ブラジル
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- ブラジル連邦共和国
- República Federativa do Brasil
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(国旗) (国章) - 国の標語 : Ordem e Progresso
(ポルトガル語: 秩序と進歩) - 国歌 : ブラジルの国歌

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公用語 ポルトガル語[1] 首都 ブラジリア 最大の都市 サンパウロ 独立
- 宣言
- 承認ポルトガルから
1822年9月7日
1825年8月29日通貨 レアル(BRL) 時間帯 UTC (-2 ~ -5)(DST: 脚注を参照[2]) ccTLD BR 国際電話番号 55 -
- ^ 実際に用いられているのは方言のブラジルポルトガル語である。
- ^ なお、一部の州で夏時間を導入している。
ブラジル連邦共和国(ブラジルれんぽうきょうわこく)、通称ブラジル(伯剌西爾)は、南アメリカの連邦共和制国家である。首都はブラジリア。南米大陸で最大の面積を誇り、ウルグアイ、アルゼンチン、パラグアイ、ボリビア、ペルー、コロンビア、ベネズエラ、ガイアナ、スリナム、フランス領ギアナ(つまりチリとエクアドル以外の全ての南米諸国)と国境を接している。また、大西洋上のフェルナンド・デ・ノローニャ諸島、トリンダージ島・マルティン・ヴァス島、セントピーター・セントポール群島もブラジル領に属する。国土面積は日本の約22.5倍で、アメリカ合衆国よりは約110万k㎡(コロンビア程度)小さいが、ロシアを除いたヨーロッパ全土より大きい。
南アメリカ大陸最大の国家であると同時にラテンアメリカ最大の領土、人口を擁する国家であり、世界全体でも第5位の面積を誇る。南北アメリカ大陸で唯一のポルトガル語圏の国であり、同時に世界最大のポルトガル語使用人口を擁する国でもある。
目次 |
[編集] 国名
正式名称は、República Federativa do Brasil(ポルトガル語)。IPAでは、[xeˈpublika fedeɾaˈtʃiva du bɾaˈziw]。通称、Brasil。
公式の英語表記は、Federative Republic of Brazil。通称、Brazil。
日本語の表記は、ブラジル連邦共和国、漢字表記では伯剌西爾。通称、ブラジル。
中国語の表記は、巴西。
国号由来
国号のブラジルは、樹木のブラジルボクに由来する。元々この土地は1500年前後のポルトガル人の来航当初は、南米大陸の一部ではなく島だと思われたためにヴェラ・クルス(真の十字架)島と名づけられたが、すぐにマヌエル1世の時代にサンタ・クルス(聖十字架)と改名された。 その後あまりにもキリスト教的すぎる名前への反発や、ポルトガル人がこの地方でヨーロッパで染料に用いられていたブラジル(ブラジルスオウ、ブラジルはポルトガル語で燃えるように赤いの意)に似た木を発見すると、それもまた同様に染料に使われていたことから木を「ブラジル」というようになり、ブラジルの木のポルトガルへの輸出が盛んになったこともあり、16世紀中にこの地はブラジルと呼ばれるようになった。
[編集] 歴史
詳細はブラジルの歴史を参照。
- 先住民が居住しており、その数150万人から200万人と謂われている。
- 1500年、カブラル(ポルトガル人)、ブラジル発見
- 1502年、アメリゴ・ヴェスプッチ(イタリア人)、リオデジャネイロ(1月の川)を命名。
- 1549年、初代ブラジル総督トメ・デ・ソウザがバイーアに着任。
- ブラジル内陸部の探検は、サンパウロのバンデイランテにより、17世紀に始まる。
- 1808年、ポルトガル宮廷、フランス軍の侵入によりリスボンからリオデジャネイロに遷都。以降リオの開発が進む。
- 1821年、ポルトガル宮廷リスボン帰還
- 1822年、ブラジル帝国独立
- 1888年、奴隷制廃止
- 1889年、共和制革命。カフェ・コン・レイテ期
- 1908年、笠戸丸で日本人移民開始
