ベネズエラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ベネズエラ・ボリバル共和国
República Bolivariana de Venezuela
ベネズエラの国旗 ベネズエラの国章
国旗 国章
国の標語 : Dios y Federación
(スペイン語:神と連邦)
国歌 : 勇敢なる人民に栄光を
ベネズエラの位置
公用語 スペイン語
首都 カラカス
最大の都市 カラカス
元首
大統領 ウーゴ・チャベス
首相 なし
面積
総計 916,445km²32位
水面積率 3.3%
人口
総計(2007年 26,023,528人(47位
人口密度 27人/km²
GDP(自国通貨表示)
合計(2005年 258兆2,993億ボリバル (Bs.)
GDPMER
合計(2006年 1,479億ドル(40(2005年)位
GDPPPP
合計(2006年 1,764億ドル(52位
1人当り 6,900ドル
独立
 - 宣言
 - 承認
スペインより
1811年7月5日
1821年7月24日
通貨 ボリバル (Bs.)(VEB
時間帯 UTC -4:30(DST: なし)
ccTLD VE
国際電話番号 58

ベネズエラ・ボリバル共和国 (ベネズエラ・ボリバルきょうわこく)、通称ベネズエラ は、南アメリカ連邦共和制国家である。東にガイアナ、西にコロンビア、南にブラジルと国境を接し、北はカリブ海大西洋に面する。首都はカラカス

コロンビアと共に北アンデスの国家であるが、自らをカリブ海世界の一員であると捉えることも多い。ベネズエラ海岸の向こうには、アルバオランダ領アンティルクラサオなど)、トリニダード・トバゴといったカリブ海諸国が存在する。なお、ガイアナとは現在ガイアナ領のグアジャナ・エセキバを巡って19世紀から領土問題を抱えている。

目次

[編集] 国名

正式名称は、República Bolivariana de Venezuela。通称、Venezuela(ベネスエラ)

公式の英語表記は、Bolivarian Republic of Venezuela。通称、Venezuela(ヴェネズエラ)

日本語の表記は、ベネズエラ・ボリバル共和国。スペイン語を正確に音写すると、ベネスエラ・ボリバリアーナ共和国となる。通称、ベネズエラヴェネズエラという表記もある。スペイン語の発音は「ベネスエラ」、英語では「ヴェネズエラ」が近い。漢字では委内瑞拉と表記される。

ベネスエラVenezuela)という名の由来には諸説があり、一つはイタリアヴェネツィアに由来するというものである。1499年この地を訪れたスペイン人の探検者、アロンソ・デ・オヘダアメリゴ・ヴェスプッチが、マラカイボ湖畔のグアヒーラ半島に並び建つインディヘナたちの水上村落を、水の都ヴェネツィアに見立て、イタリア語で「ちっぽけなヴェネツィア」("Venezuola")と命名した事によるとされている。

もう一つは、この地に住んでいたインディヘナが"Veneciuela"と呼ばれており、そこからVenezuelaに成ったのだという説であり、この説によるとベネスエラという国名は土着の言葉から発展したものだということになる。どちらの説が正しいかという論争は絶えないものの、現在一般的な説として信じられているのは前者である。

なお、国名中の「ボリバル」とは、ラテンアメリカ解放者 シモン・ボリーバルのことである。

[編集] 歴史

詳細はベネズエラの歴史を参照。

[編集] 前コロンビア期

ヨーロッパ人がこの地を訪れる前、この地にはアラワク族カリブ族と狩猟と農耕を行うインディヘナが居住していた。タワンティンスーユ(インカ帝国)の権威は及ばなかったが、現コロンビアのムイスカ人の影響を受けていた。また、この地から多くの人間がカリブ海諸島に航海していった。

[編集] スペイン人の征服

ヨーロッパ人が今のベネズエラと接触するのは1498年コロンによる第3回航海が初めてである。翌1499年にはスペイン人アロンソ・デ・オヘダとイタリア人のアメリゴ・ヴェスプッチが内陸部を探検している。 その後スペイン人によって1526年にクマナに南米大陸初の入植地が建設され、先住民の首長グアイカイプーロとの戦いの最中の1567年にサンティアゴ・デ・レオン・デ・カラカスが建設された。植民地化当初はヌエバ・エスパーニャ副王領の一部として、イスパニョーラ島サント・ドミンゴアウディエンシアに所属していたが、1739年にはヌエバ・グラナダ副王領の一部となり、1777年にはベネズエラ総督領に昇格した。

[編集] スペインからの独立

解放者シモン・ボリーバル、スペインから南アメリカの五共和国を独立に導いた軍人、政治家、思想家、革命家。
解放者シモン・ボリーバル、スペインから南アメリカの五共和国を独立に導いた軍人、政治家、思想家、革命家。

