フォークランド諸島
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- フォークランド諸島
- Falkland Islands
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フォークランド諸島の旗 フォークランド諸島の紋章 モットー:Desire the right 国歌:God Save the Queen 女王陛下万歳 
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公用語 英語 首都 スタンリー
本国 イギリス 君主 エリザベス2世 総督 アラン・ハックル (Alan Huckle) 首相 マイケル・ブランチ (Michael Blanch) 面積 - 総面積 12,173 km² - 水面積率 (%) 0% 人口 - 推計(2005年) 3,060人 - 人口密度 0.25/km² GDP (PPP) (2005年) - 合計 7500万ドル - 1人当り 25,000ドル 通貨 フォークランド諸島ポンド及びイギリス・ポンド 時間帯 UTC-4 - 夏時間 UTC-3 ccTLD .fk 国際電話番号 +500
フォークランド諸島(フォークランドしょとう、英語名Falkland Islands)は、南大西洋上にあるイギリス領の諸島。1833年からイギリスが実効支配し続け、現在に至る。スペイン語ではマルビナス諸島(Islas Malvinas)。首都はスタンリー(Stanley)、又はポート・スタンリー(Port Stanley)、アルゼンチン名はプエルト・アルヘンティーノ(Puerto Argentino)。人口2,967人(2003年調査)。通貨にフォークランド諸島ポンドとイギリスポンドの両通貨が使われている。諸島の領有を主張するアルゼンチンとイギリスとの間で、1982年にフォークランド紛争(マルビーナス戦争)が勃発した。
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[編集] フォークランド諸島の歴史
[編集] 探検と調査
ヨーロッパ人で最初に島を発見したのは、1520年のフェルナン・デ・マガリャンイスの航海中にはぐれた船団の内の一つの、エステバン・ゴメス船によるものだとされている。
しかしイギリス政府によると、イギリスの探検家ジョン・デイヴィス(John Davis)によって記録がなされたのは、1592年のことであり、これが現在のイギリスの領有権主張の根拠となっている。当時島は無人島だったが、近年木製のカヌーが発見され、フエゴ島の先住民に既に発見されていたという説が有力視されている。
1598年、オランダ人のSebald de Weertがこの島を訪れた。このため、当時オランダではこの島をSebald島と呼び、19世紀にはこの名が記載された地図がオランダで作られている。
フォークランドという名は、1690年に東フォークランド島と西フォークランド島の間の海峡を航海したイギリスの船長ジョン・ストロンの命名による。彼は、航海の援助をしてくれた海軍のアンソニー・フォークランド子爵(Anthony Falkland, 1659年-1694年)にちなんで命名を行った。
[編集] フランスとイギリスの争い
1764年にフランスが東フォークランドにあるバークレー湾の入り江に入植し、後にポール・サン・ルイ (Port St. Louis) と名づけられた。1765年、フランスとは別にイギリスの艦長ジョン・バイロンが東フォークランドのサン・ルイに気づかないまま、西フォークランドにあるソーンダース島の港にポート・エグモント (Port Egmont) と名づけ、諸島のイギリス領有を主張した。フランスとイギリスによる植民地拡大の背景には七年戦争など両国の対立関係に起因し、両国にとって争いは不毛だったが、戦略上重要な領有権を獲得するために派遣できる艦隊を保有していた。
1767年にフランスがフォークランド諸島から金銭と引き換えに撤退することにスペインと同意した。ボルボン朝スペインが領有を宣言すると、サン・ルイをプエルト・ソレダード (Puerto Soledad) と改名し、ドン・フェリペ・ルイス・プエンテが知事になった。1770年にはブエノスアイレスからフリゲートに海兵隊を乗艦させ、ポート・エグモントに上陸し、兵力で劣るイギリス軍は降伏した。
フランスの支援を受けられなかったスペインと北アメリカで高まっていた緊張(アメリカ独立戦争)に備えていたイギリスは戦争を避け、1774年には西フォークランド島の居住を認められる代償として、スペインの領有権を認める。領有権の放棄こそしなかったがエグモントのイギリス軍は1776年に解散した。1811年には南アメリカでの独立運動とイギリスの圧力を受け、スペインの移民もフォークランド諸島から撤退したが、スペインも領有権の主張は維持した。スペインが撤退した後はアメリカとイギリスの軍艦や捕鯨船が悪天候時の避難港として頻繁に島を利用した。