- 1930年、ジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガス、クーデター。独裁政治を行う。
- 1932年、護憲革命
- 1942年、第二次世界大戦に連合国の一員として参戦
- 1960年、ブラジリア遷都
- 1964年、軍事独裁開始
- 1985年、文民政権復活
[編集] 政治
大統領制を敷いている。大統領および副大統領の任期は4年で、一度限りにおいて再選が認められている。大統領は国会により弾劾されることが可能である。議会は上院・下院の二院制。現在の大統領は、左派・労働党のルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァである。
東西冷戦が崩壊した1980年代末まで長年軍事政権下にあった。軍事政権下の当時から現在にいたるまで、官僚の腐敗や汚職が広まったままである。借金大国で累積債務に苦しんでいたが、現在では改善されつつある。
[編集] 政党
与党である労働者党(PT)の他に、同党と連立を組んでいたブラジル民主運動党(PMDB)と社会大衆党(PPS)などがある。与党首脳部の間における他党議員の買収、不正資金の調達、選挙での裏金作りなどの疑惑が出て以来、与党の存在感が低下している。
[編集] 現政権
2003年1月にルーラ政権が発足した。元労働組合の指導者だったルーラは「飢餓ゼロ」計画を打ち上げ、貧困家庭向けの食料援助や援助金制度などを推進した。貧困家庭の生活水準改善を着実に進め、経済発展に取り残されていた内陸部へのインフラ整備も進みつつある。外交面では、南米統合へのリーダーシップも発揮した。2006年6月24日にルーラ大統領は、政権与党の労働党の全国大会で大統領候補指名を受託し、10月の大統領選挙で貧困層の圧倒的な支持を得て再選した。
[編集] 投票権
投票は18歳から70歳までの読み書きができる全ての国民に義務付けられている(義務投票制)。希望すれば16歳以上、もしくは70歳を超える国民や読み書きのできない国民も投票することができる。
[編集] 外交
独立直後は旧宗主国だったポルトガルに代わって英国の投資を受け、「老いた母の代わりに金持ちの叔母を得た」といわれて飛躍的な経済的発展を遂げた。独立直後からウルグアイを巡ってアルゼンチンとシスプラチナ戦争を起こし、バンダ・オリエンタル(シスプラチナ州)がウルグアイとして独立するなどの失敗もあったが、それでもウルグアイへの影響力は大きく、大戦争終結後は植民地時代のウルグアイの領域の大きな部分(東ミシオネス州など)をブラジルに併合することを認めさせた。 1860年代には親英政策の下にパラグアイ戦争でパラグアイを完膚なきまでに破壊し尽くし、戦争が終わるとパラグアイの領土は一部ブラジルに割譲され、パラグアイそのものも政治的に事実上のブラジルの属国となった。その後はカシアス公やリオ・ブランコなどの尽力もあり、ギアナ三国、ベネスエラ、コロンビア、ボリビアなどの周辺国からアマゾンの辺境地を獲得することに躍起となった。ボリビアとの争いではアクレ共和国のような傀儡政権が樹立されることもあった。
20世紀前後から周囲をスペイン語圏諸国に囲まれていることの孤立感、および当時急速な発展を遂げていたアルゼンチンの勃興などに対処するために親米政策を採った。共和制革命直後のバルボーザ案新国旗に見て取れるように、この当時知識人のアメリカ合衆国崇拝は激しいものがあったことが窺える。 アルゼンチンとの対立はチリを交えて二十世紀初頭から1980年代まで続く軍拡競争を招き、アルゼンチン・ブラジル・チリはABC三大国と呼ばれるようになった。一方で親米英政策は第一次世界大戦、第二次世界大戦に連合国側で参戦したように激しいものがあり(アルゼンチンが独自外交を標榜して両大戦でドイツに好意的な中立を続けようと努力したのとは対照的である)、第二次世界大戦後も暫くこの政策は続いた。
戦後イギリスが没落すると左翼民族主義路線で親米政策から第三世界外交が続いたが、1964年にアメリカの内諾を得て起こされた軍事クーデターにより成立した官僚主義的権威主義体制は、いよいよ露骨に積極的な親米を掲げてアメリカに追従し、1965年のドミニカ内戦の際にはドミニカ共和国のポプリスモ政権潰しのための平和維持軍を率先して送り、その後軍部はペルーなどの多くのラテンアメリカ諸国の右翼反共軍事クーデターを支援した(時系列的には前後するが、パラグアイのアルフレド・ストロエスネル政権の成立にもブラジル軍の支援があった)。そして当然ながらこの露骨な親米政策はラテンアメリカ諸国からは「裏切り」だとみなされた。