1789年のフランス革命によりヨーロッパの政局が混乱し、19世紀にナポレオン戦争スペインに波及するとインディアス植民地は大きく影響受けた。インディアス植民地各地のクリオーリョ達は独立を企図し、ベネズエラでも1806年にはフランシスコ・デ・ミランダによる反乱がおきた。この反乱は鎮圧されたが、1808年の半島戦争の勃発により、ホセ1世スペイン王に即位すると、インディアス植民地は偽王への忠誠を拒否し、独立の気運は抑えがたいものになって行った。 1810年にはカラカス市参事会がベエズエラ総督を追放。翌年1811年にはシモン・ボリーバルとミランダらがベネズエラ第一共和国を樹立した。しかし、王党派の介入とカラカス大地震によってベネズエラは混乱し、共和国は崩壊した。この時にカラカス市の2/3が崩壊したといわれる。

ボリーバルは不屈の意志で独立闘争を展開し、1816年には亡命先のジャマイカから『ジャマイカ書簡』を記す。何度かのベネズエラ潜入失敗の後、ヌエバ・グラナダ人の独立指導者フランシスコ・デ・パウラ・サンタンデルらの協力を得てヌエバ・グラナダのサンタフェ・デ・ボゴタを解放すると、1819年にはベネズエラとヌエバ・グラナダからなるコロンビア共和国を結成した。その後解放軍は1821年カラボボの戦いでスペイン軍を破り、ここでベネズエラの最終的な独立が確定した。 ボリーバルはその後エクアドルペルーアルト・ペルー方面の解放に向かい、1824年にアントニオ・ホセ・デ・スクレ将軍の率いる解放軍がアヤクーチョの戦いに勝利して全インディアス植民地の最終的独立を勝ち取るが、留守を預かっていたコロンビアの大統領サンタンデルとの関係が悪化し、コロンビアに帰国する。 しかし、コロンビアの政局は安定せず、1830年には「エクアドル」(キトグアヤキルが連合して赤道共和国を名乗った)ともにカウディージョアントニオ・パエスを指導者にしたベネズエラはコロンビアから脱退し、完全に独立した。翌1831年にコロンビアの独裁者、ラファエル・ウルダネータが失脚すると以降この地域を統一しようとする動きはなくなった。

[編集] 内戦と軍事独裁の時代

独立後、旧ボリーバル派は排除され、商業資本家が支持する保守党による支配が続いたが、1840年に大土地所有者を支持基盤とする自由党が結成された。保守党が中央集権を唱え、自由党が連邦制を叫び、両者は対立し、ついに1858年連邦戦争(内戦)が勃発した。内戦は1863年に連邦主義者の勝利のうちに終結。自由党が政権を担うことになった。しかし、自由党は失政を重ね、1870年に保守系のアントニオ・グスマン・ブランコが政権を握った。ブランコは18年間を独裁者として統治し、この時期に鉄道の建設、コーヒーモノカルチャー経済の形成、国家の世俗化などが進んだが、1888年のパリ外遊中にクーデターにより失脚する。

「アンデスの暴君」フアン・ビセンテ・ゴメス
「アンデスの暴君」フアン・ビセンテ・ゴメス

グスマンの失脚後、ベネズエラは再び不安定な状態に陥るが、1899年にはアンデスタチラ州出身のシプリアーノ・カストロが政権に就き、1908年まで独裁を行った。1908年にカストロの腹心、フアン・ビセンテ・ゴメスがクーデターを起こすと、以降1935年までのゴメス将軍の軍事独裁政権が続くが、この間の1914年にマラカイボで世界最大級の油田が発見され、ベネスエラは一気に貧しい農業国から石油収入のみを基盤にした南米の地域先進国となっていった。しかし、ゴメス将軍は「アンデスの暴君」と呼ばれるほどの苛烈な統治を敷き、「1928年の世代」を中心とする国内の自由主義者の反発が強まることになる。

1935年にゴメスは死去したが、死後もゴメス派の軍人により軍政が継続された。軍政は労働者への懐柔を行ったが、1945年10月には青年将校と民主行動党(AD)によるクーデターが起こり、この十月革命により軍政は崩壊した。 1947年には新憲法が発布され、1948年2月の選挙により国民的文学者のロムロ・ガジェーゴス政権が誕生するが、ガジェーゴス政権も軍事クーデターによって打倒された。その後1952年からペレス・ヒネメス将軍による独裁が続いたが、ヒメネスは1958年にゼネストで失脚することになる。

[編集] ベネデモクラシア

「民主化の父」ロムロ・ベタンクール
「民主化の父」ロムロ・ベタンクール

1959年には民主的な選挙の結果、民主行動党のロムロ・ベタンクールが大統領に就任した。農地改革や1960年に設立された石油輸出国機構への加盟を行う一方で、反共政策の下キューバ敵視政策を行ったが、これに反発して折から起きていたキューバ革命に影響を受けた左翼ゲリラが山岳部で蜂起した。ベタンクール大統領は左翼勢力と戦うも鎮圧することは出来ず、 1964年には退陣した。ベタンクール政権はベネズエラ史上初の民主的に選ばれ、任期を全うすることが出来た政権となった。

