴している。1931年から1936年までのスペイン内戦中は丸い盾の形をしており、最上部の王冠は城壁冠に変えられた。 現在のバッジは逆三角形をしており、赤と白の縦縞が施され、その中央に金色でS(SportingのS)とG(GijonのG)の文字が配置されている。最上部には国王の庇護の象徴である王冠を置いている[4]。
クラブの公式旗は縦横2:3の長方形で、赤と白の9本の横縞(一番上と一番下は赤)で構成されている。中央右寄りにクラブのロゴがデザインされている。
サポーター [編集]
たいていのホームゲームでは、大部分の席はシーズンチケット購入者か、21,000人いるソシオと呼ばれるファンクラブ加入者で占められる[5]。これらのソシオ以外に、スペイン国内外に240以上のファンクラブ(クラブが認知している公式のもののみ)がある[6] 。2008-09シーズンの1試合平均観客数は21,491人であり、リーグで10番目に多かった。総座席数に占める観客数は84%であり、リーグで5番目であった[7]。
スポルティングイスタス(Sportinguistas)と呼ばれるサポーター集団がある[8]。スペインのクラブの中でもっともクラブに対する忠誠心があり、アウェー戦に多く詰めかけ、活発なサポーター集団のひとつであると広く認識されており[9][10][11]、試合では素晴らしい雰囲気を作り上げる[12]。スポルティングイスタスに続くサポーター集団としてはラ・マレオーナ(La Mareona)がある。
2008年6月にヒホン市で行われたプリメーラ・ディビシオン昇格を祝うイベントには約30万人が詰めかけた[13]。
練習場と下部組織 [編集]
1978年3月28日にエスクエラ・デ・フトボル・デ・マレオ(通称マレオ)という名前の練習場が完成し、下部組織も同名のマレオと呼ばれている。練習場としてのマレオは市街地から7kmの距離にあり、112,000m2の広さを誇る。マレオではトップチームの練習と下部組織のチームの試合が行われている。現在、マレオには8つのグラウンドがあり、屋内練習場や医療センターを備えた建物も併設している。
スポルティング・ヒホンの下部組織は優れた選手を数多く輩出することで知られている。1968年にトップチームデビューしたFWキニはプリメーラ・ディビシオンで3度、セグンダ・ディビシオンで2度得点王(ピチーチ賞)のタイトルを獲得し、FCバルセロナを経てスポルティング・ヒホンで現役引退した。1984年にはGKフアン・カルロス・アブラネードがトップチームデビューし、1999年までスポルティング・ヒホン一筋であった。アブラネードはスペイン代表キャップこそ少ないが2度のFIFAワールドカップに出場している。MFルイス・エンリケは1989年にトップチームデビューし、その後はFCバルセロナとレアル・マドリードでプレーした。ルイス・エンリケと同じく1989年にトップチームデビューしたDFアベラルドは、やはりルイス・エンリケと同じくバルセロナオリンピック優勝メンバーのひとりであり、2度のFIFAワールドカップに出場した。FWダビド・ビジャは2000年にトップチームデビューし、バレンシアCFやFCバルセロナなどで活躍している。スペイン代表として出場したUEFA欧州選手権2008と2010 FIFAワールドカップで得点王に輝いた。
ユニフォーム [編集]
| 期間 | サプライヤー | 胸スポンサー |
|---|---|---|
| 1985–1986 | アディダス | なし |
| 1986–1989 | Cajastur | |
| 1989–1992 | Rasán | |
| 1992–1995 | ロット | |
| 1995–1997 | Joma | |
| 1997–2002 | Astore | ヒホン市 |
| 2002–2011 | ヒホン市
アストゥリアス州政府 |
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| 2011– | Kappa |
タイトル [編集]
クラブタイトル [編集]
- 最高位 2位 : 1978-79[14]
- 優勝5回 : 1943-44, 1950-51, 1956-57, 1969-70, 1976-77
個人タイトル [編集]
ピチーチ賞 [編集]
- プリメーラ・ディビシオン: キニ (3) (1973–74, 1975–76, 1979–80)
