スペイン第二共和政

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索
スペイン共和国
República Española
スペイン王国 1931年 - 1939年 スペイン国 (1939年-1975年)
スペインの国旗 スペインの国章
国旗 国章
国歌: リエゴ賛歌
スペインの位置
公用語 スペイン語
首都 マドリード
大統領
1931年 - 1936年 ニセート・アルカラ=サモーラ
1936年 - 1939年 マヌエル・アサーニャ
変遷
王政廃止 1931年4月14日
スペイン内戦 1936年-1939年
亡命政権 1939年7月15日
消滅 xxxx年xx月xx日
通貨 ペセタ

スペイン第二共和政Segunda República Española)は、1931年国王アルフォンソ13世が退位した後、1939年フランシスコ・フランコが独裁体制を固めるまで続いたスペイン共和政体。公式国名はスペイン共和国

[編集] 概要

第一次世界大戦に起因する経済の停滞は戦後も続き、貧民層は困窮に喘いでいた。各地で反政府運動が激化し、1923年9月にプリモ・デ・リベーラ将軍がクーデターを起こして政権を奪取した。混乱期を豪腕で凌いだプリモ・デ・リベーラであったが、次第に強権的政治に対する民衆の不満は高まり、1930年には退陣へと追い込まれた。プリモ・デ・リベーラ独裁政権の崩壊に伴い、王制打倒を目指す共和派は民衆の支持を集めるようになり、1931年の選挙にて躍進する。このような情勢下、国王アルフォンソ13世は退位へと追い込まれ、無血革命による第二共和政が成立した。

新政府は左翼的な新憲法の下、貧困層救済を重視した政策を展開したが、早々から政治的対立に起因する治安の悪化を招いた。失業者の一部は急進的な労働組合に所属し、激しいデモやテロを繰り返した。また、政教分離を進めた結果、敬虔なカトリックである民衆の支持を失った。政治は迷走を繰り返し、政権の退陣も頻繁に発生した。これらの政治的混乱は議会制民主主義への失望を招き、ファシズム政権の樹立を待望する主張が日増しに強まっていった。

1936年7月、フランシスコ・フランコ将軍がクーデターを起こし、スペイン各地で反乱が頻発。後にスペイン内戦と呼ばれる戦争へと突入していった。ヒトラーナチス・ドイツムッソリーニイタリア王国サラザールエスタード・ノーヴォポルトガルから支援を受けるフランコ側は、スターリンソビエト連邦カルデナス政権のメキシコが支援する左派の人民戦線側を圧倒し、1939年には首都マドリードが陥落。フランコ側の勝利によって第二共和政は終焉を迎えた。

フランコは内戦終結後、国家元首総統)として独裁体制を敷いた。第二次世界大戦では中立を維持し、唯一のファシズム国家として存続したが、1975年にフランコ死去に伴う王政復古が成され、スペインは急速に民主化した。

[編集] 第二共和政期の大統領

[編集] 関連項目

個人用ツール
名前空間

変種
操作
案内
ヘルプ
ツールボックス
他の言語