ダビド・ビジャ

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ダビド・ビジャ
名前
本名 ダビド・ビジャ・サンチェス
愛称 グアヘ(El Guaje)
ラテン文字 David VILLA
基本情報
国籍 スペイン
生年月日 1981年12月3日(27歳)
出身地 ラングレオ
身長 176cm
体重 69kg
選手情報
在籍チーム バレンシアCF
ポジション FW
背番号 7
利き足 右足
代表歴
2005– スペイン 47 (31)
2009.6.20現在
Template(ノート 解説)サッカー選手pj
ウィキメディア・コモンズ

ダビド・ビジャ・サンチェスDavid Villa Sánchez, 1981年12月3日 - )は、スペインアストゥリアス州ラングレオ出身のサッカー選手リーガ・エスパニョーラバレンシアCFに所属するスペイン代表である。ポジションはFWストライカー)。

目次

[編集] 経歴

愛称の「グアヘ(El Guaje)」はアストゥリア語で「子供、少年」という意味。4歳のときに大腿骨に重傷を負い、医者にサッカーはできないと言われたが無事に完治し、現在は後遺症も残っていない。そのリハビリ中に父と共に左足での練習を続けたことで両足を巧みに使えるようになったと本人は述べている。

ルイス・エンリケらを輩出し、育成に長けることで知られるスポルティング・ヒホンの下部組織、マレオの出身。2部リーグでは2年間で38ゴールを量産。その活躍が認められて1部リーグのレアル・サラゴサへ移籍し、ここでも2年間で32ゴールという成績を残している。

2005-2006シーズンから強豪バレンシアCFへ移籍金1200万ユーロ(約16.8億円(当時))で加入すると早々にレギュラーに定着し、サミュエル・エトオに1ゴール及ばずピチーチこそ逃したものの、25ゴールという見事な活躍を見せた。

スペイン代表には2005年2月9日サンマリノ戦で初招集されると、スペイン代表のストライカーとして代表に定着。2006 FIFAワールドカップではチーム最多タイの3得点を挙げるも、チームは決勝トーナメント1回戦で敗退した。EURO 2008予選ではチーム最多の7得点を記録。本戦にも招集されると、グループリーグ初戦のロシア戦ではハットトリックを達成した。準決勝前半途中に負傷退場し決勝戦は欠場したものの、出場3試合強で4得点を挙げ、見事大会得点王に輝き、チームの優勝に貢献した。またFIFAよりEURO2008のベスト11に選出された。2008年9月11日ワールドカップ予選ボスニア・ヘルツェゴビナ戦から2009年2月11日イングランド戦まで6試合連続ゴールを記録し、スペイン代表の新記録を樹立した。同年6月9日アゼルバイジャンとの親善試合で2度目のハットトリックを達成。

今やサミュエル・エトオズラタン・イブラヒモビッチらと並ぶ世界最高峰のFWだが、最近ではバレンシアCFが財政難のため移籍が噂されており、ヨーロッパの強豪クラブのそうそうたる顔ぶれが獲得を狙っている。

[編集] プレースタイル

スポルティング・ヒホン時代にはWGとしてプレーすることが多かったため、今もたびたび左サイドを主戦場とする。オフ・ザ・ボールの動きの質が高く、スピードとテクニックを武器にゴールへ向かっていくタイプのストライカーである。左右両足で正確なシュートを蹴る事ができ、そのシュート技術は世界でも屈指の水準にある。また、シュートに至るまでのステップワークの技術も高く、スペースを消されシュートコースがほとんど無い状況から鋭いステップでシュートまで持っていくことができる。

プレースキックも得意とし、バレンシアCFではFKCKのキッカーを務めることも多い。2006-07シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメントのアウエーでの初戦インテル戦では、後半1-0で先制されている場面で壁を巻くようなフリーキックで同点ゴールを決め世界を魅了した。

プロ入り後はPKを失敗したことがなかったが、左下ばかりを狙うことが災いし、2006-2007シーズン第25節セルタ戦にてついにピントに止められた。それ以降、PKの成功率は100%とは言えなくなっている。しかし依然成功率は高く、スペイン代表およびバレンシアCFではPKキッカーを任されている。

また、セカンドストライカーとしてチャンスメイクする術にも長け、2006-2007シーズンのリーガ・エスパニョーラではチーム最多となる11アシストを記録している。

[編集] エピソード

EURO 2008のグループステージ初戦でロシア戦ではハットトリックを達成した3点目を決めた際、フェルナンド・トーレス(その直前にノーゴールのまま途中交代を命じられ、落胆の色を隠せないまま、ルイス・アラゴネス監督との握手を拒否して、ベンチに下がっていた)のもとへ真っ先に抱擁しに向かい、3点目をトーレスに捧げると言った。この背景には、トーレスが落胆していたことに配慮したこと、ビジャの1点目がトーレスのアシストだったことへの感謝の思いを表わしたものであった。このことに対し、トーレスも「彼は、ライバルではなく、一緒に優勝を目指すパートナー」と評し、大会前に懸念されていた、2トップのコンビネーションは全く問題ないことの証明となった。またこの試合のボールを記念にほしいと主審に告げるも、英語が伝わらずあえなく却下されたが、共にリヴァプールFCシャビ・アロンソホセ・マヌエル・レイナによる英語での交渉の末、ボールを手に入れる。その後、トーレスも決勝戦のドイツ戦で決勝点を決めるなど活躍し、両者は共にUEFA選定のベスト22名に選出された。 ラウル・ゴンザレスとの不仲を噂されることもあるが本人達がそういった発言をしたことは一度もない。ラウルが代表に招集されなくなってから背番号7を背負っている事から記者の「ラウルが復帰したら背番号7を譲るのか?」といった質問に「監督が決めることだ」との姿勢を一貫している。また「ラウルのユニフォームを奪ったわけではない」として何かとラウルと比較するメディアを嫌っている。[1]

[編集] 所属クラブ

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
クラブ シーズン リーグ カップ 欧州カップ Total
App Goals App Goals App  Goals App Goals
スポルティング・ヒホン
(2部)
2000-01 1 0 - - - - 1 0
2001-02 40 18 4 2 - - 44 20
2002-03 39 20 1 0 - - 40 20
Total 80 38 5 2 - - 85 40
レアル・サラゴサ 2003-04 38 16 8 4 - - 46 20
2004-05 35 16 1 0 10 3 46 19
Total 73 32 9 4 10 3 92 39
バレンシアCF 2005-06 37 25 4 2 - - 41 27
2006-07 36 15 2 0 11 5 49 20
2007-08 27 18 6 1 7 4 40 23
2008–09 33 28 3 1 5 1 41 30
Total 134 86 15 4 23 9 172 99
Total(1部) 207 118 29 10 33 12 269 140
Career Totals 287 156 29 10 33 12 349 178

[編集] タイトル

代表
クラブ
個人
  1. ^ http://www.asahi.com/sports/fb/world/goal/GOC200903140088.html