- セグンダ・ディビシオン: リカルド (1956–57), ソラバッリエタ (1966–67), キニ (2) (1969–70, 1976–77)
サモラ賞 [編集]
- プリメーラ・ディビシオン: フアン・カルロス・アブラネード (3) (1984–85, 1985–86, 1989–90)
- セグンダ・ディビシオン: ロベルト (2005–06)
成績 [編集]
近年の成績 [編集]
-
シーズン ディビジョン 順位 試合数 勝 分 敗 得点 失点 勝ち点 監督 脚注 1999-00 セグンダ 9 42 17 9 16 54 48 60
ブラオホス /
カーノ2000-01 セグンダ 7 42 17 13 12 55 49 63
カンタトーレ /
アセバル2001-02 セグンダ 6 42 17 13 12 47 57 64
アセバル2002-03 セグンダ 10 42 11 20 11 44 41 53
アセバル /
マセーダ2003-04 セグンダ 5 42 20 10 12 58 40 70
マルセリーノ2004-05 セグンダ 9 42 15 12 15 41 39 57
マルセリーノ2005-06 セグンダ 9 42 13 17 12 41 34 56
カーノ2006-07 セグンダ 13 42 16 8 18 53 53 56
プレシアード2007-08 セグンダ 3 42 20 12 10 61 40 72
プレシアードプリメーラ昇格 2008-09 プリメーラ 14 38 14 1 23 47 79 43
プレシアード2009-10 プリメーラ 15 38 9 13 16 36 51 40
プレシアード2010-11 プリメーラ 10 38 11 14 13 35 47 47
プレシアード2011-12 プリメーラ 19 38 10 7 21 42 69 37
プレシアード /
クレメンテセグンダ降格
過去の成績 [編集]
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- プリメーラ・ディビシオン 40シーズン
- セグンダ・ディビシオン 41シーズン
- UEFAカップ 6度出場
現所属選手 [編集]
- 2013年2月15日時点
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ローン移籍 [編集]
- in
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- out
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歴代会長 [編集]
- 2010年8月25日時点[17]
アルセルモ・ロペス・サンチェス 1905-1915
フェルナンド・キロス 1915-1917
マヌエル・ゴンサーレス・リエラ 1917-1919
エンリケ・ギサソーラ・マルティネス 1919-1921
イスマエル・フィガレード・エレーロ 1921-1928
ロベルト・G・デ・アグスティーナ 1928-1930
ペドロ・ガルヌング・ポルティーリャ 1930-1934
エミリオ・トゥージャ・ガルシア 1934-1935
フェリクス・ギサソーラ 1935-1938
ペドロ・ゴンサーレス・デル・リオ 1938-1940
セクンディーノ・フェルゲローソ 1940-1945
フアン・ベラスコ・ネスプラル 1945-1946
ヘスス・フェルナンデス・エルナンデス 1946-1947
ホセ・マリア・フェルナンデス・アルバレス 1947-1948
セクンディーノ・フェルゲローソ 1948-1949(2度目の就任)
パウリーノ・アントン・トレスパラシオス 1949-1954
ホアキン・アロンソ・ディエス 1954-1955
エウスタキオ・カンポマネス・ゴンサーレス 1955-1957
アレハンドロ・ピダル・ギルオウ 1957-1959
ラモン・ゴメス・ロサーナ 1959-1960
アウレリオ・メネンデス・ゴンサーレス 1960-1961
フランシスコ・キロス・ロドリゲス 1961
ビクトール・フェルゲローソ 1961-1967
アントニオ・ロイバス・デ・インサ 1967-1968
カルロス・メンデス・クエルボ 1968-1973
アンヘル・ビエホ・フェリウ 1973-1977
マヌエル・ベガ=アランゴ 1977-1986
ラモン・ムニョス・フェルナンデス 1986-1989
プラシード・ロドリゲス・ゲレーロ 1989-1992
エロイ・カルボ・カペリン 1992-1994