しかし、1985年に民政移管すると、特に1980年代後半の冷戦終結後は南アメリカの大国としてアルゼンチンやパラグアイなどの近隣諸国のみならず、アジアやアフリカ、中近東諸国などとも全方面外交を行い、WTOやメルコスールなどを通して積極外交を行う他、没落したアルゼンチンに代わってラテンアメリカ諸国をまとめるリーダーとして国連改革を積極的に推進し、国連安全保障理事会の常任理事国入りを日本やインド、ドイツなどとともに狙っているとされる。また、ポルトガル語圏の一員として旧宗主国のポルトガルや、アンゴラ、モザンビーク、東ティモールとも強い絆を保っている。
ブラジルは主権の相互尊重の原則を根拠に対等な外交施策をとることで知られている。アメリカ政府がテロリスト対策の一つである新入国管理制度で、ブラジルを含む25カ国から入国する者に顔写真と指紋の登録を実施したのに対抗し、ブラジル政府は、2004年1月1日から報復として入国するアメリカ人を対象に、顔写真と指紋の登録を実施した。
また、ブラジルは南米で唯一日本人が短期滞在のために入国するときにビザが必要な国である。これも、日本政府がブラジルからの入国に対してビザを求めていることに対する対抗措置である。
[編集] 日本との関係
活発な交流
- 日本との外交関係は1895年の修好通商航海条約調印から始まり、1897年に両国内に公使館を開設。1908年6月には日本からの本格的移民が開始され、笠戸丸がサントスに入港した。その後第二次世界大戦中の断交状態(ブラジルは連合国として参戦)と国交回復を経て、常に活発な人的、経済的交流が行われており、その距離の遠さに反比例して世界各国の中でも特に日本との縁が非常に深い国である。
移民
- 1908年に最初の本格的な集団移民、いわゆる「笠戸丸移民」が到着して以降、第一次世界大戦、第二次世界大戦を経て1950年代に日本政府の後援による移民が停止されるまでにブラジルに渡った日本人移民の子孫は4世、5世の世代になり、サンパウロの世界最大級の日本人街「リベルダージ」を中心に、海外で最大の日系人社会(約140万人)を持つなどブラジル社会に完全に溶け込んでいる。現在は政界や経済界、法曹界で高い地位につくものも多い他、特に長年の農業における高い貢献は非常に高い評価を得ている。2007年2月には、2世のジュンイチ・サイトウ空軍大将が空軍総司令官に任命された。(日系人がブラジル軍の最高位ポストについたのは初)在日ブラジル大使館報道資料
民間・経済交流
- また、1950年代以降、日本の高度経済成長期にかけて東芝やトヨタ自動車、東京海上日動、コマツ、ヤクルトなど、重工業から金融、サービス業にいたるまで様々な業種の日本企業がサンパウロを中心に数百社進出しており、世界でも有数の規模の日本人学校、サンパウロ日本人学校など複数の日本人学校がある他、日本においてもブラジルの音楽やスポーツ、料理などの文化が広く親しまれており、また、両国間の人的交流が活発にあるなどその関係は非常に深いものがある。
ODA
- 1962年に両国による合弁事業であるウジミナス製鉄所へのODAによる融資を行って以降、電気や港湾、衛生設備など、各種インフラの充実を中心としたODAが継続的に行われている。しかしながら、ブラジルが工業国であり比較的インフラが整っていることから、近年はインフラでも環境、衛生関係に特化されたものとなっている。
[編集] 軍事
詳細はブラジル軍を参照。
1889年の共和制革命で主要な役割を果たしたことが主な理由となって伝統的に政治に強い影響力を持ち、「テネンティズモ」(テネンテ=中尉から転じて青年将校を指す)と呼ばれる、革新的な青年将校が強い影響力を持って政治を進めようとする傾向が生まれ、ヴァルガス体制の設立にも協力した。その後1964年から1985年まで軍政下にあった事もあり、現在もそれなりの存在感を持つもののその影響力は比べ物にならないほど小さいものとなっているというものもいるが、それでも未だに軍は「ブラジル最大の野党」と呼ばれている。
