グアテマラ
- グアテマラ共和国
- República de Guatemala
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(国旗) 国章 - 国の標語:なし
- 国歌:グアテマラの国歌(グアテマラよ幸福なれ!)

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公用語 スペイン語 首都 グアテマラ市 最大の都市 グアテマラ市 独立
- 日付スペインより
1821年9月15日通貨 ケツァル(GTQ) 時間帯 UTC -6(DST:なし) ISO 3166-1 GT / GTM ccTLD .gt 国際電話番号 502
グアテマラ共和国(グアテマラきょうわこく)、通称グアテマラは、中央アメリカ北部に位置する共和制国家である。北にメキシコ、北東にベリーズ、東にホンジュラス、南東にエルサルバドルと国境を接しており、北東はカリブ海に、南は太平洋に面する。首都はグアテマラ市。
先コロンブス期にはマヤ文明が栄え、現在も国民の過半数はマヤ系のインディヘナであり、メキシコを除いた中央アメリカで最も人口の多い国である。経済的にはエルサルバドルと共に中央アメリカの中位グループに属するが、1960年から1996年まで続いたグアテマラ内戦により、治安や政治においてグアテマラ社会は未だに不安定な状態にある。
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国名 [編集]
正式名称は、República de Guatemala(スペイン語: レプブリカ・デ・グアテマラ)。通称、Guatemala。
公式の英語表記は、Republic of Guatemala(リパブリック・オブ・グワーテマーラ)。通称、Guatemala。
日本語の表記は、グアテマラ共和国。通称、グアテマラ。グァテマラやガテマラと表記されることもある。漢字では厄地馬拉と表記される。
歴史 [編集]
詳細は「グアテマラの歴史」を参照
先コロンブス期 [編集]
紀元前1800年頃に太平洋岸にバラ相の土器文化が興り、テコマテと呼ばれる祭祀に用いられたと考えられる無頸壺の器形で知られる。バラ相にメソアメリカ最古に属する土偶も作られた。先古典期中期初頭の紀元前900年頃に、パシオン川流域のセイバルとアルタル・デ・サクリフィシオスに集落が形成された。やがて、先古典期中期後葉になるとナクベに高さ18mに達する大規模な建物が造られた。一方、南部の高地にはカミナルフューにラス・チャルカスの精巧な土偶を伴う文化が興った。
先古典期後期には、紀元前500年以降には、ペテン低地にワシャクトゥンやエル・ミラドールなどのマヤの大規模な都市が出現する。南部の高地には、イサパ文化の影響を受けた石碑を伴うアバフ=タカリク、エル=バウル、カミナルフューなどの祭祀センターがきずかれた。古典期には、378年にティカルにメキシコのテオティワカンゆかりの強力な王朝が建てられ、メキシコ、カンペチェ州のカラクムルと「優越王」として覇を争うようになる。古典期になるとカミナルフューもテオティワカンに征服される。エル=バウルを含めた周辺区域にはナワ語系のピピル族によると言われるコツマルワパ様式の祭祀センターが築かれた。後古典期にはいると、11世紀頃から北方のチチメカ人が侵入してきた。その影響を受けてキチェー王国やカクチケル王国にチチメカ様式の影響を受けた都市が築かれた。
10世紀初頭までにペテン低地の祭祀センターは放棄されたが、グアテマラ高地のマヤ系諸王国はスペイン人に征服されるまで存続した。
スペイン植民地時代 [編集]
「スペインによるアメリカ大陸の植民地化」も参照
1492年にクリストーバル・コロンがアメリカ大陸を「発見」すると、現在のグアテマラに相当する地域にもヨーロッパ人の征服者が訪れた。1523年に現れたスペイン人の征服者、ペドロ・デ・アルバラードは、1524年にはこの地域を征服した。アルバラードはカクチケル族の協力を得て、グアテマラの地を支配していたキチェー族の都クマルカフ(ウタトラン)を1524年に攻略し、カクチケル族の都イシムチェに本拠地を構えた。だが、カクチケル族との同盟関係はごく短い期間で決裂し、カクチケル族は都を放棄して征服に抵抗するようになった。1526年に脱走兵の放火によってイシムチェは破壊され、アルバラードは現在のシウダー・ビエハに新しい首都を建設。さらに、イシムチェの近くにあるテクパンに都を移したが、1541年7月にアルバラードは死に、同1541年9月にアグア火山の噴火によってテクパンは壊滅してしまう。その後、現在のアンティグア・グアテマラが首都となった。