マヌエル・カルボ・プンピード 1994
ホセ・フェルナンデス・アルバレス 1994-19997
アンヘル・ガルシア・フロレス 1997-1998
ヘルマン・オヘーダ・グティエレス 1998-1999
フアン・アランゴ 1999-2002
マヌエル・ベガ=アランゴ 2002-(2度目の就任)
歴代監督 [編集]
1922年から今日に至るまでにヒホンの監督を務めた人物の一覧である[18]。プリメーラ・ディビシオンで最も長く務めたのはホセ・マヌエル・ディアス・ノボアであり、1979年から1999年の間の6期間に渡って計227試合を指揮した。
- スペイン内戦前
Karl Orth 1922-1923
ホセ・モネガル 1925-1926
エドムンド・モラン 1926
マヌエル・メアーナ 1926-1929
Randolph Galloway 1929-1931
マヌエル・メアーナ 1931-1933
ラモン・エレーラ 1933-1934
Károly Plattkó 1934-1935
ジャック・グリーンウェル 1935-1936
- スペイン内戦後
ホセ・マリア・ペーニャ 1939-1942
マルティン・マルクレータ 1942-1943
アマデオ・サンチェス 1943-1944
キコ・カンポマネス 1944-1945
アマデオ・サンチェス 1945-1946
ホセ・マヌエル・ペーニャ 1946-1947
ホセ・ルンボルド 1947-1948
マヌエル・メアーナ 1948-1950
フランシスコ・カンポス 1950-1951
アマデオ・サンチェス 1951-1952
ルイス・メネンデス 1952
フアン・ホセ・ノゲス 1952-1954
フランシスコ・カンポス 1954-1955
アマデオ・サンチェス 1955-1956
ヘスス・バリオ 1956-1958
エドムンド・スアレス 1958-1959
ルイス・メネンデス 1959
ネルソン・アダムス 1959
アベル・ピカベア 1959-1960
アマデオ・サンチェス 1960-1961
ヘルマン・メネンデス 1961
ヘスス・バリオ 1961-1962
ホセ・ルイス・モリヌエボ 1962-1966
ヘスス・バリオ 1966
ロマン・ガララーガ 1966-1968
マヌエル・バダス 1968
ルイス・シド 1968-1972
ヘスス・バリオ 1972
マリアーノ・モレーノ 1972-1973
ヘスス・バリオ 1973
パシエギート 1973-1975
Pierre Sinibaldi 1975-1976
ビセンテ・ミエラ 1976-1979
ホセ・マヌエル・ディアス・ノボア 1979-1980
ビセンテ・ミエラ 1980-1982
ホセ・マヌエル・ディアス・ノボア 1982
Vujadin Boškov 1982-1984
ホセ・マヌエル・ディアス・ノボア 1984-1988
ヘスス・アラングレン 1988-1989
カルロス・ガルシア・クエルボ 1989-1990
シリアコ・カーノ 1990-1992
Bert Jacobs 1992-1993
カルロス・ガルシア・クエルボ 1993
マリアーノ・ガルシア・レモン 1993-1995
カルロス・ガルシア・クエルボ 1995
リカルド・ネストル・レッサ 1995-1996
ラミロ・セルソ・ソリス 1996
ホセ・マヌエル・ディアス・ノボア 1996
ベニート・フローロ 1996-1997
ミゲル・アンヘル・モンテス 1997
アントニオ・マセーダ 1997
ホセ・マヌエル・ディアス・ノボア 1997-1998
ホセ・アントニオ・レドンド 1998
アントニオ・ロペス・アバス 1998
ホセ・マヌエル・ディアス・ノボア 1998-1999
ホセ・アントニオ・レドンド 1999
ア・デモス 1999
ペドロ・ブラオホス 1999-2000
シリアコ・カーノ 2000
ビセンテ・カンタトーレ 2000-2001
ホセ・マリア・メアナ・アセバル 2001-2002
アントニオ・マセーダ 2002-2003
マルセリーノ・ガルシア・トラル 2003-2005
シリアコ・カーノ 2005-2006
マヌエル・プレシアード 2006-2012
イニャキ・テハーダ 2012
ハビエル・クレメンテ 2012
マヌエル・サンチェス・ムリアス 2012-
歴代所属選手 [編集]
詳細は「:Category:スポルティング・デ・ヒホンの選手」を参照
GK [編集]
フアン・カルロス・アブラネード 1984-1999
