RCDマヨルカ(Real Club Deportivo Mallorca)は、スペイン・マヨルカ島のパルマ・デ・マリョルカに本拠地を置くプロサッカークラブ。バレアレス諸島に本拠地を置くクラブの中で、歴史が最も古い。2012-13シーズンはリーガ・エスパニョーラのプリメーラ・ディビシオンに所属。
歴史 [編集]
その歴史はバレアレス諸島のサッカークラブで最も古く、1916年にエンジニアのアドルフォ・バスケスによって設立された。最初期に使用したスタジアムはブエノス・アイレス(Buenos Aires)と呼ばれ、同年3月25日にFCバルセロナとの間で行われた落成試合は0-8で敗れた。1931年にリーガ・エスパニョーラに初参戦し、テルセーラ・ディビシオン(当時3部)でプレーした。1945年9月22日には新スタジアムのエス・フォルティが落成した。1959年にはセグンダ・ディビシオン(2部)に初昇格し、1年後の1959-60シーズン終了後にはプリメーラ・ディビシオン(1部)初昇格を決めた。1970年代半ばまではプリメーラ・ディビシオンとセグンダ・ディビシオンを行ったり来たりしたが、1970年代後半にはテルセーラ・ディビシオンやセグンダ・ディビシオンB(現3部)に低迷した。1980年代半ば以降は再びプリメーラ・ディビシオンやセグンダ・ディビシオンに定着し、1990-91シーズンのコパ・デル・レイでは過去最高の準優勝という成績を残した。1980年代後半や2000年代前半に在籍したミゲル・アンヘル・ナダルはクラブ史上最多の255試合に出場している。
クラブの黄金期 [編集]
1996-97シーズンのセグンダ・ディビシオンを3位で終えてプリメーラ・ディビシオンに昇格すると、1997-98シーズンはコパ・デル・レイで準優勝、リーグ戦で5位と素晴らしい結果を残した。1998年夏にはスーペルコパ・デ・エスパーニャで優勝し、クラブ初となる主要なタイトルを獲得した。エクトル・クーペル監督が率いた1998-99シーズンはGKカルロス・ロアがサモラ賞を獲得するなど堅固な守備でリーグ戦3位となり、UEFAカップウィナーズカップではオランダのKRCヘンクやクロアチアのNKヴァルテクス・ヴァラジュディンやイングランドのチェルシーFCなどを破って決勝に進出したが、決勝でイタリアのSSラツィオに1-2で敗れて優勝はならなかった。以後はプリメーラ・ディビシオンの中位に定着し、2000-01シーズンは61得点でリーグ戦3位となった。グレゴリオ・マンサーノ監督が率いた2002-03シーズンのコパ・デル・レイでは5シーズンぶりに決勝に進出して、エルチェで行われた決勝でレクレアティーボ・ウェルバに3-0で勝利し、スーペルコパや下部リーグでの優勝を除けばクラブ初となるタイトルを獲得した。2004年夏にエースFWサミュエル・エトオをFCバルセロナに売却したため、2004-05シーズンは序盤から低迷し、セグンダ・ディビシオン降格の危機に瀕していた。ベニート・フローロ監督を解任し、クーペル監督にバトンタッチしたが、終盤戦まで降格圏内をさまよい続けた。しかし、シーズン最終盤に驚異的なペースで勝ち点を積み上げ、最終節でプリメーラ残留を決めた。この快挙をマヨルカ地元新聞紙は「マヨルカの奇跡」として称えた。2005-06シーズンは序盤から失点を重ね、4勝7分12敗と降格が濃厚となったところでクーペル監督が辞任した。後任のマンサーノ監督は6勝6分3敗と持ち直し、13位で残留を決めた。2006-07シーズンはMFホナス・グティエレスなどが仕掛けるサイド攻撃がはまり、12位で余裕の残留を果たした。2007-08シーズンはDFダビド・ナバーロ、MFボルハ・バレーロなどの新戦力が活躍したが、特にヘタフェCFからやってきたFWダニエル・グイサは26節からの13試合で16得点と爆発してリーグ得点王(ピチーチ賞)のタイトルを獲得。チーム全体ではリーグ4位の69得点を記録し、UEFAヨーロッパリーグ出場権獲得にあと一歩に迫る7位に躍進した。
破産とクラブの立て直し [編集]