1969年、ゲリラへの恩赦を公約にキリスト教社会党(コペイ党)のラファエル・カルデラ政権が発足。反乱は治まり、キューバを始めとする東側諸国との関係改善も行われた。続いて1974年には民主行動党のカルロス・アンドレス・ペレス政権が成立。オイルショックの影響による原油高によりベネズエラは大いに潤い、ラテンアメリカの指導的な地位を確立しようと努めて中南米経済機構の設立にも尽力した。

[編集] カラカソ以降

ベネズエラの現大統領、ウーゴ・チャベス
ベネズエラの現大統領、ウーゴ・チャベス

しかし、1980年代を通して貧富の格差と累積債務が増大し、1989年には低所得者層によりカラカス暴動(カラカソ)が発生した。この暴動で非武装の群集に対して軍が発砲し、多くの犠牲者を出すなど世情不安が続き、1992年には空挺部隊のウーゴ・チャベス中佐は政治改革を求めての二度のクーデター未遂事件が起こし、翌1993年不正蓄財によりペレス大統領が辞任。再びコペイからカルデラが大統領に就任した。しかし、ポプリスモ政策を取ろうとしたカルデラの貧困層、中間層への対策は失敗に終わった。

1999年に「第五共和国運動」から、1992年のクーデターの首謀者、ウーゴ・チャベスが大統領に就任し、反米とポプリスモとボリーバル主義を掲げたチャベスにより、同年12月には国名が「ベネズエラ・ボリバル」共和国に改称された。

2002年にチャベスは軍部親米派のクーデターで一度失脚するが、ラテンアメリカ諸国の抗議によるクーデター失敗によりチャベスは再び政権に復帰した。

[編集] 政治

詳細はベネズエラの政治を参照。

大統領国家元首とする連邦共和制国家である。1999年12月に新憲法が制定され、大統領の権限が強化、任期も5年から6年に延長された。選出は、国民による普通選挙によって行われる。前回投票は、2006年12月3日に行われ、現職大統領が再選。大統領自身が行政府の長として内閣を統率する。

議会はスペイン語でAsamblea Nacional(アサンブレア・ナシオナル、すなわち国民議会)と呼ばれ、1999年憲法により両院制から一院制に変わった。全165議席で、うち3議席は先住民に保障されている。議員の任期は5年で、国民による普通選挙で選出される。現行憲法は1999年憲法。2007年に改憲を巡る国民投票が行われたが、否決された。

かつて「ラテンアメリカには独裁か無政府状態しかないのではないだろうか」とシモン・ボリーバルが危惧したように、ベネスエラでは1830年から1955年まで一世紀以上に渡り、カウディージョや軍人による専制政治と内戦が続いた。クーデターが起こりやすい国でもあり、一時期ほどの頻度ではないものの、近年でも1992年と2002年のクーデター未遂事件は記憶に新しい。 ロムロ・ベタンクール以降、石油収入を背景にベネデモクラシアと呼ばれた民主化が富裕層と中間層を主体にして進み、1941年に成立した国民行動党と、1946年に国民主義行動党が改編されたキリスト教社会党(COPEI)との二大政党制が確立したが、民主化の中でも埋まらなかった経済的な格差を背景に、貧困層に対してポプリスモ的な政策に訴えたウーゴ・チャベス元中佐が1999年に当選した。

1999年に発足したウーゴ・チャベス政権は、内政では保健と教育を最重要視する政策をとっている。低所得層が住む地区での無料診療所の開設、学校の建設、非識字者や学校中退者のための補習プログラムなどがその例である。貧困層重視の政策は、強引な政治手法とあいまって、富裕層、中産階級、以前の有力政党と結ぶ労働組合から強い反発を受けた。

2002年4月にはチャベスのやり方に反発する富裕層や軍部が、CIAの協力の下にクーデターを起こしてチャベス大統領を逮捕し、代わりの政権を樹立したが、大衆の大規模デモと軍内部の反乱によって失敗した。12月から翌2003年2月にかけては石油産業でチャベス辞任を求めるストライキが起こり、ベネズエラ経済は大打撃を受けた。

また、スト終結後1年間は経済後退が著しかったが、続く2004年には石油価格上昇もあいまって経済が急速に回復し、政権支持率もそれにともなって上昇した。そして8月15日に大統領リコールの国民投票が58%対42%で否決されると、政情は一応の安定をみた。

しかし野党は国民投票と以後の選挙結果を認めず、2005年12月の議会選挙では主要野党が選挙をボイコットした。このため現議会は与党と与党寄りの政党によって全議席が占められている。2006年12月3日の大統領選挙でチャベスは63%の得票で3度目の当選を果たし、今度は野党候補も結果を承認した。チャベス大統領は2021年までの大統領在任を仄めかしているが、これが実現すれば「アンデスの暴君」以来の長期政権になるだろう。

2007年12月2日実施の社会主義体制への移行と、大統領再選制限の撤廃や大統領権限の強化を定める憲法改正国民投票で、ベネズエラ中央選管は、反対票が約51%と賛成票をわずかに上回り、否決されたと暫定結果を発表した。

