ホセ・アントニオ・レジェス
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| 名前 | ||||||
| 本名 | José Antonio Reyes Calderón | |||||
| 愛称 | セビージャの神童 | |||||
| カタカナ | ホセ・アントニオ・レジェス・カルデロン | |||||
| ラテン文字 | Jose Antonio REYES | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 | ||||||
| 生年月日 | 1983年9月1日(29歳) | |||||
| 出身地 | ウトレラ | |||||
| 身長 | 175cm | |||||
| 体重 | 76kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| 在籍チーム | ||||||
| ポジション | FW / MF | |||||
| 背番号 | 21 | |||||
| 利き足 | 左足 | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
| 1999-2004 2004-2007 2006-2007 2007-2012.1 2008-2009 2012.1- |
→ → |
86 (22) 69 (16) 30 (6) 56 (2) 26 (4) |
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| 代表歴 | ||||||
| 2003-2006 | 21 (4) | |||||
| 1. 国内リーグ戦に限る。2010年9月1日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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ホセ・アントニオ・レジェス・カルデロン(José Antonio Reyes Calderón, 1983年9月1日 - )は、スペイン・セビリア県ウトレラ出身のサッカー選手。リーガ・エスパニョーラのセビージャFC所属。ポジションは両サイドハーフ、ウイング、セカンドトップ。
目次 |
経歴 [編集]
セビージャFC [編集]
ヒターノ(ロマのスペインにおける外名)の両親の下[1] [2] [3]、セビリアの郊外にあるウトレラに生まれ、10歳の時にセビージャFCの下部組織に入団した。1999-2000シーズン、セグンダ・ディビシオン(2部)のセビージャ・アトレティコ(セビージャFCのBチーム)でプレーしながら、レアル・サラゴサ戦で16歳にしてトップチームデビューを果たした。2001年夏にトップチームがプリメーラ・ディビシオン(1部)に昇格すると2001-02シーズンは開幕からスタメンを任され、レアル・バリャドリード戦でドリブルの独走から美しいゴールを決めた。トップチームに在籍した4シーズンで86試合に出場して22得点を記録し、他クラブからの興味を引く存在となった。
アーセナルFC [編集]
セビージャのホアキン・カパロス監督はレジェスの残留を希望したが、2004年冬の移籍期間に1050万ポンドの移籍金(最高で1750万ポンドまで上昇するオプションが付けられた)でアーセナルに移籍した[4]。2004年2月1日のマンチェスター・シティ戦でデビューし、カーリング・カップのミドルスブラ戦ではオウンゴールを記録した。初めて相手ゴールに決めたのはFAカップのチェルシー戦で[5]、UEFAチャンピオンズリーグ準々決勝でも再びチェルシー相手にゴールを決めた。
2004-05シーズンは開幕から6試合連続で得点し[5]、前シーズンから続く無敗記録の継続に貢献したが、中盤戦以降は不振に喘いだ。両親と兄弟も揃ってイングランドに引っ越してきたにも関わらず、2005年初めにはホームシックにかかっていると報道され、ロンドンのどんよりとした気候や異文化に適応することが困難であると発言した[6]。2005年のFAカップ決勝・マンチェスター・ユナイテッド戦ではイエローカードを2枚受け、同大会決勝戦の歴史上2人目の退場者となった。シーズン終了後には移籍も取り沙汰されたが、新たにクラブと6年契約を結び直した。
2005-06シーズンのアーセナルはチャンピオンズリーグを順調に勝ち進み、レアル・マドリード、ユヴェントス、ビジャレアルなどの強豪が彼の獲得に興味を示した。FCバルセロナとの決勝は試合途中から起用されたが、1-2で敗れて準優勝に終わった。
スペイン復帰後 [編集]
- R・マドリード
