レバンテUD(Levante Unión Deportiva)は、スペイン・バレンシアに本拠地を置くサッカークラブチーム。2011-2012シーズンはリーガ・エスパニョーラのプリメーラ・ディビシオン(1部)に所属する。
[編集] 歴史
[編集] レバンテFC
1909年、ラ・マルバリョーサのレバンテ海岸から名を取り、レバンテFCとして設立された。レバンテFCはバレンシアのサッカークラブの草分け的存在のひとつである。現在のローカルライバルであるバレンシアCFはまだ誕生していなかったが、バレンシアではカバニャルFCが1903年から活動していた。グラウンド所有者である香水業者の計画で、造船所近くのラ・プァトゥヘタでカバニャルFCとの初試合が行われた。次に使われたグラウンドも湾岸区域で、クラブは徐々に労働者階級と結びつけられて考えられるようになっていった。1919年には同年に設立されたバレンシアCFと初対戦し、0-1で敗れた。この試合はアルヒロス地区に完成した新しいグラウンドのお披露目試合であった。1928年にはバレンシア州選手権で初優勝し、クラブ初のタイトルを獲得した。
[編集] ヒムナスティコFC
パトロナート・デ・ラ・フベントゥ・オブレラ、ウニベルシタリオFCとしてプレーしていたクラブが改名し、1909年にはヒムナスティコFCが誕生した。スペイン国王のアルフォンソ13世の庇護を受け、1920年までにレアル・ヒムナスティコCFと改名した。ヒムナスティコは1920年にバレンシア州選手権で決勝に進出したが、決勝は試合そのものが行われなかった。1931年にはスペイン第二共和制が成立し、クラブ名称からレアルの単語が抜け落ちた。1934-35シーズンのセグンダ・ディビシオン(2部)は10チームから24チームに拡大され、レバンテFCとヒムナスティコは揃ってデビューした。1935年、レバンテFCはバレンシア州、ムルシア州、アンダルシア州のチームが集って行われたレバンテ海岸選手権で優勝した。さらにコパ・デル・レイではバレンシアCFとFCバルセロナを相次いで破って準決勝に進出したが、準優勝したCEサバデルに敗れた。
[編集] コパ・デ・ラ・エスパーニャ・リブレ
スペイン内戦中、レバンテFCとヒムナスティコはメディテラニアン・リーグ(地中海リーグ)に参加し、それぞれ5位と6位であった。このリーグに参加したチームはコパ・デ・ラ・エスパーニャ・リブレ(フリー・スペイン・カップ)にも参戦した。この大会はリーグの上位4クラブが参加するように意図されたものであったが、FCバルセロナがメキシコとアメリカ遠征に出発したため、結果としてレバンテFCが代わりに出場することになった。準決勝はレバンテFCとバレンシアCFとで行われ、1937年7月18日にモンジュイックで行われたバレンシア・ダービーはバレンシアCFの勝利に終わった。
[編集] 2つのクラブの合併
スペイン内戦中にレバンテFCのグラウンドが破壊されたが、選手たちは無傷で残った。それと対照的に、ヒムナスティコはグラウンドは無事であったが選手の多くを失った。この結果、レバンテFCとヒムナスティコの2クラブは1939年に合併し、UDレバンテ=ヒムナスティコとして再出発を切った。合併の2年後にはヒムナスティコの名を外してレバンテUDと名を変え、ホームのユニフォームカラーにはアルスグラーナ(青とえんじ)と呼ばれるヒムナスティコのカラーが使用された。この名称とユニフォームカラーは現在も変わらず残っており、アウェーのユニフォームカラ―にはレバンテFCが当初使用していた白と黒が使われている。
[編集] 初のプリメーラ参戦
プリメーラ・ディビシオン(1部)への昇格は1960年代まで待たねばならなかった。1962-63シーズンはセグンダ・ディビシオンのグループ2を2位で終え、昇格プレーオフではデポルティーボ・ラ・コルーニャを2試合合計4-2で破って初のプリメーラ・ディビシオン昇格を決めた。1963-64シーズンはライバルのバレンシアCFに2試合とも勝利し、10位で初のシーズンを終えた。1964-65シーズンはFCバルセロナにホームで5-1と大勝したが、リーグ戦14位となり、昇降格プレーオフでCDマラガに敗れてセグンダ・ディビシオン降格となった。1965-66シーズンから約40年間はセグンダ・ディビシオンかテルセーラ・ディビシオン(1976-77シーズン以前は3部、1977-78シーズン以降は4部)またはセグンダ・ディビシオンB(3部、1977年に新設)で過ごし、この間にセグンダ・ディビシオンBで3回、テルセーラ・ディビシオンで1回優勝した。
[編集] 2度目のプリメーラ参戦