1544年、スペインはグアテマラ総監領をおき、自治権を与えた。グアテマラ総監領の統治範囲には諸説があり、現在の中米五国ホンジュラス・エル・サルバドル、ニカラグア、コスタリカなどを含んでいた。スペイン人征服者の政策により、先コロンビス・マヤ文化の古文書(Pre-Columbian Maya codex)はほとんどがこの植民地時代に焼却されたが、辛うじてポポル・ヴフ(Popol Vuh)と呼ばれるキチェー族の創世神話が現在に伝わっている[2]。
1717年に起きたマグニチュード7.4の地震はアンティグア・グアテマラに甚大な被害をもたらし、さらに1773年でも地震で大きな被害が出たため、1776年にスペイン国王の命により首都はグアテマラシティへと移ることになった。1786年にはスペインからイギリスにカリブ海側の領土が割譲された。この地域は英領ホンジュラスとして統治され、現在はベリーズになっている。
独立から20世紀半ばまで [編集]
「近代における世界の一体化#ラテンアメリカ諸国の独立」も参照
グアテマラ建国以後の歴史は、革命、クーデター、非民主主義政権、特にアメリカ合衆国からのさまざまな内政干渉に彩られている。1789年のフランス革命により、ヨーロッパでの政局は混乱した。大革命によりナポレオン戦争が勃発し、1808年には本国スペインがフランス皇帝ナポレオン1世によって侵攻された。ナポレオンはボルボン朝のフェルナンド7世を退位させ、兄のジョゼフ・ボナパルトをスペイン王ホセ1世に据えると、それに対する民衆暴動が契機となってスペイン独立戦争が勃発、インディアス植民地はホセ1世への忠誠を拒否した。グアテマラ総監領は1821年にスペインから独立を宣言し、同年内にアグスティン・デ・イトゥルビデ皇帝の第一次メキシコ帝国に併合されたが、1823年にメキシコ帝国は崩壊し、新たに結成された中央アメリカ連合州(Provincias Unidas del Centro de América)の一州となった。
中米連邦では、最初から内紛が絶えなかったが、1827年から1838年にかけ、ラファエル・カレーラの率いる保守主義のグアテマラ派と、フランシスコ・モラサンの率いる自由主義のエル・サルバドル派の内戦に陥り、結局カレーラが勝利して連邦は解体に至り、1839年グアテマラは独立国となった。内戦に勝利し、連邦派を駆逐したカレーラはそのままグアテマラの政治を支配し、以後グアテマラは1865年にカレーラが死ぬまで強力な保守統治が行われることになる。カレーラは保守政治家だったが、その一方でインディヘナに対しては共有地の保護などの優れた政策を行った。また、1856年のウィリアム・ウォーカーとの国民戦争の際にはグアテマラも中米連合軍の一員に加わった。
1871年には自由党が内戦に勝利して政権に就き、1873年にはフスト・ルフィーノ・バリオスが大統領になった。以降1885年までバリオスの統治が続き、自由主義的な様々な政策が行われ、1879年には憲法が制定された。一方で、ホンジュラスやエル・サルバドルなど近隣諸国との戦争を続け、またこの時期にインディヘナの共有地は解体されて奪われ、大土地所有制が強化された。また、この時期から経済がコーヒーモノカルチャー化し、1880年代には実に輸出の9割近くをコーヒーが占めるほどであった。こうしたコーヒー農園を目指して移民が導入され、1893年には日本初のラテンアメリカ移民が行われた。
1898年にマヌエル・エストラーダ・カブレーラが大統領に就任し、22年間の独裁政治を行うが1920年にカブレーラは失脚した。カブレーラが失脚すると、政治的空白状況が生まれ、クーデターが繰り返される不安定な状況が続いたが、1931年にホルヘ・ウビコ将軍が隙を突いて権力を握ると、ウビコ以外は全て不自由であるといわれるほど苛烈な統治の下でグアテマラ社会の荒廃は一層進んだ。こうした状態を憂いた愛国者によりウビコは1944年に追放され、民主主義の時代がグアテマラにも訪れた。
グアテマラの春 [編集]
1944年から1954年まではグアテマラの春と呼ばれ、自由な空気の下に、各種の民主的な社会改革が進められた。