2006年夏の移籍市場が閉じる直前、ジュリオ・バティスタとの交換でレアル・マドリードにレンタル移籍し[7]、9月17日のソシエダ戦でフリーキックによって移籍後初得点を決めた。シーズンを通して顕著な活躍を見せることはなかったが、マジョルカとのシーズン最終戦では0-1と劣勢の場面で途中出場し、2度ゴールネットを揺らして優勝に貢献した。
- A・マドリード
2007年7月8日にはベルント・シュスター新監督が就任し、レアル・マドリードへの完全移籍が決まるかと思われたが、7月30日には移籍金1200万ユーロ(約19億4000万円)でアトレティコ・マドリードと4年契約を結んだ[8] [9]。プレシーズンのラツィオ戦でデビューし、1得点1アシストの活躍でアムステルダム・トーナメント優勝に導いた。しかし2007-08シーズンは不調に終わり、マキシ・ロドリゲスやシモン・サブローザからポジションを奪えず、26試合に出場して無得点にとどまった。
- ベンフィカ
2008年8月8日、ベンフィカにレンタル移籍し、ベンフィカは彼の保有権の25%を265万ユーロで獲得した[10] [11]。プレシーズンのフェイエノールト戦でデビューし、9月28日のスポルティング・リスボンとのリスボンダービーで初得点を決めた。その直後のUEFAカップ1回戦・ナポリ戦でも貴重な得点を決め、勝ち抜けに貢献した。
- A・マドリード復帰
2009年夏にアトレティコ・マドリードに復帰し、2010年1月9日のバリャドリード戦ではロングレンジからミドルシュートを決めた。1月18日のUEFAヨーロッパリーグ・ガラタサライ戦1stレグでは22分にフリーキックを直接決め、2ndレグではディエゴ・フォルランの決勝点をアシストして勝ち上がりに貢献した[12]。3月28日のレアル・マドリードとのマドリードダービーではペナルティエリア右側から左足で巻くようなゴールを決めた。
2010年8月27日に行われたUEFAスーパーカップではUEFAチャンピオンズリーグ王者のインテル・ミラノ相手に先制点を決め[13]、2-0で優勝を果たすと共にマン・オブ・ザ・マッチに選ばれた[14]。
しかし、2011-12シーズン、グレゴリオ・マンサーノ監督との確執からベンチに座ることが多くなった。
- セビージャ復帰
12月にマンサーノの解任が決まったものの移籍の希望は変わらず、2012年1月、古巣のセビージャFCに移籍金300万ユーロで移籍。
スペイン代表 [編集]
2002年7月にはUEFA U-19欧州選手権で優勝に貢献した。2003年9月6日のポルトガルとの親善試合でラウル・ゴンサレスとの途中交代で出場し、スペイン代表初キャップを刻んだ。イニャキ・サエス監督の下、UEFA欧州選手権2004予選のアルメニア戦で2得点する活躍を見せたが、本大会出場メンバーから外れ、大会後に「(同大会でスペインが早期敗退したため)自分のキャリアに傷が付かなくて良かった」と語って物議を醸した。
2006 FIFAワールドカップ欧州予選には7試合に出場し、本大会参加メンバーには自ら希望した背番号10で登録された[15]。本大会直前のエジプト戦で直接フリーキックを決めてアピールしたが[15]、消化試合となったグループリーグ3戦目のサウジアラビアとの1試合に出場しただけだった。その後、同じポジションにダビド・シルバやサンティ・カソルラが台頭してきたため、UEFA欧州選手権2008の登録メンバーから外れ、同大会予選以後は代表に招集されていない。
エピソード [編集]
- 右腕にカタカナで「レジェス」と入れ墨(タトゥー)を入れる予定だったが、ミスにより「レジュス」となっている。
所属クラブ [編集]
- →2006-2007
レアル・マドリード (レンタル移籍)
- 2007-2012.1
アトレティコ・マドリード
- →2008-2009
SLベンフィカ (レンタル移籍)
- 2012.1-
セビージャFC
個人成績 [編集]
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | 期間通算 | |||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||||
| スペイン | リーグ戦 | 国王杯 | 期間通算 | ||||||||
| 1999-00 | セビージャ | プリメーラ | 1 | 0 | - | 1 | 0 | ||||
| 2000-01 | セビージャ | セグンダ | 1 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | |||
| 2001-02 | セビージャ | プリメーラ | 29 | 8 | 1 | 0 | 30 | 8 | |||
| 2002-03 | セビージャ | プリメーラ | 34 | 8 | 3 | 2 | 37 | 10 | |||
| 2003-04 | セビージャ | プリメーラ | 21 | 5 | 4 | 1 | 25 | 6 | |||
| イングランド | リーグ戦 | FAカップ | 期間通算 | ||||||||