[編集] 地方制度

詳細はベネズエラの地方行政区分を参照。

ベネズエラの首都カラカス
ベネズエラの首都カラカス

地方制度は、州 (エスタド、estado) 、市町村(ムニシピオ、minicipio)、区(パロキア、parroquia)の三層だが、自治体とは呼べない区を除くなら二層になる。州は23、首都地区が1、連邦保護領が1ある。首都地区と連邦保護領は州政府にあたるものを持たない。形式上連邦制をとるが、ベネズエラは南米でも中央集権的な制度の国で、州の独立性は弱い。1989年まで、州知事は共和国大統領の任命制であった。

市町村にあたるムニシピオは、日本語で人口に応じて適当に市、町、村などと訳し分けられる。市郡とする人もいる。かつては州と市町村の間に郡(ディストリト、distrito)があったが、1980年代に廃止された。基本的に、かつての郡が新しい市に、かつての市が新しい区に相当する。中にはバルガス州のような一州一市の例もある。市町村の上に立つ特別な自治体として、カラカス大都市地区とアルトアプレ郡がそれぞれの特別法によって設けられている。

区はかつて教会の教区と一致したが、現在では別のもので、区別するために民区(parroquia civil)と呼ばれこともある。小さな市では一市一区のところが多く、区役所は置かれない。選挙で選ばれるのは州知事、州議会議員、市長、市会議員、区議員で、区長は任命制である。

ベネズエラの地方自治体マップ
ベネズエラの地方自治体マップ
ベネスエラの主張する領域。ガイアナ領のグアジャナ・エセキバが含まれている
ベネスエラの主張する領域。ガイアナ領のグアジャナ・エセキバが含まれている
  1. アマソナス州 (Amazonas)
  2. アンソアテギ州 (Anzoátegui)
  3. アプレ州 (Apure)
  4. アラグア州 (Aragua)
  5. バリナス州 (Barinas)
  6. ボリーバル州 (Bolívar)
  7. カラボボ州 (Carabobo)
  8. コヘデス州 (Cojedes)
  9. デルタ・アマクロ州 (Delta Amacuro)
  10. ファルコン州 (Falcón)
  11. グアリコ州 (Guarico)
  12. ララ州 (Lara)
  13. メリダ州 (Mérida)
  14. ミランダ州 (Miranda)
  15. モナガス州 (Monagas)
  16. ヌエバ・エスパルタ州 (Nueva Esparta)
  17. ポルトゥゲサ州 (Portuguesa)
  18. スクレ州 (Sucre)
  19. タチラ州 (Táchira)
  20. トルヒーリョ州 (Trujillo)
  21. ヤラクイ州 (Yaracuy)
  22. バルガス州 (Vargas)
  23. スリア州 (Zulia)
  24. 連邦保護領(Dependencias Federales)
  25. 首都地区 (Distrito Capital) (主な都市 チャカオ市、バルータ市、エル・アティージョ市)

[編集] 地理

詳細はベネズエラの地理を参照。

ベネズエラの地図
ベネズエラの地図
世界で最も高い滝、サルト・アンヘル
世界で最も高い滝、サルト・アンヘル
ボリーバル峰
ボリーバル峰

北にカリブ海に面し、コロンビアブラジルガイアナに接する。中央部のジャングルをコロンビアからオリノコ川が流れている。北東部には南米最大の湖、マラカイボ湖が存在する。コロンビアから続くオリノコ川流域の平原部をリャノと呼び、国土の主要部はコロンビアのオリエンタル山脈を通してアンデス山脈が延びてきており、国内最高峰はメリダ山脈に位置するボリーバル峰である。

国土はマラカイボ湖周辺のマラカイボ低地、西部から北部に広がるベネズエラ高原、オリノコ川流域平原のリャノ、そしてグアジャナ高地の四つの主要な部分に分けられ、ベネズエラ高原はさらに中央高地、北東高地、セゴビア高原メリダ山脈の四つの地域に分かれる。国土北部の海岸沿いをラ・コスタ山脈が東西に連なり、東部にはアラヤ半島パリア半島が存在し、アラヤ半島沖にマルガリータ島が存在する。国土の80%がオリノコ川の流域であり、リャノが国土の35%、グアジャナ高地が国土の45%を占めるものの、人口の圧倒的な部分は北方の海岸線沿いのマラカイボ低地と、ベネズエラ高原に集中し、ベネズエラの多くの都市や村落は標高800m-1300mの人間が住むのに適した気候の谷間に存在する。

熱帯のため、雨季と乾季の区分がはっきりし、12月から4月が夏(ベラーノ)と呼ばれ、5月から11月が冬(インビエルノ)となり、6月から7月にかけて「サン・フアンの夏」と呼ばれる中だるみの季節が存在し、夏は乾季に、冬は雨季に相当する。 また、カリブ海側は乾燥しており、カラカスの外港ラ・グアイラでは年間降水量が280mmしかない。 リャノはサバンナが広がっており、サバンナ気候であるゆえに乾季は完全に乾燥し、雨季は洪水となるため牧畜ぐらいの生産活動しかできず、こうした気候が屈強なリャネーロホローポなどの文化を生み出した。