[編集] アルゼンチンの介入
1820年にアメリカで私掠船の船長をやっていたデイビッド・ジューエットの指揮下でリオ・デ・ラ・プラタ連合州(後のアルゼンチン)のフリゲートエロイナ (Heroína) がソレダードに到着し、アルゼンチンは諸島の領有と主権を宣言した。諸島は旧スペイン植民地だったため、旧スペイン植民地の四つの副王領のうち、パタゴニアに最も近かった旧リオ・デ・ラ・プラタ副王領の一部として独立に際して主権も受け継いだと、ポルテーニョ達には考えられたからであった。
連合州当局は諸島周辺のイギリスおよびアメリカ合衆国のアシカ漁船に対して警告を発するが無視される。1823年にはラ・プラタ連合州がホルヘ・パチェコ (Jorge Pacheco) とルイス・ベルネト (Luis Vernet) に漁業権を与えた。翌年に二人はフォークランド諸島に向かったが、探検は失敗を重ね、パチェコは諦めてしまった。
1828年に植民地の樹立に成功することを条件に東フォークランドとその資源がベルネトへ与えられた。当時アルゼンチンに中央政府は存在しなかったため、ブエノスアイレス州知事フアン・マヌエル・デ・ロサスが基本法に基づいて外交権(と事実上の全土の行政権)を行使していたが、1829年にはアルゼンチン当局は島の知事にベルネトを任命し、アザラシの狩猟権も与えられた。これに対して駐ブエノスアイレス英国領事が抗議を行った。 ロサスは諸島周辺で操業していた捕鯨業者に、船籍を問わず鯨1トンごとに一律5ペソの税金を課することを決定した。しかし、アメリカ船三隻がこの支払いを拒否し、この漁業権紛争により、アルゼンチン当局がアメリカ船舶の船長を逮捕した。
駐ブエノスアイレス合衆国領事は本国に報復を訴え、アメリカはサイラス・ダンカンをスループレキシントン号の艦長に据え、海兵隊をフォークランド諸島に派遣した。レキシントン号はソレダードを襲撃すると住民を連行し、植民地の状態が良好ではないことを報告した。しかし、その代償は大きく、合衆国領事はロサスによって追放されることになる。アンドリュー・ジャクソン合衆国大統領はこの措置に対してさらに報復を行うことも考えたが、結局この問題に対してこれ以上深入りするのを避けることにした。
ビーグル号での航海の最中にフォークランド諸島を訪れたチャールズ・ダーウィンも植民地の悲惨な状態を報告したが、それがレキシントン号の攻撃が原因である可能性についても言及した。
[編集] イギリスの再領有
1833年1月3日、イギリスがブリッグ・スループのクレイオー号をフォークランド諸島に派遣し、無血占領に成功した (1833 invasion of the Falkland Islands)。 イギリスは再びこの島に国旗を掲げることに成功し、この後はイギリスの支配下におかれる。アルゼンチン当局は抗議の声明を出したが聞き入られなかった。なお、この戦闘で勇敢に抵抗し、半年以上降伏しなかった囚人、アントニオ・リベロ(ガウチョ・リベロとも呼ばれる。なお、ガウチョはアルゼンチン、ウルグアイでは勇者を表す)は現在もアルゼンチンの国家的英雄となっている。また、1839年からはじまるウルグアイの大戦争の最中にアルゼンチンとイギリスは再び干戈を交えることになった。この時は1849年にイギリスがロサスへの敗北を認めて撤退したが、諸島の実効支配は確保した。
1843年にはスタンリーが開設され、1845年に行政府所在地となる。
外海向けの蒸気船がイギリス海軍に普及すると、ポート・スタンリーは重要な給炭港となった。第一次世界大戦ではマクシミリアン・フォン・シュペー率いるドイツの艦隊がフォークランド諸島の襲撃を試みた(フォークランド沖海戦)。第二次世界大戦でもアドミラル・グラーフ・シュペーが南大西洋に進出してきたため、巡洋艦カンバーランドがフォークランド諸島からラ・プラタ川河口へ急行した(ラ・プラタ沖海戦)。フォークランド諸島は2度の大戦で補給基地として有効に機能し、その戦略的な重要性も確かめられた。
1982年4月には、この島々の領有を巡り、イギリスとアルゼンチンが大規模な武力紛争を行った(フォークランド=マルビーナス戦争)。この戦争は2ヶ月後、イギリスの勝利に終わった。両国の国交が再開され、戦争状態が終わったのは1990年2月5日。但し、国交再開交渉では、この諸島の領有権は棚上げとされた。
[編集] 地理