| 2003-04 | アーセナル | プレミア | 13 | 2 | 4 | 2 | 17 | 4 | |||
| 2004-05 | アーセナル | プレミア | 30 | 9 | 7 | 2 | 37 | 11 | |||
| 2005-06 | アーセナル | プレミア | 26 | 5 | 6 | 1 | 32 | 6 | |||
| スペイン | リーグ戦 | 国王杯 | 期間通算 | ||||||||
| 2006-07 | R・マドリード | プリメーラ | 30 | 6 | 2 | 0 | 32 | 6 | |||
| 2007-08 | A・マドリード | プリメーラ | 26 | 0 | - | 26 | 0 | ||||
| ポルトガル | リーグ戦 | リーグ杯 | 期間通算 | ||||||||
| 2008-09 | ベンフィカ | スーペル | 24 | 4 | 1 | 0 | 25 | 4 | |||
| スペイン | リーグ戦 | 国王杯 | 期間通算 | ||||||||
| 2009-10 | A・マドリード | 19 | プリメイラ | ||||||||
| 通算 | スペイン | プリメイラ | 141 | 27 | 11 | 3 | 152 | 30 | |||
| スペイン | セグンダ | 1 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | ||||
| イングランド | プレミア | 69 | 16 | 17 | 5 | 86 | 21 | ||||
| ポルトガル | スーペル | 24 | 4 | 1 | 0 | 25 | 4 | ||||
| 総通算 | 235 | 47 | 30 | 8 | 265 | 55 | |||||
タイトル [編集]
- セグンダ・ディビシオン: 2000-01
- プレミアリーグ: 2003-04
- FAカップ: 2004-05
- FAコミュニティーシールド: 2004
- プリメーラ・ディビシオン:2006-07
- ポルトガルリーグカップ: 2008-09
- UEFAヨーロッパリーグ: 2009-10
- UEFAスーパーカップ: 2010
- UEFA U-19欧州選手権: 2002
脚注 [編集]
- ^ Reyes is gunning for gloryThe Guardian、2004年2月1日
- ^ Aragones calls Reyes 'a gypsy'The Independent、2005年1月1日
- ^ Reyes, la pieza más codiciada de NerviónEl Mundo、2002年1月29日
- ^ Reyes passes Arsenal medicalBBC Sport、2004年1月28日
- ^ a b Jose ReyesArsenal FC Official Website
- ^ レジェス、アーセナル退団は「退屈だったから」livedoorスポーツ、2006年11月3日
- ^ Arsenal swap Reyes for Baptista BBC Sport、2006年8月31日
- ^ Atlético continue spree with ReyesUEFA.com、2007年7月31日
- ^ 話は一転。レジェスはアトレティコへlivedoorスポーツ、2007年7月29日
- ^ CL予選登録メンバーから外れたレジェス、ベンフィカへlivedoorスポーツ、2008年8月9日
- ^ レジェスがベンフィカへレンタル移籍UEFA.com、2008年8月7日
- ^ アトレティコ、レジェスとの契約延長を検討AFP BB News、2010年2月28日
- ^ アトレティコ・マドリードがUEFAスーパーカップ制覇AFP BB News、2010年8月29日
- ^ 大舞台で夢をかなえたレジェスUEFA.com、2010年8月27日
- ^ a b スペイン代表のレジェス「レギュラー獲る」livedoorスポーツ、2006年6月6日
外部リンク [編集]
- BDFutbol profile
- José Antonio Reyes - Soccerbase
- Stats and profile at Zerozero
- National team data (スペイン語)
- ホセ・アントニオ・レジェス - National-Football-Teams.com
- ホセ・アントニオ・レジェス - FIFA主催大会成績
- FootballDatabase profile and statistics
- Transfermarkt profile
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