ハコボ・アルベンスはポプリスモ的政治家として土地改革などの政策を行ったが、これは次第に合衆国がグアテマラの共産主義化とのネガティブキャンペーンを張らせることになり[3]、土地改革がユナイテッド・フルーツの社有地に適用されることになると、合衆国の怒りは頂点に達した。アメリカ政府の雇用した反アルベンス派傭兵軍がエル・サルバドルから侵攻すると、軍の上層部はアルベンスを見捨てアルベンスは亡命。グアテマラの春は終わりを告げた(PBSUCCESS作戦)[4]。
グアテマラ内戦 [編集]
詳細は「グアテマラ内戦」を参照
キューバ革命の周辺国への影響(ドミノ理論)を恐れたアメリカ・中央情報局はグアテマラ軍上層部の支援を得て、1954年、PBSUCCESS作戦と呼ばれる政府転覆を実行し親米独裁政権が生まれたが、これはグアテマラに長い動乱の時代を招いた。1960年からグアテマラ内戦が始まり、36年間にわたり武装反乱軍(FAR)などのゲリラとグアテマラ政府軍の戦闘が続いた。1980年代には軍部がほぼ実権を握り、農村部への焦土作戦をとるなど反体制派に対する徹底した弾圧を行った。この軍事行動の結果、数万人の行方不明者を含め最大20万人が死亡もしくは行方不明となった[5]。内戦状態は1996年に平和条約の調印によって終わった。
内戦終結以降 [編集]
1996年に署名された和平合意のほとんどは、1年以上経過しても履行されなかった。直近の国政選挙は2011年に行われた。
政治 [編集]
詳細は「グアテマラの政治」および「:en:Politics of Guatemala」を参照
グアテマラは一院制議会をもつ。議会は「共和国議会」(Congreso de la República)と呼ばれる。国会は158議席で、国会選挙は4年ごとに行われ、同時に大統領選挙が行われる。
グアテマラの大統領は国家元首であり、政府の長である。行政を行うために、大統領は閣僚を米国の内諾を得た上で指名する。
国際関係 [編集]
現在グアテマラとベリーズとの間には、国境未確定の部分があり、両国の問題となっている。両国はこの国境確定を国際司法裁判所に提訴することに合意した。しかし、国際司法裁判所の判決を受諾するためには、管轄権をあらかじめ受諾することが必要であり、両国は国民投票をして管轄権を受諾するか否か決定することとなっているが、国民投票を行う期日は未定であり、グアテマラ国内には国民投票を行おうとする機運は全くない。他方、ベリーズでは、2009年3月にも国民投票を行うとの情報もあったが、実施されていない。2008年12月8日、両国は合意文書を署名し、国境紛争を国際司法裁判所に付託することに最終的に合意した。
地方行政区分 [編集]
詳細は「グアテマラの行政区画」を参照
グアテマラは22の県(departamentos 地方、州とも訳す)から構成される。
- アルタ・ベラパス県
- バハ・ベラパス県
- チマルテナンゴ県
- チキムラ県
- ペテン県
- エル・プログレソ県
- キチェ県
- エスクィントラ県
- グアテマラ県
- ウェウェテナンゴ県
- イサバル県
- ハラパ県
- フティアパ県
- ケツァルテナンゴ県
- レタルレウ県
- サカテペケス県
- サン・マルコス県
- サンタ・ローサ県
- ソロラ県
- スチテペケス県
- トトニカパン県
- サカパ県
地理 [編集]
詳細は「グアテマラの地理」および「:en:Geography of Guatemala」を参照
グアテマラは太平洋とカリブ海に面し、海岸部を除くと、グアテマラは大部分が山地からなる。気候は熱帯性で気温が高いが、高地は熱帯性ながら温順な気候である。カリブ海に近接して大型の湖イサバル湖が位置する。火山国であり、日本の富士山に似たトリマン火山の麓には世界一美しい湖といわれるアティトラン湖がある。国内最高峰はタフムルコ山(4,220m)であり、これは中米全体の最高峰でもある。
ほとんどの主要都市は国の南半分に位置している。主要都市は首都グアテマラ市、ケツァルテナンゴ、エスクィントラである。その他にも港町としてカリブ海側にプエルト・バリオスが存在する。
経済 [編集]
詳細は「グアテマラの経済」および「:en:Economy of Guatemala」を参照
グアテマラはエル・サルバドルと並んで中米では経済的に中位の国である。国民総生産の4分の1を農業が占める。農業は輸出の3分の2を占め、また労働人口の半分が従事する。主要産品は、コーヒー、砂糖、バナナである。工業・建設は国民総生産の5分の1を占めている。