なお、現在のベネズエラ政府は、ベネズエラの国土を海域、島嶼部、西北沿岸部、中北沿岸部、東北沿岸部、アンデス地方、リャノ地方、オリノコ川デルタ地方、アマゾン地方、グアジャナ地方という10の地理区分に分けて扱っている。

[編集] 軍事

詳細はベネズエラ軍を参照。

オリノキア橋上空を飛行するベネズエラ空軍のSu-30
オリノキア橋上空を飛行するベネズエラ空軍のSu-30

徴兵制が敷かれており、成人男子は兵役の義務を有している。

ベネスエラには長らくコロンビアのような文民統治の原則は存在せず、軍はもっぱら内戦、クーデター、国内のゲリラ鎮圧のために存在した。

近年ベネズエラ軍はチャベス政権の下で軍拡が進み、近隣諸国に警戒心を抱かせている。また辛うじて回避されたが、チャベス政権がコロンビア革命軍を庇護していたことが問題となり、2004年のコロンビアのアルバロ・ウリベ親米政権からの侵攻も一時現実味を帯びたものになった。

陸海空の三軍の他に、1937年に創設された国家警備隊(ボリバリアーナ国家警備隊)が存在する。

[編集] 陸軍

ベネズエラ陸軍は兵員約34,000人を擁する。

[編集] 海軍

ベネズエラ海軍は、近年ロシア製兵器(主に潜水艦)の購入により軍拡が進んでいる。

[編集] 空軍

ベネズエラ空軍は、近年ロシア製兵器(主に戦闘機)の購入により軍拡が進んでいる。

主要装備はF-16A/BSu-30など。

[編集] 国家警備隊

三軍の他に国家警備隊 (ベネズエラ)が存在する。

[編集] 経済

詳細はベネズエラの経済を参照。

かつて主産業だったカカオ
かつて主産業だったカカオ
オリノコ川にかかるアンゴストゥーラ橋からの夕暮れの眺め
オリノコ川にかかるアンゴストゥーラ橋からの夕暮れの眺め

アンデス共同体メルコスール南米共同体の加盟国である。

通貨はボリバル(VEB)。2007年6月の時点で世界で最も価値の低い通貨トップ5の一つである。[1]

ゴメス時代にマラカイボ湖で石油が発見されるまでは、ベネスエラはコーヒーとカカオを主としたプランテーション農業の国だったが、1930年代には石油輸出額が第一次産品を抜き、1950年代にアメリカ・ソ連に次ぐ世界第三位の産油国となった。現在のベネズエラの経済は完全に石油に依存しており、輸出収入の8割ほどが石油である(2003年現在)が、石油部門が雇用するのは就労人口の0.5%にすぎない。OPECの原加盟国であり1960年の設立に際して重要な役割を果たした。

中南米でトップクラスの高所得水準を誇る背景には、豊かな鉱山資源があげられる。しかしながら、農牧業の生産性は低く、食料品の半分以上を輸入に頼る。

[編集] 鉱業

ベネズエラは鉱物資源に恵まれた国である。有機鉱物資源では、2001年時点で世界第8位(世界シェア4.8%)に位置する原油(1.6億トン)をはじめ、世界シェア1.8%の天然ガス(1624千兆ジュール)が際立つ。ただし、石炭は759万トンと少ない。

金属鉱物資源では、ボーキサイト(500万トン、第7位、1.9%)、世界シェア1.9%の鉄鉱(1150万トン)、同1.4%のニッケル鉱(1.8万トン)のほか、金、ダイヤモンド、リンを産する。

このため、輸出に占める鉱物、もしくは鉱物を原料とする工業製品の割合は金額ベースで約90%に達する。品目別では原油 (58.3%)、石油製品 (23.6%)、鉄鋼 (3.1%)、アルミニウム (2.0%)、化学薬品 (1.5%) である。

[編集] 観光

南東部のオリノコ高地にはテーブルマウンテンサルト・アンヘル (英:エンジェルフォール)で有名なギアナ高地ギアナ三国まで続いている。カリブ海には、ロス・ロケス諸島マルガリータ島などのビーチリゾートがある。

アンデス山脈の観光地としては、メリダがある。ここには世界最長のロープウェイ(全長12.6km)があり、そこの最高地点ピコ・エスペホからベネズエラ最高峰のピコ・ボリーバル(5007m)へ行くことができる。