フランシスコ・リアーノ 1996-1998
セルヒオ・サンチェス・サンチェス 2007-2009
イバン・クエジャル 2008-
DF [編集]
アベラルド 1989-1994
ユーリ・ニキフォロフ 1996-1998
ユルゲン・コリン 2008-2009
MF [編集]
マルセリーノ・ガルシア・トラル 1985-1989
イゴール・レディアコフ 1998
ルイス・エンリケ 1989-1991
ディエゴ・カマーチョ 2008-
ミゲル・デ・ラス・クエバス 2009-
FW [編集]
キニ 1968-1980,1984-1987
トーマス・クリスチャンセン 1992-1993
ラシディ・イエキニ 1995-1997
フリオ・サリナス 1995-1997
アブデルジャリル・ハッダ 1998-1999
ダビド・ビジャ 2000-2003
マテ・ビリッチ 2003-2004,2008-
脚注 [編集]
- ^ “Real Oviedo, Real who?”. SpanishFootball.info. 2011年5月24日閲覧。
- ^ “モウリーニョ、無敗記録が途絶えるもヒホンを称賛”. Goal.com (2011年4月3日). 2011年10月6日閲覧。
- ^ “Las Banderas del Club” (Spanish). Real Sporting.com. 2009年10月8日閲覧。
- ^ “Los Escudos” (Spanish). RealSporting.com. 2009年10月8日閲覧。
- ^ “El Sporting alcanza los 21.000 socios” (Spanish). La Nueva España. 2009年10月8日閲覧。
- ^ “Premio para el consejero Mariano Fernández” (Spanish). La Nueva España. 2010年1月20日閲覧。
- ^ Attendances - Liga BBVA 2008-2009
- ^ PortalSportinguista.com
- ^ “Sporting Gijon To Take 4,000 Fans To Valladolid”. Goal.com. 2009年10月8日閲覧。
- ^ “Spanish Inquisition: Sporting de Gijón, the darlings of Spain”. Goal.com. 2009年10月8日閲覧。
- ^ Lowe, Sid (2008年9月22日). “Even the result can't spoil Real Sporting de Gijón's party”. London: The Guardian 2009年10月8日閲覧。
- ^ “Spanish Debate: The Best Stadium In La Liga”. Goal.com. 2009年10月8日閲覧。
- ^ “Gijón está de fiesta 10 años después” (Spanish). Marca. 2009年10月8日閲覧。
- ^ Spain - Final Table 1978-79
- ^ Spain - Cup 1981
- ^ Spain - Cup 1982
- ^ “Presidentes del Real Sporting de Gijón”. RealSporting.com. 2010年8月25日閲覧。
- ^ “Los entrenadores del Real Sporting”. RealSporting.com. 2010年8月25日閲覧。
外部リンク [編集]
- 公式ウェブサイト
- RealSporting.com 公式ウェブサイト
- Real Sporting de Gijón LFPによる公式紹介ページ
- Real Sporting de Gijón UEFAによる公式紹介ページ
- ニュースサイト
- Sporting de Gijón news Futbolme
- Sporting de Gijón news Marca
- Sporting de Gijón news AS
- Sporting de Gijón news Canal Rojiblanco
- Sporting de Gijón news Polish Site
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