1996年の停戦により、36年間に及んだ内戦が終結したため、外資投入への障害は取り除かれている。1998年のハリケーン・ミッチ(Mitch)による被害は、近隣諸国に比べれば僅少であった。
グアテマラ経済はパナマを含めた中米諸国(約4,000万人)のうちの3割を占める。但し、中米諸国は、所得水準で、上位のパナマ、コスタ・リカ、中位のグアテマラ、エル・サルバドル、下位のニカラグア、ホンジュラスと三段階に別れ、その所得水準はいずれも先進国には遅れを取っている。国内の製造業が未発達であることから、高付加価値の製品製造がままならず、サービス産業の拡大が近年の傾向である。2000年以降、世界的な金利低下の恩恵をうけ国内のクレジットサービス及び貸付が拡大の一歩をたどる。
グアテマラの治安は世界159番目である。毎日約20人が殺害され、危険極まりないため、投資、企業進出には向かない[要出典]。
鉱業 [編集]
2009年時点の原油生産量は110万トン、天然ガスは0.43千兆ジュールにとどまっているが、これは油田・炭田が未開発なためである。金属鉱物資源は金、鉄、ニッケルが中核であるが、鉄は1万トン、ニッケルはほとんど採掘されておらず、金が若干生産されている。
国民 [編集]
詳細は「グアテマラの人口統計」および「:en:Demographics of Guatemala」を参照
貧困問題が恒常化しており、国民の生活水準は全体に低い。平均寿命は64歳。識字率は67.3%は中央アメリカでもっとも低い部類に属す。貧富の差は激しく、人口の10%が国民全体の所得の47%を占める一方、国民の57%が貧困層に属する。
都市部と農村部の貧困差も大きく、地方農村では、貧困層が76%に達する。国民の大多数を占めるマヤ族など先住民は、概して零細な小規模農業に従事し、また多くはスペイン語の読み書き能力をもたないため、他の職業に就く機会も少ない。
民族 [編集]
グアテマラの民族は、ラディーノ(Ladino、ヨーロッパ系と先住民族の混血およびスペイン語を母語とする先住民族)およびヨーロッパ系が60.1%、マヤ系先住民族が39.3%(内訳はキチェ(K'iche')9.1%、カクチケル(Kaqchikel)8.4%、マム(Mam)7.9%、ケクチ(Q'eqchi')6.3%、その他のマヤ系民族8.6%)、先住民族のシンカ(Xinca)が0.22%、アフリカ人と先住民族の混血のガリフナ(Garifuna)が0.04%(2002年センサス)。
先住民は主にマヤ系住民が多数を占め、人種的に先住民でも非先住民的な生活様式(スペイン語の使用)を行う先住民はラディーノ(非先住民)と呼ばれ、メスティーソと同様に扱われる。白人系住民は植民地時代以来からのスペイン人の子孫が最も多いが、19世紀にプランテーション農業のためにヨーロッパから移民が導入され、ドイツ人、イタリア人、スイス人、ギリシャ人などが、アジアからもアラブ人(シリア人、レバノン人、パレスチナ人)、トルコ人、ユダヤ人、中国人、日本人などが導入された。近年は韓国人移民が多い。アラブ人の多くが商業に従事しており、商業で得た資金がアラブのテロ組織に送金されているとも言われている。なお、グアテマラはラテンアメリカで最初に日本人が移民した国である。
近年はグアテマラ人の近隣諸国への出稼ぎや移民も多く、アメリカ合衆国やメキシコ、カナダ、ベリーズなどに多くのグアテマラ人が居住している。特にアメリカ合衆国には約150万人以上のグアテマラ人が居住しているが、ほとんどが不法移民であり、毎年合衆国からは約3万人、メキシコからも約3万人が強制送還されている。
言語 [編集]
言語は公用語がスペイン語で、国民の6割程度が使用している。残りの4割は先住民族の言語を使用する。地方では特に21種類のマヤ系言語が用いられている他、シンカ語やアラワク語系(Arawakan languages)のガリフナ語など非マヤ系言語も用いられている。DECRETO NÚMERO 19-2003によれば、23種類の言語がグアテマラの国語として認められている。
宗教 [編集]
宗教は、国民の3人に2人がローマ・カトリック教徒で最も多い。しかし、近年ではプロテスタント信者の人口の伸びが著しく、特に福音派の牧師であるエフライン・リオス・モント将軍政権下で顕著であった。グアテマラ人の3分の1はプロテスタント信者で、福音派とペンテコステ運動派が特に多い。少数ながら、ユダヤ教徒とムスリム(ユダヤ人は1万人以上、アラブ人は約500人ほど)も居住している。