[編集] 経済基礎指標と対外関係

  • 1999年度
    • GDP (PPP) 1,828億ドル (OER) NA 実質成長率 -7.2% 国民一人当たり(PPP) 8,000ドル
    • インフレ率 20% 失業率 18% 対外債務 340億ドル 外貨保有額 NA
    • 政府収入 NA 政府支出 NA 政府債務のGDP比 NA
    • 輸出額 209億ドル 輸出先 US 57%
    • 輸入額 118億ドル 輸入先 US 53%
  • 2000年度
    • GDP (PPP) 1,462億ドル (OER) NA 実質成長率 3.2% 国民一人当たり(PPP) 6,200ドル
    • インフレ率 13% 失業率 14% 対外債務 382億ドル 外貨保有額 NA
    • 政府収入 215億ドル 政府支出 270億ドル 政府債務のGDP比 NA
    • 輸出額 328億ドル 輸出先 アメリカ 60.0% ブラジル 5.5% コロンビア 3.5%
    • 輸入額 147億ドル 輸入元 アメリカ 35.8% コロンビア 6.8% ブラジル 4.5%
  • 2001年度
    • GDP (PPP) 1,462億ドル (OER) NA 実質成長率 2.7% 国民一人当たり(PPP) 6,100ドル
    • インフレ率 12.3% 失業率 14.1% 対外債務 NA 外貨保有額 NA
    • 政府収入 NA 政府支出 NA 政府債務のGDP比 NA
    • 輸出額 286億ドル 輸出先 NA
    • 輸入額 188億ドル 輸入先 NA
  • 2002年度
    • GDP (PPP) 1,328億ドル (OER) NA 実質成長率 -8.9% 国民一人当たり(PPP) 5,500ドル
    • インフレ率 31.2% 失業率 17% 対外債務 NA 外貨保有額 NA
    • 政府収入 201億ドル 政府支出 233億ドル 政府債務のGDP比 NA
    • 輸出額 NA 輸出先 アメリカ 45.1% オランダ領アンチル 12.8% ドミニカ共和国 2.8%
    • 輸入額 NA 輸入元 アメリカ 32.1% コロンビア 8.0% ブラジル 6.2%
  • 2003年度
    • GDP (PPP) 1,179億ドル (OER) NA 実質成長率 -9.2% 国民一人当たり(PPP) 4,800ドル
    • インフレ率 31.1% 失業率 18% 対外債務 208億ドル 外貨保有額 NA
    • 政府収入 NA 政府支出 NA 政府債務のGDP比 38.8%
    • 輸出額 258億ドル 輸出先 アメリカ 52.7% オランダ領アンチル4.9% ドミニカ共和国 2.9%
    • 輸入額 107億ドル 輸入元 アメリカ 29.2% コロンビア 7.1% ブラジル 6.2%
  • 2004年度
    • GDP (PPP) 1,452億ドル (OER) NA 実質成長率 16.8% 国民一人当たり(PPP) 5,800ドル
    • インフレ率 22.4% 失業率 17.1% 対外債務 332億ドル 外貨保有額 257億ドル
    • 政府収入 269億ドル 政府支出 307億ドル 政府債務のGDP比 43.1%
    • 輸出額 358億ドル 輸出先 アメリカ 55.5% オランダ領アンチル4.7% ドミニカ共和国 2.8%
    • 輸入額 149億ドル 輸入元 アメリカ 28.8% コロンビア 9.9% ブラジル 7.0%
  • 2005年度
    • GDP (PPP) 1,537億ドル (OER) 1,061億ドル 実質成長率 9.3% 国民一人当たり(PPP) 6,100ドル
    • インフレ率 15.7% 失業率 12.3% 対外債務 397億ドル 外貨保有額 307億ドル
    • 政府収入 396億ドル 政府支出 412億ドル 政府債務のGDP比 32.0%
    • 輸出額 527億ドル 輸出先 アメリカ 50.9% オランダ領アンチル7.2% カナダ 2.4%
    • 輸入額 246億ドル 輸入元 アメリカ 31.6% コロンビア 11.0% ブラジル 9.1%
  • 2006年度
    • GDP (PPP) 1,764億ドル (OER) 1,479億ドル 実質成長率 8.8% 国民一人当たり(PPP) 6,900ドル
    • インフレ率 15.8% 失業率 8.9% 対外債務 356億ドル 外貨保有額 359億ドル
    • 政府収入 522億ドル 政府支出 529億ドル 政府債務のGDP比 28.4%
    • 輸出額 692億ドル 輸出先 NA
    • 輸入額 288億ドル 輸入元 NA
  • ベネズエラ国営石油公社PDVSAはアメリカ国内に現地法人を設立し、アメリカの国民・法人に石油を販売している。
  • ベネズエラ政府の公式サイトの国家統計機関の貿易・投資の統計は石油部門を除外して貿易・投資の全体額と相手国別の構成比率が把握できないので、データはCIA World Fact Book の各年度版から引用した。

