ホアキン・カパロス

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ホアキン・カパロス Football pictogram.svg
名前
本名 ホアキン・カパロス・カミーノ
ラテン文字 Joaquin Caparrós Camino
基本情報
国籍 スペインの旗 スペイン
生年月日 1955年10月13日(58歳)
出身地 セビリア, Utrera
身長 176cm
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ホアキン・カパロス・カミーノJoaquin Caparrós Camino, 1955年10月13日 - )はスペインセビリア出身の元サッカー選手、サッカー指導者。若手の育成に高い評価を得ている。

経歴[編集]

1999年にはセグンダ・ディビシオン(2部)のビジャレアルCF監督に就任したが、フロントと対立し、わずか7試合指揮しただけで辞任した[1]。2000年、セグンダ・ディビシオンのセビージャFCの監督に就任すると、2000-01シーズンにはセグンダ・ディビシオン優勝とプリメーラ・ディビシオン(1部)昇格を果たした。2003-04シーズンには6位、2004-05シーズンにも6位となり、2シーズン連続してUEFAカップの出場権を獲得した。ヘスス・ナバスホセ・アントニオ・レジェスセルヒオ・ラモスら有能な若手選手を発掘・育成した功績は大きく、セビージャが強豪クラブへ成長できたのはカパロスの手腕に負うところが大きい。

2005年6月、一時代を築いたハビエル・イルレタの後任としてデポルティーボ・ラ・コルーニャの監督に就任した。2007年6月、契約を1年残して辞任した。同年7月、会長選挙に巻き込まれるのを嫌って退任したホセ・マヌエル・エスナルの後任として、アスレティック・ビルバオの監督に就任した。2008-09シーズン、コパ・デル・レイ準優勝によりUEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得した。ビルバオにおいても、ミケル・サン・ホセシャビエル・カスティージョイケル・ムニアインなどの若手選手に出場機会を与え、成長を促した。2011年、マルセロ・ビエルサ招聘を公約に掲げたホス・ウルティアが新会長に当選し、カパロスはビルバオ監督を退任した。同年にはスイス・スーパーリーグヌーシャテル・ザマックス監督に就任したが、フロントと対立し、わずか5試合指揮しただけで辞任した。深刻な財政難に悩まされていたRCDマヨルカ監督に就任すると、目標の残留を楽々達成し、8位で2011-12シーズンを終えた。

所属クラブ[編集]

指導経歴[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 工藤拓「火中の栗を拾いつつ、前を向くだけ」footballista、ソルメディア、2012年11月14日号、17-19頁

外部リンク[編集]