ゲリラとグアテマラ政府の間で締結された1996年の平和条約により先住民族の文化が保護されるようになって以来、伝統的なマヤ民族の宗教も復興の勢いを見せており、グアテマラ政府は全てのマヤ遺跡で宗教儀式を行えるように祭壇を整備する条例を制定している。
教育 [編集]
詳細は「グアテマラの教育」および「:en:Education in Guatemala」を参照
2002年のセンサスによれば、15歳以上の国民の識字率は69.1%である [6]。
主な高等教育機関としては、サン・カルロス・デ・グアテマラ大学(1676)や、フランシスコ・マロキン大学(1971)などの名が挙げられる。
治安 [編集]
1960年から36年間続いた内戦によって25万人が犠牲になったグアテマラでは、一般の犯罪や暴力団による殺人で、2008年には6,232人が死亡している。また、誘拐では400人以上が誘拐された。2011年には毎日平均14人が殺害され、犯罪を犯しても98%の犯人は処罰されないとされた[7]
グアテマラの抱える最大の問題は、治安問題、麻薬密輸、司法権の機能不全、政府の無策、腐敗、社会的不平等、人権侵害である。治安問題は、コロン政権になっても全く無策であり、毎日、テレビ・ニュースで殺人事件が報道されている。
人権面では、政治犯はいないが、未だに地方都市ではリンチが行われているほか、婦女子に対する暴力が多く、また裁判を受ける権利も保証されておらず、人権侵害は著しく、人権意識が希薄である。
文化 [編集]
詳細は「グアテマラの文化」および「:en:Culture of Guatemala」を参照
グアテマラの文化はマヤ文明とスペインの文化に根を持ち、グアテマラには現在もなおマヤ文明とスペイン植民地時代の遺風が残っている。衣食には伝統的なマヤ文化の色彩が今でも残り、また国のいたるところにマヤの遺跡が残っている。また、カリブ海沿岸には、宗教儀式、舞踊、音楽などにアフリカ文化の影響がみられる。
文学 [編集]
グアテマラ文学はマヤ時代からの先住民の口承文学に伝統を持っている。先コロンブス期の文学で現存するものとしては、キチェ語で書かれた『ポポル・ヴフ』が残っている。
グアテマラの小説は、独立後の19世紀半ばに、アントニオ・ホセ・デ・イリサリによってはじまり、サロメ・ヒルによって大成された。ロマン主義文学においては、『マリア』(1897)のフェリペ・デ・ヘススが活躍した。モデルニスモ文学においては報道文学で活躍し、日本との交流もあったエンリケ・ゴメス・カリーリョや、マクシモ・ソトホールらが活躍した。
現代の文学者としては、『大統領閣下』、『緑の法王』の著者であり、キューバのアレホ・カルペンティエルと共に魔術的リアリズムの創造に大きな役割を果たしたノーベル文学賞作家のミゲル・アンヘル・アストゥリアスや、マリオ・モンテフォルテ・トレド、ロドリゴ・レイローサ、アウグスト・モンテローソらが特に有名である。
音楽 [編集]
詳細は「グアテマラの音楽」、「:en:Music of Guatemala」、および「ラテン音楽」を参照
グアテマラではアフリカ伝来のマリンバが独特の発展を遂げている。また、カリブ海側の先住民、ガリフナ族の音楽は世界的に有名である。
クラシック音楽においては、グアテマラ出身の特に著名な作曲家/指揮者としてホルヘ・サルミエントスの名が挙げられる。
世界遺産 [編集]
グアテマラ国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が2件、複合遺産が1件存在する。詳細は、グアテマラの世界遺産を参照。
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ティカル国立公園 - (1979年、複合遺産)
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アンティグア・グアテマラ - (1979年、文化遺産)
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キリグアの遺跡公園と遺跡群 - (1981年、文化遺産)
祝祭日 [編集]
| 日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 1月1日 | 新年(元旦) | Año Nuevo | |
| 3月~4月の一週間 | イースター週間 | Semana Santa | 移動祝日 |