[編集] 対外経済関係の将来的変化

  • チャベス大統領は貿易相手国の多様化、対外経済関係のアメリカへの依存度の低下をめざしているが、アメリカとの経済関係をゼロにすることも、著しく減少させることも、長期的には可能である[要出典]が、2007年の現時点で直ちにゼロにすることも著しく減少させることも非現実的である。
  • アメリカは連邦政府・連邦議会としては、ブッシュ政権の一期目は石油産業の影響を受けて、地球温暖化説に対して科学的な証明が十分でないとの認識を表明し、京都議定書から離脱し、温暖化対策への取り組みを拒否してきた(州政府・州議会・企業・NGOとしての取り組みは継続していた)が、温暖化対策勢力の運動と働きかけにより、2005年以後は連邦政府・連邦議会としても温暖化対策を積極的に推進する政策に転換している。
  • 具体的には、2005年の包括的エネルギー法を制定し、国民の生活、法人の事業、行政機関の事業に必要な燃料、エネルギー、素材を、化石資源の燃料・エネルギー・素材から、生物資源の燃料・素材、自然資源のエネルギー・素材に転換するための、技術・製品・インフラを開発・普及するための資金・制度を政府と民間が連携して総合的に取り組む体制を形成している。2007年4月現在ではCO2排出の量的規制には未着手、京都議定書の次の枠組みに対しても態度が不明確たが、それは今後の議会・政府の政策判断、または、ブッシュ政権の次の政権が開始する2009年1月以後の政府と議会の判断による。
  • アメリカが化石資源の燃料・エネルギー・素材から、生物資源の燃料・素材、自然資源のエネルギー・素材への転換を国家プロジェクトとして政府と民間の連携した取り組みにより、アメリカの石油消費の絶対量と、燃料・エネルギー・素材の資源としての比率の低下と、ベネズエラの貿易相手国の多様化が実現すれば、ベネズエラも含めてアメリカと石油輸出国の経済関係・外交関係も大きく変化し、ベネズエラとアメリカの経済関係も時間の経過とともに現状よりは著しく関係性が低下すると予測される。
  • チャベス政権は2007年5月1日、欧米の国際石油資本(メジャー)が同国オリノコ川流域で進めてきた超重質油の軽質油化利用開発事業の国有化を宣言した。オリノコタールとも呼ばれる超重質油の可採埋蔵量は2千億バーレル以上とされ、この軽質油化事業が成功するとベネズエラは将来サウジアラビアに匹敵する産油国に成長する。
  • 2007年6月、ベネズエラ北部の大規模油田開発事業から米国のエクソンモービルコノコ・フィリップスの国際石油資本(メジャー)2社が撤退することが報道された。石油国有化政策を強めるチャベス政権のやり方に反発してと思われる。

[編集] 国民

詳細はベネズエラの国民を参照。

高地オリノコに住むインディヘナの部族、ヤノマミ族の子どもたち
高地オリノコに住むインディヘナの部族、ヤノマミ族の子どもたち

ベネズエラ人は多くの人種と民族が合流して生まれており、現在も移民が流入し続けている。先住民はインディヘナのカリブ族アラワク族などが住んでいたが、現在先住民の社会を維持しているのはアマゾンの密林の中に住む少数である。白人は植民地時代のスペイン人が主で、当時は植民地社会の上層部にあった。独立後は他のヨーロッパ諸国からの移民も増え、現在もポルトガルなどから流入しているが、近年では政治的な理由により富裕層や中間層がアメリカ合衆国へ流出している。 アフリカ系ベネスエラ人は植民地時代に奴隷としてつれてこられた人々の子孫である。アジア系は他より少ないが、独立後に移民した華僑(中国系)がおり、小商店主として成功した。 しかし、アジア人に対する人種差別が激しかったため、南米の国の中で日本からの移民はかなり少ない方であり、現在は600人程とウルグアイの日系人の倍程度である。 最近では中南米諸国、特に隣国コロンビアからの、難民に近いような移民が多い。

世代を重ねて混血が進んだため、人種集団をはっきり区分することはできない。人種別統計は長くとられておらず、そうした調査も実施されていないが、北米、日本、欧州では各国の研究者が独自に調査したであろう出所不明の構成比が出回っている。ベネズエラ人の主流の意識は自らをメスティーソとし、ベネズエラをメスティーソの国とするものである。 人種差別が表に現れることを恥ずべきという意識はあるが、街頭などで人種的な偏見を口に出す人間は他のラテンアメリカ諸国に比べても多い。皮膚感覚では南米で一番酷い国であるという者もいる。 そして現実社会では他のラテンアメリカ諸国と同じように上流階級が白人で占められている。当然のことだが白人が他人種より上にあるという関係が個人間でなりたつわけではなく、下層の白人も中流の黒人もいる。しかし、多くの域内諸国と同様に多くの黒人や有色人種に機会の均等が保障されているわけではない。

スペイン語版WikipediaのベネスエラのページのEtonografiaの項にある、出所不明の構成比によると、ベネスエラ国民はメスティーソが67%、ヨーロッパ系が21%、中国系、アラブ系のアジア系が2%、インディヘナは1%となる。インディヘナはスリア州やオリノコ川南部に多く居住している。 カリブ海諸国と並んで奴隷を輸入するのに条件が良かったためか、黒人の人口比は最小限に見積もれば9%、メスティーソやムラートサンボなどを含めて最大限に見積もれば70%に達する。