2003-04シーズンにはセグンダ・ディビシオンで優勝し、49年ぶりのプリメーラ・ディビシオン昇格を果たしたが、わずか1シーズンでセグンダ・ディビシオン降格となった。2005-06シーズンは3位となり、プリメーラ・ディビシオンに再昇格した。2006-07シーズンのホームでのバレンシア・ダービーは、リガ・ムスタファの2得点やサルバ・バジェスタとローラン・クルトワの得点で4-2と快勝した。しかし、レバンテの財政面はいっそう悪化し、2007-08シーズン途中には「選手たちは契約で示された年俸の約1/5しか受け取っていない」との報道があり、「クラブは選手たちに対して1800万ユーロ以上もの支払い義務を抱えている」とのニュース報道もあった。これらの報道以降、チームの成績は急降下し、わずか数試合のうちにセグンダ・ディビシオン降格間違いなしとされた。2008年1月の移籍期間にはサヴィオ、クリスティアン・リガノ、マルコ・ストラーリなど主力5選手が放出された。選手たちは給料未払いの一点について抗議し、デポルティーボ・ラ・コルーニャ戦の試合開始直後には(抗議の意味合いから)何秒間か動くことを拒否した。レアル・マドリード戦後にもストライキの可能性を示唆したが、結局ストライキは行われず、さらなる下部リーグへの降格処分も免れた。2007-08シーズンは断トツの最下位で降格し、2008-09シーズンと2009-10シーズンはセグンダ・ディビシオンでプレーしたが、2010年6月13日のCDカステリョン戦(3-1)に勝利してプリメーラ・ディビシオン昇格を決めた。最終節はレアル・ベティスに0-4で大敗したが、ベティスはレバンテUDと同勝ち点の4位に終わっている。昇格に導いたルイス・ガルシア・プラサ監督の元、2010-11シーズンは限られた戦力をやり繰りして14位で残留を決めた。21節から32節までの12試合は8勝3分1敗で勝ち点27を稼ぎ、この期間に限ればFCバルセロナに次ぐ成績を残した。
[編集] ダービー
同じくバレンシアに本拠地を置くバレンシアCFとの試合はバレンシア・ダービーとして盛り上がる。2004年にレバンテUDがプリメーラ・ディビシオンに昇格し、約50年ぶりにダービーが実現した。
[編集] タイトル
[編集] 国内タイトル
[編集] 成績
[編集] 近年の成績
-
| シーズン |
|
順位 |
試合数 |
勝 |
分 |
敗 |
得点 |
失点 |
勝ち点 |
コパ・デル・レイ |
欧州カップ |
備考 |
| 2004–05 |
1部 |
18 |
38 |
9 |
10 |
19 |
39 |
58 |
37 |
3回戦 |
|
降格 |
| 2005–06 |
2部 |
3 |
42 |
20 |
14 |
8 |
53 |
39 |
74 |
1回戦 |
|
昇格 |
| 2006–07 |
1部 |
15 |
38 |
10 |
12 |
16 |
37 |
53 |
42 |
ラウンド32 |
|
|
| 2007–08 |
1部 |
20 |
38 |
7 |
5 |
26 |
33 |
75 |
26 |
ラウンド16 |
|
降格 |
| 2008–09 |
2部 |
8 |
42 |
18 |
10 |
14 |
59 |
59 |
64 |
2回戦 |
|
|
| 2009–10 |
2部 |
3 |
42 |
19 |
14 |
9 |
63 |
45 |
71 |
2回戦 |
|
昇格 |
| 2010–11 |
1部 |
14 |
38 |
12 |
9 |
17 |
41 |
52 |
45 |
ラウンド16 |
|
|
[編集] 過去の成績
- 2シーズン : セグンダ・ディビシオン
- 5シーズン : テルセーラ・ディビシオン
- 2シーズン : セグンダ・ディビシオン
- 5シーズン : テルセーラ・ディビシオン
- 7シーズン : プリメーラ・ディビシオン
- 35シーズン : セグンダ・ディビシオン
- 12シーズン : セグンダ・ディビシオンB
- 16シーズン : テルセーラ・ディビシオン
- 1シーズン : ディビシオネス・レヒオナレス
[編集] 現所属メンバー
- 2011年9月7日現在
[編集] 歴代監督
[編集] 歴代所属選手
詳細は「:Category:レバンテの選手」を参照
[編集] GK
[編集] DF
[編集] MF
[編集] FW
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
 |
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