なお、第二次世界大戦に連合軍として参戦した際には、陸軍がヨーロッパ戦線へ派遣されている。その後ドミニカ共和国の内戦の治安維持に派遣され、アメリカ合衆国主導による、ボッシュ派社会改革政権崩壊への積極的な協力を行った。
1980年代にマルビーナス戦争の敗北でアルゼンチンの軍事政権が崩壊してからは、融和政策が続き、それまでの軍拡競争が終わったため現在は周辺諸国との軍事的緊張関係には無いものの、国土が広大なこともあり南アメリカで最大規模の軍事力をもつ。
12ヶ月の徴兵制を敷いており、総兵力は約320,000人程である。陸軍、海軍、空軍と軍警察が存在する。軍事政権期核開発計画を進めていたが、1988年アルゼンチンと共に核計画の放棄を宣言した。
近年は国連のPKOに積極的に派遣されている。また、各種軍用機や軍用車両の国産化が進んでおり、特に軍用機は南アメリカの周辺国のみならず、ヨーロッパや中東諸国、オセアニアにも輸出されている。
[編集] 陸軍
兵力:189,000人
[編集] 海軍
兵力:32,900人 2007年、原子力潜水艦建造計画が持ち上がった。
[編集] 空軍
兵力:65,300人
※2007年2月、日系2世のジュンイチ・サイトウ大将が空軍総司令官に任命された。
[編集] 地方行政区分
詳細はブラジルの州を参照。
ブラジルは26の州(Estado エスタード)と1つの連邦直轄区(首都ブラジリア)から構成されている。地図のように国土は5つに分かれる。
- アクレ州
- アラゴアス州
- アマパ州
- アマゾナス州
- バイーア州
- セアラ州
- エスピリト・サント州
- ゴイアス州
- マラニョン州
- マット・グロッソ州
- マット・グロッソ・ド・スウ州
- ミナス・ジェライス州
- パラー州
- パライバ州
- パラナ州
- ペルナンブコ州
- ピアウイ州
- リオデジャネイロ州
- リオ・グランデ・ド・ノルテ州
- リオ・グランデ・ド・スル州
- ロンドニア州
- ロライマ州
- サンタ・カタリーナ州
- サンパウロ州
- セルジペ州
- トカンティンス州
- 連邦直轄区
| Nº1 | 州名 | 略称 | 人口 (2005年/2006年) | 面積 (km²) | 州都 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1 | アクレ州 | AC | 557.882 | 153.149,9 | リオ・ブランコ |
| 2 | アラゴアス州 | AL | 2.827.856 | 27.933,1 | マセイオ |
| 3 | アマパ州 | AP | 477.032 | 143.453,7 | マカパ |
| 4 | アマゾナス州 | AM | 2.817.252 | 1.577.820,2 | マナウス |
| 5 | バイーア州 | BA | 13.085.769 | 567.295,5 | サルヴァドール |
| 6 | セアラ州 | CE | 7.431.597 | 146.348,3 | フォルタレザ |
| 7 | エスピリト・サント州 | ES | 3.097.498 | 46.184,1 | ヴィトーリア |
| 8 | ゴイアス州 | GO | 5.004.197 | 341.289,5 | ゴイアニア |
| 9 | マラニョン州 | MA | 5.657.552 | 333.365,6 | サン・ルイス |
| 10 | マット・グロッソ州 | MT | 2.505.245 | 906.806,9 | クイアバ |
| 11 | マット・グロッソ・ド・スウ州 | MS | 2.078.070 | 358.158,7 | カンポ・グランデ |
| 12 | ミナス・ジェライス州 | MG | 17.905.134 | 588.383,6 | ベロ・オリゾンテ |
| 13 | パラ州 | PA | 6.195.965 | 1.253.164,5 | ベレン |
| 14 | パライバ州 | PB | 3.444.794 | 56.584,6 | ジョアン・ペソア |
| 15 | パラナ州 | PR | 10.261.856 | 199.709,1 | クリチバ |
| 16 | ペルナンブコ州 | PE | 7.929.154 | 98.937,8 | レシフェ |