| 5月1日 | メーデー | Día del Trabajador | |
| 6月30日 | 軍隊記念日 | Día del ejército | |
| 8月15日 | 聖母被昇天祭 | Día de la Virgen de la Asunción | |
| 9月15日 | 独立記念日 | Día de la Independencia | |
| 10月20日 | 革命記念日 | Día de la Revolución | |
| 11月1日 | 死者の日 | Día de los muertos | |
| 12月24日 | クリスマス・イブ | Noche Buena | 午後のみ |
| 12月25日 | クリスマス | Navidad, Pascua | |
| 12月31日 | 大晦日 | Noche Vieja | 午後のみ |
国の象徴 [編集]
国鳥は ケツァールで、国章に描かれており、通貨名ともなっている。紙幣にはマヤ時代の数字が用いられている。
災害 [編集]
- 1976年2月4日に、首都グアテマラシティ北東部でマグニチュード7.5の地震が発生した(詳細は1976年グアテマラ地震を参照)。
- 2010年9月4日、豪雨に伴う土砂崩れが各地で発生した。政府は非常事態を宣言している。死者多数、何万人もの人が家を失い、行方不明者も多数に登っている[出典 1]。
- 2012年11月7日、レタルレウ県チャンペリコ付近で、マグニチュード7.4の地震が発生した[8]。
著名な出身者 [編集]
詳細は「グアテマラ人の一覧」を参照
- ミゲル・アンヘル・アストゥリアス - ノーベル文学賞作家
- リゴベルタ・メンチュウ - マヤ系先住民の女性人権活動家。ノーベル平和賞受賞者。
- エリック・バロンド -競歩選手。ロンドン五輪陸上競技20km競歩銀メダリスト。グアテマラ初の五輪メダリスト。
脚註 [編集]
- ^ a b c d IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1])
- ^ ポポル・ヴフは林屋永吉元スペイン大使がスペイン語から日本語に重訳し、中央公論社から出版されている。
- ^ このネガティブキャンペーンの仕掛け人が心理学者ジークムント・フロイトの甥で『プロパガンダ教本』著者のエドワード・バーネイズである。
- ^ アルベンス夫人は2009年に亡命先のコスタリカで死亡した。
- ^ “Conclusions: The tragedy of the armed confrontation”. Shr.aaas.org. 2009年9月3日閲覧。
- ^ CIA World Factbook 2009年3月30日閲覧
- ^ 頭部切断の27遺体発見=グアテマラの農場 時事ドットコム 2011年5月17日
- ^ グアテマラ地震の死者48人、負傷者150人 道路や建物の損壊多数 CNN-Japan 2012年11月8日閲覧
出典 [編集]
- ^ “グアテマラで大雨による土砂崩れ相次ぐ、死者41人に”. ロイター (2010年9月6日). 2011年1月9日閲覧。
参考文献 [編集]
- エドゥアルド・ガレアーノ/大久保光夫訳 『収奪された大地──ラテンアメリカ五百年』 新評論、東京、1986年9月。
- マイケル・D・コウ/加藤泰建訳 『古代マヤ文明』 創元社、大阪、2003年4月。
- 桜井三枝子編著 『グアテマラを知るための65章』 明石書店〈エリア・スタディーズ〉、東京、2006年9月。ISBN 4-7503-2389-6。
- 二村久則、野田隆、牛田千鶴、志柿光浩 『ラテンアメリカ現代史III』 山川出版社〈世界現代史35〉、東京、2006年4月。ISBN 4-634-42350-2。
- A.レシーノス原訳/林屋永吉重訳 『ポポル・ヴフ』 中央公論社〈中公文庫〉、東京、1977年。
外部リンク [編集]
グアテマラ政府 [編集]
- グアテマラ共和国政府 (スペイン語)
- グアテマラ観光局 (スペイン語)
- 在日グアテマラ大使館 (日本語)
日本政府 [編集]
- 日本外務省 - グアテマラ (日本語)
- 在グアテマラ日本国大使館 (日本語)
- JICA グアテマラ情報/概要 国際協力機構のサイト。
その他 [編集]
- グアテマラ情報 - グアテマラ (日本語)
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