2008年7月22日にはクラブの株式の96%を5000万英ポンド以上の金額でイングランドの投資家ポール・デヴィッドソンに売却することが発表された[1]。しかし、11月にはデヴィッドソンが資金不足から取引を完了させることができないことが明らかにされ、彼のクラブへの興味が売名以上のものかどうか疑問が持たれた。同2008年夏にはグイサやMFアリエル・イバガサなど主力を何人も売却したため、2009年2月にはリーグ最下位に低迷。2009年1月15日、実業家のマテオ・アレマニーがマルティ=ミンガーロ一家から3年ぶりにクラブの経営権を取得すると[2]、頼れるベテランGKドゥドゥ・アワットを獲得するなど、内外でポジティブなチーム作りを進め、後半戦19試合を11勝4分4敗と立て直し、13シーズン連続での残留を決めた。2009-10シーズンはリーグ戦5位でUEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得し、コパ・デル・レイでも3シーズン連続での準々決勝進出を果たした。2010年5月下旬、RCDマヨルカは経営破綻を宣言し、4250万ポンドから5130万ポンドと見積もられる借入金の管理は必然的に裁判所の下に置かれた[3]。7月9日、かつての監督ロレンソ・セラ・フェレールやプロテニス選手でマヨルカ出身のラファエル・ナダルなどを含む団体がクラブの経営権を取得した[4][5][6]。しかし、クラブの不安定な財政状況を確認した欧州サッカー連盟(UEFA)は2010年7月22日、RCDマヨルカがUEFA主催の大会に出場する権利を剥奪し、UEFAヨーロッパリーグはビジャレアルCFに譲渡された[7]。ピッチ外でのごたごたや財政難にもかかわらず、ミカエル・ラウドルップ監督に率いられた2010-11シーズンは安定した戦いで14シーズン連続のプリメーラ・ディビシオン残留を決めた。
クラブ名 [編集]
1916年の創設時はスペイン国王のアルフォンソ13世に因んでフンタ・ディレクティーバ・デル・アルフォンソ13世FCB(Junta Directiva del Alfonso XIII FBC)と命名されたが、1917年にはレアル・ソシエダ・アルフォンソ13世 (Real Sociedad Alfonso XIII)とクラブ名を変え、この名称は1931年に政治的な理由でクルブ・デポルティーボ・マヨルカ(Club Deportivo Mallorca)に改名するまで続いた。1949年には国王の庇護を受けてクラブ名にレアル(Real)の単語が冠され、現在のレアル・クルブ・デポルティーボ・マヨルカ(RCDマヨルカ)となった。
タイトル [編集]
国内タイトル [編集]
- 2002-2003
- 1998
- 1959-1960, 1964-1965
- 1980-1981
国際タイトル [編集]
- 1998-1999
記録 [編集]
クラブ [編集]
- プリメーラ・ディビシオンでの最高位: 3位(1998-99シーズン、2000-01シーズン)
個人 [編集]
- ピチーチ賞
- サモラ賞
- 1998-99シーズン
カルロス・ロア – 35試合29失点、失点率0.83
成績 [編集]
| シーズン |
ディビジョン |
順位 |
コパ・デル・レイ |
| 1931-32 |
テルセーラ |
4位 |
|
| 1932-33 |
地域リーグ |
— |
|
| 1933-34 |
地域リーグ |
— |
|
| 1934-35 |
地域リーグ |
— |
|
| 1935-36 |
地域リーグ |
— |
|
| 1939-40 |
セグンダ |
7位 |
|
| 1940-41 |
地域リーグ |
— |
|
| 1941-42 |
地域リーグ |
— |
|
| 1942-43 |
地域リーグ |
— |
|
| 1943-44 |
テルセーラ |
1位 |
|
| 1944-45 |
セグンダ |
11位 |
|
| 1945-46 |
セグンダ |
8位 |
|
| 1946-47 |
セグンダ |
5位 |
|
| 1947-48 |
セグンダ |
13位 |
|
| 1948-49 |
テルセーラ |
3位 |
|
| 1949-50 |
セグンダ |
11位 |
|
| 1950-51 |
セグンダ |
12位 |
|
| 1951-52 |
セグンダ |
6位 |
|
| 1952-53 |
セグンダ |
8位 |
|
| 1953-54 |
セグンダ |
16位 |
|
| 1954-55 |
テルセーラ |
1位 |
|
|
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現所属メンバー [編集]
- 2013年2月15日現在
括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。
レンタル移籍中の選手 [編集]
- in
- out
12/13移籍 [編集]
詳細は「:en:List of Spanish football transfers summer 2012」を参照
歴代監督 [編集]
歴代所属選手 [編集]
詳細は「:Category:RCDマヨルカの選手」を参照
GK [編集]
DF [編集]
MF [編集]
FW [編集]
脚注 [編集]
外部リンク [編集]