| 17 | ピアウイ州 | PI | 2.843.428 | 252.378,6 | テヘシナ |
| 18 | リオデジャネイロ州 | RJ | 14,381,282 | 43.909,7 | リオ・デ・ジャネイロ |
| 19 | ヒオ・グランジ・ド・ノルチ州 | RN | 3.003.087 | 99.818 | ナタール |
| 20 | ヒオ・グランジ・ド・スウ州 | RS | 11.108.322 | 269.153,9 | ポルト・アレグレ |
| 21 | ホンドニア州 | RO | 1.380.952 | 238.512,8 | ポルト・ヴェーリョ |
| 22 | ホライマ州 | RR | 324.397 | 225.116,2 | ボア・ヴィスタ |
| 23 | サンタ・カタリーナ州 | SC | 5.357.864 | 95.442,9 | フロリアノーポリス |
| 24 | サンパウロ州 | SP | 37.035.456 | 248.808,8 | サンパウロ |
| 25 | セルジペ州 | SE | 1.784.829 | 22.050,3 | アラカジュ |
| 26 | トカンティンス州 | TO | 1.157.690 | 278.420,7 | パルマス |
| 27 | 連邦直轄区 | DF | 2.051.146 | 5.822,1 | ブラジリア |
代表的な都市
[編集] 地理
国土は、流域を含めると400万km²にも及ぶアマゾン川と、その南に広がるブラジル高原に別けられるが、広大な国土を持つだけに様々な地形があり、北部は赤道が通る熱帯雨林気候で、大河アマゾン川が流れる。最高峰はベネズエラとの国境近く、北部ギアナ高地にあるピコ・ダ・ネブリナ山で、標高3,014メートルである。
南西部のパラグアイ、アルゼンチンとの国境付近には有名なイグアスの滝のある、ラ・プラタ川水系の大河パラナ川が流れる。他にネグロ川、サン・フランシスコ川、シング川、マデイラ川やタパジョス川がある。ブラジル南部3州ではブラジル高原はパンパとの移行地帯となり、伝統的に牧畜が盛んでガウーショ(ガウチョ)も存在する。
現在、環境破壊によるアマゾン川流域の砂漠化が問題となっている。また、日本の対蹠地に当たり南半球となるため、季節は時刻と共に日本とはおおよそ正反対になるが、熱帯ではない南部以外ではあまり意識されることはない。
[編集] 気候
ケッペンの気候区分によると、国土の90%は熱帯地域に属す。気候は熱帯性気候、亜熱帯性気候、半砂漠型サバナ気候、熱帯雨林気候、熱帯モンスーン気候、高地の亜熱帯性気候、温帯夏雨気候、温暖湿潤気候に分類できる。大西洋沿岸は全体的に温暖なため、リオデジャネイロやレシフェなどのリゾート地が多い。
年間平均気温
- アマゾン地域:22~26℃
- 大西洋沿岸地域:23~27℃
- 内陸部高原地域:18~21℃
四季 緯度によって異なるが、一応は以下の通りである。
[編集] 経済
詳細はブラジルの経済を参照。
1990年代に入ってからはインフレも安定し、カルドーゾ政権下で安定成長を遂げた。ルーラ政権では発展途上国向けの貿易拡大が行われ、ブラジルは長く続いた累積債務問題の解消へ向かう。2007年には国際通貨基金への債務を完済し、債務国から債権国に転じた。現在ではロシア・中華人民共和国・インドと並んで「BRICs」と呼ばれる新興経済国群の一角に挙げられるまでに経済状態が復活した。重工業、中でも航空産業が盛んで、1969年に設立された国策会社のエンブラエルは現在、小型ジェット機市場の半分近いシェアを誇り、一大市場である欧米諸国をはじめとする世界各国へ輸出されているなど、その技術力は高い評価を得ている。
公衆衛生・教育などの公共サービスの水準は先進諸国に比べ低く、沿岸部と大陸内部の経済的な格差や貧富の格差が大きいが、経済や財政の好転を背景に近年急速に改善されつつあり、貧困層の生活水準の底上げは内需の拡大にも貢献している。
また、GDPに於ける税の割合は30%を超えており、BRICs諸国で突出している。これは、貧困層への援助(食糧配給)のために課税が行われているが、高い税率に嫌気がさしている富裕層からは現政権に対して不満の声があがり始めている。しかし、医療や福祉・教育水準の改善、地方への生活インフラの整備が着実に進んでおり、ルーラ大統領の支持率は高い。