[編集] 移民

1843年にドイツ系市民により建設された植民都市コロニア・トバール
1843年にドイツ系市民により建設された植民都市コロニア・トバール

主な移民の出身地としては、イタリアスペインドイツポルトガルシリアレバノンインドパキスタン中国日本コロンビアチリドミニカ共和国エクアドルなど。1940年代から1950年代にかけてヨーロッパからの移民ブームがあり、1950年から1958年までの間に、ポルトガル人を中心に実に45万人が流入した。

[編集] 人口

独立直後の1830年にはおよそ80万人ほどだった人口は、20世紀に入ってからも余り増加せずに1920年には推定で200万人ほどだった。しかし第二次世界大戦後に急速に人口が増加し、1967年には推定900万人、1983年の調査では1639万人となっており、2007年には2600万人を越えた。人口の都市化率は85%であり、73%は北部のカリブ海沿岸100km以内に住んでいる。国土の約半分を占めるオリノコ川以南には人口の5%しか居住していない。

[編集] 言語

言語はスペイン語が公用語であり、かつ日常生活で最も使われている。31のインディヘナの言葉があり、政府は先住民の言語を通用させる努力を規定しているが、話す人は限られている。

[編集] 宗教

メリダ大聖堂
メリダ大聖堂

宗教はローマ・カトリックが96%、プロテスタントが2%、その他が2%である。その他の宗教としてはイスラム教ユダヤ教など。

[編集] 教育

詳細はベネズエラの教育を参照。

カラボボ大学理工学部、経済学部、及び社会学部の校舎.
カラボボ大学理工学部、経済学部、及び社会学部の校舎.

国際連合の2005年度の調査によると、識字率は93.0%であり、ラテンアメリカでは中程度の部類に入る。

6歳から15歳までの国民を対象に義務教育が行われており、主な高等教育機関としてはベネズエラ中央大学(1721年)、ロス・アンデス大学(1785年)、カラボボ大学スリア大学(1891年)などが挙げられる。

チャベス政権が推進している社会政策の一つに「第二次ロビンソン計画」がある。初等教育(6年)の未終了者を対象とし、受講期間は二年。第一回終了式が、2006年8月、首都カラカスで行われ、32万5000人が修了証書を受け取る。修了者は、「リバス計画」(中等教育)や「見つめ直そう計画」などに進むことが出来る。これらの計画の受講中は、奨学金が給付される。

[編集] 治安

近年治安は急速に悪化しつつある。1999年以降殺人事件発生率は増加の一途を辿っており、2003年をピークに一端減ったものの、2006年、2007年と再び増加に転じ、現在ではコロンビア、エル・サルバドルに次いでラテンアメリカでの殺人発生率は第三位である。 また、営利誘拐の増加も社会問題となっている。カラカス市内では特急誘拐が多いようである。 現職警察官や、国家警備隊員による犯罪も見受けられ、モラルの低下が問題となっている。

地方はまだ安全であるが、特にコロンビアとの国境付近はコロンビア革命軍や、極右民兵の活動地域であるため危険である。

[編集] 文化

詳細はベネズエラの文化を参照。

アルトゥーロ・ウスラール・ピエトリ、カラカス北部の館の写真
アルトゥーロ・ウスラール・ピエトリ、カラカス北部の館の写真

ベネズエラの文化はラテンアメリカ的な伝統に大きく影響を受け、インディヘナの文化の上に、スペイン人、イタリア人、黒人の影響が強く築かれ、様々な文化が融合している。

[編集] 食文化

詳細はベネズエラ料理を参照。

中央アメリカから広がるトウモロコシ文化圏の国である。アレパと呼ばれるトウモロコシ原産のパンのようなものが一般に食べられている。ロン(ラム酒)が広く飲まれており、お茶コーヒーの代わりに熱したチョコレートを飲む習慣がある。また、スペイン料理や、イタリア料理も一般に食べられている。

[編集] 文学

詳細はベネズエラ文学を参照。

ベネスエラ文学は、前コロンビア期には先住民の口承文学が存在したが、その後はスペイン人の文学が取って代わり、19世紀にはベネスエラ・ロマン主義などが発展した。 ベネスエラ出身の作家としてはロムロ・ガジェーゴスアルトゥーロ・ウスラール・ピエトリサルバドール・ガルメンディアなどが有名である。

[編集] 映画

社会問題となっている営利誘拐を取り扱った、『特急誘拐』(邦題は『ベネズエラ・サバイバル』)は記憶に新しい。

[編集] 音楽

詳細はベネズエラ音楽を参照。

ベネスエラのホローポ。エロイ・パラシオス画(1912年)
ベネスエラのホローポ。エロイ・パラシオス画(1912年)

リャノから生まれた舞踊の音楽ホローポは国民音楽であり、アルマ・ジャネーラ(平原児(ジャネーロ)の魂)というオペレッタから生まれたフォルクロー