ラム酒

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3種類のラム酒 右からホワイトラム、ゴールドラム、ダークラム
3種類のラム酒 右からホワイトラム、ゴールドラム、ダークラム

ラム酒(ラムしゅ rum)は、サトウキビを原料として作られる、西インド諸島原産の蒸留酒。サトウキビに含まれる糖蜜を発酵・蒸留して作られる。スペイン語ではロン ( ron ) と呼ぶ。

目次

[編集] 歴史

発祥はバルバドス島とされる。島の住民たちがこの酒を飲んで騒いでいる様子を、イギリス人が rumballion (デボンシャー方言で「興奮」の意)と表現したのが名の由来という。発祥はプエルトリコ島とする説もあるが、いずれにしてもカリブ海原産ではあるようだ(カリブ海の海賊たちの物語の中に登場するお酒といえば、これである)。英サンデー・ミラー紙によると、映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズの大ブームのおかげで、英国ではラム酒が飛ぶように売れ、バーでもモヒート、ピニャコラーダ、マイタイ、キューバリブレといったラムベースのカクテルが好んで飲まれ、ダークラムの消費量は前年比31%増という驚くべき数字を叩き出したという。

その後、サトウキビ栽培地域の拡大に伴いラム酒も広まっていき、南北アメリカやアフリカでも作られるようになった。

18世紀になるとラムはイギリス海軍の支給品となった。しかしラムは強い酒だったため、エドワード・バーノンという提督は水割りラムを支給することにした。部下たちはこの薄いラムのことを、グログラムという生地でできたコートを着ていた提督のあだ名からグロッグと呼ぶようになった。現在でも水割りラムはグロッグと呼ばれ、泥酔することはグロッギーという。日本で使われるグロッキーという言葉は、このグロッギーがなまったものである。

1805年トラファルガー海戦で戦死したホレーショ・ネルソン提督の遺体は、腐敗を防ぐためラム酒の樽に漬けて本国に運ばれた。このためラムは「ネルソンの血」と呼ばれることもある。ちなみにそのネルソンを漬けたラム酒は、水兵たちが盗み飲みしてしまったため、帰国の際には樽は空っぽになっていたという。一説によると、偉大なネルソンにあやかろうとした行動だったという。

ラム酒は中南米では非常に多く飲まれている。特に、コーラで割ったものは、キューバ・リブレ(Cuba libre, スペイン語ではクーバ・リブレ)と呼ばれ、最も一般的な飲み方である。その他の利用としてケーキ、タルト等焼き菓子の風味づけに多用される。

日本では明治頃から小笠原で飲まれており、1992年東京都小笠原村の役場・農協・商工会が小笠原ラム・リキュールという会社を設立し母島で国産のラム酒が生産されている。

[編集] 分類

ラム酒には色による分類と、香の強さによる分類が有る。

  • 色による分類
    • ホワイトラム(無色)、ゴールドラム(薄い褐色)、ダークラム(濃い褐色)
  • 風味による分類
    • ライトラム(軽い芳香)、ミディアムラム(中間的な香)、ヘビーラム(強い芳香)

[編集] 製法

まず原料によって大きく2つに分けられる。 サトウキビの搾り汁から砂糖をとった後の糖蜜を発酵させ蒸留し熟成させる「インダストリアル・ラム」(工業ラム) が一般的だが、サトウキビの搾り汁から直接作られるものもあり「アグリコール・ラム」(農業ラム) と呼ばれる。アルコール度数は40~50%と高めである。

次にその製法によって大きく3つに分けられる。

ライトラムは糖蜜と水を混ぜ純粋酵母発酵させ、連続式蒸留器で蒸留したもので、オークの樽で短期間熟成される。樽熟成のままだとゴールドラムに、熟成後活性炭で濾過するとホワイトラムになる。

ヘビーラムは糖蜜を自然発酵させ、単式蒸留器を使い内側を焦がしたオークの樽 (バーボン・ウイスキーを熟成させた樽を用いる事も有る) で熟成させる。3年以上熟成されダークラムになる。

ミディアムラムは糖蜜を自然発酵させた後に連続式蒸留器で蒸留するという中間的な製法と、ヘビーラムとライトラムをブレンドする方法がある。

ヘビーラムやミディアムラムでは琥珀色を出す為にカラメルによる着色が行われる製品もある。特にヘビーラムでは色が濃い方が質が良いと誤解されている地域もあるため、過度の着色をされる場合がある。

[編集] 主なブランド

[編集] 日本のラム酒

小笠原では、開拓初期(1830年頃)の欧米系定住者が捕鯨船とラム酒の取引を行っていた。1876年に日本領土に確定してからは、亜熱帯の気候を生かし、サトウキビの栽培による製糖業が盛んになり、その過程で生じた副産物を発酵・蒸留してつくった酒を、島民は「泡酒」や「蜜酒」などと呼び、飲むようになった。以後、太平洋戦争中に島民が強制的に内地へ疎開させられるまで、永く愛飲されることになる。戦後、小笠原はアメリカが統治し、1968年にようやく日本に返還された。返還後、疎開先から徐々に小笠原に戻ってきた旧島民にとって、疎開前に愛飲していた地ラム酒の味は忘れがたいものであったという。こうした独自の歴史背景と、バブル期の空前の地ビールブームの中、村おこしの一環として小笠原ラム・リキュール株式会社が設立され、小笠原の地酒としてのラム酒が復活した。1992年より製品化され、現在はインターネットでも広く販売をしている。

ちなみに戦後のラム酒製造としては、徳之島にある高岡醸造が1979年から作っている、ルリカケスが国産ラム酒の第一号である。

  • 小笠原ラム・リキュール(東京都小笠原村 小笠原ラム・リキュール株式会社)
  • ルリカケス(鹿児島県徳之島町 高岡醸造株式会社)
  • コルコル(沖縄県島尻郡南大東村 株式会社グレイスラム)
  • ヘリオスラム(沖縄県名護市 ヘリオス酒造)

[編集] その他

[編集] 関連項目