[編集] 工業
安価な労働力と豊富な天然資源により、ブラジルは2004年度の国民総生産(GNP)で世界第9位に位置し、南半球および南アメリカの国家における最大の経済規模を有する。
第二次世界大戦後の1950年代以降急速な経済発展を遂げ、軍事政権の外資導入政策によって1960年代後半から、毎年10%を超える成長率を見せ、ブラジルブーム(安い人件費で腕の良い熟練の労働者が得られる、豊かな資源がある)となる。
これによりアメリカ合衆国やヨーロッパ、日本などの先進工業国からの直接投資による現地生産や合弁企業の設立も急増し、自動車生産や造船、製鉄では常に世界のトップ10を占める程の工業国となったが、1950年代後半に当時のジュセリーノ・クビチェック大統領の「50年の成長を5年で」の号令下でスタートした首都ブラジリア建設の負担や、1970年代初頭のオイルショックなどで経済が破綻した。
これらの結果1970年代後半には経済が低迷し、同時に深刻な高インフレに悩まされるようになったため、これ以降グルジェル(自動車メーカー)のように業績が悪化・倒産する企業が相次いだ。また経済の悪化を受け、1980年代にかけてクライスラーや石川島播磨(現・IHI)など多数の外国企業が引き上げてしまい、同時に先進国からの負債も増大した。
[編集] 農業
農業では、かつてはブラジルボクやゴムの生産を中心とした。ブラジルボクはポルトガル語でパウ・ブラジルと呼ばれ、赤茶色の木地を持つ、堅く重たい木である。当時、赤の染料が貴重であったことから、赤の染料の原料となるこの木の経済価値が高かった。乱伐により一時は枯渇しかかったが、その後植林が進められて現在でもパウ・ブラジルでできた土産物などが現地で売られている。 19世紀までブラジルはゴム栽培を独占し、アマゾン川中流域のマナウスは大繁栄し、アマゾンの中心にオペラハウスが建設された。しかしペルーのイキトスやボリビアのリベラルタをはじめとする周辺国へのゴム栽培の拡大があり、さらに19世紀後半のイギリスによるマレーシアへのゴムの密移入によりアマゾンのゴム栽培は大きく衰退した。
プロデセール
- 1970年代から21世紀初頭にかけては、日本によるナショナルプロジェクト「セラード農業開発プロジェクト」(プロデセール)が3期に渡って行われ、その結果、ブラジル内部のセラード地帯(セラードとは「閉ざされた」を意味する)を中心とする農業発展が急速に進んだ。その際、日本とブラジルは共同事業として日伯セラード開発公社(CAMPO社)を現地に設立してプロジェクトの進捗管理を行うとともに、開発面積と同規模の保留地を耕作地周辺に確保するなど、農業開発と環境保全の両立を率先して行った。
- また同時に、現地に適した種子の開発や栽培方法の確立などについても、ブラジル国内に専門の研究所を設立して支援するなど、日本はハード面とソフト面の両面に渡って支援する壮大なものとなって成果を発揮した。現在では、ブラジルは大豆の生産ではアメリカに次ぐ世界第2位の地位を占めている。
牧畜
- 牧畜が盛んであり、近年まで「1ヘクタールに足1本」とまで言われていた。最近では都市近郊の農家の所得向上と相まって集約的な畜産業が行われるようになってきており、特にサンパウロ等大都市周辺の養鶏などは近代的システムの下で行われている。鶏肉については加工肉を中心に日本に相当輸入されているものの、牛肉については口蹄疫などの検疫上の問題が依然として存在している。
サトウキビとコーヒー
- 植民地から、独立後の帝政期にかけてのブラジルではサトウキビのプランテーション栽培が盛んだった。カリブ海諸国と同ジように、サトウキビを作る時は労働力としてアフリカから連れてこられた奴隷を働かせた。しかし、米州でも最も遅い1888年にようやく奴隷制が廃止されると、栽培の主流作物もサトウキビからコーヒーへと移り、大量導入していたヨーロッパからの移民を労働力に主に南東部のサンパウロ州を中心にしてコーヒー豆の栽培が進んだ。その後ヨーロッパ諸国と移民の待遇を巡って対立すると、今度は日本人を働かせるため、1908年に第一回目の日本人移民が行われた。サトウキビは砂糖の原料になるだけでなく、バイオエタノールに精製されてガソリンの代わりの燃料に使われている。