フォークランド諸島は東フォークランド島と西フォークランド島の2つの大きな島、そして776の小さな島からなる。これら諸島の総面積は12,173 km²で、北アイルランドや日本の長野県と同じぐらいである。東フォークランド島と西フォークランド島にはそれぞれ山脈がある。最高峰は東フォークランド島にあるアスポーン山(754m)で、スタンリーは東フォークランド島の東端にある。島のほとんどが不毛な地であるが、東フォークランド島の平坦な土地は羊の牧草地になっている。
海水温の低い南大西洋に囲まれているため寒冷海洋性気候であり、冷涼で風が強い。降水量は比較的少ないが、稀に雪が降り、しかも季節に関係なく降ることがある。
主な島
[編集] 経済
島の経済は主に羊の放牧で、羊毛は代表的な輸出品の1つである。他には漁業などである。かつてはアザラシ猟や捕鯨も行っていたが今では中止している。
フォークランド紛争以来、島の経済は繁栄して来て、独自性を生かし学校、道路、観光業を発展させた。1987年には漁業権の販売によって、財政上の問題を解決して来た。しかし、アルゼンチンが課した制限付きの権利と低い売上高が、歳入不振を余儀なくした。また、羊毛価格の下落は多くの島民が従事する牧羊共同体の生活水準に影響を及ぼした。しかし島の将来に明るさが見え始め、大量の失業者と島民の移住を免れたのは領域内で広大な油田が発見されたからである。しかし、島の住民は多くはこの石油がアルゼンチンのフォークランド支配への欲望を呼び覚ますのではと恐れている。
[編集] 交通
フォークランド諸島には舗装滑走路をもつ空港が2つある。その1つはマウント・プレザント空軍基地 (RAF Mount Pleasant) で、主要都市であるスタンリーから西へ約48kmの位置にあり、イギリス空軍の基地ではあるものの主に国際空港として利用されている。空軍の飛行隊はトライスターを装備し、燃料補給のためアセンション・アイランド空軍基地 (RAF Ascension Island) を経由してイギリス本国のブライズ・ノートン空軍基地 (RAF Brize Norton) へと向かう。また、必要に応じてチャーター機に使われることもある。現在は747を運用しており、航空会社であるエア・アトランタ・アイスランディックが運行している。毎週のフライトはラン航空がチリのサンティアゴへと就航している。
ポート・スタンリー空港は郊外にある小さな空港で、フォークランド諸島では民用で唯一アスファルトで舗装された滑走路をもち、諸島内への飛行に使用されている。事前に協議された上でフライトスケジュールを決めるフォークランド諸島政府航空のアイランダーが運行されている。イギリス南極局はロゼラ基地を始めとするのイギリス領南極地域の観測基地とフォークランド諸島を結ぶためDHC-7を使用している。
[編集] 住民
島の住民はイギリスから来たイギリス系白人の入植者がほとんどを占める。
フォークランド諸島の統治権をめぐって、イギリスとアルゼンチンの間には不穏な空気が流れており、島の住民は不穏なままの現状維持を覚悟している。
公用語は英語。
宗教は英国国教会が55%で、その他のプロテスタントが28%を占める。
[編集] 参考文献
- L.L. Ivanov et al, The Future of the Falkland Islands and Its People, Double T Publishers, Sofia, 2003, 96 pp. (Complete text. Capítulo principal en inglés y castellano.) ISBN 9549150313
- Carlos Escudé y Andrés Cisneros, dir., Historia general de las relaciones exteriores de la República Argentina, Obra desarrollada y publicada bajo los auspicios del Consejo Argentino para las Relaciones Internacionales (CARI), GEL/Nuevohacer (Buenos Aires), 2000. (Texto completo en castellano) ISBN 9506945462
[編集] 外部リンク
- Falkland Islands Government official site, www.falklands.gov.fk (英語)
- Falkland Islands Tourism, www.tourism.org.fk (英語)
- CIA The World Factbook, www.cia.gov (英語)
- Falkland Islands - images, www.travel-images.com (英語)
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