フォークランド子爵

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ルーシャス・ケーリー、2代子爵

フォークランド子爵英語: Viscount of Falkland)とは、スコットランド貴族の一つである。

歴史[編集]

1620年ヘンリー・ケーリー卿英語版によって始まった子爵であるが、彼はイングランドの人間であり、スコットランドには何の縁も無かった。同時に彼は、スコットランド貴族としてケーリー卿(Lord Cary)にもなった。彼の息子、2代子爵のルーシャス卿がこの枠で初めて政治家となった。その息子にあたる、4代子爵、ヘンリー卿は兄を継承して子爵となり、オックスフォードシャー総督英語版を務めた。彼の息子、5代子爵、アンソニー卿は庶民院のいくつかの選挙区から出馬して議員となり、1693年から翌1694年にかけて海軍大臣を務めた。

5代子爵アンソニーが男子を持たなかったため、爵位ははとこである6代子爵ルーシャス卿に引き継がれた。彼は初代ヘンリー卿の第5子、パトリック・ケーリー英語版卿の孫である。6代ルーシャス卿は、流浪の身であったステュアート王家(ジャコバイト王位継承者)のジェームズ・フランシス・エドワード・ステュアートによって、1722年12月13日にフォークランド伯爵に叙せられ、ジャコバイト爵位英語版を手に入れた。また彼は、ローマ・カトリックを容認していた。彼の玄孫の10代子爵ルーシャス卿は、植民地行政官を務めた自由党の政治家であった。1832年に彼は連合王国貴族のハンスドン男爵に叙された。これによって彼は自動的に貴族院に議席を持ったが、それは彼の死の1884年までの事であった。スコットランド貴族の爵位は彼の弟の11代子爵、プランタジネット卿に引き継がれた。彼も海軍大臣を務めた人物であった。

彼の甥、バイロン卿が12代子爵となり、スコットランドの貴族代表議員1894年から1922年まで務めた。その後、息子のルーシャス卿が爵位を引き継いで13代子爵となり、貴族代表議員を1922年から1931年まで務めた。1984年に爵位はその息子ルーシャス・ヘンリー卿に引き継がれ、2010年にその息子ルーシャス卿に引き継がれた。15代子爵ルーシャス卿は1999年貴族院法 (1999年)英語版で認められた90人の世襲貴族の一人である。フォークランド子爵は、自由民主党側の席に座っている。

名跡[編集]

フォークランド子爵の名は、スコットランド王家の宮殿で、ファイフ・フォークランドにあるフォークランド宮殿にちなむ。しかし2つのスコットランド貴族の称号を保有しながらも、先述の通り、ケーリー家はイングランド出身である。

ウェストミンスター宮殿の聖ステファンホールにはフォークランド子爵の像が建っている。1909年4月27日女性解放運動にてマージャリー・ヒュームが自らを彼の像に縛り付け、「不言実行」と叫んだ。鎖が取り外された時、子爵の右の靴の先端が壊れてしまい、今日でもこれを見る事が出来る。彼の像は剣の部分も壊れているが、この運動によって壊れたと言うのはよくある誤解であり、実際に壊れたのは聖ステファンホールに設置されてすぐの事であった。

また、フォークランド諸島5代子爵アンソニー・ケーリー英語版の名を取った物である。

子爵一覧[編集]

現在の法定推定相続人ルーシャス・アレクサンダー・プランタジネット・ケーリー英語版 (b. 1963).である。

参考文献[編集]

  • Kidd, Charles, Williamson, David (editors). Debrett's Peerage and Baronetage (1990 edition). New York: St Martin's Press, 1990, [要ページ番号]
  • Ruvigny and Raineval, Marquis of, The Jacobite Peerage. Edinburgh, 1904.

外部リンク[編集]