- コーヒーの輸出量は、世界第1位である。これは、人的労働が重要なコーヒー生産において、なにより安い労働力を得やすいという事情に因るところが大きいが、霜の降りにくい高台地帯の広いことも幸いしている。しかし、コーヒーの過剰生産により、国際価格が暴落。コーヒーへの依存度を下げるために、とうもろこし・大豆・サトウキビなどの栽培が奨励された。
焼畑農法
- 未だに貧困層がアマゾンの熱帯雨林で焼畑農法を行い、それが自然環境の破壊につながるとして問題視されているが、むしろ同地域を大規模に焼き払うのは当地での農業生産を目指す企業家たちである場合が多い。一方、ブラジル東北部の乾燥地域では生活そのものが苦しく、政府が募った入植に応じた農業者が生活を行っているが、生活は極めて厳しく、都市部の生活者との経済的格差は極めて大きい。現在では、衛星を使った監視網などが整いつつある。
日系移民者の貢献
- かつて日本人が農業移民としてブラジルに入植して以来、日本人は「農業の神様」と呼ばれ、現在に至るまでブラジル社会における日系ブラジル人の高いステータスを確保する重要な礎になっている。ブラジルの首都ブラジリアが建設された際には、首都建設に必要な食料生産を日系人に任せる目的で、当時の政府はブラジリア周辺に日系人を入植させた。日本人の農業を通じたこうした功績に対し、ブラジリア建設40周年記念式典の際には、日系人に対して連邦区知事から特別に感謝の言葉が述べられた。
- 果実生産も日本の経済協力を契機に盛んになっており、特に南部サンタ・カタリーナ州におけるリンゴ栽培等への協力は、ブラジルにおける日本のプレゼンス向上に大いに役立った。リンゴ栽培に関するブラジル側研究施設の所長に日系人が抜擢されたこともある上、同協力に殉じた日本人研究者の胸像まで設置されているなど、日本の農業協力の一つの象徴として位置付けられる。また、2005年9月29日解禁のマンゴーの対日輸出は、両国政府の間で20年以上に渡る懸案となっていたものである。
[編集] エネルギー
ペトロブラスは、元々ブラジル国営企業として成り立っていたが民営化プロセスに成功、その後企業は急拡大し、カナダのオイルメジャーを買収。欧米のオイルメジャーと張り合える存在となっている。ペトロブラスには、深海での石油開発能力、技術力において他メジャーよりも先行しており、未開発な箇所が多い深海油田をめぐり優位な立場で開発をおこなうと見られる。他、サトウキビ栽培によるバイオエタノール生産では2007年現在唯一、内需より生産量に余裕があり、輸出を行える状況にある。世界としてのバイオエタノール市場において、ブラジルが占める割合は7割以上に達する。エネルギー資源の確保について世界的に問題が深刻化するであろう今後にとって、ブラジルのエネルギー市場での存在感が2000年代初頭より、急激に大きくなっている。
発電方法
- ブラジルは水資源が豊富なので、水力発電が占める割合は大きい。パラグアイと共同建設した同国国境地帯の世界最大のイタイプー・ダムから電力を買っている他、国内各地にダムがある。
[編集] 交通
旅客および貨物輸送の約85%を道路輸送に依存しているが、国土が広大なことより古くから航空運送が盛んな上、長い海岸線や豊富な河川を元にした水上輸送も盛んに行われている。
[編集] 陸運
第二次世界大戦後は自動車の一般層への普及が進むとともに、高速道路網が急速に発達した。自動車の燃料として1970年代後半より政府主導の下アルコールが普及しており、多くの自動車メーカーがアルコール燃料車を用意しており、大抵のガソリンスタンドでアルコール燃料車にアルコールを入れることができる。最近ではフレックス燃料車(ガソリンや、アルコールを入れても動かせる車、混入可)が注目されている。
なお現在はヨーロッパや日本などと比べて排気ガス規制が甘いこともあり、都市部を中心に排気ガスによる大気汚染が深刻化しており、渋滞とともに大気汚染の緩和を目指して様々な対策が試されている。
現在の道路の総延長距離は165万kmであり、旅客および貨物輸送の約85%が道路輸送に依存している。サンパウロやリオデジャネイロ、ブラジリアなど都市部近郊の道路、および幹線道路の殆どが舗装整備されており、また、第二次世界大戦後の自動車産業の発達と自動車産業保護の観点から道路網の整備に重点が置かれていたこともあり、一般層への普及に併せて沿岸都市部を中心に高速道路網が急速に発達した。
しかし、大気汚染や渋滞削減などの観点から、近年は鉄道への注目が高まっており、都市圏における地下鉄や通勤電車の整備が進められているだけでなく、サンパウロリオデジャネイロ間の高速鉄道の整備も計画されており、日本の新幹線の導入も検討されている。
[編集] バス
高速道路網の発展とともに、寝台設備やトイレ、エアコン完備した長距離バスによる路線網が国中に張り巡らされ、手軽で安価な交通手段として重宝されている。また、アルゼンチンやウルグアイ、パラグアイなどの近隣諸国との間の長距離定期バスが、両国の主要都市の間で運行されている。
多くの都市では市内鉄道や地下鉄路線網が整備されていないことから、主な市内交通手段として市バスが使用されている他、サンパウロをはじめとするいくつかの大都市ではトロリーバスも運行されている。殆どのバスは外国資本や民族資本の企業によってブラジルで自国生産されており、連接バスや二階建てバス、歩道側だけでなく運転席側にも客用ドアを設置したバスなど多彩な車種が走っている。またその多くが国外へ輸出されている。
[編集] 鉄道
航空機やバスによる長距離移動網が古くから整えられていた事や、自動車業界保護の観点から道路網の整備に重点が置かれていたこともあり、鉄道の総延長は2000年現在で29,283kmとその広大な国土に比べて少ない上、その殆どが沿岸部に集中している。なお、鉄道による貨物輸送のシェアは20パーセント強となっている。
上記のような理由から都市間を結ぶ長距離鉄道網だけでなく、都市近郊の鉄道網の整備も遅れていたが、サンパウロやリオデジャネイロなどの大都市では1970年代以降、交通渋滞解消や省エネルギー、排気ガスによる大気汚染の解消などの目的から、地下鉄や郊外との通勤電車の整備が進んでいる。なお多くの車両は国産ではなく日本やドイツなどの鉄道先進国からの輸入となっている。
[編集] 航空
国土が広大なために古くから航空網が国中に張り巡らされており、現在国内に2000を超える空港を有しており、アメリカやロシアなどと並ぶ航空大国として知られている。特にサンパウロリオデジャネイロ間のシャトル便は世界有数の運送量を誇る。近年では元々はローカル線専門であったTAMブラジル航空と、元々はフラッグ・キャリアであった老舗のヴァリグ・ブラジル航空を傘下におさめた新興航空会社のゴル航空の二社を筆頭に、格安航空会社がその勢力を伸ばしている。
[編集] 日本との航空便
日本との間には、現在日本航空が成田空港からサンパウロまで週3便の直行便(ニューヨーク経由)を運行している。2005年1月まではヴァリグ・ブラジル航空も成田空港と中部国際空港にロサンゼルス経由の直行便を運行していたものの、アメリカ同時多発テロ後アメリカ政府がブラジル人に対してトランジットビザの取得を義務付けたことによる旅客の減少や、経営状況悪化を受け現在は運行を停止している。なお、ヨーロッパやアメリカ、カナダや中東の主要都市で乗り継いで行く事も出来る。
[編集] 国民
[編集] 人種
ブラジル人は大きく4つのグループに分かれる。トゥピ・グアラニー語族の言葉を話す先住民( グアラニー族、アマゾン先住民など)、植民当時のポルトガル系、アフリカからの黒人奴隷の子孫(アフリカ系ブラジル人)、そして19世紀半ばからブラジルに定住するためにポルトガル以外のヨーロッパ、中近東、日本を中心としたアジア諸国からやってきた移民である。
ヨーロッパ系ブラジル人の多くは元ポルトガル人で、ポルトガル人と原住民、黒人奴隷との雑婚が普通である。後に続くイタリアやドイツ、ユダヤ系、ロシア系、アラブ系などのヨーロッパ系や日本や中国などのアジア系移民の波が、多様な民族と文化の形成に貢献し続ける。ただし北東部は黒人が多く、南部は主にドイツ系ブラジル人が、南西部はイタリア系やスペイン系や日系をはじめとして、サンパウロ州のコーヒーブームにより現存するほぼ全てのエスニシティの移民が流入していたなど、多少地域差も見られる。
[編集] 言語
公用語はポルトガル語で、ブラジル生まれの国民のほとんどにとっての母語でもある。ただ、外国からの移民第1世代の中には、イタリア語やドイツ語、